渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は… 渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は、日本の児童文化評論家。日本児童文学者協会会員。 京都府綾部市生まれ。兵庫県豊岡市で育ち、兵庫県立豊岡中学校卒、立命館大学予科中退、豊岡市内の小学校に勤務。53年上京、業界紙記者ののち、教育雑誌編集部に勤務、57年文学教育の会創立に参加(のち日本文学教育連盟)、常任委員(事務局長)を務める。
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渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は… 渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は、日本の児童文化評論家。日本児童文学者協会会員。 京都府綾部市生まれ。兵庫県豊岡市で育ち、兵庫県立豊岡中学校卒、立命館大学予科中退、豊岡市内の小学校に勤務。53年上京、業界紙記者ののち、教育雑誌編集部に勤務、57年文学教育の会創立に参加(のち日本文学教育連盟)、常任委員(事務局長)を務める。
村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月… 村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月2日 - 2010年(平成22年)3月18日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使、駐ドイツ連邦共和国大使などを歴任した。退官後、日米核持ち込み問題について、日米核密約の存在を実名で証言した。 京都府出身。旧制桃山中学校、旧制第三高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1952年(昭和27年)外務省入省。 ドイツ語研修、在ドイツ連邦大使館、経済局欧州課、在オーストリア大使館などを経て、経済局国際機関第二課長、在アメリカ合衆国日本大使館参事官、条約局参事官、中近東アフリカ局長、駐アラブ首長国連邦大使、駐オーストリア大使、経済局長、外務審議官(政務担当)、外務事務次官を歴任。
新田 博衞(にった ひろえ、1929年10月28日 - 20… 新田 博衞(にった ひろえ、1929年10月28日 - 2020年4月11日)は、日本の美学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。1955年京都大学文学部哲学科卒業。1960年京都大学大学院文学研究科博士課程美学美術史専攻修了。京都大学文学部助手(1961年4月-1964年3月)、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)講師(1964年4月-1966年3月)を経て京都大学教養部講師へ(1966年4月)。1968年4月より同助教授、1978年5月より同教授。1988年4月-1990年3月教養部長。1992年10月より総合人間学部教授に異動、1993年3月停年退官後、大阪芸術大学大学院教授(1993年4月-2000年3月)。
粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日… 粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日 - 1995年〈平成7年〉5月5日)は、日本のテキスタイルデザイナーである。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)卒業後、鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に勤務する傍ら、テキスタイルや油絵の制作を手掛ける。1955年(昭和30年)に上京した後に、フリーランスとしての活動を開始した。 その後は粟辻の作品が二科展や読売アンデパンダン展等に出品されたり、個展を開いたことにより数多くの賞を受賞する。1966年(昭和41年)にはフジエテキスタイルのデザイン主任に就任し、1988年(昭和63年)には多摩美術大学の教授となった。
岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 202… 岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 2025年2月22日 )は、日本の労働運動家。 京都市生まれ。1948年12月日本鋼管に入社し、電機課に配属となる。1953年明治学院大学経済学部卒業。1964年9月日本鋼管製鉄労働組合連合会中央執行委員調査担当を経て、のち同労組調査部長。1976年政策推進労組会議事務局次長。1978年日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)調査部長。1978年4月明治学院大学経済学部講師(1981年3月まで)。1982年全日本民間労働組合協議会(全民労協)調査局長(2002年まで)。1985年社団法人国際産業・労働研究センター事務局長。2000年財団法人社会経済生産性本部(2009年より日本生産性本部)社会労働部参与、労働研究センター事務局長。
