望月 良男(もちづき よしお、1972年4月19日 - )は… 望月 良男(もちづき よしお、1972年4月19日 - )は、日本の政治家。和歌山県有田市長(3期)。元有田市議会議員(2期)。
和歌山県:92人
望月 良男(もちづき よしお、1972年4月19日 - )は… 望月 良男(もちづき よしお、1972年4月19日 - )は、日本の政治家。和歌山県有田市長(3期)。元有田市議会議員(2期)。
岸本 健(きしもと たけし、1970年(昭和45年)8月3日… 岸本 健(きしもと たけし、1970年(昭和45年)8月3日 ‐ )は、日本の政治家。和歌山県紀の川市長(2期)。和歌山県議会議員(4期)、衆議院議員(1期)。 和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身。和歌山県立粉河高等学校を経て、1993年3月、拓殖大学商学部貿易学科卒業。和歌山県立那賀高等学校講師を経て、和歌山県中学校社会科教諭。2002年、父で自由民主党衆議院議員の岸本光造が死去。これに伴う衆議院議員和歌山県第2区補欠選挙に自民党公認で出馬しようとしたが、後継をめぐり海南市長の石田真敏との公認争いに敗れ、無所属(民主党・自由党・無所属の会推薦)で立候補。石田に敗れ落選。2002年、補欠選挙後、自由党に入党。
平野 嘉也(ひらの よしや、1967年(昭和42年)12月7… 平野 嘉也(ひらの よしや、1967年(昭和42年)12月7日 - )は、日本の政治家。薬剤師。高野町長(3期)。徳島文理大学薬学部卒業。和歌山県高野町出身。 和歌山県高野町高野山の祖父、父、親戚、兄妹共に薬剤師の家系に生まれる。高野山幼稚園、高野山小学校、高野山中学校、橋本高等学校卒業し薬剤師を目指すため徳島文理大学薬学部に進学し卒業芦屋大学教育学部卒業。 薬剤師として南労会紀和病院・高野町立高野山病院などに勤務。またこれまでに高野山青年団団長・伊都青年会議所理事長・高野町青少年団体連絡協議会会長・高野町商工会青年部部長などを歴任。 2014年(平成26年)4月20日に投開票の高野町長選挙に出馬し初当選、その後、3期連続で当選を果たす。
谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )… 谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )は、日本の実業家、政治家。元エアアジア・ジャパン代表取締役会長。衆議院議員(3期)を務めた。 和歌山市出身。智辯学園和歌山中学・高等学校を卒業後、東京大学法学部に入学。在学時代から飲食業界にかかわり、大学卒業後28歳までバーテンダーをしながら店舗企画の仕事に従事。 1995年 二階俊博秘書。和歌山県議会議員を経て、2000年に衆議院議員に初当選する。 2003年衆議院議員2期目当選。同年、第40代自由民主党青年局長に就任。 2006年9月発足の安倍内閣で、内閣府大臣政務官(沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化対策、男女共同参画、食品安全行政関係等の施策及び情報通信技術政策などの担当)に任命された。
日下 正喜(くさか まさき、1965年(昭和40年)11月2… 日下 正喜(くさか まさき、1965年(昭和40年)11月25日 - )は、日本の政治家。公明党所属の元衆議院議員(1期)。 和歌山県有田市出身。和歌山県立海南高等学校、広島大学工学部卒業。1989年、同大学院修士課程を中退し公明党に入職。 党岡山県事務長を経て、2014年の第47回衆議院議員総選挙、2017年の第48回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから立候補するが、落選。その後党広島県本部に移籍し県本部幹事・事務長を務める。2021年の第49回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから立候補し、初当選。2024年の第50回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから立候補し、落選。
門 博文(かど ひろふみ、1965年〈昭和40年〉8月18日… 門 博文(かど ひろふみ、1965年〈昭和40年〉8月18日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官を歴任。ウナギ料理店「峠のうなぎ 美しま」店主。 和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立笠田中学校、和歌山県立笠田高等学校、和歌山大学経済学部経営学科を経て、松下興産に入社。2006年からは松下興産が開発したホテル・リゾートの運営会社ロイヤルパインズの社長を務めた。 2011年に自由民主党和歌山県第一選挙区支部長に就任したのち、2012年の第46回衆議院議員総選挙で和歌山1区に自由民主党から出馬。民主党の岸本周平に300票差で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活、初当選した。
