高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 20… 高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 2007年5月28日)は、日本の洋画家。美人画・裸婦で絶大な人気を誇った。 岡山市出身、東京芸術大学で梅原龍三郎、林武、硲伊之助に師事、1953年卒業。同年、恩師で日本美術会の委員長を務めた硲伊之助の影響から、第7回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。以後、第11回まで出品。新東宝撮影所美術課に勤務のかたわら「8人の会」を結成、個展を開くなどしたが作品に恵まれず、1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり台本も書く。1956年NHK広報室嘱託となり、1968年まで勤める。1957年より小津安二郎監督映画のタイトルを担当するなど多方面に活躍。
柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017… 柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017年9月18日)は、日本地方史学者、就実大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。岡山大学教育学部社会科卒業。その後岡山県職員の教員となり岡山県立林野高等学校、岡山県立倉敷天城高等学校、岡山県立倉敷青陵高等学校、岡山市立商業高等学校教員、岡山県教育庁文化課主幹、岡山県立博物館主任学芸員を経て退職後、兵庫教育大学教授、1996年定年退任、就実大学教授、就実大学・就実短期大学学長、名誉教授。1993年「近世大名領国経営の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。宇喜多史談会会長、岡山歴史研究会顧問を務める。 2017年9月18日、肺炎のため死去、87歳。
窪田 登(くぼた みのる、1930年4月29日 - 2017… 窪田 登(くぼた みのる、1930年4月29日 - 2017年8月20日)は、日本の元ボディビルダー、元重量挙げ選手。吉備国際大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。 岡山県倉敷市に生まれる。兄の影響でウエイトトレーニングを始め。1947年の第1回関西重量挙げ選手権ではライト級第2位となる。1952年、日本ウエイトリフティング協会が開催したボディコンテスト「ミスター日本コンテスト」にて優勝。このコンテストが日本ボディビル協会(のちの日本ボディビル連盟)設立のきっかけとなる。 旧制倉敷高校・新制倉敷高校(現・岡山県立倉敷青陵高等学校)を経て、早稲田大学第一法学部を卒業。1960年、ローマオリンピック・ウエイトリフティング競技に出場し、ライトヘビー級7位。
堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日… 堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日本の作家・詩人。本名・浅野孝子、のち渋谷姓。 岡山市の貧家に生まれる。1946年就実高等女学校(現・就実中学校・高等学校)卒。終戦直後には岡山駅前で体を売った。自動車組合に就職後、『近代詩人』同人となる。1951年庭瀬駅売店店員となる。1954年結婚。1957年タムタム芸術集団(のち「総合芸術」)同人となり編集長・北田玲一郎のもとで詩を書く。1965年「石原慎太郎論」を書き話題となる。1967年、貧困と性にまみれた自伝的小説『わが闘争』を刊行、ベストセラーになり、佐久間良子主演・中村登監督で松竹で映画化もされ、岡山でロケも行われた。
長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19… 長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19日 - 2024年〈令和6年〉11月4日)は、日本の音楽文化研究家、音楽プロデューサー。ポリドール・レコード学芸部長、徳間音楽工業常務取締役、テイチクエンタテインメント顧問を歴任。 岡山県笠岡市生まれ。笠岡市の禅寺威徳寺の次男として育つ。1953年、駒澤大学英米文学科卒業。 大学在学中からコロムビアレコードでアルバイトをし、レコード業界に出入り。卒業後、同年キングレコード入社。童謡担当ディレクターを振り出しに22年間ディレクターを務めた。 1968年、芸術祭賞受賞(児童のための音楽入門レコード『チュウちゃんが動物園へいったお話』)に始まり、同奨励賞3回、批評家選賞1回。
粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日… 粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の内科医師、開業医。 岡山県津山市田町72番地に出生した[要出典]。粟井家は、美作菅氏の一つであった。 旧制岡山津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)、旧制成城高等学校を経て、旧制岡山医科大学を1954年(昭和29年)に卒業した。卒業後、内科医を志して、岡山大学第二内科に入局し、血液学の研究に従事した。[要出典]学位論文は、特発性栓球減少性紫斑病(現在は特発性血小板減少性紫斑病,指定難病63)の研究で、その過程で、巨核球から血小板が分離して生成されることを発見した。[要出典]1999年刊行の内科学の教科書には、血小板の生成メカニズムとして記載されている。
飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2… 飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2013年10月14日)は、日本の詩人、小説家、翻訳家。日本芸術院会員、元明治大学法学部教授。長男は建築評論家の飯島洋一。 岡山市生まれ。旧制第六高等学校時代、シュペルヴィエルに傾倒。1946年、初めて買った詩集は村上菊一郎訳の『惡の華』だった。翌1947年12月に初めて日本の詩人の書いた詩集、朔太郎の『青猫』を買った。1948年10月、創元選書の大岡昇平編『中原中也詩集』を買ったが、ここにはソネットや、四行四連の「定型詩」が多かった。 1949年に東京大学文学部仏文学科入学、1952年同大学を卒業。在学中、栗田勇らと『カイエ』を創刊する一方、1950 - 51年と鈴木信太郎の講義に出て、ヴィヨンの『大遺言詩』、マラルメのソネット、ヴァレリーの『若きパルク』の演習を受ける。
佐藤 巌(さとう いわお、1930年(昭和5年)2月9日 -… 佐藤 巌(さとう いわお、1930年(昭和5年)2月9日 - 2014年(平成26年)1月25日 )は、日本のフランス文学者であり教育者である。岡山大学名誉教授。岡山県高梁市出身。 1930年(昭和5年)岡山県高梁市に生まれる。1947年(昭和22年)に地元の旧制高梁中学校(現在の岡山県立高梁高校)を4年で卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に第六高等学校文科へ進学した。卒業を経て、1950年(昭和25年)東京大学へ入学した。東大では文学部フランス文学科に進学し、研究テーマは、ポール・エリュアール であった。1953年(昭和28年)同大学を卒業(旧制大学3年制最後の卒業者)した。
吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日… 吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日 - 2014年(平成26年)6月29日)は日本の実業家、元トマト銀行社長・会長。岡山県津山市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日… 小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日本の映画監督・演出家。岡山県備前市出身。東映製作の作品を中心に、数多くの映像作品に携わった。 旧制岡山二中に在学中陸軍航空士官学校に合格、軍事教練では「秀」の好成績を収めていた。その後岡山空襲での被災を経て終戦を迎える。 1954年3月、1年間の留年(しかも大手広告代理店に一度就職する)を経て、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻を卒業。大学の同級生には、後に自身が演出する 『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』『Gメン'75』にレギュラー出演していた藤木悠がいた。 当初は新聞記者を志したが、映画好きもあって(きっかけは黒澤明監督作品『酔いどれ天使』だという)東映を受験し、1954年4月に東映に入社。
小谷 眞三(こだに しんぞう、1930年 - )は、日本のガ… 小谷 眞三(こだに しんぞう、1930年 - )は、日本のガラス工芸作家。 岡山県後月郡芳井町(現井原市)に生まれる。1964年、水島ガラス創業、1966年、倉敷ガラスと改名。 1982年、倉敷文化奨励賞受賞。1985年、岡山県文化奨励賞受賞。1993年、文化庁地域文化功労賞受賞。1996年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授(2004年、退任)。2000年、倉敷文化賞受賞。2007年、岡山県文化賞受賞。2014年、倉敷民藝館にて、 「特別企画-倉敷ガラス50周年記念展-」(会期:6月6日(金) - 11月30日(日))が開催される。 門下に、横山秀樹、小谷栄次(小谷の長男)、石川昌浩などがいる この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
