上野 照剛(うえの しょうごう、1943年 - ) は、日本… 上野 照剛(うえの しょうごう、1943年 - ) は、日本の医用生体工学者。東京大学名誉教授。元日本応用磁気学会会長。元日本生体磁気学会会長。 福岡県立三池高等学校を経て、1966年九州大学工学部電子工学科卒業。1972年九州大学大学院工学研究科電子工学専攻修了、工学博士。原田耕介に師事した。1976年九州大学工学部助教授。1986年九州大学工学部教授。1990年日本臨床神経生理学会評議員。1994年東京大学医学部教授。1995年電気学会電磁界生体影響問題調査特別委員会副委員長。1999年日本生体磁気学会会長、国際電波科学連合 Chairman Commission K Electromagnetics in Biology and Medicine。
水戸英則(みと ひでのり、1943年 - )は、日本の銀行家… 水戸英則(みと ひでのり、1943年 - )は、日本の銀行家、大学理事長。福岡県北九州市出身。日本銀行を経て、現在、学校法人二松学舎の理事長。 1969年、九州大学経済学部を卒業。同年日本銀行に入行。1973年にフランス政府留学、1992年日本銀行青森支店長、1996年株式会社肥後銀行常務取締役に就任。2004年学校法人二松学舎入職、2005年には評議員、常任理事、2011年理事長就任、現在に至る。2007年から二松学舎大学非常勤講師。 文部科学省国立大学法人評価委員会委員、同分科会委員、同第II期専門委員、同業務・財務等審議専門部会委員、日本私立大学協会評議員、同理事会監事、同関東地区連絡協議会監査役、IAUP(世界大学総長協会)日本委員会委員、独立行政法人大学評価・学位授与機構大学ポートレート運営会議委員など。
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋… 大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 学生時代は山口薫に師事。1970年代には『毬シリーズ』と呼ばれる幻想的な作品を制作していた。1979年の渡仏後、2人の娘を彼女をモデルにした『少女シリーズ』を描きはじめる。現在も家族を題材にした淡い色調の作品が多いが、風景画にも取り組んでいる。作風にはバルテュスの影響があるといわれている。また渋谷駅構内にはステンドグラスを使った壁画作品が設置されている。
松田 博(まつだ ひろし、1942年(昭和17年)12月27… 松田 博(まつだ ひろし、1942年(昭和17年)12月27日 - )は、日本の社会思想史学者、グラムシ研究者、立命館大学名誉教授。専攻、社会思想史、イタリア近代思想史。国際グラムシ学会会員。
久保田 勇夫(くぼた いさお、1942年(昭和17年)12月… 久保田 勇夫(くぼた いさお、1942年(昭和17年)12月6日- )は、日本の官僚、銀行家、西日本シティ銀行代表取締役会長。
江藤 漢斉(えとう かんさい、本名:江藤順一、旧芸名:江藤 … 江藤 漢斉(えとう かんさい、本名:江藤順一、旧芸名:江藤 漢、江藤 潤、1942年11月13日 - 2020年8月10日)は、日本の俳優。最終所属はアイティ企画。身長173cm、血液型A型。福岡県福岡市出身。福岡大学卒業。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
波平 恵美子(なみひら えみこ、1942年11月 - )は、… 波平 恵美子(なみひら えみこ、1942年11月 - )は、日本の文化人類学者。お茶の水女子大学名誉教授。日本民族学会(現・日本文化人類学会)第19期会長。専門は文化人類学、特に医療人類学、宗教人類学、ジェンダー論。日本文化論(日本民俗学)における「ハレ・ケ・ケガレ」という三項対置の概念を示した。福岡県北九州市出身。
梅﨑 壽(うめざき ひさし、1942年〈昭和17年〉8月23… 梅﨑 壽(うめざき ひさし、1942年〈昭和17年〉8月23日 - )は、日本の運輸官僚、実業家。 公益財団法人日本ナショナルトラスト会長(代表理事)、一般財団法人地域伝統芸能活用センター評議員、東京地下鉄株式会社代表取締役社長、帝都高速度交通営団副総裁、国土交通省顧問、運輸事務次官、運輸省大臣官房長、運輸省鉄道局長などを歴任。 福岡県大牟田市出身。1966年(昭和41年)、京都大学法学部を卒業。同年運輸省に入省。入省後、運輸行政に携わり、運輸省大臣官房海洋課長、鉄道監督局国有鉄道部日本鉄道建設公団・本州四国連絡橋公団監理官、運輸省大臣官房国有鉄道部日本鉄道建設公団・本州四国連絡橋公団監理官、貨物流通局港湾貨物課長、運輸政策局運輸産業課長、航空局監理部総務課長、運輸省大臣官房人事課長、内閣官房内閣参事官兼総理府内閣総理大臣官房人事課長兼総理府人事管理官、航空局監理部長、同局次長などを歴任。
渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - … 渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - 2023年12月20日)は、福岡県直方市出身のプロ野球選手(投手)。パームボールが武器。 福岡県出身ながら神奈川県の慶應義塾高校に進学したのは、当時八幡製鐵の監督だった加藤喜作が母校・慶應義塾大学に入れるため説得したもの。2年生の時、1959年の夏の甲子園県予選決勝に進むが、法政二高に敗れる。秋季関東地区大会で優勝し、翌1960年の春の選抜に出場。準々決勝まで進出し、今川敬三投手(早大)を擁する秋田商と対戦するが、延長11回1-2で敗退。同年夏は県予選準決勝で横浜商を相手にノーヒットノーランを達成。しかし決勝では法政二高の柴田勲と投げ合い、延長11回の激闘の末敗れる。
大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月1… 大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月12日 - )は、2021年に引退した囲碁棋士。名誉碁聖。福岡県北九州市出身、日本棋院所東京本院所属、木谷實九段門下、九段。 碁聖位6連覇、名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。 厚く味のよい形を好む本格的な棋風で大器、大竹美学と呼ばれる。布石では小目を好む。またNHK杯優勝5回など早碁を得意とし「早碁の神様」、名人戦では挑戦手合通算12回出場などで「名人戦男」などのニックネームを持つ。同年同月生まれでライバルでもある林海峰と並んで"竹林"とも称される。 通算タイトル獲得数は48で、囲碁棋士の獲得タイトル数ランキング歴代5位。門下に西村慶二八段。
西村 英俊(にしむら ひでとし、1942年4月29日 - 2… 西村 英俊(にしむら ひでとし、1942年4月29日 - 2013年12月31日)は、日本の実業家。双日最高経営責任者(CEO)。西日本高速道路社長。
関 文彦(せき ふみひこ、1942年4月17日 ‐ )は、日… 関 文彦(せき ふみひこ、1942年4月17日 ‐ )は、日本の実業家。株式会社関家具の創業者で名誉会長。1968年(昭和43年)、25歳の時たった一人で家具卸を起業して以降、2017年には連結売上高155億円をあげるまでに会社を成長させた。全国3000店舗へ家具を卸し、直営店舗を35店経営。2018年(平成30年)には創業50年を迎えその間赤字なしを達成している。トレードマークは黒いシャツに黒いジャケット、赤いネクタイ。 福岡県大川市に木工職人の子として生まれる。父親は職人気質で腕もよかったが良いものを安く販売していたため仕事はあっても利幅は薄く、暮らしは楽ではなかった。大川で育った関は小学生の頃には父の弟子たちと一緒に材木を運び、中学生の頃には鋸と鉋を使いこなしていたという。
才所 俊郎(さいしょ としろう、1942年4月7日 - )は… 才所 俊郎(さいしょ としろう、1942年4月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。 八女高校では1年生の時、1958年夏の甲子園に控え外野手として出場。3回戦で板東英二投手のいた徳島商に敗退。2年、3年の夏はいずれも県大会準決勝で延長戦の末に敗退。卒業後は日鉄二瀬へ進み、都市対抗野球大会に出場すると河合楽器へ移籍。俊足好打の外野手として知られ、1964年から2年連続で都市対抗野球に出場。 1965年ドラフト会議で読売ジャイアンツより5位指名で入団。1年目の1966年から一軍に上がり、9月には右翼手として先発出場を果たす。1968年にはイースタン・リーグで盗塁王になる。しかし層の厚い外野陣の中であまり活躍の場はなく、代走等の起用が多かった。
中川 勝弘(なかがわ かつひろ、1942年(昭和17年)3月… 中川 勝弘(なかがわ かつひろ、1942年(昭和17年)3月11日 - 2016年(平成28年)7月8日)は、日本の元官僚の実業家で、2013年7月時点でトヨタ自動車相談役。元通商産業審議官、元トヨタ自動車副会長。
藤田 陽三(ふじた ようぞう、1942年〈昭和17年〉2月2… 藤田 陽三(ふじた ようぞう、1942年〈昭和17年〉2月20日 - 2023年〈令和5年〉8月1日)は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(3期)、元福岡県議会議員(5期)、元筑紫野市議会議員(2期)。 福岡県筑紫野市出身。山口村立山口小学校(現・筑紫野市立山口小学校)、筑紫野町立二日市中学校(現・筑紫野市立二日市中学校)、福岡県立修猷館高等学校夜間卒業。父の遺志を継ぎ、左官業に従事。 1974年(昭和49年)、第12回全国左官技能競技大会優勝。 1987年(昭和62年)5月から筑紫野市議会議員を2期務め、1991年(平成3年)11月から福岡県議会議員を5期務めた。 2011年(平成23年)1月30日に行われた筑紫野市長選挙に出馬し、初当選した。
坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は… 坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は、昭和期に活躍した日本のプロレスラー、柔道家、実業家。福岡県久留米市出身。世界の荒鷲と呼ばれた。長男は格闘家・元プロレスラーの坂口征夫、次男は俳優の坂口憲二。 受験に失敗し、一年高校浪人して久留米市立南筑高校に入学。1960年、柔道三段を取得。高校卒業後、明治大学に進学。柔道部で神永昭夫の指導を受ける。1963年10月、バーデン=バーデンでのIOC総会で柔道の1968年メキシコシティーオリンピックからの除外が決定。国際柔道連盟(IJF)はIOCに再考を促す。坂口はその長身を生かし、1964年東京オリンピック前には「仮想ヘーシンク」として、神永の稽古相手を務めた。
萩島哲(はぎしま さとし、1942年2月15日-2026年3… 萩島哲(はぎしま さとし、1942年2月15日-2026年3月19日)は、日本の都市計画学者、九州大学名誉教授。 福岡県大川市生まれ。1965年九州大学工学部建築学科卒、1973年同大学院工学研究科博士課程満期退学、79年「システムズ・アプローチによる都市の土地利用変動予測の手法に関する研究」で九大工学博士。1974年九州大学講師、79年助教授、91年教授、2006年定年退官、名誉教授。1990-96年国際海運港湾学会副会長、1998-2004年アジア都市研究会代表。1990年日本建築学会霞が関ビル記念賞、1997年日本建築学会賞受賞、2002年全国建築審査会協議会表彰、日本都市計画学会石川賞受賞。
永利 新一(ながとし しんいち、1942年2月2日 - 20… 永利 新一(ながとし しんいち、1942年2月2日 - 2021年7月2日)は、日本の実業家、公認会計士、税理士。オーム乳業代表取締役社長、同社代表取締役会長、大牟田商工会議所会頭、如水監査法人代表、福岡県包括外部監査人等を歴任。 福岡県大牟田市出身。福岡県立三池高等学校を経て、1966年一橋大学商学部卒業。吉野昌甫ゼミ出身。1969年プライスウォーターハウス会計事務所入所。コンサルタントなどを務めた。 1974年家業の3代目としてオーム乳業代表取締役社長に就任。冬季の牛乳への需要減に対応して生クリーム製造を開始したり、コーポレートアイデンティティや、学校給食、自社販売などの販売チャンネル整備を行った。
小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさ… 小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさおみ)、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2020年〈令和2年〉12月7日)は、日本のコメディアン、タレント、俳優、声優。社団法人日本喜劇人協会会長(第10代)。福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)出身。 愛称は「親分さん」「小松の親分(自らのコントから)」「小松与太八左エ門」。所属事務所は有限会社ドン・タック。プロデューサーハウスあ・うんとスケジュール窓口で業務提携。 7人兄妹の5番目として、櫛田神社の前および鐘紡福岡工場の近くで育つ(博多の総鎮守である櫛田神社の前が自宅であることを福岡県福岡市博多区にいる仲間たちにも自慢していたことがあった)。
岩谷 宏(いわたに ひろし、1942年1月6日 - )は、日… 岩谷 宏(いわたに ひろし、1942年1月6日 - )は、日本のライター、翻訳家。 旧:京城府(韓国)生まれ。3歳の時に引き揚げ。福岡県立福岡高校を経て、1964年京都大学文学部仏文科卒業、卒論はランボー。 約1年半ブラブラした後、1965年秋上京して、パン菓子業界紙、マーティング会社等に勤めた。 1970年、朝日ジャーナル懸賞論文に「“生活”の中に何が発見できそうか」で入選。 1972年、渋谷陽一、松村雄策、橘川幸夫らと、ロック雑誌『Rockin'on』を創刊。創刊時より、ロック評論、エッセイを執筆し、訳詞を手がける。初期『rockin'on』の理論的指導者でもある。 1985年に『rockin'on』を離れた以降は、ラジカルなコンピュータ文化に希望を託し、主にコンピュータ関連の著述・翻訳活動に取り組む。
角田 由紀子(つのだ ゆきこ、1942年 - ) は、日本の… 角田 由紀子(つのだ ゆきこ、1942年 - ) は、日本の弁護士。第二東京弁護士会、角田愛次郎法律事務所所属。 性暴力被害者の権利擁護活動、セクハラ、DV、ポルノグラフィーの問題を専門としている。東京・強姦救援センター法律顧問、人権団体イクオリティ・ナウ理事、希望のたね基金顧問。 ミシガン大学客員教授、明治大学法科大学院教授、ジェンダー法学会理事、日本学術会議特任連携会員、ポルノ・買春問題研究会共同代表、NPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」代表理事、日弁連両性の平等に関する委員会委員などを歴任した。
