伊藤 勲(いとう いさお、1944年 - )は、日本の経営者… 伊藤 勲(いとう いさお、1944年 - )は、日本の経営者。株式会社イトゥビル取締役社長。 1944年、兵庫県神戸市生まれ。1967年、慶応義塾大学経済学部卒業。1970年、伊藤忠商事入社。2000年、同社退職。1994年、イトゥビル取締役社長。2000年、伊藤忠兵衛基金理事長、大阪ロータリークラブ入会。2003年、甲南学園甲南小学校理事長。 曾祖父は伊藤忠商事・丸紅創業者の初代伊藤忠兵衛。祖父・2代目忠兵衛、父・恭一、勲と3代にわたり伊藤忠商事会長を務める。母方の祖父は陸軍大将の本郷房太郎である。
藤本 勝司(ふじもと かつじ、1943年(昭和18年)7月2… 藤本 勝司(ふじもと かつじ、1943年(昭和18年)7月28日 - )は、日本の実業家。日本板硝子社長を務めた。 兵庫県出身。甲陽学院高等学校、京都大学工学部工業化学科を経て、同大大学院工学研究科を修了。1968年(昭和43年)4月、日本板硝子に入社。 2004年(平成16年)に社長に昇格し、後ろ盾となった出原洋三会長とともに最大手の旭硝子(現・AGC)に対抗してグローバル化を推し進めたが、後任に据えた外国人社長が相次いで辞任するなどの人事上の混乱を招き、またリーマンショックなどの影響で巨額の赤字を計上する事態となり、12年にはムーディーズ・ジャパンからグループ全体の信用格付けがBa3に引き下げられた。
田岡 満(たおか みつる、1943年5月26日 - 2012… 田岡 満(たおか みつる、1943年5月26日 - 2012年10月8日)は、日本の実業家、映画プロデューサー、歌手。
水野 正人(みずの まさと、1943年5月25日 - )は、… 水野 正人(みずの まさと、1943年5月25日 - )は、日本の実業家。元ミズノ代表取締役会長。公益財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長。兵庫県芦屋市出身。 祖父はミズノ創業者の水野利八。父はミズノ元会長・社長の水野健次郎。弟はミズノ社長の水野明人。
宮崎 恒彰(みやざき つねあき、1943年2月9日 - )は… 宮崎 恒彰(みやざき つねあき、1943年2月9日 - )は、日本の実業家。元阪神電気鉄道取締役、阪神タイガースの元オーナー、取締役。 1961年、甲陽学院高等学校卒業(42回卒)。1965年、神戸大学経営学部卒業後、同年、阪神電気鉄道へ入社。経理・企画部門などを経て、1988年、関連企業の山陽自動車運送に出向後、1996年に本社取締役、2000年に常務、社長室副室長、2004年に代表取締役専務を歴任した。2002年6月に阪神コンテンツリンク代表取締役社長、7月に阪神タイガース取締役に就任。2006年から2008年6月25日まで阪神タイガースのオーナーを務めた。その他には朝日放送取締役も務めた。
竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )… 竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )は、日本の技術者、実業家。ノーリツ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス石油機器工業会会長などを務めた。 兵庫県明石市出身。1965年大阪府立大学工学部金属工学科卒業。1967年能率風呂工業(現ノーリツ)入社。1985年取締役技術研究所副所長に昇格。1995年常務取締役。1997年専務取締役営業本部長。1999年から代表取締役社長を務め、「地球環境と人へ配慮する」を理念に、ゼロ・エミッション に向けた取り組みにあたった。2004年代表取締役会長。2007年日本ガス石油機器工業会会長。2009年ノーリツ取締役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日… 長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。帝人代表取締役社長や、同社取締役会長、経済同友会副代表幹事、日本化学繊維協会会長、イオン取締役報酬委員会議長などを務めた。 日本統治時代の朝鮮の馬山で生まれる。 日本の降伏後引き揚げ、広島県を経て、英語教師だった父の仕事の関係で、小学校3年のときに京都府から兵庫県篠山町に移り、1955年篠山町立篠山小学校卒業。1958年篠山町立篠山中学校卒業。1961年兵庫県立篠山鳳鳴高等学校卒業。中学・高校では軟式テニスに打ち込んだ。 1965年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、帝人入社。パラ型アラミド繊維テクノーラの開発などを経て、セールスエンジニアとなる。