瀬本 容子(せもと ようこ、1930年(昭和5年) - )は… 瀬本 容子(せもと ようこ、1930年(昭和5年) - )は、日本の画家及び、芸術家。岡山県倉敷市生まれ。 中世からルネッサンスにかけての古典技法で、板やガラス、羊皮紙にテンペラ画を描く 。ラピスラズリやローズマダー、イカの墨等を原料として絵の具に使用し、額も制作している。銀座を中心に各地で個展を開催しており、主に幻想的な女性や子供、果実や風景等、多くの作品を制作する。 1930年、岡山県浅口郡玉島町に、五人兄弟の長女として生まれる。父親は証券業を営んでいた。 東京都にある自由学園女子部に入学し、学生時代には倉敷市にある大原美術館で白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、梅原龍三郎、安井曾太郎の座談会やラザール・レビィのピアノ演奏に触れ、芸術を身近に感じることで画家になることを決意する。
有田 英世(ありた えいせい、1929年(昭和4年)8月23… 有田 英世(ありた えいせい、1929年(昭和4年)8月23日- 2006年(平成18年)9月2日)は、実業家である。元資生堂取締役。岡山県出身。 岡山県に生まれる。旧制高梁中学校(現在の岡山県立高梁高等学校)に進み、1947年(昭和22年)に卒業し、旧制高松経済専門学校(現在の香川大学経済学部)に入学した。同期の友人には、香川銀行の第5代頭取だった大林一友がいる。 旧制高梁中学校を卒業した有田は、憧れである第六高等学校に進み、帝国大学を目指したかった。しかし、家庭の経済状態が良くなく、歴史が得意だったため、広島高等師範学校に進み、学校の教師になろうとも考えていたが、結局、高松経専へ進んだ。1950年(昭和25年)、21歳のときに同校を卒業し、資生堂に入社した。
小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日… 小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、日本の政治家。岡山県久米郡中央町長。岡山県議会議員・議長。(自由民主党)。 岡山県久米郡加美村(加美町→中央町を経て、現在の美咲町)原田に生まれる。旧制岡山県立津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、明治大学法学部を卒業する。卒業後は、アメリカのスタンフォード大学大学院に学び、修了する。帰国後は全国農業協同組合中央会に入り、経理課長、教育部次長などを務める。その後、帰郷し、1976年の衆議院議員総選挙に岡山1区から新自由クラブ公認で立候補したが、落選した。3年後の1979年の総選挙では無所属で立候補したが落選した。
小倉 忠夫(おぐら ただお、1929年3月22日 - )は、… 小倉 忠夫(おぐら ただお、1929年3月22日 - )は、日本の美術評論家。 岡山県高梁市生まれ。父は、小倉魚禾(おぐら ぎょか)であり、画家であった。 旧制高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)在学中は大西茂と同級生であり友人であった。その後、1945年4月(昭和20年)海軍兵学校に入学を経て、戦後、東京大学へ入学。1952年東京大学文学部美学美術史卒。国立近代美術館、京都国立近代美術館に勤務、国立国際美術館館長、京都国立近代美術館館長。1995-99年名古屋ボストン美術館館長。1998-2002年大原美術館館長。1999年、勲三等旭日中綬章受章。
笹田 泰敏(ささだ やすとし、1929年(昭和4年)3月18… 笹田 泰敏(ささだ やすとし、1929年(昭和4年)3月18日 - )は、日本の実業家であり、投資家でもある。大和証券の専務取締役を経て、日本インベストメント・ファイナンス(後の大和SMBCキャピタル)初代社長を務め、日本にベンチャーキャピタルを広めた。岡山県出身。 1929年(昭和4年)岡山県に生れる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には、芸術家の大西茂や国立国際美術館館長となる小倉忠夫がいた。1946年(昭和21年)に同校を卒業する。この後、旧制高校を経て、1949年(昭和24年)京都大学法学部へ入学し、1952年(昭和27年)同校を卒業する。 京大卒業後、大和証券(現:大和証券グループ本社)へ入社する。
宗政 五十緒(むねまさ いそお、1929年2月26日 - 2… 宗政 五十緒(むねまさ いそお、1929年2月26日 - 2003年1月27日)は、日本の日本近世文学研究者、書誌研究者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1980年)(学位論文「日本近世文苑の研究」)。龍谷大学名誉教授。 岡山市生まれ。1958年京都大学大学院文学研究科国文学博士課程満期退学。1980年「日本近世文苑の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。ハーバード大学研究員、龍谷大学教授、1997年定年、名誉教授。短歌あけぼの社主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの え… 時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの えみこ)、1929年1月23日 - 2007年3月10日)は、日本の川柳作家、随筆家。現代川柳の一時代を築いた人物として知られる。岡山県上道郡九蟠村(現・岡山市東区西大寺)出身。 1941年、岡山県立岡山西大寺高等女学校(現・岡山県立西大寺高等学校)入学。学徒動員や空襲を経て、1946年兵庫県姫路市の文具商と結婚。傷痍軍人であった夫の暴力に苦しむ中で、新聞の投稿欄で川柳に出会う。もともとは学生時代から短歌を詠んでいたが[要出典]、1954年神戸新聞の川柳壇に初めて投句して入選する。1956年「ふあうすと」に参加するも、翌年同会を退会して『川柳研究』幹事となる。
