津森 洋介(つもり ようすけ、1975年〈昭和50年〉2月1… 津森 洋介(つもり ようすけ、1975年〈昭和50年〉2月18日 - )は、日本の元国土交通官僚、元政治活動家。九州地方整備局建政部長、内閣府民間資金等活用事業推進室参事官などを歴任した。 1975年(昭和50年)、福岡県北九州市生まれ。小倉北区の北九州市立南丘小学校、福岡教育大学附属小倉中学校に通いながら、北九州モノレールの開通や市街地再開発、紫川の再生など、当時の北九州市長末吉興一(国土交通省出身)が推進する北九州市ルネッサンス構想によって小倉の街並みが再整備される姿を見て育ち、まちづくりに携わる建設行政を志す。 1993年(平成5年)3月、青雲高等学校を卒業。1999年(平成11年)3月、東京大学法学部を卒業。
堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年〈昭和47年〉10月… 堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年〈昭和47年〉10月29日 - )は、日本の実業家、著作家(書籍・動画)、政治活動家、投資家、タレント、俳優、歌手、料理人、参議院議員私設秘書、YouTuber。 愛称は「ホリエモン」であるが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際には「たかぽん」を自称している。SNS media&consulting株式会社ファウンダー、インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー、ゼロ高等学院主宰、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員、Jリーグアドバイザー、大阪府・大阪市の特別顧問(国際博覧会(万博)担当)、ライブドア(4代目)エグゼクティブ・アドバイザー、野菜アドバイザー、北九州市アドバイザー、北九州下関フェニックスオーナー、CROSS FM代表取締役会長、トキエア取締役、ホリエモンAI学校株式会社取締役。
外山 恒一(とやま こういち、1970年〈昭和45年〉7月2… 外山 恒一(とやま こういち、1970年〈昭和45年〉7月26日 - )は、日本の政治活動家、文筆家、ストリートミュージシャン、ファシスト。政治結社・ファシスト党・我々団臨時総統。 1970年(昭和45年)7月26日、鹿児島県姶良郡隼人町生まれ。福岡県大野城市育ち。父は元自衛官。生まれた時すでに学生運動は衰退に向かっていた。1983年、大野城市立大城小学校卒業(大野城市立大野東小学校から転校)。1986年、西南学院中学校卒業。西南学院中の同級生に政治学者の施光恒がいる。 福岡県立福岡中央高等学校に落第し、二次募集で新設校の中村学園三陽高等学校に入学するが、校風に反感を覚える。高校入学直後より「反管理教育」の活動家というスタンスで管理教育への抵抗運動を始め、左翼運動を左翼の立場から激烈に批判するようになる。
鬼木 誠(おにき まこと、1963年12月7日 - )は、日… 鬼木 誠(おにき まこと、1963年12月7日 - )は、日本の政治家、労働運動家。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。自治労の組織内候補で、党内グループ「サンクチュアリ」に所属している。 福岡県筑紫野市生まれ。1982年福岡県立筑紫高等学校を卒業し福岡県庁入庁。1989年より福岡県職員労働組合青年部長へ就任した。その後、同県筑紫支部長・県職労本部執行委員(労安部長)・県職労本部書記長・県職労本部執行委員長を経て、2014年より全日本自治団体労働組合(自治労)中央本部組織対策局長となり、同総合公共民間局長、同本部書記長を務めた。2021年、立憲民主党参議院比例第15総支部長に就任。 2022年7月の第26回参議院議員通常選挙に比例区から立憲民主党公認で立候補し、初当選した。
宮原 信孝(みやはら のぶたか、1958年7月20日 - )… 宮原 信孝(みやはら のぶたか、1958年7月20日 - )は、日本の外交官、大学教授、政治活動家。専門は中東地域・イスラーム圏研究、平和構築、国際協力。現在はAsia Pacific Alliance for Disaster Management(A-PAD)およびPeace Winds Japan(PWJ)の上席顧問を務める。 1958年7月20日、福岡県久留米市(津福本町)生まれ。久留米大学附設中学校・高等学校、東京大学教養学部を卒業後、1983年に外務省に入省。アラビア語研修を受けたのち、ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)にて中東地域研究の修士号を取得。 外務省在職中は以下の要職を歴任した。
