小野 裕人(おの ゆうと、1989年5月14日 - )は、日… 小野 裕人(おの ゆうと、1989年5月14日 - )は、日本の画家、アーティスト。絵を描く過程を動画で見せる手法を用いた現代アーティスト。ファンからは「Yuuto(ゆうと)先生」と呼ばれる。 Instagramに投稿したカーネル・サンダースのイラストを描くアート動画がKFCフランス本社に発見され、広告に利用される。これをきっかけに国内外の企業広告動画を手掛ける。動物の絵の制作依頼を多く受けた事により、保護犬についての関心を深める。地元である福岡市の動物保護センターに通い、保護犬の動画を制作するボランティア活動を行っている。個展「小野裕人展」では「作家全日程在廊」とし、絵画作品の鑑賞だけでなく制作過程の動画が流れたり、作家自ら竹馬やスケートボードで登場する事がある。
冨永ボンド(とみなが ぼんど、Bond Tominaga、本… 冨永ボンド(とみなが ぼんど、Bond Tominaga、本名:冨永久司、1983年 - )は、日本の画家、現代アート作家。木工用接着剤に水性塗料を混ぜて絵を描く「ボンドアート」で注目を集めている。アートセラピーにも取り組んでいる。多久市在住 福岡県出身。福岡デザイン専門学校卒業。木工用ボンドを画材として使用する画法「ボンドアート(登録商標:第5748119号、第5747987号)」の創始者。つなぐ(接着する)を創作テーマとし、ショッピングモールや百貨店の催事、音楽イベントや野外フェスに出演し、ライブで絵画を公開創作する。抽象画のモチーフは全て人間。 福岡で活動していたが、結婚を機に佐賀県多久市に引っ越し、以降は多久市で活動をしている。
Daisuke ART(ダイスケアート)のアーティスト名で活… Daisuke ART(ダイスケアート)のアーティスト名で活動する宮本 大輔(みやもと だいすけ、1982年〈昭和57年〉4月23日 - )は、日本の画家、ライブペインター。男性。福岡県福岡市南区生まれ。アートプロ集団COLOR WORKS JAPAN代表。 クラーク記念国際高等学校東京キャンパス卒業。27歳のときから活動を本格化させ、アートディレクター、ライブペインターとして活動。 2016年パリ、ルーブル美術館(作品展示、ライブペイント)アートフェア、韓国大邱市で行われた、テグインターナショナルボディペインティングフェスティバル世界大会、日本代表にも選ばれ。他にも、福岡ソフトバンクホークス、SONYstoreコラボ企画、博多座出演やアートパフォーマンスショーも行っている。
北村 直登(きたむら なおと、1979年 - )は、福岡県春… 北村 直登(きたむら なおと、1979年 - )は、福岡県春日市出身の画家である。 1995年、大分県佐伯市の日本文理大学附属高等学校へ進学、在学中1年間ブラジルへサッカー留学後、2002年、日本文理大学(商経学部卒)を卒業後就職が見つからずフリーターになるも、アルバイトの契約終了後は路上で自作の絵を売って収入を得る。2005年、大分市美術展覧会に入賞。2006年から個展等を開催。 2014年に放送されたフジテレビ・木曜劇場のドラマ「昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜」に、作中に登場する画家の作品として絵画を提供し話題になった。大分県大分市のふるさと納税返礼品に北村の絵画が採用されている。
鮎川 陽子(あゆかわ ようこ、1976年10月8日 - )は… 鮎川 陽子(あゆかわ ようこ、1976年10月8日 - )は、日本のファッションモデル、画家、デザイナー、女優、グラフィックデザイナー、DJ。2015年9月よりエスプリ所属後、2019年5月現在は独立。福岡県北九州市若松区生まれ。 ロック・バンド「シーナ&ザ・ロケッツ」の鮎川誠とシーナの間に双子の長女として誕生。双子の妹・純子と、7歳年下の妹・知慧子はロックバンド「DARKSIDE MIRRORS」で活動している。 東京都立桜町高等学校を卒業後、コンピュータ・ベンチャー企業やデザイン会社の勤務と平行し、1996年にクリームインターナショナルに所属。ファッションモデルとして活動を始める。CUTiEやSPRiNG、Oliveなどファッション誌や東京コレクションに多く出演し個性的なスタイルで人気モデルとなる。
牧野 伊三夫(まきの いさお、1964年7月4日 - )は、… 牧野 伊三夫(まきの いさお、1964年7月4日 - )は、画家。福岡県北九州市生まれ。 福岡県立小倉高等学校を経て、多摩美術大学を卒業。株式会社サン・アド退社後、画家として本格的に活動を開始。書籍・雑誌・広告の挿絵や装丁を多く手がける。最近では、故郷の北九州市役所の北九州市にぎわいづくり懇話会発行の情報紙「雲のうえ」編集委員もつとめるなど多彩な活動を行っている。また、毎年12月に表参道のHBギャラリーにて個展を行っている。 美術同人誌「画家のノート・四月と十月」の編集長であり、古墳部、風呂会、酒場部など様々な部活動を行っている。
