斉藤 一之(さいとう かずゆき、1929年7月3日 - 19… 斉藤 一之(さいとう かずゆき、1929年7月3日 - 1989年11月9日)は、日本の高校野球の指導者。元千葉県立銚子商業高等学校野球部監督。 1929年千葉県佐原市に生まれる。千葉県立佐原中学校(旧制)から中央大学へ進学。 1951年3月に中央大学を卒業後、銚子市立第一中学校教諭となり、同中学校野球部を強豪校に育てあげる。その名采配ぶりを望まれ、地元銚子市民によって千葉県立銚子商業高等学校野球部の監督に推薦されるが、当時、斉藤は中学校教諭免許しか持っていなかったため、法政大学の通信教育部に入学し高等学校教諭免許を取得し、1962年4月に同高校野球部の監督に就任する。 1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会にて木樽正明を擁して決勝に進むも、原貢監督(読売巨人軍 :原辰徳元監督の父)率いる三池工業高等学校に敗れ準優勝。
池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 -… 池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 - 2007年7月31日)は、日本の政治学者・歴史学者。専門は、ロシア政治思想史・ロシア史。中央大学名誉教授。広島県福山市出身。 広島県立福山誠之館高等学校卒業。1953年中央大学法学部卒業。1958年同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同年、同法学部助手。1961年同法学部専任講師。1962年同法学部助教授。1968年同法学部教授。1970年イギリス・ロシアで在外研究。1978年中央大学学生部長。その後、同通信教育部長。2000年中央大学定年退職。同名誉教授。 学外として武蔵野市宅地開発等紛争調整委員、武蔵野市特別職報酬等審議会委員。
高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 20… 高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。
仲谷 昇(なかや のぼる、本名;仲谷 昇流<なかや の… 仲谷 昇(なかや のぼる、本名;仲谷 昇流<なかや のぼる>、1929年5月4日 - 2006年11月16日)は、日本の俳優である。東京府(現東京都)出身。
宇田川 信一(うだがわ しんいち、1929年(昭和4年)5月… 宇田川 信一(うだがわ しんいち、1929年(昭和4年)5月1日 - )は、日本の警察官、実業家。中央大学第一法学部卒。 新潟県出身。昭和20年に警視庁少年警察官となり、昭和24年に警視庁巡査を拝命。公安部と警務部が長かったが、佐々淳行にスカウトされ、警備部警備第1課課長代理となる。警備実施を統括し「コンバットチーム」と呼ばれる現場情報班を率いて、東大安田講堂事件・あさま山荘事件をはじめ幾多の警備事案を担当した。佐々の一連の著作にも頻繁に名前が登場する。 最終的には巡査から警視監に登りつめた。昭和62年に退官した後は警備業界に勤務し、84歳を迎えた平成25年に独立して現在に至る。 2002年5月11日に公開された『突入せよ! あさま山荘事件』では宇崎竜童が宇田川信一警視(警視庁警備部警備第一課首席課長代理・警備実施及び現場情報担当)を演じている。
岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月2… 岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月25日 - 2001年(平成13年)3月7日)は、日本の政治家。本名の読みは「いわだれすきお」。 衆議院議員(8期)、環境庁長官(第33代)。日本野鳥の会副会長。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)の農家に生まれる。1944年2月、自ら志願し海軍通信学校に入学。本来は2年制の学校であったが、戦況の悪化により促成カリキュラムが組まれ、同年12月に卒業した。海軍通信学校卒業後、鹿児島県の鹿屋基地で教員補を務める。1945年、第二次世界大戦敗戦により復員する。その後、長野県東筑摩農学校(現長野県塩尻志学館高等学校)に編入学し、中央大学専門部法学科に進学。
太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 20… 太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 2012年10月22日)は、三重県鈴鹿市出身の小説家。山岳推理小説の第一人者として知られる[要出典]。本名・太田 等(おおた ひとし)、別筆名に太田 瓢一郎。 三重県立津高等学校を経て中央大学法学部卒[要出典]。 同人誌「新表現」を経て1956年に太田瓢一郎の筆名で時代小説でデビュー。1958年から1963年まで時代ものの単行本の刊行を続けたが、以後単行本の刊行は止まる。その後、長年続けてきた登山と釣りの経験を生かし、釣り雑誌にエッセイや小説を連載していたが、1978年に新しい筆名太田 蘭三で『殺意の三面峡谷』を刊行して再デビュー、山岳推理の新境地を開拓した。
