藤天晴 真逢輝(ふじてんせい まある、2007年1月9日 -… 藤天晴 真逢輝(ふじてんせい まある、2007年1月9日 - )は、鹿児島県奄美市出身で藤島部屋所属の現役大相撲力士。本名及び旧四股名は福崎 真逢輝(ふくざき まある)。身長172.0cm、体重138.1kg。最高位は西十両13枚目(2026年3月場所)。 奄美大島の住用相撲クラブで5歳の頃から相撲を始める。中学生の頃までは相撲以外にも空手、ラグビー、テニスにも取り組んだ。 樟南高等学校では2年時に高等学校相撲金沢大会の個人無差別級で準優勝。3年時には第78回国民スポーツ大会にて少年の部個人で優勝し、全日本相撲選手権大会でも大学生や社会人を破りベスト8に進出した。 高校卒業後は藤島部屋に入門。全日本選手権8強の実績により、史上初となる高卒での幕下付出として2025年3月場所で初土俵。
明生 力(めいせい ちから、1995年7月24日 - )は、… 明生 力(めいせい ちから、1995年7月24日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で、立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名は川畑 明生(かわばた めいせい)。身長180.0cm、体重157.0kg、血液型はO型。最高位は西関脇(2021年9月場所 - 11月場所)。好物は白米、鶏飯。嫌いなものはトマト、果物。お気に入りのリラックス方法はガム。趣味はサウナ。同部屋に所属した浪満力は再従弟。 相撲が盛んな土地で相撲好きの父親の下に生まれた川畑少年は5歳の時、地元の相撲道場に通い始めた。ところが、瀬戸内町立篠川小学校に入学したばかりの1年生の頃に道場は活動停止となり、一旦は相撲を離れることになった。
千代鳳 祐樹(ちよおおとり ゆうき、1992年10月11日 … 千代鳳 祐樹(ちよおおとり ゆうき、1992年10月11日 - )は、鹿児島県志布志市出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は木下 祐樹(きのした ゆうき)。身長178cm、体重173kg、血液型はO型。得意手は突き、押し。最高位は西小結(2014年5月場所)。現在は年寄・錦島。同じ九重部屋の千代丸は実兄。好物は鶏の唐揚げ。嫌いなものはトマトと梅干し。趣味は寝ること(入門前は釣り、サッカー)。平成4年度生まれの関取を指す、いわゆる「花のヨン組」の1人。 志布志大原保育園時代はサッカーを行い、志布志市立志布志小学校に入ってからは1年から5年ごろまで水泳を行っていた。入門前は主に柔道を得意とし、志布志柔道スポーツ少年団時代から志布志市立志布志中学校時代までの9年間に渡って続けていた。
千代ノ皇 王代仁(ちよのおう みよひと、1991年5月29日… 千代ノ皇 王代仁(ちよのおう みよひと、1991年5月29日 - )は、鹿児島県大島郡与論町出身で九重部屋所属の現役大相撲力士。本名は基 王代仁(もとい みよひと)。身長178.5cm、体重151.6kg、血液型はA型。得意手は右四つ、寄り、吊り。好物はアイスクリームとマカロニサラダ。サンゴ礁に囲まれた与論島出身だが魚介類が苦手。最高位は西前頭14枚目(2021年7月場所)。 与論島出身で、小学校と中学校は地元与論町の学校に通っていた。与論島は相撲が盛んな地として知られ、各小学校に土俵があり、校内相撲大会も行われている。与論町立茶花小学校時代には校内相撲大会を6年連続で優勝した。高校は沖縄県立中部農林高校に通い、相撲部に所属した。
千代皇 王代仁(ちよおう みよひと、1991年5月29日 -… 千代皇 王代仁(ちよおう みよひと、1991年5月29日 - )は、鹿児島県大島郡与論町出身で九重部屋所属の現役大相撲力士。本名は基 王代仁(もとい - )。身長179cm、体重153kg、血液型はA型。得意手は右四つ、寄り、吊り。好物はアイスクリームとマカロニサラダ。最高位は東前頭15枚目(2017年1月場所-3月場所)。
千代丸 一樹(ちよまる かずき、1991年4月17日 - )… 千代丸 一樹(ちよまる かずき、1991年4月17日 - )は、鹿児島県志布志市出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。現在は若者頭。本名は木下 一樹(きのした かずき)。身長178.0cm、体重166.0kg。血液型はB型。最高位は東前頭5枚目(2018年3月場所)。同じ九重部屋所属の元小結・千代鳳(20代錦島)は実弟。好物はパスタ、モンブラン。 小中学生時代には柔道を経験した他、小学生時代には相撲も並行して習っており、相撲の指導者の子が九重部屋所属の元力士だった縁で志布志市立志布志中学校を卒業後、九重部屋に入門。2007年5月場所で初土俵を踏んだ。同期には旭秀鵬がいる。本人は後年、相撲を取っていなかったら地元で子供たちに柔道を教えていただろうという趣旨のコメントをしている。
慶天海 孔晴(けいてんかい こうせい、1990年3月10日 … 慶天海 孔晴(けいてんかい こうせい、1990年3月10日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で阿武松部屋に所属した元大相撲力士。本名は慶 孔晴(けい こうせい)。身長175.0cm、体重115.8kg。得意技は左四つ・寄り・下手投げ。最高位は東十両11枚目(2012年9月場所)。 地元の奄美大島は「男子に生まれたらだれもが廻しを締める」ほど相撲が盛んな地域であり、慶は3歳の頃から相撲を始めていた。幼少期より小柄であった慶は地元の古仁屋相撲クラブで「廻しを取ったらとにかく動きまくれ」という指導を受け、瀬戸内町立古仁屋中学校卒業まで日曜を除いて夕方5時から8時まで相撲クラブでの稽古に打ち込んでいた。
