中川 嘉美(なかがわ よしみ、1933年(昭和8年)9月17… 中川 嘉美(なかがわ よしみ、1933年(昭和8年)9月17日 - 2005年(平成17年)12月7日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員、参議院議員。 兵庫県芦屋市出身。都立小山台高校を経て、1956年(昭和31年)慶應義塾大学法学部を卒業する。住友商事勤務を経て、1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で衆院旧東京8区から立候補し初当選する。以後衆議院議員当選4回。公明党国際局次長などを歴任する。1986年(昭和61年)第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)で落選し、1989年(平成元年)第15回参議院議員通常選挙に回り、比例区で当選し、1期務める。参議院では運輸委員長、科学技術特別委員長などを務めた。
龍田 節(たつた みさお、1933年(昭和8年)9月6日 -… 龍田 節(たつた みさお、1933年(昭和8年)9月6日 - 2022年(令和4年)4月7日)は、日本の法学者。専門は商法。弁護士。京都大学名誉教授。同志社大学大学院司法研究科特別客員教授。日本学士院会員。瑞宝重光章受章。兵庫県神戸市出身。大隅健一郎門下。弟子に川濱昇、前田雅弘、片木晴彦、泉水文雄など。 当初文学部を志向したが、親に「経済学部の方が潰しがきく」といわれ、間をとって法学部に入学したという。
菅原 洋一(すがわら よういち、1933年(昭和8年)8月2… 菅原 洋一(すがわら よういち、1933年(昭和8年)8月21日 - )は、日本の男性歌手。兵庫県加古川市出身。兵庫県立加古川東高等学校卒業。国立音楽大学大学院修了。徳間ジャパンコミュニケーションズ所属。所属事務所はミュージック・オフィス合田、個人事務所はスガワラ企画。2016年の時点で、株式会社ハイブリッジと業務提携していた。 生家は、加古川市内の寺家町商店街にあった若松屋という商家で、乾物から棺桶まで扱っていた。実母は歌の上手な人だったが、菅原を生んで間もない頃に亡くなり、物心がつく前に父親が再婚し継母と暮らし始めた。菅原は子供の頃、ラジオから流れる流行歌を覚えて、従業員の休み時間に家の中で歌っていた。
ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本… ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本の女優、歌手。本名は山田ひろみ。朝鮮の京城生まれ、兵庫県育ち。小林聖心女子学院小学校・中学校・高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。 実父の和辻廣樹は朝日新聞社会部記者。実父方の祖父は京都帝国大学医学部耳鼻咽喉科初代教授の和辻春次、母方の祖父は新聞記者で大韓協会、大韓自強会顧問、京城通信社記者の大垣丈夫。元夫は放送作家の岡田教和。親族に和辻春樹(実父の兄)、和辻哲郎(実父の従兄)がいる。 実父の赴任地、朝鮮の京城(現在の韓国・ソウル市)で生まれる。1歳で兵庫県へ帰国、宝塚市や神戸市で育つ。4歳のとき、実父の和辻廣樹が胃がんで逝去する。10歳のとき、母が毎日新聞社社員(のちに東京放送常務)の山田眞一と再婚する。
青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 202… 青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 2022年5月10日)は、日本の詩人。本名は春美。 兵庫県出身。兵庫県立西宮高等学校卒業、関西学院大学文学部を経て、大阪文学学校に学ぶ。小野十三郎に師事し、1974年、第13回現代詩手帖賞を受賞。1982年、『鯨のアタマが立っていた』で第32回H氏賞を受賞。1988年、第12回井植文化賞を受賞。奈良市在住。関西詩人協会会員。「PO (雑誌)」「歴程」「たうろす」同人。 2022年5月10日午後0時28分、誤えんによる窒息のため奈良市で死去。88歳没。
笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7… 笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7月26日 - )は、日本の俳優・演出家。旧芸名は笈田 勝弘。兵庫県神戸市出身。パリ在住。内外の舞台で活躍。 甲南中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。慶應義塾大学在学中、文学座に入団。劇団四季を経て、1968年にロンドンでピーター・ブルック演出の実験劇『テンペスト』に出演。 1970年にブルックが設立した国際演劇研究センター(CIRT)に参加。以後パリを拠点に、主に各国の劇場で活躍。著書に『俳優漂流』『見えない俳優』(五柳書院)がある。他に数カ国語の翻訳がある。 1990年代に笈田 ヨシ、あるいはヨシ 笈田に改名。 1992年にフランス芸術文化勲章シュバリエ受勲。