田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日 - )は、日… 田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日 - )は、日本の陸上競技選手。 1952年ヘルシンキオリンピックでは走幅跳と100m走、1956年メルボルンオリンピックでは走幅跳と400mリレーに出場した。 佐賀県佐賀郡久保田村(現在の佐賀市久保田町)生まれ。小学校時代にオリンピックの記録映画を見、オリンピック出場を志したという。佐賀県立佐賀工業学校(現在の佐賀県立佐賀工業高等学校)機械科に入学し、本格的に走幅跳を始めた。 1947年に佐賀工業学校を卒業し、いったん社会人となったのち、中央大学に入学。中央大学在学中の1950年から1953年にかけ、日本陸上競技選手権大会の走幅跳種目を4連覇した。
鈴木 正文(すずき まさふみ、1929年3月11日 - 19… 鈴木 正文(すずき まさふみ、1929年3月11日 - 1991年9月18日)は、日本の空手家(十段)。日本正武館館長、全日本硬式空手道連盟会長。 福島県郡山市に生まれ、青年期に柔道、合気道、剣道、居合道や古武道等の多数の武術を学んだ。中央大学に通い、検事になり辞めてからは弁護士資格を保有した。 宮里栄一のもとで剛柔流空手を修行し1955年に、京都で日本正武館を設立した。 千葉真一主演映画『激突! 殺人拳』(1974年)への出演を皮切りに、空手家や合気道の達人などで、複数の東映製作映画に出演していた。 鈴木は長く日本プロレスコミッションのコミッショナーを務め、アントニオ猪木のウィレム・ルスカ戦や、ザ・モンスターマン戦のレフェリーを務める。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995年8月8日)は、日本の法律家、政治家。弁護士、元参議院議員(2期)。
松本 誠也(まつもと せいや、1929年(昭和4年)2月27… 松本 誠也(まつもと せいや、1929年(昭和4年)2月27日 - 1999年(平成11年)5月1日)は、日本の実業家。パイオニア社長を務めた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 松本望の長男として大阪に生まれる。中央大学在学中は競技ダンス部に所属し、大会で優勝した経験を持った。同大学卒業後、経理の勉強を目的として、会計事務所に勤務するが一年で退社した。1947年(昭和22年)に父が社長を務める福音電気に入社し、工場の資材担当を皮切りに営業部門を主に担当し1960年(昭和35年)に常務、1968年(昭和43年)に専務、レーザーディスクの開発や販売促進に携わった。 その後は父の後継者として、代表取締役や、1971年に副社長を歴任した。
宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 20… 宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 2021年4月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(6期)を歴任した。 東京府南葛飾郡葛西村(現在の東京都江戸川区)生まれ。中央大学経済学部卒業。大学卒業後は衆議院議員の島村一郎の秘書を21年間務めた。 1976年、島村が政界引退を表明。島村はかねてから世襲に反対しており、六男の宜伸の衆院選出馬にも強く反対した。宇田川は島村の後継に名乗りを上げたが、島村後援会は宜伸の擁立を決定し、島村一郎も最終的には宜伸の立候補を容認したため、自由民主党に公認を申請したものの認められなかった。同年の第34回衆議院議員総選挙に旧東京10区(定数5)から無所属で出馬したが得票数8位で落選し、宜伸は5位(当選者中の最下位)で初当選した。
佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈… 佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2013年〈平成25年〉2月15日)は、日本の合気道家、神道家。山蔭神道上福岡斎宮(埼玉県ふじみ野市)宮司、合気道神明塾塾頭。合気道(合気会)八段。雅号は、乾舟(けんしゅう)。 1929年(昭和4年)山形県長井市成田に生まれる。太平洋戦争(大東亜戦争)下の小学生の頃特攻隊への入隊を目指し陸軍幼年学校を受験するが失敗、14歳で徴用により動員され、名古屋の三菱重工で飛行機の部品(ネジ)製造業務に就き、そこで終戦を迎える。戦後、大工となったが、19歳の時、飛んできた釘が当たって左目を失明する。その後は古本屋・黒板塗り・闇米売りなど、あらゆる仕事で食いつなぐ。
