名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18… 名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。 青森県青森市生まれ。名尾良辰の四男。1921年に浦和に移り、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業。 戦後に弁護士を開業する。1959年、埼玉県議会議員に当選。以来連続6期在任する。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
安 峻錡(アン・ジュンギ、朝鮮語: 안준기、1916年11月… 安 峻錡(アン・ジュンギ、朝鮮語: 안준기、1916年11月3日 - 1995年6月28日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第3代韓国国会議員を務めた。 釜山出身。日本大学専門部法律科、中央大学法学部卒。普通文官試験合格。釜山弁護士副会長・会長、釜山地方法院調整委員、交通部法律顧問、国民会慶南本部副会長、大韓造船公社監事を経て、1955年の第3代国会議員の補欠選挙で自由党の候補として当選し、自由党慶南道党副委員長、李龍範の顧問などを務めた。 野次をよく飛ばす議員として知られる。
金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月2… 金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月28日 - 1991年6月3日)は、満洲国および大韓民国の検察官、政治家、弁護士。第11代韓国国会議員。 慶北大邱出身。中央大学法学科卒。高等文官試験司法科合格。新京地方検察庁検察官、京城地方法院甕津支庁長、大邱地方検察庁部長検事・次長検事、全州地方検察庁・大邱高等検察庁次長検事、春川地方検察庁・大田地方検察庁・大邱地方検察庁検事長、統一主体国民会議運営委員、国家保衛立法会議議員・政治関係法特別委員長、民主正義党創党発起人、韓日議員連盟法的地位特別委員長、弁護士を務めた。
木戸口 久治(きどぐち ひさはる、1916年1月9日 - 2… 木戸口 久治(きどぐち ひさはる、1916年1月9日 - 2005年1月7日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。石川県出身。 1942年(昭和17年)9月に中央大学法学部を卒業。同年10月に司法官試補となったが、陸軍に召集されてベトナムに出征。復員後に5日間だけ検事になったが、「同期より遅く任官しても将来どうなるか」と考え、1948年(昭和23年)1月に弁護士登録をした。 第二東京弁護士会に所属。十条製紙の顧問弁護士を務め、立木の所有権や境界などの紛争があるたびに出かけ、北海道から九州まで全国の山を歩いた。製紙工場の公害問題も地方の人たちと丁寧に話し合い、訴訟に持ち込まれないで解決した。 中央大学理事や第二東京弁護士会会長を務めた。
金 光俊(キム・グァンジュン、朝鮮語: 김광준、1915年1… 金 光俊(キム・グァンジュン、朝鮮語: 김광준、1915年11月15日 - 1971年2月24日または3月)は、大韓民国の警察公務員(警監)、政治家、弁護士。第3代春川警察署長、制憲・第2・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。元国会議員の金命潤は弟、呉俊碩は妹の夫。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海出身。中央大学専門部法科卒。朝鮮弁護士試験合格、総督府普通文官試験合格、日本高等文官試験司法科・行政科合格。全羅南道道属・警務課長、第3代春川警察署長(1946年7月18日~1947年10月25日)、弁護士、無所属の国会議員、国会内務治安委員、憲法起草委員、高試司法行政両科委員、自由党党員、民主党所属の国会議員、民政党結党全党大会副議長を務めた。
金 濬泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김준태、1915年9月5… 金 濬泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김준태、1915年9月5日 - 1987年10月1日または10月4日)は、満洲国および大韓民国の検察官、官僚、弁護士、政治家。第2・5・6代韓国国会議員。 慶尚北道清道郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校)、満州新京大同学院卒。中央大学法律研究所修了。1939年朝鮮弁護士予備試験合格、1943年高等文官試験司法科合格、その後満洲国国務院事務局で勤務した。弁護士として23年活動したほか、1948年に大邱地方検察庁検事、1958年に民主党清道郡党委員長・監察部長、1960年に民主党院内副総務・監察委員長・院内対策委員会委員、1961年に張勉第2次改造内閣の復興部政務次官、1963年に自由民主党結党発起準備委員会メンバー・同党政策委員、同年末からは民主共和党党務委員・院内副総務・中央常任委員・絶糧危機克服委員長・党紀委員を務めた。
