SiZK(シズク、1983年1月30日 - )は、日本の音楽… SiZK(シズク、1983年1月30日 - )は、日本の音楽プロデューサー、編曲家、作曲家、音楽ディレクター、レコーディング・エンジニア。別名、Akiyoshi Yasuda(アキヨシ ヤスダ)。ソロプロジェクト・★STAR GUiTAR(スター・ギター)としても活動する。愛知県一宮市出身。WEED所属。 山本領平のトラックプロデュースでデビュー。 以後 BENNIE K・伊藤由奈・melody.・Sowelu・西野カナなどの作曲・編曲・リミックス等を行う。 2010年からソロプロジェクトとして『★STAR GUiTAR』を始動している。 2017年からAkiyoshi Yasuda名義で劇伴作曲家としても活動する。
稲垣 裕介(いながき ゆうすけ、1981年5月12日 - )… 稲垣 裕介(いながき ゆうすけ、1981年5月12日 - )は、日本の実業家、技術者。株式会社ユーザベース創業者・代表取締役Co-CEO、株式会社ニューズピックス代表取締役Co-CEO。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎北高等学校を経て、のちに共同創業者となった同級生梅田優祐の勧めで関東地方へ進路変更し、2004年埼玉大学工学部電気電子システム工学科卒業、アビームコンサルティング入社。2008年ユーザベースを設立し、同社取締役CTO(最高技術責任者)に就任。2012年ユーザベース取締役COO(最高執行責任者)。2017年ユーザベース代表取締役CEO(最高経営責任者)兼社長兼ニューズピックス代表取締役。
佐野 榮太郎(さの えいたろう、1975年1月3日 - )は… 佐野 榮太郎(さの えいたろう、1975年1月3日 - )は、日本の情報技術者、ソフトウェア作家。愛知県豊川市出身、同県豊明市在住。総合情報通信技術研究機関 ADS(ソフトハウス ADS)代表理事。 1980年代から、DTMソフトウェアやコンシューマーゲームのプログラマ、ゲームミュージックコンポーザー、『パソコン通信網 ARF』(後述)の設計者、システムオペレーターとして活動。著書に『アルファの厳しいパソコン入門』、『αノート』(後述)等がある。 1992年、インターメックス展示会の出展企業が主催したオフィスウェアコンテストのデータベース部門に、カード型データベースシステムを出品し、入賞。2008年から、Blu-ray Discの規格を策定する業界団体のBlu-ray Disc Associationが毎年開催していた、光学記憶媒体に関する知識を競う、Blu-ray Disc Meister検定の第5回開催において、全国2位。
緒川 修治(おがわ しゅうじ、1970年 - )は、日本の宇… 緒川 修治(おがわ しゅうじ、1970年 - )は、日本の宇宙開発技術者、実業家。PDエアロスペース株式会社創業者で、同社代表取締役。 愛知県知多郡有松町(現名古屋市緑区)生まれ。愛知県立瑞陵高等学校を経て、1994年に福井大学工学部機械科卒業後、三菱重工業で新型航空機開発プロジェクトに参加。2001年東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻工学修了(升谷五郎研究室)。同年アイシン精機入社。 2007年PDエアロスペース設立、同社代表取締役就任。大樹町での実験などを進め、有人宇宙飛行機事業や、宇宙港ビジネスの開発にあたった。2011年民間宇宙機利用協議会理事。2013年内閣府宇宙政策委員会宇宙輸送システム部会臨時委員。
小林 茂(こばやし しげる、1970年 - )は日本のエンジ… 小林 茂(こばやし しげる、1970年 - )は日本のエンジニア、ツールキットデザイナー、情報科学芸術大学院大学教授。 愛知県名古屋市出身。 ローランド株式会社にて、サウンドデザイナーとして勤務した後、IAMASにおいて、フィジカル・コンピューティングを実現するためのオープンソース・ハードウェア「Gainer」「Funnel」「Arduino FIO」を開発。デザイナーとエンジニアの共通言語となるプラットフォーム、プロトタイピングを行うためのツールキットやワークショップの研究を行う。 2012年度より、ソフトピアジャパン地区にオープンしたITとものづくりの拠点「IAMASイノベーション工房 f.Labo」のプロデューサーも務める。
小西 良樹 (こにし よしき、1967年2月9日 - ) は… 小西 良樹 (こにし よしき、1967年2月9日 - ) は、トヨタ自動車株式会社の自動車技術者。カローラ全シリーズの開発責任者や、トヨタ ダイハツ エンジニアリング アンド マニュファクチャリング社長等を経て、トヨタ自動車研究開発センター(中国)社長。 愛知県常滑市出身。常滑市立南陵中学校、愛知県立横須賀高等学校を経て、1991年名古屋工業大学大学院工学研究科生産システム工学修士課程修了後、トヨタ自動車に入社。 入社後はボデー設計部でセリカ、コロナ、bBなどを担当。その後、製品企画室に異動し、カローラとRAV4を手掛ける。2009年 商品開発部に異動し、TNGAプラットフォームの開発責任者を務め、2015年 製品企画室に戻り、製品企画本部主査を経て、2016年 製品企画本部チーフエンジニアに就任。