亀井 三恵子(かめい みえこ、1929年 -2026年1月1… 亀井 三恵子(かめい みえこ、1929年 -2026年1月12日 )は、日本の漫画家。長谷川町子と共に「女性漫画家の草分け」と称される。本名、藤岡 三惠子(ふじおか みえこ)。 しんぶん赤旗において、8コマ漫画『台所剣法』を1970年から2015年まで連載した。『台所剣法』は料理・グルメ漫画の「祖」として挙げられることもある。 岡山県津山高等女学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)を卒業後、山陽新聞社から4コマ漫画の掲載依頼を受け、小学生新聞や中学生新聞へ漫画掲載を始める。主婦の友社の嘱託となり、漫画の連載やイラスト・ルポを担当する。 その後、フリーとなり集英社の「おもしろ漫画文庫」や小学館から単行本を刊行する。
大西 茂(おおにし しげる、1928年〈昭和3年〉11月2日… 大西 茂(おおにし しげる、1928年〈昭和3年〉11月2日 - 1994年〈平成6年〉12月2日)は、日本の視覚芸術家、数学者。視覚芸術とは、絵画や写真、彫刻等を通じて、視覚的に表現する芸術である。 大西は、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)に写真家として芸術活動を始め、徐々に抽象的な墨絵に転向し、写真を基にした作品や抽象的な墨絵を作成した。彼の作品は、日本の伝統的な墨を使った画法で、墨はすすや油、動物の接着剤で作らている。また、様々な写真・現像技術に精通しており、多重露光やブラシやスポンジを使った現像処理、フィルムの処理、温度を利用した色調操作等、様々な手法を駆使して視覚芸術作品を制作した。
藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2… 藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2012年5月29日 )は、日本の経営者、馬主。中鉄バスとテレビせとうちで社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に中鉄バスに入社し、取締役にも就任。1953年に社長に就任し、1954年には中国交通社長に就任。1984年10月から1999年12月までにテレビせとうち社長を務めた。 1984年6月に運輸大臣表彰を受けた。1965年9月に紺綬褒章を受章し、1990年5月に藍綬褒章を受章した。 2012年5月29日、心不全のために死去。83歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
浅沼 和典(あさぬま かずのり、1928年10月17日 - … 浅沼 和典(あさぬま かずのり、1928年10月17日 - 2010年6月13日)は、日本の政治学者。 岡山県出身。旧制関西中学校を経て、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。拓殖大学教授、明治大学政治経済学部教授。94年退職。
林 保夫(はやし やすお、1928年4月2日 - 2022年… 林 保夫(はやし やすお、1928年4月2日 - 2022年8月14日)は、日本の政治家。元衆議院議員(民社党)(3期)。 岡山県総社市出身。岡山一中(現岡山県立岡山朝日高等学校)卒業、海軍兵学校中退。1947年時事通信社に入社。神戸支局長、経済解説編集長などを経て、1972年日本経済教育センター事務局長に就任、その後専務理事に就任した。1975年民社党岡山県連常任顧問執行委員長、民社党機関紙局副局長、国際局副局長を務め、1979年、第35回衆議院議員総選挙で岡山2区から初当選。通算3期務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退した。後継候補は石田美栄。1998年、勲三等旭日中綬章受章。
宮脇 昭(みやわき あきら、1928年(昭和3年)1月29日… 宮脇 昭(みやわき あきら、1928年(昭和3年)1月29日 - 2021年(令和3年)7月16日)は、日本の生態学者、横浜国立大学名誉教授。地球環境戦略研究機関国際生態学センター長。元国際生態学会会長。 岡山県川上郡成羽町(現・高梁市成羽町)出身。岡山県立新見農林学校(現・岡山県立新見高等学校)卒業を経て、広島文理科大学生物学科卒業。児童文学者の宮脇紀雄は兄。 国内外で土地本来の潜在自然植生の木群を中心に、その森を構成している多数の種類の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」を提唱し活動している。 「日本の常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯では土地本来の森は0.06%しか残っていない。ほとんど人間が手を入れて二次林や人工的で単一樹種の画一樹林にしてしまった。
