宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27… 宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27日 - 1998年〈平成10年〉5月19日)は、日本の政治家。第75代内閣総理大臣。位階は従二位。勲等は勲一等。俳号は犂子(れいし)。 滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長官(第31代)、行政管理庁長官(第44代)、通商産業大臣(第42代)、外務大臣(第110代)、内閣総理大臣(第75代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁(第13代)などを歴任。 1922年(大正11年)8月27日、滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)に父・宇野長司と母・民子の間に長男として生まれる。
山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 19… 山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 1994年3月14日)は、滋賀県出身の日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。息子に元参議院議員の山下英利がいる。
河本 嘉久蔵(河本 嘉久藏、かわもと かくぞう、1917年(… 河本 嘉久蔵(河本 嘉久藏、かわもと かくぞう、1917年(大正6年)3月27日 - 1990年(平成2年)3月24日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(3期、自由民主党)、国土庁長官(第13代)、北海道開発庁長官(第47代)。アヤハグループ創業者。 1917年(大正6年)、滋賀県高島郡本庄村北船木(現在の高島市安曇川町北船木)に生まれる。1937年(昭和12年)に彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。 同年丸紅に入社したが、まもなく従軍、支那事変と太平洋戦争に参戦する。 終戦後に丸紅を退社し、1946年(昭和21年)、山城織物株式会社(現綾羽)を設立。1958年(昭和33年)4月滋賀大学体育館建設費として10万円寄付により同年10月11日紺綬褒章受章。
山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1… 山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1月15日 ‐ 2012年(平成24年)9月22日)は、日本の政治家。滋賀県下阪本村長、大津市議会議員、滋賀県議会議員を歴任。第20代大津市長(2期)となり、革新派の市長として福祉事業などを推進、「福祉の山耕」と呼ばれた。その後参議院議員を2期務め、一の会や連合参議院に加わった。大津市名誉市民。 1934年、滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を卒業、1935年4月に島津製作所に入社。 1949年4月に下坂本村長となり、村長として大津市との合併に反対したが、在任中の1950年に合併した。1951年4月から1959年4月まで大津市議会議員を務め、在日米軍の大津キャンプ返還運動を主導した。
北川 弥助(きたがわ やすけ、1911年1月20日 - 20… 北川 弥助(きたがわ やすけ、1911年1月20日 - 2005年6月9日)は、滋賀県の政治家、滋賀県議会議員。五個荘町名誉町民。県議を連続14期・約53年間務め、大山広司に更新されるまで全国の県議の在職期間の最長記録保持者だった。戦後の滋賀を語る「県政の生き字引」と呼ばれた。 滋賀県神崎郡旭村伊野部(現東近江市五個荘伊野部町)出身。油の行商の傍ら青年団活動を行い、1950年の第1回統一地方選県議補選で民主自由党から立候補して初当選。その後、連続で14期・19440日間議員を務めた。1970年に藍綬褒章、1981年に勲三等瑞宝章を受章。1998年には都道府県議で初の在職五十年表彰を受賞した。 県議会議長を三回、自民党県連会長三回、全国農業共済協会副会長、県商工連合会長、県農業共済連合会長、県土地改良事業団体連合会長、愛知川沿岸土地改良区理事長など多くの役職を務めた。
福永 健司(福永 健司、ふくなが けんじ、1910年〈明治4… 福永 健司(福永 健司、ふくなが けんじ、1910年〈明治43年〉8月5日 - 1988年〈昭和63年〉5月31日)は、日本の政治家、衆議院議長(第63代)、内閣官房長官(第9・10・26・27代)、労働大臣(第19代)、厚生大臣(第51代)、運輸大臣(第49代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長を歴任。位階は従二位、勲一等旭日桐花大綬章。息子は元自民党衆議院議員の福永信彦。 滋賀県甲賀郡甲賀町(現・甲賀市)出身。旧制松江高校文科甲類、1933年東京帝国大学法学部法律学科卒業後、片倉製糸紡績に入社。 1947年、西村実造埼玉県知事の要請を受けて埼玉県副知事となる。カスリーン台風が到来したときには、利根川が決壊するなか陣頭指揮にあたる。
