遊佐 孝五(ゆさ こうご、1922年8月30日 - 2004… 遊佐 孝五(ゆさ こうご、1922年8月30日 - 2004年7月9日)は、日本の酪農学者・農学者。専門は、農学・乳製品製造学。農学博士。元酪農学園大学学長。元学校法人酪農学園理事長。 北海道生まれ。1946年(昭和21年)北海道帝國大學農学部卒業し、同農学部助手を経て、1948年野幌機農高等学校教諭。1950年酪農学園短期大学講師。1960年酪農学園大学酪農学部助教授。1973年酪農学園大学5代学長に就任。1979年学校法人酪農学園初代副学園長に就任(~1985年)。1985年同学長退任。学校法人酪農学園3代学園長に就任。1991年酪農学園大学退職。同名誉教授。学校法人酪農学園6代理事長に就任。
八戸 芳夫(はちのへ よしお、1922年8月20日 - )は… 八戸 芳夫(はちのへ よしお、1922年8月20日 - )は、日本の農学者、北海道大学名誉教授。 北海道生まれ。北海道帝国大学農学部畜産学科卒、1956年「蜜蜂の口吻長に関する研究」で農学博士。農林省畜産試験場に勤め、1962年北海道大学農学部助教授となり、1964年教授。1986年定年退官、名誉教授となる。養蜂が専門。
阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - 2006… 阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - 2006年12月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、北海道開発庁長官(第53代)、沖縄開発庁長官(第22代)、宏池会事務総長などを歴任した。 山形県東根市出身。北海道帝国大学附属農林専門部を卒業した。 函館市議会議員などを務めた。1963年の北海道議会議員選挙に立候補し、函館市選挙区から当選した。以来、連続2期当選を果たした。北海道議会では、商工労働委員会や予算特別委員会において、それぞれ副委員長を務めた。第32回衆議院議員総選挙立候補のため、2期目の1969年12月6日に辞職した。 北海道議会議員辞職後、1969年の衆議院議員総選挙に立候補し、旧北海道第3区にから当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11… 和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11月15日)は、日本近代文学の研究者、北海道大学名誉教授。 東京に国文学者和田信二郎の五男として生まれる。藤田圭雄のいとこ。1944年東京高等師範学校卒、土浦海軍航空隊に入隊し、敗戦後北海道大学法文学部国文科に入る。北海道大学教養部助教授、教授、1986年定年、北海道立文学館理事長を務めた。1987年北海道文化賞、1992年北海道新聞文化賞受賞。『風土のなかの文学』で提唱された「北海道の文学の四分類」は有名。
安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本… 安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本の農学者。 北海道夕張市生まれ。本籍・石川県志雄町。1946年北海道帝国大学(現・北海道大学)農学部卒業。1961年『わが国稲作技術の地域的展開に関する文献的研究』で九州大学農学博士。1950年から農業発達史調査会(盛永俊太郎編集長、東畑精一会長)で稲作史の部門を担当。朝日新聞東京本社企画部に勤務。山階鳥類研究所でトキの研究。1959年『日本農業発達史』(農業発達史調査会)で朝日賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月… 木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月10日 - 2008年(平成20年)12月5日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は資源開発工学。北海道大学名誉教授・北海道情報大学初代学長。北海道夕張市出身。恩師は佐山総平。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 201… 和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 2011年2月14日)は、日本の心臓血管外科医。札幌医科大学名誉教授。ワダ弁(人工心弁)の開発や、後に「和田心臓移植事件」として様々な疑惑が浮上する日本初の心臓移植手術を執刀したことで有名な医師。
