篠田 淳(しのだ じゅん、1970年8月24日 - )は、岐… 篠田 淳(しのだ じゅん、1970年8月24日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(投手)。 大垣商業高では2年秋に東海大会出場も準々決勝で東邦高の1年生エース山田喜久夫に完封負け。3年次の1988年に、タテに割れる大きなカーブを武器にエースで4番として夏の甲子園に出場に貢献する。本戦でも、1回戦で古池拓一擁する坂出商業高、2回戦で京都西高を破り3回戦まで進出する。0-1で敗れはしたが3回戦の津久見高戦での川崎憲次郎との投げ合いはこの大会でも一二を争う名投手戦であった(篠田も自責点は0であり、奪われた1点は味方の失策によるものだった)。ちなみに同年の国体でも津久見高と対戦するが、2-4で敗れた。
内山 智之(うちやま ともゆき、1968年8月15日 - )… 内山 智之(うちやま ともゆき、1968年8月15日 - )は、岐阜県美濃加茂市出身の元プロ野球選手(投手)。 高校3年夏は2番手投手ながら県大会準決勝で完投勝利、決勝は登板なしで準優勝。社会人野球へ進む予定から急遽、一般入試で大学へ進学。大学では3年までに10勝するが全国大会へは出場なしで無名。監督との折り合いが悪く、4年春に退部している。 1990年のNPBドラフト会議で西武ライオンズから5位で指名されて入団した。高校時代から追っていたという西武のスカウト網が見出した隠し玉といわれた。直球の球威と将来性を見込んでの指名だったが、入団後にメジャーリーグのトレーニング方法を研究した結果、ストレートの球速が150km/h近くにまで上昇した。
藤田明宏(ふじた あきひろ、1968年2月5日 - )は岐阜… 藤田明宏(ふじた あきひろ、1968年2月5日 - )は岐阜県岐阜市出身の元高校野球指導者。血液型はO型。現朝日大学野球部監督。
前原 博之(まえはら ひろゆき、1967年5月16日 - )… 前原 博之(まえはら ひろゆき、1967年5月16日 - )は、岐阜県各務原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
熊澤 秀浩(くまざわ ひでひろ、1966年7月30日 - )… 熊澤 秀浩(くまざわ ひでひろ、1966年7月30日 - )は、岐阜県土岐市出身の元プロ野球選手(捕手)。 中部大春日丘高では2年秋の県決勝リーグ全敗で4位となり明治神宮大会に出場、3年夏は県大会ベスト4。1984年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名を受け入団。 一軍出場のないまま1990年限りで現役を引退。ブルペン捕手を経て、1996年から2012年まで二軍コーチを務めた。 達川光男のブログによると、キャッチングが非常に上手く、そのキャッチングは一軍の達川光男以上であり、ブルペンでは北別府学の球をよく受けていた。 日刊スポーツ新聞社発行の選手名鑑(1987)に「熊沢天皇の末裔」と紹介されたことがある。
林 哲雄(はやし てつお、1965年9月9日 - )は、岐阜… 林 哲雄(はやし てつお、1965年9月9日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手(内野手)。 岐阜第一高では3年春夏に甲子園出場して、夏はベスト8まで進出して日本代表メンバーにも選出、1983年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。同期に穴吹祐司捕手(阪急)がいた。 同校からのプロ入りは湯口敏彦以来であり、同じく巨人への入団となった。 一軍出場のないまま、1987年限りで現役を引退。俊足を活かしてスイッチヒッターにも挑戦した。 引退後の一時期は東京青山リトルシニアの監督を務めていた。 2020年6月27日に巨人とOBスカウトとしての契約を締結し、岐阜エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う。
野中 徹博(のなか てつひろ、1965年5月22日 - )は… 野中 徹博(のなか てつひろ、1965年5月22日 - )は、岐阜県加茂郡坂祝町出身の元プロ野球選手(投手)。1989年のみ登録名は野中 崇博。台湾プロ野球での登録名は野中 尊制。
高見 泰範(たかみ やすのり、1964年1月6日 - )は、… 高見 泰範(たかみ やすのり、1964年1月6日 - )は、岐阜県出身の野球選手(捕手)・指導者。バルセロナオリンピック野球日本代表では主将を務めた。
杉山 孝一(すぎやま こういち、1963年5月15日 - )… 杉山 孝一(すぎやま こういち、1963年5月15日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元社会人野球の野球選手(外野手)、野球指導者。 都市対抗野球大会で通算14本の最多本塁打(2012年現在)を記録している。 岐阜南高校では、3年次の1981年に第63回全国高等学校野球選手権大会に捕手として出場。高校卒業後、1982年に社会人野球の新日本製鐵名古屋に入団。 2年目の1983年、都市対抗の東海予選で4番を務めて史上初の4試合連続本塁打を達成し、本大会でもチームの準優勝に貢献した。 1985年も都市対抗に出場し、同年のドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受けたが、結婚直後のため安定した生活を望んでおり、また都市大会にも再び出場したい、として入団を断っている。