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1… 西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)4月25日)は、日本の政治家・実業家。大津市長(2期)、滋賀県議会議員、大津市議会議員などを歴任。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。位階は従五位。 1908年8月1日に、大津市下堅田町(現・島の関)で、油屋「西利商店」の子に生まれる。旧制膳所中学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1929年3月に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)を卒業。学生時代は、「名ピッチャー」でならしたといい、当時バッテリーを組んでいたのは後に近江八幡市長となる井狩貞之だった。
西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1902年10月6日 -… 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1902年10月6日 - 1967年5月16日)は、日本の実業家、政治家。西川産業会長、参議院議員(4期)、北海道開発庁長官(第18代)。東京日本橋・西川ふとん店13代。貴族院議員や八幡銀行頭取を務めた十二代西川甚五郎の子。 現在の滋賀県近江八幡市出身。滋賀県立八幡商業学校を経て、1924年、早稲田大学専門部商科を卒業。アメリカに留学し、コーネル大学、ニューヨーク大学で学ぶ。 家業を継ぎ、日本蚊帳統制組合理事長、西川産業社長、近江蚊帳製造社長、滋賀ビル・日本橋西川ビル社長、滋賀銀行取締役などを歴任。 戦時中は日中戦争、太平洋戦争に召集され陸軍主計大尉。 1947年8月、猪飼清六の辞職に伴う滋賀地方区の第1回参議院議員補欠選挙に日本自由党から出馬し当選(任期3年)。
矢尾 喜三郎(やお きさぶろう、1901年9月28日 - 1… 矢尾 喜三郎(やお きさぶろう、1901年9月28日 - 1975年6月21日)は日本の政治家、労働運動家。位階は従三位。 滋賀県大津市出身。日本社会党所属の元衆議院議員(9期)。日本労働総同盟滋賀県連合会会長を務めた。矢尾喜の愛称で親しまれた。 1901年(明治34年)9月、大津市高見町に生まれる。1927年、 立命館大学法律科卒業。同年、社会民衆党滋賀支部設立の中心メンバーとなる。1928年、滋賀合同労働組合の結成に参加、旭絹織膳所工場の労働争議など、主に繊維関係の労働運動を主導する。1929年の大津市議会議員選挙で次点で落選するも、1931年に繰り上げ当選。大津市議会で初の無産党議員となって、失業問題などに取り組む。
西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979… 西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979年8月15日)は、日本の牧師、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。アムネスティ・インターナショナル日本支部理事長。川北対合衆国事件の時には、減刑嘆願運動の中心的な人物として活動した。 新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
沢田 ひさ(さわだ ひさ、1897年(明治30年)11月25… 沢田 ひさ(さわだ ひさ、1897年(明治30年)11月25日 - 1979年(昭和54年)11月9日)は、大正時代から昭和時代の女性政治家、女性解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 1897年(明治30年)生まれ。滋賀県甲賀郡土山村(現甲賀市)出身で、結婚して三重県桑名市に移り、戦前から婦人参政権獲得運動に挺身して、中部地区婦人選挙権獲得同盟会員となる。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選し、49歳で日本社会党の新人議員として日本最初の女性代議士(三重県の婦人代議士第1号)となり、衆議院議員1期を務めた。1953年(昭和28年)4月24日の第3回参議院議員通常選挙で三重県選挙区から55歳で右派社会党の新人として立候補して 150501票 (得票率28.4%)で落選した。
武田 キヨ(たけだ キヨ、1896年9月21日 - 1954… 武田 キヨ(たけだ キヨ、1896年9月21日 - 1954年3月14日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 滋賀県滋賀郡膳所町(現大津市)生まれ。のち父の転勤で山口県に移り、山口女学校に通う。その後1919年に東京女子高等師範学校文科を卒業する。卒業後は広島県立呉高等女学校、旧制呉港中学校、呉商業学校各教諭や大正学園理事、東京八雲女学校長などを歴任、婦選獲得同盟中国支部長も務めた。1946年の第22回衆議院議員総選挙に広島県から日本自由党公認で立候補して当選する。翌年の第23回衆議院議員総選挙でも再選。その直後に民主党に移籍した。1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選した。1954年に脳溢血で死去した。