林 善茂(はやし よししげ、1922年 - 2013年)は日… 林 善茂(はやし よししげ、1922年 - 2013年)は日本の経済学者、北海道大学名誉教授。専門は、農業経済学・アイヌ民族文化研究。北海道小樽市生まれ。 1938年に北海道帝国大学予科農類に入学し、1943年に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。卒業後、農学部で研究生や助手となり、1948年8月に助教授に就任している。 1953年、新設された北海道大学経済学部に転じた。1962年に北海道大学で農学博士号を取得した。翌年、教授に昇格した。 1972年、北海道大学の評議員に選出される。1976年に北海道大学経済学部長に就任した。部長在職中の1977年に講義で「北海道経済史は辺境における開発の歴史として見ていくことであり、主体は日本人であってアイヌではない」「アイヌの歴史は切り捨てる」、また和人男性が蝦夷地に来た頃に彼らと結婚したアイヌ女性を「占領軍時代のパンパンと同じ」などの発言をおこなったことが学生やアイヌの反発を招き、糾弾として教室に封鎖される事態となった(機動隊により救出)。
春原 千秋(はるはら ちあき、1922年-2017年)は、日… 春原 千秋(はるはら ちあき、1922年-2017年)は、日本の精神科医、病跡学者。 横浜市生まれ。1947年北海道帝国大学医学部卒。1947年東京帝国大学医学部精神医学教室に入局。1956年「狂犬病予防注射による脳炎の精神神経障害について」で東京大学医学博士。同大助手、順天堂大学講師、1959年中央鉄道病院精神神経科主任医長。82年退職、高円寺クリニック医師。1992年将棋世界誌上での「将棋を愛した文豪たち」の連載で将棋ペンクラブ大賞特別賞受賞。将棋ペンクラブ監査役。
楠 宏(くすのき こう、1921年11月18日 - 2021… 楠 宏(くすのき こう、1921年11月18日 - 2021年2月10日 )は、日本の地球物理学者・地理学者・地球科学者である。専門は、雪氷学、両極地方の地誌。北海道釧路市出身。楠木正成の子孫にあたるという。父親は旧制一高東寮寮歌「嗚呼玉杯」「緑もぞ濃き」の作曲者楠正一(一高を中退後、石狩支庁農林技手。1945年没)。
泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月1… 泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月10日 - 1991年(平成3年)10月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 北海道幌別郡、現在の登別市出身。1944年(昭和19年)日本国有鉄道札幌鉄道教習所運輸高等科を修了。 北海道大学医学部附属登別分院勤務、室蘭駅助役、副鉄道官補、運輸事務官、国鉄労働組合北海道地評議長、全北海道労働組合協議会議長、北海道交通運輸労働組合協議会議長、北海道産業教育審議会委員、北海道環境衛生適正化審議会委員、札幌陸運局自動車運送協議会委員、北海道開発審議会委員などを務めた。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月… 高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月9日 - 2004年〈平成16年〉7月8日)は、日本の農学者・経済学者。専門は農業経済学。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。位階は正四位。指導教授は松田武雄。門下生に出村克彦。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-そ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
竹山 太郎(たけやま たろう、1921年7月17日 - 20… 竹山 太郎(たけやま たろう、1921年7月17日 - 2016年12月18日)は、日本の材料工学者。北海道大学名誉教授。元日本電子顕微鏡学会会長。 横浜生まれ。1945年北海道帝国大学工学部生産冶金工学科卒業。北海道大学工学部助手、北海道大学工学部講師を経て、1959年北海道大学工学部助教授。1962年工学博士。1963年北海道大学工学部教授。1971年日本電子顕微鏡学会瀬深賞受賞。1983年日本金属学会谷川・ハリス賞受賞。1984年日本電子顕微鏡学会会長。1985年北海道大学名誉教授。北海道産業専門学校客員教授。1992年同退職。1996年勲三等旭日中綬章受章。日本金属学会北海道支部長、文部省学術審議会専門委員、日本原子力研究所核融合炉材料研究専門委員。
上田 明一(うえだ めいいち、1921年7月10日 - 20… 上田 明一(うえだ めいいち、1921年7月10日 - 2004年6月20日)は、日本の哺乳類学者。元農林省林業試験場鳥獣科長。森林野生動物研究会会員。北海道における森林害獣としてのユキウサギやエゾヤチネズミ等の応用動物学的研究を行った。動物学者・生態学者の上田宏の父。 1921年北海道旭川に生まれる。1945年北海道帝国大学農学部農業生物学科卒業。1947年北大大学院特別研究生を修了し、農林省札幌営林局森林有害動物調査所に勤務。1951年森林有害動物調査所の廃止に伴い、林業試験場(現・森林総合研究所)札幌支場に移った。1961年、農学博士(北海道大学)取得。論文の題は「エゾヤチネズミの発生予察並びにその駆除法に関する研究」。
