中村 寿一(なかむら じゅいち、1892年〈明治25年〉5月… 中村 寿一(なかむら じゅいち、1892年〈明治25年〉5月29日 - 1956年〈昭和31年〉1月6日)は、日本の政治家。愛知県挙母市長(1期、挙母市は豊田市の旧市名)、挙母町長、愛知県会議員などを歴任した。 挙母町長在職中、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の工場誘致、土地買収に尽力したことで知られる。 愛知県八名郡下条村(現・豊橋市)出身。農業を営む中村桂次郎の長男として生まれる。下川村第一尋常高等小学校卒業。父の死をきっかけとして1906年(明治39年)、14歳のときに家を出て農業試験場養蚕部に入る。養蚕教師として西三河の農家の指導にあたった。 1912年(明治45年)、第15師団に入隊。
吉田 萬次(よしだ まんじ、1892年(明治25年)3月2日… 吉田 萬次(よしだ まんじ、1892年(明治25年)3月2日 - 1958年(昭和33年)12月21日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)、愛知県会議員(3期)、一宮市長(2期)、一宮市会議員(4期)。 愛知県中島郡一宮町(現一宮市)に生まれる。1911年(明治44年)3月、明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)卒業。1917年(大正6年)、愛知県立医学専門学校卒業。1918年(大正7年)、吉田医院を開業。 1921年(大正10年)、一宮市の市制施行に際し、一宮市会議員に初当選。1927年(昭和2年)、京都帝国大学で医学博士を修了。 1931年(昭和6年)9月、愛知県会議員選挙に立憲民政党公認で初当選。
加藤 勘十(かとう かんじゅう、1892年(明治25年)2月… 加藤 勘十(かとう かんじゅう、1892年(明治25年)2月25日 - 1978年(昭和53年)9月27日)は、昭和期の政治家、労働運動家。衆議院議員(7期、日本社会党)、労働大臣(第2代)。碧水、率とも称した。 戦前の労働運動で活躍し、「火の玉勘十」の異名を取った闘士型の運動家。立憲民政党、国民同盟の衆議院議員を務めた加藤鯛一は実兄。婦人運動家、政治家の加藤シヅエは、夫人で「おしどり議員」として知られた。息子は加藤宣幸、娘は加藤タキ(多喜子)。 1892年(明治25年)2月25日に、愛知県丹羽郡岩倉村(現在の岩倉市)で生まれる。 日本中学などを経て、日本大学法学部中退。 当初は国家主義者として出発し、1918年(大正7年)シベリア出兵に参加するが、戦争の悲惨さを体験して、反戦・労働運動に転向した。
長坂 貞一(ながさか ていいち、1891年(明治24年)12… 長坂 貞一(ながさか ていいち、1891年(明治24年)12月15日 - 1969年(昭和44年)1月5日)は、日本の政治家。愛知県豊田市(挙母市)の市長を2期務めた。 愛知県碧海郡西端村(現・碧南市)出身。呉服屋を営む杉浦喜六の四男として生まれた。1909年(明治42年)、愛知県立農林学校(現・愛知県立安城農林高等学校)卒業。小学校教員になったのち、1912年(大正元年)12月に農林省森林主事に任官。営林署技手として千葉、茨城、岐阜の各県に勤務し、1929年(昭和4年)に退職。 額田銀行勤務を経て、1933年(昭和8年)に挙母町役場の書記となる。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の誘致に参画し、庶務課長、振興課長などを務めた。
加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1891年〈明治24年〉12月… 加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1891年〈明治24年〉12月10日 - 1969年〈昭和44年〉8月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。幼名・正雄。 愛知県宝飯郡前芝村(現豊橋市前芝町)で、先代加藤六蔵の長男として生まれた。農業を営み、前芝村長、愛知県議、同県山林会議員となり、前芝漁業協同組合長、豊橋市議、同議長、(株)三河海苔販売取締役社長を務める。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において愛知12区から憲政会公認で立候補して初当選。1928年の第17回衆議院議員総選挙において愛知5区から立憲民政党公認で立候補したが落選。1930年の第17回衆議院議員総選挙で再選し、1932年の第18回衆議院議員総選挙では次点で落選した。
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952… 塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。公選初の名古屋市長(2期)。戦前は衆議院議員(1期)、名古屋市会議員などを務めた。旧姓は井箟。 岐阜県土岐郡稲津村(現・瑞浪市稲津町)出身。幼くして塚本竜三郎の養子となる。稲津小学校、瑞浪高等小学校卒業。1907年、旧制名古屋中学校卒業。 日本陶器、森村組を経て、1920年2月に名古屋新聞政治記者となる。 1921年10月、名古屋市会議員に就任。1922年3月、名古屋新聞編集長となる。1928年2月、名古屋新聞を退社。 1937年、第20回衆議院議員総選挙で当選し、立憲民政党の衆議院議員となる。