今井 耕(いまい こう、1896年〈明治29年〉2月28日 … 今井 耕(いまい こう、1896年〈明治29年〉2月28日 - 1976年〈昭和51年〉1月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、自由民主党)。 滋賀県蒲生郡岡山村(現近江八幡市)で、農業・今井吉太郎の長男として生まれた。長浜農学校卒。卒業後は同校教諭や栗太農学校教諭を務める。1946年の第22回衆議院議員総選挙で滋賀県から無所属で立候補して当選し、それから国民協同党に入った(その後、国民民主党→改進党→日本民主党→自由民主党に所属)。以来当選6回。第2次鳩山一郎内閣建設政務次官、衆議院決算委員長などを歴任した。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選、政界から引退した。 1966年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
林 好次(はやし こうじ、1895年(明治28年)10月15… 林 好次(はやし こうじ、1895年(明治28年)10月15日 - 1959年(昭和34年)12月4日)は、昭和期の漁業経営者、政治家。衆議院議員、網走市名誉市民。 滋賀県 坂田郡春照村(伊吹村、伊吹町を経て現米原市)で生まれる。1918年(大正7年)網走に移住して雑貨店(林屋商店前身)を経営。1935年(昭和10年)ごろに水産不況に対応するため北洋出漁組合を結成して、鮭鱒漁で成果を収めた。網走漁業会長、北海道水産業会理事、林屋商会取締役、北見綜合木材取締役、藤林商会取締役社長、網走水産冷蔵取締役社長などを務めた。 網走町会議員、北海道会議員、網走市議会議長に在任。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で北海道第5区から民主党所属で出馬して当選。
高倉 定助(たかくら さだすけ、1893年(明治26年)8月… 高倉 定助(たかくら さだすけ、1893年(明治26年)8月26日 - 1965年(昭和40年)1月20日)は、大正・昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 滋賀県甲賀郡土山村(土山町を経て現甲賀市土山町)で、高倉重助の四男として生まれる。滋賀県立水口農林学校(現滋賀県立水口高等学校)を卒業し農牧業を営む。 音更村会議員、帯広市会議員、北海道会議員、同参事会員を務めた。また、帯広市農会長、同農業会長、北海道農会議員、同農業会理事を歴任。十勝拓殖取締役社長、北海種苗公社取締役、北海道木炭取締役なども務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第5区から出馬して当選し、その後、第25回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
別所 喜一郎(べっしょ きいちろう、1890年3月20日 -… 別所 喜一郎(べっしょ きいちろう、1890年3月20日 - 1974年11月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 1890年3月、滋賀県水口町に生まれる。1908年、滋賀県立八幡商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)を卒業。醤油醸造業を営む。1919年9月、甲賀郡会議員に当選。1926年7月、滋賀県会議員に当選、立憲民政党に所属する。1930年2月、水口町長に就任。1939年11月、滋賀県会議長に就任。このほか、水口町議会議員、滋賀県町村会長も務めた。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は無所属倶楽部を経て、1945年11月に日本進歩党に入り、党滋賀県支部の幹事長に就任したが、翼協推薦議員のため公職追放となった。
森 幸太郎(もり こうたろう、1889年7月20日 - 19… 森 幸太郎(もり こうたろう、1889年7月20日 - 1964年2月4日)は、昭和期の日本の政治家。衆議院議員、農林大臣、滋賀県知事などを歴任。位階は正三位。勲一等瑞宝章。 滋賀県東浅井郡竹生村(現在の長浜市)出身。1905年に長浜農学校を卒業後、家業の農業・蚕種製造・水産業などを行っていたが、政治の世界を志して竹生村長となり、1917年には38歳で立憲政友会より滋賀県会議員となり2期務める。1936年の第19回衆議院議員総選挙で滋賀県選挙区から立憲政友会の公認で立候補して当選するが、3期目を目指した1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けずに立候補して落選した。
五坪 茂雄(ごつぼ しげお、1889年5月17日 - 196… 五坪 茂雄(ごつぼ しげお、1889年5月17日 - 1961年9月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 滋賀県東浅井郡朝日村(のち湖北町、現・長浜市)出身。1912年滋賀県師範学校(現・滋賀大学教育学部)卒。石川県立羽咋中学校(現・石川県立羽咋高等学校)、同松任農学校(のち石川県立松任農業高等学校、現・石川県立翠星高等学校)、同津幡農学校(現・石川県立津幡高等学校)、石川県立青年師範学校(現・金沢大学教育学部、1944年4月 - 1946年)各校長、松任実業補習学校教員養成所長などを歴任する。ほか芦田内閣逓信政務次官、西武鉄道(株)常任監査役、近江鉄道(株)取締役となる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年 <明治18年> … 服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年 <明治18年> 11月20日 - 1965年 <昭和40年> 11月24日)は、大正・昭和期の政治家。初名は清太郎。なお、「岩吉」は服部家の世襲の名乗りで、本項の岩吉は2代目にあたる。位階は正四位。 滋賀県栗太郡金勝村(現在の栗東市)の酒造業の家に生まれる。膳所中学校卒業後は家業に従事していたが、28歳の時に金勝村の依頼で同村の助役となり、その後村会議員を経て金勝村村長に就任して5期務める。更に県会議員を2期務めた後に1932年の第18回衆議院議員総選挙滋賀県全県区に立憲政友会から立候補して当選、1942年の第21回総選挙には立候補しなかったものの、次の第22回総選挙では日本自由党から当選を果たし、通算4期務めた。
