島田 宏(しまだ ひろし、1956年11月10日 - )は、… 島田 宏(しまだ ひろし、1956年11月10日 - )は、日本のプロレスラー。 アマチュアレスリングの選手として、大東文化大学、自衛隊体育学校、東京三洋電機などで活動。 1991年9月20日、W★ING伊勢崎市第二市民体育館大会において、社会人レスリング時代の同僚でもある茂木正淑を相手にデビュー。 2000年、栃木県のアマチュアプロレス団体「格闘技団体EAGLE」のプロ化に尽力し、自らもプロ化したイーグルプロレスに所属。 2010年5月23日、イーグルプロレス邑楽町大会において、イーグル・ソルジャーとタッグを組み天龍源一郎&折原昌夫組と対戦。 2013年5月26日、イーグルプロレス邑楽町大会において、高山善廣とタッグを組み折原昌夫&舞牙組と対戦。
呉 善花(オ・ソンファ、1956年9月15日 - )は、韓国… 呉 善花(オ・ソンファ、1956年9月15日 - )は、韓国生まれの韓国評論家、日本研究者。拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰化。 済州島出身。大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。 子供時代を済州島で過ごす。両親は戦前の日本に住んだ経験があった。幼少時は母親から日本の話を聞いていた。学校教育の影響で一時は反日に傾倒していた。また、韓国における漢字復活論支持者でもあり、自著でもたびたびハングル専用教育の弊害について言及している。 1980年に韓国軍に入隊しながら大邱保健専門大学を卒業(韓国語版記事より)。1983年に訪日、大東文化大学卒業。
大森 章督(おおもり あきまさ、1956年3月4日 - )は… 大森 章督(おおもり あきまさ、1956年3月4日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。富山県出身。アクセント所属。 主にバラエティ番組のナレーションを担当している。僧侶から声優に転身した。 デビュー当初青二プロダクションに在籍し、1993年にシグマ・セブンへ移籍。2004年よりフリーとなり、2008年まではオフィス・ワットに所属していた。2009年よりアクセント所属。 趣味はスキー、ギターの弾き語り、読経。
茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉 - )… 茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉 - )は、日本の書家・内閣府職員。号は菁邨(せいそん)。 岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市古川町)にて生まれ育つ。1974年(昭和49年)、岐阜県立斐太高等学校卒業。1980年(昭和55年)、大東文化大学経済学部経済学科卒業。 大学時代は書道学科ではなく経済学部に在籍し、書道部に入部して部長を務めた。元々書道を志して入学したわけではなく「たまたま入部して書道という好きなものを見つけてしまった」と述べている。 1980年(昭和55年)4月、総理府(現、内閣府)に入府、2005年(平成17年)内閣府大臣官房人事課辞令専門官となる。これまでに国民栄誉賞の賞状や内閣総理大臣表彰の揮毫(手書きの筆文字の指導)のほか辞令などを担当し、2016年(平成28年)3月に定年退職。
石井 邦彦(いしい くにひこ、1955年6月25日 - )は… 石井 邦彦(いしい くにひこ、1955年6月25日 - )は、大阪府 出身の元プロ野球選手(投手)。
常盤 秀次(ときわ ひでつぐ、1955年4月3日 - 202… 常盤 秀次(ときわ ひでつぐ、1955年4月3日 - 2025年6月6日)は福島県で活動していたフリーアナウンサー。 長野県中野市出身。大東文化大学卒。テレビ和歌山、福島中央テレビで野球・サッカー中継、各々報道記者・アナウンサーを歴任。2008年に依願退職し、その後はフリーアナウンサーとして、喜多方市の喜多方シティエフエム、会津若松市のエフエム会津、須賀川市のウルトラFM のパーソナリティーなどを担当。喜多方シティーエフエムでは、話し言葉教室講師なども行っていた。2025年6月6日に病気により死去。同年11月30日に家族が公表した。
