瀧津 孝(たきつ こう、1962年1月29日 - )は、日本… 瀧津 孝(たきつ こう、1962年1月29日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、日本史激動期(戦国・幕末・第二次世界大戦等)研究家。 株式会社雲水舎代表取締役。本名、亘 孝夫(わたり たかお)。 京都府京都市出身。京都府立鴨沂高等学校、立命館大学法学部卒業。 1984年、読売新聞大阪本社に記者職で入社。1997年に退社し、フリージャーナリストへ転身。1998年に家庭用コンピューターゲーム専門の無料総合情報紙「GAMEゆーゆー(現ジャパニメイト)」を創刊し、ローカルメディアとしてのビジネスモデルしかなかったフリーペーパーを、日本で初めて同一紙面のまま全国流通させることに成功。月刊約40万部(公称部数)を国内全域の主要家電量販店や総合スーパーのゲーム売り場などで配布し、2013年まで発行人兼編集長を務めた。
安達 紀子(あだち のりこ、1959年 - )は、ロシア演劇… 安達 紀子(あだち のりこ、1959年 - )は、ロシア演劇研究家、エッセイスト、通訳、翻訳家。マリンスキー・オペラ友の会の会員。早稲田大学講師。 京都府京都市生まれ。旧姓・松岡。1983年京都産業大学外国語学部ロシア語学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科露文専攻修士課程修了。その後、1986年から1992年までモスクワで暮らし、映画撮影所モスフィルム、朝日新聞モスクワ支局、マールイ劇場などで通訳の仕事を行った。帰国後、早稲田大学大学院博士課程に入学してロシア演劇を研究する一方、演劇雑誌『悲劇喜劇』に評論を執筆。 1999年『モスクワ綺想曲』で小野梓記念賞受賞。同年、ロシア文化省よりプーシキン記念メダルを授与される。
高田 邦夫(たかだ くにお、1956年3月25日 - )は、… 高田 邦夫(たかだ くにお、1956年3月25日 - )は、日本のバッハ研究家。 京都府京都市出身。中学生時代にヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽に多大な衝撃を受け、京都大学を卒業後、技術者としてのキャリアの傍らバッハを独学で研究し、独自の理論を確立するに至るというユニークな経歴を持つ。その音楽以外の豊富な知識を活かし、バッハの音楽について「彼の音楽は宇宙そのもの」という宇宙論・宇宙物理学的解釈を展開している。 2004年、本格的な研究家転向にあたって活動拠点をバッハゆかりの地であるドイツのライプツィヒに移す。バッハ・アルヒーフやメンデルスゾーン音楽院での情報収集及び研究、毎週の聖トーマス教会でのモテットの取材のほか、音楽界・文化界の各著名人とも親交を結び、ライプツィヒ大学での講演、地元テレビへのインタビュー出演やツィッタウ新聞の表紙を飾るなど、精力的に活動する。
森西 真弓(もりにし まゆみ、1955年5月25日 - )は… 森西 真弓(もりにし まゆみ、1955年5月25日 - )は、上方芸能研究家、演劇評論家。元・雑誌「上方芸能」編集代表。大阪樟蔭女子大学名誉教授 。 京都市生まれ。京都女子高等学校(1974年)、京都女子大学文学部史学科日本史専攻(1978年)卒業。 テレビで歌舞伎の劇場中継を見て興味を持ったのが古典芸能に関心を持ったきっかけ。演じるよりも鑑賞することに興味を持ち、中学生の時には一人で『演劇界』を読んで京都南座に観劇に通っていた。大学では歌舞伎研究会で部長を務めた。 大学4回生の3月、雑誌『上方芸能』に編集者募集の記事を見つけて応募。7人の応募者の中から編集長の木津川計に採用され1978年5月から編集部員となる。
平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年… 平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年2月24日)は、日本の写真評論家、写真史研究家。 川崎市民ミュージアム学芸員、九州産業大学教授、大阪芸術大学非常勤、日本写真協会理事などを歴任。フリー以後、写真評論家という肩書きにこだわりを公言し、「時代性」「社会を映す鏡」「写真論写真」などの観点から写真批評や講義を行い多くの後進や写真家を育成した。 京都府宮津市に生まれ、小・中・高と京都市伏見区で育つ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。大学時代には写真部に所属。フォトギャラリー・プリズムでは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生らと立ち上げ、金銭面で閉廊したがその間自身の作品展示も行う。
矢野 環(やの たまき、男性、1949年5月24日 - )は… 矢野 環(やの たまき、男性、1949年5月24日 - )は、日本の数学者、茶道研究家、同志社大学文化情報学部教授。専門は数理文献学、茶道・華道・香道史、伝統文化論、応用多変量解析、数学。 京都市生まれ。1972年京都大学理学部卒、1977年同大学院理学研究科数学専攻博士課程修了、「b函数の理論について」で理学博士。1977年埼玉大学理学部数学科助手、1983年助教授、1995年教授、2005年同志社大学文化情報学部教授。 1999年茶道文化学術賞受賞。