中島 真也(なかしま しんや、1965年( 10月18日 -… 中島 真也(なかしま しんや、1965年( 10月18日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社パロマ代表取締役社長。 愛知県津島市出身。1988年名古屋工業大学工学部卒業、パロマ工業(現パロマ)入社。長年技術部門に携わり、2011年には技術開発推進部長に就任。2014年技術開発部長。2015年取締役技術開発部長に昇格。2017年取締役常務執行役員開発本部長。2018年取締役専務執行役員開発本部所掌。同年代表取締役副社長。2019年から創業家出身者以外としては初となる代表取締役社長を務め、パロマ湯沸器死亡事故等を踏まえ、コーポレート・ガバナンスの整備などを進めた。
近藤 禎人(こんどう よしひと、1963年1月23日 - )… 近藤 禎人(こんどう よしひと、1963年1月23日 - )は、日本の実業家、自動車技術者。ジェイテクト代表取締役社長、日本ベアリング工業会理事、中部産業連盟理事。 トヨタ自動車モノづくり開発センター長、中央発條監査役、大豊工業監査役等も歴任した。 愛知県日進市出身。1988年、大阪府立大学(現大阪公立大学)大学院工学研究科機械工学専攻修了、トヨタ自動車入社、第1生技部配属。以降主に生産技術部門を中心歩み、2006年、HVユニット生技部室長に就任。2010年、ユニット生技部主査。2013年、駆動・HVユニット生技部部長。 2016年トヨタ自動車常務理事パワートレーンカンパニーユニット生産技術領域長兼ユニット生技部長。
小川 恭範(おがわ やすのり、1962年4月11日 - )は… 小川 恭範(おがわ やすのり、1962年4月11日 - )は、日本の技術者、実業家。元セイコーエプソン代表取締役社長。現会長。 愛知県名古屋市出身。愛知県立中村高等学校、東北大学工学部卒業。1988年東北大学大学院工学研究科修士課程修了、セイコーエプソン入社、研究開発本部配属。1993年からプロジェクター設計・開発に従事。2008年セイコーエプソンVI事業推進部長。同年セイコーエプソンVI企画設計部長。2017年セイコーエプソンビジュアルプロダクツ事業部長。2017年セイコーエプソン執行役員。2018年セイコーエプソン取締役執行役員。2018年セイコーエプソン技術開発本部長。2019年セイコーエプソン取締役常務執行役員 ウエアラブル・産業プロダクツ事業セグメント担当。
佐々木 一郎(ささき いちろう、1957年〈昭和32年〉4月… 佐々木 一郎(ささき いちろう、1957年〈昭和32年〉4月30日 - )は、日本の技術者、実業家、ブラザー工業株式会社元代表取締役社長、現取締役副会長、中部マーケティング協会会長。名古屋市出身。 愛知県名古屋市出身。1983年名古屋大学大学院工学研究科修了、ブラザー工業入社。レーザープリンター開発など新事業の指揮にあたった。NID開発部長を経て、2009年執行役員。2013年常務執行役員。2013年取締役常務執行役員に昇格。2016年代表取締役常務執行役員。2017年代表取締役専務執行役員。11年ぶりの社長交代により2018年から代表取締役社長を務め、中期経営計画策定などにあたった。 2024年6月には取締役副会長に就任したほか、2025年5月には中部マーケティング協会の会長に就任している。
小林 宏史(こばやし ひろし、1955年3月1日 - )は、… 小林 宏史(こばやし ひろし、1955年3月1日 - )は、日本の技術者、実業家。旭化成建材株式会社代表取締役社長等を経て、公益財団法人野口研究所理事長。日本建築仕上学会学会賞受賞 愛知県岡崎市出身。1973年愛知県立岡崎高等学校卒業。1979年名古屋大学大学院工学研究科修了、旭化成工業(現旭化成)入社。2003年旭化成建材企画管理部長。2004年旭化成建材取締役兼常務執行役員。 2007年から旭化成建材代表取締役社長を務め、2015年に発覚したパークシティLaLa横浜などでの杭打ちデータ偽装問題については、元福岡高等検察庁検事長の鈴木和宏弁護士が外部調査委員長として検証等を行った社内調査委員会の調査で、代表取締役社長在任中社内で報告を受けていたが指示を行っていなかったとされた。
萩本 和男(はぎもと かずお、1955年1月8日 - ) は… 萩本 和男(はぎもと かずお、1955年1月8日 - ) は、日本の技術者。情報通信研究機構主席研究員。元NTTエレクトロニクス代表取締役社長。元NTT先端技術総合研究所所長。 愛知県豊橋市出身。1973年東京都立武蔵高等学校卒業。1978年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部電気電子工学科卒業。1980年同大学大学院理工学研究科電気電子系修士課程修了。大学では末松安晴の授業で光通信に可能性を感じ、内藤喜之研究室に入り、助手を務めていた荒木純道の指導なども受けた。同年日本電信電話公社入社、横須賀電気通信研究所研究員。1994年NTT伝送システム研究所グループリーダー。1998年NTT長距離通信事業本部担当部長。