齋藤 彰(さいとうあきら、1955年(昭和30年)3月29日… 齋藤 彰(さいとうあきら、1955年(昭和30年)3月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。舞鶴市長(1期)、京都府議会議員 (3期)、舞鶴市議会議員 (3期) を歴任。 大東文化大学文学部教育学科卒業。 市議会議員を3期経て、京都府議会議員選挙に立候補、当選し、以後自民党府議として3期連続当選。江守光起前市長の引退を受け、自民党を離党し、2007年(平成19年)の舞鶴市長選に立候補。自民党推薦の前助役や民主党候補を破り当選、同年2月18日、市長に就任した。 2011年(平成23年)2月6日に行われた舞鶴市長選挙にて舞鶴共済病院前病院長の多々見良三に敗れた。同年2月17日に退任した。
志賀 直人(しが なおと、1955年 - )は、日本の法学者… 志賀 直人(しが なおと、1955年 - )は、日本の法学者、労働法学者。専門は、人事労務管理論、就業規則に関する研究。関西外国語大学名誉教授。 東京都出身。大東文化大学法学部卒業。同大学院法学研究科修了(佐藤時次郎研究室)後、東京工業大学研究生(慶谷淑夫研究室)。1986年関西外国語大学短期大学部講師、1996年同助教授。その後、関西外国語大学国際言語学部助教授を経て、関西外国語大学国際言語学部教授。(※国際言語学部は英語国際学部に名称変更のため、関西外国語大学英語国際学部生も担当) 2021年、関西外国語大学を退職、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
西條 昌良(さいじょう まさよし、1954年〈昭和29年〉1… 西條 昌良(さいじょう まさよし、1954年〈昭和29年〉11月14日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元茨城県議会議員(8期)。 茨城県鹿島郡波崎町(現・神栖市)出身。銚子市立銚子高等学校、大東文化大学経済学部経済学科卒業後、岩上二郎参議院議員秘書を務める。 1990年、茨城県議会議員選挙に立候補し当選。連続8期務めたが2022年の県議会議員選挙で落選。 県議会議員在職時には、県議会議長・茨城県監査委員・自由民主党茨城県連幹事長などを務めた。 2024年、第50回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例北関東ブロック単独27位で立候補したが落選。 2026年、第51回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例北関東ブロック単独32位で立候補し、自民党の歴史的大勝を受け初当選を果たした。
坂本 満(さかもと みちる、1954年8月7日 - )は、日… 坂本 満(さかもと みちる、1954年8月7日 - )は、日本のラグビー指導者。 勿来工業高校、大東文化大学を経て、東京三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入社。 現役引退後、正智深谷高校ラグビー部の監督を務めた。
のどか けん(1954年8月5日 - )は、日本の司会者・タ… のどか けん(1954年8月5日 - )は、日本の司会者・タレント・レポーター・歌手・ソングライター。本名は田中 堅司(たなか けんじ)。 山口県・萩市出身。ジョイ企画Queen Music Japan所属。日本音楽著作権協会正会員。日本作詩家協会会員。日本作曲家協会会員。 大東文化大学を卒業後、建設コンサルタントの営業をしていたが、趣味が高じてテレビ民放局の報道カメラマン。その経験を生かし、制作プロデューサーとしてCMや番組制作を行う株式会社ジョイ企画を立ち上げ、司会・レポーター・歌手・作詞、作曲など現在に至る。 現在、山口放送『情報PiPi』・『愛しき街から』のナレーターをはじめ、ラジオ関西『のどかけんの「我ら歌仲間」』のパーソナリティー、『月刊カラオケファン』新曲紹介コーナーにて語り部の制作を担当をしている。
穂坂 雅之(ほさか まさゆき、1954年7月31日 - )は… 穂坂 雅之(ほさか まさゆき、1954年7月31日 - )は、日本の実業家。楽天グループ代表取締役副会長、楽天カード代表取締役社長、楽天証券取締役会長。 楽天銀行取締役会長、楽天インシュアランスホールディングス取締役会長、楽天Edy代表取締役社長、KCカード代表取締役社長、朝日火災海上保険取締役会長、楽天生命保険取締役会長なども歴任した。 北海道夕張市出身。1964年10歳頃から中高まで静岡県富士宮市に移り、富士宮市立大宮小学校、富士宮市立富士宮第四中学校、静岡県立富士宮北高等学校を経て、兄と同じ大東文化大学の法学部に1期生として進学し、国際法を専攻した。1977年に大学を卒業後、1期生として進学した大東文化大学大学院法学研究科で手形小切手法を専攻した。