津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ… 津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ方観世流の能楽師。二松學舍大学文学部特任教授。観世流緑泉会代表、重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)、福岡県出身。 1942年福岡県北九州市生まれ。1960年福岡県立八幡高等学校卒業、1963年能「花月」初シテ、翌年一橋大学経済学部卒業、1969年一橋大学社会学部卒業。在学中に一橋観世会で女流能楽師の津村紀三子に師事し、能楽師の道を志す。卒業の後は先代観世喜之に師事する。1967年4月日蓮宗本山海光山佛現寺において出家得度(板垣日応上人門弟)し、同年8月に身延山信行道場を修了し僧籍を取得する。同年師の津村紀三子の養子となる。1970年観世流師範 、1971年能「道成寺」初演。
原田 種眞(はらだ たねまさ、1942年 - )は日本の歴史… 原田 種眞(はらだ たねまさ、1942年 - )は日本の歴史小説作家。福岡県福岡市生まれ。西南学院大学経営学部卒業。 会社勤務の傍ら執筆活動を行う。1989年(平成1年)、九州の戦国武将・立花宗茂の波乱の生涯を描いた『火の槍 立花宗茂』にてデビュー。主に史実に沿った歴史小説を手掛ける。 ※ 単行本の刊行順に記す。
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没… 小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入校(第57期卒業)。1941年4月15日に「早苗」艦長。1941年10月1日、「如月」艦長となる。 第6水雷戦隊第30駆逐隊所属の「如月」は、1941年12月の太平洋戦争開戦劈頭、ウェーク島攻略(ウェーク島の戦い)任務に就き、第6水雷戦隊旗艦である軽巡洋艦「夕張」等とクェゼリン環礁を出撃した。12月11日、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南で、島内のアメリカ海兵隊基地に所属するF4F戦闘機の機銃掃射を受けて爆沈し、その際に小川は戦死した。
龍 隆行(りゅう たかゆき、1941年11月25日 - 20… 龍 隆行(りゅう たかゆき、1941年11月25日 - 2017年3月15日)は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)、プロボウラー。1971年プロ入りJPBA日本プロボウリング協会第8期生ライセンス№225。 小学生の時に野球をやっていた兄の影響でプロ野球選手を志すようになり、その兄からカーブを教えてもらってから頭角を現し、中学の時に4番で投手を務める程に活躍をしていた。 三池高校では、エースとして1958年秋季九州大会で準々決勝に進むが、長崎南山高の杉町攻(西鉄)に完封を喫する。翌1959年は春季九州大会決勝で宮崎大淀高を降し優勝を飾る。夏の甲子園県予選でも準々決勝に進むが、戸畑高に敗退し甲子園には届かなかった。
井手 明彦(いで あきひこ、1941年10月24日 - 20… 井手 明彦(いで あきひこ、1941年10月24日 - 2020年4月2日)は、日本の実業家。三菱マテリアル代表取締役社長(2004年6月 - 2010年6月)。 福岡県出身。少年時代は炭鉱勤務の父親につき、各地を転々とした。
石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月2… 石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月20日 - )は、囲碁の棋士。福岡県うきは市出身、日本棋院関西総本部所属、細川千仭九段門下、九段。元院生師範。名人戦リーグ2期、本因坊戦リーグ2期など。兄は石井衛九段。門下に史上初の七冠同時制覇を達成した井山裕太や、兆乾がいる。 1953年に細川千仭九段に入門、翌年日本棋院院生となり、1956年入段。関西学院大学中退。1968年八段。1969年、新鋭トーナメント戦決勝で石田芳夫に敗れ準優勝。1973、74年に本因坊リーグ入り。1977年、碁聖戦リーグ入り。1978年九段。1979年に棋聖戦九段戦で準優勝、最高棋士決定戦ベスト4に進出するが、準決勝で橋本昌二に敗れる。
