若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )… 若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )は、北海道白老郡白老町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 5歳で野球を始め、白老町立緑丘小学校1年次に緑丘ファイターズに入る。6年生の時にはファイターズジュニアでもプレーした。白老町立白老中学校野球部3年次には全日本少年軟式野球大会でベスト16を経験している。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年秋からベンチ入り、3年次から三塁手のレギュラーだった。2年春に全道大会で準優勝したが、甲子園出場経験はない。1学年上には伊藤大海がいる(ドラフトでは同期にあたる)。 駒澤大学に進学すると、1年春からベンチ入りし、2年生からはレギュラーとして活躍。
伊藤 大海(いとう ひろみ、1997年8月31日 - )は、… 伊藤 大海(いとう ひろみ、1997年8月31日 - )は、北海道茅部郡鹿部町出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 名前の正確な表記は旧字体を使用した「大海」。 祖父と父がタコ箱漁師の家系に長男として生まれる。父は同郷の元プロ野球選手・盛田幸妃と同級生であり、幼少期には盛田から直接指導を受けたこともある。 小学校では鹿部クラップーズに、中学校では函館東シニアに所属した。 中学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学し、2年春に第86回選抜高等学校野球大会へ出場。初戦の創成館高等学校戦で完封勝利を挙げた。1学年下には若林楽人がいた。 その後は駒澤大学に進学し硬式野球部へ入部したが、「4年間プレーするビジョンを描けなかった」として1年時の10月に中途退学。
伊藤 優希(いとう ゆうき、1996年8月31日 - )は、… 伊藤 優希(いとう ゆうき、1996年8月31日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。 苫小牧市立苫小牧東中学校時代には硬式野球の苫小牧クラブに所属。中学3年時には第14回 IBAF 16U 世界選手権の日本代表に選出された。 進学した駒澤大学附属苫小牧高等学校では2014年春の選抜大会に出場。2試合で7打数4安打、3盗塁とチームを牽引した。また、U18日本代表の1次候補にも選出された。 高校卒業後は東都大学野球所属の亜細亜大学に進学し、1年春より公式戦に出場した。 大学卒業後は地元の社会人野球チームの北海道ガスに入社。しかし、度重なるけがで目立った活躍ができず、社会人2年目は、突発的な吐き気や激しいめまいなどが頻発し、日常生活もままならない状況に陥り、1か月で体重が10kgも落ちたこともあった。
木下 雄介(きのした ゆうすけ、1993年10月10日 - … 木下 雄介(きのした ゆうすけ、1993年10月10日 - 2021年8月3日)は、大阪府大阪市平野区出身のプロ野球選手(投手、右投右打)。 大阪市立加美中学校時代はボーイズリーグの加美ウイングスボーイズ(現在の大阪加美ボーイズ)でプレーした。徳島県の生光学園高等学校に進学し、3年の時は全国高等学校野球選手権徳島大会決勝で延長戦の末、徳島県立徳島商業高等学校に敗れ、全国選手権出場を逃した。高校野球四国選抜チームに選ばれてハワイ遠征に参加。 翌年、駒澤大学に進学するが肘を故障し、1年で中退した。大阪でアルバイト生活を送り、フィットネスジムのトレーナーを経て2014年からは不動産会社で営業の仕事に就いていた。
今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は… 今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのシカゴ・カブス所属。 2016年から2023年まではNPBの横浜DeNAベイスターズに所属し、実働8年間で165試合に登板、64勝50敗、7完封、1021奪三振、防御率3.18の成績を記録し、最終年の2023年にはセントラル・リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。2024年からMLBに挑戦、2025年現在はカブスでプレーしている。日本代表では2017年のアジア プロ野球チャンピオンシップ優勝、2019年のプレミア12優勝、2023年のWBC優勝に貢献した。 愛称は「投げる哲学者」「マイク・イマナガ2世(Mike Imanaga II)」。
