古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 -… 古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 - )は、日本の法律家、政治家、弁護士。元参議院議員(1期)。 京都市で出生し、1956年中央大学法学部法律学科卒業。1960年26歳で司法試験合格し、司法修習15期を経て、1963年弁護士開業。 福井弁護士会副会長など経て、1989年第15回参議院議員通常選挙で(民主改革連合の前身)連合の会新人として定数1の福井県選挙区で初出馬初当選。1994年羽田内閣国土政務次官。1995年第17回参議院議員通常選挙で落選。 1996年旧民主党公認で第41回衆議院議員総選挙の福井1区に出馬、比例復活もならず落選。
桜井 滋人(さくらい しげと、1933年7月21日 - 20… 桜井 滋人(さくらい しげと、1933年7月21日 - 2008年9月21日)は、作家。埼玉県生まれ。本名・茂。 中央大学法学部卒。64年金子光晴が若い詩人たちを集めて創刊した詩誌「あいなめ」の同人となる。時代小説、金子を描いた小説などを書いた。 2008年9月、慢性呼吸不全で死去。
朝岡 智幸(あさおか ともゆき、1933年7月16日 - )… 朝岡 智幸(あさおか ともゆき、1933年7月16日 - )は、日本の元裁判官。東京都港区出身。 港区立青山中学校、東京都立日比谷高等学校を経て中央大学法学部卒業。1958年、司法修習。 長野地方裁判所松本支部長・長野家庭裁判所同支部長などを経て、1986年に高等裁判所判事就任。1990年、東京家庭裁判所部総括判事。1992年、金沢地方裁判所所長、1994年から1996年まで、大阪高等裁判所総括判事。瑞宝重光章受章(2003年)。
宮内 宏二(みやうち こうじ、1933年6月26日 - 20… 宮内 宏二(みやうち こうじ、1933年6月26日 - 2022年1月10日)は元・ヤマト運輸代表取締役相談役。愛媛県川之江市出身。趣味はゴルフ。
田中 雍和(たなか やすかず、1933年6月15日 - )は… 田中 雍和(たなか やすかず、1933年6月15日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 広島一中(のち学制改革により鯉城高校、現国泰寺高校)の2年先輩に福原黎三、3年先輩に重松良典がいる。 中大クラブ(中央大学サッカー部の現役、OBで構成されたチーム)の一員として長沼健、内野正雄、丸山義行らと共に1956年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)準優勝に貢献した。 日本代表としては1955年1月の東南アジア遠征で代表に初招集され、同月11日のビルマ体協選抜戦で国際Aマッチデビューを飾った。その年、国際Aマッチ4試合に出場した。
穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、… 穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、香川県香川郡香川町(現・高松市香川町)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・監督。現在は少年硬式野球チーム「大阪南海ボーイズ」の会長をつとめる。
兼子 隆(かねこ ゆたか、1933年4月21日 - )は、日… 兼子 隆(かねこ ゆたか、1933年4月21日 - )は、日本の元レスリング選手。 東京都出身で、中央大学を卒業した。中央大学では笹原正三の後輩で、1955年度にはレスリング部主将を務めている。アジア競技大会では大学在学中の1954年大会から1962年大会まで同一階級で3連覇を果たし、これは日本のアマチュアレスリング選手としては初めてだった。 1960年ローマオリンピックに出場し、4位に入賞した。
高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈… 高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈昭和8年〉3月8日 -)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。 本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)で、高木ブーへの改名以前は高木 智之名義で活動していた。「8時だョ!全員集合」のオープニングなどでは、高木 ブ~名義で表記されていた。身長160 cm。芸名の由来となったのは若い頃からの肥満体型である。 東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に兄2人・姉3人の末っ子として生まれる。第二次世界大戦末期の1945年に戦災で焼け出され、12歳の時に母方の郷里を頼って千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現:千葉県柏市明原2丁目)に一家で移り住み育った。
薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月… 薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月15日 - 2004年(平成16年)3月7日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(2期)。 大分県で生まれ、中央大学法学部を卒業し、目黒区職員課長、区議会事務局長、総務部長、助役など務めた。 1998年10月18日の目黒区長選挙で、自民党・民主党・公明党・自由党・社民党・自由連合から推薦を得て立候補し、共産党推薦の片岡敏康を破り初当選した。 1988年の区長選挙で選挙参謀を務めた元区長室長の菊谷伸夫と目黒区議会議員の横山大は、公職選挙法違反で2001年5月に逮捕されるも起訴猶予となる。 2002年10月に自民党・民主党・公明党・自由党・社民党から推薦を受けて再選される。
坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2… 坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2020年7月15日)は、日本の弁護士。新潟水俣病第1次訴訟の弁護団幹事長。新潟水俣病第2次訴訟の弁護団長などを務めたことで知られる。日本弁護士連合会常務理事。 新潟県小千谷市生まれ。新潟県立小千谷高等学校、中央大学法学部卒業。1959年に弁護士を開業し、1963年に新潟市で坂東克彦法律事務所を開設した。 長年、新潟水俣病訴訟で中心的な役割を担い、1967年提訴の第1次訴訟に弁護団幹事長として参加。四大公害病で初めて原因企業を訴えた。1971年9月29日の新潟地裁判決で昭和電工の過失責任を認めさせ、原告を勝訴に導いた。1982年提訴の第2次訴訟で1995年まで弁護団長を務めた。
吉㚖 信一(よしざわ のぶかず、1933年〈昭和8年〉1月2… 吉㚖 信一(よしざわ のぶかず、1933年〈昭和8年〉1月20日 - )は、日本の経営者。山梨中央銀行頭取を務めた。 山梨県出身。1955年に中央大学法学部を卒業し、同年に山梨中央銀行に入行した。1987年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月には頭取に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月には取締役相談役に就任。 2004年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 20… 角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 2024年9月1日)は、日本の卓球選手。荻村伊智朗、田中利明らと共に日本卓球界に黄金時代を築き、「史上最速の強打者」と言われた選手。 宮城県志田郡古川町(現在の大崎市古川)出身。旧制宮城県古川中学校時代に卓球を始め、宮城県古川高等学校卒業と同時に大学入学の費用を稼ぐため、東京・日暮里の卓球ラケットメーカー・アームストロング (卓球)に就職。3年間の社会人生活を送る。アームストロングが建設した東京卓球会館の2階の6畳一間に住み込みで働き、仕事終了後は東京卓球会館で腕を磨いた。当時、東京卓球会館には荻村伊知郎、富田芳雄、大川とみなど、錚々たる顔ぶれが練習にきており現在では「伝説の卓球場」と呼ばれている。
澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 20… 澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 2022年9月21日)は、日本の映画監督。 神奈川県横浜市出身。1956年、中央大学経済学部卒業。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後、1年間の銀行勤務を経て中央大学経済学部に入学。在学中の三年時には東京児童劇団に裏方として参加。卒業後の1956年、日活に入社。鈴木清順、斎藤武市らに師事し、長い間の助監督を経て、1970年、渡哲也主演映画『斬り込み』で監督デビューした。 長谷部安春、小澤啓一、藤田敏八らとともに日活ニューアクション路線を大きく支えた。日活がロマンポルノ製作をメインにしてからも、松田優作主演『あばよダチ公』、『高校大パニック』などの一般向け映画から、福祉・家族向け映画も手掛け、1974年の『ともだち』は翌年のベオグラード国際児童映画祭にてグランプリ(ユニセフ大賞)を受賞した。
小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日… 小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日 - 2017年(平成29年)5月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。成田市長(第12・13代)。 千葉県成田市上町に生まれる。父は成田バス(現千葉交通)に勤めており、市内にある同社社宅で暮らす。 3歳のときに母が死去し、祖父母の手で育てられる。なお、祖父は多古線の駅長をしており、父も成田バスで務める前は曽祖父とともに千代田駅前から宮内庁下総御料牧場へ肥料・飼料・資材等を運搬する運送業を営んでいた。 1936年に父が召集され、1946年の復員までの間、一家は困窮する。戦後の物資不足の中、食料品などを隠匿しヤミに流して儲ける者を目の当たりにし、世の中の矛盾した姿を心に焼き付ける。
戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉6月14日)は、日本の政治家。群馬県太田市長(5期)、群馬県議会議員(1期)。 群馬県新田郡宝泉村(現・太田市下田島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。卒業後は青年団活動に参加し、群馬県青年団連合会副会長などを務めた。1958年(昭和33年)日本社会党衆議院議員東海林稔の秘書となる。1964年(昭和39年)中央大学専攻科法学研修課程修了。1968年(昭和43年)群馬県労農会議事務局長。 1971年(昭和46年)小川省吾の後継者として群馬県議選に社会党から立候補し当選(1期)。1975年(昭和50年)太田市長に当選し、5期務める。
本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護… 本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護士。 長崎県出身。1951年、長崎県立長崎西高等学校卒業、4月より長崎家庭裁判所に勤める。1958年1月、東京地方裁判所書記官補。1960年、中央大学法学部卒業、同年9月より最高裁判所第一小法廷書記官。1969年、旧司法試験合格。1970年、書記官を退官。1972年3月、司法修習生を終え、4月に弁護士登録。荻野陽三法律事務所に勤め、1975年1月に独立、事務所を開く。同年、スモン裁判原告弁護団に加わる。 弁護士会では1991年民暴対策委員長、1993年第二東京弁護士会副会長、1994年日本弁護士連合会常務理事、2002年関東弁護士会連合会副理事長、2004年第二東京弁護士会常議員会議長を歴任。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護士。民法学者。東京学芸大学及び中央大学名誉教授。東京都出身。川村泰啓門下。 東京都立日比谷高等学校卒業。1958年中央大学法学部卒業。1963年同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。同法学部助手。1967年松山商科大学経済学部専任講師。1971年東京学芸大学教育学部助教授。1979年同教育学部教授。1989年中央大学法学部教授。東京学芸大学名誉教授。2004年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。桐蔭横浜大学法科大学院客員教授( - 2007年)。 2007年 中央大学 法学博士 論文の題は「手付の研究」。
吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月… 吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月15日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員。長崎県出身。 1933年ソウル生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、中央大学法学部卒業後、高橋正人デザイン研究所を修了した。日本アートデザインへの勤務を経て、1966年に吉田佳広デザイン研究室を設立した。ヴィジュアルデザイン研究所、岡山大学教育学部、東京造形大学で講師を務めたほか、実用技能検定協会理事、日本フォントコンテンツ文化協会理事、レタリング技能検定中央試験委員長などを歴任した。 東京アートディレクターズクラブ(ADC)賞、全日本シーエム放送連盟(ACC)賞、ニューヨークタイプディレクターズクラブ展(N.Y.TDC展)入賞、電通賞、日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞などデザインに係わる賞のほか、文部科学省から社会教育功労者賞を受けた。
津田 三郎(つだ さぶろう、本名:樋口 雄介、1933年 -… 津田 三郎(つだ さぶろう、本名:樋口 雄介、1933年 - 2011年11月11日)は、日本の作家。 東京府出身。中央大学卒業。新聞記者・雑誌編集者を経て作家活動に入る。1979年小説『雑兵物語』で第1回1000ドル賞を受賞。 2011年11月11日、京都市東山区の自宅で火災のため死去。78歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
許萬元(ホ・マンウォン、朝鮮語: 허만원、1933年 - 2… 許萬元(ホ・マンウォン、朝鮮語: 허만원、1933年 - 2005年8月25日)は、日本の哲学研究者。弁証法を専門とした。元立命館大学文学部教授。 1933年、朝鮮済州道生まれ。東京都立朝鮮人高等学校在学中、林光徹校長にすすめられ、中央大学文学部哲学科で学ぶ。東京都立大学大学院人文科学研究科に進み、寺沢恒信教授を指導教員として指導を受ける。1968年、博士課程を修了。東京都立大学に博士論文を提出し、文学博士号を取得。東京都立大学では初めての哲学分野での文学課程博士であった。 卒業後は東京都立大学助手になる。東京都全体としては初めての在日韓国・朝鮮人からの任用となった。1983年に立命館大学へ移る。
鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1… 鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の経営者、実業家であり、元セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(現・名誉顧問)。日本では「コンビニの父」と呼ばれている。 セブン-イレブン社長、イトーヨーカ堂会長、トーハン副会長、日本経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長を歴任。 長野県埴科郡坂城町出身。1952年3月、長野県小県蚕業高等学校(現・長野県上田東高等学校)卒業。1956年3月、中央大学経済学部 卒業。 東京出版販売(現・トーハン)に入社 イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊に乞われ31歳で同社に転職し、1971年9月に 同社取締役に就任。
川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - … 川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - 2007年3月8日)は、日本の政治家。茨城県議会議員、第78代茨城県議会議長を務めた。 茨城県取手市(旧・北相馬郡藤代町)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業後、中央大学卒業。1967年に藤代町議会議員となる。1970年、茨城県議会議員選挙に北相馬郡選挙区から立候補し、当選。 2007年、9期目途中で肺癌のため死去。これにより県議選で一騎討ちとなった自由民主党の新人、小林靖男が繰り上げ当選。
寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1… 寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の脚本家・放送作家。福岡県久留米市出身。新潟県立三条高等学校を経て、中央大学法学部卒。在学中に学映協(全国学生自主映画製作協議会)に参加し、その縁で『ともしび』(1954年/監督:家城巳代治)を執筆して脚本家デビューを果たした。1957年には戦後映画史の傑作とされる『異母兄弟』(原作 : 田宮虎彦 監督:家城巳代治)を依田義賢と共同執筆し、高い評価を受けて名声を確立した後、独立プロの活動を経て日本映画復興会議(初代議長:今井正)に参加。社会派映画から日活青春映画、アクション、さらにはテレビドラマまで幅広く手掛け、現実社会や時代性を鋭く反映した作風で知られる。
田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月1… 田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉2月16日)は、日本の警察官、コメンテーター。最終階級は警視監。日本テレビ客員解説員を務めた。表記は田宮栄一になっている場合もある。 日本統治時代の台湾で生まれる。 戦後、日本に復員して山形県西村山郡河北町で高校卒業まで過ごした。山形県立谷地高等学校を卒業後、中央大学法学部を経て1952年に警視庁採用。 所謂「ノンキャリア」として、採用時の巡査から警視監(現役警察官としては警視長)まで昇任を経験。田宮以外にもノンキャリアで警視監まで昇任した者は他にも居るが、その数は非常に少ない狭き門であり、特に刑事畑出身の者は事件捜査で多忙を極める関係上、昇任試験の勉強をする時間的な余裕がなく、昇任しにくい傾向にある。
佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 201… 佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 2017年2月10日)は、東急レクリエーション元社長。
外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 … 外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 - 2022年〈令和4年〉4月29日)は、日本の法学者。専門は行政法、特にアメリカ行政手続法。第22代中央大学学長、同総長。中央大学名誉教授。沖縄県那覇市首里出身。橋本公亘の弟子。 1932年、沖縄県首里市(現・那覇市)生まれ。沖縄県立首里高等学校卒業。1954年、中央大学法学部卒業。1960年 東京大学大学院社会科学研究科公法専攻単位取得満期退学、東京大学法学部助手。 1961年、中央大学法学部専任講師。1962年、同学部助教授。1968年、同学部教授。1987年、同学部長( - 1991年)。1990年、中央大学理事( - 1993年)。
井上 治(いのうえ おさむ、1932年9月16日 - ?)は… 井上 治(いのうえ おさむ、1932年9月16日 - ?)は、日本の陸上競技(長距離走)選手。 愛媛県喜多郡菅田村(現在の大洲市)出身。愛媛県立大洲農業高等学校に入学。1950年には陸上5000メートルを15分56秒0で走り、愛媛県で16分台を初めて割ったエースとして注目された。 中央大学に進み、1952年の第28回箱根駅伝で4区を走り区間賞(1時間9分35秒)。1952年にヘルシンキで開催されたオリンピックに代表として参加、男子5000メートルに出場したが予選失格(14分59秒0)。1953年の第29回箱根駅伝では2区を走り区間2位であった。1953年の第37回日本陸上競技選手権大会では男子5000メートルで優勝(14分58秒6)。