松田 晃演(まつだ あきのぶ、1933年6月28日 - 20… 松田 晃演(まつだ あきのぶ、1933年6月28日 - 2021年1月17日)は、日本のクラシックギター奏者。アンドレス・セゴビアの高弟である。旧名は松田二朗。 アントニオ・デ・トーレス作のギターを使用してコンサート活動、CD制作などを行っていた。 兵庫県姫路市に生まれる。13歳からギターを始め、最初は自宅の隣の正覚寺の住職・藤井紫朗からギターを教わる。神戸大学経済学部を卒業後、1957年に月刊ギター専門誌「ギターの友」新人音楽賞を受賞。 1959年、演奏のため訪日したアンドレス・セゴビアを歓迎する食事会の時の歓迎演奏でセゴビアに認められ弟子となり、翌年渡欧する。アンドレス・セゴビア、アリリオ・ディアスによる2回の夏期講習を受ける。
星空 ひかる(ほしぞら ひかる、1933年6月23日-)は、… 星空 ひかる(ほしぞら ひかる、1933年6月23日-)は、宝塚歌劇団花組主演男役スターの人物である。本名:曲谷和子。兵庫県神戸市出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は162cm。宝塚歌劇団時代の愛称はおよし。宝塚歌劇団38期生。 1951年、宝塚歌劇団入団。星組公演『春の踊り』で初舞台。宝塚入団時の成績は34人中8位。1952年、花組配属。 1965年8月30日をもって宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組・東京宝塚劇場公演『笛吹きと豚姫/天使が見ている』である。 2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年記念で創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。 夫は映画監督の曲谷守平。
高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、… 高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、日本の作曲家・音楽家。兵庫県出身、東京都在住。アニメ・TVドラマなどの主題歌を手がけている。
片岡 節次郎(かたおか せつじろう、1933年6月14日 -… 片岡 節次郎(かたおか せつじろう、1933年6月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手。 兵庫高校から早稲田大学に進学するも中退して1953年に読売ジャイアンツへ入団。 1955年に国鉄スワローズへ移籍し、同年1軍初登板。1956年に引退。
小桜 京子(こざくら きょうこ、1933年〈昭和8年〉5月2… 小桜 京子(こざくら きょうこ、1933年〈昭和8年〉5月27日 - 2023年〈令和5年〉6月15日)は、日本の女優、喜劇役者。 前夫は引田天功、娘は声優の引田有美、叔父は柳家金語楼。 兵庫県明石市出身。新宿区立牛込第一中学校卒業。 3歳の時に柳家金語楼にあずけられ金語楼劇団の子役として舞台デビュー。14歳で修業のため3年間付き人をつとめる。1953年、NHKテレビ開局と共にテレビ番組に出演し、1956年に『金語楼劇場・おトラさん』のお豆さん役がヒットする。 以後、快活な喜劇役者として、映画『おトラさんシリーズ』『駅前シリーズ』『恋人と呼んでみたい』などに出演する。舞台やドラマにも出演し、フジテレビのバラエティ番組『ライオンのいただきます』では準レギュラーを務めた。
蘭定 美男(らんじょう よしお、1933年5月16日 - )… 蘭定 美男(らんじょう よしお、1933年5月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。 兵庫県西宮市大屋町(阪急西宮北口駅付近)で育つ。兵庫県立西宮高等学校、法政大学(中退)を経て、1955年途中に大阪タイガースに入団。しかし、1956年,1957年にそれぞれ1試合ずつ出場したに留まり、1957年シーズン終了後引退した。
扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 … 扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の女優、タカラジェンヌ(娘役・41期生)、政治家。本名:林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓は木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。 参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代・第2代)、運輸大臣(第78代)、北海道開発庁長官(第72代)、建設大臣(第69代)、国土庁長官(第36代)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、参議院文教委員長、参議院議員(5期)、保守党党首(初代)、新進党参議院議員会長(第3代)、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)などを歴任した。 位階は従二位、称号は旭日大綬章(女性初)、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。