小林 よしのり(こばやし よしのり、1953年〈昭和28年〉… 小林 よしのり(こばやし よしのり、1953年〈昭和28年〉8月31日 - )は、日本の漫画家、評論家、活動家。「よしりん企画」社長、「ゴー宣道場」主宰者。 福岡県筑紫郡大野町(現・大野城市)生まれ、福岡県福岡市育ち。福岡大学人文学部フランス語学科卒業。1976年に『ああ勉強一直線』を投稿しデビュー。『東大一直線』『おぼっちゃまくん』などのヒット作を持つ。令和初期に『おぼっちゃまくん』が人気アニメとしてテレビ放送されているインドでも知名度が高い。1992年の『ゴーマニズム宣言』以降、ギャグ路線だけでなく政治思想路線や時事ネタなどの社会評論的な活動も行うようになり、また2002年から季刊誌『わしズム』責任編集長なども務める。
古賀 伸明(こが のぶあき、1952年(昭和27年) - )… 古賀 伸明(こが のぶあき、1952年(昭和27年) - )は、日本の労働運動家。元日本労働組合総連合会会長。 選択的夫婦別姓制度実現のための民法改正運動を行っているネットの呼びかけ人でもある。 福岡県八幡市(現北九州市)出身。福岡県立八幡中央高等学校卒業。1975年に宮崎大学工学部を卒業し松下電器産業へ入社。1979年に松下電器産業労働組合の役員となり、1982年から専従。 松下電器産業労働組合産業中部支部分会執行委員、中部支部執行委員を経て中部支部書記長。1986年7月に中央執行委員に就任した後、書記長、副中央執行委員長を経て、1996年7月中央執行委員長。2000年7月、全松下労働組合連合会(全松下労連)会長。
馬場 能久(ばば よしひさ、1949年11月26日 - 20… 馬場 能久(ばば よしひさ、1949年11月26日 - 2022年11月12日)は、日本の政治活動家。 福岡県八女市出身。福岡市南区清水在住。国士舘大学政経学部政治学科卒業。元救う会福岡(北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会)代表。元維新政党・新風副代表・同福岡県本部代表。人権擁護法案に反対する市民の連帯:FUKUOKA共同代表。元(財)国際平和機構評議員。定番問題である日本人拉致事件、尖閣諸島の領有権問題のみならず、介護施設の問題、バリアフリー等の高齢者、障害者問題にも取り組んでいる。また政治思想は伝統保守。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には当初反対していたが、対中国包囲網になるという主張を展開しTPP賛成に転向した。
組坂 繁之(くみさか しげゆき、1943年(昭和18年)2月… 組坂 繁之(くみさか しげゆき、1943年(昭和18年)2月25日 - )は、日本の部落解放・社会運動家。九州大谷短期大学ならびに折尾女子経済短期大学の各講師。 部落解放同盟中央書記長、同中央執行委員長などを歴任。 1943年、福岡県小郡市に生まれる。1962年に福岡県立三井高等学校を卒業し拓殖大学へ進学、部落解放同盟福岡県連筑後地区協議会書記長、同県連書記長等を歴任。その後1970年に部落解放同盟福岡県連合会小郡市連絡協議会において青年部長に就任。のち、1989年に部落解放同盟福岡県連合会書記長および中央文化対策部長、1990年に部落解放同盟中央執行委員(環境対策部長)、1996年に中央書記長、1998年に中央執行委員長に就任。
大藪 龍介(おおやぶ りゅうすけ、1938年11月 - )は… 大藪 龍介(おおやぶ りゅうすけ、1938年11月 - )は、日本の政治学者、運動家。元福岡教育大学教授。 1938年(昭和13年)11月23日、福岡県三潴郡大木町生まれ。1954年、福岡県立伝習館高校入学、翌年久留米大学附設高校に転校し、1957年同校卒業[要出典]。 1957年4月九州大学法学部入学、教養部学生自治会を通じてマルクス主義に接する。同年12月〜1958年5月まで教養部自治会委員長を務め、1958年9月〜1959年3月まで九州大学学友会委員長を務めた[要出典]。1959年6月〜1960年9月、九学連(九州地方学生自治会連合)委員長として、安保改定反対闘争を闘い、三池闘争、福教祖勤評反対闘争支援に取り組む[要出典]。
渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 20… 渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 2023年10月13日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正四位。 西鉄労組書記長から私鉄九州地連委員長を務めた後、参議院議員(4期)、社会民主党幹事長(第3代)、社会民主党副党首、社会民主党選挙対策委員長などを歴任。