江越 大賀(えごし たいが、1993年3月12日 - )は、… 江越 大賀(えごし たいが、1993年3月12日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 南島原市立慈恩寺小学校2年からソフトボールを始める。5歳から中学1年までは空手もやっており、大会で優勝するなど身体能力の高さを見せていた[要出典]。南島原市立西有家中学校時代は同校の軟式野球部に所属。海星高校時代には春夏共に阪神甲子園球場での全国大会に出場できなかったこともあり、プロ志望届は提出せず駒澤大学の法学部法律学科に進学した。 駒澤大学時代には、1年春からリーグ戦に出場。3年時には、日米大学野球で日本代表入り。4年秋のリーグ戦では.357と高い打率を記録するとともに、チームの2001年秋季以来の26季振り優勝および、1994年以来の勝ち点5による完全優勝に貢献した。
戸柱 恭孝(とばしら やすたか、1990年4月11日 - )… 戸柱 恭孝(とばしら やすたか、1990年4月11日 - )は、鹿児島県肝属郡内之浦町(現:肝付町)出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 鹿屋中央高時代までは内野手で、主に三塁を守っていた。駒澤大学1年時から捕手へ転向したが、学生時代には全国大会と無縁であった。プロでもチームメイトとなる白崎浩之は大学の同期生、今永昇太は3学年後輩に当たる。リーグ通算45試合に出場、154打数35安打、打率.227、0本塁打、11打点を記録。 大学卒業後にNTT西日本へ入社。入社当初は正捕手・北﨑寛明の控えに甘んじていた。入社2年目の第85回都市対抗野球大会では、チームは予選で敗退したが、大阪ガスの補強選手として出場。
本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北… 本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北海道余市郡余市町出身の社会人野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 余市町立沢町小学校4年時から野球を始める。余市町立西中学校では余市シニアに所属。 高校は道内でも強豪の駒澤大学附属苫小牧高校に進学。同級生には田中将大がいた。高校時代は前年の夏の優勝校でありながら2年生で4番として2005年夏の甲子園大会で甲子園夏連覇。新チーム結成当初は田中が主将を務めていたが、「(田中)将大が、主将としての取材、投手としての取材の両方を受けるのは疲れが溜まる」という監督の香田誉士史の配慮から、73年ぶりの夏の大会3連覇に挑んだ大会直前に田中から主将を引き継いだ。
海田 智行(かいだ ともゆき、1987年9月2日 - )は、… 海田 智行(かいだ ともゆき、1987年9月2日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。左投左打。 広島県立賀茂高等学校時代は、エースとなった2年時の秋季中国地区高等学校野球大会出場を果たす。3年時の夏は、広島県予選ベスト8で敗退。 高校卒業後は駒澤大学に進学。野球部では1年時の春からリーグ戦に登板。秋には、増井浩俊に次ぐ2番手投手として2勝を挙げ、リーグ2位となる防御率2.01の好成績を残す。2年時からエースとなり、春は13試合中10試合に登板し5勝を挙げた。リーグ戦後、第36回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、左の中継ぎとして登板し優勝に貢献した。
佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )… 佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )は、北海道余市郡余市町出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年生時の秋から内野手のレギュラーとなり、2年生時の春に第75回選抜高等学校野球大会、夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年生時の夏に主将として、第86回全国高等学校野球選手権大会で北海道勢初となる優勝を果たす。自身も決勝戦で7回の勝ち越し二塁打を含む3安打を記録するなど、同大会打率.429(21打数9安打)を記録。 高校卒業後は駒澤大学へ進学し、3年生時から学生コーチに転身。大学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校のコーチを経て、2009年7月31日に駒澤大学附属苫小牧高等学校の監督への就任が同校から発表された。
財前 貴男(ざいぜん たかお、1986年12月2日 - )は… 財前 貴男(ざいぜん たかお、1986年12月2日 - )は、福岡県遠賀郡遠賀町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
黒田 祐輔(くろだ ゆうすけ、1986年5月1日 - )は、… 黒田 祐輔(くろだ ゆうすけ、1986年5月1日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロ野球選手(外野手)。
