山川 龍雄(やまかわ たつお、1965年10月8日 - )は… 山川 龍雄(やまかわ たつお、1965年10月8日 - )は、日本のジャーナリスト。テレビ東京解説委員。 熊本県立玉名高等学校卒業後、京都大学経済学部に進学。同大学卒業後の1989年に花王に入社。1991年日経BPに転職し、物流雑誌編集スタッフを経て1995年日経ビジネス記者に異動。主に商社を中心として編纂を担当したのち、2004年から2008年の間ニューヨーク支局長。日経ビジネス副編集長、日本経済新聞証券部次長を経て、2011年4月から日経ビジネス編集長、2014年4月から編集委員。2023年10月からテレビ東京解説委員。
堤 辰佳(つつみ・たつよし、1965年8月22日 - )は、… 堤 辰佳(つつみ・たつよし、1965年8月22日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞記者。 元読売ジャイアンツ球団ゼネラルマネージャー。 熊本県出身。かつてはアマチュア野球選手であり、熊本県立済々黌高等学校から一年浪人の後、慶應義塾大学文学部に進学。野球部に入部。同期入部に志村亮(投手、東京六大学野球通算31勝、現三井不動産社員)、1期上に鈴木哲(2浪で入学し、後に西武入団)、猿田和三(秋田高から2浪で入学し六大学タイトルを総なめ、現秋田県副知事)、1期下に大森剛(内野手、現:巨人軍育成部ディレクター)がいた。堤は大森と共にクリーンアップを打ち、主将を務めた。 1989年、大学卒業後読売新聞社に入社。
種田 守倖(たねだ もりゆき、1963年12月24日 - )… 種田 守倖(たねだ もりゆき、1963年12月24日 - )は、大阪府大阪市在住のメディアプロデューサー、災害ジャーナリスト、コンセプター、映像作家、放送作家、映画評論家、ナレーター、ラジオパーソナリティ。後述の離別まで、れいわ新選組の選挙対策メンバーを務めていた。 過去に本名の種田守倖(たねだ もりゆき)の他、幾つかのペンネームで活動していたが、2005年頃から榎田信衛門名義に一本化して活動している。 父は土木学者・測量学者の種田守、母は地図製図技術者の種田幸子である。 父が山梨県に赴任していた際に出生。直後に東京都小平市に転居する。 小平学園幼稚園からの帰り道、近所のスーパーでラジオの生中継を体験し衝撃を受ける。
山村 明義(やまむら あきよし、1960年(昭和35年) -… 山村 明義(やまむら あきよし、1960年(昭和35年) - )は、日本の作家、ジャーナリスト。一般社団法人日本人らしさ・地域らしさ研究所理事長。 熊本県荒尾市生まれ。熊本県立済々黌高等学校、早稲田大学を卒業。金融業界誌などの出版社勤務を経て1990年(平成2年)に独立し、以降作家・ジャーナリストとして活動。 1990年代半ばから『文藝春秋』、『諸君!』などの執筆者として名を連ねる。その後、『SAPIO』などで、中国・北朝鮮問題を執筆。2009年からは神道をテーマにした記事も執筆している。 父系の祖先に大江匡房がいる。
城本 勝(しろもと まさる、1957年 - )は、日本のジャ… 城本 勝(しろもと まさる、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。元日本国際放送代表取締役社長。NHK解説委員室解説副委員長やNHK福岡放送局長を歴任。解説委員としての担当分野は政治。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て一橋大学社会学部を卒業後、1982年NHKに入局し、地元九州・福岡局の記者としてキャリアをスタートさせる。大学及び入局同期に菅康弘がいる。 東京転勤後は報道局政治部記者として経世会、民主党などを担当。広島局選挙担当デスク、本部報道局政治部副部長などを務めた。 2004年から政治担当の解説委員となり、『日曜討論』や『時論公論』など、解説委員室制作の番組に出演。 2009年解説主幹。
松野 良一(まつの りょういち、1956年 - )は、日本の… 松野 良一(まつの りょういち、1956年 - )は、日本のメディア研究者、ジャーナリスト。専門は、メディア論、ジャーナリズム論。中央大学教授。2013年11月から中央大学総合政策学部 学部長。
森枝卓士(もりえだ たかし、1955年4月7日 - )は、日… 森枝卓士(もりえだ たかし、1955年4月7日 - )は、日本の写真家、ジャーナリスト。熊本県水俣市出身。日本写真家協会会員。大正大学客員教授。 水俣病の取材に訪れたユージン・スミスの影響でジャーナリストを志す。 鹿児島県立出水高等学校卒業。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。東南アジアを中心に世界中で取材活動を行う。食文化にまつわる著作が多い。週刊ヤングジャンプにて連載されていた漫画『華麗なる食卓』の監修を務める。
魚住 昭(うおずみ あきら、1951年10月25日 - )は… 魚住 昭(うおずみ あきら、1951年10月25日 - )は、日本のフリージャーナリスト。ノンフィクション作家。講談社ノンフィクション賞受賞。 熊本県八代郡鏡町(現・八代市)出身。熊本大学教育学部附属中学校から熊本県立熊本高等学校に入学。テニス部に入り、高校3年時に国体、インターハイに出場。夏のインターハイでシングルスベスト16に進出した。現役で一橋大学法学部に入学。大学では卒業論文を提出せずに1年間留年し、読書とパチンコをして日々を過ごした。高校時代の同級生に山室信一(元京都大学教授)、大学前期クラスでの同級生に鈴木和宏(検察官、元福岡高等検察庁検事長)や藤巻健史(為替トレーダー、参議院議員)などがいる。