下光 軍二(しもみつ ぐんじ、1914年7月5日 - 200… 下光 軍二(しもみつ ぐんじ、1914年7月5日 - 2009年2月1日)は、日本の弁護士。1980年に破産したネズミ講「天下一家の会・第一相互経済研究所」の破産管財人。朝日法律相談所の設立メンバー。第一東京弁護士会所属。東京医科大学教授の下光輝一は息子。 1914年、広島県に生まれる。1941年、中央大学法学部卒業。1946年、弁護士開業。1949年、朝日新聞法律相談所を開設。 2009年、多発性脳梗塞にて死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月2… 塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月24日 - 1992年〈平成4年〉4月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者(英米法・労働法)。中央大学名誉教授。元最高裁判所判事。藍綬褒章、勲一等瑞宝章受章。岐阜県出身。 1936年中央大学法学部卒業。1937年高等試験司法科試験合格。8年間裁判官生活を送っていたが、1947年に弁護士に転身。昭和電工事件や造船疑獄などを担当。 1949年母校である中央大学法学部専任講師。1951年中央大学法学部教授に就任。1954年中央大学選任評議員。1958年法学博士の学位を取得。1979年3月中央大学依願退職。 1979年4月に最高裁判事となる。
寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月… 寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月13日 - 2003年 <平成15年> 6月5日)は日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。 愛媛県越智郡波方町(現今治市)生まれ。中央大学法学部卒業。1936年11月、司法科試験合格。1937年6月、司法官試補(東京)。1938年12月、札幌地方裁判所予備判事に就任。樺太地方裁判所、大阪簡易裁判所、大阪地方裁判所判事を経て、1952年2月に東京地方裁判所へ転任し、1961年まで最高裁判所調査官を兼任。この間、1957年には八海事件における死刑判決を破棄し、審理を広島高等裁判所へ差し戻す。 その後、徳島地方裁判所・徳島家庭裁判所所長を経て、1970年8月に東京高等裁判所へ転任。
高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20… 高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20日 - 2005年1月17日)は満州国の官僚、大韓民国の政治家、弁護士、法学者、陸軍軍人。第15代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第7・8・9・10代大韓民国国会議員を歴任した。 本貫は長興高氏(朝鮮語版)で高敬命(朝鮮語版)の子孫である。号は河南(ハナム、하남)。1920〜30年代に水原学生独立運動事件(水原高等農林学校事件)を主導した1人で独立有功者の高在千は兄。 日本統治時代の全羅南道潭陽郡生まれ。1933年光州高等普通学校卒。1936年中央大学予科修了、1939年同大法学部卒。1937年に満州高等文官試験に合格し、満洲国国務院総務庁高等官試補に任命され、同年12月大同学院第1部卒業(第11期生)。
林 百郎(はやし ひゃくろう、1912年6月10日 - 19… 林 百郎(はやし ひゃくろう、1912年6月10日 - 1992年6月1日)は、日本の政治家、弁護士。日本共産党衆議院議員。日本共産党議員所属初の「永年在職議員表彰」
金 達鎬(キム・ダロ、キム・ダルホ、朝鮮語: 김달호、191… 金 達鎬(キム・ダロ、キム・ダルホ、朝鮮語: 김달호、1912年3月26日 - 1979年3月4日)は、日本統治時代の朝鮮、満州国および大韓民国の検察官、裁判官、弁護士、政治家。第3代韓国国会議員。号は端斎。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡(現・尚州市)出身。中央大学法学部卒業または中退、大学1年時高等試験合格。司法官試補、朝鮮総督府の光州・清津地方法院の判事を経て、満州国で弁護士をしていたが神社参拝拒否と抗日行為を理由に退職させられた。解放後はソウル高等検察庁次長検事、法興編纂委員、考試委員を経て、1954年の第3代総選挙で国会議員に当選し、1956年に進歩党副委員長を務めた。1958年の進歩党事件により入獄したが、大法院による無罪判決を経て4・19革命で釈放された。
安 龍大(アン・ヨンデ、朝鮮語: 안용대、1912年または1… 安 龍大(アン・ヨンデ、朝鮮語: 안용대、1912年または1913年1月13日または1915年 - 1999年5月6日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家、弁護士。泗川郡・咸安郡・昌原郡・居昌郡郡守、第2・4代韓国国会議員を歴任した。 本貫は順興安氏(朝鮮語版)。号は南史。 日本統治時代の慶尚北道慶州郡(現・慶州市)出身。1940年、中央大学法学部卒。1941年に高等文官試験行政科合格し、朝鮮総督府属、咸鏡南道属として泗川郡・咸安郡・昌原郡・居昌郡守を務めた。解放後は総務処人事局銓叙課長、国会内務委員会専門委員、国務院事務処人事課長、居昌厚生協会長、社会教育協会長、居昌オリンピック後援会会長、山林会支部長などを務めた。