久保 昌三(くぼ まさみ、1943年1月1日 - )は、日本… 久保 昌三(くぼ まさみ、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。上組代表取締役会長、日本港運協会会長、海事振興連盟副会長。兵庫県倉庫協会理事、兵庫県防衛協会理事、神戸商工会議所常議員。神戸港開港150年記念事業実行委員会 名誉顧問。 神戸市出身、東京都在住。1962年(昭和37年)大阪福島商業高校(履正社高等学校)卒業。1963年上組入社、1995年取締役、1997年常務、1999年専務。2004年6月29日、代表取締役社長に就任。2009年6月10日、日本港運協会会長に就任。日本港運振興株式会社代表取締役社長、 青海流通センター株式会社代表取締役会長、株式会社ワールド流通センター代表取締役会長に就任。
上田 彰(うえだ あきら、1943年 - )は、日本のフリー… 上田 彰(うえだ あきら、1943年 - )は、日本のフリーアナウンサー、実業家。芸能事務所「オフィスキイワード」の創業者・代表取締役社長。 兵庫県伊丹市出身。関西学院大学卒業。大学卒業後、広告代理店の協同広告に入社し、サラリーマンとして広告やイベントの企画業務に従事する。 1971年に退職し、フリーアナウンサーとしてデビュー。ラジオパーソナリティ、ナレーターなどの放送メディアでの活動のかたわら、イベント司会なども行う。1981年にオフィスキイワードを創業。 作詞家・コピーライター・放送作家・音楽プロデューサーとしても活動する。「キイワードアナウンススクール」の校長として後進の指導も行っている。
辻 卓史(つじ たかし、1942年10月3日 - )は、日本… 辻 卓史(つじ たかし、1942年10月3日 - )は、日本の実業家。鴻池運輸代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務め、東京証券取引所一部上場を実現した。 中華民国上海租界生まれ。本籍は広島県広島市。兵庫県芦屋市出身。一橋大学商学部を卒業し、中安閑一の誘いで宇部興産(現:UBE)に入社。同社のニューヨーク駐在員などを経て、1983年に妻の実父が会長を務める鴻池運輸に転じる。1989年代表取締役社長に就任。2003年より同社代表取締役会長。売上高を4倍以上に伸ばし、2013年には東京証券取引所一部上場を実現した。 この間、加藤産業監査役、成田航空ビジネス専門学校名誉校長、大阪府トラック協会会長、全日本トラック協会副会長、関西経済同友会幹事、大阪商工会議所運輸部会副部会長、在大阪ブータン王国名誉領事、日越関西友好協会理事、日本物流団体連合会理事、関西生産性本部特別顧問、大阪通関業会顧問、日本通関業連合会名誉顧問等も歴任した。
王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、… 王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、兵庫県神戸市出身 の実業家。北海道函館市を中心としたハンバーガーショップチェーン・ラッキーピエロの創業者である。 両親は神戸市で呉服商や化粧品店を営んでいた華僑。兵庫県立神戸商業高等学校卒業後、千葉で叔父の仕事を手伝う。21歳で独立して中華料理店を経営した後、27歳より函館に移住。パブを数店経営したのち、1987年にラッキーピエロ1号店・函館ベイエリア本店を開店した。看板メニューの「チャイニーズチキンバーガー」は年間55万食を超える人気を誇り、ご当地バーガーとして認知されている。経営理念は「愛を込めた社員教育とお客様主導の顧客満足型経営」。
塚本 哲夫(つかもと てつお、1942年2月13日 - )は… 塚本 哲夫(つかもと てつお、1942年2月13日 - )は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1964年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に六甲バターに入社。1974年2月に取締役を就任し、1977年3月に常務、1979年3月に副社長を経て、1985年3月には社長に就任。2015年1月から2021年3月までに会長を務めた。
野崎 勝義(のざき かつよし、1942年1月27日 - )は… 野崎 勝義(のざき かつよし、1942年1月27日 - )は、日本の実業家。元阪神タイガース球団社長。 兵庫県西宮市出身。神戸市外国語大学外国語学部英米語学科を卒業して、1965年に阪神電気鉄道に入社した。入社後は同社航空営業部(現・阪急阪神ビジネストラベル)に配属され、航空営業一筋に歩む。 1996年同社航空営業部本部旅行部長から阪神タイガースへ出向、同球団の常務取締役に就任した。以降、選手の給与査定改善や球団フロント改革に務める。「タイガースなんてちっちゃい会社。強い、弱いと騒がんでええ」と成績を気にしなかったオーナーの久万俊二郎を説得し、野崎が役員に就任した1996年、球団が赤字になったことを契機に久万は電鉄本社からの資金提供を認めた。
泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - 20… 泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - 2024年11月15日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。泉興業株式会社代表取締役。 尼崎青年会議所理事長、自民党尼崎支部支部長、自民党国会対策委員会委員などを歴任。 兵庫県尼崎市出身。大阪商業大学商経学部を卒業後、産業廃棄物処理会社・泉興業の代表取締役に就任した。尼崎青年会議所の理事長などの役職も務めた。 1976年5月、紺綬褒章を受章する。 1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙で旧兵庫2区より無所属で立候補し、落選した。2003年10月、環境大臣表彰を受ける。 第42回衆議院議員総選挙と第43回衆議院議員総選挙にも立候補したが落選。
伊藤 正視(いとう まさみ、1941年9月20日 - )は、… 伊藤 正視(いとう まさみ、1941年9月20日 - )は、日本の経営者。伊藤ハム社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に伊藤ハムに入社。1970年に取締役に就任し、1977年5月に常務、1986年3月に専務を経て、2002年10月に社長に就任。2006年5月に取締役に降格。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西岡 浩史(にしおか ひろし、1941年9月12日 - )は… 西岡 浩史(にしおか ひろし、1941年9月12日 - )は、兵庫県出身のアマチュア野球選手(一塁手)、実業家。野球選手引退後は東芝グループで要職を務めた。 芦屋高校では一塁手として活躍。1年上のエース藤悟郎を擁し、1958年春の選抜へ出場。1回戦で宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園県予選は準々決勝で兵庫工に敗れる。翌1959年も春の選抜に連続出場。1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。高校同期には安藤敏雄、広瀬幸司のバッテリーがいた。 卒業後は慶應義塾大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1962年秋季リーグ、1963年春季リーグに優勝。
江崎 勝久(えざき かつひさ、1941年(昭和16年)8月2… 江崎 勝久(えざき かつひさ、1941年(昭和16年)8月27日 - )は、日本の実業家。江崎グリコの社長。灘中学・灘高等学校同窓会会長。
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2… 葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2022年5月25日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長・代表取締役会長・代表取締役名誉会長、取締役名誉会長を歴任した。他に、学校法人海陽学園理事長を務めた。 兵庫県明石市生まれ、東京都杉並区育ち。井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。 1940年10月20日に、父・葛西順夫(のぶお)と、母・益世(旧姓:本庄)の間に兵庫県明石市で生まれた。 父は旧制明石中学校に勤務していた国語科(漢文)の教員で、敬之が生まれてほどなくして一家で上京。父からは『論語』や日本の古典の講義を高校終わりまで受けた。
山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 201… 山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 2016年1月18日)は、日本の経営者。神戸新聞社、デイリースポーツ各社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1964年早稲田大学第一政治経済学部卒業後、神戸新聞社入社。1993年取締役、1995年常務を経て、1997年社長就任。2003年会長を経て、2005年相談役。1995年阪神淡路大震災の際には本社屋に大きな被害が出る中で、編集局長として京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1997年から2003年までにデイリースポーツ社長も務めた。 2016年1月18日腎不全のために死去。75歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャ… 馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャイアント馬場夫人で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。