神山 好市(こうやま こういち、1929年〈昭和4年〉1月2… 神山 好市(こうやま こういち、1929年〈昭和4年〉1月25日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の政治家。東京都中野区長を4期務めた。位階は正五位。 東京都小平市生まれ。1950年、中野区役所に就職。1953年、中央大学経済学部を卒業した。中野区教育委員会事務局次長を経て、1983年より中野区助役。1986年4月の青山良道中野区長の死去に伴い、6月に実施された中野区長選に出馬し、初当選した。同年9月、青山前区長の下で決定された中野区・北京市西城区(中華人民共和国)の姉妹都市提携を締結した。 青山前区長同様、革新勢力の支援を受けており、アメリカ合衆国やイギリスが臨界前核実験を実施した際は抗議文を送付した。
村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017… 村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017年1月17日)は、日本の美術評論家、小説家。 岐阜県出身。1951年に旧制名古屋外国語専門学校(南山大学の前身)フランス語科卒業、1954年に早稲田大学政経学部卒業。また、中央大学文学部仏文科も卒業。紀伊國屋書店洋書部勤務などを経て、日本美術評論家連盟会員、国際美術評論家連盟会員になる。1971年頃から1974年まで読売新聞に美術批評、美術関係の記事を寄稿をする。美術雑誌『みづゑ』に「海外短信」の題名で日本国外の美術情報を連載、他誌でも展覧会評を寄稿した。 美術館や東京都内デパートの展覧会の監修も行い、カタログに寄稿した。1979年の第1回日本秀作美術展(読売新聞社主催)の審査、監修をし、2003年の第25回まで務めた。
内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990… 内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990年1月5日)は、日本の会計学者。元中央大学商学部長。日本簿記学会発起人。中央大学商学部教授在任中に死去し、死後内山力奨学基金が創設された。 新潟県柏崎市出身。1953年中央大学商学部卒業、1957年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。指導教官は飯野利夫。1979年中央大学監査部長。1985年中央大学商学部長、日本簿記学会発起人。指導学生に星野一郎広島大学教授など。中央大学商学部教授在任中の1990年に死去。死後、1991年に内山力奨学基金が設立された。
坂本 光男(さかもと みつお、1929年 - )は、日本の教… 坂本 光男(さかもと みつお、1929年 - )は、日本の教育評論家。埼玉県秩父市生まれ。埼玉師範学校卒・中央大学法学部卒。小学校・中学校・高校の教師。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員。「親子映画」運動を進める。映画「はしれリュウ」「学び座」の原作者。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
荒川邦寿(あらかわ くにひさ、1928年12月7日- )は、… 荒川邦寿(あらかわ くにひさ、1928年12月7日- )は、日本の会計学者、立教大学名誉教授。 新潟県西蒲原郡弥彦村出身。立教大学経済学部卒、中央大学大学院商学研究科博士課程満期退学、71年「アメリカ「現代会計理論」の研究」で商学博士。西南学院大学講師、助教授、立教大学経済学部助教授、教授。94年定年、名誉教授、国士舘大学教授。2003年退任。
高橋 辰夫(たかはし たつお、1928年11月23日 - 2… 高橋 辰夫(たかはし たつお、1928年11月23日 - 2001年10月11日)は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、北海道議会議員(4期)を務めた。参議院議員の橋本聖子は義妹。 北海道伊達市生まれ。伊達小学校、伊達中学校、伊達高等学校を経て、1953年中央大学経済学部卒業。篠田弘作の秘書を経て、1963年、北海道議会議員に初当選。その後4期務めた。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から保守系無所属・青嵐会新人として出馬したが、落選。1979年の第35回衆議院議員総選挙で自由民主党公認・自由革新同友会新人として旧北海道4区から立候補し、初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。