広野 規矩太郎(廣野、ひろの きくたろう、1885年(明治1… 広野 規矩太郎(廣野、ひろの きくたろう、1885年(明治18年)1月4日 - 1961年(昭和36年)12月21日)は、大正から昭和時代前期の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。 実業家・広野織蔵の長男として滋賀県犬上郡彦根江戸町(彦根町を経て現彦根市)に生まれる。彦根中学校(現滋賀県立彦根東高等学校)、第一高等学校を経て、1912年(明治45年)京都帝国大学法科大学政治科を卒業。横浜正金銀行に入行し、本店、大阪、神戸各支店にて勤務。1920年(大正9年)1月、父が頭取を務める百三十三銀行に移り専務取締役に就任した。 のち百三十三銀行、滋賀貯蓄銀行、近江信託、琵琶湖ホテル各取締役、滋賀銀行取締役、同頭取、同会長を歴任する。
仙波 久良(せんば ひさよし、1883年〈明治16年〉12月… 仙波 久良(せんば ひさよし、1883年〈明治16年〉12月5日 - 1975年〈昭和50年〉2月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。勲等は勲四等。 滋賀県東浅井郡湯田村(現・長浜市)生まれ。私立攻玉社工学校で学ぶ。満州に渡り、南満州鉄道(株)に入る。満鉄は入社10年あまりで退社した。のち満州石材工業(資)代表社員、東洋石材工業(資)専務取締役、満州日本居留民代表、同参事会員となる。 1928年(昭和3年)10月に大連市会議員に選ばれ、1932年(昭和7年)の任期満了まで務めた。その後、同年の第18回衆議院議員総選挙において滋賀県全県区から立憲政友会公認で立候補して当選した。1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙で落選した。
小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10… 小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10月1日 - 1961年〈昭和36年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。名古屋市長を3期務めた。 滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)にて漢方薬商、山本藤右衛門の三男として生まれた。幼名は音次郎。1884年(明治17年)、滋賀県野洲市北桜の浄土宗多門寺の小林麗海の養子となり海音と改名した。その後、浄土宗高等学院(現大正大学)入学するが中退。小学校教員、京都府内の極楽寺住職を経て、ジャーナリストとしての才覚を発揮し1905年(明治38年)には「近江新報」主筆となり、県政批判の筆を揮った。1911年(明治44年)名古屋新聞に転じ1914年(大正3年)より「名古屋新聞」主筆を経て、1942年(昭和17年)政府の指導で「新愛知新聞」と合併した「中部日本新聞(現中日新聞)」の取締役となった。
安原 仁兵衛(やすはら にへえ、1874年10月18日 - … 安原 仁兵衛(やすはら にへえ、1874年10月18日 - 1931年8月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 滋賀県出身。明治法律学校で学ぶ。滋賀県議、同議長となる。また、近江重布(株)、高島銀行各取締役を務めた。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において滋賀2区から立憲政友会公認で立候補して当選。1924年の第15回衆議院議員総選挙では87票差で落選。1928年の第16回衆議院議員総選挙では滋賀県全県区から立候補して返り咲いた。衆議院議員を2期務めた。1930年の第17回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1931年死去。
下郷 久成(しもごう ひさなり、1872年4月23日〈明治5… 下郷 久成(しもごう ひさなり、1872年4月23日〈明治5年3月16日〉 - 1946年〈昭和21年〉1月15日)は、明治後期から昭和にかけて活動した日本の実業家・政治家である。 滋賀県長浜の旧家下郷家の10代目。米穀商を開いて財を成した下郷伝平(久道)の長男で、公的には父の名を継いで2代目の下郷 伝平(下鄕 傳平、しもごう でんべい)を名乗った。襲名前の名は寅吉。実業界では仁寿生命保険社長を長く務め、政界では貴族院多額納税者議員や長浜町長に選ばれた。 下郷家は滋賀県長浜市(旧・坂田郡長浜町)の旧家である。家伝によると、賤ヶ岳の戦いに関係して豊臣秀吉から表彰された長浜城下の町人のうち下郷九左衛門を家祖とする(それ以前の系譜は不明瞭)。