大橋 太朗(おおはし たろう、1939年8月31日 - 20… 大橋 太朗(おおはし たろう、1939年8月31日 - 2021年1月28日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県芦屋市西山町出身。兵庫県立芦屋高等学校を経て、1962年に関西学院大学商学部卒業、高校時代は鉄道研究会に所属するほどの鉄道好きが高じて、京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1990年取締役に昇格。1992年常務取締役。1995年専務取締役。1998年代表取締役専務取締役。 1999年から阪急電鉄代表取締役社長を務めたが、株主総会をめぐりトラブルが発生し、2002年には芦屋市西山町の自宅雨戸などに銃弾が撃ち込まれる事件が発生し、翌2003年代表取締役会長に退いた。
柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は… 柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は、日本の実業家。京都銀行名誉顧問、関西経済連合会副会長、関西文化学術研究都市推進機構(前理事長)。京都市観光協会会長。京都府観光連盟会長。2006年11月藍綬褒章、2019年旭日中綬章を受章。 1939年兵庫県神戸市に生まれる。川崎重工業に勤めていた父が知多工場へ転勤となったため、愛知県半田市に移住。半田高校を経て滋賀大学経済学部を卒業。就職の際には就職難の時代で苦戦を強いられたが、首尾よく京都銀行への入行が決まった。初任地は三条支店(京都市)で本出納補助を担当。次に総務部に移動となり経費を担当。コンピュータ関係の費用や機器の保守料などを削減し、成果を出した。
菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、… 菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、日本の新聞記者、実業家。日本経済新聞記者、同専務取締役後、テレビ東京社長、同会長を経て、現在は学校法人渡辺学園(東京家政大学等を運営)理事長。 兵庫県出身。妻は清泉女子大学副学長を務めた菅谷孝子。 中学校から大学までテニス選手として活躍し 、1957年には広瀬均(後にデビスカップ日本代表選手、監督)とのコンビで全日本ジュニアテニス選手権男子ダブルスで優勝している。 テレビ東京の社長としては、月1回のペース(年9 - 10回)で行われる社長定例会見において、本来経営者としてタブーであるライバル局への攻撃や個人としての私見などの発言をすることで有名であった。
井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日… 井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社。1965年にヤカ東京工場が設立されると工場長となり、1968年に取締役に就任すると松戸青年会議所の活動に加わる。1977年にヤカ常務に就任すると共に松戸青年会議所理事長。1979年には麻生太郎の後任として日本青年会議所会頭となり、オーナー経営者や二世の多いJCにあって初の高卒・サラリーマン重役出身の会頭として話題を呼んだ。 1983年にヤカ社長となるとともに第13回参議院議員通常選挙に自民党公認(名簿29位)で比例区から立候補、1986年の第14回参議院議員通常選挙でも立候補する(名簿24位)がどちらも落選に終わる。
和田 憲昌(わだ のりまさ、1938年12月7日- )は、… 和田 憲昌(わだ のりまさ、1938年12月7日- )は、日本の経営者。和田興産社長、会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1962年に慶應義塾大学法学部を卒業。三ツ星ベルトでの勤務を経て、1966年に和田興産に転じ、1982年には社長に就任。2008年5月に会長に就任。 2019年5月に旭日双光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7… 神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月27日)は日本の元歌手、元俳優、実業家。本名:前原 正捷(まえはら まさかつ)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科大学卒業[要出典]。芸名は、デビュー前にレコード店で芸名を募集したうえで、作曲家の上原げんとによって命名された。歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった[要出典]。 高校時代から、のど自慢に出場し、1957年(昭和32年)、第8回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になる。 同年12月、「十代の恋よさようなら」でデビュー。