菊池 徹(きくち とおる、1921年6月27日 - 2006… 菊池 徹(きくち とおる、1921年6月27日 - 2006年4月10日)は、日本の南極探検家。 1921年、兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)に生まれる。大阪府立北野中学校卒業。中学時代より、登山部に入り登山活動を行う。浪人し、北海道大学予科に入学、1946年3月、北海道大学理学部地質学鉱物学科を卒業する。 大学卒業後、父親の経営する会社の役員につくも、地質学の知識が買われ、商工省の地質調査所に就職する。 1956年、第一次南極地域観測隊の隊員53名の一人に抜擢される。1957年1月29日、南極地域観測隊のメンバーが、南極の東オングル島に上陸する。昭和基地が設営され、菊池徹は、11名の南極越冬隊員の一人となり、1957年の『冬』の越冬活動に参加する。
今井 陽(いまい よう、1921年 <大正10年> 4月15… 今井 陽(いまい よう、1921年 <大正10年> 4月15日 - 1999年 <平成11年> 9月7日)は、日本の医学者。医学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。専門は生化学・栄養学。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 北海道出身。1944年北海道帝國大學医学部卒業。赤紙により召集。1946年終戦により復員。 1946年北海道帝国大学医学部助手。1949年北海道大学で「微生物体脂質に関する研究」にて医学博士を受く。1950年北海道大学医学部助教授。その後、北海道大学医学部教授。同医学部長など歴任。1985年北海道大学停年退官。同名誉教授。1985年北海道栄養短期大学食物栄養学科教授。同食物栄養学科長。
小林 晴夫(こばやしはるお、1921年2月23日 - 200… 小林 晴夫(こばやしはるお、1921年2月23日 - 2009年6月29日)は、日本の工学者・化学者。工学博士。元室蘭工業大学学長・同名誉教授。北海道大学名誉教授。東京都出身。 1944年(昭和19年)北海道帝国大学工学部卒業。北海道大学大学院工学研究科博士課程修了。1947年(昭和22年)北海道大学工学部講師。1948年(昭和23年)同工学部助教授。1960年(昭和35年)同工学部教授。1983年(昭和58年)北海道大学退官。同名誉教授。1983年(昭和58年)室蘭工業大学理事・室蘭工業大学8代学長に就任。1991年(平成3年)室蘭工業大学退官。北海道武蔵女子短期大学学長に就任。1998年(平成10年)同学長を退任し、終身理事。
江口 良友(えぐち よしとも、1921年(大正10年) - … 江口 良友(えぐち よしとも、1921年(大正10年) - 2010年)は、日本の工学者・農学者・元軍人。農学博士(北海道大学)。専門は、微生物工学。北海道におけるバイオ研究の大家。特定非営利活動法人北海道バイオ産業振興協会顧問。北海道大学名誉教授。静修短期大学元学長。北海道小樽市出身 1944年北海道帝国大学農学部卒。1944年赤紙で召集を受ける。1945年海軍技術中尉。終戦後は、北海道商工経済会主事、北海道農産化学工業研究主幹、武田薬品工業化成品研究所部長を経て、1972年(昭和47年)北海道大学農学部教授に就任(微生物工学を担当)。1985年北海道大学停年退官。同名誉教授。静修短期大学6代学長に就任。
藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) -… 藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) - 2012年(平成24年)9月10日)は、日本の歴史学者・教育者。北海学園大学名誉教授。 北海道深川市出身。庁立旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)を経て、1942年横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)卒業。庁立深川中学校(現・北海道深川西高等学校)教諭。1949年北海道札幌西高等学校教諭。1952年北海道大学文学部東洋史学科卒業。1954年同大学院文学研究科修了。同文学部助手。同非常勤講師を経て、1958年北海道札幌星園高等学校教諭。1972年北海学園大学法学部の専任講師として就任。1974年同法学部教授。1996年北海学園大学退職。
佐々木 醇三(ささき じゅんぞう、1920年12月27日 -… 佐々木 醇三(ささき じゅんぞう、1920年12月27日 - 2002年4月30日)は、日本の経営者。ニチロ社長を務めた。北海道出身。 1946年に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、1947年に農林中央金庫に入社し、1973年には理事に就任。1980年12月に日魯漁業(のちのニチロ)に転じ、最高顧問に就任し、1981年2月に副社長を経て、1986年2月には社長に就任。1990年1月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に就任。社長在任時には、積極的な海外展開による加工食品事業の強化などにより、当時経営不振に陥っていた自社の再建に尽力した。 1997年に勲三等瑞宝章を受章。 2002年4月30日に心筋梗塞のために死去。