好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 20… 好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 2010年9月23日 )は日本の歴史学者、社会運動家。専門は中国古代史。 京都府京都市生まれ。高校時代、平和運動に目覚める。1947年、岡山大学法文学部文学科1期生入学。1948年日本共産党入党。開学期の岡山大学学生運動を指導する。 岡山大学卒業後は広島大学大学院文化研究科を経て岡山大学文学部教官となる。 1961年、春日庄次郎らとともに日本共産党を批判、除名される。社会主義革新運動創設に参加し、その後共産主義労働者党に参加。 1969年、岡山大学闘争に際しては入試拒否27教官に名前を連ねる。 1973年、岡山大学教養部教官坂本守信の解雇処分に反対する教養部バリケード封鎖では学生らとともに教養部構内に立てこもる。
井川 徳道(いかわ のりみち、1929年3月20日 - 20… 井川 徳道(いかわ のりみち、1929年3月20日 - 2024年5月16日)は、日本の映画美術監督。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)デザイン科を卒業後、52年に綜芸プロ、近代映画協会美術の美術助手を経て、54年に東映京都撮影所と契約。58年に沢島忠監督の『江戸の名物男 一心太助』で初めて美術監督となる。以来、東映を中心に約135本の劇場用映画に携わった。後に東映美術センターに所属。さらに 大阪芸術大学映像学科非常勤講師、客員教授など後進の指導に従事してきた。 2003年に旭日小綬章受賞、2011年に京都府文化功労章受賞。 2024年5月16日、老衰のため死去。
大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 -… 大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 - 2017年(平成29年)7月31日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。日本オペラ協会の創立者であり、長年総監督を務めた。妻は大賀美都子(旧姓:大谷)。 京都府京都市出身。1955年(昭和30年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。長門美保歌劇団公演ドヴォルザーク『ルサルカ』日本初演や、藤原歌劇団青年グループへの参加など、バリトン歌手として多くのオペラ公演に出演する傍ら、1958年(昭和33年)教育オペラ協会を設立。1960年(昭和35年)教育オペラ研究会が日本オペラ研究会に改称。1970年(昭和45年)日本オペラ研究会が日本オペラ協会に改称。
金井 務(かない つとむ、1929年(昭和4年)2月26日 … 金井 務(かない つとむ、1929年(昭和4年)2月26日 - 2013年3月19日)は、日本の経営者。元日立製作所社長、会長。京都府出身。
薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 -… 薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 - )は、日本の英文学者、詩人、写真家。同志社大学名誉教授。 英国初期ロマン派が専門。詩誌『Ravine』編集・発行同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本翻訳家協会、日本写真協会、日本バイロン協会、関西詩人協会、京都現代詩協議会、京都写真芸術家協会、京都市芸術文化協会に所属。 京都市生まれ。1952年同志社大学文学部英文科卒、1954年同大学院修士課程修了。立命館大学専任講師、助教授、教授、同志社大学文学部教授、1999年名誉教授、東海学園大学経営学部教授。 1997年京都市芸術文化協会賞受賞。2010年瑞宝中綬章受章。
辻 ミチ子(つじ みちこ、1929年 - )は、日本の歴史学… 辻 ミチ子(つじ みちこ、1929年 - )は、日本の歴史学者。 京都府京都市生まれ。立命館大学大学院修士課程修了。2000年「転生の都市・京都 民衆の社会と生活」で博士(文学)。高校教諭ののち、宇治市歴史資料館館長、京都文化短期大学教授などを務めた。
井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 20… 井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 2022年1月9日)は、日本の映画監督。京都府出身。京都商業学校を経て、同志社大学文学部英文科卒業。 1950年、大映京都撮影所に入社、助監督となる。同期には土井茂、黒田義之、池広一夫らがいる。 助監督として溝口健二、森一生、吉村公三郎らについた。井上は森から映画を撮るテクニックを、溝口から「形而上学的な情念の世界」を学んだと述べている。1960年に『幽霊小判』で監督としてデビュー。井上によるとこの作品は『悪魔のような女』を時代劇にアレンジしたものだという。監督デビュー以降も『大菩薩峠』、『釈迦』では助監督を務めた。大映在籍中に21本の作品で監督を務めた。
野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - … 野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - 2012年4月29日)は、日本の経営者。京都新聞社社長を務めた。京都府京都市出身。 1951年に同志社大学商学部を卒業し、同年に京都新聞社に入社した。 1981年6月に取締役に就任し、1982年12月に常務、1983年3月に専務を経て、1987年6月には副社長に就任した。 1999年6月には社長に昇格し、2003年には会長も兼任し、2004年を以って、退任。 2012年4月29日脳出血のために死去。83歳没。