勝誠 剛(しょうせい たけし、1986年5月27日 - )は… 勝誠 剛(しょうせい たけし、1986年5月27日 - )は、鹿児島県大島郡宇検村出身で、境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は福永 剛(ふくなが たけし)。身長167cm、体重130kg、血液型はB型。最高位は東幕下3枚目(2012年7月場所)。
勝誠 剛(しょうせい たけし、1986年5月27日 - )は… 勝誠 剛(しょうせい たけし、1986年5月27日 - )は、鹿児島県大島郡宇検村出身で、境川部屋所属の元大相撲力士。本名は福永 剛(ふくなが たけし)。身長168.0cm、体重128.0kg、血液型はB型。最高位は東幕下3枚目(2012年7月場所)。 久志小学校時代には、わんぱく相撲で優勝してわんぱく横綱になるなど輝かしい成績を残した。中学校から相撲留学して山口県立響高等学校へと進み、2004年には世界ジュニア相撲選手権大会の中量級で優勝するなど活躍した。高校3年時に境川の勧誘を受け「身長が低いことはハンデにならない」と口説かれて入門を決意。高校の先輩である豊響も同部屋に在籍しているのでこれも決め手となった。
禧勢ノ山 博嗣(きせのやま ひろし、1985年9月25日 -… 禧勢ノ山 博嗣(きせのやま ひろし、1985年9月25日 - )は、鹿児島県日置郡伊集院町(現在の日置市)出身で、木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は山下 博嗣(やました ひろし)。身長171cm、体重167kg、血液型はA型。最高位は西幕下2枚目(2015年9月場所)。
里山 浩作(さとやま こうさく、1981年5月31日 - )… 里山 浩作(さとやま こうさく、1981年5月31日 - )は、鹿児島県大島郡笠利町(現:奄美市)出身で尾上部屋(入門時は三保ヶ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は身長175cm、体重123kg。血液型はA型。得意手は左四つ、下手投げ。最高位は西前頭12枚目(2007年5月場所・同年7月場所)。現在は年寄・千賀ノ浦。好物はかんきつ類。 奄美の土地を自ら開拓して「里山観葉植物園」を作った父の元に生まれた。笠利町立赤木名中学校へ入学と同時に相撲部へ入部し、その後に進学した鹿児島商業高校でも相撲部に所属して、アマチュア横綱を2度獲得している禧久昭広の指導を受ける。高校卒業後は禧久の母校でもある日本大学へ進学し相撲部に所属。
旭南海 丈一郎(きょくなんかい じょういちろう、1977年1… 旭南海 丈一郎(きょくなんかい じょういちろう、1977年12月14日 - )は、鹿児島県大島郡天城町出身で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は健 博一(けん ひろかず)、愛称はケン。身長180cm、体重142kg、血液型はA型。得意手は食い下がり、出し投げ、左四つ。最高位は東前頭16枚目(2010年9月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 1992年に同郷の徳之島出身である大島部屋の旭道山が徳之島へスカウトに来た際に自ら入門を志願して、中学卒業と同時に大島部屋に入門し、1993年3月場所において初土俵を踏んだ。1995年11月場所に三段目へ昇進し、1999年11月場所に幕下へ昇進したものの、幕下昇進から5年以上にわたって幕下中位から下位に在位し続けた。
5代 式守 慎之助(ごだい しきもり しんのすけ、1976年… 5代 式守 慎之助(ごだい しきもり しんのすけ、1976年(昭和51年)7月31日 - )は、大相撲の十両格行司である。本名は水谷 洋二(みずたに ようじ)。片男波部屋→松ヶ根部屋→二所ノ関部屋→放駒部屋所属。血液型はA型。 鹿児島県指宿市出身。1992年11月場所で片男波部屋から式守玉男の名で初土俵を踏む(のちに松ヶ根部屋に移籍)。2013年7月場所十枚目格昇進。2014年1月場所式守慎之助に改名。2014年12月松ヶ根部屋は二所ノ関部屋に改称。2021年二所ノ関部屋は放駒部屋に改称したため、放駒部屋所属となった。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち、1976年6月18日 -… 隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち、1976年6月18日 - )は、鹿児島県出水市出身で鳴戸部屋に所属した元大相撲力士。本名は積山 伸一(せきやま しんいち)。身長188cm、体重175kg。長く伸びた揉み上げが特徴。最高位は西前頭8枚目(2003年3月場所)。得意技は左四つ、寄り。現在は年寄・田子ノ浦。血液型はB型。好物は牛すじ、寿司。趣味は食べ歩き。 理髪店の長男として生まれる。両親ともに耳が聞こえず、手話で会話を行っていた。1992年3月場所に初土俵を踏んだ。同じく関取まで昇進した同部屋の若の里と隆乃若(現・タレント)は同期入門である。三段目までは順調に番付を上げていったが、幕下を目前にして小さいころから悩まされていた足の病気が限界に達したため、1995年7月場所と続く9月場所を連続して休場し、最初となる足の手術を行った。
東心山 徳幸(とうしんやま のりゆき、1974年7月28日 … 東心山 徳幸(とうしんやま のりゆき、1974年7月28日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で玉ノ井部屋に所属していた元大相撲力士。本名は廣田 徳幸(ひろた のりゆき)。最高位は西幕下10枚目(2000年9月場所、2001年1月場所)。 高校時代は鹿児島県の相撲大会で優勝の経験があった。高校時代は調理科に在学していたが、3年次に高校を中退して鹿児島県内の寿司屋に勤務開始。その後、玉ノ井部屋から勧誘を受け「上京のチャンスだ」という趣旨の言葉から入門を決意。1994年1月場所初土俵。初土俵同期は安壮富士、玉春日、成松勇起夫(智ノ花の従弟)。入門時は部屋の力士に敵わなかったというが、部屋の兄弟子である大日岳や後に出世頭となる弟弟子の栃東に刺激を受け、初土俵から所要11場所で幕下に昇進するなどそこまでの出世は速かった。