新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3… 新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3日 - 2020年〈令和2年〉12月19日)は、日本の政治家。元大宮市長(第16代 - 第18代〈最終〉)。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。 大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。また、大宮市長選挙に初の立候補をした時から、政令指定都市移行をいち早く打ち出した。まんが「大宮の歴史」 などの書籍を刊行し、大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった。
五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )… 五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )は、日本の人権派弁護士。山梨学院大学教授を務めた。 群馬県出身。旧姓藤井。1957年中央大学文学部卒、1962年同法学部卒。法学者風早八十二と結婚し、風早二葉を名乗るが、その後離婚。五十嵐氏と結婚し、現在に至る。 ロス疑惑事件の弁護を担当しマスコミで有名になるが、その後三浦和義と対立し解任に追い込まれる。後に三浦について「子供がそのまま大人になったような人。」と酷評し物議をかもした。一連のオウム真理教事件の際、長女を拉致した容疑で逮捕・起訴された鹿島とも子の弁護などを担当した。
田島 榮(たじま さかえ、1932年7月16日 -2020年… 田島 榮(たじま さかえ、1932年7月16日 -2020年7月20日 )は、日本の劇作家。1956年から劇団前進座に所属し、歴史劇から現代劇まで幅広い作品を脚色、執筆している。 1932年(昭和7年)7月16日、劇作家の父田島淳と母つやの二男として生まれる。1952年(昭和27年)、私立横浜高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学するも、1955年(昭和30年)に中退。1956年(昭和31年)、劇団前進座に入座した。2020年7月20日、肺がんで死去。享年88。妹に日本画家の田島奈須美。長男は上原美術館(仏教館)主任学芸員の田島整(1970年(昭和45年) - )。
中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月… 中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月21日 - 2005年〈平成17年〉8月18日)は、日本の北海道を拠点に活動したエッセイスト、ラジオパーソナリティ。 北海道出身。北海道大学総長を務めた丹保憲仁は札幌師範附属小学校(現・北海道教育大学附属小学校)1年からの幼馴染。 旧制北海道庁立第一中学校(現・札幌南高校)在学中に新制高校への移行を経験し、新制札幌北高校を経て、中央大学法学部を卒業。北海道帯広農業高等学校教諭、ホテル三愛(現・札幌パークホテル)勤務を経て、家業である「中西印刷」の社長に就任 。1986年に相談役に就任と同時に、STVラジオ「ジャーナル談話室」に出演を開始。
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月1… 中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位は法学士。勲等は勲一等旭日大綬章。財団法人異文化コミュニケーション財団理事。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。 大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校(旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業。1955年(昭和30年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。 母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。
髙窪 貞人(たかくぼ さだと、1932年6月3日 - )は、… 髙窪 貞人(たかくぼ さだと、1932年6月3日 - )は、日本の法学者。刑事法・英米法専攻。
佐原 健二(さはら けんじ、本名:加藤 正好(かとう まさよ… 佐原 健二(さはら けんじ、本名:加藤 正好(かとう まさよし)、1932年(昭和7年)5月14日 - )は、日本の俳優。佐原プロモーション社長。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日… 池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。実業家。元静岡県下田市長。 下田市出身。1951年(昭和26年)静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1955年(昭和30年)中央大学法学部卒業。 1958年(昭和33年)味の素に入社。1961年(昭和36年)スーパー下田専務、1962年(昭和37年)三和観光常務、1965年(昭和40年)カネヤス商事代表取締役を歴任。1971年(昭和46年)4月より1984年(昭和59年)6月まで下田市議会議員を延べ4期13年つとめたのち、下田市長選挙に立候補し当選。1984年(昭和59年)7月より2000年(平成12年)7月まで、歴代の下田市長としてはもっとも長い4期16年をつとめた。