小川 清(おがわ きよし、1954年 - )は、日本の技術者… 小川 清(おがわ きよし、1954年 - )は、日本の技術者。 1954年岐阜県生まれ。 1973年愛知県立旭丘高校普通科卒業。1981年法政大学経済学部を卒業。名古屋工業大学電気工学科編入・1986年卒業。静岡大学理工学研究科博士課程後期設計工学専攻に入学、修了、工学博士学位を取得1976年名古屋市水道局採用。 1986年名古屋市工業研究所転任。 2020年株式会社アテック入社。 国際規格、日本産業規格の制定に、情報処理学会情報規格調査会SC7幹事/WG10主査・幹事, 日本規格協会委員、JISA技術委員会標準化委員,などとして貢献した。情報処理学会情報規格調査会SC7WG10幹事は、IBMを退職した新谷勝利から引き継いだ。
田中 義克(たなか よしかつ、1951年 - 2024年2月… 田中 義克(たなか よしかつ、1951年 - 2024年2月15日)は、日本の自動車技術者、実業家。トヨタ自動車北海道代表取締役社長を経て、北海道立総合研究機構理事長。元北海道経済連合会副会長。 愛知県刈谷市出身。愛知県立刈谷高等学校、名古屋工業大学機械工学専攻を経て、1976年名古屋大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業入社。1997年トヨタ自動車製造部長。2004年からトヨタ自動車常務役員として、三好工場長、衣浦工場長、明知工場長を務めた。2006年トヨタ自動車北海道代表取締役社長。2010年北海道機械工業会会長。2014年北海道経済連合会副会長。2017年トヨタ自動車北海道顧問。
土屋 総二郎(つちや そうじろう、1949年5月17日 - … 土屋 総二郎(つちや そうじろう、1949年5月17日 - )は、日本の技術者、工学博士。デンソー取締役副社長や、日本機械学会副会長、日本プラントメンテナンス協会会長などを歴任した。精密工学会賞等受賞。 愛知県生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1973年名古屋大学工学部卒業。名古屋大学体育会自動車部出身。1975年名古屋大学大学院工学研究科修士課程を修了し、日本電装入社。1998年精密工学会技術賞受賞。2001年岐阜大学大学院修了、工学博士。同年デンソーボデー機器事業部長。2002年デンソー取締役。2004年デンソー常務役員。2007年デンソー専務取締役。2008年精密工学会フェロー。2011年デンソー取締役副社長、日本機械学会副会長。
河合 満(かわい みつる、1948年〈昭和23年〉1月2日 … 河合 満(かわい みつる、1948年〈昭和23年〉1月2日 - )は、日本の技術者・会社役員。トヨタ自動車株式会社アドバイザー、日本ソフトボール協会長、日本プラントメンテナンス協会会長。 トヨタ自動車株式会社副社長、執行役員CMO、Executive Fellow、日本経営協会副会長、愛知県公安委員会委員長などを歴任した。藍綬褒章受章。愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)出身。 1948年1月2日に愛知県豊田市で生まれる。 小学4年時に父親が死去したため、中学校を卒業後、お金を貰いながら学べるトヨタ技能者養成所(現・トヨタ工業学園)に入社。1966年に卒業し、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に入社、鍛造部に配属される。
長谷川 聰(はせがわ さとし、1947年8月16日 - )は… 長谷川 聰(はせがわ さとし、1947年8月16日 - )は、日本の航空技術者、工学者(工学修士)。川崎重工業代表取締役社長を務めていた。 愛知県春日井市出身。1972年慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、川崎重工業へ入社し、航空宇宙事業本部・ジェットエンジン事業部第一技術部長、ガスタービン事業部航空エンジン技術部長などを歴任した技術畑出身の人物である。2005年執行役員。2007年常務取締役兼執行役員。2009年4月代表取締役副社長を経て、同年6月代表取締役社長。 WEBメディアのビジネスジャーナルは「大庭浩会長、大橋忠晴社長当時、ビジネスチャンスを求めて中華人民共和国(中国)への新幹線売り込みのグランドデザインを描いたのが長谷川としている。
