薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月… 薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月15日 - 2004年(平成16年)3月7日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(2期)。 大分県で生まれ、中央大学法学部を卒業し、目黒区職員課長、区議会事務局長、総務部長、助役など務めた。 1998年10月18日の目黒区長選挙で、自民党・民主党・公明党・自由党・社民党・自由連合から推薦を得て立候補し、共産党推薦の片岡敏康を破り初当選した。 1988年の区長選挙で選挙参謀を務めた元区長室長の菊谷伸夫と目黒区議会議員の横山大は、公職選挙法違反で2001年5月に逮捕されるも起訴猶予となる。 2002年10月に自民党・民主党・公明党・自由党・社民党から推薦を受けて再選される。
小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日… 小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日 - 2017年(平成29年)5月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。成田市長(第12・13代)。 千葉県成田市上町に生まれる。父は成田バス(現千葉交通)に勤めており、市内にある同社社宅で暮らす。 3歳のときに母が死去し、祖父母の手で育てられる。なお、祖父は多古線の駅長をしており、父も成田バスで務める前は曽祖父とともに千代田駅前から宮内庁下総御料牧場へ肥料・飼料・資材等を運搬する運送業を営んでいた。 1936年に父が召集され、1946年の復員までの間、一家は困窮する。戦後の物資不足の中、食料品などを隠匿しヤミに流して儲ける者を目の当たりにし、世の中の矛盾した姿を心に焼き付ける。
戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉6月14日)は、日本の政治家。群馬県太田市長(5期)、群馬県議会議員(1期)。 群馬県新田郡宝泉村(現・太田市下田島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。卒業後は青年団活動に参加し、群馬県青年団連合会副会長などを務めた。1958年(昭和33年)日本社会党衆議院議員東海林稔の秘書となる。1964年(昭和39年)中央大学専攻科法学研修課程修了。1968年(昭和43年)群馬県労農会議事務局長。 1971年(昭和46年)小川省吾の後継者として群馬県議選に社会党から立候補し当選(1期)。1975年(昭和50年)太田市長に当選し、5期務める。
川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - … 川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - 2007年3月8日)は、日本の政治家。茨城県議会議員、第78代茨城県議会議長を務めた。 茨城県取手市(旧・北相馬郡藤代町)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業後、中央大学卒業。1967年に藤代町議会議員となる。1970年、茨城県議会議員選挙に北相馬郡選挙区から立候補し、当選。 2007年、9期目途中で肺癌のため死去。これにより県議選で一騎討ちとなった自由民主党の新人、小林靖男が繰り上げ当選。
新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3… 新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3日 - 2020年〈令和2年〉12月19日)は、日本の政治家。元大宮市長(第16代 - 第18代〈最終〉)。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。 大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。また、大宮市長選挙に初の立候補をした時から、政令指定都市移行をいち早く打ち出した。まんが「大宮の歴史」 などの書籍を刊行し、大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった。
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月1… 中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位は法学士。勲等は勲一等旭日大綬章。財団法人異文化コミュニケーション財団理事。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。 大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校(旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業。1955年(昭和30年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。 母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日… 池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。実業家。元静岡県下田市長。 下田市出身。1951年(昭和26年)静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1955年(昭和30年)中央大学法学部卒業。 1958年(昭和33年)味の素に入社。1961年(昭和36年)スーパー下田専務、1962年(昭和37年)三和観光常務、1965年(昭和40年)カネヤス商事代表取締役を歴任。1971年(昭和46年)4月より1984年(昭和59年)6月まで下田市議会議員を延べ4期13年つとめたのち、下田市長選挙に立候補し当選。1984年(昭和59年)7月より2000年(平成12年)7月まで、歴代の下田市長としてはもっとも長い4期16年をつとめた。
舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月1… 舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の弁護士、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会常務理事、日本弁護士連合会常務理事、政治家。埼玉県議会議員。埼玉県川越市長。義父は衆議院議員松山義雄。息子は元埼玉県議会議員舟橋一浩。 栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。中央大学法学部卒業を経て1961年4月に弁護士登録。1963年4月に埼玉県議会議員に初当選して当選3回、この間1976年の衆院選では義母の松山千恵子(衆議院議長松永東の娘)の後継候補として埼玉2区から出馬するが落選、程無くして新自由クラブに加わった。1993年2月に小宮山重四郎系と社会党などの支援で、前県議の中野清を破って川越市長に就任し以後4期16年在任した。
三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日… 三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日 - 2011年3月20日)は、日本の政治家、元千葉県君津市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 長崎県出身。中央大学法学部卒。 君津市役所に入り、助役などを務める。1998年、君津市長選挙に立候補し、現職を破り、初当選する。2002年に再選。市長を2期務め、2006年に退任した。2010年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2011年3月20日に死去。死没日付をもって叙正六位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4… 熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4日 - 2018年(平成30年)5月2日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(2期)、東京都議会議長(第35代)、東京都議会議員(6期)を務めた。 広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒業。衆議院議員秘書を経て、1977年東京都議会議員選挙に立候補し、初当選。6期24年にわたって都議を務める。1988年、当時の鈴木俊一東京都知事の下で都庁舎の新宿への移転が行われるにあたり設置された新都庁舎建設特別委員会の委員長に就任。1995年、青島幸男都政下では地方分権推進特別委員長に就任し、同年9月には東京都議会議長に就任(1997年7月まで)。 1999年、都議を任期途中で辞職し、世田谷区長選挙に自民党・自由党推薦で立候補したが、現職の大場啓二に敗れた。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018… 磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018年11月10日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月3… 熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月30日 - )は、日本の弁護士(登録番号:8186)、政治家。衆議院議員(4期)、大蔵政務次官(第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。 群馬県吾妻郡嬬恋村に、父・熊川博、母・のいの子として生まれる。叔父は群馬県議会議員を務めた熊川良太郎。群馬県立中之条農業学校を経て、1954年中央大学法学部卒業。1958年に司法試験合格。1959年、早稲田大学大学院法学研究科を修了。 1961年前橋市に熊川弁護士事務所を設立。税理士としても登録。群馬法律専門学校講師、前橋市労働教育委員などを歴任する。 1971年に群馬県議会議員に当選。
北口 博(きたぐち ひろし、1930年11月20日 - 20… 北口 博(きたぐち ひろし、1930年11月20日 - 2019年11月6日)は、日本の政治家。元自由民主党所属衆議院議員(4期)。 熊本県生まれ。1955年に中央大学法学部卒業後、熊本県農業協同組合中央会に勤務。岳父の参議院議員北口龍徳秘書を務めた後、1967年に熊本県議会議員になる。1979年、第35回衆議院議員総選挙熊本1区に無所属で立候補し初当選。この時、北口を推した県議2人は自民党から除名となった。以後4期務める。1985年、第2次中曽根第2次改造内閣防衛政務次官。1987年、竹下内閣農林水産政務次官。同年、第13回先進国首脳会議(ベネチアサミット)開催に際し、中曽根康弘首相に随行。1989年、中川秀直の辞任に伴い、衆議院科学技術委員長に就任。
本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月… 本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月1日 - 2017年(平成29年)12月29日)は、日本の政治家。北海道北広島市長。 北海道天塩郡天塩町に生まれる。1956年(昭和31年)中央大学法学部を卒業し、北海道宗谷支庁に奉職する。次いで北海道庁に転じ、北海道民生部次長、札幌医科大学事務局長、北海道総務部知事室長、北海道議会事務局長を経て、1987年(昭和62年)10月、退職する。その後、北海道熱供給公社常務取締役を経て、1993年(平成5年)7月、広島町長に当選。1996年(平成8年)9月、市制施行により北広島市長となった。 2008年(平成18年)春の叙勲で旭日小綬章受章。
上原 榮一(うえはら えいいち、1930年(昭和5年)9月2… 上原 榮一(うえはら えいいち、1930年(昭和5年)9月29日 - )は、日本の政治家。元埼玉県桶川市長(2期)。旭日小綬章受章。 埼玉県大里郡熊谷町(現・熊谷市)出身。中央大学法学部卒。卒業後は埼玉県庁に入る。埼玉県人事委員会事務局長、桶川市助役、埼玉県道路公社常務理事などを経て、1993年、桶川市長に当選する。市長を2期務め、2001年の選挙で元桶川市収入役の岩崎正男に敗れた。2003年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月… 渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月21日 - 2000年9月29日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党に所属し、衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(49代)、総理府原子力委員会委員長(49代)、北海道議会議員(4期)などを歴任した。前岩見沢市長で自由民主党所属の衆議院議員の渡辺孝一は長男。 北海道美唄市で生まれる。美唄市立美唄国民学校、岩見沢中学校(現:岩見沢東高校)、中央大学経済学部卒。衆議院議員・篠田弘作の秘書を経て、1963年から北海道議会議員(美唄市選出)を4期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から自民党公認で立候補し初当選(同じ区で自由革新同友会新人高橋辰夫も当選)。