上田 勝之(うえだ かつゆき、1965年8月3日 - )は… 上田 勝之(うえだ かつゆき、1965年8月3日 - )は、日本の政治家。和歌山県新宮市長(1期)。元新宮市議会議員(7期)。 和歌山県新宮市出身。和歌山県立陵雲高等学校(現・和歌山県立きのくに青雲高等学校)を卒業。卒業後は生命保険会社に勤務し、新宮市内で保険代理店を開業する。1999年、新宮市議会議員に初当選。新宮市は熊野川町と合併。合併後も市議を務め、2021年10月まで、およそ21年間務める。この間、市議会議長も務めた。2013年と2021年の市長選に出馬したがいずれも現職の田岡実千年に敗れ落選。2025年6月、新宮市長の田岡実千年は健康上の理由で10月に行われる新宮市長選挙への不出馬を表明。
玉木 久登(たまき ひさと、1964年〈昭和39年〉12月2… 玉木 久登(たまき ひさと、1964年〈昭和39年〉12月2日 - )は、日本の政治家。和歌山県有田市長(1期)。元和歌山県議会議員(2期、自由民主党)。 和歌山県立南部高等学校普通科を卒業。卒業後は商社に勤務し、機械工具販売業を経て、2011年に有田市議会議員に初当選し、2期務める。2017年和歌山県議会議員補欠選挙に初当選。3期務める。県議会では文教委員会副委員長、福祉環境委員会、農林水産委員会各委員長、監査委員を務め、党内では自民党県議団政調副会長、同会長を務めた。2024年2月、9月に行われる有田市長選挙に立候補することを表明。9月1日投票の市長選挙に無所属で立候補し、自由民主党の推薦を受け、元市議を破り、初当選した。
籔内 美和子(やぶうち みわこ、1962年8月29日 - )… 籔内 美和子(やぶうち みわこ、1962年8月29日 - )は、日本の政治家。和歌山県日高郡美浜町長(2期)。和歌山県初の女性首長である。 和歌山県日高郡美浜町生まれ。1981年(昭和56年)3月、和歌山県立御坊商工高等学校(現:和歌山県立紀央館高等学校)商業科卒業。1982年(昭和57年)1月、美浜町役場に採用される。中央公民館長兼図書館長、住民課長、健康推進課長などを歴任した。 2018年(平成30年)、難病のため妊娠は難しいと言われていた娘が出産したことをきっかけに政治に関心が向く。「不妊に悩む人をなんとか手助けしたい」「出産や育児支援を始め、福祉に力を入れる町に変えられないか」という思いを抱いた籔内は同年12月末に退職。
谷口 和史(たにぐち かずふみ、1962年4月14日 - )… 谷口 和史(たにぐち かずふみ、1962年4月14日 - )は、日本の政治家。公明党所属の神奈川県議会議員(3期)。神奈川県議会副議長。元衆議院議員(1期)。
田岡 実千年(たおか みちとし、1961年〈昭和36年〉2月… 田岡 実千年(たおか みちとし、1961年〈昭和36年〉2月13日 - )は、日本の政治家。元和歌山県新宮市長(4期)。 和歌山県新宮市出身。1979年(昭和54年)3月、和歌山県立新宮高等学校卒業。1985年(昭和60年)3月、大阪芸術大学芸術学部卒業。同年4月、株式会社カメラのタオカに勤める。1990年(平成2年)、同社の代表取締役に就任。また、1987年(昭和62年)6月からは毎日放送報道局新宮駐在員を兼職した。2008年(平成20年)9月、カメラのタオカと放送局駐在員を退職。 2009年(平成21年)10月の新宮市長選挙で初当選。10月30日、市長就任。 2025年6月17日、健康面の原因により、同年10月の新宮市長選挙に立候補しないと表明した。
坂口 親宏(さかぐち ちかひろ、1960年8月28日 - )… 坂口 親宏(さかぐち ちかひろ、1960年8月28日 - )は、日本の政治家。元和歌山県橋本市議会議員。元アナウンサー。 和歌山県橋本市出身。橋本市立橋本小学校、橋本市立橋本中央中学校、和歌山県立橋本高等学校卒業。1983年京都外国語大学卒業。テレビ和歌山社員アナウンサーとして地元県内のローカルニュース、高校野球などのスポーツ中継等に21年に渡って携わる。退社後は大阪市のプロダクション「パートナーズ・プロ」に属し、活動を続けた。奈良テレビの契約キャスターとしてNEWSライン、ドラマティックナイン、びわ湖放送の週刊県政プラスワン、テレビ和歌山でもニュースライフラインわかやまのキャスターを務めた。2008年から2009年には、ぱしふぃっくびぃなすのクルーズディレクターを務めた。
宮本 岳志(みやもと たけし、1959年〈昭和34年〉12月… 宮本 岳志(みやもと たけし、1959年〈昭和34年〉12月25日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、参議院議員(1期)を歴任。宮本顕治との血縁関係はない。 和歌山県和歌山市で銀行員の父と会社員の母の間に生まれる。父親の転勤で幼少時に大阪府岸和田市へ移り、1966年に岸和田市立春木小学校へ入学。1972年、岸和田市立春木中学校へ入学。 1975年4月、大阪府立岸和田高等学校に入って間もなく日本民主青年同盟に加盟し、学生運動を開始する。1978年、18歳で日本共産党へ入党した。1年留年して1979年に同校卒業。浪人を経て和歌山大学教育学部に入学(後に除籍)。 1984年、日本民主青年同盟の専従職員になる。