西田 天香(にしだ てんこう、1872年3月18日(明治5年… 西田 天香(にしだ てんこう、1872年3月18日(明治5年2月10日) - 1968年(昭和43年)2月29日)は、滋賀県長浜市生まれの宗教家・社会事業家、政治家。一燈園の創始者。参議院議員。本名は市太郎。 明治5年(1872年) 滋賀県長浜の紙問屋「玉屋」に生まれる。杉蔭塾で杉本善朗氏から漢籍、珠算等を習う。また長浜キリスト教会の堀貞一牧師から西洋史、英語等を習う。 明治19年(1886年) 長浜旧開知学校高等科を卒業する。翌20年に義母を亡くす。 明治24年(1891年) 父、保三の死亡により家督を継ぐ。同年結婚。小川のぶ(15歳)と結婚。青年団の幹事長に選ばれその後、二宮尊徳の信奉者であった県知事の大越亨に見込まれる。
吉田 羊治郎(よしだ ようじろう、1871年3月31日〈明治… 吉田 羊治郎(よしだ ようじろう、1871年3月31日〈明治4年2月11日〉- 1939年〈昭和14年〉11月11日)は、明治後期から昭和前期の政治家、衆議院議員(1期)、貴族院議員、滋賀県会議員、滋賀県多額納税者。 滋賀県犬上郡高宮村(現・彦根市)生まれ。吉田与三平の二男。1890年(明治23年)滋賀県商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)卒。1911年(明治44年)8月26日、高宮村長になった。町制施行後もそのまま在職し、1915年(大正4年)8月27日に退任した。同年9月、犬上郡選出の滋賀県会議員になった。そのほか、高宮町会議員、同参事会員、所得税調査委員、帝国農会議員、近江水力電気、大正製棉各(株)取締役、滋賀県農工銀行頭取、近江商業銀行、江若鉄道(株)各監査役となった。
12代 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1870年7月1… 12代 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1870年7月11日(明治3年6月13日)- 1942年(昭和17年)11月17日)は、明治から昭和時代戦前の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。滋賀県蒲生郡八幡町長。西川甚五郎家山形屋12代、諱・嘉重。 滋賀県蒲生郡八幡町大杉町(現・近江八幡市大杉町)で、西川重威の長男として生まれた。1898年(明治31年)家督を相続した。大阪商業学校を卒業し、その後、東京の欧文正鵠学館(サンマー英学校)で学んだ。漢学は中村栗園、山本太造に師事した。 1902年(明治35年)以降、八幡町長、同町会議員、滋賀県会議員、大日本蚕糸会滋賀支会副会頭、同評議員などを歴任した。
人見 米次郎(ひとみ よねじろう、1868年10月24日(明… 人見 米次郎(ひとみ よねじろう、1868年10月24日(明治元年9月9日) - 1935年(昭和10年)1月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 滋賀県出身。1879年、彦根初等師範学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)卒。数学とドイツ語を学ぶ。第百三十三国立銀行(現・滋賀銀行)、日本生命保険、神戸井上倉庫各(株)勤務を経て、運送業と日豪貿易を営み、欧米各国を巡遊する。また、神戸市会議員となる。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において滋賀県郡部から立憲国民党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1935年に死去した。
阿部 房次郎(あべ ふさじろう、1868年2月11日(慶応4… 阿部 房次郎(あべ ふさじろう、1868年2月11日(慶応4年1月18日) - 1937年(昭和12年)5月12日)は、日本の実業家、政治家。族籍は滋賀県平民。 近江国彦根(滋賀県彦根市)出身。辻兼三の長男。阿部家の養子となり、1896年(明治29年)に分家して一家を創立する。 1892年(明治25年)、慶應義塾正科を卒業。 1894年(明治27年)、近江銀行、1900年(明治33年)、近江精油取締役、1901年(明治34年)、阿部製紙(王子製紙の前身のひとつ)専務、1904年(明治37年)経営不振の金巾製織に専務として入り、再建に尽力する。その後金巾製織は1906年(明治39年)に大阪紡績と、1914年(大正3年)に三重紡績と合併して東洋紡績が発足、山辺丈夫社長の下で専務となった。
兼松 寅太郎(かねまつ とらたろう、1867年2月4日(慶応… 兼松 寅太郎(かねまつ とらたろう、1867年2月4日(慶応2年12月30日)- 1941年(昭和16年)5月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 近江国犬上郡、のちの滋賀県犬上郡彦根町(現彦根市)出身。(株)近江米取引所監査役、同理事長、彦根米穀取引所仲買人、長浜製氷冷蔵(株)社長、大津商業会議所会頭、近江絹糸紡績(株)取締役、近畿バラスト(株)監査役となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において滋賀1区から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1964年死去。
中村 俊清(なかむら としきよ、1866年6月18日(慶応2… 中村 俊清(なかむら としきよ、1866年6月18日(慶応2年5月6日) - 没年不詳)は、日本の政治家。初代室蘭市長。 近江国滋賀郡堅田(のち滋賀県滋賀郡堅田村→堅田町、現・大津市)出身。山梨県警部から北海道庁に転じ、室蘭、釧路の各警察署長となる。その後、警視となるが、1906年に官職を辞任。室蘭に移る。1910年室蘭支庁選出の道会議員となる。1915年室蘭町長に当選。1918年区制施行により、室蘭区長となる。1922年市制施行により、市長臨時代理者を経て、初代室蘭市長となる。市長は1929年まで務め、病気のため退任した。 市長在職中はワシントン海軍軍縮条約により、造船の発注の減少や製鋼所の事業縮小、製鉄所の減産など市況の低迷により、失業者が続出した。
