梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2… 梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2006年1月23日)は、日本の通商産業技官。科学技術事務次官を経て、原子力安全技術センター理事長、海洋科学技術センター理事長、ライフサイエンス振興財団理事長等を歴任した。 東京都生まれ。1938年武蔵高等学校理科卒業。1941年北海道帝国大学理学部地質学鉱物学科卒業。1944年商工省地質調査所技師。1953年通商産業省大阪通商産業局総務部技術課長。1956年工業技術院調整部業務課長。 1962年科学技術庁計画局科学調査官。1963年科学技術庁原子力局次長。1964年科学技術庁計画局長。1967年科学技術庁研究調整局長。1968年科学技術庁原子力局長、造船技術審議会委員。
長澤 太郎(ながさわ たろう、1916年3月7日 - 200… 長澤 太郎(ながさわ たろう、1916年3月7日 - 2007年11月5日)は、日本の畜産学者・実業家。農学博士(北海道大学)。専門は、畜産学・畜産製造学・農業経営論。 北海道出身。1939年北海道帝國大学農学部卒業。1939年北海道帝国大学農学部助手。1941年岐阜高等農林学校教授。1944年岐阜農林専門学校教授。1953年岐阜大学農学部教授。1964年岐阜大学退官し、森永乳業取締役に就任。1968年森永乳業代表取締役常務。1972年森永乳業代表取締役専務。1977日本製乳代表取締役社長。1979年日本製乳代表取締役会長。1981年日本製乳を退社。玉川大学大学院農学研究科教授。1986年玉川大学定年退職。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実… 多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実業家。生涯を捕鯨の発展に捧げた。鯨類研究所の大村秀雄は多藤を「捕鯨の大家」と賞賛した。 宮城県古川市(現大崎市古川)出身。旧制古川中学(宮城県古川高等学校)、1939年に函館高等水産学校(北海道大学の前身校の一つ)を卒業し極洋捕鯨に入社。小笠原捕鯨、北洋捕鯨、南氷洋捕鯨などに尽力。1961年の国際捕鯨オリンピックでは船団長として船団を率いた。その後、同社取締役、常務取締役、専務取締役、1976年には取締役副社長を歴任した。
湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 198… 湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 1984年4月16日)は、日本の地質学者。北海道大学名誉教授。
守部 政喜(もりべ まさき、1915年9月1日- 1988年… 守部 政喜(もりべ まさき、1915年9月1日- 1988年7月2日 )は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。 北海道出身。1939年に北海道帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入省。1960年6月郵政省審議官に就任。1961年11月に名古屋テレビ放送取締役に就任し、1973年8月に専務、1981年6月に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。 1988年7月2日、脳内出血のため出張先のアメリカカルフォルニア州で急逝。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松本 正(まつもと ただし、1915年6月3日 - 2005… 松本 正(まつもと ただし、1915年6月3日 - 2005年11月13日)は、日本の工学者。北海道大学名誉教授。北海道工業大学元学長。北海道伊達市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
羽田 春兔(はねだ はると、1915年5月12日 - 199… 羽田 春兔(はねだ はると、1915年5月12日 - 1995年7月1日)は、昭和時代から平成時代の医師。医学博士(北海道大学、1948年)。13代日本医師会会長。 1915年(大正4年)、長崎県に生まれる。1939年、北海道帝国大学医学部卒業。1948年(昭和23年)、東京都大田区に内科医院を開業。1983年(昭和58年)、東京都医師会会長。1984年(昭和59年)、第12代日本医師会会長花岡堅而の再選を阻んで、第13代日本医師会会長に就任。 