加藤 鯛一(かとう ちょういち、1888年(明治21年)6月… 加藤 鯛一(かとう ちょういち、1888年(明治21年)6月1日 - 1943年(昭和18年)10月5日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党→国民同盟→立憲民政党)、ジャーナリスト。衆議院議員・労働大臣を務めた加藤勘十は実弟。 愛知県丹羽郡岩倉町(現在の岩倉市)出身。雑誌「実業帝国」を創刊し、社長兼主筆となる。また東京政治通信社社長も務めた。他に社団法人大日本国防義会の創設にも加わり、評議員となった。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を重ねた。その間、阿部内閣で内務政務次官を務めた。 1943年(昭和18年)、翼賛政治会、農林省、内務省共同の満鮮食糧事情調査団に一員として参加することとなり、助川啓四郎代議士や随行者とともに満州へ向けて出発。
山田 佐一(やまだ さいち、1886年(明治19年)7月2日… 山田 佐一(やまだ さいち、1886年(明治19年)7月2日 - 1960年(昭和35年)4月2日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 愛知県知多郡乙川村(亀崎町を経て現半田市)で、山田保造の三男として生まれる。高等小学校を卒業し、1913年(大正2年)に分家した。 木綿織布業を営み、知多商工会議所副会頭、知多白木綿同業組合長、愛知県織物同業組合連合会長、日本織物中央会副会頭、日本輸出綿織物同業組合連合会代表、日本白巾白生地工業組合連合会長、山田商店代表社員、山田紡織会長、山田織布取締役などを務めた。 政界では、亀崎町会議員、知多郡会議員、同参事会員、愛知県会議員、同参事会員、半田市会議員、同議長などを歴任した。
金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年〈明治19年〉… 金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年〈明治19年〉3月17日 - 1959年〈昭和34年〉6月16日)は、日本の大蔵・法制官僚、政治家、憲法学者。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。 愛知県名古屋市生まれ。愛知一中、旧制一高を経て、1912年(明治45年)東京帝国大学法科大学を卒業。文官高等試験行政科試験に合格し大蔵省に入省、税務監督局属兼大蔵属。 1914年(大正3年)法制局に移り、法制局参事官、第一部長を歴任。この間、大学で法学、憲法学を講じ、『帝国憲法要説』等を著わした。1934年(昭和9年)岡田啓介内閣の法制局長官に就任するが、在任中に法制局長官就任以前の著作『帝国憲法要説』が天皇機関説的であるという理由で右翼勢力から攻撃を受け、1936年(昭和11年)辞任に追い込まれた。
加藤 紋右衛門(かとう もんうえもん、1884年5月2日 -… 加藤 紋右衛門(かとう もんうえもん、1884年5月2日 - 1958年10月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛知県出身。明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)卒。瀬戸町(現・瀬戸市)会議員、東春日井郡会議員、同議長、愛知県会議員を歴任する。また、瀬戸薪炭(株)取締役社長、権現土地(株)取締役となる。 1922年7月、愛知5区の補欠選挙において立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1958年に死去した。
内藤 伝禄(ないとう でんろく、1883年8月29日 - 1… 内藤 伝禄(ないとう でんろく、1883年8月29日 - 1952年11月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛知県出身。1904年、愛知県立第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)卒。のちに経済学を専攻する。内海町(現・南知多町)会議員、愛知県会議員、知多銀行重役、愛知県有恒会長、知多郡信用購買販売組合連合会会長、尾三農工銀行、愛知実業銀行各頭取、名古屋商業会議所議員、中央製糸、東亜キネマ各(株)取締役となる。 1918年の衆議院愛知県郡部の補欠選挙において憲政会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1920年の第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1952年死去。
加藤 鐐五郎(かとう りょうごろう、1883年3月11日 -… 加藤 鐐五郎(かとう りょうごろう、1883年3月11日 - 1970年12月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第48代)、法務大臣(第4代)。衆議院議員(12期)。 愛知県瀬戸市出身。政界入りする前は医学博士号を持つ医師であり、戦前の帝国議会時代より衆議院議員選挙に通算12回当選。戦時中は政友会系の地方紙で現在の中日新聞社の前身の1紙に当たる新愛知新聞社の顧問を務めていた。 造船疑獄に対する指揮権発動で法務大臣を辞任した犬養健の後任法相となり、さらに警職法改正をめぐる国会審議混乱の責任を取って衆議院議長を辞任した星島二郎の後任議長に就任したことから、医師出身の政治家という自らの経歴とあわせ「後始末の専門のヤブ医者」を自称したことで知られている。