吉村 元富(よしむら もととみ、1962年4月17日 - )… 吉村 元富(よしむら もととみ、1962年4月17日 - )は、在日韓国人の元プロ野球選手(外野手)。本名は高 元富(コ・ウォンブ、고원부)。
松本 安司(まつもと やすし、1960年7月3日 - )は、… 松本 安司(まつもと やすし、1960年7月3日 - )は、日本の元野球選手(投手、外野手)。ソウルオリンピック野球日本代表では外野の中心選手として活躍した。 友人にサッカー好きが多かった事から大垣市立北中ではサッカー部に所属してFWを務め、県大会でベスト4に入っている。岐阜第一高校でもサッカー部でFWとしてプレーしていたが、3年春の球技大会で活躍したのを契機に野球部の顧問から強く誘われて転部。投手として高い適性を見せ、1978年夏の甲子園県予選ではエースとして準決勝に進み、県岐阜商の野村隆司(三菱名古屋)らと投げ合うが、9回に決勝点を許し惜敗、甲子園には届かなかった。 卒業後1979年に三菱自動車工業に入社し、社会人チームの三菱名古屋に所属。
藤原 保行(ふじはら やすゆき、1957年10月18日 - … 藤原 保行(ふじはら やすゆき、1957年10月18日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 市立岐阜商業高では1975年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、岐阜第一高に敗退。 高校卒業後は、名城大学へ進学し同校の硬式野球部に入部。愛知大学リーグでは1979年秋季リーグで優勝。同年の明治神宮野球大会では決勝で明大に敗れたものの、リーグ代表として9年ぶりの準優勝。リーグ通算64試合登板し23勝20敗、防御率2.21、235奪三振。 1979年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから1位指名を受け入団。 右の本格派として期待され、プロ2年目の1981年に一軍初登板を果たし初勝利も記録する。
平田 恒雄(ひらた つねお、1955年11月9日 - 201… 平田 恒雄(ひらた つねお、1955年11月9日 - 2016年2月9日)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(外野手)。登録名は平田恒男(読み同じ)。
山本 秀樹(やまもと ひでき、1955年1月2日 - )は、… 山本 秀樹(やまもと ひでき、1955年1月2日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 関商工高校では、1971年秋季中部大会県予選決勝リーグに進むが、4校中3位に終わる。名城大学に進学。愛知大学野球リーグでは、1975年秋季リーグで優勝を経験。 大学卒業後は社会人野球の大昭和製紙に入社。初出場となる1977年の都市対抗では二塁手として出場。1回戦で電電中国と対戦し、俊足を武器に9回裏にサヨナラホームスチールを決める。1979年の都市対抗では準々決勝に進出。日産自動車に敗退するが打撃賞を獲得し、同年の社会人ベストナインにも選ばれた。1980年の都市対抗ではエース杉本正が好投、決勝で札幌トヨペットに大勝し優勝を飾る。
五島 卓道(ごしま たくどう、1954年6月19日 - )は… 五島 卓道(ごしま たくどう、1954年6月19日 - )は、岐阜県美濃加茂市出身の野球指導者。 関高校、早稲田大学を経て、28歳まで川崎製鉄神戸にて内野手としてプレー。 現役引退後は川崎製鉄神戸のコーチを2年、監督を3年務める。 1988年11月に野球部強化に乗り出した千葉県の暁星国際高校の野球部監督に就任。当時は一回戦突破がやっとの弱小チームであったが監督就任の翌年からは小笠原道大や北川哲也らが入部。2年目の1990年夏には千葉県大会決勝に進出。翌年夏は期待されるも銚子商に初戦敗退。1993年には監督を退任。退任後も同校で教鞭を取る。 同じ木更津市内の木更津中央高校から誘いを受け、1998年11月には監督に就任。
湯口 敏彦(ゆぐち としひこ、1952年〈昭和27年〉6月3… 湯口 敏彦(ゆぐち としひこ、1952年〈昭和27年〉6月3日 - 1973年〈昭和48年〉3月22日)は、岐阜県郡上郡白鳥町(現:郡上市)出身のプロ野球選手。 岐阜短期大学付属高等学校(現在の岐阜第一高等学校)ではエースとして活躍。1969年春季岐阜大会決勝で多治見工から完全試合を記録し、一躍注目を浴びる。翌1970年の甲子園に春夏連続出場。春の選抜は1回戦で真和志高に完封勝ち。2回戦では天理高との乱打戦を制し、準々決勝に進むが神垣雅行、才田修を打線の中軸とする北陽高に3-4で惜敗した。チーム初出場の夏の選手権は1回戦で五所川原農林高を完封。2回戦は優勝候補であった箕島高の島本講平に投げ勝つ。