大島 洋平(おおしま ようへい、1985年11月9日 - )… 大島 洋平(おおしま ようへい、1985年11月9日 - )は、愛知県名古屋市緑区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。
野本 圭(のもと けい、1984年7月7日 - )は、岡山県… 野本 圭(のもと けい、1984年7月7日 - )は、岡山県岡山市南区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。現在は中日ドラゴンズ所属。
増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は… 増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は、静岡県焼津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
服部 泰卓(はっとり やすたか、1982年9月10日 - )… 服部 泰卓(はっとり やすたか、1982年9月10日 - )は、大阪府高槻市生まれ・徳島県美馬市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 高槻市で出生後に、実父の転勤に伴って転居を繰り返した。小学校5年生の時に、徳島県美馬市へ転入した。 徳島県立川島高校では1年夏からベンチ入りしたが、同年秋に肘を故障し本格的な投球練習ができなくなった。3年春の県大会では投打の柱としてベスト4進出に貢献し、第3シードとなった夏の県大会では自身も135km/hの速球を武器に大会ナンバーワン投手という評価を得ていた。しかし3回戦で阿竹智史を擁する徳島商と対戦し、リズムに乗れずにコールドで敗れている。 駒澤大学へ進学すると、2年春は入替戦で初戦先発も江草仁貴が投げる専大に敗れて2部リーグも翌春1部復帰。
古谷 拓哉(ふるや たくや、1981年7月14日 - )は、… 古谷 拓哉(ふるや たくや、1981年7月14日 - )は、北海道北見市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 元福岡ソフトバンクホークスの古谷優人は「はとこ甥」(父親のいとこの孫)にあたる。 駒澤大学附属岩見沢高校時代は、第80回全国高等学校野球選手権大会(当時は南北海道代表)と翌年春の第71回選抜高等学校野球大会にエースとして出場。3年時の夏は、南北海道大会決勝で北海高と対戦するも自身の暴投により0-1でサヨナラ負けを喫した。 高校在学中は学業も優秀で、枠が一つしかない指定校推薦で駒澤大学に進学。当時はカウンセラーになることを目指し、心理学を専攻した。入学後、野球部には入部しなかった。上記の暴投のショックで入部しなかったと周囲には言われていたが、高校時代で野球への情熱が燃え尽きてしまったからであった。
梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は… 梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 実家は浄土真宗本願寺派専法寺。永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。しかし大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。三次高校時代は、2年夏のベスト16が最高、3年夏は2回戦敗退(広島工に惜敗)。東都大学野球の駒澤大学に進学し、2年秋からレギュラー。4年春に最下位となってチーム初の2部降格を経験。1部リーグ通算42試合に出場、141打数33安打、打率.234、2本塁打、11打点を記録。
稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、… 稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。引退後は、野球解説者、スポーツキャスター、コーチ。 1979年に廿日市市で生まれる。中学までは投手をやっていた。後にプロでチームメイトになる3学年上の二岡智宏が骨折しても尚、監督に叱られながらブルペンで投げ続ける姿に衝撃を受け、広陵高校に入学を決意する。入学後は遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で瀬戸内高校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、同野球部では1年次からレギュラーを務め、4年秋に大学日本一となった。
前田 大輔(まえだ だいすけ、1979年9月14日 - )は… 前田 大輔(まえだ だいすけ、1979年9月14日 - )は、日本の香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。 駒澤大学では2年からレギュラーとなり、4年時の第32回明治神宮野球大会では決勝で勝ち越し2ランを放つと優勝を果たし、秋季東都大学リーグベストナインにも選出される。駒大では同期に稲田直人と川岸強、3学年先輩に新井貴浩、1学年先輩に武田久、1学年後輩に梵英心、2学年後輩に古谷拓哉、3学年後輩に服部泰卓がいた。リーグ通算64試合出場、167打数32安打、打率.192、1本塁打、19打点。神戸製鋼では2002年の第29回社会人野球日本選手権大会に出場。チームが休部のため、入社1年目で同年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから4巡目指名を受け入団。