土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は… 土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、学校法人大阪産業大学理事長などを務めた。 兵庫県宝塚市出身。1961年神戸大学経済学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。1982秘書室長。1989年取締役広報室担当。1991年常務取締役。1993年専務取締役。1999年から代表取締役社長を務め、不採算事業の整理などを進め全事業の黒字化を達成した。同年、日本ダクタイル鉄管協会会長に就任。2003年に相談役に退いた。2008年社友。2009年学校法人大阪産業大学理事長。
樋口 武男(ひぐち たけお、1938年4月29日 - )は大… 樋口 武男(ひぐち たけお、1938年4月29日 - )は大和ハウス工業代表取締役会長兼CEO。
松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6… 松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6日 - 2025年(令和7年)8月29日)は、日本の実業家、馬主。 兵庫県明石市に本社を置く船舶用部品メーカー・株式会社きしろの代表取締役会長を務めたほか、「メイショウ」の冠名を用いる馬主として多くの競走馬を所有したことでも知られていた。 1938年(昭和13年)1月6日、兵庫県明石市出身。きしろ発動機株式会社(当時)の社長であった松本金次の長男として生まれる。父の経営する工場に出入りするなどして理系を志し、千葉工業大学工業経営学科に進学。6年かけて同大学を卒業、卒業研究のテーマは「自動車部品プレス加工工程の短縮」であった。1962年(昭和37年)にきしろ発動機入社、その後取締役専務を経て、1972年(昭和47年)、父の急逝に伴い社長に就任した。
伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2… 伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2011年2月20日)は、日本の経営者。伊藤ハム社長、会長を務めた。創業者伊藤傳三の長男。 兵庫県神戸市出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。1959年6月に伊藤ハム取締役に就任し、1965年に常務、1977年5月に専務を経て、1981年7月に社長に就任。2002年10月に会長に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2011年2月20日、急性肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 … 松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長を務めた。 兵庫県神戸市出身、在住。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。若いころは営業を担当した。 1985年6月に取締役に就任して以降も開発を担当しており、現場との接点が多く、「現場の声を聴いて組み立てる」のが持論だった。量販店が周囲に多い川西阪急ではアクセサリーなど身の回り品の充実、商圏が狭い宝塚阪急では商品の絞り込みで成功した。その後は常務、専務に就任。1992年(平成4年)ごろ、当時社長の福光尚次からの要請で、次期社長の修行も兼ね、東京店舗事業本部長に就任。赤字が続いた首都圏3店舗(東京大井店=大井阪急、有楽町阪急=阪急百貨店#阪急メンズ東京、数寄屋橋阪急=現在は閉店)の問題を担当した。
村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日… 村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日本の実業家。兵庫県芦屋市出身。米カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営学部大学院修士課程修了。米国IBM入社(1962年)N.Y.ミッドタウンオフィス勤務。1960年春、UCLAの入学手続きに行った際、受付の隣にはIBM社が寄付したウェスターンデータセンターがあり、中にはIBM7090が稼働していた。そのそばには江崎ダイオードが飾られていた。世界初の半導体コンピュータを目の当たりにして、深い感動を覚え、コンピュータ業界に骨をうずめる決心をした。当時、コンピュータの実物を目の当たりにした数少ない日本人であったろう。卒業後、米国IBMに入社し、30年間日米はじめ、カナダ、中南米、オーストラリア、アジアなどを担当した。