三浦 源吾(みうら げんご、1959年12月11日 - )は… 三浦 源吾(みうら げんご、1959年12月11日 - )は日本の政治家。和歌山県御坊市長(2期)。 御坊市出身。御坊市立御坊小学校、御坊市立御坊中学校、和歌山県立日高高等学校卒業。京都産業大学経済学部卒業。1982年、和歌山県庁に入庁した。県庁では、農業生産局長、水産局長、日高振興局長などを歴任した。2020年3月に定年退職した。同年5月17日、引退する御坊市長の柏木征夫と二階俊博の後援会から要請を受け御坊市長選挙に立候補して、無投票で初当選した。同年6月11日、初登庁した。 2024年5月26日、御坊市長選挙で、環境団体代表の新人山本譲一を破り再選した。 ※当日有権者数:18,080人 最終投票率:54.21%(前回比:-pts)
宮﨑 泉(みやざき いずみ、1959年〈昭和34年〉2月21… 宮﨑 泉(みやざき いずみ、1959年〈昭和34年〉2月21日 - )は、日本の政治家。和歌山県知事(公選第23代)。和歌山県教育委員会教育長、和歌山県副知事などを務めた。 和歌山市出身。和歌山市立野崎小学校、和歌山市立河北中学校、和歌山県立桐蔭高等学校を経て、大阪大学卒業後、1982年に和歌山県庁入庁。県人事課長、知事室長を歴任した後、2019年から2025年3月まで和歌山県教育長、2025年4月から和歌山県副知事を務めた。副知事就任直後の4月15日に岸本周平知事が急死したため、知事の職務代理を務めた。2025年6月の和歌山県知事選挙では自民・公明・立憲・国民・社民・和歌山県・町村会などの推薦を受けて立候補し、当選した。
真砂 充敏(まなご みつとし、1957年〈昭和32年〉7月2… 真砂 充敏(まなご みつとし、1957年〈昭和32年〉7月21日 - )は、日本の政治家。和歌山県田辺市長(6期)。元中辺路町長(3期)、中辺路町議会議員(2期)。 1981年3月、修成建設専門学校を卒業する。1988年11月 、中辺路町の町議会議員に就任する。1992年11月 、中辺路町議会議員に再選する。1996年7月 、中辺路町長に就任する。2000年7月、中辺路町長に再選する。2004年7月 - 中辺路町長に3選する。2005年5月22日 、新設された田辺市の初代市長に就任する。2009年4月26日 、田辺市長に再選する。2013年4月21日、田辺市長に3選する。2017年4月 、田辺市長に無投票で4選。
平木 哲朗(ひらき てつろう、1957年〈昭和32年〉3月3… 平木 哲朗(ひらき てつろう、1957年〈昭和32年〉3月30日 - )は、日本の政治家。和歌山県橋本市長(4期)。元和歌山県議会議員(2期)。元橋本市議会議員(3期)。 和歌山県橋本市出身。 1979年(昭和54年)3月、近畿大学卒業。同年4月、株式会社ニチイに就職。 1999年(平成11年)5月1日、橋本市議会議員に就任。2003年(平成15年)、再選。2006年(平成18年)3月1日、橋本市が高野口町と合併したことにより、改めて新制の橋本市議会議員に就任。 2007年(平成19年)4月、和歌山県議会議員選挙に初当選。2011年(平成23年)、再選。県議時代は自由民主党に所属した。 2014年(平成26年)1月29日に県議を辞職し、3月16日に行われた橋本市長選挙に出馬。
後藤 太栄(ごとう たいえい、1957年2月14日 - 20… 後藤 太栄(ごとう たいえい、1957年2月14日 - 2010年10月25日)は、日本の政治家、高野山真言宗の僧侶。元高野町長。高野山真言宗別格本山西禅院住職。 後藤は「宗教環境都市」の推進を掲げ、真言宗の総本山でもある高野山を第一とし、町の産業である農業・林業の発展を課題にして夢の持てる町政を目指していた。 アマチュア無線家としても知られ(コールサインはJH3GAH)、2000年から2001年には日本アマチュア無線連盟(JARL)の評議員を、2002年から2009年までは同監事を務めた。
岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年〈昭和31年〉7… 岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年〈昭和31年〉7月12日 - 2025年〈令和7年〉4月15日)は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。位階は従四位。 和歌山県知事(公選第22代)、内閣府大臣政務官兼経済産業大臣政務官(野田第3次改造内閣)、衆議院議員(5期)、国民民主党選挙対策委員長、国民民主党幹事長代行、旧国民民主党選挙対策委員長を歴任。妻はNHK記者の飯田香織。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校、東京大学法学部(江頭憲治郎ゼミ)卒業。大学卒業後、大蔵省に入省(大臣官房調査企画課)。入省同期には後藤茂之(衆議院議員、経済再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣)、寺田稔(衆議院議員、元総務大臣)、稲垣光隆(国税庁長官)、枝廣直幹(福山市長)、高橋洋一(嘉悦大学教授)、佐藤慎一(財務事務次官、主税局長、大臣官房長、大臣官房総括審議官)、林信光(元国税庁長官)、山崎達雄(元財務官)、森信親(金融庁長官)、西村善嗣(東京国税局長、国税庁次長)ら23人らがいる。