有江 幹男(ありえ みきお、1920年7月30日 - 200… 有江 幹男(ありえ みきお、1920年7月30日 - 2009年11月21日)は、日本の工学者。北海道大学・北海道工業大学名誉教授、北海道大学・北海道工業大学元学長。従三位勲一等瑞宝章。北海道夕張町(現・夕張市)出身。専門分野は機械工学、流体力学。 1972年の札幌冬季五輪にあたっては、人工的に風を起こして影響を調べる再現実験を行い、ジャンプ競技場の改修指針を出した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 -… 木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 - 2008年(平成20年)8月3日)は、日本の小説家。 北海道旭川市生まれ。旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)、北海道帝国大学工学部卒業。1943年に海軍予備学生として横須賀海兵団に入団。占守島派遣や内地転属を経て終戦を迎える。北海日日新聞創刊に参加し、新聞合併を経て北海タイムスの記者として勤務。文化部長や論説委員を務めた。その傍ら1949年より旭川の文芸同人誌「冬濤」に参加。1952年より同誌編集責任者を務めた。旭川市の郷土史研究書である『旭川今昔ばなし』も著した。
吉田 俊秀(よしだ としひで、1920年6月1日- 1986… 吉田 俊秀(よしだ としひで、1920年6月1日- 1986年7月7日)は、日本の遺伝学者・哺乳類学者。 元国立遺伝学研究所細胞遺伝部長、東京医科大学客員教授。北海道大学理学部動物学科卒業、北大では牧野佐二郎教授の弟子。1954年、北海道大学より「ネズミ腫瘍の細胞学的、組織学的研究」で理学博士を取得。1986年7月7日午後零時55分、肝不全のため、東京都新宿区西新宿の東京医大病院で死去、66歳。1964年日本遺伝学会賞受賞。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
秦 謹一(はた きんいち、1920年(大正9年)5月30日 … 秦 謹一(はた きんいち、1920年(大正9年)5月30日 - 2006年(平成18年)8月17日)は、日本の工学者。北海道工業大学名誉教授・北海道大学名誉教授である。徳島県徳島市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
池上 二良(いけがみ じろう、1920年5月15日 - 20… 池上 二良(いけがみ じろう、1920年5月15日 - 2011年7月15日)は、日本の言語学者。北海道大学名誉教授。専門は満洲語、その他のツングース諸語、アイヌ語など。 1920年、長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科(乙類)を経て、東京帝国大学文学部言語学科卒業。大学院在学中からツングース諸語、特にウイルタ語の研究を始める。 1951年に群馬大学学芸部助教授となる。1964年より北海道大学文学部教授、1976年より同大学文学部附属北方文化研究施設長を併任する。1984年に定年退官、名誉教授、札幌大学女子短期大学部教授。1991年、同大学定年退職。 旧樺太に住むウィルタ語の研究において、話者である佐藤チヨの協力のもと、『ウイルタ語基礎語彙』を出版した。
久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 … 久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 - 2011年 <平成23年> 4月1日)は、日本の建設技官。初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、日本の下水道行政の基礎を築いた。1994年には日本人として初めてストックホルム水賞を受賞した。勲二等瑞宝章受章。位階は正五位。 北海道夕張市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1944年北海道帝国大学工学部土木工学科卒業。満洲国政府高等官試補、神戸市復興本部を経て、建設省が発足した1948年に同省に入省し、水道課に配属された。建設省下水道課長を経て、初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、流域下水道計画を推進し、長與專齋、關一、ウィリアム・K・バートン、中島鋭治らと並んで、日本の下水道事業を軌道に乗せた技術者と評された。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日… 小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日 - 2005年12月28日)は、日本の魚類細胞遺伝学者。 高知市出身。1942年北海道帝国大学理学部動物学科卒。45年同副手。1955年北海道大学理学博士。1948年関西学院大学講師、51年助教授、57年教授。61年理学部教授(理学部新設)、69年理学部長、88年定年退職、名誉教授。日本魚類生物科学研究所長。1988年財団法人染色体学会理事長。1980年兵庫県科学賞、1993年勲三等瑞宝章。 金魚の祖先が中国の鮒の一種「鯽」であることをつきとめた。