松本 益弘(まつもと ますひろ、1933年4月21日 - 2… 松本 益弘(まつもと ますひろ、1933年4月21日 - 2025年11月17日)。日本の商学者。元・北海商科大学(北海学園北見大学から改称)教授。兵庫県神戸市出身。 専門は、観光学(観光政策論・国際観光論・観光産業経営論、観光マーケティング・地域観光振興論)。 このほか数多くの国土交通省、観光団体、北海道、北見市に関する公職を務める 日本観光研究学会、総合観光学会、北海道経済学会などに所属 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は… 杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 芦屋高校では1951年に第33回夏の甲子園に出場。1回戦の小倉高校戦で大会第2号となる本塁打を打っている。 1952年に大映スターズへ入団。1955年に退団した。
吉原省三(よしはら しょうぞう、1933年3月29日 - 2… 吉原省三(よしはら しょうぞう、1933年3月29日 - 2018年10月13日)は、日本の弁護士。 兵庫県尼崎市出身。1955年司法試験合格。1956年東京大学法学部卒、三菱銀行入社。1965年弁護士・弁理士登録。吉原特許法律事務所を開設した。
河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2… 河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2003年11月22日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学文学部名誉教授。専門は日本中世史。 兵庫県神戸市生まれ。甲南高等学校卒業。1957年京都大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1962年同博士課程単位取得退学。八代学院大学助教授を経て、1971年大阪市立大学文学部助教授就任。後、大阪市立大学文学部教授。1996年名誉教授。専門は日本中世で、ドイツ学者との交流や宗教史(天神信仰)の研究が有名。母方の祖父が子爵の石井行昌。 学生時代の同級生大山喬平(京都大学名誉教授)、大学院進学後は脇田晴子(滋賀県立大学名誉教授、文化勲章受章者)も同期になる。
吉村 信良(よしむら のぶよし、1933年3月3日 - 20… 吉村 信良(よしむら のぶよし、1933年3月3日 - 2009年3月31日)は、日本の合唱指揮者である。兵庫県神戸市出身、兵庫県立星陵高等学校、京都大学経済学部卒業。山田一雄、林達次に師事。 京都で印刷会社の経営に携わる一方、多くの合唱団で指揮者として活動する。全日本合唱コンクール全国大会において京都産業大学グリークラブを指揮し、1981年(昭和56年)から1989年(平成元年)まで9年連続金賞1位に導いた。古希を過ぎてからも、創立に関わった混声合唱団京都木曜会をはじめとした多くの団体を指揮し、精力的に演奏活動を行った。また、2005年(平成17年)に開催された「世界合唱シンポジウム~世界合唱の祭典 京都~」では、実行委員長を務めた。
北畑 利雄(きたはたとしお、1933年2月24日 - 201… 北畑 利雄(きたはたとしお、1933年2月24日 - 2016年11月12日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)。 明石南高校から1952年に国鉄スワローズへ入団。1953年から一軍で起用され、7月には初先発を果たす。1954年には先発陣の一角として6勝を記録。1956年も主に中継ぎとして6勝をあげた。1958年限りで引退。 その後は社会人野球の天王寺鉄道管理局に転じ、都市対抗野球大会等で活躍した。 低めにコントロールされたシュートと沈む球(ストライク・ゾーン)でグッと落ちる球が武器。
一柳 慧(いちやなぎ とし、1933年2月4日 - )は、兵… 一柳 慧(いちやなぎ とし、1933年2月4日 - )は、兵庫県神戸市生まれの作曲家、ピアニスト。
柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 … 柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 - 2025年5月21日)は、日本のテレビディレクター、毎日放送元社長。 兵庫県芦屋市出身。1956年に早稲田大学法学部卒業。1957年(昭和32年)に大阪テレビ放送へ入社し、翌1958年(昭和33年)、朝日放送との合併に先立ち、1959年(昭和34年)3月1日にテレビ放送を開始する毎日放送へ転籍。 皇太子御成婚パレード、1964年東京オリンピック、日本万国博覧会などの報道ディレクターとして活躍、1980年(昭和55年)には現在も続く自社制作ドキュメンタリー枠『映像』の立ち上げにも参加した。 1985年(昭和60年)にテレビ編成局長、1989年(平成元年)取締役選任。
米山 光男(よねやま みつお、1933年1月5日 - )は、… 米山 光男(よねやま みつお、1933年1月5日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(遊撃手)・コーチ・監督。1955年から1956年の登録名は米山 祐昭。