玉置 公良(たまき きみよし、1954年11月5日 - )は… 玉置 公良(たまき きみよし、1954年11月5日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、和歌山県議会議員(4期)を務めた。 和歌山県西牟婁郡白浜町生まれ。和歌山県立田辺高等学校卒業。高校卒業後、電器店勤務を経て白浜町役場に就職する。1990年、白浜町役場を退職。 同年、第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧和歌山2区(定数3)から出馬したが、得票数4位で落選(当時の和歌山県は保守地盤が強く、旧和歌山2区の3議席は自由民主党が独占した)。1995年、和歌山県議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、県議を4期務める。県議時代は社会民主党や非自民系の無所属議員らで構成される会派「新生わかやま」県議団を結成し、団長に就任(同会派は2007年に「真わかやま」に改称、県政野党第1党に躍進した)。
井澗 誠(いたに まこと、1954年9月24日 - )は、日… 井澗 誠(いたに まこと、1954年9月24日 - )は、日本の政治家。元和歌山県白浜町長(3期)。 和歌山県白浜町生まれ。和歌山県立田辺高等学校、早稲田大学卒業。大学卒業から約20年間、旅行・観光業界に勤め29か国を訪問した。その後、学習塾を経営。 2011年(平成23年)10月以降、ごみ焼却場の使用期間延長に伴う地域振興事業の進め方をめぐり、町長の水本雄三と町幹部らが対立。全課長が降格願を提出したり、水本と熊崎訓自副町長が民や担当課長らを相手に慰謝料を求める訴訟を起こしたりするなど町政に混乱が生じた。 2012年(平成24年)3月23日、水本が辞表を提出。井澗は同年5月13日に行われた町長選挙に立候補し、元町議の溝口耕太郎、元町議の西尾智朗らを破り初当選した。
大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月… 大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月4日 ‐ )は、日本の政治家。和歌山県白浜町長(1期)。 和歌山県議会議員(6期)、和歌山県議会副議長、参議院議員(2期)、参議院国土交通委員長、改革クラブ総務会長兼国会対策委員長、幸福実現党国会対策委員長、自由民主党和歌山県連会長代行などを歴任した。 和歌山県西牟婁郡白浜町出身。和歌山県立田辺高等学校、芦屋大学教育学部卒業後、玉置和郎の秘書を務める。1979年、和歌山県議会議員初当選、県議会議員を6期務める。1992年、和歌山県議会副議長に就任。 1993年、中西啓介や二階俊博などの地元選出代議士の新党結成の動きに同調して自由民主党を離党し、新生党に参加。
尾花 正啓(おばな まさひろ、1953年(昭和28年)4月2… 尾花 正啓(おばな まさひろ、1953年(昭和28年)4月25日 - )は、日本の政治家。和歌山県和歌山市長(3期)。 和歌山県海草郡美里町(現紀美野町)生まれ。和歌山県立海南高等学校、東京大学農学部農業工学科及び東京大学工学部土木工学科卒業。1980年、和歌山県庁に入庁。土木技術職員としてほぼ一貫して土木畑を歩み、2004年、県土整備部県土整備政策局技術調査課長に就任し、その後、2013年に和歌山県庁を退職するまで、県土整備部で道路局長や技監や県土整備部長を務める。 2013年11月、大橋建一和歌山市長が次期市長選への不出馬を表明。これを受け、11月28日に同県庁を退職し、12月3日に同市長選への立候補を正式に表明した。
神出 政巳(じんで まさみ、1951年(昭和26年)3月10… 神出 政巳(じんで まさみ、1951年(昭和26年)3月10日 - )は、日本の政治家、建築士。和歌山県海南市長(新市6期、旧市1期)。全国市長会相談役、和歌山県市長会会長などを務めた。 和歌山県海南市出身。和歌山県立海南高等学校卒業。明治大学大学院工学研究科建築学専攻修了。一級建築士の資格を持つ。 海南市議会議員(2期)、和歌山県議会議員(2期)などを経て、2002年(平成14年)に海南市長選挙に初当選。 2005年(平成17年)4月1日、旧海南市は海草郡下津町と新設合併をし、新海南市が発足。これに伴って行われた市長選に無投票で当選。以後6回連続で無投票で当選。
竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月… 竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学者。勲等は旭日大綬章。東洋大学グローバル・イノベーション学研究センター客員研究員。慶應義塾大学名誉教授。専門は経済政策。 世界経済フォーラム理事、SBIホールディングス社外取締役、森ビルアカデミーヒルズ理事長、日本経済研究センター研究顧問、外為どっとコム総合研究所首席研究理事、アドビ International Advisory Board メンバー、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、一般財団法人教育支援グローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員、RIZAPグループ経営諮問委員会委員、日本からヘイトをなくす会アドバイザー等を務める。