中川 彰(なかがわ あきら、1947年3月18日 - )は、… 中川 彰(なかがわ あきら、1947年3月18日 - )は、日本の鉄道技術者、実業家。JR東海代表取締役副社長や、日本車輌製造代表取締役社長を務めた。 愛知県豊橋市出身。1965年、静岡県立静岡高等学校卒業。1969年、東北大学工学部卒業、日本国有鉄道入社。1987年、東海旅客鉄道入社。技術を担当し、1997年、東海旅客鉄道取締役新幹線鉄道事業本部浜松工場長に昇格。2002年、東海旅客鉄道常務取締役総合技術本部技術企画部長。2006年、東海旅客鉄道代表取締役副社長。2008年、日本車輌製造代表取締役副社長。2010年から日本車輌製造代表取締役社長を務め、JR依存からの脱却を進めるなどした。趣味は鉄道模型。
佐々木 眞一(ささき しんいち、1946年12月18日 - … 佐々木 眞一(ささき しんいち、1946年12月18日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車代表取締役副社長や、トヨタ東京自動車大学校理事長、名古屋グランパスエイト代表取締役社長を経て、首都高速道路取締役会長、日本科学技術連盟理事長、道路新産業開発機構会長。 秋田県秋田市千秋中島町生まれ。秋田県立秋田工業高等学校ラグビー部出身の父眞平が、トヨタ自動車ラグビー部の選手となったため、小学校入学前に一家で愛知県豊田市に移住した。 1965年、愛知県立岡崎高等学校卒業。1970年に北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。長く品質管理を担当し、トヨタモーターマニュファクチャリングUK品質管理部長、堤工場品質管理部長等を経て、2001年に小野博信、金田新、白井芳夫、井川正治、高田坦史らとともに取締役昇格。
内山田 竹志(うちやまだ たけし、1946年〈昭和21年〉8… 内山田 竹志(うちやまだ たけし、1946年〈昭和21年〉8月17日 - )は、日本の技術者・実業家。トヨタ自動車相談役、元トヨタコンポン研究所代表取締役、元トヨタ自動車Executive Fellow、同社元代表取締役会長。 その他にも豊田鞍ヶ池開発代表取締役社長、一般社団法人日本自動車会議所会長、公益財団法人科学技術交流財団会長、社団法人日・タイ経済協力協会会長、一般社団法人産業競争力懇談会理事長、社団法人日本自動車教育振興財団理事長などを歴任した。愛知県岡崎市出身。栄典は藍綬褒章。 愛知県岡崎市出身。父の亀男もトヨタマンで、3代目クラウンの開発責任者(チーフエンジニア)を務めた。愛知県立旭丘高等学校を経て、1969年(昭和44年)3月に名古屋大学工学部応用物理学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に入社。
杉野 正博(すぎの まさひろ、1944年11月18日 - )… 杉野 正博(すぎの まさひろ、1944年11月18日 - )は、日本の技術者、実業家。INAX代表取締役社長、LIXILグループ代表取締役社長などを務めた。 愛知県出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、1967年に名古屋工業大学工学部窯業工学科を卒業し、伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)に入社した。1990年に営業本部商品企画統括部商品第1部長、1992年に取締役新建材事業部長、1994年に取締役建材事業本部タイル事業部長、1996年に常務取締役建材事業本部長、1999年に常務取締役経営管理統括部長、2000年に専務取締役にそれぞれ就任した。 2001年、代表取締役社長に就任した。2007年から住生活グループ(現在のLIXILグループ)代表取締役社長及びINAX代表取締役会長を務め、2011年にはトステム、INAX、新日軽、東洋エクステリア、LIXILの統合を行い、同年トステムを商号変更したLIXILの代表取締役社長兼COOに就任した。
原田 武彦(はらだ たけひこ、1944年〈昭和19年〉 - … 原田 武彦(はらだ たけひこ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の自動車技術者、実業家。中央発條代表取締役社長や、八戸市八戸特派大使を務めた。 愛知県刈谷市生まれ。父は、豊田自動織機専務を務めた原田梅治。1968年東北大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。機械部長、生産調査部主査、本社工務部長、國瑞汽車総経理、トヨタ自動車アジア本部アジア部主査、トヨタ自動車理事等を歴任し、2005年から中央発條代表取締役社長を務め、2007年には八戸市に中発テクノを設立。翌2008年八戸特派大使に任命された。2010年中央発條顧問。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、… 冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、日本の自動車技術者。愛知県出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、東北大学大学院工学研究科修了。 トヨタ・モータースポーツ(TMG、後のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)会長、トヨタF1チーム代表、富士スピードウェイ代表取締役会長などを歴任した。