村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年… 村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年1月16日 )は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。関西国際大学初代学長・名誉教授。瑞宝中綬章受章。 神戸市出身。兵庫県立神戸高等学校を経て神戸大学経済学部を1955年に卒業。1957年、同大学院経済学研究科修士課程を修了し、神戸大学経済学部助手となる。1960年に講師、1963年助教授を経て、1971年に教授に就任した。 1972年、論文「低開発国の経済発展と貿易政策」で経済学博士号を取得。1996年、神戸大学を定年退官し、名誉教授となる。同年より、関西女学院短期大学教授。関西国際大学の初代学長及び同大学の名誉教授を歴任した。
植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しん… 植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しんじ〉、1933年1月1日 - )は、日本の劇作家、演出家である。宝塚歌劇団専属。1996年から2004年まで同歌劇団理事長を務めた。現在は同歌劇団特別顧問、社団法人日本演劇協会会長。大阪府生まれ。 幼くして父が病死、母とも生き別れ、神戸のおじ夫婦に引き取られた。戦時中は福井に疎開した。「戦争中、空襲で神戸の実家を失い、疎開先の福井でも空襲にあいました。」と日本赤十字社のインタビューで答えている。 その後、演劇青年として学生時代をすごし、滝川高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科を卒業した。1957年2月に演出助手として宝塚歌劇団に就職する。
瀧川 博司(たきがわひろし、1933年 - )とは日本の実業… 瀧川 博司(たきがわひろし、1933年 - )とは日本の実業家。 兵庫県立兵庫高等学校卒業(元同窓会理事長)、神戸商科大学卒業(学友会会長)。 父親は兵庫トヨタ社長であった瀧川勝二。1977年瀧川勝二の次代の兵庫トヨタ社長に就任。1985年日本自動車販売協会連合会兵庫県支部長に就任。1989年近畿運輸局長表彰。1994年神戸商工会議所副会頭就任。1995年トヨタ自動車販売店協会理事長に就任。運輸大臣表彰。 神戸国際会館代表取締役社長。神姫バス取締役。 2003年6月には仁平圀雄の後任の日本自動車連盟会長に就任。 2017年兵庫県知事選挙では井戸敏三の後援会会長、選挙事務長を務める。
敷山 哲洋(しきやま てつひろ、1933年 - )は、兵庫県… 敷山 哲洋(しきやま てつひろ、1933年 - )は、兵庫県出身の実業家。日プラ株式会社創業者・代表取締役社長 。
東 公平(ひがし こうへい、1933年 - )は、日本の将棋… 東 公平(ひがし こうへい、1933年 - )は、日本の将棋観戦記者でチェスプレーヤー。
おかだ えみこ(1933年~1934年 - 2023年11月… おかだ えみこ(1933年~1934年 - 2023年11月20日)は、日本の映画評論家、アニメーション研究家、CMプランナー。 本名、岡田英美子。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。 兵庫県芦屋市出身。1957年、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」、東映のCMプランナーを経て、フリーとなる。傍ら「映画評論」での執筆をスタート、以後、アニメーション評論家として活躍。 著書に「人形アニメーションの魅力」「歴史をつくったアニメ・キャラクターたち」、共著に「僕らの実戦アニメ塾」「アニメの世界」「ひとりから始めるアニメの作り方」などがある。
槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タ… 槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・放送作家・ファッション評論家・フリープロデューサー。主に関西で活躍中。 神戸市出身。神戸二中(現兵庫高等学校)卒業。1955年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社、同期に植草貞夫と山内久司と澤田隆治らがいる。その後、大阪テレビ放送へ出向し、大阪テレビ放送が朝日放送と合併後は新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ移籍。毎日放送退社後は松下電工(現・パナソニック電工)に転職。 朝日放送・大阪テレビ時代は制作部に所属し、多くの番組でディレクターとして活動。新日本放送時代は制作部門を渡り歩き、松下電工時代は広報・宣伝に携わる。
法橋 和彦(ほっきょう かずひこ、1932年11月25日 -… 法橋 和彦(ほっきょう かずひこ、1932年11月25日 - 2024年9月8日)は、ロシア文学者、大阪外国語大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1956年大阪外国語大学卒業、1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、大阪外国語大学助手、1966年助教授、1975年教授、1998年定年退官、名誉教授。教え子には山城むつみなど。 トルストイ研究のほか、小熊秀雄、太宰治についても評論を書いた。2011年瑞宝中綬章を受章。