初代 北里柴三郎1916-1931 / 2代 北島多一1931-1943 / 3代 稲田龍吉1943-1946 / 4代 中山寿彦1946-1948 / 5代 高橋明1948-1950 / 6代 田宮猛雄1950 / 7代 谷口弥三郎1950-1952 / 8代 田宮猛雄1952-1954 / 9代 黒澤潤三1954-1955 / 10代 小畑惟清1955-1957 / 11代 武見太郎1957-1982 / 12代 花岡堅而1982-1984 / 13代 羽田春兔1984-1992 / 14代 村瀬敏郎1992-1996 / 15代 坪井栄孝1996-2004 / 16代 植松治雄2004-2006 / 17代 唐澤祥人2006-2010 / 18代 原中勝征2010-2012 / 19代 横倉義武2012-2020 / 20代 中川俊男2020-2022 / 21代 松本吉郎2022- この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
北村 暢(きたむら みつる、1915年4月22日 - 199… 北村 暢(きたむら みつる、1915年4月22日 - 1995年2月3日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道出身。旧制北海中学校を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学農学部卒。大学卒業後、北海道庁に入庁。林野庁旭川営林局本庁を経て、1951年(昭和26年)全農林労働組合中央執行委員長に就任。1956年(昭和31年)、第4回参議院議員通常選挙全国区に日本社会党から出馬し当選、以後3期務めた。社会党内では左派に属した。1963年(昭和38年)参議院建設委員会委員長、1970年(昭和45年)参議院災害対策特別委員長を歴任した。引退後は、全国高齢者退職者連絡協議会会長などを務める。 1985年(昭和60年)勲二等瑞宝章受章(勲六等からの昇叙)。
太田 嘉四夫(おおた かしお、1915年4月11日 - 19… 太田 嘉四夫(おおた かしお、1915年4月11日 - 1994年3月16日)は、日本の動物学者・生態学者。 父方の祖父は太田惣五郎で、祖母は太田いと。叔父に医学者・文学者である木下杢太郎(本名太田正雄)と復興局疑獄事件で自殺した鉄道技術者の太田圓三がいる。太田の一族には社会運動や左翼運動に身を投じたものも多く、こうした環境下で少年期から特殊な影響を受けることを懸念した父が仙台の太田正雄(木下杢太郎)東北帝国大学教授にあずけた、という。
吉田 富穂(よしだ とみほ、1915年(大正4年)4月1日 … 吉田 富穂(よしだ とみほ、1915年(大正4年)4月1日 - 1991年(平成3年)12月7日)は、日本の農学者。農学博士(北海道大学)。元専修大学北海道短期大学学長。岩手県水沢市生まれ。1989年勲三等旭日中綬章。 農業機械開発研究の権威で、山田忍の後輩にあたる。同氏に引き続き専修大学北海道短期大学の発展に尽力。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
斉藤 武(さいとう たけし、1914年12月27日~2001… 斉藤 武(さいとう たけし、1914年12月27日~2001年3月6日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は、熱工学。札幌市出身 1939年北海道帝國大學工学部機械工学科卒業。1939年同工学部助手。1940年同工学部助教授。1949年北海道大学工学部教授。1957年同工学部教授。1960年北海道大学にて論題「高速流動域における管内熱伝導に関する研究」で工学博士受く。北海道大学工学部長や北海道大学副学長を経て、1978年同停年退官。同名誉教授。豊橋技術科学大学副学長。1980年同工学部教授。1984年同定年退職。同名誉教授。日本工学院北海道専門学校自動車整備科客員講師。1987年同退職。
宮原 将平(みやはら しょうへい、1914年(大正3年)12… 宮原 将平(みやはら しょうへい、1914年(大正3年)12月17日 - 1983年(昭和58年)1月31日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(北海道大学・1943年)(学位論文「半導体の強磁性の理論について」)。北海道大学名誉教授。日本物理学会会長。 東京出身。1933年旧制東京高等学校卒、1937年北海道帝国大学理学部物理学科卒業。東北帝国大学金属材料研究所で本多光太郎の下で研究。1943年「半導体の強磁性の理論について」で北海道大学より理学博士の学位を取得、名古屋帝国大学理学部助教授、1949年北海道大学教授、1978年定年退官、名誉教授、中央大学商学部教授。固体物性論が専門、半導体の強磁性を電子論の観点から研究した。
船川 幡夫(ふなかわ はたお、1914年11月7日 - 19… 船川 幡夫(ふなかわ はたお、1914年11月7日 - 1996年3月27日)は、公衆衛生学者。 東京都出身。1940年北海道帝国大学医学部卒業、同助手、44年助教授、1945年「超短波生理作用の心臓電気図学的研究」で北海道帝国大学医学博士。1946年国立公衆衛生院勤務、1968年東京大学教育学部教授、75年定年退官、日本女子大学教授、83年二葉栄養専門学校校長、92年退職。1991年勲三等瑞宝章受勲。