芹川 洋一(せりかわ よういち、1950年4月22日~ )は… 芹川 洋一(せりかわ よういち、1950年4月22日~ )は、日本の政治ジャーナリスト、日本経済新聞社客員編集委員、日本生産性本部上席フェロー、東海大学客員教授。 1950年4月22日、熊本県熊本市生まれ、熊本市立白川中学校卒業、69年熊本県立熊本高校卒業。1975年東京大学法学部政治コース、76年公法コース卒業、同大学新聞研究所修了。 76年日本経済新聞社に入社、静岡支局に配属。79年~2005年政治部所属、編集委員、次長、政治部長(01年~05年)。06年~08年大阪編集長などを経て、11年論説委員長、16年論説主幹、18年論説フェロー、24年客員編集委員。 BSテレ東番組『NIKKEI日曜サロン』キャスター(18年10月~24年3月) 19年度日本記者クラブ賞受賞[1] 1.2019年4月26日日経https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44259300W9A420C1CR8000/ 2.日経BOOKプラス https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/23/08/04/00940/ 3.NIKKEI 150th KEY PERSONS https://www.nikkei.co.jp/nikkeiinfo/about/ourhistory/key-persons/toshie-obama.html
木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 198… 木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 1987年11月13日)は、日本の科学ジャーナリスト。 熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校卒。1955年東京大学教養学部科学史及び科学哲学科卒、朝日新聞社入社。水戸支局員、朝日新聞社科学部員、1970年科学部長、81年米国ウィルソン・センター客員研究員、朝日新聞社調査研究室主任研究員、衛星チャンネル常務取締役。
内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 20… 内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 2010年7月9日)は、日本の政治評論家・政治ジャーナリスト。元共同通信社政治部長・論説委員長。退職後、法政大学法学部教授。東海大学教授を歴任。専門は、日本政治論、政治過程論。 熊本県八代郡氷川町(旧竜北町)生まれ、祖父内田康哉は外交官、政治家。旧制八代中学(現・熊本県立八代高等学校)、旧制第五高等学校卒業。旧制東京帝国大学在学中に、学徒出陣し、内蒙古・駐蒙軍に従軍。抑留・復員後、新制東京大学法学部に復学し、政治学者・丸山眞男に師事。1953年に東京大学法学部を卒業し、共同通信社に入社。以後岸内閣の安保闘争から小泉内閣まで50年以上にわたり、日本の政治の動向を取材・分析した。
宮崎 世龍(みやざき せいりゅう、1904年〈明治37年〉5… 宮崎 世龍(みやざき せいりゅう、1904年〈明治37年〉5月23日 - 1995年)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞記者を務めた。 宮崎民蔵の子で、宮崎世民の実弟、宮崎滔天の甥に当たる。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)を経て(1922年卒業)、東亜同文書院大学(当時は旧制専門学校の扱い)を卒業した。 朝日新聞社に入社し、上海通信局員として第一次上海事変を取材した。1935年には、日本人記者として初めて蔣介石と単独会見をおこなう。1943年に朝日新聞社南京支局長兼上海総局次長、1945年に上海総局長となった。 戦後は朝日新聞東京本社東亜部長、編集局次長、朝日新聞社社友などを歴任した。
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
平川 清風(ひらかわ せいふう、1891年4月7日 - 19… 平川 清風(ひらかわ せいふう、1891年4月7日 - 1940年2月2日)は、日本のジャーナリスト。父は漢学者の平川清音。 熊本県熊本市出身。1908年熊本県立熊本中学校卒業。1911年旧制第五高等学校卒業。1914年東京帝国大学法学部政治学科卒業。大阪毎日新聞社に入社し、上海特派員、整理部長、社会部長などを歴任する。1938年常務取締役、編集主幹となる。1940年2月2日死去。