矢吹 幸太郎(やぶき こうたろう、1912年(明治45年) … 矢吹 幸太郎(やぶき こうたろう、1912年(明治45年) - 2009年(平成21年)4月18日)は、日本の元裁判官・弁護士。元札幌地方裁判所判事。矢吹法律事務所初代所長。中央大学法学部卒業。福島県出身。 この他、司法研修所教官も務める 法律の得意分野は特になく、法律全般を扱うが、大学では、商法を講義。 子息は、北海学園大学教授の矢吹徹雄。 『全国弁護士大観』(法律新聞社編集・発行、2007年) この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 19… 向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 1980年3月25日)は、元検察官、弁護士、刑事法学者である。自他共に認める司法試験の神様としてまた死刑廃止論者として著名。 1910年石川県羽咋市に生まれる。粟ノ保村立尋常小学校卒業後、大阪の薬局でぼんさん生活(いわゆる丁稚生活)を送る。薬局を辞め、パイプ工場に勤務しながら私立成器商業学校夜間部で学ぶ。その後、上宮中学校(旧制)に転学し4年で修了する。上京し専修大学予科に入学するも中央大学に転学。1934年有志で中央大学真法会を創設。1935年の高等文官試験司法科試験を2番で合格する。1936年3月・中央大学法学部卒業。司法官試補を経て検察官となり、思想検事系列に名を連ねる。
大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)… 大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)2月5日 - 1988年(昭和63年)8月26日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長。京都府舞鶴市出身。 三高に入ったが、寮に門限をつけることに反対して、ストライキ実行委員長をしてストライキに入り、警察に拘束されて放校処分となり、1934年(昭和9年)に中央大学法科を卒業。1935年(昭和10年)9月に高等文官試験司法科に合格し、同年12月に弁護士登録。 堀江専一郎法律事務所に勤務後、1939年(昭和14年)に大塚法律事務所を開設する。1959年(昭和34年)4月に日弁連事務総長、1961年(昭和36年)3月に法学博士、司法研修所教官、1970年(昭和45年)4月に第一東京弁護士会会長に就任。
梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일、1910年1月… 梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일、1910年1月27日 - 1962年9月5日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第2・5代韓国国会議員。 本貫は南原梁氏(朝鮮語版)。 全羅南道康津郡出身。中央大学法学部卒。高等文官試験司法科に合格した後は東京で弁護士を務め、東京弁護士会に所属した。帰国後は光州弁護士会会長、朝鮮弁護士会全羅南道支部長、大同青年団光州支団部副団長、大韓青年団光州市団長、韓国青年団光州市団長、民主党全南道党委員長を歴任した。1950年の第2代総選挙に康津郡選挙区から民主国民党所属で出馬して当選し、1960年の第5代総選挙に同選挙区から民主党所属で出馬して当選した。 1962年9月5日に聖母病院にて脳溢血により死去。
田嶋 好文(たしま こうぶん、1909年〈明治42年〉11月… 田嶋 好文(たしま こうぶん、1909年〈明治42年〉11月28日 - 1963年〈昭和38年〉3月5日)は、昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 高知県出身。1933年(昭和8年)中央大学法学部を卒業した。 弁護士として働く。神戸製鋼所名古屋工場法律顧問、林金属工業代表取締役、大同衛生材料常任監査役などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で愛知県第1区から諸派で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で旧愛知1区に国民協同党公認で出馬したが落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して初当選し、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
佐賀 潜(さが せん、1909年〈明治42年〉3月21日 -… 佐賀 潜(さが せん、1909年〈明治42年〉3月21日 - 1970年〈昭和45年〉8月31日)は日本の小説家、推理作家、検察官、弁護士。本名は松下幸徳。 東京生まれ。筆名の由来は、父親を含め先祖代々佐賀鍋島藩の出身であることと、「探せん」の意味を懸けたもの。 中央大学法学部在学中、司法試験に合格。大学を卒業し司法修習を終え、各地の地方検察庁(当時は地方裁判所検事局)で検事を務める(1946年11月までの約10年間)。なお、著書である『刑法入門』の中で、検事時代の1944年に長崎刑務所浦上支所で死刑が執行された際に、担当でもないのに興味本位で立ち会った体験を明かしている。 その後は弁護士事務所を開業。