廣瀬 忠彦(ひろせ ただひこ、1928年10月22日 - )… 廣瀬 忠彦(ひろせ ただひこ、1928年10月22日 - )は、日本の園芸学者。香川大学名誉教授。専門は蔬菜園芸学(野菜園芸学)。京都府京都市東山区出身。 商家生まれのため京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)に入学したが、農学への道を志して1945年に京都府立農林専門学校に進学し、さらに京都大学農学部農学科に入学。卒業後の1952年に西京大学(現:京都府立大学)農学部農学科助手となり、論文「トウガラシの育種に関する基礎的研究」により、京都大学より農学博士の学位を受ける。 1969年に京都市から香川県に転居。香川大学農学部助教授、次いで教授となり、岡山大学・島根大学非常勤講師を兼任。
田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31… 田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31日 - 2006年〈平成18年〉5月16日)は、日本の俳優、田村高広と表記されることもある。阪東妻三郎の長男。弟は田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ元社長)、俳優の田村正和、田村亮、田村兄弟の長男である。夫人は日本舞踊家の花柳駒。異母弟に俳優の水上保広がいる。京都府京都市出身。身長170cm。後年は世田谷区三宿に住んでいた。 京都府京都市出生、東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。京都三中在学中に、動員学徒として愛知県の中島飛行機半田製作所で働いた経歴を持つ。
有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 20… 有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 2015年4月26日)は、日本の教育者、バッハ研究者、チェンバロ演奏者、同志社女子大学名誉教授。京都市生まれ。父はキリスト教神学者の有賀鉄太郎。のゆり自身もクリスチャン。オルガニストの木田みな子は妹であり、プラズマ物理学者、カナダ合同教会引退牧師、フルート奏者の有賀誠一は弟である。 同志社女子専門学校英文科卒業、アメリカ合衆国オッターバイン大学音楽学部卒業(ピアノ専攻)、ノースウェスタン大学大学院音楽研究科修了(音楽史専攻)。アメリカからの帰国後、一時、母校に勤務、その後、ドイツに留学し、エディット・ピヒト=アクセンフェルト教授、バロック音楽ブームをつくった大家のフリッツ・ノイマイヤー(de:Fritz Neumeyer (Musiker))教授らに師事、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ解釈、チェンバロ演奏などを学ぶ。
下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日… 下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日 - 2018年(平成30年)10月19日)は、生物学者(有機化学・海洋生物学)。 学位は理学博士(名古屋大学、1960年)。位階は従三位。ボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。 有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者、中でも生物発光研究の先駆者であり第一人者。旧制長崎医科大学、名古屋大学、プリンストン大学、ボストン大学、ウッズホール海洋生物学研究所などに在籍し、発光生物についての研究を継続。その中の一つ、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見は、その後生命科学、医学研究用の重要なツールに発展して2008年(平成20年)のノーベル化学賞受賞に結びついた。
三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25… 三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25日 - 2015年〈平成27年〉4月9日)は、日本の女優。本名:佐藤 幹子(さとう みきこ)。旧芸名は三条 美紀。京都府京都市右京区出身。血液型A型。父は俳優で大映の部長も務めた佐藤圓治。娘は元女優の紀比呂子。オフィスまとば所属。 京都で生まれ、日活に所属していた父が日活多摩川撮影所へ移るのを機に上京。東京都立桜水女子商業学校(現在の東京都立杉並総合高等学校)卒業。戦時中は、学徒動員により東芝府中工場の経理課で勤務していた。 戦後、大映東京撮影所経理課に勤務していたが、戦後になり大映がスターを発掘する中、永田雅一ら社内上層部の目に留まり演技課へ異動。
上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002… 上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002年1月27日)は、日本の児童文学作家。 息子の上野宏介はイラストレーター。 京都府京都市生まれ。本名は瞭(あきら)。父は炭や米を扱う商人で、戦後は食糧公団に勤め、京都米穀株式会社の役員となるが、晩年は不遇だった。母は眼を病んでいた。6人兄弟の長男。第二錦林尋常小学校時代から「少年倶楽部」を愛読するが、「よい子」「頑張る子」「できる子」への反発から佐藤紅緑と佐々木邦だけは読まなかった。 京都市立第二商業学校時代に太平洋戦争が開戦し、舞鶴へ学徒動員に送られる。立命館専門学校二部在学中から「木馬」「子ども・詩の国」に童話を発表し始める。同志社大学文学部文化学科に編入し、哲学を専攻して卒業。