綿井 永寿(わたい えいじゅ、1928年11月20日 - 1… 綿井 永寿(わたい えいじゅ、1928年11月20日 - 1998年5月30日)は、愛媛県出身の元ラグビー選手及び同指導者で、日本体育大学第6代学長。 現役時代のポジションは、フランカー(FL)。 旧制北予中学、中央大学出身。 後に、日本体育大学ラグビー部の監督に就任。いわゆる、「早慶明」の伝統校に打ち勝つためには、走り勝たねばならないという信条の下、『ランニングラグビー』を確立した。 1969年度、有賀健らを擁して関東大学ラグビー対抗戦グループで初優勝をもたらすと、続く第6回全国大学ラグビーフットボール選手権大会でも決勝で早稲田大学(以下、早稲田)を11-9で下し初優勝。そして続く第7回日本ラグビーフットボール選手権大会では、社会人代表がなかなか決まらず、すったもんだの末、富士鐵釜石(後の新日本製鐵釜石ラグビー部、現 釜石シーウェイブス)が出場することになったが、29-13でこれを撃破し、早稲田に続いて、大学チームとしては史上3校目となるラグビー日本一を果たした。
佐藤 芳夫(さとう よしお、1928年9月13日 - 200… 佐藤 芳夫(さとう よしお、1928年9月13日 - 2006年11月25日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全国労働組合交流センター代表運営委員。元全造船機械労組石川島分会執行委員長、中立労連議長。 東京、浅草生まれ。1948年石川島重工業に管理工として入社。1951年中央大学専門部経済学科(二部)卒業。1950年頃は組合の青年協議会副議長をしていたが、共産党員ではなかったためレッドパージを免れた。パージに賛成した柳沢錬造、金杉秀信ら愛国労働運動派に対抗し、1952年春に左派社会党に入党。同年6月全造船石川島分会執行委員に初当選。1961年11月全造船石川島分会執行委員長に初当選(1期)。1963年10月同執行委員長、石川島播磨重工労働組合連合会中央執行委員長(それぞれ2期)。
石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 -… 石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 - 2014年6月15日)は、日本の政治家、実業家。広島県沖美町議会副議長、広島県沖美町商工会長、広島県沖美町長を務めた。 広島県沖美町(現・江田島市)に生まれる。広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)を卒業後、外務省・文部省共同所管の南洋協会が運営する南洋学院に入学する。南洋学院在学中に終戦となり、その後内地の新制大学への転校を認められ、中央大学法学部に在籍する。 1977年から広島県沖美町議会議員選挙に5回連続当選を果たす。在任中に町議会の副議長を2度(1985年・1993年)務めた。1991年5月に広島県沖美町商工会長に就任し1998年11月の広島県沖美町長選挙で現職を破り第5代広島県沖美町長となる。
奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1… 奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1990年3月28日)は、日本の法学者、憲法学者、弁護士。 東京府で出生。長野県北安曇郡松川村出身。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。中央大学法学部卒、1958年早稲田大学大学院政治学研究科修了。神奈川大学講師・助教授、近畿大学教授。近畿大学比較法政治研究所長・法学部教授。法と秩序研究会理事長、日本学術会議会員。世界平和教授アカデミー会員。
田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 20… 田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 2018年9月)は、日本の元陸上競技選手。熊本県玉名市出身。中央大学卒業。 陸上競技部の無い中学校の出身だったが、全学年が参加する2000m競走の体力測定が毎年あり、一番速かった。1946年に第五高等学校で戦後初の県大会が行われ、予選は一着で通過し、決勝では1位の選手と同タイムながら2位だった。 1947年に中央大学予科に入学。トラックでの成績は振るわなかったが箱根駅伝の6区を試走した際に、前回大会(第23回箱根駅伝)で6区を走った野谷守也を大幅に上回るタイムで走り、第24回箱根駅伝の6区に出場。氷点下8度の中、1時間20分38秒の記録で区間賞を獲得し、22年ぶりの総合優勝に貢献した。