竹内 友三郎(たけうち ともさぶろう、1882年〈明治15年… 竹内 友三郎(たけうち ともさぶろう、1882年〈明治15年〉11月25日 - 没年不明)は、日本の商人(精肉商、牛肉商)、政治家、実業家。合名会社竹内商店代表社員。旧姓・山本。 大阪府人・山本義光の三男、あるいは四男。山本與次右衛門の弟。愛知県知多郡八幡町生まれ。竹内慶太郎の養子となり、1923年に家督を相続する。神戸中学卒業。 合名会社竹内商店神戸支店に入る。横浜市会議員、横浜屠場、東神冷蔵製氷各取締役などをつとめる。 宗教は禅宗。趣味は囲碁。住所は神奈川県横浜市中区真砂町1丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
千賀 千太郎(せんが せんたろう、1882年11月24日 -… 千賀 千太郎(せんが せんたろう、1882年11月24日 - 1962年2月21日)は、日本の実業家、政治家。近代岡崎の商工業者の第一人者として知られる。岡崎商工会議所の会頭を3期(通算約12年)、衆議院議員を1期務めた。長女の夫は一宮市の実業家・四代目豊島半七。 愛知県額田郡岡崎連尺町(現・岡崎市)の呉服商の老舗大島屋に生まれる。額田郡高等小学岡崎学校(現・岡崎市立梅園小学校)を卒業後、名古屋市の簿記学校に進む。1903年(明治36年)、父の死去により年若くして家業を継いだ。 家業の呉服商に木綿部を増設して千賀合名会社を設立し、三河木綿の生産に着手した。当時特産品として知られた三河木綿は零細な家内工業によるものであったため、生産量はごくわずかであった。
中村 謙作(なかむら けんさく、1882年(明治15年)9月… 中村 謙作(なかむら けんさく、1882年(明治15年)9月16日 - 1966年(昭和41年)8月31日)は、日本の政治家。愛知県西尾市長(1期)、西尾町長(3期)などを歴任した。 1901年(明治34年)3月、愛知県第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1920年(大正9年)、西尾町会議員に就任。1924年(大正13年)から1939年(昭和14年)まで西尾町長を務めた。町長時代には愛知県立西尾中学校(現・愛知県立西尾高等学校)の誘致を行っている。 1954年(昭和29年)7月5日、初代西尾市長の千葉蝶二が任期中に死去。これに伴って同年8月28日に行われた市長選挙に立候補し、無投票により初当選した。
浦野 謙朗(うらの けんろう、1882年〈明治15年〉3月2… 浦野 謙朗(うらの けんろう、1882年〈明治15年〉3月22日 - 1964年〈昭和39年〉8月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛知県西加茂郡四郷村(上郷村、猿投村、猿投町を経て現豊田市四郷町)に浦野錠平の長男として生まれる。生家は浦野酒造場(後の浦野合資会社)を営む庄屋の浦野家。 1901年(明治34年)3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を卒業。同年12月、志願兵として歩兵第六聯隊に入隊。1902年(明治35年)11月、除隊。1904年(明治37年)6月、応召。陸軍歩兵少尉として日露戦争に従軍した。1905年(明治38年)6月、歩兵中尉に昇進し、その功により勲六等単光旭日章を受けた。
西脇 晋(にしわき しん、1882年(明治15年)1月2日 … 西脇 晋(にしわき しん、1882年(明治15年)1月2日 - 1933年(昭和8年)12月19日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、衆議院議員(立憲民政党)。 名古屋市出身。高岡応次の三男として生まれ、1905年(明治38年)に西脇長太郎の婿養子となった。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、大蔵省に入った。大蔵省では税務監督官などを務め、1916年(大正5年)に退官した。退官後は弁護士・弁理士として活動した。 1926年(大正15年)、衆議院補欠選挙に当選。以後、当選回数は4回を数えた。その間、齋藤内閣では外務参与官を務めた。その他、法政大学講師、帝国製鉄・蔵内商事・満蒙土地建物・横浜倉庫監査役、大阪造船所取締役などを兼ねた。
久野 尊資(くの たかすけ / たかし、1880年(明治13… 久野 尊資(くの たかすけ / たかし、1880年(明治13年)10月2日 - 1939年(昭和14年)2月17日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、愛知県会議長、愛知県知多郡加木屋村長、同郡横須賀町長。 愛知県知多郡加木屋村(横須賀町を経て現東海市加木屋町)で、久野浅右衛門の長男として生まれる。1890年(明治23年)愛知県尋常師範学校(のち愛知第一師範学校)を卒業した。その後、教員となり加木屋小学校長を務めて退職。1905年(明治38年)家督を相続し農業を営む。 加木屋村長、横須賀町会議員、同町長、知多郡会議員、愛知県会議員、同参事会員、同議長などを務めた。1928年(昭和3年)2月、第16回衆議院議員総選挙で愛知県第2区から立憲民政党公認で出馬して当選し、その後、第一控室会に所属して衆議院議員に1期在任した。