川岸 強(かわぎし つよし、1979年9月12日 - )は、… 川岸 強(かわぎし つよし、1979年9月12日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍した。
田中 敬人(たなか ひろと、1979年8月26日 - )は、… 田中 敬人(たなか ひろと、1979年8月26日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、広島東洋カープの球団職員。
白水 直樹(しろず なおき、1979年2月5日 - )は、日… 白水 直樹(しろず なおき、1979年2月5日 - )は、日本のアスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師。北海道出身。 プロバスケットボールチーム・サンロッカーズ渋谷と、プロ野球独立リーグチーム・茨城アストロプラネッツのパフォーマンスディレクターを務めている。 駒澤大学附属岩見沢高等学校では3年春に第68回選抜高等学校野球大会にレギュラーで出場。駒澤大学卒業。神奈川衛生学園専門学校卒業、鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師資格を取得。 北海道日本ハムファイターズを経て、筑波大学大学院修了(体育学修士)。 ウイダートレーニングラボ・コーディネーター、筑波大学体育総合実験棟Sport Performance and Clinic Lab.アドバイザー、共栄大学男子サッカー部トレーニングアドバイザーを歴任。
武田 久(たけだ ひさし、1978年10月14日 - )は、… 武田 久(たけだ ひさし、1978年10月14日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。現在は北海道日本ハムファイターズの投手コーチを務める。 生光学園中学校2年までは主に内野手を務め、投手として活躍し始めたのは3年生になってからだった。軟球でスライダーやカーブを投げられ、四国大会での優勝に貢献するなど活躍したが、投手にはこだわりをもっておらず誘いを受けていた強豪高へ進学し野手転向を考えていた。しかし、本人が留守中に生光学園高等学校の野球部長と監督が家を訪れ、父親を説得して同校への進学が決まった。その後は周囲に説得され、投手を継続した。生光学園では1995年夏の徳島大会で準優勝。
三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、… 三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、島根県鹿足郡津和野町出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は柔道整復師の資格を取得し、パーソナルトレーナーとして活動。神戸市中央区にある「日常鍼灸整骨院」院長及び「パーソナルトレーニングジムBASE for」代表。 小学5年の時に野球を始め、津和野中学校時代は外野手兼任。私立益田東高校では1年の時からベンチ入りし、3年次は夏の島根大会でノーヒットノーラン達成、53奪三振を記録し、それまでの奪三振記録を塗り替えた。第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。 高校卒業後駒澤大学に進学するも肩と肘を相次いで手術し、通算2勝に止まる。同期に武田久がいる。
新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は… 新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は、広島県広島市中区江波出身のプロ野球選手(内野手)。現在は広島東洋カープに所属。
加藤 謙如(かとう のりゆき、1976年7月29日 - )は… 加藤 謙如(かとう のりゆき、1976年7月29日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1994年に駒澤大学附属苫小牧高等学校では3年夏の地区代表決定戦で延長12回の末に敗れて南北海道大会には出場できなかった。横浜ベイスターズにドラフト6位で入団。同校初のプロ野球選手となったが、一軍出場が無いまま、2000年に戦力外通告を受け現役を引退。 2002年からは社会人野球のクラブチーム・オール苫小牧で現役復帰。2005年からはトランシス・マーリンズの外野手コーチを務めていた。 2019年時点では「苫小牧西リトルシニア球団」のコーチを務めている。 長男と甥が高校野球の選手として活躍したことが日刊スポーツに取り上げられている。