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日… 山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日 - 2024年〈令和6年〉11月27日)は、日本の裁判官。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。 司法研修所所長、福岡高等裁判所長官、最高裁判所判事を歴任。裁判官事務総局勤務時代には懸案となっていた簡易裁判所の統廃合に尽力して100ヶ所以上減らした。 1997年10月に最高裁判所長官(第14代)に就任。長官在任中に、1998年の寺西判事補事件では1998年12月1日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で10対5で戒告処分を、また2001年に発覚した福岡高裁判事妻ストーカー事件では容疑者の夫である福岡高裁判事に2001年3月30日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で12対3で戒告処分をそれぞれ決定した。
秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「… 秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「禾」(ノギ)、1932年10月6日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(一橋大学)・LL.M.(イェール大学)。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、国際法学会理事長、国際私法学会理事長を歴任。 兵庫県神戸市生まれ。中学時に神戸から母の故郷である高知に転居。一橋大学では久保岩太郎と大平善梧に師事。博士課程を修了した1960年から一橋大学に勤務。1966年に当時東京大学法学部助手だった鳥居淳子(国際私法学者、成城大学教授、法務省法制審議会会長)と結婚。1996年3月に63歳を定年とする一橋大学の定年制により定年退官。指導学生に横山潤一橋大名誉教授、中山ひとみ元第二東京弁護士会副会長など。
岡田 豊(おかだ ゆたか、旧名:哲男〈てつお〉、1932年9… 岡田 豊(おかだ ゆたか、旧名:哲男〈てつお〉、1932年9月12日 - )は、元プロ野球選手・プロ野球審判員。兵庫県出身。 県立尼崎工業から近畿大学に進む。近畿学生野球リーグでは在学中7回優勝。1955年春秋季リーグ連続で首位打者となる。 1956年に阪急ブレーブスに捕手として入団。1年目から一軍に上がり、1960年には山下健と併用されて32試合に先発マスクを被る。しかし1961年には岡村浩二が新入団、出場機会が減少し同年限りで引退。 その後パ・リーグ審判部に入局し、パ・リーグ初の3000試合出場を達成し、1993年までつとめた。審判員袖番号は3(1977年初採用から1993年引退まで、3は2003年以降橋本信治がつけている。
加藤 元(かとう げん、1932年9月8日 - )は、神戸市… 加藤 元(かとう げん、1932年9月8日 - )は、神戸市出身の獣医師。長年に亘り最先端の米国の小動物獣医学と教育を紹介。日本における小動物病院のレベル向上と継続教育を提唱。ヒューマン・アニマル・ネイチャー・ボンド(人と動物と自然を科学的に大切にする)の理念の普及と活動を推進。 兵庫県立兵庫高等学校、北海道大学獣医学部卒後、1956年神戸市立王子動物園の獣医師となり、1964年に東京へ。一般的に獣医と言えば「馬のお医者さん」であった時代に、身近な犬や猫を診る獣医を目指しダクタリ動物病院を開業。 海外との交流にも積極的で、1973年のカンザス州立大学をかわきりに、コロラド州立大学(英語版)、カリフォルニア州立大学、フロリダ州立大学客員教授を歴任、現在もコロラド州立大客員教授をつとめている。
清㟢 公正(きよざき きみまさ、1932年〈昭和7年〉9月5… 清㟢 公正(きよざき きみまさ、1932年〈昭和7年〉9月5日 - )は、兵庫県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1974(昭和49年)6月、兵庫県尼崎市にて失踪した。失踪当時、41歳であった。 1932年(昭和7年)9月5日生まれ。建築会社を経営しており、2人の娘の父親であった。体型は痩せ型で、身長は171ないし172センチメートルほど、体重は60キログラム前後であった。左足に10センチメートルほどの手術痕があった。 1974年(昭和49年)6月14日朝9時頃、彼は通常どおり作業着を着て、妻の作った弁当を持ち、「事務所に行く前に銀行に寄ってくる」と言い残して家を出た。
生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 20… 生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家、サッカー選手・指導者。選手時代のポジションはGK。 兵庫県立神戸高等学校を経て、関西学院大学に入学し、サッカー部に所属。全関学(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として鴇田正憲らと共に1953年、1955年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝に貢献した。 大学卒業後に新三菱重工業(後の三菱重工業)へ加入。井上健や北口晃らと共に創設期の同サッカー部を牽引し、1956年の都市対抗選手権準優勝、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会準優勝などに貢献した。 日本代表としては竹腰重丸監督時代の1955年の東南アジア遠征で代表デビュー。