丹下 茂十郎(たんげ もじゅうろう、1880年(明治13年)… 丹下 茂十郎(たんげ もじゅうろう、1880年(明治13年)8月24日 - 1938年(昭和13年)2月4日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 愛知県東春日井郡勝川町(現在の春日井市)に、丹下武左衛門の二男として生まれる。愛知県の農林学校を卒業後、東春日井郡の書記、ついで愛知県の技手を務めた。その後、判任官から高等官に昇任し、農商務省農務局事務官補を務めた。さらに滋賀県産業主事、理事官に任じられ、勧業課長、蚕糸課長、商品陳列所所長などを歴任した。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、6回の当選を重ねた。その間、廣田内閣で大蔵参与官を務めた。
浦野 本一(うらの もといち、1880年2月8日 - 197… 浦野 本一(うらの もといち、1880年2月8日 - 1972年8月14日)は、日本の政治家。愛知県猿投村長、猿投村議会議員、西加茂郡会議員などを歴任した。 元衆議院議員の浦野幸男は長男。 愛知県四郷村(現・豊田市四郷町下古屋)に、農業を営む浦野又一の次男として出生。尋常小学校花本学校(現・豊田市立青木小学校)卒業。1902年から米穀飼料肥料商を営む。1918年から西加茂郡会議員を1期務め、1931年から1947年にかけて猿投村議会議員を務めた。その間、猿投信用販売購買利用組合理事長も務めた。同理事長として機械化導入を唱え、大正末から昭和初期にかけて、足踏み脱穀機、牛馬耕運機を取り入れ、牛馬耕を広く指導した。
武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23… 武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23日 - 1937年(昭和12年)4月20日)は、日本の検事、弁護士、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。正しくは武富 濟。
菅野 経三郎(かんの つねさぶろう、1877年11月17日 … 菅野 経三郎(かんの つねさぶろう、1877年11月17日 - 1956年12月18日)は、日本の政治家。第7-9代岡崎市長(3期)、愛知県会議員、岡崎市会議員を歴任した。 名は經三郎とも表記される。 愛知県額田郡岡崎連尺町(現・岡崎市)で岡崎藩士の子として生まれる。額田郡高等小学岡崎学校(現・岡崎市立梅園小学校)卒業後の1893年(明治26年)、東京市本郷の伊勢屋呉服店へ入店。1898年(明治31年)12月、連尺町で姫路屋呉服店を開業した。その後長く岡崎商業界の重鎮をなした。 42歳の時に政界へ進出。1920年(大正9年)9月3日、岡崎市会議員に就任する。1923年(大正12年)、国道1号の整備をめぐって市会内で、今ある路線を改修するという派と、新たに南側に路線を作るという派との対立が生まれる。
神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(… 神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、日本の法学者・経済学者・政治家(京都市長で、公選第一号の市長)。文化功労者。愛知県一宮市出身。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。 1877年(明治10年)、愛知県一宮に生まれる。旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)、三高、一高を経て、1900年東京帝国大学法科大学政治科卒業、同大学大学院(財政学専攻)卒業。 1902年京都帝国大学法科大学助教授に就任。1904年(明治37年)ドイツ・イギリスに留学する。海外渡航が極めて困難な時代にあって、視察旅行とは違い実際に現地に居住し学究できたことは、神戸の人格形成に大きな影響を与えたと言われている。
大角 岑生(おおすみ みねお、1876年〈明治9年〉5月1日… 大角 岑生(おおすみ みねお、1876年〈明治9年〉5月1日 - 1941年〈昭和16年〉2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。位階および勲等、軍功は正二位・勲一等・功五級。 愛知県出身で本籍は高知県。自邸は東京市芝区高輪下町にあった。 1876年(明治9年)、愛知県中島郡三宅村(現:稲沢市平和町上三宅上屋敷)で、農業・大角藤平の長男として生まれた。幼名は親一。 1891年(明治24年)3月に中島郡高等小学校を卒業後、愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)より攻玉社を経て海軍兵学校に入校。 1897年(明治30年)、24期を3位の成績で卒業。同期の次席は山本英輔大将。