外林 省二(そとばやし しょうじ、1954年 - )は、日本… 外林 省二(そとばやし しょうじ、1954年 - )は、日本の墨象家、書家。広島県福山市生まれ。本名同じ。 現在、近畿大学附属広島校高等学校・中学校東広島校で書道の非常勤講師をしている。 3歳で書道を始める。小学生の頃はヴァイオリンを習うなど、幼い頃から芸術感覚を磨く環境で育った[要出典]。 1967年広島県美術展初出品入選(当時最年少)、1972年奎星展に前衛書部初出品で特選(当時最年少)。1973年大東文化大学文学部中国文学科に入学し、宇野雪村の指導を受ける。在学中、毎日書道展初出品で入選(当時最年少)。1977年大東文化大学文学部卒業。 その後も数多くの入賞・入選を重ね、1985年第1回訪中書の研究視察団員に選ばれる(当時最年少)。
川本 耕次(かわもと こうじ、1953年〈昭和28年〉5月3… 川本 耕次(かわもと こうじ、1953年〈昭和28年〉5月3日 - 2022年〈令和4年〉12月26日)は、元みのり書房、アリス出版、群雄社出版の漫画編集者、官能小説家、カメラマン、ライター。批評集団『迷宮』メンバー。 伝説的自販機本『少女アリス』2代目編集長。三流SF漫画誌『Peke』編集長。『ロリコンHOUSE』監修者。後に実業家、ブロガー、アダルトメディア研究家に転身。WEBサイト『ネットゲリラ』管理人。三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人といわれる。 座右の銘は「ネットゲリラは潜水艦戦である。潜水艦戦に前線はない。自分に有利な時と場所で戦闘を開始する」。 静岡県三島市出身。大学在学中から貸本劇画を研究していた縁で米沢嘉博や長谷川秀樹らと出会い、コミックマーケットの創設母体となった批評集団「迷宮」の集会に出入りする。
小嶋 栄子(こじま えいこ、1953年4月 - )は、日本の… 小嶋 栄子(こじま えいこ、1953年4月 - )は、日本の国語学者・言語学者。教育学修士(東京大学)、修士(文学)(東京外国語大学)、博士(日本文学)(大東文化大学)。2004年から長崎短期大学英語科(教授)で教鞭をとる。東京都出身 2000年以降、日本の小学校・中学校・高等学校の国語科教師にとって、また手話通訳者・士及び要約筆記者にとって必要な日本語の知識について、各地で講演をしている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大久保 勝(おおくぼ まさる、1952年9月22日 - )は… 大久保 勝(おおくぼ まさる、1952年9月22日 - )は、日本の政治家。埼玉県飯能市長(1期)。飯能市議会議員(3期)、名栗村議会議員(1期)を務めた。
金丸 弘美(かなまる ひろみ、1952年9月8日 - )は、… 金丸 弘美(かなまる ひろみ、1952年9月8日 - )は、日本のジャーナリスト(食環境)。総務省地域力創造アドバイザー。内閣府地域活性化伝道師。食からの地域再生・食育と味覚ワークショップ・地域デザインをテーマに地方創生に尽力している。 佐賀県唐津市に生まれる。1970年、佐賀県立唐津東高等学校を卒業。1974年、大東文化大学を卒業。新美容出版編集部に勤務。1985年、アイランズ編集部(高平哲郎事務所)に勤務。1993年、食の地域づくりの取材活動、食のワークショップの展開、出版活動の連携を開始。2001年、奄美群島徳之島に移住(妻の両親の出身地)。2006年3月、長崎県平戸・松浦地区観光人材育成協議会地域活性化事業アドバイザー。
簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、… 簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。現在はプロゴルファー(ティーチングプロ)として活動している。 攻・走・守すべてに長けたオールラウンダーとして知られ、1983年にはトリプルスリーを達成している。 大竹高校では1969年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが呉港高校に敗退、甲子園には届かなかった。高校卒業後の進路として、大東文化大学からも勧誘の話が来ていたが、「給料がもらえて、尚且つ野球も出来る」として社会人野球に進む方を選び、卒業後の1970年に三菱重工三原へ入社し、都市対抗野球大会には補強選手としての出場を含め4度出場した。