まさごろ(本名:津田 まさごろ、1962年6月7日 - )は… まさごろ(本名:津田 まさごろ、1962年6月7日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、画家、詩人。 福岡県福岡市出身、福岡市立原中学校、福岡雙葉高等学校(生徒会長を務める)、日本大学藝術学部放送学科卒業。 1985年に放送開始されたサンリオのテレビアニメーション「夢の星のボタンノーズ」で主題歌・エンディング曲を歌い歌手としてデビュー。同時に声の出演もしている。 ナムコの80年代のアーケードゲームのボーカルアレンジ版の歌唱にも関わっており、アクションゲーム・ディグダグのアレンジソング「恋のディグダグ」をソロで、アクションゲーム・ワンダーモモのアレンジソング「ワンダーモモ]では歌手TAKAとのデュエットで参加している。
高田 三平(たかた さんぺい、1956年 - )は、日本の画… 高田 三平(たかた さんぺい、1956年 - )は、日本の画家、陶芸家。東京家政大学教授(2017~)。造形作家。福岡県出身。 1956年福岡県に生まれる。1975年福岡県立京都高等学校卒業。1982年多摩美術大学絵画科油画専攻陶芸コース卒業。1999年に葉山町に築窯し、高田三平工房を主宰した。東京家政大学陶芸家非常勤講師、同大学教授を経て、多摩美術大学美術学部工芸学科非常勤講師に就任。
増田 信敏(ますだ のぶとし、1947年 - )は、日本の写… 増田 信敏(ますだ のぶとし、1947年 - )は、日本の写実画家。福岡県苅田町出身。薔薇画廊専属作家。 福岡県立京都高等学校卒業。17歳の時画家を志す。「神秘のリアリスト」として創作活動を展開。「聖なるものを描くことが仕事」とし、本物のリアリズムを追求。
原田 康子(はらだ やすこ、1945年 - )は、日本の画… 原田 康子(はらだ やすこ、1945年 - )は、日本の画家。福岡県出身。千葉県美術会理事を務める。 1945年福岡県行橋市生まれ。1964年福岡県立京都高等学校卒業。福岡女子大学文学部国文学科卒業。光風会会員。千葉県美術会理事。
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋… 大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 学生時代は山口薫に師事。1970年代には『毬シリーズ』と呼ばれる幻想的な作品を制作していた。1979年の渡仏後、2人の娘を彼女をモデルにした『少女シリーズ』を描きはじめる。現在も家族を題材にした淡い色調の作品が多いが、風景画にも取り組んでいる。作風にはバルテュスの影響があるといわれている。また渋谷駅構内にはステンドグラスを使った壁画作品が設置されている。
井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )… 井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の画家。福岡県北九州市出身。日本美術院院友、日府展専務理事、日府賞受賞、外務省買い上げ作品に選出。 1941年、福岡県北九州市に生まれる。1967年、東京芸術大学大学院日本画科を修了する。在学中に日本美術院展に入選し、日本美術院院友となる。1978年、日府展専務理事に就任し、日府賞を受賞する。1998年、「北の朝」が外務省に買い上げられた。2022年、Art Collectors 完売作家に掲載。その後もグループ展の主宰や個展を全国で続ける。 花鳥風月をモチーフに、自然の息遣いをとらえた日本画として紹介されている。古来からの花鳥風月の枠に縛られない桜、椿、薔薇、富士、鯉、猫などを題材にした作品が掲載されており、柔らかな題材を金箔や日本画の技法でまとめた作品が特徴。
坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都… 坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都市計画学者、都市計画家。日本大学名誉教授。一般財団法人 建築・まちづくり協力研究所理事・研究主幹。一級建築士・管理建築士。博士 (工学)。福岡県福岡市生まれ。父は東京大学名誉教授の構造家坪井善勝。兄は坪井善昭東京芸術大学名誉教授。 1965年、日本大学理工学部建築学科卒業。卒業論文は東京大学生産技術研究所教授の川股重也のもとで「壁式アパートを四階から五階にするための理論と実験」について。1967年、日本大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。市川清志に師事(「大都市の構造」を修士論文のテーマにした。)。 大学院修了後、丹下健三・都市建築設計研究所(URTEC、現・丹下都市建築設計)に10年弱在職。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)… 藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒 九州大学工学部造船科(専門部)卒 (1948年) 松田塾にて松田実に洋画の指導を受ける(1949年) 東京芸術大学美術学部芸術学科卒(1955年) スペインの王立サン・フェルナンド美術アカデミーヘ留学(1962年-1966年) 国画会会員。京都造形芸術大学名誉教授。群を抜く描写力と清澄な色彩で「静」でありながら、圧倒する存在感をもつ静物画が多数。また、中央にモチーフを配し単色の背景というシンプルな画面構成であり、抽象画的な感覚も持ちあわせながらも、古典的な技法にもすぐれ各所でその力量を窺うことができる。
野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年〈大正9年〉12… 野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年〈大正9年〉12月17日 - 2023年〈令和5年〉6月22日 )は、日本の洋画家。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 本名は「暁」が旧字体の野見山 曉治であり、文化勲章受章時の名簿でもそのように記載されている。 福岡県穂波村(現飯塚市)にて、炭鉱経営者の子として生まれる。東京美術学校(現東京芸術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化。帰国後は東京芸術大学で教え、美術学部助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となる。 2023年6月22日、心不全のため死去。102歳没。
長谷川 毬子(はせがわ まりこ、1917年(大正6年)8月8… 長谷川 毬子(はせがわ まりこ、1917年(大正6年)8月8日 - 2012年(平成24年)1月29日)は、日本の画家、イラストレーター、実業家。元姉妹社社長で、長谷川町子美術館では理事長、二代目館長を歴任。 漫画家の長谷川町子は実妹。町子のマネジメントや外部との折衝を一手に担い、町子の死後も『サザエさん』の版権管理に大きな影響力を持ち続けた。 佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市東多久町)生まれ。その後福岡市に移り、筑紫女学園を卒業する。卒業後の1934年(昭和9年)、父の死に伴い、家族とともに福岡から東京へ移住。洋画家の藤島武二に弟子入り、川端画塾に通う。 家計を支えるために出版社へ挿絵を持ち込んでいたところ、その絵が菊池寛の目に留まったことで、婦人倶楽部に連載された小説「女性の戦い」(1938年(昭和13年)1月 - 1939年(昭和14年)5月連載)の挿絵を担当。
大内田 茂士(おおうちだ しげし、1913年 <大正2年> … 大内田 茂士(おおうちだ しげし、1913年 <大正2年> 9月24日 - 1994年 <平成6年> 2月1日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。位階は正五位。 福岡県朝倉郡大福村(朝倉町を経て、現 朝倉市)出身。1931年、福岡県立朝倉中学校(現 福岡県立朝倉高等学校)卒業。浜哲雄に画家となることを勧められ、高島野十郎らの指導を受ける。23歳で朝倉郡宝珠山小学校代用教員となり、翌年上京して東京新宿絵画研究所で学ぶ。1942年「静物」で国展入選、1943年「隈」が文展入選。1944年応召され、台湾で終戦を迎える。 戦後、父の教え子だった森部隆の後援を受け、1949年に後援会が結成された。示現会の創立に参加し、日展の審査員・評議員も務めた。