大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )… 大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )は、日本の実業家、ゴルフ評論家、ゴルフ場設計者。 兵庫県西宮市生まれ。1959年、関西学院大学を卒業し住友ゴム工業の前身である日本ダンロップに入社。大学時代にゴルフ部に所属(主将まで務めた)していた経験を生かしてゴルフ用品の開発などに携わる[要出典]。 1973年、同社の関連会社でゴルフ競技運営などを行うダンロップスポーツエンタープライズの設立と同時に出向の形でマネージャーとして入社。トーナメントプロデューサー・ディレクターとして「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」など数多くのゴルフトーナメントを手掛けた。トーナメントのプロデュースをしていくうちにゴルフ場設計の重要性を痛感するようになり、ゴルフ場設計に本格的に乗り出す[要出典]。
二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月… 二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉8月10日)は、日本の実業家。従四位旭日重光章。 元ジャスコ社長、副会長、イオン名誉相談役、日本体操協会名誉会長、元日本チェーンストア協会会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業と同時に、父親である二木一一創業のフタギ株式会社に入社。常務取締役等を歴任後、1970年ジャスコと合併した後、取締役、取締役社長に就任。 その後、取締役副会長、相談役を歴任し、社名がイオンに変更された2001年には、日本体操協会会長に就任。 1995年(平成7年)5月15日 春の褒章で藍綬褒章を受章。
矢野 恵一朗(やの けいいちろう、1936年11月19日 -… 矢野 恵一朗(やの けいいちろう、1936年11月19日 - 2016年7月15日)は、日本の経営者。みなと銀行頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。1959年に神戸商科大学商業経済学部経営学科を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1988年6月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1992年6月にさくら銀行常務、1995年6月に専務を経て、1996年6月には阪神銀行頭取に就任し、1999年4月にはみなと銀行頭取に就任。2002年6月に特別顧問に就任。 2007年4月に旭日小綬章を受章。 2016年7月15日、病気のために死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
畑崎廣敏(はたさき ひろとし、1936年10月3日 - )は… 畑崎廣敏(はたさき ひろとし、1936年10月3日 - )は、日本の実業家。大手アパレルであるワールド創業者であり、現在はワールド社主。 1936年(昭和11年)兵庫県津名郡鮎原村(現・洲本市五色町鮎原)に農家の6人兄弟の次男(4人目)として生まれる。1955年(昭和30年)に兵庫県立洲本商業高等学校(現在の兵庫県立洲本実業高等学校)を卒業。就職希望は金融で大手都市銀行を受験したところ、最終選考まで残ったが採用されなかった。恩師に頼み込んで紹介してもらい神戸市の株式会社光商会(現在の株式会社エンパイヤー)への就職を決めたという。 就職した株式会社光商会は、社員20人ほどの零細企業だった。入社当時から独立を志していた畑崎は在籍した4年間で企画から営業まですべてをこなした。
倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2… 倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2026年3月26日)は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、日本電線工業会会長、JR西日本取締役会長などを務めた。大阪府池田市神田在住。 兵庫県神戸市生まれ、福井県出身。1958年東京大学工学部を卒業し、住友電気工業入社。川上哲郎の後任として、同社社長を務めた。 その後、2006年からJR福知山線脱線事故を受けて混乱の渦中にあったJR西日本の社外取締役として、代表権のない同社取締役会長及び取締役会議長を務めた。
