吉田 忠智(よしだ ただとも、1956年3月7日 - )は、… 吉田 忠智(よしだ ただとも、1956年3月7日 - )は、日本の政治家。前参議院議員(1期)、社会民主党党首(第4代)。
大分県:1,211人
吉田 忠智(よしだ ただとも、1956年3月7日 - )は、… 吉田 忠智(よしだ ただとも、1956年3月7日 - )は、日本の政治家。前参議院議員(1期)、社会民主党党首(第4代)。
木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日… 木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日本の登山家、クライマー、山岳ガイド。 1956年2月26日、大分県竹田市生まれ。 1976年、埼玉谷峰山岳会に入会。主に夏場に沢登りを中心に活動する。1979年、山学同志会に入会し、国内外のクライミングや高峰登山で活躍。1980年9月、日英岩登り交流会でイギリスを訪れ、イギリスのクライミング事情を知る。 1985年10月30日、植村直己物語撮影隊としてエベレスト登頂。下山中、自力下山が不能になったカメラマンを救出に向かい重度の凍傷を負い、全両足指を切断する。 1986年、キリマンジャロ南西壁登攀後、急性高山病になったツアー登山者に遭遇。
渡辺 麿史(わたなべ たかふみ、1956年2月5日 - 20… 渡辺 麿史(わたなべ たかふみ、1956年2月5日 - 2014年2月1日)は、大分県日田市出身の元プロ野球選手(投手)。 日田林工高校ではエースとして活躍。1972年秋季九州大会に進むが、1回戦で鎮西高に敗退。翌1973年夏の甲子園に出場。1回戦で糸魚川商工の黒坂幸夫と投げ合い完封勝ち、2回戦も浜田商を完封で降す。しかし3回戦はエース佃正樹を擁する広島商に2-3で惜敗。卒業後は社会人野球の日本鉱業佐賀関に入社するが、4年先輩のエース・藤沢公也の陰に隠れ、あまり活躍の場はなかった。 1976年のプロ野球ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて、1年遅れの1977年オフに入団。プロでは一軍での試合出場がないまま、1982年限りで現役引退。
山本 政志(やまもと まさし、1956年 - )は、日本の映… 山本 政志(やまもと まさし、1956年 - )は、日本の映画監督。大分県出身。
高 巖(たか いわお、1956年 - )は日本の経営学者及び… 高 巖(たか いわお、1956年 - )は日本の経営学者及び経済学者。麗澤大学企業倫理研究センター長を歴任。現在、麗澤大学経済学部長。京都大学大学院客員教授。大分県出身。 麗澤大学外国語学部イギリス語学科、早稲田大学大学院商学研究科博士修了。ペンシルベニア大学客員研究員。商学博士。「高宮賞」(組織学会)受賞。「SCCE国際企業倫理コンプライアンス賞」受賞。 日本の企業倫理の確立に大きく貢献した。
今井 彰 (いまい あきら、1956年 - )は、元NHKエ… 今井 彰 (いまい あきら、1956年 - )は、元NHKエグゼクティブプロデューサー、作家。名古屋経済大学客員教授。大分県佐伯市出身[要出典]。 1980年、NHK入局。1991年、NHKスペシャル「タイス少佐の証言」を制作、文化庁芸術作品賞を受賞。1994年、NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」を制作、日本ジャーナリスト会議本賞、放送文化基金奨励賞を受賞。同作は東京地方裁判所で検証物・証拠として上映された[要出典]。2000年 - 2005年まで「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」制作統括を務めた。2005年、NHKエグゼグティブプロデューサーとなる。 2008年11月、東京都渋谷区の衣料品店で、Tシャツやマフラーなど4点を万引きした疑い。