村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 20… 村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 2023年9月30日)は、日本の男性アニメーションプロデューサー。株式会社エイケン創業者、名誉会長。広島県広島市出身。 1945年8月6日、広島市で被爆し弟を亡くす。中央大学在学中に学生自動車連盟の初代委員長を務めた。 日本テレビジョン(TCJ。民放テレビ局の日本テレビホールディングス・日本テレビ放送網とは無関係)の映画部長だった1969年にアニメ部門を独立させて「株式会社TCJ動画センター」を設立。同年、朝日新聞に連載中の『サザエさん』に目を付け、宣弘社を通じてフジテレビにテレビアニメ版『サザエさん』の企画を持ち込み、製作を手掛け、国民的長寿番組とした。
崎田 直次(さきた ただじ、1928年5月15日-2001年… 崎田 直次(さきた ただじ、1928年5月15日-2001年5月9日)は、日本の法学者。商法学者。専門は会社法。中央大学名誉教授。 1952年中央大学法学部法律学科卒業。中央大学法学部助手。1957年中央大学法学部助教授。1964年中央大学法学部教授。1965年中央大学大学院法学研究科教授。1969年中央大学法学部長・同大学院法学研究科委員長(~1969年)。1970年学校法人中央大学評議員(~1994年)。1972年学校法人中央大学常任理事(~1982年)。1999年中央大学定年退職。同名誉教授。 この他、旧司法試験第二次試験考査委員(1972年~1983年)、社団法人私立大学連盟常務理事(1973年~1983年)、文部省教育委員養成審議会委員(1977年~1985年) 指導教授は田中耕太郎の弟子筋の片山金章。
近 泰男(こん やすお、1928年〈昭和3年〉4月22日 -… 近 泰男(こん やすお、1928年〈昭和3年〉4月22日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の家族計画運動家。元日本家族計画協会会長・理事長、元ジョイセフ(家族計画国際協力財団)理事長・顧問。 新潟県新潟市出身。1941年(昭和16年)に新潟中学校に入学、1944年(昭和19年)に海軍飛行予科練習生として美保海軍航空隊に入隊、1945年(昭和20年)に新潟中学校を卒業、1951年(昭和26年)に中央大学専門部法科を卒業。 1946年(昭和21年)から日本生産合作社協会に勤務、1949年(昭和24年)から東京公衆衛生協会に勤務、1956年(昭和31年)に日本家族計画普及会理事に就任、1961年(昭和36年)に東京寄生虫予防協会理事に就任、1964年(昭和39年)に日本家族計画協会常務理事に就任、1966年(昭和41年)に日本家族計画協会事務局長に就任、1967年(昭和42年)に東京都予防医学協会理事に就任、日本家族計画協会専務理事に就任、1988年(昭和63年)にジョイセフ事務局長に就任、1990年(平成2年)にアジア人口・開発協会理事に就任、2000年(平成12年)に日本家族計画協会理事長に就任、2003年(平成15年)にジョイセフ理事長に就任、2012年(平成24年)に日本家族計画協会会長に就任。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 … 黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の労働運動家。位階は従三位。日本労働組合総評議会(総評)最後の議長。 群馬県館林市出身。1945年旧制館林中学校卒業。1946年帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)に入社。1950年中央大学専門部卒業。神田駅助役を経て、1957年帝都高速度交通営団労働組合(営団地下鉄労組)執行委員、1962年同労組委員長。1974年日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)副委員長、1980年同委員長。1983年日本労働組合総評議会(総評)議長。1987年11月の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成に貢献。1988年私鉄総連会長。
加藤 晴明(かとう はるあき、1928年4月 - )は、日本… 加藤 晴明(かとう はるあき、1928年4月 - )は、日本の検事。 秋田県平鹿郡大森町(現・横手市)生まれ。1943年から1953年にかけて秋田県や横浜市の小学校教諭を務め、1954年中央大学法学部(夜間)卒業、司法試験合格。司法修習生を経て1957年検事に任官、名古屋、福井、大分、京都、東京、札幌の各地検に勤務。1973年法務総合研究所事務局長兼教官。1976年東京地検交通部副部長。1977年人権擁護局総務課長兼教官。1979年横浜地方検察庁刑事部長。1981年水戸地方検察庁次席検事。1982年福岡法務局長、1985年東京法務局長、1987年新潟地方検察庁検事正。1989年退官、東京法務局所属公証人。