八木 健三(やぎ けんぞう、1914年9月5日 - 2008… 八木 健三(やぎ けんぞう、1914年9月5日 - 2008年7月18日)は、日本の岩石学者。自然保護運動家。北海道大学、東北大学名誉教授。父は長野県地学会初代会長の八木貞助。 長野県長野市生まれ。旧制伊那中学、旧制八高を経て、1938年東北帝国大学理学部岩石鉱物学科卒業。同年母校助手、1951年同大学教授を経て、1962年-1978年北海道大学理学部地質学鉱物学科教授、1978年-1988年北星学園大学教授。 1949年に理学博士(東北大学)「樺太、北海道に於ける特殊なる岩漿分化現象の研究」。日本学術会議会員として発展途上国との学術交流に尽力した。
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)… 堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は、従三位勲一等瑞宝章。学位は、工学士(北海道帝国大学)。称号は、剣道範士。 札幌市出身。札幌一中(現北海道札幌南高等学校)を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年(昭和21年)北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年(昭和40年)同庁事務次官となる。1967年(昭和42年)北海道開発庁退官。
伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006… 伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の作曲家。位階は従四位。 ほぼ独学で作曲家となった。日本の民族性を追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くの管弦楽作品や、『ゴジラ』を初めとする映画音楽のほか、音楽教育者としても知られる。北海道出身。 1914年(大正3年)、北海道釧路郡釧路町(現・釧路市)幣舞にて、警察官僚の伊福部利三、キワの三男として生まれる。小学生の時、父が音更村の村長となったため、音更村に移る。同地でアイヌと接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。代表作の一つ、『シンフォニア・タプカーラ』(1954年)は、アイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたという。
砧 一郎(きぬた いちろう、1914年4月30日 - 没年不… 砧 一郎(きぬた いちろう、1914年4月30日 - 没年不明)は、日本の翻訳家。本名は、福本 剛一郎(ふくもと ごういちろう)。 満洲国大連税関長・福本順三郎(大山郁夫の弟)の長男として生まれる。1936年北海道帝国大学理学部卒業後、日本化成工業入社。三菱化成工業勤務の傍ら、推理小説やノンフィクションを数多く翻訳した。 1970年代以降翻訳作品は確認されておらず、すでに故人と推定されるが、没年・死因は明らかではない。
大刀 豊(だいとう ゆたか、1914年2月19日 - 199… 大刀 豊(だいとう ゆたか、1914年2月19日 - 1998年1月10日)は、日本の地方公務員。札幌市交通局長、札幌副都心開発公社社長などを歴任した。 北海道札幌市または石狩郡当別町出身。実家は旅館「大刀館」を営んでいた。札幌第二中学校(現・北海道札幌西高等学校)を経て、1932年に北海道帝国大学予科農類へ入り、1938年に北海道帝国大学農学部卒業、卒業論文は「インドネシアの植民政策」。 大学卒業後は満洲興業銀行に入社、日中戦争の勃発に伴い、入社から8ヶ月後の同年12月に月寒連隊に現役招集され1943年5月まで兵役につき、復職後1945年3月に満州で再招集され、北支戦線で3年間に84回の戦闘を経験し「人斬り大刀中隊長」の異名で報じられ、大尉に進むものの、その後1945年8月にソ連軍に捉えられ、戦後3年間のシベリア抑留の後、1948年に引き揚げし当別町で郵便局長を務めていた弟の家に居候しながら職を求めた。
大野 陽朗(おおの ようろう、1914年2月15日 - 20… 大野 陽朗(おおの ようろう、1914年2月15日 - 2005年2月18日)は日本の物理学者、北海道大学名誉教授。東京都出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