平野 博文(ひらの ひろふみ、1949年〈昭和24年〉3月1… 平野 博文(ひらの ひろふみ、1949年〈昭和24年〉3月19日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 内閣官房長官(第77代)、文部科学大臣(第16代)、衆議院安全保障委員長・国土交通委員長・懲罰委員長、衆議院議員(7期)、民主党国会対策委員長(第17代)、民進党副代表、同国会対策委員長(第4代)、旧国民民主党総務会長(初代)、同幹事長(第2代)、立憲民主党代表代行(筆頭・党務総括、初代)兼選挙対策委員長(初代)、雄志会会長(初代)を歴任した。 和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立妙寺中学校、和歌山県立笠田高等学校、中央大学理工学部電気工学科卒業。1971年、大学を卒業し、松下電器産業(現パナソニック)に入社。
西 博義(にし ひろよし、1948年10月3日 - )は、日… 西 博義(にし ひろよし、1948年10月3日 - )は、日本の政治家。公明党所属の元衆議院議員(6期)。
中川 智子(なかがわ ともこ、1947年(昭和22年)9月2… 中川 智子(なかがわ ともこ、1947年(昭和22年)9月28日 - )は、日本の政治家。兵庫県宝塚市長(3期)、衆議院議員(2期)を務めた。 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町生まれ。中学2年生まで大阪府貝塚市で育ち、横浜市へ転居。鶴見女子短期大学国文科卒業後、海運会社に就職。社内報を担当した。後の夫となる一目ぼれした人を追いかけて結婚。兵庫県川西市の夫の社宅に住んだあと、宝塚市に移住。子育てをしながら、3年かけて保育士の国家試験に合格した。 宝塚市にて、未就学児の保育施設を開設し、市民団体「宝塚学校給食を考える会」を立ち上げた。夫の転勤に伴い熊本県へ転居。 1995年1月、宝塚市で阪神・淡路大震災を経験。
大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月… 大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月22日 - 2022年〈令和4年〉11月8日)は、日本の政治家。位階は正五位。 元和歌山市長。和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)出身。父は元和歌山県知事の大橋正雄。お茶の水女子大学名誉教授の原ひろ子は従姉。「健一」は誤記(名前の由来については後述)。 1946年(昭和21年)6月22日、大橋正雄の長男として和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)にある母の実家で生まれる。「建一」という名前には、姓の「大橋」と掛けて「廃墟となった戦後の日本に、復興の大きな橋を一番に建てる」という父の願いが込められている。 父が和歌山県庁に入庁したため、1949年(昭和24年)12月に和歌山市に転居。
旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4… 旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4日 - )は、日本の政治家、元警察官。和歌山市議会議員(3期)、和歌山市長(4期)、和歌山県議会議員(3期)を歴任した。 1945年4月4日、稲荷永一と花子の子として生まれる(4人兄弟の3人目)。幼名は卓三、しかし1948年に両親が離婚し、母方の姓となる。 1964年、和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、和歌山県警察の巡査となり、和歌山県警察学校に入校。1965年4月に警察学校を首席卒業して海南警察署に配属されたが、同年7月に警察官を辞職し、小学校教員を目指したが果たせなかったため、同年12月に復職して白浜警察署に配属された。 1969年10月、政治家を目指して再び警察官を辞職、1971年の統一地方選挙に無所属で立候補し和歌山市議会議員に初当選して政界入りを果たした。
関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014… 関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014年2月14日)は、日本の政治家。元和歌山市議会議員(1期)。
東 力(ひがし ちから、1941年11月21日 - 2022… 東 力(ひがし ちから、1941年11月21日 - 2022年9月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。企業家、ヒューロン国際大学ロンドン校総長。 和歌山県新宮市出身。東京大学教養学部教養学科卒業。GWUジョージ・ワシントン大学大学院博士課程修了。1989年、GWU卒業生に贈られる最高栄誉賞(5名選出)を、先輩であるコーリン・パウエルとともに授与された。 1965年、大蔵省に入省。入省同期に薄井信明、榊原英資、竹島一彦らがいる。国際金融局総務課に配属。課長は渡辺誠、筆頭課長補佐は渡辺喜一、次席(末席)補佐は藤野公毅。係長も含めて一丸となって東に英語を教えていたという。 名古屋国税局調査査察部国税調査官、銀行局特別金融課特別銀行係長心得、諏訪税務署長、理財局国有財産第一課長補佐(総括)、アジア開発銀行予算企画担当官、大臣官房企画官、大臣秘書官などを経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧和歌山2区から無所属で立候補し、衆議院議員初当選(選挙後、自由民主党に追加公認された。