前川 旦(まえかわ たん、1930年〈昭和5年〉3月10日 … 前川 旦(まえかわ たん、1930年〈昭和5年〉3月10日 - 1986年〈昭和61年〉5月11日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)。香川県高松市出身。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2… 岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2024年12月21日)は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 佐賀県唐津市出身。1953年に中央大学法学部を卒業後、日本共産党の理論誌『前衛』の編集長を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙の比例代表から出馬し日本共産党の第7位に登載されたが落選。同年の第37回衆議院議員総選挙に榊利夫の後継として旧東京2区から出馬し初当選。以後1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選を果たすものの、第39回、第40回の各衆院選で次点に終わる。 2024年12月21日死去。
飯村 恵一(いいむら けいいち、1929年〈昭和4年〉12月… 飯村 恵一(いいむら けいいち、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2002年〈平成14年〉12月21日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都台東区長。 現在の東京都台東区出身。中央大学法学部を卒業する。台東区議会議員を3期務めたのち、1975年(昭和50年)から東京都議会議員に5選する。1991年(平成3年)台東区長に就任した。3期目限りで退任を表明していたがその任期途中の2002年(平成14年)12月21日午後、体調不良を訴えて搬送された文京区内の病院で虚血性心不全のため死去、73歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、従四位に叙される。
野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月… 野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2019年〈令和元年〉5月23日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 農林水産大臣(第22代)、防衛庁長官(第61代)、衆議院予算委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)を歴任。 秋田県能代市出身。中央大学法学部卒業。国家公務員上級試験に合格し、1953年4月、中大卒業後に建設省に入省。山形県や茨城県への出向を経験。建設大臣官房文書課長を最後に1977年に建設省を退官した。 建設省退官後、同年の第11回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選した。
高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 20… 高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。
岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月2… 岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月25日 - 2001年(平成13年)3月7日)は、日本の政治家。本名の読みは「いわだれすきお」。 衆議院議員(8期)、環境庁長官(第33代)。日本野鳥の会副会長。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)の農家に生まれる。1944年2月、自ら志願し海軍通信学校に入学。本来は2年制の学校であったが、戦況の悪化により促成カリキュラムが組まれ、同年12月に卒業した。海軍通信学校卒業後、鹿児島県の鹿屋基地で教員補を務める。1945年、第二次世界大戦敗戦により復員する。その後、長野県東筑摩農学校(現長野県塩尻志学館高等学校)に編入学し、中央大学専門部法学科に進学。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995年8月8日)は、日本の法律家、政治家。弁護士、元参議院議員(2期)。
宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 20… 宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 2021年4月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(6期)を歴任した。 東京府南葛飾郡葛西村(現在の東京都江戸川区)生まれ。中央大学経済学部卒業。大学卒業後は衆議院議員の島村一郎の秘書を21年間務めた。 1976年、島村が政界引退を表明。島村はかねてから世襲に反対しており、六男の宜伸の衆院選出馬にも強く反対した。宇田川は島村の後継に名乗りを上げたが、島村後援会は宜伸の擁立を決定し、島村一郎も最終的には宜伸の立候補を容認したため、自由民主党に公認を申請したものの認められなかった。同年の第34回衆議院議員総選挙に旧東京10区(定数5)から無所属で出馬したが得票数8位で落選し、宜伸は5位(当選者中の最下位)で初当選した。