久保 重男(くぼ しげお、1928年8月15日 - )は、京… 久保 重男(くぼ しげお、1928年8月15日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 烏丸商業、立命館大学を経て1950年に大洋ホエールズへ入団。同年退団。
中岡 哲郎(なかおか てつろう、1928年7月12日 - 2… 中岡 哲郎(なかおか てつろう、1928年7月12日 - 2024年1月6日)は、技術史学者、大阪市立大学名誉教授。 妻・百合は経済学者浅沼万里の妹。次男の中岡俊介は経済学者で国士舘大学准教授。 京都府生まれ。京都府立第一中学校卒業。海軍兵学校に進むが4か月で敗戦。1947年に第三高等学校に入学。自然弁証法研究会で広重徹と出会う。 1950年に卒業して京都大学進学。1953年京都大学理学部宇宙物理学科卒業。在学中1951年の京大天皇事件で昭和天皇への質問状を書いた。 1953年 - 1960年定時制高校教諭。1960年、『現代における思想と行動』で、三一新書の200点記念懸賞論文を受賞し、退職して薮内清の弟子となる。
石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 20… 石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 2001年6月30日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(神戸大学・論文博士・1980年)。神戸大学名誉教授、京都学園大学名誉教授。京都市出身。 1948年第三高等学校文科乙類卒業。1951年大阪大学法経学部卒業。同法経学部助手。1956年大阪大学法学部専任講師。1961年大阪市立大学経済学部助教授。1968年大阪市立大学経済学部教授。1969年神戸大学法学部教授。1975年神戸大学評議員。1980年神戸大学より法学博士の学位を取得。 1990年経済企画庁消費者保護功労者表彰。1991年3月31日神戸大学定年退官。同名誉教授。京都学園大学法学部教授。
渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 201… 渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 2014年12月8日)は、日本の作家・評論家。 本姓・小川。大丸に勤めて1976年、デパートの内幕を描いた『野望の椅子』で日本作家クラブ賞を受賞。企業小説、経営評論を多く執筆した。 1928年(昭和3年)7月3日、京都市中京区西ノ京冷泉町で生まれる。父親は岐阜県から小学校卒業と共に上洛して京都市電の運転士をしており、母親は小さな雑貨商をしていた。長男の一雄の2年下に妹、5歳下に弟がいたほか、祖父母も同居し、7人で暮らしていた。 西ノ京冷泉町や朱雀第六小学校の付近は京都市役所、繁華街の四条河原町と同じ中京区にもかかわらず、行政に忘れられたような寂しいエリアであった。
佐々木 剛三(ささき ごうぞう、1928年(昭和3年)7月1… 佐々木 剛三(ささき ごうぞう、1928年(昭和3年)7月1日 - 2002年(平成14年)5月26日)は、日本の美術史学者。 京都市出身。1951年(昭和26年)早稲田大学文学部美術史学科卒、1952年(昭和27年)京都国立博物館技官、1961年(昭和36年)早大文学部助手、1964年(昭和39年)専任講師、1967年(昭和42年)助教授、1972年(昭和47年)教授、1998年(平成10年)定年退任、名誉教授。長男は考古学者・明治大学教授・佐々木憲一(1962 - )。
五十棲 辰男(いそずみ たつお、1928年(昭和3年)4月2… 五十棲 辰男(いそずみ たつお、1928年(昭和3年)4月28日 - 2010年(平成22年)11月26日)は、京都府長岡京市出身の政治家。長岡京市長を務めた。社会福祉法人長岡京せいしん会の特別養護老人ホーム天神の杜の理事長。京都市立第一工業学校(のち京都市立洛陽工業高等学校)卒業。 京都市立第一工業学校を経て、1966年(昭和41年)長岡町農業委員会委員、1967年(昭和42年)長岡京市議会選挙で初当選。1979年(昭和54年)に自民党から長岡京市長選挙へ出馬し初当選を果たした。 3期12年の市長在任期間中は基金設立等による地下水の保全かん養などをして、1991年に3期目の任期満了をもって引退した。
中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 20… 中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 2001年8月26日)は、日本史・経営史学者。 大阪府出身。同志社中学校卒、旧制大阪高等学校卒、1954年大阪市立大学経済学部卒、年表編纂委員となる。関西国民文化会議、大阪総評十年史代表編纂委員。1969年「日本広告産業発達史研究」で中央大学商学博士。大阪産業大学助教授、教授、1972-1973年、1978年経営学部長、1998年定年、名誉教授。
奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 201… 奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 2018年3月2日)は、日本の政治家。京都市会議長・衆議院議員(6期)・文部大臣などの要職を歴任。従三位。 京都府綾部市出身。京都師範学校を卒業後、教員生活を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。早大卒業後、読売新聞記者となる。その後京都市会議員・同市会議長・京都府議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧京都1区から立候補し、落選した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では(現職の田中伊三次が公認を返上したため)唯一の自民党公認候補として選挙戦を戦い、初当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・川崎二郎・柿澤弘治など)。
堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日… 堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉10月4日)は、京都市出身の洋画家、文化功労者。東京都在住。 日本画家・堂本印象の甥。父は堂本四郎。妻は洋画家の洋画家の毛利眞美。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 謙哉(いとう けんさい、1928年3月1日 - )は、… 伊藤 謙哉(いとう けんさい、1928年3月1日 - )は、日本の天文学者、宇宙物理学者。立教大学名誉教授。 林忠四郎の弟子であり、宇宙線の研究者として知られている。私立大学キャンパスシステム研究会(略称『CS研』)の初代会長。京都府京都市出身。趣味はテニス。
樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日… 樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日 - 2013年(平成25年)12月4日)は、日本の小説家、随筆家、評論家。静岡県生まれ。本名・茂(しげ)。幼少時を満州で過ごし、1940年帰国。以後、京都に住む。45年京都市立堀川高等女学校卒業。57年、学徒戦犯を題材にした第一作『非情の庭』でデビュー。64年膠原病を発症、闘病生活を送る。75年仕事に復帰、以後、休養をくり返しながら、日本の古代史をテーマに文筆活動を続けた。
森田 富士郎(もりた ふじお、1927年12月14日 - 2… 森田 富士郎(もりた ふじお、1927年12月14日 - 2014年6月11日)は、日本の撮影技師、撮影監督、特撮監督。 1927年(昭和2年)、京都府葛野郡太秦村(現在の京都市右京区太秦)の出身。映画監督の黒田義之とは京都市立太秦小学校の同級生だった。1945年(昭和20年)、京都市立第一工業学校卒業。 1947年(昭和22年)、大映京都撮影所撮影部に戦後第一号入所。撮影助手として相坂操一キャメラマンに師事。当時、敗戦後の復員によって、京都撮影所は撮影助手だけで総勢40人の大所帯だった。相坂の他、杉山公平、宮川一夫の撮影助手も多数務めた。 1949年(昭和24年)、『幽霊列車』(野淵昶監督)、『透明人間現わる』(安達伸生監督)で円谷英二の特撮助手を務め、これが円谷との出会いとなる。
長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉… 長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2019年〈令和元年〉9月3日)は、日本の経済評論家。日本個人投資家協会初代理事長。 主な評論の対象は時事の経済評論の他、国内政治評論、国際政治、国際経済、軍事関係等である。国際経済・政治評論に製鉄・金属加工の切り口からの分析を加えている。 京都府出身。大阪府立茨木中学校(旧制中学校)大阪高等学校 (旧制)(後の大阪大学一般教養部南校)を経て大阪大学工学部冶金学科に入学し1953年(昭和28年)卒業。日本共産党に入党、「国際派」に属した志賀義雄衆議院議員秘書。1955年から1963年まで日刊産業新聞記者を経て、1963年に経済評論家として独立し、証券アナリスト業、評論家業を営み、著述や朝の情報番組へのテレビ出演なども行う。
12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭… 12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭和2年)11月20日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の実業家。大丸社長・会長。 京都府出身。大丸の創業家12代目当主。府立一中を経て、大阪大学経済学部を卒業。 1951年、大丸の主力行である三菱銀行に入行。ニューヨーク支店などに勤務。1965年に大丸に転じ、取締役となり、常務、専務を経て、1984年に社長に就いた。 梅田店出店のため、社長就任直前の1984年2月期に大丸は赤字決算に転落した。しかし、就任直後の1984年上半期(3~8月)の売上高は前年同期の7%増となった。このまま業績を回復軌道に乗せるため、1万人の労使あげて、サービス向上の「スクラム10,000運動」を始めた。