北村 憲雄(きたむら のりお、1941年9月25日 - )は… 北村 憲雄(きたむら のりお、1941年9月25日 - )は、日本の実業家。福岡県出身。イタリアトヨタ社長CEOなどを経て、初代郵便事業会長兼CEOを務めた。 福岡県立東筑高等学校を経て、1967年に鹿児島大学法文学部経済学科を卒業し、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社。トヨタ自動車のイタリアでの事業の立役者として知られ、1996年にはイタリアトヨタ社長CEOに就任。2002年にスペイントヨタ会長兼務。2005年にイタリアトヨタ会長。 2006年には日本郵政取締役となり、2007年から郵便事業会長兼CEOを務め、経営効率化を進めた。2009年には郵便事業会長となったがCEOから外れたため、「責任ある立場で、郵便事業の大胆な改革ができなくなった」として、2010年に郵便事業顧問に退いた。
小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、… 小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、日本の実業家。西部ガス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス協会副会長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。1960年福岡県立小倉高等学校卒業。1964年明治大学政治経済学部卒業。同年西部ガス入社。1994年西部ガス取締役。1998西部ガス常務取締役。2000年西部ガス専務取締役。2002年西部ガス代表取締役副社長。2003年山崎宮市、塩屋義之に続く明大出身者として3人目となる西部ガス代表取締役社長に昇格。同年日本ガス協会常任理事、日本ガス協会九州部会長。2004年天然ガス導入促進センター理事。2008年西部ガス代表取締役会長、日本ガス協会副会長。
坂口 祐三郎(さかぐち ゆうざぶろう、1941年9月3日 -… 坂口 祐三郎(さかぐち ゆうざぶろう、1941年9月3日 - 2003年7月13日)は、日本の俳優。本名は中村 徹(なかむら とおる)。別名義は牧口 徹(まきぐち とおる)、坂口 徹(さかぐち とおる)、坂口 徹郎(さかぐち てつろう)。 福岡県久留米市出身。福岡県立八女工業高等学校卒業。 肖像権、キャラクターライセンスは盟友の作家/瀬崎智文と㈱AMIプロジェクトになる。 父親を知らず、4歳で母親に捨てられ、祖父方で育てられた。 福岡県立八女工業高等学校2年生の折に、本人の知らない間に同級生の女子が応募した東映ニューフェイス第7期に合格するが、面接で「学校が終わってから」と答え、周囲が騒然とする中で当時の東映社長である大川博に対して「よかったら次の期に入れてほしい」とまで答えたものの結果は合格し、高校卒業後に東映へ第8期ニューフェイスとして入社。
山崎 広太郎(やまさき ひろたろう、1941年9月3日 - … 山崎 広太郎(やまさき ひろたろう、1941年9月3日 - )は、日本の政治家。福岡県福岡市長(2期)、衆議院議員(1期)、福岡市議会議会(5期)等を務めた。
村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 20… 村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 2017年4月9日)は、日本の料理人、実業家。株式会社ピエトロ創業者。元同社代表取締役社長。 福岡県福岡市博多区出身。1960年福岡県立福岡中央高等学校卒業。1964年福岡大学商学部卒業。1980年親不孝通りに洋麺屋ピエトロを創業し、オーナーシェフとなる。1985年株式会社ピエトロ設立、同社代表取締役社長。2002年に東京証券取引所市場第二部に上場。2007年には取引先の日清オイリオグループと資本業務提携を締結した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではイフジ産業の藤井徳夫とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。
南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000… 南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000年4月7日)は、日本の元バレーボール選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本男子代表監督。 福岡県福岡市出身。福岡市立当仁小学校出身。福岡大大濠高校卒業後、1960年旭化成に入社、バレーボール部に入部。196cmの大型スパイカーとして活躍した。1961年全日本代表初選出。オリンピックでは1964年東京五輪で銅メダル、1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。 そして1972年ミュンヘン五輪では念願の金メダルを獲得。特に準決勝のブルガリア戦では、相手チームのエース・ズラタノフの活躍で先に2セットを奪われて、絶体絶命の状況で第3セット途中から出場し、ミュンヘンの奇跡として語り継がれる逆転勝利の立役者となった。