今村 泰二(いまむら たいじ、1913年12月4日 - 20… 今村 泰二(いまむら たいじ、1913年12月4日 - 2004年12月28日)は、日本の動物学者で、ミズダニ研究の世界的権威。兵庫県出身。 1946年から1971年に国内外で収集されたミズダニ類の標本1,541点が、本人の生前からの希望もあり茨城大学理学部森野浩教授および茨城大学広域水圏科学教育研究センター菊地義昭教授ならびに日本大学大学院生物資源科学研究科安倍弘教授の尽力により、2005年に遺族からミュージアムパーク茨城県自然博物館(館長:菅谷博)へ寄贈された。 標本の中には、28科59属154種10亜種のホロタイプ(正基準標本)が含まれており、学術的に大変貴重なものである。寄贈された標本は、「今村泰二ミズダニ類コレクション」として同博物館で保管されている。
中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - … 中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - 2002年)は、日本の著作家・文筆家。創造工学研究所所長。 広島県または山梨県生まれ。第四高等学校卒、1939年北海道帝国大学理学部物理学科卒。 電電公社電気通信研究所調査役をへて、創造工学研究所を設立し所長。 川喜田二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 禅仏教に関心を深めていった。
小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 197… 小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は、日本の都市計画家研究者・交通計画研究者・歌人。岩手大学教授・北海道大学教授を歴任。 岩手県生まれ。学生時代から短歌をよくして、歌誌「地中海」や「満州短歌」の同人として活動。1975年には「カルル橋」で第11回「短歌研究賞」を受賞した。 1937年(昭和12年)、北海道帝国大学工学部土木工学科卒。在学中の満州事変勃発を契機に大陸に志を抱いたという。満州や朝鮮へ実習をかねて訪れている。大学卒業後、南満州鉄道株式会社へ入社する。 1943年、現職のまま大東亜省嘱託として東南アジア諸国の交通実態調査を命じられ、翌1944年から1946年まで、ベトナム、カンボジア、タイ王国、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)などで調査にあたる。
伊黒 正次(いぐろ まさじ、1913年5月14日 - 200… 伊黒 正次(いぐろ まさじ、1913年5月14日 - 2000年10月4日)は、1930年代に活躍した元スキージャンプ選手。 山形県生まれで、7歳の時小樽の伊黒家に養子入りする。旧姓は松宮。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-北海道帝国大学(現:北海道大学)から札幌鉄道局(札鉄、のち札幌鉄道管理局)。安達五郎は旧制小樽中学の同期生である。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックに出場し、ジャンプ競技で7位入賞を果たす(当時は入賞は6位までだったため、入賞はならなかった)。 1938年(昭和13年)のノルディックスキー世界選手権大会(フィンランド・ラハティ)で10位。 1940年札幌オリンピックが幻に終わったことを機に札鉄を退職して茨城県の日立製作所に転職、一時競技を離れた。
西川 次郎(にしかわ じろう、1913年5月1日 - 199… 西川 次郎(にしかわ じろう、1913年5月1日 - 1994年3月17日)は、日本の経営者。古河鉱業(現在の古河機械金属)社長を務めた。和歌山県出身。 1937年に北海道帝国大学工学部鉱山科を卒業し、同年に古河鉱業に入社。1964年11月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1971年3月に専務を経て、1976年11月に副社長に就任し、1980年6月に社長に昇格。1987年6月に会長に就任し、1989年6月から常勤相談役を務めた。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 1994年3月17日脳梗塞のために死去。80歳没。
丸杉 孝之助(まるすぎ こうのすけ、1913年〈大正2年〉 … 丸杉 孝之助(まるすぎ こうのすけ、1913年〈大正2年〉 - 没年不詳)は、日本の農業技術者。元農林省技官。元琉球大学教授。沖縄農業の数少ない権威者と評された。農学博士。静岡県出身。 静岡県藤枝市に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1937年(昭和12年)、北海道帝国大学農学部卒業。1949年(昭和24年)、農林省開拓研究所東北支所長。1961年(昭和36年)、山梨県農業試験場長。1967年(昭和42年)、総理府琉球模範農場管理責任者(那覇市)。1972年(昭和47年)、熱帯農業センター沖縄支所長(石垣市)。1974年(昭和49年)、琉球大学農学部熱帯農学研究施設教授(竹富町西表)。同年、『亜熱帯における畑作経営方式に関する研究』で、日本熱帯農業学会賞受賞。