木之元 亮(きのもと りょう、1951年9月8日 - )は、… 木之元 亮(きのもと りょう、1951年9月8日 - )は、日本の俳優、タレント、グルメリポーター。元漁師。本名は木野本 良一。 北海道釧路市出身。北海道釧路北陽高等学校、大東文化大学卒業。東京俳優生活協同組合(俳協)に1977年のデビューから2019年まで所属していたが、現在は芸能事務所には所属しておらず、フリーとして活動している。身長184cm、体重89kg。 高校卒業後はイカ釣りなど漁師をしていたが腰を痛めたことにより、漁師は数か月で断念。高校時代の担任の先生が新たな就職先を世話してくれたことにより、太平洋興発に入社。しかし入社後も、毎日張りのないような生活をしていたように見ていた父親から「子どもの面倒をみるぐらいの甲斐性はまだあるぞ」というようなことを言われたことを受け、大学進学を目指すことになり、会社を1年1か月で退社し、上京。
須藤 茂(すとう しげる、1951年(昭和26年)8月7日 … 須藤 茂(すとう しげる、1951年(昭和26年)8月7日 - )は、日本の政治家。元茨城県筑西市長(3期)、元筑西市議会議員(3期)。 茨城県下館市生まれ。茨城県立結城第一高等学校を経て、大東文化大学経済学部卒業。丹羽雄哉元厚生大臣秘書、下館市議会議員、筑西市議会議員を歴任した。 2013年(平成25年)4月14日に行われた筑西市長選挙に出馬し、現職の吉沢範夫を破り初当選した。4月24日、市長就任。 2017年(平成29年)、無投票で再選。 2021年(令和3年)、元市議会議員の新人ら2人を下し3選。
柳 卓(やなぎ たく、1951年4月30日 - )は、元琉球… 柳 卓(やなぎ たく、1951年4月30日 - )は、元琉球放送アナウンサー。
小島 敏文(こじま としふみ、1950年9月7日 - )は、… 小島 敏文(こじま としふみ、1950年9月7日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。 衆議院議員(4期)、広島県議会議員(7期)、厚生労働大臣政務官、復興副大臣を歴任した。EM菌議員連盟に所属する。 広島県世羅郡世羅町生まれ。広島県立世羅高等学校を経て、大東文化大学経済学部経営学科卒業。1973年に中山正暉衆議院議員秘書となり、1980年からは宮澤喜一衆議院議員秘書を務める。 1983年、広島県議会議員に初当選し、以後7期連続当選。2002年には広島県議会副議長に就任。 2009年7月23日、広島県議会議員を辞職し、同年8月の第45回衆議院議員総選挙に広島6区にから自由民主党公認で出馬したが、国民新党の亀井静香に67,479票差で敗れた。
鏡 保幸(かがみ やすゆき、1950年2月27日 - )は、… 鏡 保幸(かがみ やすゆき、1950年2月27日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。 大東文化大学第一高校を経て、大東文化大学ラグビー部時代はスタンドオフ(SO)のポジションを務めた。1972年に大東文化大学卒業後、東京三洋電機へ進み社会人ラグビーでプレーをした。 現役引退後、1981年に母校・大東文化大の監督に就任。ホポイ・タイオネ、ノフォムリ・タウモエフォラウ、シナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアなどトンガからの留学生を前面に、青木忍ら当時強豪として知られた付属大東大一高出身者など高校ラグビー界で鳴らした有力選手や力のある選手を中心にした陣容を率い、全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)で3度の優勝をもたらした。
高木 聖雨(たかき せいう、1949年9月8日 - )は、日… 高木 聖雨(たかき せいう、1949年9月8日 - )は、日本の書家。本名は茂行。高木聖鶴の息子。教え子に中塚翠涛がいる。 岡山県総社市生まれ。1968年関西高等学校卒業後、1973年大東文化大学文学部日本文学科卒業。青山杉雨・成瀬映山に師事。大東文化大学文学部書道学科教授、大東文化大学書道研究所所長、公益財団法人全国書道美術振興会理事長、北京大学書法藝術研究所客員教授、読売書法展常任総務、謙慎書道会理事長などを歴任。2015年、改組新第2回日展文部科学大臣賞を受賞。2016年、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。2017年、第13回マルセンスポーツ文化賞を受賞。2020年12月に日本芸術院会員就任。2024年11月文化功労者。
沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は… 沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は、日本のアルペンスキー選手。札幌オリンピック代表となるなど1960年代末から1970年代に活躍した。群馬県吾妻郡草津町出身。大東文化大学卒業。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
岡崎 郁子(おかざき いくこ、1949年 - )は、日本の中… 岡崎 郁子(おかざき いくこ、1949年 - )は、日本の中国文学者、元吉備国際大学教授。 高知市生まれ。1973年大東文化大学文学部日本文学科卒、1979年国立台湾大学大学院修士課程修了。2002年岡山大学大学院文化科学研究科人間社会文化学博士課程修了、「戦後台湾の日本語文芸研究 黄霊芝を中心として」で岡山大学文学博士。1990年より吉備国際大学社会学部教授、2020年退職。
島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、… 島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、大分県日田市出身の元プロ野球選手(外野手)である。
鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東… 鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。 196cmの長身から「ジャンボ鈴木」の異名を持つ。 国士舘高等学校、大東文化大学を経て、1970年春にキャピー原田に誘われサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。MLBの球団と契約した初の日本人野手となった。 この年の3月に行われた日米野球にジャイアンツのメンバーとして来日して2試合に出場(うち1試合は先発)。アメリカに戻った後は傘下A級ディケーター・コモドアーズ(英語版)で開幕を迎えたが、1か月後にはルーキー級のグレートフォールズ・ジャイアンツ(英語版)に降格。異国での生活に慣れなかったこともあり成績は上がらず、2球団合計で70試合に出場して、打率.149、2本塁打という結果に終わった。
森 忠明(もり ただあき、1948年5月11日 - )は、日… 森 忠明(もり ただあき、1948年5月11日 - )は、日本の詩人、童話作家。東京都立川市出身、あきる野市在住。大東文化大学日本文学科中退。弟子に園田英樹、長原啓子などがいる。
河野 隆(かわの たかし、1948年3月23日 - 2017… 河野 隆(かわの たかし、1948年3月23日 - 2017年11月3日)は、日本の篆刻家・書家・教育者。大東文化大学文学部書道学科名誉教授。号・鷹之。室号は晨風廬。 大分県臼杵市生まれ。生井子華に師事。日展会員、読売書法会常任理事、全日本篆刻連盟会長、大東文化大学書道科教授、国立台湾芸術大学客員教授、西泠印社名誉社員、中国芸術研究院中国篆刻芸術院研究員を歴任。 2017年11月3日、肺癌のため死去。
平野 祐康(ひらの すけやす、1948年2月24日 - )は… 平野 祐康(ひらの すけやす、1948年2月24日 - )は、日本の政治家。東京都三宅村の元村長(2期)。2000年の三宅島火山噴火後の2004年に村長となり、2005年以後の全民帰島の陣頭指揮を取る。また、噴火災害からの復興を目指すオートバイによるイベントなどを島内で開催し、賛否両論を呼んだ。 1948年、東京都三宅村に生まれる。大東文化大学卒業。2000年6月、三宅村財政担当時に島内火山の大噴火が起こり、村民全島避難が開始され、後に東京都港区に設置された三宅村東京事務所の所長となる。2004年の村長選挙に立候補し初当選、以後2012年まで2期8年間村長をつとめる。 2000年に発生した火山の噴火による災害の復興策、及び観光客誘致などを目的として、2006年、当初はイギリスのマン島で行われているマン島TTレースを参考に、東京都知事である石原慎太郎が公道でのオートバイレースを提唱した。
日吉 盛幸(ひよし もりゆき、1948年 - )は、日本文学… 日吉 盛幸(ひよし もりゆき、1948年 - )は、日本文学者、大東文化大学文学部日本文学科教授。主として上代文学の『万葉集』の研究を行っている。 1973年大東文化大学文学部日本文学科卒業、1975年に大東文化大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了。大東文化大学助教授時代の1993年に『万葉集表記別類句索引』(笠間書院)および『万葉集歌句漢字総索引』上下巻(桜楓社)の業績により、上代文学会の第10回上代文学会賞(特別賞)を受賞した。