松田 宏也(まつだ ひろなり、1955年12月28日 - )… 松田 宏也(まつだ ひろなり、1955年12月28日 - )は、日本の登山家。大分県佐伯市出身。 同志社大学の山岳同好会に所属し、アラスカのヘイズ山登頂などで経験を積む。卒業後は日本ペイントに就職。1979年に千葉県の市川山岳会に入会する。 1982年5月、市川山岳会隊の一員として中華人民共和国四川省の大雪山脈ミニヤコンカへの登頂に挑戦。同隊員の菅原信をパートナーとし、2人で頂上を目指すものの、悪天候に阻まれて下山。しかし頼みの綱であったサポート隊がキャンプを撤収して下山した後であったため、菅原と2人での下山を強いられる。途中、菅原は衰弱により下山することができず、単独での下山となった松田は山中を19日間さまよった末、満身創痍のところを地元民に発見され、奇跡的に生還を遂げた。
魚返 一真(おがえり かずま、1955年12月23日 - )… 魚返 一真(おがえり かずま、1955年12月23日 - )は、日本の写真家。大分県出身。 大分県玖珠郡玖珠町生まれ。10歳の頃から父親所有のハーフサイズのオリンパス・ペンやペンタックスSPを借り、鉄道の撮影を開始。(宮原線、久大本線、豊後森機関庫など)鉄道を好きになったのは熱狂的な鉄道ファンだった兄(哲也)の影響だった。大分県美術展で複数入選。鉄道写真家西尾恵介氏との出会いを機にそれまで以上にSL撮影に熱中。暗室作業を始めたのは中学1年生の頃。大分県立日田高校理数科卒業後、中央大学理工学部に進学。[要出典] 大学中退後は音楽活動に専念。4人組のロックバンド、ムーンダンスを結成。ギター&ボーカルで参加。
山野内 倫昭(やまのうち みちあき、1955年12月8日 -… 山野内 倫昭(やまのうち みちあき、1955年12月8日 - )は、カトリック教会の聖職者、サレジオ会士。カトリックさいたま教区の司教である。洗礼名は「マリオ」。 1955年12月8日、大分県佐伯市生まれ。1964年、家族と共にアルゼンチンへ移住。1975年、移住したアルゼンチンでサレジオ修道会に入会。1976年から1979年まで哲学と神学を学び、神学と教育学の学士号を修得。1984年1月31日に終生誓願、1984年12月21日に司祭に叙階された。叙階後、1985年から1988年まで、アルゼンチンのコルドバでサレジオ会哲学院で養成を担当。1988年から1991年まで、サレジオ会哲学院院長と管区評議員。
麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、1955年10月11日 - … 麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、1955年10月11日 - )は、日本の女優、歌手、演出家。本名は藤井 佳代子(一時、田島 佳代子が本名だった時代もある)。
瀧口 敬二(たきぐち けいじ、1955年〈昭和30年〉7月1… 瀧口 敬二(たきぐち けいじ、1955年〈昭和30年〉7月17日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 大分県国東市出身。大分県立大分上野丘高校を経て、1979年3月東京大学法学部を卒業。 1979年4月運輸省入省、2007年7月10日国土交通省航空局管制保安部長、2008年7月4日大臣官房審議官(総合政策局・航空局)、2010年8月10日総合政策局次長。 2012年9月11日国土交通省鉄道局長に就任。JR北海道がレール検査データを改ざんするなどしていた問題で、2014年1月24日、野島誠社長に対してJR会社法に基づく監督命令と鉄道事業法による事業改善命令の命令書を手渡し、「再生に向けて全社一丸で着実に実行してほしい」と述べた。
滝 ともはる(たき ともはる、本名:玉置 智治、1955年7… 滝 ともはる(たき ともはる、本名:玉置 智治、1955年7月1日 - )は、大分県中津市出身の歌手。大分県立中津北高等学校卒業。
岐部 哲也(きべ てつや、1955年5月12日 - )は、オ… 岐部 哲也(きべ てつや、1955年5月12日 - )は、オウム真理教の元幹部。ホーリーネームはマハーカッサパ。大分県出身。省庁制が採用された後は「防衛庁長官」となる。教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。 1955年5月12日、大分県に生まれる。実家は旧家で、祖父は県会議長など歴任した郷里の名士。父親も地元の区長や神社総代を務めた。1974年3月、大分県立大分舞鶴高等学校を卒業。絵描きを志望し、上京して東京藝術大学進学を目指すが受験に3度失敗する。自立心が強く「とにかく親に面倒を見てもらいたくない」という気持ちから、浪人中は住み込みで新聞配達をして奨学金を受けながら予備校に通っていた。