神山 好市(こうやま こういち、1929年〈昭和4年〉1月2… 神山 好市(こうやま こういち、1929年〈昭和4年〉1月25日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の政治家。東京都中野区長を4期務めた。位階は正五位。 東京都小平市生まれ。1950年、中野区役所に就職。1953年、中央大学経済学部を卒業した。中野区教育委員会事務局次長を経て、1983年より中野区助役。1986年4月の青山良道中野区長の死去に伴い、6月に実施された中野区長選に出馬し、初当選した。同年9月、青山前区長の下で決定された中野区・北京市西城区(中華人民共和国)の姉妹都市提携を締結した。 青山前区長同様、革新勢力の支援を受けており、アメリカ合衆国やイギリスが臨界前核実験を実施した際は抗議文を送付した。
高橋 辰夫(たかはし たつお、1928年11月23日 - 2… 高橋 辰夫(たかはし たつお、1928年11月23日 - 2001年10月11日)は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、北海道議会議員(4期)を務めた。参議院議員の橋本聖子は義妹。 北海道伊達市生まれ。伊達小学校、伊達中学校、伊達高等学校を経て、1953年中央大学経済学部卒業。篠田弘作の秘書を経て、1963年、北海道議会議員に初当選。その後4期務めた。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から保守系無所属・青嵐会新人として出馬したが、落選。1979年の第35回衆議院議員総選挙で自由民主党公認・自由革新同友会新人として旧北海道4区から立候補し、初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。
石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 -… 石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 - 2014年6月15日)は、日本の政治家、実業家。広島県沖美町議会副議長、広島県沖美町商工会長、広島県沖美町長を務めた。 広島県沖美町(現・江田島市)に生まれる。広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)を卒業後、外務省・文部省共同所管の南洋協会が運営する南洋学院に入学する。南洋学院在学中に終戦となり、その後内地の新制大学への転校を認められ、中央大学法学部に在籍する。 1977年から広島県沖美町議会議員選挙に5回連続当選を果たす。在任中に町議会の副議長を2度(1985年・1993年)務めた。1991年5月に広島県沖美町商工会長に就任し1998年11月の広島県沖美町長選挙で現職を破り第5代広島県沖美町長となる。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
石塚 輝雄(いしづか てるお、1928年(昭和3年) 3月1… 石塚 輝雄(いしづか てるお、1928年(昭和3年) 3月12日 - 2021年(令和3年)6月10日)は、日本の政治家。元東京都板橋区長。位階は正五位。旭日小綬章。 茨城県出身。1953年(昭和28年)中央大学法学部卒業。 1948年(昭和23年)東京都民生局総務課勤務、ついで杉並福祉事務所庶務課庶務係長、大田児童学園長、精神薄弱者更正相談所長、総務局行政部災害対策課長、総務局行政部指導課長、板橋区総務部長、総務局同和対策部長、中央卸売市場管理部長、総務局理事を歴任し、1979年(昭和54年)板橋区助役に就任。1991年(平成3年)同区長に就任した。2007年(平成19年)引退。同年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022… 渡辺 貢(わたなべ みつぐ、1928年3月4日 - 2022年6月12日)は日本の官僚、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日朝協会代表理事、埼玉中央医療生協顧問、日本共産党埼玉県副委員長。 東京都出身。中央大学法学部を卒業後、大蔵省事務官を経て1979年の衆院選で埼玉1区から出馬し初当選を果たす。以後1980年の衆院選でも再選されるが、1983年の衆院選で次点に終わり、その後返り咲きはできなかった。 議員在任中の1982年2月25日、衆院予算委員会にて中曽根康弘行政管理庁長官(当時)が1980年の総選挙に際し、富士通や日立製作所から違法献金を受け取っていたことを明らかにした。 2022年6月12日、埼玉県内の病院で死去。
吉田 三郎 (よしだ さぶろう、1928年1月25日 - 2… 吉田 三郎 (よしだ さぶろう、1928年1月25日 - 2014年6月19日)は、日本の政治家、税理士。東京都東久留米市長(2期)。 1928年、茨城県に生まれる。 1953年、中央大学法学部卒。吉田税務会計事務所の初代所長になり、事務所を吉祥寺から東久留米市へ移転させる。 前市長の辞職に伴い実施された選挙で、ほかの新人2人を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:68,866人 最終投票率:47.53%(前回比:-1.94pts) 自民党、公明党、民社党の推薦を得て、共産党推薦の新人を大差で破って、再選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:38.68%(前回比:-8.85pts) 1990年の市長選挙には立候補しなかった。
佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 199… 佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 1991年4月17日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)・衆議院議員(6期)。新潟県中蒲原郡亀田町(現新潟市)出身。東京農業大学卒業。従三位勲一等瑞宝章。父は衆議院議員・参議院議員と務めた佐藤芳男、子は新潟県議会議員の佐藤純。
松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 201… 松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 2012年2月21日)は、日本の官僚、政治家。第18代~23代千葉市長(在任期間 1977年 - 2001年(六期))。北海道旭川市生まれ、広島県広島市育ち。