花木 義麿(はなき よしまろ、1942年9月8日 - )は、… 花木 義麿(はなき よしまろ、1942年9月8日 - )は、日本の技術者、実業家。オークマ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本工作機械工業会会長などを歴任した。 愛知県中島郡(現稲沢市)で教員の家に生まれる。愛知学芸大学附属名古屋中学校(現愛知教育大学附属名古屋中学校)、愛知県立旭丘高等学校を経て、1965年、名古屋大学工学部電気工学科卒業。高校・大学ではサッカー部の活動に熱中した。同年、大隈鐵工所(現オークマ)入社。1972年に世界初となるコンピューターによる数値制御装置を開発。 電装事業部長、オークマ アメリカ社長等を経て、2006年、代表取締役社長。2013年、日本工作機械工業会会長。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )… 金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長を務めた。 愛知県立刈谷高等学校を経て、1954年早稲田大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年トヨタ自動車工業取締役。1986年トヨタ自動車常務取締役。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年からトヨタ自動車取締役副社長を務め、プロジェクト「G21」を立ち上げて次世代自動車の在り方の検討を行うなどした。1994年自動車技術会会長。運輸省運輸技術審議会自動車部会委員等も務めた。
豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年… 豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年)2月27日 - )は、日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長、株式会社デンソー取締役、東和不動産株式会社取締役会長、社会福祉法人恩賜財団済生会会長、学校法人海陽学園理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事。
鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 201… 鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 2015年6月15日)は、日本の技術者、実業家。HOYA中興の祖・元名誉会長。 愛知県瀬戸市生まれ。1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)付属高等工業教員養成所卒業。 1944年東洋工学硝子製造所(現HOYA)技術長。1949年同社取締役工場長に昇格。1957年に岳父であり同社創業者の山中茂が病で倒れたため、その跡を受けて代表取締役社長に就任、5年間で売り上げを10倍の20億円に拡大し、社名を保谷硝子に変更、1961年に東証2部に株式上場を果たしたが、昭和40年不況により赤字・無配となり、1967年相談役に降格。 1970年代表取締役社長に復帰。
盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 199… 盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人。1992年(平成4年)、名誉大英帝国勲章を受勲。
岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982… 岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982年8月24日)は日本の技術者、経営者、実業家である。第4代ソニー社長。トランジスタに着目し、日本における半導体産業の基盤を創った男ともいわれた。愛知県名古屋市出身。