安田 亘(やすだ わたる、1947年9月27日 - 2021… 安田 亘(やすだ わたる、1947年9月27日 - 2021年5月21日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。福島県岩瀬郡須賀川町出身。大東文化大学経済学部卒業。 日本大学東北高等学校卒業後、3年間の社会人生活を経て1969年に大東文化大学に入学した。 4年連続で箱根駅伝に出場。 3年時の第48回箱根駅伝では2区を担当。首位で襷を受けたが、区間9位にとどまり、2km付近でトップを譲ると5位まで後退した。主将を務めた4年時の第49回箱根駅伝では9区を走り、3番手で襷を受けると16.6km付近で中央大学、23km付近で日本体育大学を抜いてトップに立つ。区間賞を獲得し、初の復路優勝に貢献した。 全日本大学駅伝では1年時の第1回大会で5区区間賞を獲得。
衛藤 雅登(えとう まさと、1947年4月15日 - )は、… 衛藤 雅登(えとう まさと、1947年4月15日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは投手。
熊部 稔(くまべ みのる、1947年1月2日 - )は、東京… 熊部 稔(くまべ みのる、1947年1月2日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 大東文化大学卒業後の1969年に東京よみうりカントリークラブへ入社し、1972年にプロテスト合格。 1973年のブリヂストントーナメントでは初日にホームコースの有利さを生かして1イーグル、5バーディーで、新井規矩雄と共に7アンダー65をマークして首位タイに立った。2日目には2オーバーと崩れ、前田新作・大嶋正春・鈴木規夫と並んでの7位タイと落ちた。 1978年からはよみうりゴルフ倶楽部に移動し、同年のペプシウィルソントーナメントでは初日に69で橘田規・佐藤精一・尾崎将司、ピーター・トムソン(オーストラリア)に次ぐ5位でスタートした。
渡辺 高夫(わたなべ たかお、1947年 - )は日本の陸上… 渡辺 高夫(わたなべ たかお、1947年 - )は日本の陸上競技指導者。福島県田村郡船引町(現・田村市)出身。大東文化大学卒業。埼玉栄高等学校、ミヤマ(のち社名変更を受けMDI、現レオパレス21)、日清食品、仙台育英学園高等学校にて教員・指導者を務めた。全国高等学校駅伝競走大会では監督として通算7度の優勝を飾る。また全日本大学女子駅伝対校選手権大会の仙台移転開催に尽力した。 全国高等学校駅伝競走大会では埼玉栄高校で1回(1987年)、仙台育英高校で6回(1999年、2001年、2003年-2005年、2007年)の優勝を誇る。 埼玉栄高校では、巽博和、山本正樹、MDI(現・レオパレス21)、その後日清食品では実井謙二郎、アロイス・ニジガマ、ジュリアス・ギタヒ、仙台育英高校ではジェームス・ワイナイナ、サムエル・カビル、清野純一、サムエル・ワンジル、佐藤秀和、高橋優太、ミカ・ジェル、絹川愛、上野渉をはじめとする数多くの選手を指導し鍛え上げた。
竹長吉正(たけなが よしまさ、1946年10月3日- )は、… 竹長吉正(たけなが よしまさ、1946年10月3日- )は、日本の国語教育学者、児童文学作家、日本近代文学研究者、埼玉大学名誉教授。筆名・吉志海生(きっし・かいせい)。 福井県美浜町に生まれる。東京学芸大学卒業。大東文化大学大学院日本文学研究科修士課程修了。東京学芸大学大学院教育学研究科国語教育修士課程修了。埼玉県立羽生高等学校教諭、埼玉県立菖蒲高等学校教諭、東京学芸大学附属高等学校大泉校舎教諭、埼玉大学教育学部助教授、教授、2010年定年退任、名誉教授。白鴎大学教授、2017年退職。埼玉県立衛生短期大学(現・埼玉県立大学)、群馬県立女子大学などでも講義を行った。日本近代文学、児童文学、国語教育の講義を行う。
鈴木 照雄(すずき てるお、1946年9月5日 - )は、長… 鈴木 照雄(すずき てるお、1946年9月5日 - )は、長野県阿智村出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 塚原学園天竜高等学校(現・長野県松川高等学校)から大東文化大学に進学。首都大学野球リーグでは1966年秋季リーグから一部昇格を果たすが、同季の2位が最高順位で優勝には届かなかった。 1967年秋季リーグでベストナイン(遊撃手)に選出される。大学を中退し河合楽器に入社。 1969年から3年連続で都市対抗野球大会に出場。 1971年のドラフト11位で阪神タイガースに指名され入団。大東文化大出身としては、同年ドラフトでロッテオリオンズに入団した鈴木弘とともに初のプロ選手となった。 二軍暮らしが続き、一軍では1試合しか出場できなかった。