山中 日露史(やまなか ひろし、1906年(明治39年)2月… 山中 日露史(やまなか ひろし、1906年(明治39年)2月14日 - 1971年(昭和46年)5月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、室蘭市市政功労者。 北海道室蘭郡室蘭町(室蘭区を経て現室蘭市)で生まれる。1927年(昭和2年)中央大学法律科を卒業し、弁護士を開業した。 室蘭市会議員(2期)、北海道会議員(2期)、同参事会員に在任した。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第4区から日本社会党所属で出馬して当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選した。第25回、第26回総選挙で当選。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙では次点で落選した。
松岡 松平(まつおか まつへい、1904年(明治37年)12… 松岡 松平(まつおか まつへい、1904年(明治37年)12月25日 - 1975年(昭和50年)3月1日)は、日本の弁護士。政治家。衆議院議員(3期)。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 富山県出身。1924年中央大学法律科を卒業し、弁護士となる。戦後、公職追放となり、追放中の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で富山1区から立候補して当選し、翌1953年の総選挙で落選した。1955年の総選挙で再選したが、1958年の総選挙で落選してから、5回連続落選した。1972年の総選挙で14年ぶりに国政に復帰。国会内では商工委員長を務めた。
坂本 泰良(さかもと たいら、1904年(明治37年)8月6… 坂本 泰良(さかもと たいら、1904年(明治37年)8月6日 - 1982年(昭和57年)9月6日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)。中央大学名誉教授。衆議院功労議員表彰。日本社会党熊本県支部連合会会長。 1970年4月の春の叙勲で、勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 1982年9月6日、死去。78歳没。同月10日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正四位に叙された。
佐藤 通吉(さとう つうきち、1903年〈明治36年〉8月1… 佐藤 通吉(さとう つうきち、1903年〈明治36年〉8月10日 - 1995年〈平成7年〉6月3日)は、昭和期の弁護士、警察官、政治家。衆議院議員。 鹿児島県囎唹郡東志布志村(現志布志市)で生まれる。1939年(昭和14年)中央大学専門部法律科を卒業した。 小学校訓導を経て、台湾総督府巡査に転じ、高雄州巡査部長、同警部補を歴任。のち高等試験司法科に合格し弁護士となり、郷里で開業した。鹿児島弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で鹿児島県全県区から日本進歩党公認で立候補して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で鹿児島県第3区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
大貫 大八(おおぬき だいはち、1903年(明治36年)6月… 大貫 大八(おおぬき だいはち、1903年(明治36年)6月1日 – 1971年(昭和46年)7月22日)は、昭和期の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 栃木県那須郡境村(烏山町境を経て現那須烏山市)で生まれる。弁護士の書生のかたわら下野中学校(現作新学院高等学校)を卒業。中央大学専門部法科に進学し、三輪寿壮弁護士事務所の書生をしながら1927年(昭和2年)に大学を卒業。高等試験司法科試験に合格し、1928年(昭和3年)宇都宮市で弁護士を開業した。 三輪の薫陶を受け日本労農党に入党し、1930年(昭和5年)宇都宮市会議員選挙(初回の普通選挙)で黒沢幸一と共に当選。労農大衆党栃木県連執行委員、栃木農民組合執行委員を務め、小作争議、労働争議を指導した。
松山 義雄(まつやま よしお、1903年(明治36年)3月3… 松山 義雄(まつやま よしお、1903年(明治36年)3月31日 - 1958年(昭和33年)10月25日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員、埼玉県副知事。正五位勲三等に叙せられた。 長崎県諌早市出身。中央大学法学部卒業。 1936年、弁護士登録。1938年、東京弁護士会常議員に就任。1941年、日本弁護士会理事に就任。 その後は中央政界への進出をもくろみ、1946年4月の第22回衆議院議員総選挙に進歩党公認で立候補したが落選。1947年4月の第23回衆議院議員総選挙では民主党公認で埼玉2区から立候補したが落選。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙でも落選した。同年、埼玉県知事大沢雄一の要請により、埼玉県副知事に就任。