関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20… 関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20日 - 2018年5月以前)は、日本の実業家、馬主。血液型はA型。愛称は「フサロー」。多くの派手な逸話により、「豪快馬主」「異色の経営者」と評された。 名前の読みに関しては、「ふさお」とする記載、「ふさろう」とする記載で分かれているが、自身の公式サイトのプロフィールにおいては「ふさお」としている。 兵庫県尼崎市出身。尼崎市立尼崎産業高等学校を中退後、2年ほど個人経営の運送業を営むが、腰の支障により体を崩し廃業。その後は実家の工場「関口工業技術」の営業として勤務。1961年に、名古屋に移り「関口工業技術」名古屋出張所長になる。1963年に関西精器を設立し、代表取締役社長に就任するが、1973年に倒産。
宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 … 宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 - )は、元レーシングライダー、実業家。大阪府大阪市出身。 全日本クラブマンレース(アマチュアライダーと市販マシンが対象)などで活躍した後、ヤマハと契約してワークスライダーになり、国内のレースやモトクロスに出場。選手を引退後は、家業である自動車の電装品の修理販売業を行いながら、レースの競技役員などを務め、中高年に達してからも各種のイベントレースに出場した。 1935年に兵庫県尼崎市に生まれ、大阪府八尾市で終戦を迎える。実父が病死したため、母親が父方の親戚(継父)と再婚した。継父は大阪府大阪市で自動車用バッテリーの再生や新造(当時はバッテリーを何度も再生するのが普通だった)などを行っており、宇野は中学卒業後に自動車の電装品店などに勤め(丁稚奉公)、自動車の電装品の修理技術を身に付けた後、継父と共に電装品の修理販売を行う。
宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月… 宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月13日 - )は、日本の実業家。兵庫県神戸市出身。米ワシントン大学経営学部大学院修士課程修了。 オリックス社長、会長、グループCEOを歴任した。プロ野球・パ・リーグに加盟するオリックス・バファローズの前オーナー。著書もいくつか書いており、『“明日”を追う【私の履歴書】』『グッドリスクをとりなさい!』『私の経営論』『私の中小企業論』『私のリーダー論』などがある。 父の義作は神戸の米国人商館に出入りする木材輸入商社に勤務する貿易商だった。 神戸市立成徳国民学校(現神戸市立成徳小学校)を経て、山口県玖珂郡大畠町に疎開。鳴門国民学校(現柳井市立鳴門小学校)、佐用町立佐用小学校、関西学院中学部・高等部を経て、1958年関西学院大学商学部卒業。
高崎 正弘(高﨑正弘、たかさき まさひろ、1935年〈昭和1… 高崎 正弘(高﨑正弘、たかさき まさひろ、1935年〈昭和10年〉9月7日 - 2026年〈令和8年〉3月15日)は、日本の経営者。さくら銀行(現在の三井住友銀行)会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1959年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1988年6月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1992年6月にさくら銀行常務、1994年6月に専務を経て、1997年6月には会長に就任。2001年4月に三井住友銀行相談役を経て、2002年6月には特別顧問に退いた。 2007年10月から2015年10月までに兵庫県教育委員会委員長を務め、関西経済連合会副会長、神戸商工会議所副会頭、住生活グループ非常勤取締役なども務めた。
志甫 溥(しほ ひろし、1935年(昭和10年)4月6日 -… 志甫 溥(しほ ひろし、1935年(昭和10年)4月6日 - )は、日本の実業家。TBS元会長。 兵庫県宝塚市出身。1958年(昭和33年)に東京大学教養学部を卒業後、ラジオ東京に入社した。報道番組のインタビューとドキュメンタリー制作や政治取材に長く携わり、1990年に取締役に選任され、常務等を経て、1996年に若い砂原幸雄社長を支えるために会長に就任した。2001年に相談役に退く。 ほかに毎日新聞社監査役、新潟放送取締役、東京エレクトロン監査役なども歴任した。
山本 次男(やまもと つぎお、1935年3月12日 - 20… 山本 次男(やまもと つぎお、1935年3月12日 - 2024年9月21日)は、日本の経営者。ミネベア社長、会長を務めた。 大阪府出身。1953年に兵庫県立尼崎高等学校を卒業し、同年に積水化学工業に入社。 1964年11月に日本ミネチュアベアリング(のちのミネベア)に転じ、1983年10月に取締役に就任し、1993年12月に常務、1984年6月に専務を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務めた。 2024年9月21日、死去。89歳没。