大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年… 大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年6月2日)は、日本の実業家。九州電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、九州・山口経済連合会会長等を歴任した。旭日大綬章受章。岡山県岡山市出身。 1951年九州大学経済学部卒業、日本発送電入社。九州電力東京支社長、九州電力取締役副社長を経て1991年から九州電力代表取締役社長を務めた。1997年九州電力代表取締役会長。同年より九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)会長を務め、九州・沖縄サミット協力特別委員会を設立。2000年の第26回主要国首脳会議への対応にあたった。王貞治後援会王友会会長等も歴任。2004年秋の叙勲で旭日大綬章受章。
那須 正彦(なす まさひこ、1928年1月5日 - )は、日… 那須 正彦(なす まさひこ、1928年1月5日 - )は、日本の経済学者、明海大学名誉教授。 岡山県岡山市出身。1953年東京大学経済学部卒業。旧太陽銀行(現三井住友銀行)に入行し、審査部総務課長、奥沢支店長、大阪副支店長等を歴任。1976年太陽火災海上保険常務取締役に出向。1981年、太陽神戸銀行に復帰、審議役。1982年中部工業大学(現中部大学)教授に転じる。1990-1993年経営情報学部長。1993年明海大学経済学部教授。2000年定年、名誉教授となる。1988年「現代日本の金融構造 資金循環分析による実証と国際比較」で法政大学経済学博士。専攻は経済学、金融論。
古川 哲(ふるかわ てつ、1928年 - 1990年)は、マ… 古川 哲(ふるかわ てつ、1928年 - 1990年)は、マルクス経済学者。法政大学経済学部教授。専攻は産業循環論・経済原論。 岡山市生まれ。1949年旧制第六高等学校文科甲類卒業。1952年東京大学経済学部卒業。旧制六高時代から東大時代以来宇高基輔、大学の演習以来山田盛太郎に師事。法政大学経済学部助教授を経て、教授。1963年に山田盛太郎が土地制度史学会のメンバーを母体に発足させた「再生産構造研究会」に参加した。同じく山田門下の南克巳と「冷戦研究会」を主催した。
稲田 茂(いなだ しげる、1928年 - 2009年7月、8… 稲田 茂(いなだ しげる、1928年 - 2009年7月、80歳または81歳没)は、書体デザイナー、グラフィックデザイナー。岡山県小田郡矢掛町出身。稲田しげる、亜井宇重夫(あい・うえお)名義でも活動した。「イナブラッシュ」「イダシエ」「昭和モダン体」などの書体をデザインしたことで知られている。とくに「昭和モダン体」は漫画『さよなら絶望先生』のロゴに使用されたことがきっかけで「絶望書体」と呼ばれ人気を集めた。死後、書体は有限会社六歌仙が管理している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8… 藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8日 - 2019年(令和元年)10月17日)は、日本の教育者。 岡山県川上郡川上町(現在の高梁市)生まれ。岡山師範学校(現岡山大学教育学部)卒業後、公立学校教職(小学校教諭、中学校教諭)に就く。その後、岡山県教育委員会教育次長として、長年にわたり、県の教育行政に携わる。社会福祉法人旭川荘江草安彦理事長を補佐し、旭川荘の理事、顧問として、医療福祉事業に携わる。旭川荘関連施設「老人保健施設ひだまり苑」役員等。 趣味は、散歩、読書、囲碁(関西棋院3段)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭… 垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭和2年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉1月21日)は、日本の俳優。岡山県新見市出身。岡山県立新見高等学校卒。 長男は俳優・モデルの垂水藤太。 劇団民藝で演劇をしていたが、退団後は映画やテレビドラマに出演していた。 1999年(平成11年)1月21日午後5時55分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去、71歳没。