大原 久友(おおはら ひさとも、1912年 <大正元年> 1… 大原 久友(おおはら ひさとも、1912年 <大正元年> 12月26日 - 1994年 <平成6年> 9月25日)は、日本の畜産学者・農学者・元地方公務員。専門は、畜産学・酪農学・草地学。学位は、農学博士(北海道大学・1945年)。元帯広畜産大学学長。位階は従三位。恩師は井口賢三。 北海道苫前郡羽幌町生まれ。1936年(昭和11年)北海道帝国大学農学部を卒業し、北海道庁技官。1942年(昭和17年)帯広高等獣医学校教授。1945年、北海道大学より農学博士の学位を取得。学位論文の題は「北海道産笹類の家畜栄養学的研究」。1950年(昭和25年)帯広畜産大学畜産学部教授。1969年(昭和44年)、同学長事務取扱。
時任 正夫(ときとう まさお、1912年2月21日 - 19… 時任 正夫(ときとう まさお、1912年2月21日 - 1994年11月2日)は、日本の教育者。学校経営者。元学校法人北星学園理事長。 北海道札幌市生まれ。1935年北海道帝国大学農学部卒業。同年、札幌光星商業学校教諭。1946年北星高等女学校教諭。1948年北星学園高等部部長(学校長)。1951年北星学園理事。北星学園女子短期大学副学長。1956年北星学園幼稚園園長。北星学園女子短期大学学長。1969年北星学園第2代理事長に就く。1987年学校法人稚内北星学園初代理事長。1991年高齢のため同理事長退任。北星学園名誉理事長に就く。
吉村 克二(よしむら かつじ、1912年(明治35年) - … 吉村 克二(よしむら かつじ、1912年(明治35年) - 1982年(昭和57年))は、日本の農学者・水産学者。専門は水産学・水産食品学。北海道大学及び函館短期大学名誉教授。元函館短期大学学長。北海道砂川市出身 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
渡邊 左武郎(わたなべ さぶろう、1911年〈明治44年〉1… 渡邊 左武郎(わたなべ さぶろう、1911年〈明治44年〉12月6日 - 1997年〈平成9年〉10月2日)は、日本の医学者、人類学者。医学博士(北海道帝国大学)。札幌医科大学第4代学長、北海道開拓記念館第3代館長。 北海道生まれ。1928年北海道庁札幌第一中学校卒業。1931年北海道帝国大学予科修了。1935年、北海道帝国大学医学部卒業、同医学部解剖学第2講座助手。1940年同臨時附属医学専門部教授。 1941年陸軍軍医に徴兵される。1945年、宮崎県にて終戦をむかえる。 1946年北海道庁立女子医学専門学校(後の札幌医科大学)教授。1950年札幌医科大学医学部解剖学教室初代教授。1956年札幌医科大学大学院医学研究科解剖学担当教授。
桂田 芳枝(かつらだ よしえ、1911年〈明治44年〉9月3… 桂田 芳枝(かつらだ よしえ、1911年〈明治44年〉9月3日 - 1980年〈昭和55年〉5月10日)は、日本の数学者。数学の分野で日本初の女性博士号取得者であり、北海道大学(旧北海道帝国大学)で最初の女性教授、女性名誉教授である。日本国外でも、スイスの数学者であるハインツ・ホップ(英語版)との共同研究「リーマン空間の閉曲面の合同定理」で、高い評価を受けた。 1911年(明治44年)、北海道余市郡赤井川村で誕生した。父は余市郡余市町の小学校の校長であり、「子供は大きな夢を持ってのびのびと育つべき」という、当時としては先進的な考えの持ち主だった。芳枝は北海道の大自然を駆け回って育つ一方、学校では算術に夢中になった。
足羽 進三郎(あすわ しんざぶろう、1911年5月31日 -… 足羽 進三郎(あすわ しんざぶろう、1911年5月31日 - 1998年2月13日)は、日本の農学者・官僚・実業家。専門は協同組合論。北海道大学名誉教授・札幌学院大学名誉教授。生活協同組合コープさっぽろ会長。北海道出身。 学部生時代は上原轍三郎に薫陶を受ける。論文主査は高倉新一郎。門下生に村岡範男・山田定市など。 勲二等瑞宝章(1988年) 足羽進三郎先生定年退官記念事業会編『足羽進三郎先生 : 最終講義, 著作目録, 履歴』(足羽進三郎先生定年退官記念事業会、1976年)
東園 基文(ひがしその もとふみ、1911年〈明治44年〉1… 東園 基文(ひがしその もとふみ、1911年〈明治44年〉1月28日 - 2007年〈平成19年〉4月12日)は、日本の華族、宮内官僚。東園家14代当主。初名は伊達 宗文。 東園基光子爵の相続人となる。1934年(昭和9年)9月19日、家督を継承し、子爵を襲爵した。戦後は、宮内庁掌典長や神社本庁統理などを務めた。 伊達邦宗伯爵三男として宮城県仙台市に生まれる。学習院を経て北海道帝国大学農学部に進学した。同大学では馬術部に所属し、1931年に出場した第3回全日本学生馬術選手権大会で優勝したほか、第2代主将を務めた。 1934年大学を卒業し、東宮傅育官任官。同年大日本帝国陸軍騎兵少尉。1940年皇后宮事務官。