生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 20… 生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 2023年11月13日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。株式会社商船三井社長、会長、日本郵政公社初代総裁(2003年 - 2007年)を歴任。慶應義塾理事。慶應義塾評議員。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )… 尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の実業家。グローリー名誉会長。姫路商工会議所顧問。父はグローリー工業社長の尾上壽作。祖父は国栄機械製作所(現グローリー)創業者の尾上作兵衛。 兵庫県姫路市出身。物心ついたのは4、5歳ころの1940年前後で、当時尾上家の家業である会社は国鉄姫路駅の南西にあり、自宅はその隣だった。家は割合裕福だった。父の壽作は乗馬が好きで、馬を飼っていた。父が家庭では「うるさいおやじ」だったため、親元を離れたくて地元の高校を卒業すると東京へ出た。中央大学理工学部へ進んだ。よく遊んだので成績は中ぐらいだった。 大学を卒業した1959年は就職難で、職が決まらなかった。
松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18… 松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18日 - )は、日本の実業家・テニスプレーヤー。東宝名誉会長(元代表取締役会長)、日本アカデミー賞協会名誉会長。兵庫県芦屋市出身。 小林一三の次男・松岡辰郎の次男として生まれた。甲南幼稚園から甲南小学校へ進学。小学校時代の同級生には野村文英がいたという。1945年には丹波市の慧日寺へ集団疎開した。甲南中学校・高等学校在学中は硬式テニス部に所属し、全日本ジュニア選手権ダブルスで優勝、高校総体では準優勝に輝いた。甲南高校の2学年下には石黒修がいた。 1953年、設立3年目の甲南大学へスポーツ推薦で入学した。松岡はこの当時「高校テニス三羽烏」の1人に数えられており新設大学における広告塔として期待されていたという。
森中 蕃(もりなか しげる、1934年11月29日 - 20… 森中 蕃(もりなか しげる、1934年11月29日 - 2022年10月17日)は日本の実業家、馬主。兵庫県神戸市出身。 神戸市中央区にある証券会社である光証券株式会社の前代表取締役会長。 中央競馬、地方競馬の馬主で、小田切有一、細川益男らとともに珍馬名の名付け親として知られる。勝負服は緑、赤星散、赤袖。冠名には「シゲル」を用いる。かつて宝石の卸売りをしていたことがあり、その時の仲間で馬を持とうということになったことから、1970年代より馬主としての活動を始めた。阪神馬主協会の会長を経て、日本馬主協会連合会の相談役を歴任。モットーは「安くて走る馬を見つける」。馬を選ぶポイントについて、「一番大切にしているのは歩様。
森下 洋一(もりした よういち、1934年〈昭和9年〉6月2… 森下 洋一(もりした よういち、1934年〈昭和9年〉6月23日 ‐ 2016年〈平成28年〉12月18日)は、日本の実業家。位階は従三位。 関西学院大学バレーボール部員であったため、先輩である大松博文に薦められ松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)に運動選手枠で入社する。後に同社の社長、会長、相談役、学校法人関西学院の理事長を務めた。 社長在任時の1995年に「これからはブラウン管の時代」と提唱して液晶開発への投資を縮小したことにより、松下が液晶競争に乗り遅れる原因の一つを作る。退任後、2019年にはパナソニックの液晶事業からの撤退が決定された。 現在までに関西経済連合会副会長、JEITA(電子情報技術産業協会)会長、日本電機工業会会長、郵政行政審議会会長など、数々の公共の益に係わる役職を務める。
本庄 正則(ほんじょう まさのり、1934年4月25日 - … 本庄 正則(ほんじょう まさのり、1934年4月25日 - 2002年7月22日)は、日本の実業家。伊藤園の創業者。 兵庫県神戸市出身。1959年早稲田大学第一法学部を卒業して東都日産モーターで自動車セールスマンをしていたが、脱サラし日用品の訪問販売会社「日本ファミリーサービス株式会社」を1964年に埼玉県で起業した。同社取扱商品の中の一つであった茶葉製品に注力するかたちで、1966年6月に産地直送の販売手法による「フロンティア製茶株式会社」を静岡県静岡市神明町(現・静岡市葵区神明町)に設立。茶葉製品市場に参入した。その後、東京・上野にあった茶問屋「釜邦」より「伊藤園」の商号を200万円で譲り受け、1969年5月より現社名の「株式会社伊藤園」に商号を変更している。