小野 浩慈(おの こうじ、1955年(昭和30年)5月3日 … 小野 浩慈(おの こうじ、1955年(昭和30年)5月3日 - )は、フリーアナウンサー。元フジテレビ・元ニッポン放送アナウンサー。独身。 確認できる範囲なので、下記の年以外にも多数担当している。
久保 俊郎(くぼ としろう、1955年3月27日 - )は、… 久保 俊郎(くぼ としろう、1955年3月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元FBS福岡放送アナウンサー。 大分市出身。福岡大学を卒業後、1978年にFBSへ入社。 主にスポーツ中継を担当し、同局スポーツ記者としても活動する一方、2009年秋以降はFBSの“ワークシェアリング”の一環として、スポーツの一線から離れ、スタジオ勤務がメインとなる(この件については本人が2010年3月29日付のブログで事情説明した)。 2010年秋のリニューアルに伴い一旦はスポーツから離れ、「ニュースプラス1」以降久々に夕方のニュース番組でキャスターを務めていたが、2014年度から土・日・祝日のソフトバンク主催のデーゲームの実況で現場復帰した。
大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日 - )は… 大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日 - )は、日本の元検察官、弁護士。 大分県佐伯市出身。検察官として東京地方検察庁特別捜査部長、函館地方検察庁検事正、東京地方検察庁次席検事、最高検察庁公判部長などを歴任し、2011年8月に退官。弁護士登録し東京都港区のサン綜合法律事務所で客員弁護士として活動している。東京地方検察庁次席検事のときには、事実上陸山会事件の捜査の指揮を執ったと報じられた。部下の田代政弘らと共謀して虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、小沢一郎の起訴相当議決をさせたとして、偽計業務妨害罪で健全な法治国家のために声をあげる市民の会から告発されたが、嫌疑なしとして不起訴となった。
麻吹 淳子(まぶき じゅんこ、1955年2月22日 - )は… 麻吹 淳子(まぶき じゅんこ、1955年2月22日 - )は日本の元女優、モデル。活動期間は1978年から1981年と短かった。芸名の苗字は「あさぶき」ではなく「まぶき」と読む。 大分県別府市出身。東大阪女子短期大学・児童学科卒業。モデルとしてスカウトされ、タレント活動をスタート。榊淳の芸名で、東映京都撮影所の一般映画冬の華(1978)の端役で映画デビューした。ヌードグラビア・モデル、深夜放送ラジオに出演するなどしていたが、1979年、にっかつロマンポルノ新人女優コンテストに応募、3位に入賞。 『宇能鴻一郎のあつく湿って』(1979年)でにっかつ初出演。『快楽昇天風呂』(1979年)から芸名を麻吹淳子に改めて、助演を務めた『昭和エロチカ 薔薇の貴婦人』(1980年)での肉感的な体と責められ役が評判を呼び、『白衣縄地獄』(1980年)で念願の初主演を果たす。
相馬 尊重(そうま たかしげ、1955年(昭和30年)2月8… 相馬 尊重(そうま たかしげ、1955年(昭和30年)2月8日 - )は、日本の政治家。大分県由布市長(3期)。 大分県大分郡挾間町(現・由布市)出身。1973年(昭和48年)3月、大分県立大分工業高等学校卒業。同年4月、挾間町役場に奉職。2004年(平成16年)4月、挾間・庄内・湯布院合併協議会事務局長に就任。合併により由布市が誕生したことにより、そのまま由布市役所に奉職。2015年(平成27年)3月、由布市役所を定年退職した。 2016年(平成28年)4月、由布市副市長に就任。 2017年(平成29年)7月28日、任期満了に伴う由布市長選挙に出馬する意向を表明し、同年7月31日に副市長を辞職。