赤塚 暁月(あかつか ぎょうげつ、1946年 - 2020年… 赤塚 暁月(あかつか ぎょうげつ、1946年 - 2020年[要出典])は、日本の書家。暁月書道倶楽部、ギャラリー暁月主宰。弟子にMaaya Wakasugiがいる。 東京都出身。上條信山、筒井敬玉に師事。大東文化大学文学部中国文学科書専攻卒業。公立中学校・高等学校の講師を長く続けながら、書道教室「ギャラリー暁月」を主宰。国際的にも活躍し、多くの展覧会に参加している。著書に2005年「書のこころ世界へ」アルカディアブックス、2010年「書のこころ世界へ2」美研インターナショナルより発売された。 世界平和芸術文化交流親善大使(ボランティア)。世界一周世界芸術遺産認定。 2020年2月 急性白血病により急逝[要出典]。
河東 純一(かとう じゅんいち、1946年〈昭和21年〉 -… 河東 純一(かとう じゅんいち、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本の国家公務員、書家。内閣府職員。号は峰城。総理府内閣総理大臣官房人事課辞令専門官、内閣府大臣官房人事課辞令専門官などを歴任した。 茨城県出身。総理府にて辞令専門官などを務め、中央省庁再編後は内閣府に勤務した。官記、位記、辞令書などを揮毫した。内閣官房長官の小渕恵三が新元号を発表する際に掲げた「平成」の書を揮毫したことでも知られる。また、大東文化大学のロゴなども手掛けている。書家としての号は「蜂城」を名乗った。 茨城県にて生まれ育つ。大東文化大学第一高等学校在学中に書家を志し、毎晩100枚近く書き続けるなど修練を重ねた。同校卒業後は大東文化大学の文学部中国文学科に進学し、1969年(昭和44年)に卒業した。
土岐 寛(とき ひろし、1944年5月16日 - 2025年… 土岐 寛(とき ひろし、1944年5月16日 - 2025年6月16日)は、日本の行政学者・政治学(専攻は地方自治・都市政策)、映画評論家。大東文化大学名誉教授。博士(政策科学)。 映画評論家としては村瀬 広(むらせ ひろし)のペンネームを使っている。またゴルゴ13好きでゴルゴ教授という愛称で呼ばれたという。 1944年、山形県鶴岡市(旧東田川郡広瀬村)に生まれる。1963年3月山形県立鶴岡南高等学校卒業、1968年3月京都大学法学部卒業。1968年4月から1971年9月まで日本郵船株式会社(横浜支店・東京支店)に勤務。1973年2月から1992年3月まで、財団法人東京市政調査会研究部研究員補・研究員・主任研究員・雑誌「都市問題」編集長・第二研究室長を経て、1992年4月から1994年3月まで大東文化大学法学部政治学科助教授。
小林 光俊(こばやし みつとし、1943年5月2日 - )は… 小林 光俊(こばやし みつとし、1943年5月2日 - )は学校法人敬心学園の理事長。 1943年、富山県富山市八尾町生まれ。富山県立高岡高等学校、大東文化大学経済学部卒業。 岐阜県境にある白木峰山麓の静かな里山 旧大長谷村で育つ。大長谷小学校・中学校を本校とする栃折分校に通った。とにかく勉強嫌いで遊んでばかりのガキ大将だった。 中学一年生のとき、弁論大会に出場する。学校に対する問題点と生徒に対する問題点について熱弁し、二年生三年生を負かして優勝した。二年生のとき、柔道を習いたいと先生に申し出ると畳も用具もないからと断られたため大長谷村の役場にでかけ、村長に直談判したこともあった。村長は口約束で実行しなかったため「大人が子供に言ったことを守らない」と抗議し、そのことが村議会で問題となり、柔道用具や畳が入ったことがあった。
角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 201… 角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日)は歌人。歌誌「はな」代表。旧姓は石塚。 北海道網走郡網走町(現在の網走市)生まれ。父は当時、網走中学校(現在の北海道網走南ヶ丘高等学校)の漢文教師であった。3歳で長野県松本市、5歳で茨城県水戸市に移住。8歳のときに父が村松陸軍通信兵学校の陸軍教官となったため新潟県中蒲原郡村松町(現在の五泉市)に移住する。終戦後は父の故郷である茨城県結城郡に住む。茨城県立水海道第一高等学校、大東文化大学日本文学部卒業。 父の影響により10代の頃から、短歌、俳句、詩を作り始める。1958年、歌誌「一路」に入会、山下陸奥に師事。東京都の豊南高等学校に勤務する。