秀島 乾(ひでしま かん、本名読み:ひでしま つとむ、191… 秀島 乾(ひでしま かん、本名読み:ひでしま つとむ、1911年 - 1973年)は、日本の都市計画家。戦後すぐに日本最初の都市計画のコンサルタントとして活躍した人物。計画士を自称。佐賀県東松浦郡相知町生まれ。 旧制福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、1936年早稲田大学理工学部建築学科に入学し佐藤武夫に師事。佐藤は戦時中満州の調査研究を熱心に行い、影響を受ける。大学卒業後、満州国民政部営繕需品局(その後建築局に改名)技師。1940年技佐。同年臨時国都建設局兼任。新京第一期五か年計画など新京の都市計画全般に携わるほか、満州における満州集団住区制理論、都市計画と集団住区制、住宅傾向などについて研究発表する。
足達 襄(あだち じょう、1911年 - 1999年)は、日… 足達 襄(あだち じょう、1911年 - 1999年)は、日本の洋画家。独立美術協会会員。 福岡市に生まれる。1928年福岡県中学修猷館を卒業。上京して、1930年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。 1931年独立美術協会が主催する第1回独立展に初入選。以後連続入選を重ね、1943年の第13回独立展において独立賞を受賞し、1948年に独立美術協会会員となる。この間、福岡独立作家協会結成にも参加している。 戦後帰郷し、郷里に近い太宰府のアトリエで36年間創作活動を行い、以降も毎年福岡から出品を続け、精力的な芸術活動を行う。地域の美術振興にも力をそそぎ、福岡県美術協会再興や筑紫芸術院結成に尽力。
井上 三綱(いのうえ さんこう、1899年1月15日 - 1… 井上 三綱(いのうえ さんこう、1899年1月15日 - 1981年5月19日)は、日本の画家。国画会会員。海外の展覧会にも多く作品を出品した。日本と西欧の要素が融合する神秘的な画風で知られる。 福岡県八女郡(現・筑後市)の宝満宮竈門神社の神官の家に生まれた。1916年(大正5年)、福岡県小倉師範学校に入学。在学中に画家を志し、卒業後、郷里で小学校の教諭をしながら制作を続ける。22歳の頃、恩師の勧めで上京。本郷絵画研究所に学んだのち、1923年(大正12年)から同郷の先輩の坂本繁二郎に師事した。 1926年(昭和元年)、酒匂尋常高等小学校(現・小田原市立酒匂小学校)に赴任。同年、第7回帝展(現・日本美術展覧会)に「牛」が初入選。
田崎 広助(たさき ひろすけ、1898年〈明治31年〉9月1… 田崎 広助(たさき ひろすけ、1898年〈明治31年〉9月1日 - 1984年〈昭和59年〉1月28日)は、洋画家。福岡県八女郡北山村(現・八女市立花町)生まれ。本名・田﨑 廣次。 1917年、福岡県師範学校(現福岡教育大学)第二部卒業、坂本繁二郎、安井曾太郎に師事。関西美術院にも通った。 二科展出品後の1932年渡仏、留学中の1933年サロン・ドートンヌ賞受賞。1935年、帰国。 1939年、一水会の創立に参加。 戦後、広稜会を結成、また東郷青児らと日伯現代美術展(伯剌西爾、ブラジルのこと)を開催。 1949年より日展審査員、(以後1958年日展評議員、1967年理事、1978年顧問を勤める。
金子 博信(かねこ ひろのぶ、1898年6月5日 - 198… 金子 博信(かねこ ひろのぶ、1898年6月5日 - 1988年8月17日)は、日本の洋画家。 福岡県久留米市出身。1924年に東京美術学校西洋画科を卒業した。安井曾太郎に師事した。卒業後は地元に戻っていたが、同窓の佐伯祐三がフランスで成功すると東京に移住した。 1928年の第17回二科展に初めて出品し、その後も出品を続けた。 1936年に一水会創立後は同会に所属し、1941年に一水会賞を受賞した。後に一水会の会員や常任委員にもなった。 1936年ベルリンオリンピックの芸術競技の絵画種目に「柔道」という題名の作品を出品している。
古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933… 古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」は通称である。 1895年6月18日、福岡県久留米市の善福寺の住職(古賀正順)の長男として生まれた。善福寺は江戸時代初期からの歴史を持つ浄土宗の寺である。古賀春江は、父・正順が53歳、母・イシが43歳の時の子供でただ一人の男子だった(古賀春江が生まれる前に3人の女の子をもうけたが、2人は早世した)。松田実(後述)によると、そのために両親や姉の溺愛を受けて育ったという。
中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月… 中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月14日 - 1967年(昭和42年)8月28日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。