岡 光夫(おか みつお、1920年1月5日 - 2005年6… 岡 光夫(おか みつお、1920年1月5日 - 2005年6月6日)は、日本の日本農業経済史学者。 北海道出身。北海道大学農学部農業経済学科卒、同大学院中退、1961年「封建村落の経済的研究」で東京大学農学博士。兵庫農科大学講師、助教授、同志社大学経済学部助教授、教授。1990年定年、名誉教授。 2005年6月6日午後6時35分、肺炎のため茨城県水戸市の病院で死去。85歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - … 桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - 2014年9月26日)は、日本の農学者、農業経済学者、元技官官僚。学位は、農学博士(北海道大学)。専門は、テンサイ農業の経営および経済活動についての研究。北海道大学名誉教授。元北海学園北見大学学長・北海学園北見短期大学学長。渡邊侃門下。弟子は大谷俊昭。北海道生まれ。
水野 義久(みずの よしひさ、1919年9月13日 - 20… 水野 義久(みずの よしひさ、1919年9月13日 - 2005年5月24日)は、岡山県出身の薬学者。北海道大学名誉教授。第二次世界大戦時は陸軍に入隊した。
小澤 保知(おざわ やすとも、1919年8月24日 - 20… 小澤 保知(おざわ やすとも、1919年8月24日 - 2009年12月21日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は電気工学。北海道大学名誉教授・元北海道自動車短期大学学長。位階は正四位。北海道空知郡岩見沢町(現・岩見沢市)出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2… 田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2018年12月5日)は、日本の物理学者・地震学者。北海道大学名誉教授。専門は応用地球物理学・弾性波動論。
永井 厚(ながい あつし、1919年4月1日 - 2006年… 永井 厚(ながい あつし、1919年4月1日 - 2006年11月16日)は、日本の経営者。日立マクセル社長、会長を務めた。 北海道出身。1941年に北海道帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月には日立マクセル社長に就任。1989年6月に会長を経て、1993年6月から相談役を務めた。 1989年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2006年11月16日急性心不全のために死去。87歳没。
石濱 渉(いしはま わたる、1919年3月31日 - 200… 石濱 渉(いしはま わたる、1919年3月31日 - 2005年2月5日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学)。専門は鉱山工学・安全工学。東北大学名誉教授。茨城県下妻市出身。恩師は佐山総平。 北海道大学出身でありながら東北大学教員になった数少ない研究者の1人。クラシック音楽、分けてもモーツァルトを好むという。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、19… 高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、1919年2月8日 - 2016年5月4日)は、日本の政治家、医学者。北海道大学名誉教授、参議院議員(2期)。医学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 長兄は熊本県知事、参議院議員の桜井三郎。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の8番目として生まれる。新潟県立巻中学校を経て北海道帝国大学医学部卒業。同大学院博士課程修了。1945年札幌在住の親戚である高桑家の養子となる。1956年より北海道大学へ赴任。医学部長・大学院環境科学研究科長を経て、1980年より公害研究所(現国立環境研究所)所長として筑波研究学園都市で過ごす。同年、紺綬褒章受章。