石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 … 石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 - 2004年5月17日)は、日本の弁護士、法学者。 東京府東京市(現東京都台東区)出身。1952年中央大学法学部卒、日本勧業銀行に入り、1966年最高裁司法研修所修了、勧銀に戻り、調査部課長代理、同主任調査役、同参与、第一勧業銀行調査部、第一勧銀総合研究所、第一勧銀経営センター、みずほ銀行法務部各顧問を経て、2003年退職。銀行勤務の傍ら、全国銀行協会連合会法規専門部会・不渡手形審査専門委員会各特別委員、金融法学会理事、法制審議会倒産法部会委員などを歴任。弁護士(尾崎昭夫法律事務所)。
吉岡 利固(よしおか としかた、1928年3月20日 - 2… 吉岡 利固(よしおか としかた、1928年3月20日 - 2022年7月16日)は、日本の実業家。新日本海新聞社代表取締役社主、グッドヒル代表取締役社主。徳島県美馬市出身。 中央大学法学部を卒業後、大阪国税局調査官、紳士服メーカー・エフワンの鳥取県での製造・販売代理店として1961年に設立された鳥取エフワン(現・グッドヒル)の経理部長を経て、同社社長に就任。不動産事業(ハウス日本海)にも進出した。 1976年、会社更生法の適用を申請して休刊中だった日本海新聞の経営を引き受け、鳥取県を代表する地方新聞として再建を果たした。さらに2000年には大阪日日新聞を傘下に収め、2002年にはエフワン本社(大阪市)を親会社の三井物産から買収し、全国進出への足がかりとした。
石塚 輝雄(いしづか てるお、1928年(昭和3年) 3月1… 石塚 輝雄(いしづか てるお、1928年(昭和3年) 3月12日 - 2021年(令和3年)6月10日)は、日本の政治家。元東京都板橋区長。位階は正五位。旭日小綬章。 茨城県出身。1953年(昭和28年)中央大学法学部卒業。 1948年(昭和23年)東京都民生局総務課勤務、ついで杉並福祉事務所庶務課庶務係長、大田児童学園長、精神薄弱者更正相談所長、総務局行政部災害対策課長、総務局行政部指導課長、板橋区総務部長、総務局同和対策部長、中央卸売市場管理部長、総務局理事を歴任し、1979年(昭和54年)板橋区助役に就任。1991年(平成3年)同区長に就任した。2007年(平成19年)引退。同年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022… 渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022年6月12日)は日本の官僚、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日朝協会代表理事、埼玉中央医療生協顧問、日本共産党埼玉県副委員長。 東京都出身。中央大学法学部を卒業後、大蔵省事務官を経て1979年の衆院選で埼玉1区から出馬し初当選を果たす。以後1980年の衆院選でも再選されるが、1983年の衆院選で次点に終わり、その後返り咲きはできなかった。 議員在任中の1982年2月25日、衆院予算委員会にて中曽根康弘行政管理庁長官(当時)が1980年の総選挙に際し、富士通や日立製作所から違法献金を受け取っていたことを明らかにした。 2022年6月12日、埼玉県内の病院で死去。
伊藤 敬一(いとう けいいち、1928年2月27日 - 19… 伊藤 敬一(いとう けいいち、1928年2月27日 - 1992年7月22日)は、囲碁ライター。兵庫県出身。筆名=うえだひろし。 1951年、中央大学法学部卒業。在学中に囲碁部に在籍し、日本棋院に出入りし、1953年に囲碁ライターとなる。 雑誌「棋道」「囲碁クラブ」等に連載し、また十段戦、新人王戦の担当で、「週刊碁」「レッツ碁」に観戦記を執筆。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
清瀬 信次郎(きよせ しんじろう、1928年〈昭和3年〉1月… 清瀬 信次郎(きよせ しんじろう、1928年〈昭和3年〉1月25日 - 2006年〈平成18年〉4月10日)は、日本の法学者。専門は、商法・知的財産法・工業所有権法。学位は、法学博士(法政大学・1963年)(学位論文『商号権論』)。亜細亜大学名誉教授。 1928年(昭和3年)1月25日、兵庫県に生まれる。麹町小学校を卒業後、1948年(昭和23年)に法政大学専門部法律科を卒業、1951年(昭和26年)、中央大学法学部を卒業し、川南工業に入社する。 法政大学大学院社会科学研究科私法学専攻修士課程を修了し、1959年(昭和34年)同博士課程を退学する(指導教授:小町谷操三)。1959年(昭和34年)同法学部助手。