光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年(昭和48年)8月… 光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年(昭和48年)8月18日 - 2021年(令和3年)7月1日)は、鹿児島県熊毛郡南種子町出身で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は峯山 賢一(みねやま けんいち)。身長182cm、体重137kg。 最高位は西前頭9枚目(2002年1月場所)。得意技は左四つ、下手投げ、寄り。血液型B型。愛称は本名の「ミネヤマ」。 中学校卒業と同時に宮城野部屋に入門し、1989年(平成元年)3月場所で初土俵を踏んだ。 1991年9月場所において18歳で幕下へ昇進したものの、攻めが遅かったため幕下上位で苦労し、十両昇進までに7年以上掛かってしまった。1996年11月場所から四股名を「光法」と改めるが、これは茨城県ひたちなか市にある道明寺の住職が考案した3つの候補の中から、父と祖父の名前にそれぞれ「光」という字が入っており、父の名である「みつのり」とも読めるとの理由で選んだという。
鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 … 鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 - )は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は福薗 洋一郎(ふくぞの よういちろう)。現役時代の体格は身長178cm、体重113kg。得意手は諸差し、寄り、上手投げ。最高位は西十両9枚目(1995年3月場所)。趣味はサッカー観戦。 中学校時代はサッカー部に所属していたが、先代・井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)と父が兄弟であったこともあり井筒部屋に入門。1988年3月場所に初土俵を踏んだ。軽量であったため序ノ口、序二段で伸び悩み、1991年1月場所前に髷を切って部屋を脱走し、一時期は警備員として勤務したこともあった。
玉ノ華 重二郎(たまのはな しげじろう、1971年8月18日… 玉ノ華 重二郎(たまのはな しげじろう、1971年8月18日 - )は、 鹿児島県大島郡知名町出身で片男波部屋に所属していた元大相撲力士。本名は福 重二郎(ふく しげじろう)。身長175cm、体重155kg。最高位は東幕下8枚目。日本大学相撲部出身。 大学卒業を控えていたある日に先代片男波(玉ノ富士)から勧誘の電話が寄せられ、当初は断ったものの片男波から「年齢的にギリギリだぞ。今入門しないと力士になる機会が無くなるよ。いいのか?」と口説かれて入門を決意。1994年1月場所に幕下最下位格付出で初土俵を迎える。 ところが初土俵で早々に負け越しを喫し、そればかりかデビュー3場所目の1994年5月場所前に網膜剥離になり半年近くの入院生活を余儀なくされ、同年11月場所に復帰するまで3場所連続全休に甘んじる。
両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、… 両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、日本の俳優、井筒部屋所属の元大相撲力士。大相撲時代の四股名は祥映斗 宏務(しょうえいと ひろし)。鹿児島県姶良郡横川町(現在の霧島市)出身。身長180cm、体重94kg。両國エンタープライズ所属。業務提携 株式会社Katana。 大相撲時代の最高位は幕下3枚目、体重111kg。 三段目時代、優勝経験あり。 エス・プログレス、Stone Valley株式会社を経て、現在は両國エンタープライズ所属。 趣味・特技は、アクション殺陣、バランスボール乗り、釣り・フットサル・ゴルフ(ベストスコア87)バレーボール、水泳、筋トレ、SUP。 普通自動車、大型二輪、二級船舶 祥映斗の由来は「祥 = 勝」「映斗 = 8」 であり、毎場所必ず8勝 (すなわち、関取で勝ち越し)出来るようにという願いから付けられた。
若隼人 幸治(わかはやと こうじ、1971年1月3日 - )… 若隼人 幸治(わかはやと こうじ、1971年1月3日 - )は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲子 幸治(いなご こうじ)。身長184cm、体重161kg。最高位は東十両3枚目(1996年5月場所)。得意技は右四つ、寄り。趣味は野球観戦とパチンコ。 幼い頃から相撲を始め、中種子町立南界小学校3年生から種子島地区の相撲大会で連続優勝するなど活躍を見せた。中種子町立南界中学校では柔道部に所属したが、力士に憧れていたため相撲も続けていた。中学3年生の時に宮城野部屋から4度の勧誘を受け、その熱意に打たれて卒業とともに入門し、1986年3月場所に初土俵を踏んだ。序二段から三段目に掛けて苦労した時期があったが、1991年3月場所に幕下に昇進。