小池 東一郎(こいけ とういちろう、1918年10月18日 … 小池 東一郎(こいけ とういちろう、1918年10月18日 - 2001年1月21日)は、日本の工学者。北海道大学名誉教授、道都大学・北見工業大学元学長。従三位勲二等旭日重光章。新潟県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
上村 重信(かみむら しげのぶ、1918年〈大正7年〉9月2… 上村 重信(かみむら しげのぶ、1918年〈大正7年〉9月24日 - 没年不明)は、日本の官吏。北海道土地開発公社副理事長兼専務理事。 山形県米沢市元中馬口労町出身。米沢市南部尋常小学校を卒業する。1936年に山形県立米沢興譲館中学校を卒業する。1945年に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業する。北海道の拓殖調査研究を嘱託される。 北海道庁に入る。開拓部に勤務する。1951年に漁政課企画係長、1955年に同課企画調査係長。1958年に資源課次長、1961年に同課長、同年に人事課長。 1963年に網走支庁長。1964年に道立総合経済研究所副所長。1965年に北海道企画部次長。1967年に道立総合経済研究所長。
松下 三十郎(まつした さんじゅうろう、1918年8月31日… 松下 三十郎(まつした さんじゅうろう、1918年8月31日 - 2004年1月24日)は奈良県出身の北海道大学名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐々木 喜美子(ささき きみこ、1918年(大正7年)8月9… 佐々木 喜美子(ささき きみこ、1918年(大正7年)8月9日 - 2009年(平成21年)11月8日、旧姓:前田喜美子)は、日本の植物生理学、植物分子生物学者、教育者。北海道大学教授を務めた。 北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)を卒業後、北海道帝国大学農学部水産学科の白浜潔教授の副手となる[要出典]。1943年(昭和18年)に北海道帝国大学農学部水産学科(化学専攻)に入学した山西貞(てい)(お茶の水女子大学名誉教授)の研究への情熱に触発され研究生活への夢がふくらみ、1944年(昭和19年)10月に北海道帝国大学理学部植物学科に入学した。同学科植物第1講座(植物生理学)の坂村徹教授の指導で卒業研究「ハンゼヌラ・アノマーラの硝酸代謝とモリブデンの役割」に取り組む。
明道 博(みょうどう ひろし、1918年6月28日 - 19… 明道 博(みょうどう ひろし、1918年6月28日 - 1988年)は、日本の園芸学者。専門は環境保全学花卉・造園学。北海道大学では農学部長,農学部附属農場長,本学評議員を歴任。 昭和38年に園芸学会賞学術賞受賞。1986年第9回日本公園緑地協会北村賞受賞。 著書に『朝日園芸百科』(編集、朝日新聞社、1984年)『花卉・造園学とともに歩んで』(北大農学部,明道博先生退官記念事業会、1982年)『百合(ユリ)入門』(共著、池田書店、1976年)『北国の鉢植え』(監修、北海道協同組合通信社、1976年)『楽しい北国の庭と花づくり』(北海道農業改良普及協会、1972年)『草花』(朝倉書店、1958年)など。
高橋 萬右衛門(たかはし まんえもん、1918年1月26日 … 高橋 萬右衛門(たかはし まんえもん、1918年1月26日 - 2004年6月5日)は、日本の植物育種学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。 1940年(昭和15年)北海道帝国大学農学部卒業。同年、同農学部助手(指導教授:長尾正人)。1947年北海道大学農学部助教授。1957年北海道大学農学博士(論文「稲体の花青素着色に不可欠なる[フ]先色遺伝子の分析」)。 1965年北海道大学農学部教授。1977年(昭和52年)同農学部長。1981年北海道大学停年退官、同名誉教授。同年北海道武蔵女子短期大学学長就任。1987年(昭和62年)北海道グリーンバイオ研究所(農林水産省の研究機関)所長。
原 正市(はら しょういち、1917年8月28日 - 200… 原 正市(はら しょういち、1917年8月28日 - 2002年10月19日)は、日本の水稲専門家で、中国での水稲栽培の改善・収量増加を指導し、北海道日中友好協会顧問を務めた。 1917年、北海道岩見沢市の農家出身。北海道帝国大学農学部卒業。1952年から1974年まで北海道庁に勤務、その後、北海道農業協同組合中央会に1982年まで勤務した。1979年6月、農業視察団の副団長として中国を訪問した原は、現地の農家が種籾を直接田に撒いていたので農業の指導を行い、「畑苗移植法」の栽培技術を伝えた。黒竜江省を皮切りに中国25省151県を21年間で63回訪問、水稲の栽培技術を教え続けた。1982年から2002年までの21年間に中国に滞在した日数は、1522日に及ぶ。