大野 耐一(おおの たいいち、1912年2月29日 - 19… 大野 耐一(おおの たいいち、1912年2月29日 - 1990年5月28日)は、日本の技術者、経営者である。トヨタ自動車工業の元副社長。 かんばん方式など生産管理のあり方として世界的に有名となった“トヨタ生産方式(Toyota Production System、略称TPS)”を体系化した人物である。その業績により、日本自動車殿堂と米国自動車殿堂の両方で殿堂入りしている。 中華民国の大日本帝国租借地関東州大連市生まれ。大野は旧制愛知県立刈谷中学校(現愛知県立刈谷高等学校)および名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)機械科を卒業後、1932年(昭和7年)豊田紡織(現:トヨタ紡織)に入社し、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)に転籍した。
小沢 久之丞(おざわ きゅうのじょう、正字体:小澤久之亟、1… 小沢 久之丞(おざわ きゅうのじょう、正字体:小澤久之亟、1905年4月22日 - 1988年12月14日)は、日本の工学者、航空機技術者である。斬新な真空チューブ列車を考案した。 愛知県名古屋市出身。東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。三菱重工業名古屋航空機製作所に就職し、第二次世界大戦中は四式重爆撃機「飛龍」を開発した。 1949年より名城大学理工学部教授に就任し、1971年から1972年まで学長を務めた。 1949年に『音速滑走体の構想』を発表した。1959年から愛知県の鍋田干拓地(現・弥富市)や農学部のあった鷹来キャンパス(春日井市)で実験をおこなった。真空パイプの中を走らせることで空気抵抗を減らす超音速滑走体の研究を進めた。
梅原 半二(うめはら はんじ、1903年5月24日 - 19… 梅原 半二(うめはら はんじ、1903年5月24日 - 1989年5月23日)は、日本の自動車技術者。元豊田中央研究所代表取締役所長を務めた。 愛知県知多郡内海町(現南知多町)生まれ。味噌醤油醸造業米沢屋を営む名家で兄は町長を務めた。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)第4学年を修了し、第八高等学校卒業後、東北帝国大学工学部機械工学科に進学するが結核患い休学となる。その後東北帝国大学講師を辞し、妻が経営するバーのマスターを務めていたが、1936年に豊田自動織機製作所に入社し、自動車部嘱託技師となる。1945年東北帝国大学工学博士。1950年からトヨタ自動車工業取締役を務め。初代トヨタ・クラウン、初代トヨタ・コロナの開発指揮を行った。
神田 健治(かんだ けんじ、1903年〈明治36年〉1月2日… 神田 健治(かんだ けんじ、1903年〈明治36年〉1月2日 - 1958年〈昭和33年〉1月22日)は、愛知県宝飯郡神ノ郷村(現・蒲郡市)出身の農業技術者・政治家。愛知県議会議員(2期)。蒲郡みかんの発展に貢献した。 1903年(明治36年)1月2日に愛知県宝飯郡神ノ郷村(現・蒲郡市)に生まれ、愛知県立蒲郡農学校(現・愛知県立蒲郡高等学校)を卒業した。 蒲郡におけるウンシュウミカン栽培の発展に傾注し、1933年(昭和8年)には母樹園(現・愛知県農業総合試験場蒲郡支所)の設立に関与した。また、1933年(昭和8年)には神ノ郷に農業用ため池の白龍池が造成されたが、神田はこの難事業の会計係を担っている。
兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 19… 兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 1970年9月15日)は、日本の都市計画家、土木技術者、政治家。1935年に創刊された雑誌「区画整理」の表紙を飾った標語として知られる「土地区画整理は都市計画の母」の造語を生み出した。 1899年、愛知県丹羽郡布袋町(現・江南市)の中小製紙工場の家に生まれる。 岐阜市立岐阜商業、名古屋中学校、第八高等学校を経て、1925年東京帝国大学工学部土木工学科卒。内務省に入り復興局技師となる。その後、愛知県都市計画技師に転出。1936年、三重県に移り、都市計画課長となる。巨大コンビナートを生み出す四日市市などの都市計画を立案。 1942年には東京府道路課長に、1943年には埼玉県土木課長に就任する。
豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、旧字体: 豐田喜一郞、18… 豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、旧字体: 豐田喜一郞、1894年(明治27年)6月11日 - 1952年(昭和27年)3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。位階は従五位。勲等は勲四等。豊田佐吉の長男。 トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した。 豊田佐吉と佐原たみ(佐吉の妹の友人で最初の妻)の長男として生まれる。1892年(明治25年)から夫婦は東京市浅草外(当時の浅草区千束町)に住んでおり、里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれるが、出生3か月のとき、貧困の中家庭を顧みることなく発明に没頭する夫に愛想を尽かした母親が家出したため祖父母の家で育つ。