細田 義安(ほそだ ぎあん、1903年(明治36年)3月14… 細田 義安(ほそだ ぎあん、1903年(明治36年)3月14日 - 1962年(昭和37年)9月28日)は、東京都出身の都職員、政治家(衆議院議員)、弁護士。 小平市小川町出身。中央大学卒業後、東京都庁に入り、総務、主税の各局長を経て、第28回衆議院議員総選挙に旧東京7区で自由民主党より立候補し当選した。東京都職員時代は都知事であった安井誠一郎と近かった。自民党内では、佐藤派に属した。佐藤派の同期は、後に総理大臣になる竹下登と金丸事件で有名な金丸信のみである。第29回総選挙において再選された。 しかし、任期途中の1962年(昭和37年)9月28日、東京都立大久保病院で死去した。59歳没。翌29日、特旨を以て位五級を追陞され、死没日付で正七位から従四位勲三等に叙され、瑞宝章を追贈された。
南雲 正朔(なぐも せいさく、旧姓・鳥山、1903年(明治3… 南雲 正朔(なぐも せいさく、旧姓・鳥山、1903年(明治36年)1月1日 - 1954年(昭和29年)4月7日)は、日本の弁護士、政治家。立憲民政党所属の衆議院議員で大東亜参与官を務めた。 群馬県勢多郡横野村(現在の渋川市)に生まれる。鳥山源吉の二男。後に南雲貞三の養子となった。1926年(大正15年)に高等試験司法科に合格し、翌年に同行政科に合格した。1928年(昭和3年)に中央大学法学部を卒業し、弁護士を開業した。 1936年(昭和11年)、民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。その後3回連続当選を果たした。その間、鈴木貫太郎内閣で大東亜参与官を務めた。 戦後、公職追放となり、追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙に改進党から立候補したが、落選した。
伊藤 五郎(いとう ごろう、1902年〈明治35年〉2月28… 伊藤 五郎(いとう ごろう、1902年〈明治35年〉2月28日 - 1992年〈平成4年〉6月4日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)。 山形県北村山郡常盤村(尾花沢町を経て現尾花沢市)出身。1928年中央大学法学部卒。弁護士となり、1936年横浜弁護士会副会長に就任。翌1937年の第20回衆議院議員総選挙で山形2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選する。次の1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。大麻唯男国務大臣秘書官、鈴木貫太郎内閣文部参与官を歴任。戦後、推薦議員のため公職追放となる。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で山形2区から改進党公認で立候補して以降落選続きで(1955年の保守合同以後は自由民主党)、1960年の第29回衆議院議員総選挙で再選された。
佐藤 邦雄(さとう くにお、1901年4月28日 - 199… 佐藤 邦雄(さとう くにお、1901年4月28日 - 1996年9月20日)は、日本の弁護士、経営者。東北銀行監査役、取締役、岩手ヤクルト販売社長、ヤクルトスワローズ球団社長などを務めた。 宮城県出身。1927年に中央大学法学部を卒業。高等試験に合格して1928年に内務省に入省したが3年で辞め、1931年6月に弁護士として登録し、岩手県弁護士会に所属する。盛岡銀行の取り付け騒ぎに端を発する預金者からの訴訟では、頭取金田一国士の弁護人を務めた。日本弁護士連合会理事、盛岡弁護士会会長など弁護士会の役職を歴任したほか、同和対策協議会委員、中央公害対策審議会委員、全国人権擁護委員連合会会長(1979年から1989年まで)など各種の委員を務めた。
小玉 治行(こだま はるゆき、1900年(明治33年)9月1… 小玉 治行(こだま はるゆき、1900年(明治33年)9月12日 - 1972年(昭和47年)5月8日)は、大正末から昭和期の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員。 大分県大野郡犬飼村石井(犬飼町石井を経て現豊後大野市)で小玉土五郎の二男として生まれる。小学校卒業後、家業を手伝い講義録で独学し、1921年(大正10年)専検に合格。1922年(大正11年)中央大学法学科に入学して特待生となり、1924年(大正13年)首席で卒業して特別賞を受けた。 1924年、高等試験司法科試験に合格。裁判所書記兼司法属を経て、1925年(大正14年)司法官試補に任官し、1926年(大正15年)長崎地方裁判所判事に発令された。
江口 繁(えぐち しげる、1899年12月6日 - 1971… 江口 繁(えぐち しげる、1899年12月6日 - 1971年9月19日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 佐賀県出身。1920年中央大学法律科卒。弁護士と弁理士の業務に従事する。福岡精華女学校(現・精華女子高等学校)を経営し、福岡市議、同参事会員、福岡県議、福岡県弁護士会長、帝国弁護士会理事、大日本弁護士会常任理事、皇教塾、大憲塾塾頭、九州椎茸輸出協同組合理事長を務める。 1937年の第20回衆議院議員総選挙では福岡1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して落選。1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。