石井 泰之助(いしい やすのすけ、1927年5月21日 - … 石井 泰之助(いしい やすのすけ、1927年5月21日 - 2004年4月3日)は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県岡山市出身。 1950年に東京大学工学部機械学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1979年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1988年6月に社長に就任。1993年6月には会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 2004年4月3日、心室性不整脈のために死去。76歳没。
細川汀(ほそかわ みぎわ、1927年(昭和2年)2月27日-… 細川汀(ほそかわ みぎわ、1927年(昭和2年)2月27日-2020年(令和2年)1月21日)は、日本の医師、医学者。 岡山県高梁市生まれ。京都大学医学部卒、1961年三重県立大学医学博士。大阪市立衛生研究所、関西医科大学衛生学公衆衛生学教室講師、京都府立衛生公害研究所、京都府向陽保健所長、京都市衛生研究所、京都府立大学教授、90年定年、神戸健康共和会労働医学研究所。京都府交通・労働等災害救済事業団。働く人の生命と健康を守る全国センターなどの参与。専攻は労働医学、社会医学、地域保健医療福祉。「過労死」の語の名付け親の一人。
大熊 輝雄(おおくま てるお、1926年10月6日 - 20… 大熊 輝雄(おおくま てるお、1926年10月6日 - 2010年9月15日)は、日本の精神医学者。 岡山県岡山市生まれ。1949年東京大学医学部卒、1956年「人間の大腦皮質および皮質下部の腦波について」で医学博士。カリフォルニア大学、ハーバード大学に学ぶ。順天堂大学助教授、鳥取大学教授、東北大学医学部教授を務め、名誉教授、1985年国立精神・神経医療研究センター副所長、同武蔵病院長、総長を経て名誉総長。
江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月1… 江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月10日 - 2015年(平成27年)3月13日)は日本の医師、社会福祉事業者、教育者。学位は医学博士。岡山県名誉県民。 岡山県笠岡市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校卒業後、岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)に進学し、勤務医を経て総合医療福祉施設・社会福祉法人旭川荘の創設に参加、旭川荘の第2代理事長(後に名誉理事長)となった。また日本で最初の医療福祉と健康科学を統合した大学である川崎医療福祉大学の初代学長を務めた他、国の福祉審議会委員も歴任した。2015年3月13日、心不全のため死去。88歳没。叙従四位。 岡山大学病院スペシャルニーズ歯科センター教授の江草正彦は次男。
宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月… 宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月7日 - 2013年(平成25年)1月8日)は、ロシア児童文学翻訳家、拓殖大学名誉教授。岡山県津山市生まれ。本名・保栄。拓殖大学卒業後、外務省ロシア語研究会で学ぶ。拓殖大学教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。児童文化功労者。日本児童文芸家協会顧問。 2013年(平成25年)1月8日、心不全のために死去86歳没。
加藤 六月(かとう むつき、1926年〈大正15年〉6月17… 加藤 六月(かとう むつき、1926年〈大正15年〉6月17日 - 2006年〈平成18年〉2月28日)は、日本の政治家。 農林水産大臣(第10・20代)、国土庁長官(第11代)、北海道開発庁長官(第45代)、衆議院議員(11期)。 岡山県笠岡市出身。陸軍士官学校を経て1947年に姫路高等学校文科乙類卒業。 姫路高卒業後は笠岡市内の中学校、高等学校の教諭を務めた。日教組活動に熱中し、1949年には岡山県教組小田郡支部書記長に就任した。また青年団運動にも取り組んでいたが、国民協同党への接触を深める中で、1950年、のちに衆議院議長となる星島二郎と知り合い、秘書として仕えた。 1967年に自由民主党公認で星島の後継者として、旧岡山2区から立候補し、初当選(以降は11回連続で当選)。
野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1… 野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1月10日 - 2017年10月21日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 現在の岡山県笠岡市出身。1942年岡山県立笠岡商業学校卒業。福山市役所に入り、労働組合で活動し、自治労広島県委員長、自治労中央本部組織部長、副委員長などを経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では決算、地方行政の各委員長を歴任、党内では参議院国会対策委員長などを務めた。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。 1996年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2017年10月21日、肺癌のため広島県福山市の病院で死去、91歳。