岸和田 羊一(きしわだ よういち、1955年1月3日 - )… 岸和田 羊一(きしわだ よういち、1955年1月3日 - )は、日本の裁判官。法務省広島法務局訟務部長、福岡高等裁判所部総括判事等を経て、福岡家庭裁判所長。 大分県国東市出身。九州大学法学部卒業。福岡地方裁判所判事補、法務省広島法務局訟務部長(検事)、福岡地方裁判所部総括判事、福岡地方裁判所小倉支部長、長崎地方裁判所長、福岡高等裁判所部総括判事等を経て、2018年から福岡家庭裁判所長を務め、成年後見制度の不正防止に取り組むなどした。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
関 荘一郎(せき そういちろう、1955年 - )は、日本の… 関 荘一郎(せき そういちろう、1955年 - )は、日本の環境官僚。勲等は瑞宝重光章。地球環境審議官や、環境事務次官を経て、公益財団法人日本産業廃棄物処理振興センター理事長。 大分県別府市出身。大分県立別府鶴見丘高等学校を経て。1978年東京大学工学部卒業、環境庁入庁。1986年タイ政府環境庁環境アドバイザー。1989年横浜市環境保全局出向。1997年環境庁地球環境部調整官。1998年世界銀行アジア太平洋局環境社会開発部門上級環境技術専門官。2001年環境省環境管理局ダイオキシン対策室長。2003年環境省環境管理局大気環境課長。2005年環境省廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課長。2006年環境省廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課長。
姫野 龍太郎(ひめの りゅうたろう、1955年 - )は日本… 姫野 龍太郎(ひめの りゅうたろう、1955年 - )は日本の数値流体力学者で、工学博士である。現在は理化学研究所情報基盤センターのセンター長。大分県出身。
貞山 健源(さだやま たけもと、1954年11月2日 - )… 貞山 健源(さだやま たけもと、1954年11月2日 - )は大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 大分県立別府鶴見丘高等学校では、高校3年生のとき、コントロールとタフさを買われて投手に転向。 1972年夏の高校野球選手権大会大分県予選では2回戦で大分商に敗れたが奪三振11を奪って注目されていた。 速球とカーブを武器とした。 同年のドラフト会議で太平洋クラブライオンズに8位指名され入団。 一軍公式戦出場のないまま、1974年限りで自由契約となり引退した。
中川 信秀(なかがわ のぶひで、1954年9月29日 - )… 中川 信秀(なかがわ のぶひで、1954年9月29日 - )は大分県出身の元プロ野球選手(内野手)。
吉田 昌子(よしだ しょうこ、旧姓:高柳、1954年9月13… 吉田 昌子(よしだ しょうこ、旧姓:高柳、1954年9月13日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。1976年モントリオールオリンピックバレーボール女子金メダリスト。 大分県出身。中津南高校時の1972年、エースを務めた第3回春の高校バレーで優勝。卒業後、日立武蔵(当時)に入団。 1976年、全日本メンバーに選出され、モントリオールオリンピックにおいて金メダルを獲得した。日本リーグでも2年連続でベスト6賞を獲得。 現役引退後は、2001年から2008年まで柏エンゼルクロスで監督を務め、後進の指導にあたった。
須賀 晃一(すが こういち、1954年6月 - )は、日本の… 須賀 晃一(すが こういち、1954年6月 - )は、日本の経済学者。早稲田大学政治経済学術院教授。早稲田大学政治経済学部長を経て、学校法人早稲田大学副総長。 大分県中津市出身。実家は洋服屋。1977年一橋大学経済学部卒業、1982年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。指導教官は時子山和彦教授(時子山常三郎第9代早稲田大学総長の長男)。その後、鈴村興太郎による助手試験に落ちたが、鈴村ゼミナールに参加し師事した。 1984年亜細亜大学経済学部専任講師。同助教授、福岡大学経済学部助教授、同教授を経て、2000年から早稲田大学政治経済学部教授。 2014年早稲田大学政治経済学術院長・政治経済学部長。
水江 正臣(みずえ まさおみ、1954年4月19日 - )は… 水江 正臣(みずえ まさおみ、1954年4月19日 - )は元プロ野球選手(投手)。右投右打。大分県出身。元UP-BEATの水江慎一郎とは従兄弟。