井上敬之助(いのうえ けいのすけ、元治2年3月18日(186… 井上敬之助(いのうえ けいのすけ、元治2年3月18日(1865年4月13日) - 昭和2年(1927年)8月10日)は、滋賀県会議長、衆議院議員を務めた明治・大正期の政治家。滋賀県政の大御所として当時知事が二人いると言われた。 近江甲賀郡石部村(現滋賀県湖南市石部)に、石部宿本陣小島金左衛門の八男として生まれ、幼名を家之助と称した。明治3年(1870年)に医師であり石灰製造所を経営していた井上敬祐の養子となり、同20年(1887年)には敬之助と改名した。 明治20年(1887年)大津自由党の創始者の一人酒井有の紹介で、自由党系の活動に参加した、明治23年(1890年)板垣退助が愛国公党を再興すると、井上は『特に県下の青壮年層に呼びかけて同党の主義綱領を宣伝した』とされる。
大原 重右衛門(重右衞門、おおはら じゅうえもん、1861年… 大原 重右衛門(重右衞門、おおはら じゅうえもん、1861年6月12日(文久元年5月5日)- 1927年(昭和2年)5月9日)は、明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、滋賀県会議長。 近江国甲賀郡、のちの滋賀県甲賀郡土山村(土山町を経て現甲賀市土山町)で、農業、先代・大原重右衛門の二男として生まれる。漢学、数学、仏学を修めた。1881年(明治14年)4月、家督を相続した。 戸長、収税属、郡書記を務めた。滋賀県会議員に選出され、同常置委員、同議長、徴兵参事員、所得税調査委員などに在任。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(滋賀県第2区、無所属)で当選し、その後、進歩党に所属して衆議院議員に1期在任した。
西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6… 西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6年1月18日)- 1937年(昭和12年)6月23日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、滋賀県犬上郡千本村長。 近江国犬上郡西沼波村(滋賀県犬上郡千本村字西沼波を経て現彦根市)で、西田教寛の長男として生まれる。深見東岳から漢学を学んだ。1881年(明治14年)12月、家督を相続した。農業、商業を営む。 1884年(明治17年)10月、平田村外11ヶ村連合会議員・同議長に就任。以後、地蔵村外2ヶ村連合会議員・同議長、彦根沼波町外6ヶ町村連合会議員・同議長、今井水利土工連合会議員・同議長、犬上郡彦根町外101ヶ町村連合会議員、犬上郡所得税調査委員、滋賀県米質改良組合規則設定委員、滋賀県勧業諮問会員などを務めた。
島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日(18… 島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日(1858年11月17日) - 昭和2年(1927年)2月21日)は、衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)、ジャーナリスト。 近江国野洲郡中洲村大字新庄(現在の滋賀県守山市)出身。郷里で漢学を修めた後、京都に遊学した。1880年(明治13年)、滋賀県医学校に入学したが、翌年に東京に遊学した。東京で自由民権運動に参加し、1884年(明治17年)に自由党に入党。その後も立憲自由党の設立に尽力し、1892年(明治25年)から自由党滋賀県支部幹事を務めた。1894年(明治27年)、「淡海民報」を創刊し、1902年(明治35年)には「江州新聞」を創刊した。
水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(… 水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(安政4年12月27日)- 1936年(昭和11年)4月3日)は、日本の判事、検事、貴族院勅選議員。 近江国彦根出身。1884年(明治17年)、司法省法学校を卒業。徳島始審裁判所・大阪始審裁判所・大阪控訴院で判事を務め、京都地方裁判所部長・福井地方裁判所所長・岐阜地方裁判所所長を歴任した。1898年(明治31年)、大阪地方裁判所検事正となり、広島控訴院検事長・長崎控訴院検事長・大阪控訴院検事長を歴任した。その間、日露戦争の際には佐世保で捕獲審検所検察官を務めた。1913年(大正2年)、名古屋控訴院長に就任し、のち大阪控訴院長に転じた。1921年(大正10年)6月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属して死去するまで在任した。
鵜飼 退蔵(うかい たいぞう、1853年12月27日(嘉永6… 鵜飼 退蔵(うかい たいぞう、1853年12月27日(嘉永6年11月27日) - 1915年(大正4年)12月19日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 1853年(嘉永6年)11月、近江国栗太郡東坂村(後の金勝村、現栗東市東坂)に住いする鵜飼藤右衛門の長男として誕生し、近隣の私塾に入塾した後に京都の岩垣月洲に就いて経書典籍を修め、1870年(明治3年)帰郷した。1872年(明治5年)地租改正令公布に伴い穴村(現草津市)の駒井深美とともに地租改正委員に選ばれ、1879年(明治12年)4月20日第一回滋賀県議会が大津南町顕證寺において開かれた際は栗太郡より県会議員に選出され、以後30年間その職にあった。