木村 寿之介(きむら ひさのすけ、本名:波田 寿和(はた と… 木村 寿之介(きむら ひさのすけ、本名:波田 寿和(はた としかず)、1967年6月27日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で、大島部屋(一時、友綱部屋)所属の大相撲の三役格行司。血液型はA型。 行司としての初土俵は、1983年5月場所。27代木村庄之助の弟子である。 実兄は元小結・衆議院議員でタレントの旭道山で、中学生の頃に兄が相撲部屋で小さな身体を泥だらけにして稽古をしている姿を見て助けになりたいと思ったという。高校受験して受かっていたが、進学をせず行司になった。 次男の波田大和は、帝拳所属のプロボクサーとして2015年にデビューしている。 東京場所で用いる軍配は、同じ一門の横綱白鵬と共通の後援会関係者から贈られたもので、表面に鳳凰の蒔絵が描かれ、裏面には27代木村庄之助が揮毫した「精神一到(白鵬が横綱昇進時の口上で述べた四字熟語)」、軍配の漆塗は輪島塗の人間国宝と角界内外のトップの最高級を凝縮したものである。
重ノ海 博久(しげのうみ ひろひさ、1967年6月14日 -… 重ノ海 博久(しげのうみ ひろひさ、1967年6月14日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は重村 博久(しげむら ひろひさ)。182cm、126kg。最高位は西十両11枚目。得意技は左四つ、出し投げ、血液型はB型。 小学生時代は柔道を習ったが、瀬戸内町立古仁屋中学校では相撲部に所属して 2年生の時に全国中学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献した。 3年生の全国大会で武蔵川に素質を見出されて勧誘された。当初は入門を迷ったが何度も武蔵川が訪ねて来るうちに熱意に動かされて入門を決意した。1983年3月場所に初土俵。初土俵から3年で幕下に昇進したが、負傷もあってなかなか定着することができなかった。
旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14… 旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身(東京都世田谷区三軒茶屋生まれ)で大島部屋に所属した元大相撲力士、元政治家、タレント、実業家。新進党→新党平和→無所属の元衆議院議員(1期)。本名は波田 和泰(はた かずやす)。血液型はO型。実弟は、三役格行司の木村寿之介、元五等呼出の松男(2023年現在でも現役の十両呼出とは別人)。2015年に帝拳ジムよりプロボクサーデビューした波田大和は甥(寿之介の次男)に当たる。 1964年10月14日に東京の三軒茶屋の小児科病院で長男として生まれる。未熟児として生まれ、黄疸・小児喘息が出ていて、交換輸血を3回した。
2代目 常の山 勝正(にだいめ つねのやま かつまさ、196… 2代目 常の山 勝正(にだいめ つねのやま かつまさ、1963年1月29日 - )は、鹿児島県西之表市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は下村 重和(しもむら しげかず)であるが、橋本姓を名乗っていた時期もある。身長182cm、体重117kg。得意手は右四つ、上手出し投げ。最高位は東前頭12枚目(1992年3月場所、同年7月場所)。 西之表市立国上中学校を卒業後、福岡県内の電気会社に就職。後に魚市場に転職したが、同じ職場に勤務していた元前頭・福田山の福田幸雄の紹介で出羽海部屋に入門し、1980年7月場所で初土俵を踏んだ。 入門前の相撲経験は無かったが、小兵であることを生かした素早い相撲で、着実に番付を上げて行った。
逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ、1961年6月18日 - … 逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ、1961年6月18日 - 2019年9月16日)は、鹿児島県姶良郡加治木町(現・姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は福薗 好昭(ふくぞの よしあき)。 最高位は東関脇。得意技は左四つ、寄り、もろ差し、外掛け。現役時代の体格は182cm、130kg。引退後は年寄・井筒を襲名し、井筒部屋で後進の指導に当たっていた。 なお彼以前に逆鉾を名乗った力士が9人いるため、彼は10代目の逆鉾である。 生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が居宅及び部屋を構えた墨田区であるが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。 墨田区立二葉小学校、墨田区立両国中学校を卒業。
一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )… 一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の元大相撲力士。本名は松田 哲博。得意手は押し、出し投げ、肩透かし。2007年11月28日の引退時点で現役最年長力士だった。また、2017年5月27日までは昭和以降の最高齢力士の記録も保持していた。初の国立大学出身の力士でもある。血液型AB型。最高位は東三段目6枚目(1991年7月場所)。 亀津中学校、徳之島高校時代は柔道部。琉球大学理学部物理学科在学中に相撲部を興す。大学卒業後、元関脇・房錦の若松部屋に入門、国立大学出身力士としては史上初の角界入りを果たした。身長が規定に及ばず(身長165cm、合格基準173cm)新弟子検査を合格することができないまま半年ほど過ぎたが、1983年(昭和58年)11月場所の新弟子検査で身長の計測係だった鏡山親方(元横綱・柏戸)のお情けで合格、大学時代の実績がほぼ皆無であったため幕下付出の資格は得られず前相撲から初土俵を踏んだ。