児島 善三郎(こじま ぜんざぶろう、1893年2月13日 -… 児島 善三郎(こじま ぜんざぶろう、1893年2月13日 - 1962年3月22日)は、日本の洋画家である。
尾中 蘆山(おなか ろざん、1893年(明治26年)‐196… 尾中 蘆山(おなか ろざん、1893年(明治26年)‐1963年(昭和38年))は大正時代から昭和時代の日本画家。
山本 作兵衛(やまもと さくべえ / さくべい、1892年〈… 山本 作兵衛(やまもと さくべえ / さくべい、1892年〈明治25年〉5月17日 - 1984年〈昭和59年)12月19日〉)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。 日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)の登録を受けた炭鉱画で知られる。 1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)で、石炭を輸送する川舟の船頭をしていた山本福太郎の次男として産まれる。1899年(明治32年)、1893年(明治26年)に開通した筑豊本線によって石炭輸送の代替が進んだため、福太郎は川舟を廃業して一家で上三緒炭坑(現・飯塚市)に移住し、炭鉱夫に転職した。作兵衛も7歳で兄とともに炭鉱に入り、父の仕事を手伝うようになる。
藤森 静雄(ふじもり しずお、1891年8月1日 - 194… 藤森 静雄(ふじもり しずお、1891年8月1日 - 1943年5月28日)は、日本の版画家。 福岡県久留米市生まれ。白馬会原町洋画研究所に入り、東京美術学校予備科西洋画科志望に入学後、1914年に田中恭吉や恩地孝四郎とともに版画誌『月映』を刊行した。東京美術学校をその2年後に卒業し、福岡で中学校の教師を務めた。1922年に『詩と版画』の同人となり、1937年から日本版画協会の常任理事・事務を担当した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23年… 髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)は、大正 - 昭和時代の画家。本名は彌壽(やじゅ)、字は光雄。 東京帝国大学水産学科を首席卒業した後に独学で絵の道に入り、画壇との付き合いを避け、独身を貫いた。透徹した精神性でひたすら写実を追求し、隠者のような孤高の人生を送った。生前はほぼ無名だったが、1986年に福岡県立美術館で初の回顧展が開かれ、再評価が進んだ。 福岡県御井郡合川村足穂(現・久留米市合川町)の醸造家である髙島善蔵・カツの六男二女の五男として生まれた。足穂尋常小学校、御井高等小学校を経て県立明善中学(27期生)に進む。
梶原 貫五(かじわら かんご、1887年3月6日 - 195… 梶原 貫五(かじわら かんご、1887年3月6日 - 1958年12月14日)は、日本の洋画家である。 福岡市出身。福岡県立中学修猷館を中退。1910年上京して東京美術学校西洋画科に入学し、黒田清輝や藤島武二に師事する。在学中の1914年には東京大正博覧会に「化粧の後」を出品し受賞。同年の第3回光風会展に「女」を出品、1916年第4回光風会展では初入選を果たす。1916年3月東京美術学校を卒業。 1917年光風会第5回展に「裸体」で今村奨励賞を受賞、1928年光風会々友、1931年第18回展で光風会会員となる。 官展には、1916年第10回文部省美術展覧会(文展)に「縁陰」「窓際」が初入選となり、第11回文展「想韻」、文展の後身である帝国美術院展覧会(帝展)は、1922年第4回展「九月の日」を出品以来毎年出品し、第5回帝展「芽立ち頃」、第7回展「赤い日傘」などが主な作品である。
青木 繁(あおき しげる、1882年(明治15年)7月13日… 青木 繁(あおき しげる、1882年(明治15年)7月13日 - 1911年(明治44年)3月25日)は日本の洋画家。
坂本 繁二郎(さかもと はんじろう、 1882年3月2日 -… 坂本 繁二郎(さかもと はんじろう、 1882年3月2日 - 1969年7月14日)は、明治後期~昭和期の洋画家である。
吉田 博(よしだ ひろし、1876年(明治9年)9月19日 … 吉田 博(よしだ ひろし、1876年(明治9年)9月19日 - 1950年(昭和25年)4月5日)は、日本の洋画家、版画家。自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した。