服部 譲次(はっとり じょうじ、1893年〈明治26年〉11… 服部 譲次(はっとり じょうじ、1893年〈明治26年〉11月8日 - 没年不詳)は、日本の航空技術者。三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所技術部部長、新三菱重工業専務取締役などを歴任した。 愛知県名古屋市にて育った。旧制愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)、旧制第八高等学校を経て、1918年、東京帝国大学工科大学を卒業する。大学卒業後は三菱造船に入社し、神戸造船所に配属される。 1920年に三菱造船の名古屋航空機製作所に入る。1921年にドイツに出張し、1924年に帰国。1923年より、名古屋航空機製作所にて設計課と研究課の課長に就任する。その後、三菱造船は三菱重工業に衣替えする。三菱重工業の名古屋航空機製作所にて技術部の部長などを歴任した。
柳生 六郎(やぎゅう ろくろう、1893年8月28日 - 1… 柳生 六郎(やぎゅう ろくろう、1893年8月28日 - 1983年5月26日)は、日本の鉱床探査技術者。愛知県名古屋市生まれ。 第八高等学校を経て、1919年東京帝国大学理科大学地質学科を卒業。日本鉱業(現JX金属)の前身である久原鉱業に入社、調査課に勤務。1929年日本鉱業の創立から同社の鉱山部勤務となり、調査部門の業務を担当。この間、長年にわたって傘下の諸鉱山の地質調査・探査・探鉱・開発などを行った。特に福島県高玉鉱山の金鉱床については、鉱床の生成と母岩の変質に関する多くの事実を明らかにし、鉱化初期の珪化作用と後期のアルカリ化(氷長石化作用)の関係を論じた。これらの研究により、東京大学より理学博士の学位を取得。
大西 英一(おおにし えいいち、1889年〈明治22年〉12… 大西 英一(おおにし えいいち、1889年〈明治22年〉12月7日 - 1955年〈昭和30年〉12月16日)は、日本の土木技術者、実業家。工学博士。第4代日本発送電総裁や初代電力中央研究所理事長、第39代土木学会会長を務めた。 福井県で鉄道官吏の子として生まれる。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1912年(明治45年/大正元年)名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)土木科卒業。鉄道院を経て、1914年神通川電力入社。中学・高工の先輩石川栄次郎の誘いを受け矢作水力に移り、1940年(昭和15年)取締役に昇格。 1942年日本発送電入社。1945年日本発送電理事。1947年日本発送電総裁。
丹羽 正道(にわ せいどう、文久3年6月27日〈1863年8… 丹羽 正道(にわ せいどう、文久3年6月27日〈1863年8月11日〉 - 1928年〈昭和3年〉1月5日)は、明治から大正にかけて活動した日本の電気技術者である。日本で5番目に開業した電力会社名古屋電灯で初代技師長を務めたほか嘱託技師として大阪市電の開業に携わった。愛知県名古屋市出身。 文久3年6月27日(新暦:1863年8月11日)、丹羽氏任の長男として名古屋城下・広小路御園の屋敷で生まれた。父・氏任は尾張藩に仕える儒学者(藩儒)。また丹羽家は一色公深を祖とするという。正道は幼少期から聡明であったといい、東京に出て大学予備門で学んだのち工部大学校へ進学。工部大学校では成績優秀のため官費生であった。
服部長七(はっとり ちょうしち、天保11年9月9日(1840… 服部長七(はっとり ちょうしち、天保11年9月9日(1840年10月4日) - 1919年(大正8年)7月18日)は、三河国碧海郡棚尾村西山(現・愛知県碧南市西山町)出身の土木技術者。 既存の三和土(たたき)を改良し自ら編み出した人造石工法(長七たたき)により、治水・用水分野の土木工事において業績を挙げた。広島県宇品港の岸壁工事完成の功績などにより、緑綬褒章が授与されている。 天保11年9月9日(1840年10月4日)、三河国碧海郡棚尾村西山(現・愛知県碧南市西山町)に生まれた。父は左官職人の服部幸助、母はけうであり、長七は三男だった。16歳だった安政2年(1855年)に父が死去すると、翌年には碧海郡新川村(現・碧南市)に豆腐屋を開いたが、さらに翌年には伊勢国桑名(現・三重県桑名市)で左官修行を行い、18歳となった安政5年(1858年)に新川村に帰郷して左官業を始めた。
上野 裕明(うえの ひろあき)は、日本の実業家、技術者、理学… 上野 裕明(うえの ひろあき)は、日本の実業家、技術者、理学博士。 田辺三菱製薬代表取締役社長を経て、日本製薬工業協会会長、日本製薬団体連合会副会長。