田中 萬一(たなか まんいち/まんいつ、1899年6月4日 … 田中 萬一(たなか まんいち/まんいつ、1899年6月4日 - 1973年6月18日)は、長崎県大村市出身の日本の検察官、弁護士。 1919年、徴兵により久留米師団入営。そのためもあって修学が同年齢より5年ばかり遅れて中央大学専門部法科に入学。1928年、中大専門部法科を卒業してすぐに高等文官試験司法科に合格し、司法省入省。検事任官。一期上の検事に「三羽ガラス」と称されていた、井本臺吉、柳川真文、馬場義続らがいたこともあって、傍流の会社関係の詐欺や横領事犯担当の「経済検事」として目立つことも無かった。 戦後の草創期、東京地検の初代隠退蔵事件捜査部長心得兼任渉外部長(当時 のち初代東京地検特捜部長 1947年11月10日-1948年1月5日)に就任。
高木 松吉(たかぎ まつきち、1898年(明治31年)10月… 高木 松吉(たかぎ まつきち、1898年(明治31年)10月4日 - 1965年(昭和40年)12月9日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 福島県双葉郡広野村(現広野町)で生まれる。1922年(大正11年)中央大学法律科を卒業。弁護士となり、報知新聞法律相談所長に就任した。 1948年(昭和23年)、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福島県第3区から民主自由党公認で出馬して当選。その後、第27回総選挙まで連続4回当選した。1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙では落選した。この間、運輸大臣秘書官、裁判官訴追委員会代理委員長、第3次吉田内閣・法務政務次官、衆議院行政監察特別委員長、日本民主党全国委員会副委員長、同代議士会副会長、日本交通公社法律顧問などを歴任した。
渡辺 忠雄(わたなべ ただお、1898年(明治31年)7月1… 渡辺 忠雄(わたなべ ただお、1898年(明治31年)7月15日 - 1980年(昭和55年)5月6日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1946年)、広島市長(1期、1955年-1959年)。 広島県山県郡北広島町(旧・大朝町)出身。1924年(大正13年)に中央大学法律科を卒業後に、大阪地方裁判所、大阪地方検事局に勤務の後、1928年(昭和3年)に弁護士として開業。東京弁護士会常議員や日本弁護士会理事などを務めた。また、広島精機や昭和造機の代表取締役も務めていた。 1946年(昭和21年)4月10日の第22回衆議院議員総選挙では、広島県全県区に日本自由党から出馬して当選したが、間もなく公職追放の憂き目に遭う。
酒井 俊雄(さかい としお、1898年(明治31年)6月25… 酒井 俊雄(さかい としお、1898年(明治31年)6月25日 - 1982年(昭和57年)8月5日)は、愛知県津島市出身の弁護士。衆議院議員を2期務めた。 愛知県名古屋市東区生まれ。1918年(大正7年)、岡崎師範学校(現・愛知教育大学)を卒業。1929年(昭和4年)中央大学専門部法律科卒業、小学校訓導となる。その後、高等試験司法科試験に合格して、1934年(昭和9年)弁護士となり、税務代理士(現税理士)も務めた。 愛知県臨時社会調査員、同方面委員を務めた。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に愛知県第2区から出馬して当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に愛知県第4区から国民協同党所属で出馬して当選し、衆議院議員を連続2期務めた。
柏原 語六(かしわばら ごろく、1897年9月20日 - 1… 柏原 語六(かしわばら ごろく、1897年9月20日 - 1981年6月5日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。岡山県出身。 1920年(大正9年)中央大学法学部を卒業。1921年(大正10年)に弁護士登録。 1961年(昭和36年)4月に柏原が所属する会派から順送りで推されて、無競争のまま東京弁護士会会長に選出されて就任。会長に選ばれた時に「抱負は別にないが、弁護士の職域を広げること。正義の実現を旨とする弁護士のあり方は、もっと世間に受け入れられていいと思う」と述べる。 1963年(昭和38年)12月に最高裁判所判事に就任。1958年(昭和33年)と1962年(昭和37年)にも日弁連から最高裁入りを推され固辞したこともあり、三度目に了承したことになる。
小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13… 小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13日 - 1957年〈昭和32年〉1月20日)は、日本の弁護士、弁理士。 人権擁護委員東京連合会副会長、日本弁護士連合会人権擁護第一部長、東京地方裁判所調停委員、東京弁護士会常議員を歴任した。鹿児島県出身。族籍は鹿児島県士族。次女は声優、女優、ナレーター、朗読家の小原乃梨子。 鹿児島県士族・小原萬次郎の息子として同県日置郡上伊集院村上谷口に生まれる。母は奥休太郎の長女・イネ。1937年(昭和12年)に家督を相続した。1914年(大正3年)博約義塾(現・樟南高等学校)を卒業後、上京し、1917年(大正6年)、中央大学法科を卒業。卒業後、農商務省に奉職。