竹内榮(たけうち さかえ、1911年-2006年5月25日)… 竹内榮(たけうち さかえ、1911年-2006年5月25日)は、日本の工学者。専門は金属工学・金属学。理学博士。室蘭工業大学元学長。東北大学名誉教授。宮城県出身で生後間もなく札幌市に移り住んだ。
竹内榮(たけうち さかえ、1910年6月29日 - 2006… 竹内榮(たけうち さかえ、1910年6月29日 - 2006年5月25日)は、日本の工学者。専門は金属工学・金属学。理学博士。室蘭工業大学元学長。東北大学名誉教授。 宮城県出身で生後間もなく札幌市に移り住んだ。1933年北海道帝国大学工学部卒業。 北海道帝國大學工学部助手、東北帝国大学金属材料研究所助手、東北帝国大学工学部講師、同工学部助教授、1945年東北帝国大学工学部教授。その後、東北大学金属材料研究所所長、東北大学低温センターセンター長を歴任。1974年東北大学停年退官。同名誉教授。 芝浦工業大学工学部教授。1975年室蘭工業大学6代学長に就任。1979年室蘭工業大学を退官。芝浦工業大学工学部教授に再び就任。
阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1… 阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1月10日)は、日本の詩人、美学者、英文学者である。北海道大学の名誉教授を務めた。 阿部保は山形県に生まれた。成蹊高等学校を経て、1933年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業した。その後、聖橋高等工学校講師、日本大学講師、成蹊高等学校教授、大倉経済専門学校教授、東京経済大学教授を歴任し、1951年に北海道大学文学部教授に就任、1974年に定年退官した。退官後は東京経済大学非常勤講師を務めた。 専門は美学である。旧制高校在学中より自ら詩作を行い、第3次『椎の木』同人として百田宗治に師事した。また、エドガー・アラン・ポー、ウィリアム・ブレイクなど英語詩人の研究、翻訳も行った。
斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月… 斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月8日 - 1984年〈昭和59年〉11月9日)は、日本の水産学者。魚の鮮度判定指標(k値)の開発者。日本における水産科学、特に水産食品化学の権威として知られ、魚の鮮度・旨みの化学的分析に大きな功績を残した。理学博士。 1910年(明治43年)、群馬県伊香保町(現・渋川市)に生まれる。群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)、旧制成城高等学校を経て、1935年(昭和10年)北海道帝国大学理学部化学科を卒業。北大では田所哲太郎に師事。 北海道大学講師、助教授を勤めたのち、1951年(昭和26年)に北海道学芸大学教授に就任。1953年(昭和28年)に北海道大学水産学部教授となる。
桑原 万寿太郎(くわばら ますたろう、1909年10月15日… 桑原 万寿太郎(くわばら ますたろう、1909年10月15日 - 1998年2月17日)は、日本の動物行動学者、基礎生物学研究所・九州大学名誉教授。 東京府生まれ。1933年北海道帝国大学理学部動物学科卒、1944年同理学部助教授、1949年「蜜蜂の空間定位に於ける触角の機能 (独文)」で北海道大学理学博士、1949年九州大学理学部教授、1973年定年退官、名誉教授、上智大学教授、1977年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所初代所長、1981年岡崎国立共同研究機構長兼基礎生物学研究所長、1983年退官、名誉教授。 ミツバチの帰巣行動などを題材に、昆虫の生理、行動、感覚などの仕組みを研究、動物行動学を広く紹介した。
小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日‐198… 小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日‐1982年6月13日)は、キリスト教徒の医師で、信徒伝道者、信徒神学者、聖書研究者。 北海道釧路生まれ。1927年北海道帝国大学医学部入学。同年に洗礼を受け両親が所属していた札幌独立キリスト教会の会員として奉仕活動を始め、札幌市東端のスラムで伝道及び無料診療を行なう(召集を受ける1937年までの10年間)。 1934年北海道帝国大学医学部卒業、附属医院第二内科に入局し結核の研究に従事。太平洋戦争開始の1941年札幌市で医院を開業するも召集と解除の繰り返しの中で終戦を迎え、本格的な開業医としての生活は戦後になる。 1945年終戦により札幌独立キリスト教会の再建に努め礼拝の証詞を担当するなど信徒伝道者としての働きを本格化させる。