橘 健治(たちばな けんじ、1954年3月8日 - )は、大… 橘 健治(たちばな けんじ、1954年3月8日 - )は、大分県出身の近鉄バファローズに所属したプロ野球選手(投手)。右投右打。
田畑 章(たばた あきら、1954年(昭和29年)1月12日… 田畑 章(たばた あきら、1954年(昭和29年)1月12日 - )は、日本の実業家、起業家。一般社団法人倫理研究所理事、日本作家クラブ名誉理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)会員。著作活動をする際は「田端彰」のペンネームを使用している。 大分県中津市で兼業農家の三男として生まれる。 1972年(昭和47年)3月、三菱レイヨンに入社する。 1992年(平成4年)1月16日、株式会社ウエルネス(2001年に株式会社オールコーポレーションに改称)を設立する。同社では活性酸素の抑制に着目した健康食品「Sオール」の製造販売を手がけた。1994年(平成6年)6月26日には、化粧品製造販売業の株式会社ラヴェリオを設立した。
吉武 博通(よしたけ ひろみち、1954年 - )は、日本の… 吉武 博通(よしたけ ひろみち、1954年 - )は、日本の経営学者。筑波大学名誉教授、情報・システム研究機構監事、学校法人東京家政学院理事長。筑波大学理事・副学長、お茶の水女子大学監事、東京都公立大学法人理事などを務めた。専門は経営管理論、大学経営論。 1954年大分県に生まれる。大分県立大分舞鶴高等学校を卒業後、九州大学法学部に入学し、1977年の卒業とともに同年新日本製鐵に入社。同社総務部組織室長、ステンレス事業部光製鉄所総務部長などを経て、2003年に筑波大学社会工学系教授に着任する。翌年、筑波大学大学院ビジネス科学研究科教授、学長特別補佐となり、2006年に理事・副学長、2009年に大学研究センター長に就任する。
藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、本名: 藤波 辰巳、1953年… 藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、本名: 藤波 辰巳、1953年12月28日 - )は、日本の男性プロレスラー。YouTuber。大分県東国東郡武蔵町(現・国東市)出身。ニックネームは「ドラゴン」。血液型O型。プロレス活動はドラディション、芸能活動はカートプロモーション所属。長男は藤波怜於南。 第77代NWA世界ヘビー級王者。日本人2人目のWWE殿堂入りレスラー。海外武者修行時のリングネームは、アメリカではドクター・フジナミ、メキシコではドクトル・フヒナミおよびリング・フヒナミとしていた。 1953年12月28日、大分県国東郡に生まれる。中学時代は陸上競技を行っていた。この頃にアントニオ猪木に憧れ、プロレスラーを目指す。
奥塚 正典(おくづか まさのり、1953年12月3日 - )… 奥塚 正典(おくづか まさのり、1953年12月3日 - )は、日本の政治家。大分県中津市長(1期)。
永松 悟(ながまつ さとる、1953年11月24日 - )は… 永松 悟(ながまつ さとる、1953年11月24日 - )は、日本の政治家。大分県杵築市長(4期)。 大分県杵築市出身。大分県立杵築高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、同志社大学法学部卒業。1978年(昭和53年)10月、大分県庁の佐伯福祉事務所に入庁。こども・女性相談支援センター所長、福祉保健部長などを歴任。 2013年(平成25年)3月、大分県庁を退職。同年10月の杵築市長選挙に無投票で初当選した。2017年10月に無投票で再選。2021年10月の市長選挙では選挙戦となったが元市議の衛藤竜一郎を破り3選。2025年10月の市長選挙も選挙戦となり4選。 2020年(令和2年)2月6日、杵築市が財政危機に陥っていることから、2022年度を目標とした緊急財政対策を取りまとめた。