福田 力之助(ふくだ りきのすけ、1897年(明治30年)8… 福田 力之助(ふくだ りきのすけ、1897年(明治30年)8月17日 - 1982年(昭和57年)3月24日)は日本の裁判官、弁護士。 東京府南葛飾郡亀戸町(現東京都江東区亀戸)出身。家は金物屋だったがそれが潰れ、商家の小僧となり、青山師範学校卒業、東京市砂町小学校訓導となった後、1922年(大正11年)4月中央大学法律科専門部卒業、1925年(大正14年)12月司法官試験合格、同月高等試験司法科合格、1926年(大正15年)4月司法官試補として東京地方裁判所所属、1927年(昭和2年)12月仙台地方裁判所予備判事転任、福島地方裁判所に次いで1928年(昭和3年)10月山形地方裁判所判事転任、同鶴岡支部所属。
四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - … 四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - 1980年11月28日)は、日本の法学者・弁護士・裁判官・実業家。商法学者。法学博士(中央大学)。元中央大学理事長・総長・学長。兵庫県養父郡八鹿町出身
四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - … 四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - 1980年11月28日)は、日本の法学者・弁護士・裁判官・実業家。商法学者。法学博士(中央大学)。中央大学理事長・総長・学長。兵庫県養父郡八鹿町(現:養父市)出身。升本喜兵衛3代目の娘婿。 1915年旧制海城中学校卒業。1919年中央大学法学部卒業。司法官試補。東京地方裁判所判事。1924年東京地方裁判所退官。弁護士登録。商法研究のためにドイツ、イギリスに留学( - 1927年)。1928年中央大学法学部教授に就く。1941年中央大学評議員。1947年中央大学理事( - 1951年)。1951年中央大学法学部長( - 1957年)。1960年中央大学理事( - 1974年)。
佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年〈明治29年〉9月6日… 佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年〈明治29年〉9月6日 - 1962年〈昭和37年〉4月24日)は、日本の政治家、弁護士。社会民衆党、社会革新党、民主社会党に属し、片山内閣では司法政務次官を務めた。 高知県高岡郡窪川町(現在の四万十町)に生まれる。窪川高等小学校を卒業後、窪川郵便局員、大連航路汽船の三等油差しなどに従事する。その後上京し、中央大学法科に学び弁護士試験に合格。24歳で弁護士として東京で開業したが、1923年(大正12年)、関東大震災のため高知市に帰り北奉公人町(現在の高知市上町)で再度開業した。 1929年(昭和4年)社会民衆党高知支部を結成および支部長となる。同年と1933年(昭和8年)に高知市会議員に当選した。
遠山 丙市(とうやま へいいち、1896年(明治29年)7月… 遠山 丙市(とうやま へいいち、1896年(明治29年)7月14日 - 1978年(昭和53年)8月14日)は、昭和期の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 岐阜県本巣郡、のちの鷺田村(現瑞穂市)で、遠山観治郎の長男として生まれる。1929年(昭和4年)中央大学法学部を卒業。 1930年(昭和5年)弁護士となる。東京弁護士会常議員(3期)、万国博覧会評議員、国際オリンピック東京委員などを務めた。 政界では、東京市会議員(4期)、同市参事会員、東京府会議員(2期)、同府参事会員、東京都議会議員を務めた。1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に東京都地方区から日本自由党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、参議院議員に1期在任した。
田村 虎一(たむら とらいち、1894年(明治27年)2月1… 田村 虎一(たむら とらいち、1894年(明治27年)2月1日 – 1983年(昭和58年)7月11日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、山口県玖珂郡川下村長。 山口県で田村與兵衛の三男として生まれる。1918年(大正7年)中央大学専門部法律科を卒業。 卒業後、農商務省、東京鉄道局などで勤務。1922年(大正11年)弁護士試験に合格し、のちの岩国市で開業した。1938年(昭和13年)川下村長に就任。その他、川下村会議員、岩国町会議員、山口県会議員、同副議長、岩国市会議員、同市助役、山口県監査委員、岩国弁護士会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に山口県第2区から日本自由党公認で出馬して当選し、その後、民主自由党に所属して衆議院議員に1期在任した。
高田 富與(たかだ とみよ、1892年5月11日 - 197… 高田 富與(たかだ とみよ、1892年5月11日 - 1976年10月17日)は、日本の弁護士、政治家。札幌市議、第5代札幌市長(在任1947年 - 1959年。3期。初代公選市長)、自由民主党所属の衆議院議員(2期)。 福島県石城郡大野村(現・いわき市)生まれ。従兄の子に鯨岡兵輔がいる。11歳で渡道し、豊平村(現・札幌市豊平区)の知人宅に身を寄せる。100日余で野幌兵村(現・江別市野幌)の親戚を頼って転居。江西尋常高等小学校(現・江別第二小学校)高等科卒業までの3年半を過ごす。卒業後、札幌郵便局通信伝習生養成所で学び、電信の取り扱いを習得。修了後は郵便局職員として岩見沢に赴任。1908年7月から江別郵便局勤務。