清王洋 好造(せいおうなだ こうぞう、1960年10月20日… 清王洋 好造(せいおうなだ こうぞう、1960年10月20日 - 2003年10月8日)は、伊勢ヶ濱部屋に所属していた元大相撲力士。本名は畠野 好造(はたの こうぞう)。身長178cm、体重192kg。鹿児島県枕崎市出身、兵庫県神戸市垂水区育ち。得意手は突き、押し。最高位は西十両9枚目(1987年11月場所)。 1960年10月20日、神戸市にて生まれる。兵庫県神戸市垂水区で育つ。父は自動車教習所指導員。出身地は新十両時は兵庫県、再十両時は鹿児島県としていた。1979年3月に天理高等学校卒業。新弟子検査に合格。高校で柔道を習っており、大学でも柔道を続けようと考え、天理大学体育学部を受験し合格したが、自分の身体能力を生かすには相撲しかないと考え、進学せずに伊勢ヶ濱部屋に入門。
陣岳 隆(じんがく たかし、1959年12月24日 - )は… 陣岳 隆(じんがく たかし、1959年12月24日 - )は、鹿児島県曽於郡志布志町(現・同県志布志市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した元大相撲力士。本名は中山 隆(なかやま たかし)。現役時代は身長190cm・体重148kg。得意手は左四つ・突っ張り・吊り。最高位は東小結(1987年11月場所)。趣味は映画鑑賞・ゴルフ。血液型はB型。好物は焼肉とアイスクリーム。 志布志町役場に勤務していた公務員の父と元陸上選手の母との間に生まれた。家族は姉も実業団バレーボールの選手として鳴らした典型的なスポーツ一家であった。志布志小学校在学時から志布志高校の2年生までは、剣道で鳴らした。 その後相撲に転向し、高校を2年生の途中で中退して上京。
鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち、1959年11月24日… 鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち、1959年11月24日 - 2020年3月28日)は、鹿児島県姶良郡加治木町 (現在の姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で、井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は福薗 好政(ふくぞの よしまさ)。身長182cm、体重122kg。最高位は西十両2枚目(1983年7月場所)。得意手は突っ張り、諸差し、寄り。引退時の四股名は鶴ノ富士。 生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が居宅及び部屋を構えた墨田区であるが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。 父が師匠を務める君ヶ濱部屋(のちに井筒部屋に名称変更)へ入門し、中学校卒業後の1975年3月場所初土俵。
霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月… 霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月3日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。最高位は東大関。現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。うっちゃり。現在は年寄・陸奥。弟子の霧島鐵力と区別して「初代霧島」と呼ばれることもある。 農家の長男として生まれる。幼少時から体を鍛えるのが好きで、小学校では3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履くなどしていた。サッカーが好きであったが、中学にサッカー部が無かったため中学時代は野球部に入部し、2年生から柔道部に転向。
薩洲洋 康貴(さっしゅうなだ やすたか、1957年6月7日 … 薩洲洋 康貴(さっしゅうなだ やすたか、1957年6月7日 - )は、鹿児島県指宿市出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した元大相撲力士。本名は吉崎 克幸(よしざき かつゆき)。最高位は西前頭筆頭(1988年3月場所)。現役時代の体格は183cm、150kg。得意手は突き、押し、叩き、引き。現在は、年寄・立田山である。 乾物店の長男で、指宿市立北指宿中学校では柔道に打ち込んでいた。鹿児島実業高等学校に進学してからも柔道を継続するつもりであったがレギュラーになれず、困っていたところ相撲部に勧誘されて相撲に転向した。 高校在学中に君ヶ濱部屋へ入門し、1976年1月場所にて、18歳で初土俵を踏んだ。
若嶋津 六夫(わかしまづ むつお、1957年〈昭和32年〉1… 若嶋津 六夫(わかしまづ むつお、1957年〈昭和32年〉1月12日 - 2026年〈令和8年〉3月15日)は、鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。身長188 cm、体重125 kg。本名は日高 六男(ひだか むつお)。 妻は同じ鹿児島県出身で元アイドル歌手の高田みづえ(若嶋津が幕内に昇進した頃に雑誌のインタビューで「理想の女性は」と聞かれてみづえの名を出していた。それから4年ほど後に実際に結婚することとなる)。南国出身の精悍な顔立ちで、「南海の黒豹(クロヒョウ)」の異名で呼ばれ、当時人気だった少年漫画『キャプテン翼』の登場人物の名前にも起用されるなど、人気の高い力士だった。