平山 訓子(ひらやま おしえこ、1882年12月20日 - … 平山 訓子(ひらやま おしえこ、1882年12月20日 - 1925年5月1日)は、女性ジャーナリスト、文筆家、歌人、実業家。 本名は平山 訓(ひらやま おしえ)、旧姓蔵原、元和歌山県知事で衆議院議員の蔵原敏捷は実弟である。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身、父・蔵原穆、母・そでの長女として生まれる。 1900年3月、熊本女学校を卒業。翌1901年、徳島県出身(生まれは東京府)の平山八十五郎と結婚、一児をもうけるが、1903年5月、夫八十五郎が米国スタンフォード大学留学中に客死したため、同年9月、幼子を実家に預け、九州日日新聞社(のち、熊本日日新聞社に社名変更)に入社した。熊本の女性記者第一号として活動する。
一瀬 一二(いちのせ いちじ、1881年(明治14年)11月… 一瀬 一二(いちのせ いちじ、1881年(明治14年)11月25日 – 1935年(昭和10年)8月5日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 熊本県玉名郡小田村(現在の玉名市)に一瀬彦四郎の長男として生まれる。明治大学に学ぶ。国民新聞社社長徳富蘇峰の門下にあり、後に独立して大日本新聞社を経営した。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第18回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他、財団法人青山会館常任理事を務めた。
池辺 三山(いけべ さんざん、1864年3月12日(文久4年… 池辺 三山(いけべ さんざん、1864年3月12日(文久4年2月5日)- 1912年(明治45年)2月28日)は、明治期の日本のジャーナリスト。本名は吉太郎、字は任道、諱は重遠、別号に鉄崑崙、無字庵主人、木生など。日本のジャーナリストの先駆けと言われ、陸羯南、徳富蘇峰とともに明治の三大記者と称された。 肥後国熊本(現熊本県熊本市)生まれ。父池辺吉十郎、母世喜の長男として生まれる。池辺家は禄二百石の熊本藩士で代々学者の家系だった。1872年(明治5年) 父池辺吉十郎と共に玉名市横島に一家転居。吉十郎は藩士として秀でた武人であり、西南戦争の時、熊本隊を率いて西郷隆盛軍に参加するが、1877年(明治10年)に処刑されるという非運に見舞われた。
井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6… 井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6月30日) - 昭和6年(1931年)11月16日)は、衆議院議員(中央倶楽部→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 肥後国飽田郡中島村(現在の熊本県熊本市西区)出身。1887年(明治20年)、済々黌を卒業。中国語を学び、漢口や北京を巡った。日清戦争の際には大本営附となり、第一軍民政庁通訳官を務めた。戦後、海軍軍令部嘱託として北京・天津を視察した。 1897年(明治30年)、福州にて「漢字新報」を創刊。翌年、貴族院議長・公爵近衛篤麿が東亜同文会を創設すると、それに参加し、上海支部長に任命された。上海租界では漢字新聞「同文滬報」を発行、1904年(明治37年)7月には邦字新聞「上海日報」の経営を引き継いだ。
徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年… 徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。
池松 豊記(豐記、いけまつ とよき、1846年7月23日(弘… 池松 豊記(豐記、いけまつ とよき、1846年7月23日(弘化3年6月1日)- 1921年(大正10年)9月13日)は、明治期のジャーナリスト、農業経営者、政治家。衆議院議員、熊本県球磨郡上村長。 肥後国玉名郡上小田村(熊本県玉名郡上小田村、小田村を経て現玉名市上小田)で、医師・池松玄操の二男として生まれた。 明治の初めころに東京に出て自由民権運動に加わる。1875年(明治8年)評論新聞が創刊され、記者となる。西南戦争後に帰郷し、民権活動家に呼びかけ1878年(明治11年)5月、民権結社・相愛社を組織し社長に就任。1881年(明治14年)7月、その機関紙「東肥新報」発刊して民権思想を広めた。1882年(明治15年)2月、相愛社は実学党と公議政党を形成し、その後、九州改進党となった。
鳥居 素川(とりい そせん、1867年8月3日(慶応3年7月… 鳥居 素川(とりい そせん、1867年8月3日(慶応3年7月4日) – 1928年(昭和3年3月10日)は、明治・大正期の日本のジャーナリスト、新聞記者。本名は赫雄(てるお)。別号に素卿、玄兎。肥後国熊本の生れ。 旧熊本藩士の鳥居般蔵の三男として生まれる。母の由子は熊本市春竹町の医者・松岡家の出身。兄は西南戦争において池辺吉十郎が編成した熊本隊の小隊長として戦死している。佐々友房が創立した済々黌に入学、生徒長に安達謙蔵、一級上に狩野直喜、山田珠一らがおり、同級生には井手三郎、熊谷直亮がいた。 1884年(明治17年)に済々黌卒業後、独逸協会専門学校に入学するが中途退学して、1886年(明治19年)荒尾精に同行して支那に渡り、上海の日清貿易研究所へ入学する。
陣内 貴美子 は、日本のスポーツジャーナリスト・タレント、ニ… 陣内 貴美子 は、日本のスポーツジャーナリスト・タレント、ニュースキャスター。元バドミントン選手である。本名、金石 貴美子 旧姓、陣内。マネージメントはハイタイド。