松本 芳之(まつもと よしゆき、1952年2月13日 - )… 松本 芳之(まつもと よしゆき、1952年2月13日 - )は、岐阜県郡上郡八幡町出身の元プロ野球選手(捕手)。 関商工高から1969年にドラフト外で南海ホークスへ入団したが、当時の南海は、野村克也選手兼任監督の壁が厚く他の捕手は出番に恵まれなかった。 1976年からは移籍してきた江夏豊のキャッチボールのパートナーを黒田正宏と共に務め、1977年には捕手として17試合に起用されるが、先発マスクを被ることはなく、指名打者で1試合に先発したのみであった。同年9月24日の日本ハム戦(後楽園)では途中出場ながら、谷山高明から初本塁打を放ち1打数1安打1打点を記録。 偵察要員としての起用が多く、野村解任後の1978年は黒田が正捕手に起用され、先発出場は6試合にとどまった。
鍛治舍 巧(かじしゃ たくみ、1951年5月2日 - )は日… 鍛治舍 巧(かじしゃ たくみ、1951年5月2日 - )は日本の野球選手、指導者及び野球解説者。現在は秀岳館高等学校野球部監督を務める。元パナソニック専務役員、日本野球連盟近畿地区連盟会長。
淵上 澄雄(ふちがみ すみお、1948年1月8日 - 201… 淵上 澄雄(ふちがみ すみお、1948年1月8日 - 2019年12月19日)は、岐阜県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 岐阜短大付属岐阜高校では、エースとして秋の県大会優勝、東海大会ベスト4で1965年の春の選抜に出場して選手宣誓を務め、1回戦で東農大二高の小林邦彦(東農大三高監督)に完封負けを喫する。同年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、三岐大会でも決勝に進出するが、海星高に敗退し甲子園出場を逸する。同年の岐阜国体に出場、決勝に進むが銚子商の木樽正明に抑えられ、準優勝にとどまる。 1965年ドラフト会議で大洋ホエールズから3位指名を受け入団。 1968年7月7日には中日ドラゴンズを相手に先発、8回を5安打1失点と好投しプロ初勝利。
千藤 三樹男(せんどう みきお、1947年9月28日 - )… 千藤 三樹男(せんどう みきお、1947年9月28日 - )は元プロ野球選手(外野手)。野球解説者。岐阜県出身。
林 伸男(はやし のぶお、1947年 - )は、岐阜県出身の… 林 伸男(はやし のぶお、1947年 - )は、岐阜県出身の元社会人野球選手。ポジションは外野手。 1964年、関高校の3年の時に、第46回全国高等学校野球選手権大会の岐阜県予選に参加した。しかし、2回戦において、後藤清らがいる多治見工業高校に敗れた。 中京大学を卒業後、西濃運輸に入社した。1969年の第40回都市対抗野球大会で左翼手として出場し、同年のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けるが入団を拒否し、会社に残留した。 1976年頃から一塁手として活躍するようになり、1978年の第49回都市対抗野球大会で本田技研鈴鹿硬式野球部の補強選手として出場し、三塁手として出場し、10年連続出場選手に表彰され、同年限りで引退した。
交告 弘利(こうけつ ひろとし、1946年8月20日 - )… 交告 弘利(こうけつ ひろとし、1946年8月20日 - )は、岐阜県中津川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。纐纈 弘利とする文献もある。 岐阜短期大学付属岐阜高等学校(現・岐阜第一高等学校)在学中に、阪神タイガースの熱心なスカウトを受け、高校2年時の1963年に高校を中退して、阪神に入団した。 翌1964年に投手として選手登録。当時の阪神の投手コーチだった、杉下茂が惚れ込んだ逸材だったが、体が硬く全体的にギクシャクしていたため、プロでは伸び悩んだ。スリークォーターよりやや下から繰り出される球には、伸びや切れも感じられなかったと伝わる。1965年10月5日の巨人戦(後楽園球場)がプロ初登板。
後藤 清(ごとう きよし、1946年6月18日 - )は、岐… 後藤 清(ごとう きよし、1946年6月18日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。
吉村 典男(よしむら まれお、1944年9月10日 - )は… 吉村 典男(よしむら まれお、1944年9月10日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。 中津商業高校から日本大学へ進学し硬式野球部に入部。東都大学野球リーグでは、1年下のエース森内一忠とともに活躍し、1966年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権でも決勝で近大を降し優勝。リーグ通算5勝8敗。大学同期に一塁手の倍賞明らがいる。 大学卒業後は、社会人野球のリッカーミシンへ入団。1968年の都市対抗では佐田康英をリリーフし活躍した。同年の明治維新百年記念明治神宮野球大会では全東京選抜の先発投手となり、全神奈川選抜を降す。下手投げの変則投手だが、スピードのあるシュート、カーブに定評があった。
諏訪俊彦(すわ としひこ、1944年 - )は岐阜県出身の元… 諏訪俊彦(すわ としひこ、1944年 - )は岐阜県出身の元高校野球指導者及び商業科教諭。