中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月… 中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月6日 - 2002年〈平成14年〉1月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、防衛庁長官(第53代)を歴任した。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校を経て、1965年、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、山口喜久一郎事務所に就職した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧和歌山1区から無所属で立候補するも最下位で落選。以後、4年間地道な政治活動を続けて支援者を増やした。 1976年の第34回衆議院議員総選挙では、旧和歌山1区から自由民主党公認で立候補。35歳の若さをアピールするとともに、東京から芸能人を応援に呼ぶなどの積極的な選挙活動が功を奏して初当選を果たした(当選同期に中村喜四郎・鳩山邦夫・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。
岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - … 岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - 2002年1月23日)は、日本の政治家。 自由民主党元衆議院議員(3期)。民主党元衆議院議員・紀の川市市長岸本健の父。 和歌山県那賀郡粉河町(現在の紀の川市粉河町)出身。和歌山県立粉河高等学校、神奈川大学卒業、法政大学大学院修了。京都短期大学政治学講師。 1975年(昭和50年) 和歌山県議会議員。1987年(昭和62年)5月19日 - 和歌山県議会副議長。1988年(昭和63年) -全国みかん生産府県議会議員対策協議会会長。1990年(平成2年)7月11日 - 和歌山県議会議長。 1992年(平成4年) 自由民主党県連議員総会会長。
田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4… 田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。
井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14… 井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14日 ‐ 2011年(平成23年)3月20日)は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員。 和歌山県生まれ。三重県南牟婁郡鵜殿村出身。1955年(昭和30年)和歌山県立新宮高等学校を卒業。同県新宮市議会議員、紀南地区労働組合協議会書記次長、和歌山県振動病をなくす会顧問、日本共産党紀南地区委員長、同党和歌山県常任委員などを務めた。 1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙で旧和歌山県第2区から出馬し初当選。当選1回。議員在職中の1980年(昭和55年)4月25日、衆議院建設委員会にて浜田幸一元代議士の土地転がし問題を暴露した。同年の第36回総選挙で落選。
松本 泰造(まつもと たいぞう、1936年〈昭和11年〉2月… 松本 泰造(まつもと たいぞう、1936年〈昭和11年〉2月1日 - )は、日本の政治家。元和歌山県有田市長(1期)。元和歌山県議会議員(2期)。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。1959年(昭和34年)和歌山県立箕島高等学校卒。有田市議会議員、同第26代議長(1988年9月から1989年9月まで)を経て、1995年(平成7年)和歌山県議会議員に当選、2期務める。2000年(平成12年)有田市長選挙に立候補し無投票で当選する。同年9月17日に市長に就任した。2004年(平成16年)の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、前市長の玉置三夫に453票差で敗れた。同年9月16日に市長を退任した。2008年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