春日 昭之介(かすが しょうのすけ、1953年11月17日 … 春日 昭之介(かすが しょうのすけ、1953年11月17日 - )は、大分県中津市出身の元プロ野球選手(内野手)。1975年から1978年までの登録名および本名は「春日 祥之輔」。兄は元プロ野球選手の春日一平。 中津工業高では、1番打者、捕手として同期のエース尾西和夫とバッテリーを組む。1971年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会決勝に進出するが、鶴崎工業高の藤沢哲也投手にノーヒットノーランを喫し甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は、社会人野球の鐘淵化学に入社。1974年の都市対抗野球に出場。2回戦では2番打者、中堅手として起用されるが、新日本製鐵八幡の萩野友康に抑えられ敗退。 1974年のプロ野球ドラフト会議で太平洋クラブライオンズから5位指名を受け入団する。
石丸 謙二郎(いしまる けんじろう、1953年〈昭和28年〉… 石丸 謙二郎(いしまる けんじろう、1953年〈昭和28年〉11月1日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。大分県大分市出身。2006年1月1日より青年座映画放送部所属。 大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。日本大学藝術学部演劇学科中退。 幼少期から山を走り回っており、「将来はターザンになりたい」と言っていた。部活動で野球部に入っていた時期があるが、身体が小さかったことに加え、弁膜症を患っており、医師から走ることや日光を浴びることを禁止されていた時期が1年近くあったが、言われる通りにする生活につまらなさを感じ、倒れてもいい覚悟で身体を動かしていた。 高校卒業後に大分から上京し、日本大学芸術学部演劇学科に進学するも2年生のときに中退し、渋谷区のホテルで住み込みのアルバイトやビルの掃除、飲食店などのアルバイトを掛け持ちし、1日の睡眠時間が3時間ほどの生活を送っていた。
原田 哲夫(はらだ てつお、1953年10月26日 - )は… 原田 哲夫(はらだ てつお、1953年10月26日 - )は、日本の剣道家(教士八段)。大分県中津市出身。京都府警察警察官であり、元剣道日本代表。第32回全日本剣道選手権大会優勝者でもある。
郷司 正巳(ごうじ まさみ、1953年9月14日-2009年… 郷司 正巳(ごうじ まさみ、1953年9月14日-2009年11月5日)は日本の写真家。 JRP「視点」奨励賞受賞。『アサヒカメラ』、『旅』、『世界』など各雑誌で活躍。 世界写真史上初めてベトナムの海の民を系統的に取材して刊行した写真集『ベトナム海の民』(2002年コニカフプラザギャラリーCで個展。一部初出『世界』2001年10月号、『アサヒカメラ』2002年12月号)では、自ら文章を添え、『北海道新聞』、『西日本新聞』、『週刊金曜日』、『フィガロジャポン』、『日本カメラ』、『旅』、『フォトコンテスト』などに好評価の書評が掲載された。 日本写真家協会ほかが主催した「日本の子ども60年—21,900日のドラマ—」では、1980年の作品が日本の写真家が撮影した日本の子どもの写真24,000点の作品のなかから、展示のための204点の1点として、選ばれた。
川上 泰生(かわかみ やすお、1953年8月30日 - )は… 川上 泰生(かわかみ やすお、1953年8月30日 - )は、日本のタレント、お笑い芸人。大分県大分市出身。PINES所属。現在は九州地方で、ローカルタレントとして活躍している。 コントユニット「ヒップアップ」の一員として、『オレたちひょうきん族』などに出演。主にネタ考案の役割を持っており、「アダモステ」のネタも川上が考案した。 トリオ解散(自然消滅)後、1990年代後期から地元である九州に活躍の場を移す。『めんたいワイド』のレギュラー(イムズ前レポーター)を皮切りに、『朝はポレポレ』など、様々な地元ローカル番組に出演。 40代に入るころから頭髪が薄くなり、1998年ころからカツラを被りはじめる。