本多 敏樹(ほんだ としき、1874年2月27日 - 196… 本多 敏樹(ほんだ としき、1874年2月27日 - 1968年2月8日)は、日本の政治家。第2-4代岡崎市長(3期)。 旧藩主本多家の出身であったことから「殿様市長」として親しまれた。旧岡崎藩主17代目の本多忠敬(ただあつ)は実兄。 愛知県岡崎市生まれ。学習院、札幌農学校を経て、1901年(明治34年)、東京帝国大学法科大学に入学。大学を中退したあと、1904年(明治37年)、陸軍歩兵少尉として日露戦争に従軍。勲六等単光旭日章受章。退役後、北海道庁技師に任官し未開地開発にとりくむ。勲五等瑞宝章を受章。 1918年(大正7年)7月12日、郷里岡崎の初代市長・千賀又市が公務執務中にたおれ、その日のうちに49歳で死去。
小瀧 喜七郎(おだき きしちろう、1872年6月23日(明治… 小瀧 喜七郎(おだき きしちろう、1872年6月23日(明治5年5月18日) - 1951年(昭和26年)12月14日)は、日本の政治家。第4代岡崎市長(1期)。助役時代より岡崎公園の修築・改修に力を入れたため、公園助役、公園市長とよばれた。企業の誘致にも積極的で、日清レーヨン、日本レーヨンなどを誘致した。 額田県八町村(現・愛知県岡崎市八帖南町)で岡崎藩士の子として生まれる。1886年(明治19年)2月、真宗三河教校に入学し英語を学ぶ。1887年(明治20年)7月8日、同校を卒業。1891年(明治24年)1月から1892年(明治25年)10月まで名古屋市の私立誠心塾で漢学・剣道を修める。同年12月11日から数度にわたり兵役につき、日清戦争と日露戦争に従軍した。
朝倉 虎治郎(あさくら とらじろう、1871年10月29日〈… 朝倉 虎治郎(あさくら とらじろう、1871年10月29日〈明治4年9月16日〉 - 1944年〈昭和19年〉5月3日)は、日本の商人(米商)、東京府多額納税者、渋谷区多額納税者、実業家、政治家。東京府会議員、同議長。東洋青物市場顧問。族籍は東京府平民。旧姓は杉浦。 愛知県碧海郡旭村(現・碧南市)に杉浦家の二男として生まれた。小学校を5年で中退した。東京深川木場の材木店で働いた。 1897年に朝倉たきの入婿となり、1899年に家督を相続した。三田用水の朝倉水車業を手伝う。精米業を営み、「丸朝商店」と称した。 1904年、養父・徳次郎の後を継いで、渋谷村会(のち渋谷町会)議員に推挙された。家業の傍ら自治の仕事に携わった。
大口 喜六(おおぐち きろく、1870年6月23日(明治3年… 大口 喜六(おおぐち きろく、1870年6月23日(明治3年5月25日) - 1957年(昭和32年)1月27日)は日本の政治家。豊橋市長や明治憲法下の衆議院議員などを務めた。 大口喜六は廃藩置県前の三河国豊橋藩船町(現愛知県豊橋市船町)で明治3年5月25日(1870年6月23日)に生まれた。幼名理一郎、号は蓊山。東京帝国大学選科で薬学を学び、帰郷後薬局を開業した。 政治家を志し、1893年(明治26年)、改進党に入党。1895年(明治28年)、豊橋町議に当選、1898年(明治31年)三浦碧水の後継者として豊橋町長に就任した。 1906年(明治39年)8月1日市制を施行し、初代市長に選ばれた。翌年1907年(明治40年)に豊橋市長に就任、1912年(明治45年)に市長を退任した。
近藤 寿市郎(こんどう じゅいちろう、1870年5月15日(… 近藤 寿市郎(こんどう じゅいちろう、1870年5月15日(明治3年4月15日) - 1960年(昭和35年)4月14日)は、愛知県渥美郡高松村(現・田原市)出身の政治家。愛知県東三河地域を日本有数の農業生産地に変えた豊川用水の構想発案者として知られる。渥美郡会議員、愛知県会議員、衆議院議員、豊橋市第12代市長、建設会社の東海興業初代社長。 1870年(明治3年)、愛知県渥美郡高松村(現・田原市高松町)で、庄屋を務めていた家の長男として生まれた。 小学校の高等科卒業後、15歳の時に「これからの国民は法律をわきまえなければならない」と考えて、家族に告げることなく父の友人を頼って東京に上り、明治法律学校へ入校した。
三浦 逸平(みうら いっぺい、1870年2月18日(明治3年… 三浦 逸平(みうら いっぺい、1870年2月18日(明治3年1月18日)- 1936年(昭和11年)11月12日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。 愛知県碧海郡刈谷町大字熊字元屋敷(現在の刈谷市)出身。材木商の三浦桂助の長男。いったんは三浦家の家業を継ぎ、1887年(明治20年)頃に家業を整理して上京。日本橋にある株屋の社員となり、株式仲買店を経営して財を成した。1909年(明治42年)9月5日には第10回衆議院議員総選挙の補欠選挙に出馬して当選。1913年(大正2年)1月には第11回衆議院議員総選挙に出馬して2選。三浦は豊田自動織機の工場を刈谷町に誘致するなどした。 1910年(明治43年)には三浦と才賀藤吉が主たる発起者となり、碧海軽便鉄道会社(軌間762mmで動力蒸気による鉄道)を設立。
石川 久兵衛(いしかわ きゅうべえ、1869年8月3日(明治… 石川 久兵衛(いしかわ きゅうべえ、1869年8月3日(明治2年6月26日)- 1935年(昭和10年)1月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 尾張国愛知郡、のちの愛知県愛知郡呼続村(呼続町を経て現名古屋市)出身。麩製造業を営む。名古屋市会議員、愛知県会議員、同市部会議長となる。 1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙において愛知1区から立憲民政党公認で立候補して当選し、衆議院議員を1期務めた。1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1935年死去。