赤木 昭治(あかぎ しょうじ、1926年(大正15年) - … 赤木 昭治(あかぎ しょうじ、1926年(大正15年) - 2019年(令和元年)5月21日)は、日本の教育者。東京都立園芸高等学校校長を経て、東京農業大学教授。位階は従五位。 岡山県新見市出身。1926年(大正15年)岡山県新見市に生まれる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1944年(昭和19年)同校を卒業した。その後、1949年(昭和24年)新制大学制度により、東京農林専門学校から国立東京農工大学に変更となった同大学へ入学する。大学では、羊の飼育法の研究を行っていた。1953年(昭和28年)同大学を卒業し、東京都立農業高等学校へ教諭として赴任した。 都立高校赴任後も東京都府中市の自然調査等や広島大学水畜産学部へ協力を行っていた。
松野 宏軌(まつの こうき、まつの ひろき 1925年7月9… 松野 宏軌(まつの こうき、まつの ひろき 1925年7月9日 - 没年月日不明)は、日本の映画監督・テレビディレクターである。岡山県都窪郡清音村(現・総社市)の生まれ。本名は松野 博(まつの ひろし)。 1944年、浪速工業高等専門学校を卒業。学生時代から映画好きで、1950年、松竹京都撮影所に入社。演出部に配属され、助監督として伊藤大輔、成瀬巳喜男、野村芳太郎、大曽根辰保に師事。1964年、菊池靖と共同で『続道場破り・問答無用』で監督に昇格。その後『いも侍』シリーズを手がけたが、邦画の斜陽化もあり1973年にフリーに。それと前後してテレビ映画の演出も手がけ始め、『鞍馬天狗』(MBS)、『必殺シリーズ』(ABC)など、主に時代劇を手がけた。
笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日… 笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日 - 2011年(平成23年)4月4日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(3期)。 岡山県出身。1953年(昭和28年)愛知大学法経学部経済学科を卒業した。 小学校教員を務め、その後、衆議院議員秘書となる。1955年(昭和30年)岡山県議会議員に選出され3期在任した。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で岡山県地方区から自由民主党公認で出馬したが次点で落選。1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で岡山県第1区から出馬し初当選。選挙後、選挙違反で書類送検された。次の第33回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月1… 丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月18日 - 2007年〈平成19年〉2月19日)は、日本の電気工学者であり、教育者である。逓信省で電波研究を行った後、防衛大学校の教授を務めた。退官後、防衛大学校名誉教授となる。岡山県出身。位階は従四位、勲三等瑞宝章に叙されている。 1925年(大正14年)岡山県に出生する。1938年(昭和13年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1943年(昭和18年)同校を卒業を経て、茨城県にある日立製作所が設立した多賀高等工業学校(現:茨城大学工学部)へ進学する。 同校では、電気通信学を専攻し、多賀高等工業学校が途中で多賀工業専門学校と名称を変更し、電気通信科が新設され、丸川はそこに所属する。
木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 200… 大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 2008年10月15日)は、日本の電気工学者。工学博士。 1925年4月1日、岡山県上房郡有漢町(現在の高梁市)出身。1944年に関西中学校を卒業後、旧制第六高等学校を経て芝浦工業専門学校に入学。主に電気工学を専攻とする。 戦後の学制改革により芝浦工業大学となった後に卒業。その後はアメリカ合衆国へ渡り、マサチューセッツ工科大学客員研究員、アメリカ航空宇宙局(NASA)客員研究員などを務める。NASA時代にはアポロ計画に参画、人工衛星取付用太陽電池の開発に携わっている。 1973年に芝浦工業大学工学部教授に就任。1991年から1997年までの6年間、芝浦工業大学学長を務めた。