星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - … 星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - )は、鹿児島県揖宿郡開聞町出身で陸奥部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は野口 祐二(のぐち ゆうじ)。現役時代の体格は身長182cm、体重138kg。得意手は左四つ、上手投げ、蹴手繰り。趣味は野球観戦。最高位は東前頭14枚目(1989年7月場所)。愛称は「イワトナルド」(後述)。 中学時代は野球部に所属。4番打者を務めるなど活躍し、高校も推薦入学を勧められていた。しかし、知人の紹介で井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺)を紹介され、中学3年生の時に井筒部屋へ入門。1970年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 小兵だったが着実に番付を上げ、入門2年目には後に師匠となる元・星甲(後述)が一時期名乗っていた「星兜」の四股名を貰い、早くから将来を嘱望された。
錦洋 幸治(にしきなだ こうじ、1950年1月3日 - 20… 錦洋 幸治(にしきなだ こうじ、1950年1月3日 - 2009年7月16日)は、鹿児島県鹿屋市出身で君ヶ浜部屋(入門時は井筒部屋)に所属した大相撲力士。本名は川崎 悟(かわさき さとる)。最高位は東前頭筆頭(1972年3月場所)。現役時代の体格は178cm、150kg。得意手は押し、右四つ、寄り。 1974年7月大峩 悟(たいが さとる)に改名。 井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺道芳)の勧誘を受けて、中学を卒業後に井筒部屋へ入門。1965年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「川崎」。初土俵の同期には、後の大関・大受や前頭・吉王山らがいる。以来、井筒部屋のホープとして期待された。 押しを武器に順調に番付を上げ、1968年11月場所では18歳で十両に昇進。
大寛 宗之(たいかん むねゆき、1944年10月20日 - … 大寛 宗之(たいかん むねゆき、1944年10月20日 - 没年不明 )は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で井筒部屋、陸奥部屋に所属した元大相撲力士。本名は淵上 重昭(ふちがみ しげあき)。180cm、118kg。最高位は東十両4枚目。得意技は右四つ、寄り。 当初は野球が好きだったが、種子島高校に入学すると、柔道部に入部する。1年生の時に柔道部で最も大きい体格を見込まれて相撲部に駆り出され、鹿児島県大会で準優勝したのが評判に上り、井筒部屋の世話人から勧められて入門した。1962年3月場所に初土俵。幕下での下積みが長かったが、1969年11月場所の幕下優勝を足がかりにして1970年3月場所に十両昇進、以後21場所十両に在位する。
逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう、1942年6月7日 - 2… 逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう、1942年6月7日 - 2000年12月 )は、鹿児島県川内市五代町(現在の薩摩川内市五代町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 元行(やまぐち もとゆき)→古田 元行(ふるた -)。最高位は東前頭6枚目(1963年7月場所)。現役時代の体格は176cm、90kg。得意手は左四つ、突っ張り、出し投げなど。 中学校を卒業後、地元の県会議員・田中氏の紹介で井筒部屋へ入門し、1958年7月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、出身地の川内市に因んだ「川内」。 以来、順調に出世し、1962年7月場所で新十両に昇進。これを機に四股名を、「逆鉾」へ改めた。 その後、1963年5月場所で新入幕。
大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は… 大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は、鹿児島県肝属郡大根占町(現在の肝属郡錦江町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は柳田 辰実(やなぎだ たつみ)→横山 辰実(よこやま - )。現役時代の体格は179cm、115kg。最高位は東前頭筆頭(1968年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。 中学を卒業後、上京して井筒部屋に入門し、1956年5月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口に付いた時の四股名は、故郷の町名に因んだ「大根占(おおねじめ)」(その後、1961年11月より「大雄」に改名している)。 もろ差し得意の技能力士として知られ、大関・清國に対しては分が良かった(幕内での対戦成績は、4勝1敗)。
朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 … 朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 - 没年不明)は、鹿児島県大島郡宇検村出身で高砂部屋に所属した力士。本名は崎谷 正清(さきや まさきよ)。最高位は東前頭9枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は172cm、94kg。得意手は右四つ、寄り、出し投げなど。 16歳の時、上京し、同郷であり思慕していた朝潮がいる高砂部屋に入門。1953年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・清ノ森や同・宮柱らがいる。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、翌3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「朝ノ海」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通した。
太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没… 太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現役当時、現・同県薩摩川内市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 義経(いわした よしつね)。最高位は東前頭20枚目(1957年1月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げなど。現役時代の体格は175cm、90kg。 18歳の時、上京して井筒部屋に入門し、1949年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・高錦らがいる。同年10月場所では、12勝3敗と大勝ちし、序ノ口優勝を果たした(当時は、幕下以下も初日から千秋楽まで取組があった)。初めて番付に付いた時より「太刀風」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通している。
鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - … 鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - 2006年5月29日)は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身で井筒部屋(ただし初土俵は時津風部屋名義)に所属した大相撲力士。本名は福薗 昭男(ふくぞの あきお)。最高位は西関脇(1956年5月場所・1962年9月場所)。得意技はもろ差し、右四つ、寄り、上手出し投げ。現役時代の体格は177cm、114kg。 旧制加治木中学校3年時の1944年8月、予科練に入り、鹿児島航空隊、次に小富士海軍航空隊31分隊に入隊する。戦時中は海軍年少兵として海軍相撲で鳴らし、やがて大相撲への興味を抱く。戦後、加治木中を卒業し、当地の農業会(農民組合)に勤務する。
伊集院 大八(いじゅういん だいはち、1928年11月20日… 伊集院 大八(いじゅういん だいはち、1928年11月20日 - 没年不明 )は、井筒部屋に所属した元力士。本名は東 幹男(ひがし みきお)。現在の鹿児島県日置市出身。177cm、98kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、寄り。 1949年5月場所初土俵、1955年3月場所十両昇進し連続28場所務める。1960年9月場所限りで廃業した。 部屋の同僚である鶴ヶ嶺昭男と親交のあった中西太がトレーニングの一環として出稽古に来た際、中西と二人で写真を撮ったこともある。
三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 -… 三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 - 1943年9月23日)は、昭和時代の大相撲力士。浅香山部屋→井筒部屋所属。本名は有川 盛吉。最高位は十両5枚目。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市)出身。同郷の横綱であった三代目西ノ海の浅香山部屋に入門。1933年1月初土俵を踏む。間もなく師匠が亡くなり、井筒部屋に移籍する。1940年1月十両昇進。連続5場所その地位にあったが、1942年5月に幕下に落ちてから休場続きで、三段目まで落ちた1943年9月23日、現役のまま死去した。 錦江洋→三船浪→三舩浪
鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日 -… 鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日 - 1972年3月18日)は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は下家 道義。最高位は東前頭2枚目(1942年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、櫓投げ。現役時代の体格は188cm、101kg。引退後は井筒部屋を経営し、多くの力士を育てた。 1931年5月場所、井筒部屋から「種子ヶ島」の四股名で初土俵をふむ。相星(4勝4敗)は一度あるが負け越し無しで順調に昇進を重ね、1934年1月場所に新十両。この時「星甲」を名乗る。種子ヶ島、星甲の四股名はともに先代井筒の横綱・2代西ノ海(西ノ海も鶴ヶ嶺同様種子島出身)が若き日に名乗った名で、星甲は師匠から受け継いだものでもあった。