佐々木 宏一郎(ささき こういちろう、1943年8月30日 … 佐々木 宏一郎(ささき こういちろう、1943年8月30日 - 1989年5月22日)は、岐阜県揖斐郡池田町出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 史上11人目の完全試合達成者。 1960年代後半から1970年代前半にかけての近鉄バファローズにおいて、アンダースローの技巧派として鈴木啓示・清俊彦と共に主力投手の1人として活躍した。 岐阜短大付属岐阜では、1960年秋季中部大会県予選準決勝に進むが、県岐阜商に敗退。 1961年夏の甲子園県予選でも準決勝に進出するが、またも県岐阜商に敗れた。 1962年、大洋ホエールズにテスト入団。120人の応募者の中で唯一のテスト合格者であり、1年目から早速一軍での登板機会があった。
髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は… 髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は、プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市育ち。
高木 一巳(たかぎ かずみ、1941年1月9日 - )は、岐… 高木 一巳(たかぎ かずみ、1941年1月9日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 大垣商業高等学校では、捕手として1959年夏の甲子園県予選を勝ち抜き三岐大会決勝に進出するが、鈴木正のいた松阪商に敗退し、甲子園出場はならなかった[要ページ番号]。 大型捕手として注目され、1960年に中日ドラゴンズに入団。しかし二軍暮らしが長く、1963年に野手転向。1964年は20試合に起用され、一塁手として先発出場も果たすが、その後はあまり出場機会に恵まれなかった。1966年から捕手に戻り、地味ながら控えをこなす。1972年限りで引退した。
河村 保彦(かわむら やすひこ、1940年7月15日 - 2… 河村 保彦(かわむら やすひこ、1940年7月15日 - 2012年2月21日)は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
藤本 正一(ふじもと しょういち 1938年4月11日 - … 藤本 正一(ふじもと しょういち 1938年4月11日 - 没年不明)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
梶本 靖郎(かじもと やすお、1938年2月26日 - )は… 梶本 靖郎(かじもと やすお、1938年2月26日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)。 兄はプロ野球選手の梶本隆夫。本名は「靖郎」だが、プロ野球選手を退いてから「憲史」という名前を使用している。 岐阜県立多治見高等学校から、1956年に兄・隆夫がいる阪急ブレーブスに入団。隆夫(岐阜県立多治見工業高等学校)とは異なる高校に進んだのは、東京の大学に進学することを念頭に置いたためだった。高校では内野手からスタートして強肩を買われて投手に転向したが、選手も少ない進学校で、3年生の全国高等学校野球選手権岐阜大会も初戦で完封負けを喫した。阪急からスカウトを受けての入団は、女手一つで育てた母・すぎ子への恩返しが理由だったという。
森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪… 森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(捕手)・指導者・監督、野球解説者。本名「森 昌彦」(もり まさひこ)。
安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - … 安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。
梶本 隆夫(かじもと たかお、1935年4月8日 - 200… 梶本 隆夫(かじもと たかお、1935年4月8日 - 2006年9月23日)は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(投手)・監督・野球解説者。山梨県甲府市生まれ。
河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 19… 河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 1984年9月11日)は岐阜県出身の元プロ野球選手。右投右打。
田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 197… 田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 1972年1月19日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。近鉄投手の武智文雄は兄、東映内野手の田中和男は弟。 岐阜高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。ここではあまり出番がなく、1954年オフにトンボユニオンズへ移籍。1956年には先発陣の一角に食い込み、7勝をあげる。翌年は球団合併により大映ユニオンズに所属するが、1958年に兄文雄がいる近鉄パールスに移籍し、同年限りで引退した。下手投げから、スライダー、ドロップ、カーブとシュートを武器にした。 1972年1月19日に38歳で死去した。