髙橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は… 髙橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者。2014年の登録名は「尚成」。ホリプロ所属。
西村 亮(にしむら あきら、1974年7月18日 - )は、… 西村 亮(にしむら あきら、1974年7月18日 - )は、静岡県掛川市出身の元アマチュア野球選手(捕手・内野手)、野球指導者。右投右打。 静岡高等学校では2年秋に投手として東海大会ベスト8に進出。2学年上に山崎一玄がいた。駒澤大学に進学して硬式野球部に所属し、捕手、一塁手、4年次は主将を務めた。東都大学野球リーグでは1996年の春季と秋季での2度ベストナインに選出され、秋季には、首位打者も獲得した。2学年上に河原純一、本間満、高木浩之、1学年下に高橋尚成、2学年下に新井貴浩がいた。 大学卒業後は、社会人野球のJR東日本東北のチームに入団し、主に捕手として、活躍し、同チームのコーチも務めた。 不祥事で辞任した小椋正博監督の後任として、2012年から母校の駒澤大学の監督に就任。
河原 純一(かわはら じゅんいち、1973年1月22日 - … 河原 純一(かわはら じゅんいち、1973年1月22日 - )は、東京都大田区生まれ、神奈川県川崎市中原区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、監督。2017年より2021年まで四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツの監督を務めた。 小学4年生から野球を始め、中学時代にはエースピッチャーとなる。 神奈川県立川崎北高等学校では2年秋からエースになるも秋と春は初戦敗退。3年時に出場した神奈川県大会でも初戦の岸根高校戦でKOされ降板するも延長12回に逆転サヨナラ勝ち。準々決勝(対厚木高戦)で、後に横浜へ入団する川村丈夫と延長16回の投手戦の末に投げ勝ちベスト4まで進んだ。 卒業後は駒澤大学へ進学し、東都大学野球連盟の記録(当時)となる3度の最高殊勲選手に輝くなどエースとして活躍した。
高木 浩之(たかぎ ひろゆき、1972年10月14日 - )… 高木 浩之(たかぎ ひろゆき、1972年10月14日 - )は、愛知県稲沢市出身の元プロ野球選手(内野手)。2013年から埼玉西武ライオンズの二軍打撃コーチを務める。
香田 誉士史(こうだ よしふみ、1971年4月11日 - )… 香田 誉士史(こうだ よしふみ、1971年4月11日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元アマチュア野球選手、監督。現西部ガスコーチ。駒澤大学附属苫小牧高等学校元監督。血液型A型。
田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は… 田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身(生まれは常陸大宮市)の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。現在は読売ジャイアンツで二軍バッテリーコーチを務める。 小学2年生の時にソフトボールを、小学4年生の時に野球を始める。藤代紫水高等学校では1年生からレギュラーとなり、2年秋の県大会で優勝。関東大会に出場したが初戦敗退し甲子園には出場できなかった。高校通算38本塁打。駒澤大学へ進学し、2学年先輩の捕手・関川浩一の後を受けて3年生からは1学年先輩で主将の若田部健一、竹下潤ともバッテリーを組んだ。4年春には同期の鶴田泰や2学年下の河原純一、投手であった高木浩之らの活躍もあって大学選手権で優勝。
鶴田 泰(つるた やすし、1970年7月23日 - )は、山… 鶴田 泰(つるた やすし、1970年7月23日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元プロ野球選手(投手)。 塩山商高では3年春に県大会準優勝し、1989年の卒業後駒澤大学に入学。同大学硬式野球部では同期の田口昌徳とバッテリーを組んでいた。全日本のメンバーにも選出され、4年時の1992年3月にはプロアマ交歓試合(神宮球場)で先発した。また、同4年春には2年後輩の河原純一投手の活躍もあって、立命館大学を11-7で破り大学選手権で優勝。東都大学リーグ通算29試合登板し8勝2敗、防御率2.07、111奪三振。駒大では同期の田口の他に、2学年先輩に関川浩一、1学年先輩に若田部健一と竹下潤両投手、2年後輩には河原と高木浩之両投手や本間満らがいた。
若田部 健一(わかたべ けんいち、1969年8月5日 - )… 若田部 健一(わかたべ けんいち、1969年8月5日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、プロ野球コーチ。愛称は「若様」。
竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、… 竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、埼玉西武ライオンズのスカウト。 静岡市立商高では当初外野手だったが3年生の時に投手へ転向する。卒業後、駒澤大学へ進学。1年春からベンチ入りし、東都大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。同期のエース若田部健一の控えだったが、1991年秋季リーグでは3年ぶりの優勝に貢献した。リーグ通算24試合に登板、6勝4敗、防御率2.36、60奪三振。他の大学同期に一塁手の上羽功晃(神戸製鋼-京都外大西高監督)らがいる。駒大では同期の若田部の他、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に高木浩之と河原純一と本間満がいた。
関川 浩一(せきかわ こういち、1969年4月1日 - )は… 関川 浩一(せきかわ こういち、1969年4月1日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投左打)、コーチ。
野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は… 野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は、大分県佐伯市出身の元アマチュア野球選手(投手)、野球指導者。広島で監督を務めた野村謙二郎の弟。 佐伯鶴城高校では、1986年の夏の甲子園に出場し、エースとして活躍し、チームはベスト8に進んだ。高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは2度のリーグ優勝を経験した。 大学卒業後は、社会人野球の日本石油に入団し、都市対抗野球で2度の優勝を経験した。 その後は日本石油と駒澤大学でコーチを務め、2013年から2018年までに環太平洋大学の監督を務めた。2018年からは大学日本代表のコーチを務めている。その後は父親の介護のために退任し、地元へ戻っていたが2022年より監督に復帰した。
小島 弘務(こじま ひろむ、1967年10月30日 - )は… 小島 弘務(こじま ひろむ、1967年10月30日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。2015年から追手門学院大学野球部監督。
鈴木 望(すずき のぞむ、1967年5月2日 - )は、東京… 鈴木 望(すずき のぞむ、1967年5月2日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(内野手)。
野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - … 野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、元監督、野球評論家。
田村 勤(たむら つとむ、1965年8月18日 - )は、静… 田村 勤(たむら つとむ、1965年8月18日 - )は、静岡県榛原郡川根町出身の元プロ野球選手(投手)。
戸栗 和秀(とぐり かずひで、1964年10月11日 - )… 戸栗 和秀(とぐり かずひで、1964年10月11日 - )は、静岡県富士市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 富士宮北高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属。入れ替わりとなるが広瀬哲朗と同じ経歴であった。東都大学野球リーグでは2度のベストナインに選ばれ、1985年春でサイクル安打を放ち、1986年春には首位打者になった。3年上の二塁手が白井一幸で、2年下の野村謙二郎とは二遊間を組み、同期に新谷博がいた。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルのチームに入団し、1988年の第14回カナダ・グランドホークス国際野球大会の全日本メンバーに選ばれ、当大会のベストナインにも選ばれた。
村本 忠秀(むらもと ただひで、1964年9月5日 - )は… 村本 忠秀(むらもと ただひで、1964年9月5日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。 高岡第一高校では2年生の時に1981年の夏の甲子園に出場した経験がある。卒業後には駒澤大学に入学する。同期に新谷博、2年下に野村謙二郎がいた。 大学卒業後は社会人野球のNTT関西チームに入団する。1998年から2年間、NTT関西の監督を務めた。チームの再編成により、NTT西日本のコーチを務めた後に、2001年から2006年までに同チームの監督を務め、脇谷亮太や岸田護らを指導した。 その後は、2008年から2016年まで日本放送協会で高校野球解説者を務めた。 2016年春からは母校の高岡第一高校の監督を務めており、2020年の富山県高野連主催の「TOYAMA2020高校野球大会」では優勝を果たした。