河路 重平(かわじ じゅうへい、1853年8月18日(嘉永6… 河路 重平(かわじ じゅうへい、1853年8月18日(嘉永6年7月14日) - 1904年(明治37年)7月13日)は、明治時代の政治家。実業家。銀行家。貴族院多額納税者議員。滋賀県坂田郡長浜町長。 寺村喜右衛門の子として近江国坂田郡長浜町(現滋賀県長浜市)に生まれ、1872年(明治5年)醤油醸造業を営む河内重内の養子となり、1876年(明治9年)10月に家督を相続した。 1874年(明治7年)以降、坂田郡第十六区戸長、長浜町会議員、同町長のほか、第二十一、第六十四各国立銀行頭取、日本精米、日本汽船各取締役、近江製糸、長浜生糸米穀取引所各監査役などを歴任した。ほか、長浜銀行、長浜貯蓄銀行などの創立に関与した。
大橋 利左衛門 (おおはし りざえもん、1853年2月3日(… 大橋 利左衛門 (おおはし りざえもん、1853年2月3日(嘉永5年12月25日) - 1888年(明治21年)1月2日) は植林家・政治家。 1853年2月3日(嘉永5年12月25日)に近江国犬上郡(後の日夏村、現・滋賀県彦根市日夏町)に生まれる。1878年に日夏村の戸長となり、1881年には県会議員も務めた。1887年には日夏村から東海道本線が開通していた河瀬村南川瀬の区間に日夏街道を開通させるなど地域の交通面の整備を手がけた。 1872年当時の日夏村民たちは生活苦のために、荒神山の樹木を伐採し売却して生計を維持していた。乱伐のために荒神山はわずかな年月の間にはげ山となり治水機能が低下して土砂崩れがしばしば発生していた。
鹿島 秀麿(かしま ひでまろ、1852年10月10日(嘉永5… 鹿島 秀麿(かしま ひでまろ、1852年10月10日(嘉永5年8月27日) - 1932年(昭和7年)3月27日)は、日本の武士(徳島藩士)、明治期の政治家、ジャーナリスト、実業家。勲四等旭日小綬章。 近江国甲賀郡水口(現滋賀県甲賀市)で水口藩医師大村純道の次男として生まれた。幕末には徳島藩侍医鹿島家の養子となり、徳島藩に仕えた。明治維新後稲田騒動 (徳島藩家老の稲田邦植が淡路島の分藩を求めたことに対し、徳島藩士が激発した事件)に巻き込まれて藩職を去ったのち、上京して慶應義塾に学ぶ。神戸新報を立ち上げる。 帰淡後、教育・新聞出版事業に携わるとともに、立憲改進党に参加して兵庫県の自由民権運動の中心的存在となっていった。
伊夫伎 資弼(いぶき としすけ、1851年3月12日〈嘉永4… 伊夫伎 資弼(いぶき としすけ、1851年3月12日〈嘉永4年2月10日〉 - 1911年〈明治44年〉2月14日)は、明治時代の政治家、篤農家。衆議院議員(2期)。旧名は出雲。 近江国坂田郡伊吹村(滋賀県坂田郡伊吹町を経て、現米原市)で、伊吹神社社家・伊夫伎専右衛門の長男として生まれる。1871年(明治4年)10月に今の名前に改名する。国学を学んだのち神官となる。また、所得税調査委員、破産管財人、郡農会副会頭、県農会副会頭、県農工銀行取締役を務めた。 1889年(明治22年)6月に伊吹村会議員、同村長となった。1890年(明治23年)3月には、滋賀県会議員に阪田郡選挙区から立候補して当選した。
相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3… 相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3年11月22日) - 1924年(大正13年)1月26日)は日本の政治家、法学者、経済学者、代言人、横浜正金銀行頭取、専修学校創立者の一人・校長、専修大学創立者・初代学長。
沢田 耕治郎(さわだ こうじろう、1850年10月12日(嘉… 沢田 耕治郎(さわだ こうじろう、1850年10月12日(嘉永3年9月7日) - 1926年(大正15年)3月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 近江国蒲生郡、のちの滋賀県蒲生郡桐原村(現近江八幡市)で生まれる。漢学と法律学を学ぶ。戸長、桐原村会議員、同村長、滋賀県会議員、徴兵参事員、地方森林会議員、近江米同業組合会議員、蒲生倉庫(株)取締役社長、蒲生銀行頭取となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において滋賀県郡部から憲政本党公認で立候補して初当選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙で再選を果たした。1904年の第9回衆議院議員総選挙で三選した。衆議院議員を3期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙で落選した。
中田 長茂(なかた ながしげ、1850年(嘉永3年7月) -… 中田 長茂(なかた ながしげ、1850年(嘉永3年7月) - 1929年(昭和4年)1月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 近江国高島郡勝野村(のち滋賀県高島郡大溝村→大溝町→高島町、現・高島市)生まれ。漢学を学ぶ。高島郡書記、滋賀県属、滋賀県会議員、同参事会員、所得税調査委員、地方森林会議員、地方衛生会委員、近江銀行取締役、滋賀県農工銀行監査役、近江貯蓄銀行頭取となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において滋賀1区から同盟倶楽部所属で立候補したが落選した。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では立憲革新党所属で立候補して当選する。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で落選した。衆議院議員は1期務め、1929年に死去した。