金 用茂(キム・ヨンム、朝鮮語: 김용무、1890年9月13… 金 用茂(キム・ヨンム、朝鮮語: 김용무、1890年9月13日または1891年 - 1951年9月12日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の政治家、法曹、弁護士。連合軍軍政期の大法院長、第2代韓国国会議員。 本貫は羅州金氏(朝鮮語版)。制憲国会議員を務めた金用鉉は弟。 現在の全羅南道務安郡夢灘面出身。中央大学法学部卒。高等文官試験司法科に合格した後は弁護士を開業し、抗日民族弁護士として無料弁論を引き受けた。1930年初に普成専門学校の委託講師として法律学の実務についての講義をした。1930年10月より東亜日報社取締役、強制廃刊までの10年間に民族言論の創達に貢献した。1935年に普成専門学校創立30周年記念事業会実行委員会常任委員、1939年に普専学会会員。
富山 徳潤(とみやま とくじゅん、1890年(明治23年)2… 富山 徳潤(とみやま とくじゅん、1890年(明治23年)2月26日 - 没年不詳)は、日本の弁護士、政治家。太平洋戦争当時の那覇市長。沖縄戦当時は後述の理由で沖縄には不在だった。旧姓・安慶名。 沖縄県那覇久米町で、汝翼の長男として生まれる。1909年、那覇市立商業学校(現沖縄県立那覇商業高等学校)を卒業後、糸満物産会社、鈴木商店で勤務し、鈴木商店沖縄出張所に転じて黒糖買付を担当。同出張所閉鎖により実業界から法曹界を志し、那覇区書記、専売局那覇出張所雇などを経て、1915年、普通文官試験に合格して上京し淀橋専売支局で勤務。その傍ら中央大学法科で学び、1918年に同大を卒業。大蔵省銀行局に転じ、1920年、弁護士試験に合格し天野弘一法律事務所に勤務。
菊地 養之輔(きくち ようのすけ、1889年9月5日 - 1… 菊地 養之輔(きくち ようのすけ、1889年9月5日 - 1983年1月5日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。日本社会党衆議院議員、日本弁護士連合会(日弁連)副会長、日中友好協会宮城県連合会長。仙台市名誉市民、岩沼市名誉市民。 1889年(明治22年)9月5日宮城県名取郡玉浦村(現在の岩沼市)に生まれる。日本地婦連会長の大友よふは従妹。妻は世界医師会会長の武見太郎と従妹。本籍地は仙台市東七番丁。1914年(大正3年)中央大学法科を卒業する。1921年(大正10年)弁護士試験に合格。翌1922年(大正11年)仙台市で弁護士事務所を開業する。息子の菊地一民も仙台弁護士会会長を歴任した。 弁護士の傍ら、社会運動に参加し、労働者、農民の立場に立った。
尾関 義一(おぜき ぎいち、1889年(明治22年)7月11… 尾関 義一(おぜき ぎいち、1889年(明治22年)7月11日 - 1966年(昭和41年)2月14日)は、明治末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(3期)。 広島県三上郡、のちの比婆郡本田村(現庄原市)出身。1907年(明治40年)中央大学法律科を卒業。弁護士の業務に従事。 犬養内閣嘱託、衆議院嘱託、立憲政友会幹事、吉田内閣内閣総理大臣秘書官を務めた。立憲政友会幹事長森恪の側近として活躍し、森の没後は林譲治と共に活動した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に栃木県第1区から日本自由党公認で出馬して落選。落選後の1948年(昭和23年)、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
柳田 宗一郎(やなぎだ そういちろう、1889年(明治22年… 柳田 宗一郎(やなぎだ そういちろう、1889年(明治22年)5月7日 - 1933年(昭和8年)6月18日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士、検事。 茨城県筑波郡葛城村(のち谷田部町を経て、現在のつくば市)出身。1912年に中央大学を卒業し、同年、判事検事弁護士試験に合格。翌年から弁護士業務に従事した。1923年に検事に任命され、1926年に退官するまでの間に、青森区裁判所兼青森地方裁判所検事、大館区裁判所兼秋田地方裁判所検事、仙台地方裁判所検事を歴任した。 退官後は再び弁護士業務を行っていたが、1929年に東京市会議員に立候補し、当選した。さらに1932年の第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
谷村 唯一郎(たにむら ただいちろう、1887年4月5日 -… 谷村 唯一郎(たにむら ただいちろう、1887年4月5日 - 1982年5月29日)は、日本の弁護士・最高裁判所判事。 鹿児島県大島郡名瀬町(名瀬市を経て現奄美市)生まれ。会計検査院の書記をしながら、1914年に中央大学法律科を卒業。1917年に弁護士となり、戦前には東京弁護士会会長を務める。戦後は法曹一元化に一環として司法次官(後の法務事務次官)として数々の法改正を手がけ、司法研修所の設立に力を尽くした。また、GHQの公職追放解除を審査する公職資格訴願審査委員会委員長を歴任。 1951年4月、最高裁判所判事となる。 定年前の1956年11月に「定年なんて老いぼれの烙印を押されるのは嫌」として依願退官。