大池 鎌次郎(おおいけ かまじろう、1869年2月7日(明治… 大池 鎌次郎(おおいけ かまじろう、1869年2月7日(明治元年12月26日)- 1959年(昭和34年)5月1日)は、明治から昭和期の実業家・政治家。衆議院議員、愛知県会議長。 尾張国丹羽郡古知野村(愛知県丹羽郡古知野町を経て現江南市古知野町)で、代々酒造業を営む大池家当主・大池與平の息子として生まれる。 愛知県生糸製造同業組合組長、興益銀行取締役、愛知製絹社長、丹羽郡酒造家組合盛昌組組長、古知野銀行取締役などを務めた。1916年(大正5年)10月、名古屋株式取引所一般取引員となり力商店を開設した。 1893年(明治26年)以降、古知野町会議員、学務委員、学校組合議員、勧業諮問会員、丹羽郡会議員、同参事会員、同徴兵参事員、道路組合会議員などを務めた。
一柳 仲次郎(いちやなぎ なかじろう、1868年12月3日(… 一柳 仲次郎(いちやなぎ なかじろう、1868年12月3日(明治元年10月20日) - 1939年(昭和14年)4月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 尾張国知多郡成岩村(現愛知県半田市)で、名主・一柳浅右衛門の二男として生まれる。苦学して三井物産社員を経て、1897年に北海道に渡る。 ニシン漁で失敗し、1900年、札幌に移り、リンゴ、タマネギの販売を手掛け、海外への輸出なども行った。札幌区会議員、北海道会議員、同議長、日露貿易商組合長、札幌果実蔬菜輸出商同業組合長、札幌果実商組合長、札幌商業会議所副会頭、北海道拓殖倉庫取締役、北海道信託社長、一柳物産社長、合資会社一柳商会代表社員などを務めた。
田部井 勝蔵(ためがい かつぞう、1868年1月6日(慶応3… 田部井 勝蔵(ためがい かつぞう、1868年1月6日(慶応3年12月12日) - 1935年(昭和10年)3月30日)は、三河碧海郡逢妻村(現・愛知県刈谷市)出身の教育者・実業家・政治家。第8代豊橋市長(1926年-1930年)。教育者の田部井鉚太郎は兄。 出生地は江戸赤坂の刈谷藩藩邸。刈谷藩士である田部井清蔵の二男である。出身地は三河碧海郡逢妻村(現・愛知県刈谷市)であるとされる。兄の田部井鉚太郎は教育者となり、愛知県内の学校の訓導や校長、富山県視学などを務めている。 兄と同じように愛知県師範学校(愛知教育大学の母体の一つ)を卒業し、1891年(明治24年)に愛知県師範学校の訓導となった。その後愛知県師範学校の助教諭となり、1898年(明治31年)4月には額田郡視学となった。
三輪 市太郎(みわ いちたろう、1867年5月21日(慶応3… 三輪 市太郎(みわ いちたろう、1867年5月21日(慶応3年4月18日)- 1930年(昭和5年)2月8日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、愛知県会議長。 尾張国海西郡、のちの愛知県海部郡八開村(現愛西市)で、三輪伊三郎の四男として生れ、1884年(明治17年)兄・伊兵衛の後を承けて家督を相続した。普通学、漢文学を修めた。農業を営む。 土木会社勤務を経て、独立して鉄道工事の土木請負業を営む。資金を工面するため必要最小限の財産以外の全てを売却した。次第に工事施工の内容に信用を獲得して事業を拡大した。その後、中央土木社長、愛知鉄道社長、海島銀行取締役、日光川倉庫銀行監査役、愛知開墾社長などを務めた。
岡田 菊次郎(おかだ きくじろう、1867年5月19日(慶応… 岡田 菊次郎(おかだ きくじろう、1867年5月19日(慶応3年4月16日) - 1962年(昭和37年)9月3日)は、三河碧海郡安城村戸崎(現・愛知県安城市安城町)出身の政治家。 安城村長、安城町長。安城村会議員、安城町会議員、碧海郡会議員、愛知県会議員。安城町に愛知県立農林学校(現・愛知県立安城農林高校)や愛知県農事試験場などの施設を誘致し、町内の道路整備を進めた。明治用水などの水利事業にも関わり、「用水の神様」と呼ばれた。安城市名誉市民。 1867年(慶応3年)、三河国碧海郡安城村戸崎(現・愛知県安城市安城町)の米穀商である岡田覚兵衛の長男として生まれた。19歳の時に家業を弟に譲って百姓となり、約1町歩の田畑をもらって新家に出た。
鈴置 倉次郎(すずおき くらじろう、慶応3年3月15日(18… 鈴置 倉次郎(すずおき くらじろう、慶応3年3月15日(1867年4月19日) - 大正15年(1926年)5月6日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→猶興会→立憲国民党→立憲同志会→憲政会)。 尾張国知多郡北崎村(現在の愛知県大府市)出身。知多郡大府村初代村長の鈴置善平は実兄にあたる。1883年(明治16年)、愛知県中学校を卒業。1886年(明治19年)に大学予備門を終え、1890年(明治23年)に東京帝国大学法科大学政治理財科を卒業した。卒業後は会計検査院の検査官となった。1898年(明治31年)に退官し、小栗銀行の理事に就任した。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