安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)… 安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)2月21日 - )は、日本の市民運動家、社会思想史研究者。専門は近代日本社会(教育)思想史。名古屋大学名誉教授、不戦兵士・市民の会副代表理事、日本戦没学生記念会元事務局長、イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所)。韓日平和100年市民ネット共同代表。<声明>「韓国は「敵」なのか」賛同者。 2001年(平成13年)4月21日の朝日新聞に掲載された安川の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」に、静岡県立大学国際関係学部の平山洋が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」(5月12日付同紙)を掲載したことで、「安川・平山論争」が始まった。 同年5月21日に安川は慶應義塾大学で講演を行い、講演資料で「福沢論争 批判は事実に基づいて」という再反論を掲載した。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日… 水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日 - 2022年1月3日)は、日本の美術史家、民藝運動家、武蔵野美術大学名誉教授・元学長。 大阪府出身。高校時代から詩を書き、詩誌「櫂」同人。柳宗悦に師事し、旧制福岡高等学校を経て東京大学文学部卒業、1955年(昭和30年)同大学院美術史学科修士課程修了。舞台・放送作家でもあった。 日本民藝館館員を経て、1963年(昭和38年)武蔵野美術大学助教授、1970年(昭和40年)に教授、1986年(昭和61年)学長、1994年(平成6年)退任し名誉教授。2003年(平成15年)5月に日本民藝協会会長(2011年6月まで)。講師として晩年まで、毎年各地で行われた日本民藝協会の全国大会・講座、また柳宗悦をめぐる講演・シンポジウムに多く参加していた。
中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1… 中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1995年3月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)委員長。福岡県北九州市生まれ。 1945年4月陸軍幼年学校卒業、陸軍予科士官学校に入学、在学中に敗戦。1947年2月日本製鐵に入社、八幡製鐵所化工部に勤務。1951年3月明治工業専門学校二部卒業。1955年2月八幡製鉄労組専従執行委員。同年に八幡製鉄労組内のインフォーマルグループ・盟友会に入会。先輩の宮田義二が自宅で開いていた「宮田学校」の門下生にもなった。1960年8月同志会の蔀充にかわり八幡製鉄労組書記長に選出。1968年IMF-JC事務局次長。
上杉 佐一郎(うえすぎ さいちろう、1919年4月16日 -… 上杉 佐一郎(うえすぎ さいちろう、1919年4月16日 - 1996年5月10日)は、福岡県出身の部落解放運動家。部落解放同盟中央執行委員長。 福岡県三井郡御原村大道(現・小郡市二タ)の被差別部落で貧農の家庭に生まれる。農業だけでは食べていけないため、父は靴修理の行商に出、母は廃品回収業で生計を支えた。御原尋常小学校(現・小郡市立御原小学校)高等科卒業後、国鉄への就職試験に3度失敗し、家出生活を送っていたところ、騙されて北海道のタコ部屋に売り飛ばされ、重労働を経験。1934年、松本治一郎に救われて九州鉄道(西鉄)に入社。出征と復員の後、西鉄労働組合の役員となる。1940年4月、福岡二十四連隊第二機関銃隊に入隊。
前田 俊彦(まえだ としひこ、1909年〈明治42年〉9月1… 前田 俊彦(まえだ としひこ、1909年〈明治42年〉9月17日 - 1993年〈平成5年〉4月16日)は、日本の社会運動家。市民運動関係者からは「前田のじいさん」と呼ばれた。 福岡県鞍手郡宮田村(現・宮若市)出身。1917年に父が他界したため、祖父が初代村長をつとめた京都郡延永村(現・行橋市延永)に移り、延永小学校に転校。1926年、福岡県立豊津中学校を卒業して、東京方面へ行く。 労働組合運動に関わり、1931年、日本共産党に入党する。関西地区のオルグを担当する。1932年、治安維持法・陸軍刑法違反で検挙される。懲役7年の実刑判決を受け、福岡刑務所に下獄。1940年に保安処分となり門司市に移り住むが、再度治安維持法違反で起訴され、禁固10ヶ月の判決を受ける。