高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年… 高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年4月15日 - 2022年5月15日)は、日本の女子陸上競技選手(走幅跳)。メルボルンオリンピック代表。元中央大学女子陸上競技部監督・元日本陸上競技連盟女子委員長。 群馬県群馬郡東村(現在の前橋市)出身。旧制前橋高等女学校(現在の群馬県立前橋女子高等学校)入学後に本格的に陸上競技に取り組む。 女子の4年制大学進学率が2%という時代に中央大学からのスカウトを受けて入学。大学3年の第37回日本陸上競技選手権大会(1953年)で5m53をマークして選手権初優勝を飾ると、翌年の1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)では5m68をマークして優勝した。
舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月1… 舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の弁護士、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会常務理事、日本弁護士連合会常務理事、政治家。埼玉県議会議員。埼玉県川越市長。義父は衆議院議員松山義雄。息子は元埼玉県議会議員舟橋一浩。 栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。中央大学法学部卒業を経て1961年4月に弁護士登録。1963年4月に埼玉県議会議員に初当選して当選3回、この間1976年の衆院選では義母の松山千恵子(衆議院議長松永東の娘)の後継候補として埼玉2区から出馬するが落選、程無くして新自由クラブに加わった。1993年2月に小宮山重四郎系と社会党などの支援で、前県議の中野清を破って川越市長に就任し以後4期16年在任した。
麻生 宗由(あそう もとよし、1932年(昭和7年)4月6日… 麻生 宗由(あそう もとよし、1932年(昭和7年)4月6日 - 2001年(平成13年)5月3日)は日本のフランス文学者。元・法政大学教授。 1932年(昭和7年)4月6日、東京に生まれる。中央大学文学部フランス文学科を卒業し、同大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は… 大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は、日本の法学者。専門は国際法。学位は法学博士。元中央大学教授。元西南学院大学教授。福岡県出身。
渋谷 昶子(しぶや のぶこ、1932年3月8日 - 2016… 渋谷 昶子(しぶや のぶこ、1932年3月8日 - 2016年2月1日)は、日本の映画監督、記録映画作家、ルポルタージュ作家。 1932年3月8日、関東州大連市に生まれる。本名、前畠昶子。両親は3月生まれにちなみ「春の陽のように日永にのんびりと成長するように」と日が永いという昶子と命名した。 大連弥生女学校1年在学のとき敗戦。2年間の棄民生活で人間形成の原点が形成される。 1947年に「最後の引き揚げ船」で帰国し、父親の出身地だった鹿児島県に移る。1951年、鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業。 弁護士たらんと大志をいだいて中央大学法学部に入学。しかし、スクリプターに関心をもち、大学は3年で中退し、2年後にスクリプターになる。
三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日… 三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日 - 2011年3月20日)は、日本の政治家、元千葉県君津市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 長崎県出身。中央大学法学部卒。 君津市役所に入り、助役などを務める。1998年、君津市長選挙に立候補し、現職を破り、初当選する。2002年に再選。市長を2期務め、2006年に退任した。2010年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2011年3月20日に死去。死没日付をもって叙正六位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日… 星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日 - 2014年(平成26年)4月10日)とは、日本の弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家。衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、金融担当大臣を歴任した民主党元衆議院議員中塚一宏。 新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年、中央大学法学部卒業。 1962年、司法試験に30歳で合格。 1965年、司法修習17期を修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会に入会。 1975年、小千谷市長に就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会を退会。 1989年5月31日、小千谷市長を辞職。同年10月、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