新谷 博(しんたに ひろし、1964年7月14日 - )は、… 新谷 博(しんたに ひろし、1964年7月14日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)、野球監督。2013年現在、女子野球日本代表および尚美学園大学女子硬式野球部の監督、北海道放送の野球解説者、佐賀魂の総監督、ディレクト・アスリーツの取締役を務めている。
片瀬 清利(かたせ きよとし、1964年2月3日 - )は、… 片瀬 清利(かたせ きよとし、1964年2月3日 - )は、静岡県榛原郡榛原町(現:牧之原市)出身の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は、「片瀬 聖敏」(読み同じ)。 静岡県立榛原高等学校では、ノーヒット・ノーランを2回記録。高校卒業後は、東都大学野球連盟の駒澤大学に進学するも、2年生の夏に急性肝炎となり3年春に中退。その後、社会人野球の東京ガスに入社。通算27勝で全日本選抜にも選出された。1987年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。 2年目の1989年に一軍初登板を果たし、1991年はウエスタン・リーグ最多勝、5年目の1992年には右の中継ぎとして一軍に定着。
成瀬 智(なるせ さとし、1963年 - )は、山梨県北杜市… 成瀬 智(なるせ さとし、1963年 - )は、山梨県北杜市出身の高校野球指導者。世田谷学園高等学校の硬式野球部監督、政治・経済・公民科教諭。東京都世田谷区在住。 山梨県の韮崎工業高校から駒澤大学に進学。大学在学中から世田谷学園高校の硬式野球部の指導に関わる。その後、コーチとして1992年の明治神宮大会優勝、翌1993年の第65回選抜高等学校野球大会での3回戦進出に貢献した。 2006年からは世田谷学園高等学校硬式野球部の監督を務めている。 監督としての最高成績は、春季東京大会ベスト8(2008年)、選手権東東京大会ベスト8(2008年)、選手権西東京大会ベスト4(2021年)、秋季東京大会ベスト8以上(2022年)。
村上 文敏(むらかみ ふみとし、1962年11月27日 - … 村上 文敏(むらかみ ふみとし、1962年11月27日 - )は、山口県岩国市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 元グラビアアイドルの村上友梨は娘。 岩国商では1番・遊撃手として2年秋に県大会優勝で中国大会へ進むと、倉吉北高との初戦は9回日没引分けとなって再試合では延長18回の末に惜敗し選抜出場は逃した。3年夏の甲子園には出場したが初戦で美濃加茂高に敗退。駒澤大学に入学し、広瀬哲朗の後を受けて遊撃手として1学年上の白井一幸と二遊間を組むと4年では主将も務め、春はベストナインで1984年の第13回日米大学野球選手権の日本代表に選ばれた。4年秋の明治神宮大会では同期の河野博文、横田真之らのメンバーで優勝。
大倉 孝一(おおくら こういち、1962年9月17日 - )… 大倉 孝一(おおくら こういち、1962年9月17日 - )は、岡山県倉敷市出身の元社会人野球選手(捕手)、アマチュア野球コーチ、倉敷ピーチジャックス監督、女子野球日本代表監督、実業家。 岡山県立玉島商業高等学校では3年夏の県大会準優勝、駒澤大学に進学し硬式野球部では同期に河野博文、横田真之がいて4年秋の明治神宮大会で優勝したが控えであった。 大学卒業後は、社会人野球の日本鋼管福山(後にNKK)で捕手を務める。 現役引退後は、1996年からNKKで兼任コーチとなり、専任の後2000年から駒大コーチ、2014年から環太平洋大学女子硬式野球部の監督を歴任した。2001年に女子野球日本代表のコーチとなり、2006年に代表監督に就任し2010年に退任したが、2014年に監督に復帰した。
白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日 - )は、… 白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日 - )は、香川県大川郡志度町(現:さぬき市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、野球解説者。ジャニーズ事務所の社外取締役。 志度東中学・志度商高・駒澤大学のすべてで主将を務めた。志度商高では1979年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、丸亀商高に完封負けを喫した。駒澤大学に進学し、東都大学野球リーグでは1983年に、同期の鍋島博(後にNTT東京)、1年下の河野博文の両エースを擁し春秋季連続優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で近畿大を降し優勝、明治神宮野球大会では東海大に敗れ準優勝。リーグ通算73試合に出場し、打率.330(270打数89安打)、3本塁打、26打点。