村瀬 庫次(むらせ くらじ、1866年7月7日(慶応2年5月… 村瀬 庫次(むらせ くらじ、1866年7月7日(慶応2年5月25日) - 1921年(大正11年)5月2日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 尾張国丹羽郡小折村(のち愛知県丹羽郡布袋町、現・江南市)出身。漢学を学ぶ。実業界に身を投じ、愛北物産(資)社長、名古屋米商会所肝煎、(株)鉄道車両製造所取締役、(株)名古屋商品取引所理事長、(株)丹葉銀行副頭取、丹羽郡所得税調査委員となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知4区から無所属で立候補して当選する。1898年8月の第6回衆議院議員総選挙では日吉俱楽部公認で立候補して当選した。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙で落選した。
志賀 重昂(しが しげたか、文久3年11月15日(1863年… 志賀 重昂(しが しげたか、文久3年11月15日(1863年12月25日) - 昭和2年(1927年)4月6日)は、日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。誕生日は9月15日(1863年10月27日)ともいう。矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。
長谷川 亀一郎(龜一郎、はせがわ かめいちろう、1863年4… 長谷川 亀一郎(龜一郎、はせがわ かめいちろう、1863年4月14日(文久3年2月27日)- 1927年(昭和2年)3月4日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 尾張国丹羽郡、のちの愛知県丹羽郡穂波村(西成村を経て現一宮市)で、尾張藩士・長谷川甚左衛門の二男として生まれた。鷲津私立学校で漢学を修めた。製糸業、石炭販売業を営む。日清戦争に従軍。 木曽川三川四百七箇村土功会議員、愛知県会議員、丹羽郡会議員、同参事会員、愛知県税賦課額調査委員を務めた。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(愛知県第4区、無所属)で当選し、その後、新自由党に所属し衆議院議員に1期在任した。 その後、愛知県湯屋連合組合組長、愛知県会議員、同市部会議長、名古屋市会議員、名古屋商業会議所特別議員、日本赤十字社終身社員などを務めた。
林 小参(小參、はやし こさん、1863年3月9日(文久3年… 林 小参(小參、はやし こさん、1863年3月9日(文久3年1月20日)- 1921年(大正10年)11月21日)は、明治から大正期の農業経営者、政治家。衆議院議員。旧姓・小原。 尾張国春日井郡上条村(愛知県春日井郡和爾良村、東春日井郡和爾良村、鳥居松村を経て現春日井市上条町)で、小原藤三郎の長男として生まれ、皇漢学、英学、撃剣、柔術を学んだ。1881年(明治14年)先々代林金兵衛の養子となり、先代・亡養兄国太郎の家督を相続し農業を営む。 学務委員、勧業委員、東春日井郡書記、和爾良村会議員、連合村会議員、愛知県教育会商議員、愛知県育児院幹事、東春日井郡徴兵参事員、同郡会議員、同参事会員、愛知県会議員、大日本武徳会支部常置委員などを務めた。
清水 松三郎(きよみず まつさぶろう、1862年6月8日(文… 清水 松三郎(きよみず まつさぶろう、1862年6月8日(文久2年5月11日)- 1905年(明治38年)10月18日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、愛知県愛知郡岩崎村長。 尾張国愛知郡、のちの愛知県愛知郡岩崎村(日進村、日進町を経て現日進市)で、里正・治左衛門の息子として生まれた。志水大三郎に師事し、さらに1875年(明治8年)佐藤牧山について漢学を修めた。1879年(明治12年)上京して諸学を学んだ。帰郷して農業を営む。 1883年(明治16年)1月、岩崎村戸長に就任。以後、愛知県勧業委員、愛知郡第四高等小学校学務委員、岩崎村外二ヶ村戸長、岩崎村会議員、愛知郡米野木村外七ヶ村連合会議員などを歴任。
堀尾 茂助(ほりお もすけ、1861年10月4日(文久元年9… 堀尾 茂助(ほりお もすけ、1861年10月4日(文久元年9月1日) - 1940年(昭和15年)12月28日 )は、日本の政治家、衆議院議員。名は恭、後に茂助と改名。号は楽斎、庭柏居士。 堀尾吉晴の子孫とされる堀尾義康の息子として尾張国東春日井郡小木田村大字関田(現在の春日井市)で生まれる。剣法、漢学、書法、詩作を学んだ。 東春日井郡書記、小木田村会議員、愛知県会議員、東春日井郡会議員、愛知県農会長などを歴任。自由民権運動に加わり地租増徴案に反対し地価修正運動を推進した。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙に愛知県第三区から出馬し当選。以後、第6回、第13回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算三期務めた。