古市 二郎(ふるいち じろう、1909年8月2日 - 196… 古市 二郎(ふるいち じろう、1909年8月2日 - 1967年2月22日)は、日本の物理学者。元北海道大学学長。 北海道出身。1934年北海道帝国大学理学部物理学科卒業。助手、助教授を経て、1945年理学博士。1948年、北海道大学教授となり、評議員、理学部長などを務めた。 1966年10月に学長に就任。しかし、1967年2月22日に急死した。享年57。このため北大では阿部與(工学部長)が急遽学長事務取扱となり、1967年5月に堀内寿郎が後任の学長になった。 1958年に湯川秀樹が来道した際、札幌市、旭川市、釧路市での講演に中谷宇吉郎、田中一とともに同行した。弟子に三井利夫(大阪大学名誉教授)、川路紳治(学習院大学名誉教授、日本学士院賞受賞)がいる。
池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 … 池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 - 1982年(昭和57年)1月25日)は、日本の農業経済学者。専門は、農業経済学・開発政策。学位は、経済学博士(北海道大学)・農学博士(北海道帝国大学)。北海学園大学名誉教授。父は内務官僚や県知事を務めた池田宏。恩師は高岡熊雄。弟子に小田清、ゼミ出身者に森本正夫がいる。 三重県出身。1927年(昭和2年)横浜一中卒業。1934年(昭和9年)北海道帝国大学農学部農業経済学科卒業。同農学部助手。東亜研究所研究員や、北海道庁経済部勤務を経て、1947年(昭和22年)経済安定本部経済調査官。1950年(昭和25年)経済調査庁査察部課長。1952年(昭和27年)北海学園大学経済学部教授。
関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年… 関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年12月12日)は日本の電気技師。国鉄常務理事、明電舎社長、鉄道技術協会会長、電気学会会長などを務めた。ペンネーム芝山 倉平(しばやま くらへい)による探偵小説「電気機関車殺人事件」の作者としても知られる。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学工学部卒。国鉄で技師を務めていた。1943年(昭和18年)に「国有鉄道1万キロ電化の提唱」を発表するなど国鉄の電化の必要性を強く訴えたが、戦時下にあって鉄道電化は遅々として進まなかった。終戦間もない1945年9月には上越線電化に向けて活動を開始。人材、食料、資材、資金が極度に不足する中で、1947年(昭和22年)4月には上越南線(高崎~水上間)、同10月には上越北線(石打~長岡間)の電化を完成させた。
矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日… 矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日 - 1992年(平成4年)3月17日)は、日本の農業経済学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授・元旭川大学学長。位階は正四位。北海道旭川市出身。北海道昭和期中頃における農業経済学の大家。渡邊侃門下。弟子には志賀永一や七戸長生、久保嘉治らがいる。 この他、農林省開拓営農振興審議会委員、文部省学術審議会専門委員、日本農業経済学会会長などを務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
佐々木 酉二(ささき ゆうじ、1909年(明治42年)2月6… 佐々木 酉二(ささき ゆうじ、1909年(明治42年)2月6日 - 1997年(平成9年)8月14日)は、日本の化学者。専門は、酵母菌などの細菌研究や微生物研究。学位は、農学博士(北海道帝國大學)。北海道大学名誉教授。北海道生まれ。 北海道庁乳規格調査会委員、文部省科学研究費等審議会委員、文部省学術奨励審議会委員、内閣資源調査専門委員などを歴任。 北海道大学教育学部、同医学部、同水産学部、帯広畜産大学、北海道教育大学、北海道栄養短期大学、天使女子短期大学、北星学園女子短期大学、北海道工業大学などの非常勤講師を務めた。