横内 正(よこうち ただし、1941年7月1日 - )は、旧… 横内 正(よこうち ただし、1941年7月1日 - )は、旧満州・大連生まれ、福岡県北九州市育ちの俳優及び声優。愛称は「ヨコ様」。福岡県立若松高等学校卒業。TYプロモーション所属。
幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )… 幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本農業機械工業会会長などを歴任した。 福岡県北九州市の神職の家に長男として生まれる。伊勢神宮少宮司を務めた幡掛正浩は父。福岡県立東筑高等学校を経て、1964年横浜市立大学商学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。機械企画部長、枚方製造所長、経営管理部長等を経て、1999年取締役に昇格。企業行動監査部担当、関連事業推進部・情報化推進部副担当、経営企画部長等を務めた。2001年常務取締役に昇格し、コンプライアンス本部長、PV事業推進部長等を務めた後、2003年、代表取締役社長に昇格。
利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 202… 利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 2025年7月17日)は、日本の経営者。安川電機社長、会長を務めた。福岡県出身。 福岡県立小倉高校を経て、1964年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に安川電機製作所(のちの安川電機)に入社した。1992年9月に理事に就任。1995年にロボット事業部長に就任し、年間15億円の赤字をだすロボット事業部を黒字に変えた。取締役、常務、専務を経て、2004年3月に社長に就任した。2010年6月に会長に就任した。2013年6月に特別顧問に就任し、2023年に退任。 社外では、在九州フィンランド名誉領事館名誉領事、一般社団法人日本ロボット工業会会長、北九州商工会議所会頭、福岡県行政改革審議会会長などを務める。
細木 郁代(ほそき いくよ、1941年〈昭和16年〉5月 -… 細木 郁代(ほそき いくよ、1941年〈昭和16年〉5月 - )は、日本の源氏物語研究者。福岡県北九州市小倉生まれ。福岡学芸大学附属小倉小学校、小林聖心女子学院中学校・高等学校卒業。1964年聖心女子大学文学部卒業。1971年より計7年間を、イギリス・ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ、セルビア・ベオグラードで過ごす。1992年より市民講座(東京都杉並区、神奈川県鎌倉市腰越など)の講師を務める。
内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2… 内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2026年2月5日)は、日本の実業家。ウチヤマホールディングス創業者・代表取締役会長。 福岡県北九州市小倉南区の平尾台近くで生まれる。家業は弁天町の内山米穀店。福岡県立小倉西高等学校卒業後、家業を継ぐ。1971年から不動産事業に進出。住専問題を受け、バブル崩壊前後の1991年からカラオケ事業に進出。1995年からは飲食事業も展開。2006年には子会社を飲食・カラオケ事業のボナーと、介護事業のさわやか倶楽部に再編し、ウチヤマホールディングスを設立。同社代表取締役社長に就任。2012年にジャスダック上場。2013年には東京証券取引所市場第二部に上場し、2014年に東京証券取引所市場第一部への市場変更を果たした。
渡辺 具能(わたなべ ともよし、1941年4月7日 ‐ )は… 渡辺 具能(わたなべ ともよし、1941年4月7日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(第1次安倍内閣)などを歴任した。 2011年3月9日、山口県内の県道で制限速度を越えて車を運転したとして、道路交通法違反(速度超過)の現行犯で山口県警察に逮捕された。 山口県警は、山口県下関市吉田地方の県道で、渡辺が運転する車が制限速度50キロを20~25キロ超過していた疑いで停止を求めた際、渡辺は免許証などの提示に応じず、名前や住所を明かさなかったため逮捕したと説明。その後、渡辺は取調べに応じ釈放されたとされている。 渡辺の事務所関係者は、事実関係を認めたうえで「本人とはまだ接触ができておらず、詳しくは分かりかねる」とコメント。