常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - … 常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - 1987年4月29日)は、岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は橋本 正(はしもと ただし、旧姓は石川(いしかわ))。最高位は東前頭2枚目 (1952年5月場所)。現役時代の体格は175cm、98kg。得意手は左四つ、下手投げ、内掛けなど。 年寄・10代出羽海(元関脇・鷲羽山)の義理の叔父。 実家は農家で、14歳の時に同郷の藤島親方(元横綱・常ノ花、後の出羽海親方)を慕って、出羽海部屋への入門を願った。だが、体重不足により新弟子検査で合格できず、1939年暮れの検査で飯を腹一杯に詰め、廻しに鉛を入れた上に水をたらふく飲んでようやく合格した。
沼田 曜一(ぬまた よういち、1924年(大正13年)7月1… 沼田 曜一(ぬまた よういち、1924年(大正13年)7月19日 - 2006年(平成18年)4月29日)は、日本の俳優。本名:美甘 正晴(みかも まさはる)。岡山県真庭郡湯原村出身。
暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6… 暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6月26日 - 2023年〈令和5年〉12月22日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。学位は、農学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文『日本農業問題の展開』)。東京教育大学教授・信州大学教授・宇都宮大学教授・東亜大学教授を歴任。 暉峻義等の次男。妻は暉峻淑子。長男は暉峻創三。 岡山県倉敷市出身。1943年東京帝国大学に入学。1944年学徒動員により入隊し、陸軍経理学校に入る。1945年8月12日、原爆投下後の広島市に入る。 1947年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1984年『日本農業問題の展開』で東京大学より農学博士の学位を取得。
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年… 吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日)は、日本の小説家。代表作に『驟雨』『砂の上の植物群』など。対談やエッセイの名手としても知られた。
天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 … 天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 - 1997年〈平成9年〉11月24日)は、日本の原子力研究者。日本原子力研究所副理事長、日本原子力学会副会長、CSK取締役も務めた。岡山県高梁市出身。 1924年(大正13年)に岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高校)へ進学し、1940年(昭和15年)に卒業。同年、旧制第六高等学校理科甲類へ入学し、1943年(昭和18年)卒業を経て、東京帝国大学へ入学、1945年(昭和20年)に日本が第二次世界大戦で敗北し、3年次で東京帝国大学工学部電気工学科を繰り上げ卒業となる。 卒業後、1939年に東京電気と芝浦製作所が合併して誕生した東京芝浦電気(現:東芝)へ1945年に入社。
秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015… 秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015年11月18日)は、日本の文学者。専門は、国文学・中古文学。東京大学名誉教授。紫綬褒章受章。日本学士院会員、文化功労者。勲二等瑞宝章受章。 国士舘短期大学助教授、東洋大学助教授、東京大学文学部教授、東京女子大学教授、駒沢女子大学教授、紫式部学会会長などを歴任した。 岡山県出身の国文学者であり、主として中古文学を専攻した。『源氏物語』の成立論をはじめ、構造論、人物論、さらには作者である紫式部に関する作家論など、多彩な方法論を展開した。その結果、『源氏物語』研究の指導的存在となり、学界に大きな影響を与えた。また、平安時代の和歌をはじめ、物語、説話文学、さらには漢文学に至るまで、作品成立時の社会的環境の下での作者の心理、意識、表現などを解明した。
建元 正弘(たてもと まさひろ、1924年1月1日 - 19… 建元 正弘(たてもと まさひろ、1924年1月1日 - 1997年12月27日)は、日本の経済学者。専門は、近代経済学・国際経済学。学位は、経済学博士(大阪大学・1961年)。大阪大学名誉教授。岡山県出身。