藤田 義明(ふじた よしあき、1932年〈昭和7年〉7月31… 藤田 義明(ふじた よしあき、1932年〈昭和7年〉7月31日 - 2010年 <平成22年> 6月7日)は、日本の政治家。元兵庫県相生市長(2期)。位階は正六位。瑞宝双光章。 現在の兵庫県相生市出身。兵庫県立上郡高等学校卒業。相生市役所に入り、総務、民生経済の各部長を務めた。1988年(昭和63年)3月10日から1992年(平成4年)5月31日まで助役を務めた。 同年、相生市長片山力夫の死去による市長選挙に立候補し、病院長と前市議の2人の新人を破って、初当選する。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:77.89%(前回比:-pts) 同年6月14日に市長に就任した。 1996年(平成8年)の市長選挙に立候補して、元中学校教諭の新人を破って再選を果たした。
山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )… 山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )は、日本の映画監督、演出家、評論家。石井輝男プロダクション代表、日本映画監督協会常務理事。兵庫県神戸市出身。
西塚 泰美(にしづか やすとみ、1932年(昭和7年)7月1… 西塚 泰美(にしづか やすとみ、1932年(昭和7年)7月12日 - 2004年(平成16年)11月4日)は、日本の医学者、生化学者。神戸大学名誉教授、同学長。医学博士(京都大学、1963年)。日本学士院会員。文化勲章受章者。 兵庫県芦屋市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知県立瑞陵高等学校、京都大学医学部卒業。 アルバート・ラスカー医学研究賞や、ガードナー国際賞、ウルフ賞医学部門など世界的に権威ある医学賞を受賞している。 牛の脳細胞から、タンパク質リン酸化酵素であるプロテインキナーゼCを取り出すことに成功し、その機能を解析した。これにより、新たな細胞内の情報伝達系が解明され、癌化機構をはじめとする様々な生命調節機構が明らかになった。
赤松 瞭(あかまつ りょう、1932年7月5日 - )は、兵… 赤松 瞭(あかまつ りょう、1932年7月5日 - )は、兵庫県淡路島出身の元プロ野球選手(投手)。 洲本実業高校から1951年に大阪タイガースに入団。1956年に大映スターズに移籍するが、プロで勝ち星を挙げることなく同年に引退した。
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 202… 内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。2006年、第16回イーハトーブ賞受賞。2008年、第60回NHK放送文化賞受賞。2021年9月1日午後4時37分、急性心筋梗塞により神奈川県鎌倉市の病院で死去した。89歳没。 読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンターを務めたほか、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人や、日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人となった。
河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は… 河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は、日本の弁護士・元最高裁判所判事。京都大学卒業。 旧制第三神戸中学校(在学中に新制兵庫県立長田高等学校へと移行)を卒業。京都大学法学部では商法学者の大隅健一郎に師事し、在学中に司法試験に合格。 1955年京大卒業。いったん裁判官になったが家庭の事情で弁護士に転身。大阪弁護士会副会長などを歴任し、関西では経済通として知られた弁護士だった。阪神タイガースのランディ・バースの契約問題やイトマン事件にも関わった。弁護士業務のポリシーとして「依頼者と共に苦しんだり悩んだりして、司法の分野では社会と一番密着できる。記録の中から、当事者の姿が見える仕事ができれば」と語った。
東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 … 東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 - 2012年〈平成24年〉4月1日)は、日本の社会運動家・政治活動家。雑民の会・雑民党代表。本名同じであるが、読みは「とうごう たけし」。 兵庫県加古川市生まれ。「伝説のおかま」と紹介されることがある。同性愛者ではあるものの、自らの結婚歴や子供の存在を否定していない(下に詳述)。 祖父の名倉次は衆議院議員(立憲改進党)、父の東郷伍郎は兵庫県議会議員であったが、健は地元と絶縁状態だったため、いわゆる世襲候補扱いはされていない。 後妻の子。異母兄は「継母いじめ」を行い、父の死後は家長として健の母を召使いのようにこき使ったという。実母の没後、異母兄は健の行状を理由に、健の遺産相続権を奪う訴訟を起こし、異母兄側が勝訴した。