大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - … 大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - 1992年10月24日)は、日本の映画評論家。辛口の映画批評で知られる。 高知県高岡郡仁井田村下呉地()(現・四万十町下呉地)出身。小学校入学前に小高坂村(現・高知市)へ転居。高知県師範学校附属小学校を経て旧制高知城東中学校卒業。中学5年の時に一家が東京へ移住したため、1926年に中学卒業とともに上京。有島武郎の小説や山への憧憬から北海道大学進学を目指すが叶わず、1927年の頃は復興局で測量技師の助手のアルバイトに従事して、収入の多くを映画鑑賞に費やし、やがて「人生の転機」(『映画とともに五十年』より)にいたる。1928年、松竹キネマ蒲田撮影所において所長の城戸四郎の肝煎りで新たに開設される「脚本養成所」(後に「松竹映画脚本研究所」と改称)の研究生に応募、30人の中に合格して第1期生の一人となった。
松本 秋男(まつもと あきお、1908年〈明治41年〉10月… 松本 秋男(まつもと あきお、1908年〈明治41年〉10月13日 - 1992年〈平成4年〉1月2日)は、日本の工学者・元官僚。工学博士。北海道大学名誉教授、元北見工業大学学長、元電気通信学会副会長。北海道札幌市出身。 1931年(昭和6年)北海道帝国大学工学部を卒業し、逓信省入省。国際電気通信(現KDDI)技術研究所長などを経て、1947年(昭和22年)北海道大学工学部教授。1959年(昭和34年)電気通信学会副会長。1970年(昭和45年)北海道大学停年退官。同名誉教授。1970年(昭和45年)北見工業大学理事・北見工業大学2代学長に就任。1978年北見工業大学退官。 電気工学を専門とし、伝達回路網学を研究。
伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 19… 伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 1998年5月25日)は、日本の農業経済学者。北海道大学名誉教授。元日本学術会議会員。北海道文化賞受賞。 1907年、北海道札幌市で生まれた。1925年、高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1928年、北海道帝国大学予科修了し、北海道帝国大学農学部農業経済学科に進んだ。1931年に卒業した後、同大学大学院へ進学。1936年に修了し、同大学助手に採用された。1941年、京城帝国大学法文学部助教授に就任。 戦後帰国し、1946年より帯広獣医畜産専門学校教授。翌1947年、北海道帝国大学法文学部助教授となった。1948年、北海道大学に学位論文を提出して農学博士。
星 光一(ほし こういち、1907年(明治40年)9月11日… 星 光一(ほし こういち、1907年(明治40年)9月11日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の工学者。切削工学を専門とした北海道大学教授、同名誉教授である。旭川工業高等専門学校校長、精密工学会名誉会員。「金属切削における構成刃先の研究」で東京大学工学博士。 福島県会津若松市出身。会津中学などを経て1933年(昭和8年)に北海道帝国大学を卒業。基隆炭鉱、栗本鉄工所、新潟鐵工所に勤務する。北大に精密工学科が設置された1958年(昭和33年)に教授となり、1972年(昭和47年)には名誉教授の称号を授与される。この間の1970年(昭和45年)に旭川工業高等専門学校校長に就任。1979年(昭和54年)の退官までに、同校では設備の充実が図られた。
山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2… 山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2003年1月27日)は、日本の経営者。日本製粉社長を務めた。北海道出身。 1929年に北海道帝国大学農学部農業実科を卒業し、同年に日本製粉に入社した。1938年に取締役に就任し、1961年に常務、1970年に専務、1972年に副社長を経て、1974年から1979年までに社長を務めた。 2003年1月27日肺炎のために死去。95歳没。
安部 三史(あべ さんし、1907年4月20日 - 1993… 安部 三史(あべ さんし、1907年4月20日 - 1993年11月5日)は、日本の医学者。専門は公衆衛生学。元北海道医療大学学長。 北海道出身。1933年(昭和8年)北海道帝國大學医学部卒業後、同医学部助手。1941年(昭和16年)帯広高等獣医学校講師に就任。帯広獣医畜産専門学校講師を経て1946年(昭和21年)北海道大学医学部講師。その後、同医学部助教授。1956年同教授。1963年同医学部長。1967年北海道大学歯学部教授となり、同歯学部長。1970年北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園大学文学部社会福祉学科教授。1974年東日本学園大学薬学部教授。1977年東日本学園大学2代学長に就任。