花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年… 花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年12月14日)は、岐阜県出身のプロ野球選手、野球解説者。 岐阜高等学校(1948年8月までの校名は岐阜第一高等学校)では、エースとして1948年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが、小倉高の福嶋一雄に抑えられ完封負け。翌1949年の夏の甲子園でも順調に勝ち進み、決勝に進出。佐々木信也のいた湘南高と対戦するが3-5で逆転負け、準優勝にとどまる。チームメートに河合保彦、森和彦らがいた。卒業後は慶應義塾大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは1951年秋季リーグから2季連続優勝、右翼手、四番打者として活躍する。リーグ通算86試合出場、265打数76安打、0本塁打、49打点、打率.287。
柴田 英治(しばた えいじ、1930年11月11日 - 19… 柴田 英治(しばた えいじ、1930年11月11日 - 1999年8月19日)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。引退後に加藤(かとう)へ改姓。
栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 19… 栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 1998年11月11日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(外野手)。
武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 20… 武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 2013年7月1日)は、岐阜県稲葉郡前宮村(現:各務原市)出身の元プロ野球選手・コーチ・解説者。
畑中 時雄(はたなか ときお、1926年8月8日 - 199… 畑中 時雄(はたなか ときお、1926年8月8日 - 1995年10月8日)は、岐阜県出身のプロ野球選手。
大平 茂(おおひら しげる、1926年5月1日 - )は、岐… 大平 茂(おおひら しげる、1926年5月1日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手。
坂井 豊司(さかい とよじ、1925年6月3日 - 2016… 坂井 豊司(さかい とよじ、1925年6月3日 - 2016年4月)は日本の野球選手。ポジションは内野手。
浅井 守(あさい まもる、1924年7月4日 - )は、岐阜… 浅井 守(あさい まもる、1924年7月4日 - )は、岐阜県関市出身の元プロ野球選手(投手)。
中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 198… 中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 1986年9月27日)は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
高山 泰夫(たかやま やすお、1922年(大正11年)8月2… 高山 泰夫(たかやま やすお、1922年(大正11年)8月23日 - )は岐阜県出身の元プロ野球選手。
伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 201… 伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 2011年7月20日) は岐阜県岐阜市生まれのプロ野球選手(外野手)、高校野球監督。
国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2… 国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2011年3月8日)は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。
近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月2… 近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月28日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で外野手として活躍した人物である。岐阜県出身。
野村 武史(のむら たけし、1919年4月5日 - 1985… 野村 武史(のむら たけし、1919年4月5日 - 1985年1月29日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。