吉田 三郎 (よしだ さぶろう、1928年1月25日 - 2… 吉田 三郎 (よしだ さぶろう、1928年1月25日 - 2014年6月19日)は、日本の政治家、税理士。東京都東久留米市長(2期)。 1928年、茨城県に生まれる。 1953年、中央大学法学部卒。吉田税務会計事務所の初代所長になり、事務所を吉祥寺から東久留米市へ移転させる。 前市長の辞職に伴い実施された選挙で、ほかの新人2人を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:68,866人 最終投票率:47.53%(前回比:-1.94pts) 自民党、公明党、民社党の推薦を得て、共産党推薦の新人を大差で破って、再選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:38.68%(前回比:-8.85pts) 1990年の市長選挙には立候補しなかった。
飯田 文彌(いいだ ぶんや、1928年(昭和3年)1月1日 … 飯田 文彌(いいだ ぶんや、1928年(昭和3年)1月1日 - )は、日本の歴史学者・郷土史家。山梨郷土研究会会員。 山梨県山梨市下神内川に生まれる。1952年(昭和27年)3月に中央大学法学部を卒業後、同年4月に山梨県の高等学校教員となり山梨県立山梨高等学校に配属される。 翌1954年4月には谷村高等学校教諭となり、菅沼英雄・手塚寿男らとクラブ活動としての郷土研究を行い、1957年(昭和32年)には『郡内機業発達史』として刊行する。なお、同年には甲斐史学会が立ち上げられており、飯田も会員として参加し機関紙『甲斐史学』に論考を発表している。以来、主に甲斐国近世期の経済産業史・百姓一揆や民衆生活史に関して研究を行う。
武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 200… 武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 2007年(平成19年))は、日本の随筆家、外交官で、北欧文化協会理事長などを務めた。 武田竜夫とも表記する。夫人の武田和子(1938年生)は絵本画家。 北海道室蘭市出身。1954年に中央大学法学部卒。1954年(昭和29年)から外務省よりストックホルム大学にスウェーデン語留学生として派遣された。日本帰国後は在スウェーデン、デンマークの各・大使館の一等書記官、外務省北欧担当官などを経て、宮内庁式部官、イスタンブール総領事、東海大学教授、大阪外国語大学、立教大学非常勤講師などを歴任し、北欧関係の執筆著述を多く行った。 「世界日報」紙の常連寄稿者の1人で、同紙を賛美するメッセージを寄せている。
浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、… 浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、H・G・ウェルズの研究家。 東京生まれ。1952年中央大学経済学部卒業。ウェルズを翻訳研究し『解放された世界(英語版)』の思想が、世界人権宣言と日本国憲法の成立に影響したと唱える。
鈴木 導(すずき おさむ、1928年 - 2018年2月3日… 鈴木 導(すずき おさむ、1928年 - 2018年2月3日)は、日本の吹き替え、字幕翻訳家。中央大学法学部卒業。外国ドラマ吹き替え翻訳の先駆者のひとり。翻訳学校バベルの講師も務めた。 太平洋テレビジョンにて吹き替え翻訳をはじめる。最初に任された『モーガン警部』(原題 The Sherriff of Cochise)というテレビシリーズでは、翻訳原稿を即座にガリ版で印刷し、リハーサル、本番と徹夜の作業だったという。労働条件が悪かったため、一年後、他の翻訳者二人とともに独立し「翻訳工房」を立ち上げる。しかし、仕事が豊富にあったため、グループで仕事を分け合う必要もなかったという。 独立後の初仕事はマクドナルド・ケリー主演の弁護士もの『ロック・アップ』(原題 Lock Up)だった。
佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 199… 佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 1991年4月17日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)・衆議院議員(6期)。新潟県中蒲原郡亀田町(現新潟市)出身。東京農業大学卒業。従三位勲一等瑞宝章。父は衆議院議員・参議院議員と務めた佐藤芳男、子は新潟県議会議員の佐藤純。
田宮輝夫(たみや てるお、1927年12月6日 -2000年… 田宮輝夫(たみや てるお、1927年12月6日 -2000年7月13日)は、日本の教育者。国語教育、とりわけ作文教育(生活綴方教育)の実践家・理論家。 東京生まれ。中央大学法学部卒業。東京都の小中学校に勤務。日本作文の会常任委員、教育科学研究会会員、全国生活指導研究協議会会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 201… 松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 2012年2月21日)は、日本の官僚、政治家。第18代~23代千葉市長(在任期間 1977年 - 2001年(六期))。北海道旭川市生まれ、広島県広島市育ち。