小宮 市太郎(こみや いちたろう、1909年(明治42年)2… 小宮 市太郎(こみや いちたろう、1909年(明治42年)2月14日 - 1966年(昭和41年)10月2日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。 福岡県、現在の大牟田市で生まれる。福岡県立三池中学校(現福岡県立三池高等学校)、福岡県八女工業学校(現福岡県立八女工業高等学校)を経て、日本大学で学んだが軍事教練反対で退校処分となり、1928年(昭和3年)長野県師範学校を卒業した。 その後、長野県・福岡県内の公立小学校で勤務。文部省教員検定試験に合格し中等教員免状を取得し、朝鮮公立高等女学校、母校の三池中学校、新制三池高等学校の教員を務めた。 戦後、教職員組合の結成に参画し、福岡県教職員連合会文化部長、福岡県高等学校教職員組合副委員長、大牟田地区労働組合評議会会長などを務めた。
稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月1… 稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月19日 - 1989年11月6日)は、日本の政治家、農民運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(13期)。 福岡県八女郡岡山村(現八女市)出身。代用教員を経て1925年に早稲田大学政経学部を卒業。卒業後は農民運動に身を投じた。平野力三率いる全日本農民組合同盟に加わり、日本農民党を経て社会民衆党に参加。その後赤松克麿・小池四郎らと日本国家社会党に参加するがこれも脱退して皇道会から東方会に移籍、1935年に浮羽郡から福岡県議に当選し2期。 1946年日本社会党から衆議院議員になったが、公職追放を受け同年6月22日に辞職。追放解除後の1953年に右派社会党から返り咲き(福岡3区)、再統一を経て1960年の民主社会党に参加。
田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1… 田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年5月12日)は、日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光(後述の叙位・叙勲での官報告示は「田中松月」で告示されている)。 福岡県嘉穂郡大隈村(現・嘉麻市)の被差別部落の出身。1925年、旧制平安中学校(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)卒業。浄土真宗の僧侶となる。そのかたわら部落解放運動に身を投じ、1922年の全国水平社創立大会には福岡県からの唯一の参加者として出席。1935年には全国水平社中央委員に就任。1939年には福岡県会議員に当選、1946年まで務めたのち、1946年の第22回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(日本社会党)。
田原 春次(たはら はるじ、1900年(明治33年)7月28… 田原 春次(たはら はるじ、1900年(明治33年)7月28日 - 1973年(昭和48年)7月14日)は、日本の政治家、部落解放運動家。衆議院議員(7期)。 福岡県京都郡行橋町(現行橋市)の被差別部落の出身。田原寅次郎の長男。豊津中学校(現・育徳館高校)卒業後、早稲田大学に入学し学生団体 黎民創生会の一員として活動した。1922年、早稲田大学専門部法律学科を卒業。翌年渡米しミズーリ州立大学に留学。1924年、福岡日日新聞社に入り同社海外特派員として北米中米南米に滞在。 1928年、帰朝。同年4月東京朝日新聞社に転じ1930年8月まで在社。その後、全国大衆党に入党。機関誌主任になる。農民運動にも参加した。
成重 光真(光眞、なりしげ みつま、1898年(明治31年)… 成重 光真(光眞、なりしげ みつま、1898年(明治31年)9月23日 - 1980年(昭和55年)10月4日)は、大正から昭和期の鉄道技術者、労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員、小倉市会議長。 大分県西国東郡、のちの真玉村(真玉町を経て現豊後高田市)で、代々庄屋を務めた成重家に生まれる。実家が破産し一家で小倉市に移った。1918年(大正7年)小倉工業学校(現福岡県立小倉工業高等学校)機械科を卒業した。 大連に渡り、大連機械、山東鉄道(膠済線)で勤務し、同鉄道従業員組合長を務め、1923年(大正12年)山東鉄道が中国に還付され帰国した。鉄道省門司鉄道局技手に任官し小倉工場に配属された。現業委員会小倉支部長に3期在任。
浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年〈明治30年〉2月… 浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年〈明治30年〉2月28日 - 1967年〈昭和42年〉7月19日)は、大正・昭和時代の日本の労働運動家、政治家。 福岡県嘉穂郡穂波村(穂波町を経て現飯塚市)の小さな炭鉱主の家に生まれる。父の経営失敗により、炭鉱倒産後は渡り鉱夫となりクズ石炭・クズ鉄拾いなどをして生活を送った。 1919年、川瀬徳太郎らと日本労友会を設立し、翌1920年、八幡製鉄所の大労働争議を指導。争議自体は成功に終わったが、浅原自身は治安警察法違反で逮捕された。出獄後上京し、新聞の印刷工をしながら日本大学専門部法科の夜学に通い学んだ。無政府主義者の大杉栄としばしば会ってその弟子和田久太郎の影響も受けた。
伊藤 野枝(いとう のえ、1895年(明治28年)1月21日… 伊藤 野枝(いとう のえ、1895年(明治28年)1月21日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家、翻訳家、編集者。戸籍名は伊藤ノヱ。 かつて平塚らいてうが編集長を務めていた雑誌「青鞜」で活躍するも編集作業を放棄して休刊させ、不倫を堂々と行い、結婚制度を否定する論文を発表して戸籍上の夫である辻潤を捨てて大杉栄の妻、愛人と四角関係を演じた。その暮らしから世評に「わがまま」「奔放」と批判された反面、現代的自我の精神を50年以上も先取りして人工妊娠中絶(堕胎)、売買春(廃娼)、貞操など現在においても問題として取り上げられている課題を題材とし、多くの評論や小説、翻訳を発表した。
寺崎 覚(本姓:寺﨑 覺、てらさき さとる、1894年(明治… 寺崎 覚(本姓:寺﨑 覺、てらさき さとる、1894年(明治27年)8月13日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員、久留米市功労者。 福岡県久留米市津福本町で生まれる。 久留米市鳥飼産業組合理事、同鳥飼農業会長、久留米市農地委員会長、福岡県農村青年連盟久留米地区委員長、久留米市鳥飼農業協同組合理事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に福岡県第3区から出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で再選され、衆議院議員に連続2期在任した。この間、日本農民党情報部長などを務めた。 その後、久留米市教育委員会委員長に就任した。
沖 蔵(藏、おき おさむ、1893年(明治26年)11月2日… 沖 蔵(藏、おき おさむ、1893年(明治26年)11月2日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、大正末から昭和期の弁護士・農民運動家・政治家。衆議院議員。 福岡県山門郡水上村大字小田(東山村、瀬高町を経て現みやま市瀬高町小田)で、沖健雄の二男として生まれる。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに1922年(大正11年)同大法学部法律学科(独法)を卒業した。 弁護士を開業し、法政大学教授、上智大学講師も務めた。1923年(大正12年)から2年間、自費でドイツを中心としたヨーロッパ各国の政治経済の状況を視察して帰国し、郷里に戻った。
出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年〈明治18年〉8月2… 出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年〈明治18年〉8月22日 - 1981年〈昭和56年〉3月7日)は、明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家・慈善家。石油元売会社出光興産の創業者。貴族院多額納税者議員。フランス共和国文化勲章コマンドール受章。 神戸高等商業学校(現・神戸大学)卒業。同校で水島銕也校長に師事し「士魂商才」の理念に感化を受ける。同期に高畑誠一、永井幸太郎、和田恒輔。内池廉吉教授の「商業概論」の講義で受けた「商売は金儲けではない」との教えから、1940年に出光興産創業後、大地域小売業を展開した。 弟(六男)・出光計助は1966年10月から1972年1月まで第2代社長。
塚本 虎二(つかもと とらじ、1885年8月2日 - 197… 塚本 虎二(つかもと とらじ、1885年8月2日 - 1973年9月9日)は、キリスト教無教会主義の伝道者、新約聖書研究家。
桜井 誠 は、日本の政治活動家、文筆家、政治団体「日本第一党… 桜井 誠 は、日本の政治活動家、文筆家、政治団体「日本第一党」元(初代)党首。「行動する保守運動」代表。「在日特権を許さない市民の会」元(初代)会長。本名は髙田誠。