門 三佐博(かど みさひろ、1936年 - 2025年8月1… 門 三佐博(かど みさひろ、1936年 - 2025年8月19日)は、日本の政治家。位階は正五位。旭日中綬章受章。 自由民主党所属。和歌山県議会議員 (10期)、同議長、同副議長を歴任。元衆議院議員・門博文の父。 和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。和歌山県立笠田高校卒業。1975年 和歌山県議会議員選挙で初当選。1986年7月から翌年4月まで県議会副議長。 1989年7月 西本長浩の後任として県議会議長に就任。1990年7月 岸本光造を後任として議長を退任。2003年和歌山県議会議員選挙では伊都郡選挙区 (定数3) でトップ当選。 2007年和歌山県議会議員選挙では同選挙区 (定数2) で無投票当選。
石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 200… 石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手、コーチ、政治家。
北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日… 北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日 - 2020年〈令和2年〉8月15日)は、日本の政治家。和歌山県橋本市長(3期)。和歌山県議会議員(2期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。旧制和歌山県立伊都中学校(のち和歌山県立伊都高等学校、現・和歌山県立伊都中央高等学校)卒。橋本市助役、橋本市議会議員を経て、和歌山県議会議員に当選、2期務める。1993年〈平成5年〉橋本市長選挙に立候補し無投票で当選する。1997年〈平成9年〉も無投票当選。2001年〈平成13年〉の市長選挙で三選した。2005年〈平成17年〉に退任。2006年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2020年〈令和2年〉死去。
中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1… 中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1日 – 1992年(平成4年)3月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。位階は正五位。 満州鉄嶺で陸軍将校・中谷亮一の長男として生まれる。1931年(昭和6年)に父の死去に伴い本籍地和歌山県伊都郡高野口町大字大野(現橋本市)に移った。名古屋陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(59期)に進み、終戦により1945年(昭和20年)8月31日に修業した。 1946年(昭和21年)関西大学法学部に入学。1948年(昭和23年)高等試験司法科試験に合格し、同年、関西大学を中退した。極東国際軍事裁判弁護人を務め、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わった。
辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月… 辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日 - 1985年(昭和60年)10月19日)は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事。 和歌山県出身。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任。 1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する。
玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987… 玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987年1月25日)は、日本の政治家。参議院および衆議院議員、総務庁長官を務めた。和歌山県御坊市出身。 五人兄弟の三男として生まれ、中学入学直前に父親を亡くす。御坊商業学校(現・和歌山県立紀央館高等学校)卒業後中国大陸に渡り、華北交通の給費学生として1941年北京中央鉄路学院本科を修了。1943年に満鉄に入社。終戦後、製塩業、ゴム工場などの様々な仕事に就く。その後、上京し自由民主党本部に就職、党職員になる。和歌山県選出の早川崇衆議院議員に見出され、早川が労働大臣に就任した際、大臣秘書官となった。 生長の家政治連合の支援を得て、1965年の第7回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し、当選する。