君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は… 君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1960年代から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーである。また、オリンピックには3大会連続で男子マラソン日本代表として出場した。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。 出生当時、実家は小倉市で小間物屋を営んでいた。5人兄弟の3番目で、姉、兄、弟2人がいる。中学時代、友人から駅伝クラブに入るよう勧められ、断り切れずに陸上を始める。福岡県立戸畑中央高等学校(現・福岡県立ひびき高等学校)時代はインターハイでも予選落ちを経験するなどとりわけ目立った選手ではなく、高校を卒業後の就職活動も思わしくない中、八幡製鐵(現在の日本製鉄)より陸上部の長距離を強化する目的でスカウトされ、卒業直前にようやく入社が決まったという。
井上 治典(いのうえ はるのり、1941年3月5日 - 20… 井上 治典(いのうえ はるのり、1941年3月5日 - 2005年10月5日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、博士(法学)(神戸大学・論文博士・1993年)(学位論文「多数当事者訴訟の法理」)。甲南大学教授、神戸大学教授、九州大学教授、立教大学教授などを歴任。弁護士。 山口県下関市にて生まれる。妻と三男も弁護士である。父は「連合赤軍事件」の弁護を務めた九州大学名誉教授の井上正治(刑法・刑事訴訟法・刑事学専攻)。母方の祖父は、不破武夫(九州帝国大学法文学部刑法講座担任)。 吉村徳重を指導教官として研究生活に入る。当初の研究課題は多数当事者訴訟の研究であり、従来共同訴訟と称されていたこの分野を多数当事者訴訟という観点から再構成した。
矢ノ浦 国満(やのうら くにみつ、1941年2月23日 - … 矢ノ浦 国満(やのうら くにみつ、1941年2月23日 - )は、昭和中期(1960年代)のプロ野球選手(内野手)。福岡県出身(満州生まれ)。右投げ右打ち。
藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、… 藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、日本の実業家。イフジ産業株式会社創業者最高顧問。 天津租界生まれ。日本の降伏後引き揚げ、桜坂で農業や畜産業を営むようになり、福岡県福岡市で育った。福岡県立福岡中央高等学校を経て、九州大学法学部卒業後、家業の養鶏場経営に従事し、加工卵事業に業態転換を行い1972年にイフジ産業を設立。山崎製パンに採用されて以降全国展開が進み、その後M&Aなどにより業容を拡大させ、2001年にはJASDAQに上場した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではピエトロの村田邦彦とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。2012年には東京証券取引所市場第二部に上場し、ホテルニューオータニ博多で祝賀会を開催した。
内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - … 内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - )は、日本の詩人、童話作家。 1941年福岡県大牟田市生まれ。父は詩人内田博(本名・弘喜智)。大牟田市立中友小学校、大牟田市立松原中学校、福岡県立大牟田北高等学校卒業。 19歳にて上京。看板職人をしながら詩を書き始める。詩人遠地輝武、秋山清に私淑。『新日本詩人』『潮流詩派』を経て現在『方方』詩友、『騒』同人、『0』同人。詩集に「これでいいへら」潮流詩社、「あかるい黄粉餅」石風社、「なまこ饅頭」無極堂がある。 38歳より児童書を書き始める。 絵本『さかさまライオン』(絵本にっぽん賞)、絵本『うそつきのつき』(小学館児童出版文化賞)、絵本『がたごとがたごと』(日本絵本賞)、絵本『すやすやタヌキがねていたら』(日本絵本賞)、絵本『かあちゃんかいじゅう』(けんぶち絵本の里大賞)、絵本『ともだちできたよ』(日本絵本賞)、絵本『くじらさんのーたーめならえんやこーら』(日本絵本賞)、絵本『ひとのなみだ』(日本絵本賞)を受賞。
小椋 正気(Seiki Ogura、おぐら せいき、1941… 小椋 正気(Seiki Ogura、おぐら せいき、1941年(昭和16年)2月 - )は、数多くの半導体製造技術(LDD、Halo LDD、サイドウォール、スペーサー、CMP、ダマシン)やmpu の開発に携わった半導体の世界的研究者。1996年にIEEEモーリス・N・リーブマン記念賞を受賞。IEEEフェロー。 1941年、福岡県大牟田市で生まれ、長崎県の大島で幼少期を過ごす。福岡県立修猷館高等学校を経て、早稲田大学理工学部に進む。1960年代、大学院在籍中に日本の半導体分野の発展を目指して単身で渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で量子力学、電子工学、マテリアルの3つの科目を専攻し、当時のUCLAで最短記録となる2年半でマスター+Ph.D. の学位を取得。