尾西 和夫(おにし かずお、1953年8月4日 - )は、大… 尾西 和夫(おにし かずお、1953年8月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 中津工業高校では、エース、三番打者として春日祥之輔とのバッテリーで1971年春季県大会で優勝、九州大会では決勝へ進むが登板はせず、橘健治が先発し、岩井靖久のいた同県の津久見高校に敗れた。夏の甲子園県予選は勝ち抜き中九州大会決勝に進出するが、鶴崎工の藤沢哲也にノーヒットノーランを喫し甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は、新日本製鐵堺へ入社。1973年のドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名されるが拒否し、会社に残留した。 1975年、日本選手権の1回戦で鷺宮製作所の山本良材と投げ合うとバッテリーを組んだ中出謙二の本塁打で勝利。
藤沢 哲也(ふじさわ てつや、1953年8月3日 - )は、… 藤沢 哲也(ふじさわ てつや、1953年8月3日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。
本田 博文(ほんだ ひろふみ、1953年〈昭和28年〉7月1… 本田 博文(ほんだ ひろふみ、1953年〈昭和28年〉7月14日 - )は、日本の政治家。元大分県日出町長(2期)。 大分県速見郡日出町豊岡出身。日出町立豊岡小学校、日出町立日出中学校を経て、1972年、大分県立大分工業高等学校電子科を卒業。同年富士通へ入社し、大分県外にある富士通川崎工場で勤務することとなった。入社後、政治や経済の知識に乏しいことを先輩に相談したところ、大学進学を勧められ、一浪を経て1975年に大分大学経済学部へ進学。在学中に配送業をアルバイトをし、トラックの免許を取得した。また、父が病気になったこともあって学生としての期間を苦労して卒業したという。 その後、第三次全国総合開発計画のことが印象に残って県庁の仕事に興味を抱き、1980年に大分県庁へ入庁。
安東 由喜雄(あんどう ゆきお、1953年7月9日 - )は… 安東 由喜雄(あんどう ゆきお、1953年7月9日 - )は、大分県別府市出身の熊本大学大学院医学薬学研究部、元神経内科学教授。元熊本大学医学部長・大学院生命科学研究部長 現在は杉村病院総長 杉村病院アミロイドーシス診療・研究サポートセンター長、長崎国際大学薬学部アミロイドーシス病態解析学研究所 特任教授、熊本大学名誉教授、熊本大学客員教授。
工藤 三郎(くどう さぶろう、1953年〈昭和28年〉6月1… 工藤 三郎(くどう さぶろう、1953年〈昭和28年〉6月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー、元嘱託職。株式会社オフィスカノン所属。 大分県大分市出身。大分県立大分舞鶴高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1976年(昭和51年)にNHKに入局。 スポーツアナウンサーとしてのキャリアが長く、プロ野球を中心に様々な競技の実況を行ってきた。チーフアナウンサーを経て、2002年(平成14年)に局次長級エグゼクティブアナウンサーに昇進。2018年(平成30年)6月30日付で嘱託職からも退き退職、同じく協会の元局員である羽佐間正雄が代表を務める株式会社オフィスカノンに所属する。
岩井 隆之(いわい たかゆき、1953年5月30日 - )は… 岩井 隆之(いわい たかゆき、1953年5月30日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。現在は北海道日本ハムファイターズのファーム内野守備コーチ。本名・岩井靖久。
田中 千秋(たなか ちあき、Chiaki Tanaka、19… 田中 千秋(たなか ちあき、Chiaki Tanaka、1953年5月24日 - )は、日本の天文観測家、天体写真家。男性。 関東天文協会理事、神津牧場天文台副台長、大分天文協会顧問など歴任。 大分県生まれ。大分県立大分工業高等学校、1977年駒澤大学法学部卒業。1978年、星クズホイホイ天文同好会を結成。天体写真撮影に力を入れ、天文雑誌の天体写真コンテストに度々入選。1983年より天文雑誌「スカイウオッチャー」に執筆(「ちあきの天体写真教室」「ちあきの天体写真道場」など)、また講演を行う。1993年から同誌のフォトコン選者を務める。1998年5月20日より神津牧場天文台(群馬県甘楽郡)副台長。