國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - … 國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - 1986年12月20日)は、鹿児島県姶良郡(現・霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は中馬 源逸(ちゅうま げんいつ)。現役時代の体格は身長170cm、体重109kg、得意手は押し。最高位は西前頭5枚目(1932年2月場所、3月場所)、血液型はB型。 同郷の9代井筒(第25代横綱・西ノ海嘉治郎 (2代))の勧めで入門、1923年5月場所初土俵。1924年5月場所序二段。病気のため1926年5月場所一旦序ノ口に陥落したが、その後は順調に昇進した。1928年10月場所、三段目で6戦全勝の優勝同点の成績を挙げて幕下入り。1931年5月場所は幕下筆頭で4勝4敗の五分、10月場所は3勝3敗のこれまた五分の成績だったが、1932年1月の春秋園事件で協会に残ったために2月場所でラッキーな新入幕を果たした。
上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日 … 上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は中間 勇一。最高位は十両11枚目(ただし、後述のように十両力士として土俵に上がらなかった)。 井筒部屋に入門し、1923年1月、初土俵を踏む。1932年1月、十両に昇進したが、番付発表直後に起きた春秋園事件で脱退し、革新力士団に加わった。その後は相撲協会に復帰することはなかった。
錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 -… 錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 - 1960年3月1日)は、鹿児島県姶良郡福山町(現霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は豊平 才蔵。最高位は関脇(関西角力協会では大関をつとめた)だった。現役時代の体格は176cm、111kg。得意技は押し、寄り、掬い投げ。 井筒部屋に入門し、1917年5月場所に初土俵をふむ。1923年5月、新十両、1925年1月に新入幕を果たす。出足早く、攻めの相撲で鳴らした。1925年5月場所には、前頭12枚目で10勝1敗の好成績を挙げたが、優勝は同じ平幕でも上位の大蛇山酉之助に奪われた。そこから上昇気流に乗り、1927年10月には新小結、1928年には関脇に昇進した。
逆鉾 盛吉(さかほこ せいきち、1894年10月25日 - … 逆鉾 盛吉(さかほこ せいきち、1894年10月25日 - 1947年5月5日)は、鹿児島県姶良郡蒲生町西浦出身で井筒部屋に所属した力士。本名は川原林 盛吉。173cm、86kg。最高位は西前頭筆頭。 1911年2月初土俵。突き、押しを主体とする相撲で序ノ口から7場所目の1914年1月に十両昇進。11場所目の1916年1月入幕した。前頭筆頭まで躍進したが怪我をしてからは振るわず、1922年1月十両に陥落し、1922年5月廃業。
西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11… 西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11月2日 - 1933年7月28日)は、鹿児島県西囎唹郡西国分村(現・鹿児島県霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。第30代横綱。本名は松山 伊勢助(まつやま いせすけ)。 1890年に鹿児島県で生まれる。子供の時から剛力で鳴り響いたため、二代目西ノ海嘉治郎に見出されたことから上京、鹿児島県出身の力士が多く所属する井筒部屋に入門した。1910年1月場所で源氏山大五郎と名乗って初土俵を踏むと順調に昇進、序二段、三段目、幕下で5戦全勝を記録し、十両2場所目の1915年5月場所でも6勝無敗1分を記録。1916年1月場所に新入幕を果たすとこの場所は9勝1敗の好成績で、1918年5月場所で関脇に昇進する。
逆鉾 与治郎(さかほこ よじろう、1871年5月10日 - … 逆鉾 与治郎(さかほこ よじろう、1871年5月10日 - 1939年10月22日)は、鹿児島県日置郡金峰町(現南さつま市)出身で高砂部屋、のち井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は今井 与次郎(旧姓年永)。最高位は東関脇。現役時代の体格は168cm、82kg。得意手はハズ押し、左四つ。 子供の頃から土地の宮相撲で活躍していたが、巡業で鹿児島を訪れた初代西ノ海・小錦一行に誘われて高砂へ入門、1893年(明治26年)1月場所序ノ口で初土俵を踏んだ。2年後の1895年(明治28年)6月場所には早くも十両に昇進、十両もわずか2場所で通過して1896年5月場所入幕した。この年の1月場所で初代西ノ海が引退、井筒部屋を興したのでこれに従った。
西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう、1855年2月19日(… 西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう、1855年2月19日(安政2年1月3日) - 1908年(明治41年)11月30日)は、薩摩国高城郡(現:鹿児島県薩摩川内市)出身で高砂部屋(入門時は京都相撲の鯨波部屋)に所属した大相撲力士。第16代横綱。本名は小園 嘉次郎(おぞの かじろう)。 1855年に薩摩国高城郡高城郷麓村(現在の鹿児島県薩摩川内市高城町)で農業を営む家に長男として生まれる。子供の時から土地相撲で活躍。 京都に上り、京都相撲の鯨波部屋に入門、1873年8月だった。 西ノ海嘉治郎を名乗り、1874年7月(興行は延期し9月、三都合併相撲)西三段目に出る。1876年入幕、小結まで昇進した。