井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24… 井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2010年〈平成22年〉12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従三位。本名は井上 喜一(いのうえ よしかず)。 衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災)(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、社団法人日米平和・文化交流協会理事などを歴任。 兵庫県加西市玉丘町出身。兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、農林省へ入省した。 農林水産省では大臣官房審議官、統計情報部長、構造改善局長を歴任。また一時期、農水省の外局にあたる水産庁で海洋漁業部長を務め、対米・対ソ漁業交渉に臨んだ。 1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧兵庫3区から立候補し、初当選。
青山 浩(あおやま ひろし、1932年5月4日 - )は、兵… 青山 浩(あおやま ひろし、1932年5月4日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(外野手)。
西藤 直人(さいとう なおと、1932年4月8日 - 201… 西藤 直人(さいとう なおと、1932年4月8日 - 2014年7月16日)は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1958年11月に住友ゴム工業に入社し、1959年に神戸大学法学部を卒業。1975年3月に取締役に就任し、1988年3月に常務を経て、1992年3月に専務に就任。1995年3月には社長に昇格。1999年3月に会長に就任。 2014年7月16日肺炎のために死去。82歳没。
伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30… 伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30日 - )は、日本の実業家。父は初代内閣総理大臣の伊藤博文の次男・眞一。 兵庫県川辺郡塚口(現・尼崎市)に生まれる。名前は、同年に建国された満州国にちなむ形で満洲雄(ますお)となった。父は当時南満州鉄道に勤務していたが、満洲雄の生まれる前年に大阪勤務となっていた。 子供の頃から体が弱く、大阪市立曽根崎小学校に入学した年の秋に肺炎となり、阪大病院に入院、退院後も中耳炎に罹患した。当時両親からは「早く亡くなってしまうのではないだろうか」としばしば言われたという。 通学先はその後、塚口小学校に変更となる。父の転勤で東京の青南小学校に移った後、疎開により滋賀県の瀬田町立瀬田国民学校に転校した。
髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 -… 髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 - 2012年5月23日)は、日本の洋画家、彫刻家、陶芸家である。 兵庫県加西市生まれ。34歳で二科会彫刻部会員となり、木彫をはじめ、石膏、ブロンズ、金属、陶芸等あらゆる素材を駆使した立体を得意とした。1981年49歳で脳梗塞に倒れ、半身不随の車椅子生活ながら絵画制作を行う。大作を続々と国内外に発表し髙橋芸術を確立。立体、平面とも日本国内外に多数作品が収蔵されている。
岩崎 俊男(いわさき としお、1932年〈昭和7年〉3月2日… 岩崎 俊男(いわさき としお、1932年〈昭和7年〉3月2日 - 1990年〈平成2年〉12月18日)は、昭和から平成時代初期の政治家。兵庫県赤穂市長。 赤穂市出身。兵庫県立赤穂高等学校卒業。 赤穂市職員となり、市職労書記長、固定資産税係長、社会教育課長、市教育次長などを歴任。地方新聞社社長に転じたのち、1989年(平成元年)5月、赤穂市長選挙に初当選した。 ほか、財団法人赤穂市文化振興財団理事長を務めた。
鈴木 武(すずき たけし、1932年2月28日 - 2004… 鈴木 武(すずき たけし、1932年2月28日 - 2004年6月27日)は、兵庫県西宮市出身で、近鉄パールス(バファロー)と大洋ホエールズに在籍したプロ野球選手(内野手)である。 鳴尾高校では、1951年春の選抜に出場。同期の野武貞次(法大-リッカー)、1年下の中田昌宏の投の二本柱を擁し勝ち進む。決勝では鳴門高と対戦するが、9回サヨナラ負けを喫し準優勝にとどまる。この大会では打率.611を記録し、攻守両面で活躍、優秀選手に選出された。他のチ-ムメートでは、藤尾茂、山田清三郎がプロ入りしている。 高校卒業後、社会人野球の東洋レーヨンを経て、1953年に近鉄パールスに入団。1年目の開幕から遊撃手、二番打者に抜擢され、鳴尾高校の先輩に当たる日下隆と一、二番コンビを組んで多くの盗塁を成功させた。