浦野 錠平(うらの じょうへい、1861年2月2日(万延元年… 浦野 錠平(うらの じょうへい、1861年2月2日(万延元年12月23日)- 1909年(明治42年)3月25日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 1861年(万延元年)、三河国加茂郡四郷村(のち愛知県西加茂郡上郷村、猿投村、猿投町を経て現豊田市)に生まれた。生家は浦野酒造場(後の浦野合資会社)を営む庄屋の浦野家。 普通学を修得し、農業と酒造業を営む。学務委員、上郷村会議員、同村長、西加茂郡会議員、愛知県会議員、県税賦課額調査委員、県道改修委員、勧業諮問会員となった。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知9区から自由党公認で立候補して初当選する。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する。
加藤 高明(かとう たかあき、安政7年1月3日(1860年1… 加藤 高明(かとう たかあき、安政7年1月3日(1860年1月25日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣(第16・19・26・28代)、貴族院議員、内閣総理大臣(第24代)などを歴任した。
加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1858年6月6日(安政5年4… 加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1858年6月6日(安政5年4月25日) - 1909年(明治42年)6月21日)は、明治期の政治家、衆議院議員(6期)。醤油醸造家、実業家。諱・尚正。 三河国宝飯郡前芝村(現・愛知県豊橋市前芝町)で、豪商にして代々郷士の加藤家当主・加藤六蔵正文の長男として生まれる。豊橋で漢籍を修めた後、1875年(明治8年)東京に出て慶應義塾に学び、愛知県第二中学校、宝飯郡教育会議長、尾三農工銀行、宝飯銀行各取締役、豊橋米麦取引所理事長、豊橋商業会議所会頭、ほか鉄道等の設立に関わる。 政治面では宝飯郡連合村会議員、同郡会議員、同郡農会長、所得税調査委員、愛知県会議員を経て、1890年の第1回衆議院議員総選挙において愛知県第10区から大成会で立候補して当選する。
伊藤 春太郎(いとう はるたろう、1858年(安政5年3月)… 伊藤 春太郎(いとう はるたろう、1858年(安政5年3月)- 1913年(大正2年)3月11日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、愛知県中島郡稲沢町長。 尾張国中島郡平野村(愛知県中島郡平野村、五郷村、大江村、稲沢町を経て現稲沢市平野町)で生まれた。江間錦江に師事し漢学を修めた。農業を営む。 宮田用水普通水利組合委員、同土功会議員、中島郡徴兵参事員、地租編纂委員、愛知県勧業諮問会員などを務めた。1884年(明治17年)愛知県会議員に選出され、中島郡会議員も務めた。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(愛知県第5区、国民協会)で当選し、その後、公同会に所属し衆議院議員に1期在任した。
岡本 清三(おかもと せいぞう、1857年8月4日(安政4年… 岡本 清三(おかもと せいぞう、1857年8月4日(安政4年6月15日) - 1932年(昭和7年)5月30日)は、日本の政治家、鉄道実業家である。 尾張国海東郡津島村(現在の愛知県津島市)で生まれる。1865年に中島郡の忍順寺に入って、服部諦信と改名し、約7年間修業した。1879年に愛知県師範学校を卒業した後に宮口学校、飛島学校などで教鞭を取った。1882年に岡本家の養子となり、岡本清三と名乗る。1886年に津島村会議員に就任し、1890年から1903年6月までに愛知県会議員を務めた。1890年の第3回内国勧業博覧会で電車を見たのを機に愛知県での電気鉄道敷設に奔走し、1894年に愛知馬車鉄道の取締役に就任し、名古屋電気鉄道取締役と尾西鉄道取締役も務めた。
波多野 喜右衛門(はたの きえもん、1857年7月21日(安… 波多野 喜右衛門(はたの きえもん、1857年7月21日(安政4年6月1日)- 1937年(昭和12年)3月1日)は、明治時代後期から大正時代の政治家。衆議院議員。 尾張国東春日井郡、のちの篠岡村、現在の小牧市篠岡に生まれる。神谷梅峰に儒学を学ぶ。戸長、大草村長、篠岡村長、愛知県会議員、同参事会員を経て、1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で愛知県第5区から立憲政友会所属で出馬して当選し、1期務める。1921年(大正10年)12月15日、選挙法違反の判決により議員を辞した。
村松 愛蔵(むらまつ あいぞう、安政4年3月2日(1857年… 村松 愛蔵(むらまつ あいぞう、安政4年3月2日(1857年3月27日) - 昭和14年(1939年)4月11日)は、日本の政治家、キリスト教伝道者、社会事業家。 藩校成章館(現愛知県立成章高等学校)で伊藤鳳山から儒学を学ぶ。16歳で上京。東京外国語学校ロシア語学科に入学。レフ・メーチニコフの門下生となる。板垣退助の思想に影響を受け、帰郷後、鈴木孝之助、広中鹿次郎たちと「恒心社」を結成。 自由民権運動に加わり、私擬憲法「日本国憲法草案」を起草、愛岐日報に発表した。飯田事件により投獄されたが、1889年大赦により出獄した。 下宿先の娘きみと結婚後、1894年(明治27年)自由党から衆議院選挙に立候補するが落選。