藤原 哲太郎(ふじわら てつたろう、1927年11月10日 … 藤原 哲太郎(ふじわら てつたろう、1927年11月10日 - 2016年2月28日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員(1期)。杉並区議の木梨盛祥は甥。 静岡県出身。1955年中央大学経済学部修了。日本社会党に入り、党職員を務めた後、民主社会党に転じる。民社党都議会議員を経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に東京都第4区から民社党公認で立候補して当選。1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選した。 政界引退後、財団法人東京都軟式野球連盟のちの公益財団法人東京都軟式野球連盟副会長を経て顧問。荻窪中央町会長、杉並区軟式野球連盟会長、杉並区体育協会会長に就任。荻窪青少年育成委員会会長にも就任し、荻窪少年野球大会を通じて青少年の健全育成に尽力したため、藤原哲太郎の名前を末永く継承すべく、平成28年までに2度にわたり荻窪地区少年野球大会では小学生高学年の部の優勝トロフィーとして、「藤原哲太郎杯」が贈呈されている。
阿部 弘一(あべ こういち、1927年10月28日 - 20… 阿部 弘一(あべ こういち、1927年10月28日 - 2022年2月18日)は、日本の詩人。 東京府世田谷羽根木生まれ。陸軍学校を経て、中央大学文学部卒。1957年、詩誌『貘』に参加。渡仏してフランシス・ポンジュの知遇を得る。1996年『風景論』で第14回現代詩人賞受賞。
日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 20… 日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 2003年3月11日)は千葉県出身の作曲家。 東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)の吹奏楽部でフルートを演奏。中央大学経済学部に進学、進駐軍キャンプでジャズを演奏していた。同大学を卒業後の1952年、バンド「日暮雅信とブルーキューバン」を結成、クラブやNHKの音楽番組に出演。1956年にバンドを解散、作曲活動に専念することになる。 1961年、「管弦楽のための二つの祈り」で毎日音楽コンクール管弦楽部門に入選。以降、管弦楽、室内楽、声楽、舞踏音楽などの分野で活躍するほか、映像作品の音楽も手掛けた。また、楽器の入門書も数多く執筆している。
広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 201… 広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 2016年10月6日)は、日本の法学者。 千葉県千葉市生まれ。中央大学法学部卒。1958年東京大学大学院博士課程公法コース修了、「政府承認の法構造」で法学博士(東京大学)。明治学院大学助教授、教授、98年名誉教授。安達峰一郎記念賞受賞。国際法が専門。
安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1… 安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1994年2月2日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 富山県富山市出身。中央大学法学部卒。1948年富山重工労組書記長、1951年富山県労協オルグ、1961年富山県労協組織部長、1966年全国一般富山地本委員長、翌年全国一般中執、1972年同副委員長を経て、1979年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、4期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退する。 1994年2月2日。死去。66歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月2… 塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉5月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。 愛知県名古屋市に製材所を営む家の三男として生まれる。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)から中央大学法学部に進み、中大では辞達学会(弁論部)で活動した。 中大卒業後まもなく運輸省で鉄道員として勤務、国鉄労働組合の結成にも関わり一時期本省への出向も経験した。運輸省退職後は家具製造卸業を営みつつ日本農民組合中央委員を歴任、1952年の総選挙・1953年の総選挙に無所属で19