金田 浩一呂(かねだ こういちろ、1932年2月13日 - … 金田 浩一呂(かねだ こういちろ、1932年2月13日 - 2011年7月20日)は、日本のジャーナリスト。 宮崎県生まれ。貧しい母子家庭に育ち、中央大学法学部在学中、最初の3年間は刑務所の看守、あとは雑多なアルバイトで生計を立てる。卒業後、産業経済新聞社に入社し、夕刊フジの学芸部長・編集委員を歴任。文芸記者として、井伏鱒二、遠藤周作、城山三郎、阿川弘之らと交友。 2011年7月20日、腎臓癌のため死去。79歳没。 この項目は、報道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:メディア)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 … 三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の法学者・弁護士だった人物。専門は民法。兵庫県姫路市出身。指導教授は中島弘道。弟子に遠藤研一郎がいる。 1954年中央大学法学部卒業。1956年同大学院法学研究科修士課程修了後、東洋大学法学部助手に就く。1957年同法学部専任講師。1964年同法学部助教授。1973年同法学部教授となる。1982年同大学院法学研究科教授。1989年中央大学法学部教授。1990年同大学院法学研究科教授。1994年中央大学法職講座運営委員会委員長(~2002年)。2002年中央大学定年退職。同名誉教授。2003年弁護士登録。
安芸 哲郎(安藝、あき てつろう、1932年 <昭和7年> … 安芸 哲郎(安藝、あき てつろう、1932年 <昭和7年> 1月4日 - 2007年 <平成19年> 1月17日)は、日本の経営者。東急不動産社長、東急リバブル会長を務めた。位階は従四位。 徳島県出身。1954年に中央大学法学部を卒業し、同年に東急電鉄に入社。1955年に東急不動産に転じ、1975年5月に取締役に就任し、1977年12月に常務、1982年12月に専務を経て、1984年12月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。2000年6月に会長に就任し、2004年4月に取締役相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2005年11月に旭日重光章を受章。 2007年1月17日に敗血症のために死去。
井上 博司(いのうえ ひろし、1932年(昭和7年) - )… 井上 博司(いのうえ ひろし、1932年(昭和7年) - )は日本の釣り師、ジャーナリスト、釣具研究家、フライフィッシング研究家、フィッシング技術研究者。 日本におけるルアー、およびフライフィッシングのパイオニアであり、釣りに関する書物を多数著している。 中央大学卒業後、報知新聞社アングラーズ・ペン・クラブに所属し疑似餌釣りの普及に貢献する。 日本バスプロ協会 (JB) 顧問、日本疑似餌連盟 (JLAA) 顧問、NPO法人日本釣り環境保全連盟理事などを歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新谷 行(しんや ぎょう、1932年 - 1979年3月18… 新谷 行(しんや ぎょう、1932年 - 1979年3月18日)は、昭和期の詩人、文芸評論家、歴史家。本名:新屋 英行(あらや・ひでゆき)で、北海道の騎手・新屋幸吉は兄にあたる。妻は詩人の上杉浩子。 留萌郡小平蘂村(現在の小平町)に、馬喰の五男として生まれる。1953年に留萌高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学するために上京。大学を卒業する頃に詩人の金子光晴を訪問し、出版社の編集の勤務とともに文学活動を続ける。1959年に佐藤久夫・桜井滋人・竹川弘太郎とともに同人雑誌『詩域』を創刊。1964年に同人雑誌『あいなめ』に参加する(金子光晴・松本亮・桜井・竹川)。1968年には出版社を辞め、デパートの広報課に勤めるが翌年の夏にはそこも辞め生活のために週刊紙の埋め草記事を書くほかは自分の作品作りに専心し始める。
浅川 満(あさかわ みつる、1932年 - 2008年7月7… 浅川 満(あさかわ みつる、1932年 - 2008年7月7日)は、日本の編集者。太郎次郎社(現・太郎次郎社エディタス)の創業者。 東京府出身。浅草の履物問屋の末っ子として生まれる。幼いころから本の虫だった。中央大学法学部在学中に学生運動へ参加。卒業後は、現代社、麦書房、北星美術、一ツ橋書房を経て太郎次郎社を設立。詰め込み教育が問題になっていた1973年、戦後の理想に立ち戻り、「人間一人ひとりから出発する教育」を掲げて月刊教育誌『ひと』を創刊。自ら編集部長を25年間務め、ピーク時には3万部を記録した。2001年、咽頭がんを発病。長い闘病生活を経たのち、2008年7月7日、肺炎により死去。