井関 昌孝(いぜき まさたか、1927年11月19日 - 2… 井関 昌孝(いぜき まさたか、1927年11月19日 - 2006年5月11日)は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。 愛媛県出身。1945年に立命館第一中学校を中退し、同年8月に井関農機に入社。1955年1月に監査役に就任し、1956年1月に取締役、1957年11月に常務、1960年11月に専務、1976年3月に副社長を経て、1977年12月には社長に就任。1988年2月に会長に就任し、1992年12月から相談役を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2006年5月11日食道がんのために死去。78歳没。
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- … 日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。
村上 信吾(むらかみ しんご、1927年 <昭和2年> 10… 村上 信吾(むらかみ しんご、1927年 <昭和2年> 10月21日 - 1999年<平成11年> 12月3日)は、日本の数学者。専攻は、代数学・幾何学。学位は、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 京都市出身。第三高等学校を経て、大阪大学理学部卒。 大阪大学理学部教授、プリンストン高等研究所員、シカゴ大学、グルノーブル大学、タタ基礎科学研究所、南開大学客員教授、大阪産業大学教養部教授を歴任。 フランスパルムアカデミーク勲章受章。 1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 20… 加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。京都府京都市上京区相国寺東門前町生まれ。 祖父・田辺玉田は北陸若狭の出身で、京都で活動の後、旅をしながら各地の風景を描いていく「旅の絵師」となり、旅先の一つ、広島県で結婚し、父・田辺勝也も広島で生まれた。祖父は広島を中心に中国地方で画家として活躍し、作品が二点広島県立美術館に収蔵されている。父は幼少期を広島で過ごした後に父(又造の祖父)と共に京都に移り住み加山勝也と改名。西陣織の図案家(デザイナー)となり、1927年、又造は京都で生まれた。 京都市立美術工芸学校(現 京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業。
寿岳 潤(じゅがく じゅん、1927年9月19日 - 201… 寿岳 潤(じゅがく じゅん、1927年9月19日 - 2011年9月14日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。父は寿岳文章、母は寿岳しづ、姉は寿岳章子。 京都府出身。国際天文学連合第51分科会(生物天文学)の副委員長を務め、日本における地球外知的生命体探査の第一人者として知られる。 父は英文学者・書誌学者の寿岳文章、母は翻訳家・評論家・小説家の寿岳しづ、姉は国語学者・随筆家・社会運動家の寿岳章子。1933年、一家で京都府向日市に転居し少年期を過ごした。
谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - 2… 谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - 2022年7月31日)は、日本のプロ野球審判員。所属はセントラル・リーグ。京都府出身(出生地はアメリカ・ニューヨーク)。 1927年、父親の駐在先であるニューヨークで生まれる。5歳で帰国した。 旧制同志社中学(現:同志社高校)、同志社大学から極東商事(現:三菱商事入社。選手時代は二塁手で、甲子園出場は無いが、大学では4年生時に主将を務め、1950年秋のリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を受賞している。また、1952年に社会人野球チーム・京都クラブで第23回都市対抗野球大会への出場経験がある。 大学卒業後、24歳から旧関西六大学野球と高校野球で審判員を務め、1955年から甲子園大会も担当。
伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日 - 2… 伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日 - 2006年6月9日)は、日本のろう教育者。ろう者の権利獲得、手話通訳の普及に尽力した。京都府福知山市出身。息子は合唱指揮者・作詩家の伊東恵司。 京都師範学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。大学卒業後の1949年、京都府立聾学校に勤務(1988年まで)。ろう教育の現場でろう者と関わる中で、手話通訳運動の普及、指導に尽力した。 1968年6月、福島県で行われた第一回全国手話通訳者会議において、ろうあ者の権利を守ることを立脚点とした「手話通訳論」を提唱した。1974年6月、全国手話通訳問題研究会の結成にあわせ、同研究会の初代運営委員長に就任。
山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2… 山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2013年12月31日)は、社会学者、広告研究者。 京都市出身。京都大学卒。立教大学大学院社会学修了、成城大学文芸学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中野 弘彦(なかの ひろひこ、1927年4月3日 - 200… 中野 弘彦(なかの ひろひこ、1927年4月3日 - 2004年3月4日)は日本画家。山口県生まれ。京都市育ち。