小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日 -202… 小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日 -2024年12月7日 )は、日本の経済学者・中国研究者。中国の経済建設・日本植民史・アジア経済を研究。大東文化大学名誉教授。アジア経済研究所調査研究部次長を経て、学校法人大東文化学園理事・北京大学光華管理学院客員教授・現代中国学会理事などを務めた。 長野県下伊那郡下久堅村(現飯田市)出身。長野県飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)を経て、1960年一橋大学経済学部卒。種瀬茂ゼミ出身。同年アジア経済研究所入所。山梨県大月市で農耕や、牧畜、植林に従事しながらアジア経済研究所に通い、石川滋一橋大教授の指導の下で研究に従事。1978年からアジア経済研究所主任研究員。
林田 正男(はやしだ まさお、1934年(昭和9年) - )… 林田 正男(はやしだ まさお、1934年(昭和9年) - )は、日本の国文学者。九州産業大学名誉教授。 福岡県生まれ。大東文化大学卒、九州大谷短期大学助教授、九州産業大学教授。2000年「万葉集と神仙思想」で九州大学より博士(文学)の学位を取得。2005年定年、名誉教授。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 20… 稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 2000年10月15日)は、広島県三次市出身の高校野球指導者、監督。 三次中学校(現在の三次高校)卒業後、大蔵省中国財務局に入局するが2年で退職し、石本秀一の書生となって2年間野球を学ぶ。1968年春から1970年春にかけて2年間、大東文化大学硬式野球部の2代目監督に就任。これは、初代監督の岡田悦哉が広島東洋カープ二軍バッテリーコーチに就任したためだった。広島工業高校コーチを経て1976年、創部まもない東京の創価高校監督に就任。小野和義を擁して1983年夏の甲子園に同校を初出場に導いた。その後、神奈川の桐光学園監督を経て1989年、創立8年目の埼玉の花咲徳栄高校に招かれ監督就任。
中村 孝(なかむら たかし、1932年2月18日 - 201… 中村 孝(なかむら たかし、1932年2月18日 - 2013年9月16日)は日本の空手家。 日本空手道研修会会長、武蔵野市空手道連盟初代会長をつとめた。中学生のころから内弟子として金城裕に師事し、生涯を空手道一筋に過ごした。 大東文化大学卒。全空連二級資格審査員、全空連7段(後に研修会十段)。沖縄空手の研究に生涯を懸けて研鑽したとして文部大臣賞受賞[要出典]。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日 - 20… 石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日 - 2000年12月27日)は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手、実業家、馬主。オリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場2回(1964年東京・1976年モントリオール)。日本選手権を3度獲得したほか、アジア競技大会や世界選手権にも出場した。1968年時点で有限会社大谷石商会専務取締役。 栃木県出身。大東文化大学卒業。高校・大学時代に打ち込んでいたのは野球で、プロ球団の入団テストも受け、最終選考まで進んだという。家業の石材会社を継いでからも野球を続けていたが、大会で骨折し野球をやめた。射撃競技との出会いはその後のことで、28歳の時に友人から勧められてクレー射撃を始めた。
鈴木 武夫(すずき たけお、1931年11月5日 - 202… 鈴木 武夫(すずき たけお、1931年11月5日 - 2025年1月23日)は、日本の教育者・学校経営者。学校法人鶴岡学園元理事長。 福島県出身。1954年大東文化大学文政学部卒業。卒業後、専門商社に入社。1957年日本私立短期大学協会に入職。1969年学校法人鶴岡学園理事に就任。その後、日本私立短期大学協会常任理事・事務局長を歴任。1989年学校法人大東文化学園理事長(~1997年)。1997年一般財団法人大学・短期大学基準協会理事。2000年学校法人鶴岡学園理事長代行。2000年学校法人鶴岡学園7代理事長に就任。2001年北海道文教大学短期大学部7代学長(~2011年)。2002年北海道文教大学3代学長(~2018年)。