風戸 佑介(かざと ゆうすけ、1953年3月21日 - )は… 風戸 佑介(かざと ゆうすけ、1953年3月21日 - )は、日本の元俳優。本名、松井 栄一。旧芸名、風戸 拳(かざと けん)。 大分県出身。大分県立佐伯鶴城高等学校卒業。 高校卒業後に上京し、会社勤めをしていたときモデル事務所にスカウトされ芸能界入り。最初はサンミュージックで歌のレッスンを受け、やがて『電人ザボーガー』(フジテレビ)に主人公のライバル・秋月玄役での出演が決まる。当時は演技経験がほとんどない状態だったため緊張の連続で、普通の芝居よりもバイクや火薬を使うアクションシーンの方がホッとしたと、のちに振り返っている。 その後、東映京都の劇場映画への出演を経て、1977年には『ジャッカー電撃隊』(テレビ朝日)に大地文太/クローバーキング)役としてレギュラー出演。
松崎 菊也(まつざき きくや、1953年3月9日 - )は、… 松崎 菊也(まつざき きくや、1953年3月9日 - )は、戯作者(げさくしゃ)。 大分県別府市出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。 劇団民芸を経て、コント グループ「キモサベ社中」「キャラバン」で活動。「キャラバン」では日本テレビ『お笑いスター誕生』優勝、1986年度の『NHK新人演芸コンクール』演芸部門で最優秀賞を獲得。その後は1988年に社会派コントグループ「ザ・ニュースペーパー」の結成に参加、リーダー兼 脚本家として活動した。 「ザ・ニュースペーパー」退団後は『松崎菊也のいかがなものか?!』(TBSラジオ)のパーソナリティを務めた。 現在はラジオ・テレビで物真似に社会風刺やユーモアを織り交ぜた「戯作」を一人芝居の形で披露。
宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元長距離走・マラソン選手、陸上競技指導者で、現在は宮崎県延岡市紺屋町で気功健康塾を経営している。大分県臼杵市出身。血液型はAB型。モントリオール、モスクワ、ロサンゼルスのオリンピック3大会で男子マラソン日本代表となる。一卵性双生児の弟の宗猛とともに、兄弟で多くの国際大会に出場し、入賞を果たした。 猛とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり猛とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。親の薦めで猛とともに大分県立佐伯豊南高等学校に進学、下宿生活を送る。
宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元陸上競技選手・指導者である。現役時代の専門は長距離走・マラソンであった。一卵性双生児の兄宗茂、瀬古利彦とともに1980年代前半日本男子マラソンのビッグ3として、マラソン界をリードした。旭化成陸上部に所属し、引退後も指導者として2025年3月まで活動した(現在は顧問)。また、2012年11月から2016年10月まで公益財団法人日本陸上競技連盟中長距離・マラソン部長を務めた。 大分県臼杵市出身。茂とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり、茂とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。
工藤 泰三(くどう やすみ、 1952年(昭和27年)11月… 工藤 泰三(くどう やすみ、 1952年(昭和27年)11月14日 - )は、日本の海事実業家。日本郵船株式会社代表取締役会長、社団法人日本船主協会理事。
玉井 光一(たまい こういち、1952年10月21日 - )… 玉井 光一(たまい こういち、1952年10月21日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長を経て、富士フイルムビジネスイノベーション代表取締役会長、ビジネス機械・情報システム産業協会筆頭副会長。 大分県出身。1972年大分県立大分工業高等学校卒業、東芝入社。東芝生産技術研究所(現生産技術センター)メカトロニクス開発センター主任研究員などを務め、2002年には「高精細液晶ディスプレイにおける実装技術と実装システムの開発」により東京大学博士(工学)の学位を取得。 2003年富士写真フイルム(現富士フイルム)入社。医療機器などの設計を担当し、2011年富士フイルムホールディングス取締役に昇格。