筒浦 明(つつうら あきら、1917年5月14日 – 199… 筒浦 明(つつうら あきら、1917年5月14日 – 1993年1月28日)は、日本の地理学者・教育者。北海学園大学名誉教授。東京都赤坂出身 1942年明治大学大学専門部卒。東京帝国大学理学部地理学教室助手(指導教授:多田文男)(~1944年)。1947年北海道帝国大学理学部卒。北海道立札幌第二高等学校社会科教諭。1950年北海道札幌南高等学校社会科教諭。1953年北海道大学文学部助手。1958年北海学園大学経済学部専任講師。1963年同助教授。1965年同教養部教授。1969年北海学園大学開発研究所長。1972年同教養部長。1980年北海道開発協会会長。1990年北海学園大学定年退職。同名誉教授。
河邨 文一郎(かわむら ぶんいちろう、1917年〈大正6年〉… 河邨 文一郎(かわむら ぶんいちろう、1917年〈大正6年〉4月15日 - 2004年〈平成16年〉3月30日)は、日本の整形外科医、詩人。元札幌医科大学教授。 北海道小樽市出身。小樽中学、北海道帝国大学医学部を卒業。その後、東京帝国大学医学部を経て、札幌医科大学整形外科教授となる。医師から作家に転向した渡辺淳一は、教え子のひとりである。 1950年12月、東北大学より「項中隔石灰症の研究」で医学博士を取得した。 1952年には北海道整肢学院(現北海道立子ども総合医療・療育センター)の初代院長となり、北海道の「肢体不自由児の父」と呼ばれる。北海道内でのポリオ流行後、同疾患による下肢短縮に対する河邨式脚延長術式を開発した。
山本 武(やまもと たけし、1917年(大正6年)3月1日 … 山本 武(やまもと たけし、1917年(大正6年)3月1日 - 1998年(平成10年)2月8日)は、日本の元学校経営者・元地方公務員。北海道出身。 北海道帝國大学農学部卒。1947年(昭和22年)北海道庁に入庁。その後、同農政部課長などを経て、1968年(昭和43年)同上川支庁長。1972年(昭和47年)同公営企業管理者。同年、北海道教育委員会教育庁教育長。1975年(昭和50年)北海道教育委員会学校教育局長。1977年(昭和52年)北海道庁停年退官。北海道文化財保護協会副会長。1978年(昭和53年)学校法人札幌学院大学理事。1983年(昭和58年)北海道文化放送番組審議会委員長。1987年(昭和62年)学校法人札幌学院大学副理事長。
浅沼 靖(あさぬま きよし、1917年 - 1999年)は、… 浅沼 靖(あさぬま きよし、1917年 - 1999年)は、日本の生物学者。 1917年北海道江別市に生まれる。 1940年北海道大学理学部卒業 資源科学研究所(1942年-1969年)、国立科学博物館(1969年-1982年) 以上、外部リンクの江原昭三「浅沼靖先生を偲んで」より 1956年に「吸血性ダニ類に関する研究」で日本衛生動物学会学会賞受賞
大槻 富之助(おおつき とみのすけ、1917年 - 2011… 大槻 富之助(おおつき とみのすけ、1917年 - 2011年11月23日)は、日本の数学者。専門は微分幾何学。東京工業大学名誉教授。 微分幾何学を専門とし、曲線・曲面論からリーマン幾何、多様体、接続の理論まで幅広く講義・執筆した。講義では独自の概念として「大槻多様体」「大槻接続」を導入し、測地線の決定に複素関数論を援用する手法などを展開していた。これらは一部の数学者の間で言及されるが、広く標準的な用語として定着したわけではない。 これらの教科書は、戦後日本の微分幾何学教育に寄与した。 学生時代、期末試験で制限時間のない問題に長時間取り組み、教官と論争したエピソードがある。解けずに帰宅後一晩で解き、翌日持参したところ議論になり、「生意気だ」と怒鳴られたことに憤慨して大学をしばらく休んだという。
岡 彦一(おか ひこいち、1916年12月22日 - 199… 岡 彦一(おか ひこいち、1916年12月22日 - 1996年1月4日)は、日本の育種学者。国立遺伝学研究所名誉所員。日本農学賞受賞。 和歌山県和歌山市生まれ。1940年北海道帝国大学農学部卒業、大原農業研究所助手。台北帝国大学教授、台中農林専科学校(現国立中興大学)教授を経て、1954年国立遺伝学研究所に着任。1963年日本農学賞受賞。1980年定年退職、国立遺伝学研究所名誉所員。1996年勲三等瑞宝章受章。イネの遺伝育種学研究の第一人者として知られた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)11月1… 岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)11月15日 - )は、日本の農学者。学位は、農学博士(北海道大学・論文博士・1960年)。北海道大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。広島県出身。 1934年(昭和9年)広島県立広島第一中学校卒業。1941年(昭和16年)北海道帝国大学農学部農学科卒業。 間もなく兵役のため入隊。1946年(昭和21年)復員。 1947年(昭和22年)北海道帝国大学農学部助手。1949年北海道大学農学部付属農林専門部教授。酪農学園短期大学酪農科助教授を経て、1963年(昭和38年)帯広畜産大学畜産学部教授。1965年(昭和40年)北海道大学農学部教授。1973年(昭和48年)同附属農場長。