山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山… 山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山之内滋美、1948年8月4日 - ) は、日本の歌手、女優、ロシア演劇・ロシア大衆歌謡ピェースニャ研究家である。 京都府京都市出身、大阪外国語大学ロシア語学科、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専修卒。関西芸術座、劇団三十人会、表現劇場に参加。吉田名保美事務所、中村企画(社長中村敦夫)を経て現在フリー。 在学中より演劇に惹かれ、女優を目指す(代表作参照)。ロシア語のできる女優は日本では少なく、他に栗原小巻が知られている程度である。ロシア演劇研究家としてはスターリンに粛清された悲劇の演出家メイエルホリドを永年のテーマとし、メイエルホリドの孫娘であり生涯をかけて祖父の名誉回復に尽力したマリヤとの深い親交があった。
八木 晃介(やぎ こうすけ、1944年9月 - )は、日本の… 八木 晃介(やぎ こうすけ、1944年9月 - )は、日本の社会学者、差別問題研究家。花園大学名誉教授。 京都市生まれ。1967年大阪市立大学文学部社会学科卒、毎日新聞記者となり、千葉支局、東京・大阪両本社学芸部で勤務した後、1991年退社、1992年花園大学文学部教授・同人権教育研究センター所長。2009年退職、特任教授、2015年名誉教授。上田正昭、水野直樹らと共に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人も務めている。また、部落解放同盟と連携し、部落差別問題に取り組んでいる。 安楽死、尊厳死の法制化に反対であり、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の世話人も務めている。 近年は禁煙ファシズムなど国家による健康統制に疑念を表明している。
山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日… 山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日不明 - 2015年(平成27年)7月)は、京都市出身の郷土史研究家。説話・伝承学会、京都地名研究会、世界鬼学会などの学会に所属した。 京都市立堀川高等学校から立命館大学へ進学し、同大学院(法学修士)卒業後は、京都府立桃山高等学校、京都府立大江高等学校、京都府立洛北高等学校を経て、京都教育大学付属高等学校にて教鞭を取り、加えて、京都教育大学の非常勤講師を兼務した。定年退官後は京都文教大学の非常勤講師を経て、京都リビング新聞カルチャー講座、ラボール学園(京都勤労者学園)、生涯学習センター(京都市、宇治市)にて「歴史・説話」「歴史人物伝」の講師を勤めた。
薬師 義美(やくし よしみ、1936年 - )は、日本の地理… 薬師 義美(やくし よしみ、1936年 - )は、日本の地理学者、ヒマラヤ研究家。第1回ゲスナー賞(銀賞)、第1回秩父宮記念山岳賞を受賞。 富山県生まれ、京都市出身。立命館大学文学部地理学科卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。大谷高等学校教諭を経て研究者となる。日本のヒマラヤ研究の第一人者として知られ、チベット山岳関係の著書、翻訳書を数多く手掛けている。 著書『新版ヒマラヤ文献目録』(白水社、1994年)で、第1回ゲスナー賞(銀賞)、第1回秩父宮記念山岳賞を受賞。
松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10… 松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10月24日)は、日本の著述家、奇術研究家。日本推理作家協会会員。 父は医師・育児評論家・歴史家の松田道雄。 京都府京都市出身。同志社大学経済学部卒業。学生時代から海外奇術やゲーム、マジックの文献の研究を始め、ラジオ関西勤務を経て、著述家として奇術やゲーム、ジョーク、ミステリ小説などについての評論や著述に専念。神戸市に在住。 1979年には第12回石田天海賞を受賞している。1980年『とりっくものがたり』で第33回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。1989年『ミステリ作家のたくらみ』で第42回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。
高木 智(たかぎ さとし、1935年6月10日 - 2011… 高木 智(たかぎ さとし、1935年6月10日 - 2011年8月6日)は、日本の折り紙作家・研究家。 京都府京都市生まれ。京都大学教育学部卒。日本折紙協会理事。おりがみ作家、おりがみ研究家。竹中宏らと、第三次「京大俳句会」を創設した。
西村暢夫(にしむら のぶお、1933年 - 2024年12月… 西村暢夫(にしむら のぶお、1933年 - 2024年12月6日)は、イタリア文化研究家、書籍輸入業者、翻訳家。(財)日伊協会評議員。 京都市生まれ。1956年東京外国語大学イタリア語科卒業。1975年国際交流基金の派遣で日本語講師としてヴェネツィアに滞在。株式会社文流取締役社長をへて会長。書籍の輸入、翻訳を行い、イタリアに日本人のための料理学校を設立し、日本でのイタリア料理普及など、日伊文化交流に尽くした功績で、1980年サンドロ・ペルティーニ大統領から教育・文化・芸術銀賞を授与され、99年イタリア政府から大騎士の称号を授かる。
渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 -… 渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 - 2004年2月11日)は、日本の漢方薬・椿研究家。 京都市生まれ。1935年京都薬学専門学校(現京都薬科大学)卒業。1939年東京帝国大学医学部薬学科選科修了。在学中に湯本求真の紹介により荒木性次に師事。1941年武田薬品株式会社研究所入社。1947 - 62年厚生省日本薬局方制定委員会委員。宮内庁より正倉院薬物調査を委嘱され、1956年「正倉院薬物の研究」で京都大学薬学博士。67年武田薬品を定年退社。1976年薬局・薬店・薬剤師、薬種商の東洋医学及び漢方の食養の研鑽の場として草古堂薬室方技塾を発足、77年日中医薬研究会に改称(会長)。
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 199… 藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 1995年2月11日)は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。 京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加。 戦後、日本史研究会創設に参加。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力。
奥田 久司(おくだ ひさし、1908年(明治41年) - 1… 奥田 久司(おくだ ひさし、1908年(明治41年) - 1987年(昭和62年)9月10日)は日本の映画プロデューサー、映画史研究家。 1908年(大正15年)生まれ。旧制京都一中を卒業後、映画界か小説家か進路に迷った末に、早稲田大学ロシア文学科に入学。 1934年(昭和9年)、早大を病気で中退し、銀座にあった映画の通信社の「日本演芸通信社」に入社。デスクを務め、7年間在籍する。 1941年(昭和16年)、映画界への夢をあきらめられず、友人の紹介で北京の国策映画撮影所「華化映画」に入所。 1944年(昭和19年)、「大日本映画製作株式会社」に入社。監督志望だったが、企画部に配属となる。 1945年(昭和20年)、日本敗戦。
淡川 康一(あわかわ こういち、1902年6月1日 - 19… 淡川 康一(あわかわ こういち、1902年6月1日 - 1976年12月3日)は、日本の経済学者・地理学者・禅画研究家、立命館大学名誉教授。 京都府生まれ。京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)で学び、1921年、20歳の時、名古屋高等商業学校に一期生として入学して、宮田喜代蔵 (1896-1977) の経済学などを学んだ。1924年、京都帝国大学経済学部独逸経済学科に入学。財部静治 (1881-1946) 教授の統計学に傾き、経済地理学へと向かう。1927年京都帝国大学経済学部卒。立命館大学教授、1967年定年退任、名誉教授、大阪学院大学教授。 禅画の研究、蒐集を行った。
南江治郎(なんえ じろう、1902年4月3日 - 1982年… 南江治郎(なんえ じろう、1902年4月3日 - 1982年5月26日、別名筆名、南江 二郎)は京都府亀岡市出身の、大正・昭和期の日本の詩人、人形劇研究家。1934年(昭和9年)NHKに入局、企画部長、編成局長、専務理事を歴任し、1953年(昭和28年)顧問となる。 元財団法人都民劇場理事。元CBC嘱託。元南海電鉄顧問。文部省芸術祭実行委員、文部省「芸術選奨」選衡委員、日本詩人クラブ常任理事、日本文芸家協会員。ITI国際演劇協会日本センター理事。 早稲田大学で坪内逍遙、小山内薫らに学び、中退。1921年(大正10年)に処女詩集「異端者の恋」を出版、1922年(大正13年)に詩誌「新詩潮」を主宰。
加納 一郎(かのう いちろう、1898年(明治31年)7月1… 加納 一郎(かのう いちろう、1898年(明治31年)7月19日 - 1977年(昭和52年)7月12日)は、日本の作家、翻訳家、登山家、極地研究家。 大阪の道頓堀に生れる。5、6歳の頃、父の仕事の都合で京都へ転居、少年時代を過ごす。1911年(明治44年)、京都府立第一中学校に入学した。1915年(大正4年)夏、加納に終生の山心を植え付けた恩師の金井千仭に連れられて、級友ら数名と御嶽山、槍ヶ岳に登る。同年、全国の中学に先駆けて山岳部を創設する。 1916年(大正5年)、北海道帝国大学農学部(入学当時は「東北帝国大学農科大学」。在学中の1918年に北海道帝国大学となる)に入学。スキー部に在籍し、板倉勝宣、松川五郎らと登山とスキーに打ち込み、1920年(大正9年)に積雪期の十勝岳、1922年(大正11年)冬季の旭岳などの初登頂を果たす。
森本 厚吉(もりもと こうきち、1877年3月2日(明治10… 森本 厚吉(もりもと こうきち、1877年3月2日(明治10年3月2日) - 1950年(昭和25年)1月31日)は、日本の経済学者・教育者・文化生活研究家。
福田 眞人(ふくだ まひと、9月19日 - )は、日本の比較… 福田 眞人(ふくだ まひと、9月19日 - )は、日本の比較文化、医学史研究家、名古屋大学名誉教授、名古屋外国語大学教授。 京都市生まれ。父は日本画家福田巌笑、母は俳人の福田万紗子[要出典]。京都大学工学部資源工学科在学中に、京都教育大学教育学部附属高等学校の英語教師だった詩人沢井淳弘(後の京都産業大学教授)の影響で、同人誌「Trabali」、「文芸林泉」を西村豪人らと刊行して、小説を執筆した[要出典]。 卒業後、東京の出版社勤務を経て、1981年東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程入学、芳賀徹に師事。特に日英の医学、疾病の歴史、ヴィクトリア朝英国と明治日本を比較文化史的に研究している。