和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 200… 和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 2001年1月12日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、朝日新聞論説委員。 和歌山県和歌山市出身。1939年官立和歌山高等商業学校(現和歌山大学経済学部)卒業、朝日新聞社入社、東京本社政治部次長、大阪本社経済部長を歴任。 1964年東京12チャンネル(現テレビ東京)、21時朝日新聞ワイドニュース司会。1969年朝日ジャーナル編集長就任。その後、東京本社出版局次長、朝日新聞論説委員となる。 1983年第13回参議院議員通常選挙に公明党から比例代表で初当選。なお非創価学会員であった[要出典]。1989年第15回参議院議員通常選挙にて再選。1994年新進党結成に加わる。
湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年… 湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年9月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5 期)。 1918年、和歌山県海南市生まれ。和歌山県立和歌山中学校を経て第三高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学法学部在学中、高等文官試験行政科試験に合格。大学卒業後、厚生省に入省した。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。飛龍に配属。第15警備隊勤務を経て、1942年8月、旭東丸主計長に就任。同年11月、主計大尉に進み、以後、第二軍需部部員、第四南遣艦隊スラバヤ連絡所長を歴任し同副官として敗戦を迎えた。1945年9月、海軍主計少佐に進む。
大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 197… 大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、日本の政治家。2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として3期を務めた。長男は前和歌山市長の故 大橋建一。 和歌山市出身。父の仕事の関係で京畿道京城府(現・ソウル特別市)に生まれた。第五高等学校を卒業。1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省し千葉県属となる。千葉県警察部勤務を経て、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願。1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎え解員(復員)した。
正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 -… 正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 - 1994年4月17日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、経済企画庁長官。
前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1… 前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1978年1月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。参議院副議長(第13代)。科学技術庁長官(第26代)。息子は法務大臣を務めた前田勲男。 和歌山県出身。東京法学院卒で伊那合同銀行取締役を務めた前田友次郎の長男。旧制和歌山県立伊都中学より旧制浪速高等学校文科甲類を経て1934年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 逓信省に入省後、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどに留学を経験し1937年小倉郵便局長、1943年貯金局企画課長、郵務局逓送課長、郵務局次長などを歴任し、1955年大阪郵政局長を最後に退官。政界入りを目指し翌年の参議院選挙に和歌山県地方区から自由民主党公認で立候補し初当選。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - … 西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月30日)は和歌山県の政治家・郷土史家。和歌山県東牟婁郡四村の村長、本宮町町議会議員をつとめた。政治家の職を退いた後、熊野九十九王子の調査に従事した。 西は1909年(明治42年)8月20日、和歌山県東牟婁郡四村(和歌山県田辺市本宮町)に生まれた。新宮中学校を中退した後、家業の林業に一時従事したが、陸軍に入隊し、郷里を出た。第二次大戦中は満州で軍役に就いたが、敗戦とともにソ連に抑留され、1949年(昭和24年)に帰国した。帰国後、1949年から四村の村長に就任し、水害にあった村の復旧など、政治家としての手腕を振るったが、1951年(昭和31年)に四村ほかいくつかの町村が合併して本宮町が成立する際の町長選で落選した。