吉田 嘉明(よしだ よしあき、1941年〈昭和16年〉1月3… 吉田 嘉明(よしだ よしあき、1941年〈昭和16年〉1月31日 - )は、日本の実業家。株式会社大和心代表取締役会長兼社長。 株式会社DHCの創業者であり、代表取締役会長ならびに最高経営責任者(CEO)を務めた。日本経団連評議員[要出典]を務めた。 日本統治時代の朝鮮に吉田稔(佐賀県出身)・信子(広島県出身)の次男として生まれる。 両親の結婚記念日に生まれたので、目出度い日に生まれたという事で「嘉明(よしあき)」という名前がついた。 父親は佐賀県の農学校を出て、当時の農林省から朝鮮に派遣された役人だった。外祖父の松場密三郎は当時日本の統治下にあった朝鮮・満州・台湾を舞台に大活躍した有名な実業家であった。
有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 201… 有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 2011年7月17日)は、日本の商業写真家。非商業的なヌード作品なども発表し、写真以外の芸術作品も制作した。 有田泰而は、1941年1月31日に、当時の福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれた。中央大学法学部に進学したものの、程なくして写真家を志し、東京綜合写真専門学校の学生となって石元泰博の下で学んだ。 有田は、1964年から1991年まで、もっぱら写真家として活動した。1964年から1966年には、日本デザインセンター写真部に所属し、その後、1977年まではフリーランスの写真家として数多くの出版社や広告企業に作品を提供した。1975年に、自分の家族(最初の妻とその息子)を撮影した「First Born」の作品群を発表した。
井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )… 井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の画家。福岡県北九州市出身。日本美術院院友、日府展専務理事、日府賞受賞、外務省買い上げ作品に選出。 1941年、福岡県北九州市に生まれる。1967年、東京芸術大学大学院日本画科を修了する。在学中に日本美術院展に入選し、日本美術院院友となる。1978年、日府展専務理事に就任し、日府賞を受賞する。1998年、「北の朝」が外務省に買い上げられた。2022年、Art Collectors 完売作家に掲載。その後もグループ展の主宰や個展を全国で続ける。 花鳥風月をモチーフに、自然の息遣いをとらえた日本画として紹介されている。古来からの花鳥風月の枠に縛られない桜、椿、薔薇、富士、鯉、猫などを題材にした作品が掲載されており、柔らかな題材を金箔や日本画の技法でまとめた作品が特徴。
渡辺 望稔(わたなべ もちとし、1941年 - 2018年1… 渡辺 望稔(わたなべ もちとし、1941年 - 2018年11月5日)は、日本の弁理士、いおん特許事務所の創業者である。日本弁理士会副会長や、日本弁理士政治連盟会長を歴任し、日本の知的財産制度の発展と弁理士の地位向上に尽力した[独自研究?]。 1970年3月、東京大学工学部化学工学科を卒業した。同年4月、杉村萬國特許事務所(現在の杉村萬國特許法律事務所)に入所した。 1975年12月に弁理士として登録された(登録番号 第8015号)。1978年4月に渡辺特許事務所を開設し、翌1979年1月には事務所名称を「いおん特許事務所」へと変更した。 実務家として活動する傍ら、業界団体の要職を歴任した。1997年には日本弁理士会副会長に就任し、1999年からは日本弁理士政治連盟の会長として、弁理士法の抜本的改正や知的財産基本法の制定に向けた政治的働きかけにおいて中心的な役割を果たした[独自研究?]。
坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都… 坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都市計画学者、都市計画家。日本大学名誉教授。一般財団法人 建築・まちづくり協力研究所理事・研究主幹。一級建築士・管理建築士。博士 (工学)。福岡県福岡市生まれ。父は東京大学名誉教授の構造家坪井善勝。兄は坪井善昭東京芸術大学名誉教授。 1965年、日本大学理工学部建築学科卒業。卒業論文は東京大学生産技術研究所教授の川股重也のもとで「壁式アパートを四階から五階にするための理論と実験」について。1967年、日本大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。市川清志に師事(「大都市の構造」を修士論文のテーマにした。)。 大学院修了後、丹下健三・都市建築設計研究所(URTEC、現・丹下都市建築設計)に10年弱在職。