磯部 亀吉(いそべ かめきち、嘉永2年7月10日(1849年… 磯部 亀吉(いそべ かめきち、嘉永2年7月10日(1849年8月27日) - 明治26年(1893年)11月29日)は、明治時代、滋賀県旧神崎郡(のちの八日市市、現在の東近江市)選出の県会議員。 磯部家は神崎郡上中村(現在の東近江市建部上中町)では裕福な家であった。明治21年11月から明治25年の間、県会議員に選出されている。上中村戸長から明治22年6月に建部村初代村長に就任する。当時の制度では村長は官吏ではなく官からの給与は支払われていなかった。 旧八日市市域選出の県会議員は市の規模と比較して少ないのは否めない。これは、当地域では政治性が希薄であったことによる。そういった中、磯部亀吉は当地域選出の議員としては非常に活躍した議員であった。
脇坂 行三(わきさか こうぞう /わきざか ぎょうぞう、18… 脇坂 行三(わきさか こうぞう /わきざか ぎょうぞう、1849年(嘉永2年2月) - 1914年(大正3年)9月7日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 1849年(嘉永2年)旧暦2月、近江国東浅井郡大郷村錦織(現:滋賀県長浜市)に生まれる。長じて豊後国中津の手島仁太郎、同国廣瀬孝之の私塾に入塾し、1871年(明治4年)横浜でドイツ語を修める。1879年(明治12年)東京府病院医学校を卒業し、同年医術開業試験を受け免状を得、帰郷し東浅井郡小谷村大字丁野にて医業に従事した。1880年(明治13年)地方衛生会員に任じられ、1885年(明治18年)7月滋賀県会議員選挙に立候補し当選する。1888年(明治21年)には県会常置委員に推され就任した。
布施 孫一郎(ふせ まごいちろう、1848年1月6日(弘化4… 布施 孫一郎(ふせ まごいちろう、1848年1月6日(弘化4年12月1日) - 1911年(明治44年)3月10日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 滋賀県出身。庄屋役、唐川村(のち七郷村、高月町を経て、現・長浜市)日吉社祠掌、同教導職試補、伊香郡教導職取締役、唐川村戸長、所得税調査委員、滋賀県勧業諮問会員、滋賀県会議員、伊香郡徴兵参事員、七郷村長、県蚕糸業取締所頭取、同蚕種検査所監督となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において滋賀県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1903年の第8回衆議院議員総選挙は不出馬。1911年に死去した。
初代 中小路 与平治(なかこうじ よへいじ、1845年(弘化… 初代 中小路 与平治(なかこうじ よへいじ、1845年(弘化2年6月) - 1922年(大正12年)12月18日)は、明治時代滋賀県の政治家。貞章(さだあき)と改名。 中小路与平治は、1845年(弘化2年)近江国蒲生郡西庄村(後の金田村、現滋賀県近江八幡市)に村井又兵衛の三男として生まれ、幼名を直次郎と称した。北脇醒斬に漢詩、儒学を修め、1867年(慶応3年)に郷総代を務める中小路健治の養子となり、1870年(明治3年)名を与平治に改める。 1871年5月23日(明治4年4月5日)に戸籍法施行の翌年戸長に就任し、1879年(明治12年)府県会開設後蒲生郡より第一回選出滋賀県会議員64名の一人として当選、その後常置委員に選出された。
井狩 弥左衛門(いがり / いかり やざえもん、1844年1… 井狩 弥左衛門(いがり / いかり やざえもん、1844年11月27日(弘化元年10月18日) - 1901年(明治34年)5月23日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。9代井狩弥左衛門。 近江国野洲郡江頭村(北里村を経て、現在の近江八幡市)に生まれる。富豪として桑園や水田を拓き米質改良組合を組織するなど農業発展に尽力する。1873年(明治6年)以降、滋賀県野洲郡第五区副区長、同区長、同郡七十八箇村連合村会議員、滋賀県会議員、野洲郡所得税調査委員、滋賀県農工銀行設立委員などを歴任する。近江帆布会社の設立にも尽力した。 1897年(明治30年)9月、滋賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月29日に就任したが、在任中に死去した。
林田 騰九郎(はやしだ とうくろう、1843年10月14日(… 林田 騰九郎(はやしだ とうくろう、1843年10月14日(天保14年9月21日) - 1899年(明治32年)9月5日)は、明治時代滋賀県の政治家。 1843年10月14日((旧暦)天保14年9月21日)、近江国甲賀郡相模村(現甲賀市)に生まれる。1872年(明治5年)甲賀郡第7区副区長、1874年(明治7年)同区長に選ばれ、地租改正時には甲賀郡総代として地価軽減運動に奔走した。1880年(明治13年)、第一回県議会が大津南町(現大津市)顕證寺において開かれ、騰九郎は甲賀郡選出県会議員として参加した。1884年(明治17年)4月9日の県会において騰九郎は「農商学校」設立建議案を提出し、これが後の滋賀県立商業(現滋賀県立八幡商業高等学校)設立に繋がる。