植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 20… 植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 2009年6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 参議院議員(5期)、総理府総務長官(第24代)、沖縄開発庁長官(第5代)などを歴任。 京都府生まれ。京都府立京都第一中学校を経て、第三高等学校にて学んだ。その後、東京帝国大学法学部に入学した。東京大学時代は学生運動に関わり、渡邉恒雄らとともに、共産党勢力を排除した新「新人会」の創設に加わった。またクリスチャンでもあったため、東大YMCA代表も務めた。 1950年に大学を卒業すると、日本放送協会に勤務した。その後、警視総監を経て政治家となった町村金五の秘書を務めた。 1962年、35歳の誕生日直後に京都府知事選挙に自由民主党公認で立候補するが、現職の蜷川虎三に敗れ落選。
高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年>… 高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年> 3月9日 - 2015年 <平成27年> 12月26日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 京都府京都市出身。1947年4月に滋賀銀行に入行し、1950年には立命館大学経済学部を卒業。1978年6月に常務、1984年5月に専務を経て、1987年8月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。1997年6月に会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2015年12月26日、心不全のために死去。88歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
内藤 昭(ないとう あきら、1927年3月7日 - 2007… 内藤 昭(ないとう あきら、1927年3月7日 - 2007年1月8日)は、京都府京都市出身の日本の元大映京都撮影所の美術監督。祖父は陸軍軍人の内藤新一郎。 京都工業専門学校建築科卒業後、1951年大映京都撮影所の美術助手として大映に入社。水谷浩に師事し溝口健二監督作品を手掛ける。1956年柳生連也斎 秘伝月影抄で美術監督に昇格。 大映京都を代表する美術監督の一人で、大映時代の主な担当作品には『座頭市シリーズ』、『眠狂四郎シリーズ』、1961年の『釈迦』、1966年の『大魔神』などがある。三隅研次監督とは相性が良く、まるで三隅の参謀の様であったという。 1961年の『釈迦』で映像技術賞美術特別賞を受賞。
奥村 恒哉(おくむら つねや、1927年1月25日 - 19… 奥村 恒哉(おくむら つねや、1927年1月25日 - 1991年)は、日本の国文学者。専攻は平安時代文学。 京都府宇治市生まれ。島根県出身。松江高等学校を経て、京都大学文学部卒業。和歌を中心に研究。鹿児島県立短期大学教授を長年務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。 項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。
柴田 藤祐(しばた とうすけ、1927年1月6日 - 201… 柴田 藤祐(しばた とうすけ、1927年1月6日 - 2015年6月27日)は、日本の経営者。淀川製鋼所社長を務めた。 京都府京都市出身。1951年に京都大学工学部冶金学科を卒業し、同年に淀川製鋼所に入社。1981年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に取締役相談役に就任。 2015年6月27日に死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木村 靜子(きむら しずこ、旧姓は桂、1927年 - )は、… 木村 靜子(きむら しずこ、旧姓は桂、1927年 - )は、日本の法学者。専門は刑法。成蹊大学名誉教授。指導教員は滝川幸辰。論文や基本書では「木村静子」と表記されることも多い。
磯辺 俊彦(いそべ としひこ、1927年 - 2012年6月… 磯辺 俊彦(いそべ としひこ、1927年 - 2012年6月)は、日本の農業経済学者。 京都市生まれ(原籍福岡県)。1952年東京大学農学部農業経済学科卒。農林省農業総合研究所に入所。1962年「佐賀平坦農業における生産力構造の研究 : いわゆる佐賀段階の構造分析」で農業博士(東京大学)。農業総合研究所農業経営研究室長、農村経済研究室長を経て、1982年千葉大学園芸学部教授。1993年東京農業大学農学部教授。1998年退職。磯辺塾を開設(2010年終了)。この間、1989年沖縄国際大学南島文化研究所特別研究員。1993-1994年日本村落研究学会会長。1998年『村落社会研究ジャーナル』編集委員会編集委員(顧問)。
川勝 昭平(かわかつ しょうへい、1927年 - )は、日本… 川勝 昭平(かわかつ しょうへい、1927年 - )は、日本の経済学者。青山学院大学名誉教授。Ph.D.(ウィスコンシン大学・1957年)。京都府生まれ。