藤原 哲太郎(ふじわら てつたろう、1927年11月10日 … 藤原 哲太郎(ふじわら てつたろう、1927年11月10日 - 2016年2月28日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員(1期)。杉並区議の木梨盛祥は甥。 静岡県出身。1955年中央大学経済学部修了。日本社会党に入り、党職員を務めた後、民主社会党に転じる。民社党都議会議員を経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に東京都第4区から民社党公認で立候補して当選。1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選した。 政界引退後、財団法人東京都軟式野球連盟のちの公益財団法人東京都軟式野球連盟副会長を経て顧問。荻窪中央町会長、杉並区軟式野球連盟会長、杉並区体育協会会長に就任。荻窪青少年育成委員会会長にも就任し、荻窪少年野球大会を通じて青少年の健全育成に尽力したため、藤原哲太郎の名前を末永く継承すべく、平成28年までに2度にわたり荻窪地区少年野球大会では小学生高学年の部の優勝トロフィーとして、「藤原哲太郎杯」が贈呈されている。
安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1… 安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1994年2月2日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 富山県富山市出身。中央大学法学部卒。1948年富山重工労組書記長、1951年富山県労協オルグ、1961年富山県労協組織部長、1966年全国一般富山地本委員長、翌年全国一般中執、1972年同副委員長を経て、1979年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、4期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退する。 1994年2月2日。死去。66歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月2… 塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉5月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。 愛知県名古屋市に製材所を営む家の三男として生まれる。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)から中央大学法学部に進み、中大では辞達学会(弁論部)で活動した。 中大卒業後まもなく運輸省で鉄道員として勤務、国鉄労働組合の結成にも関わり一時期本省への出向も経験した。運輸省退職後は家具製造卸業を営みつつ日本農民組合中央委員を歴任、1952年の総選挙・1953年の総選挙に無所属で19
浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月2… 浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。 岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。
奥山 則男(おくやま のりお、1926年 <大正15年> 8… 奥山 則男(おくやま のりお、1926年 <大正15年> 8月29日 - 2016年 <平成28年> 4月29日)は日本の政治家。練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(8期)、第34代東京都議会議長を歴任した。位階は正五位。 1926年8月29日、山形県新庄市に生まれる。東京学芸大学卒業後、1950年、中央大学経済学部卒業し、日本経済新聞社に入社する。営業部長を経て、1963年に練馬区議会議員に当選し、2期6年務める。1964年、広放社を設立し、代表となる。1971年4月11日の東京都議会議員補欠選挙に練馬区選挙区から立候補し、初当選する。都議会では、公害首都整備委員会委員長(1974年、1975年から1976年)、都市計画公害委員会委員長(1976年)、予算特別委員会委員長(1983年)、東京都監察委員(1983年から1984年)、全都道府県監察委員協議会連合会会長(1983年から1984年)、都議会自民党幹事長(1985年から1986年)、議会運営委員会委員長(1985年から1986年)を歴任した。
榎本 和平(えのもと わへい、1926年6月23日 - 20… 榎本 和平(えのもと わへい、1926年6月23日 - 2006年4月24日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。1996年勲三等旭日中綬章。2006年従五位。 山形県天童市出身。中央大学経済学部卒業後、山形新聞に入社。整理部記者などを歴任。木村武雄秘書を経て、山形県議会議員を4期務め、自民党県連幹事長、県議会副議長等を担った。 1983年の衆議院議員総選挙山形1区で木村武雄の後継として田中角栄派(木曜クラブ)から出馬。67300票を獲得し初当選。 1985年1月27日、竹下登は田中に「若手といっしょに勉強会をやりたい」と告げた。田中は「いいだろう」と答え、竹下らは翌日から入会勧誘を開始した。
土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月3… 土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官(第11代)、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党最高顧問、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 土屋家は大工を営んでおり、父・澄男は家業から技術を習得し、内務省技師として茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)に赴任していた頃に義彦が生まれた。次弟は昭二(大正製薬会長)、三弟は祐三。 義彦が6歳の時に父が急性肺炎で死去。母・初江は義彦らを残して家を去ったため、義彦と祐三は東京府北豊島郡高田町(現:東京都豊島区高田)で大工を自営していた父方の祖父母である土屋仁作・たつも夫妻に引き取られた。
大川 清幸(おおかわ せいこう、1925年〈大正14年〉11… 大川 清幸(おおかわ せいこう、1925年〈大正14年〉11月6日 - 2014年〈平成26年〉12月18日)は、日本の政治家。 墨田区議会議員(1期)、東京都議会議員(5期)、参議院議員(1期)、参議院法務委員長、参議院協会副会長、公明党顧問などを歴任した。 東京都墨田区の下町に生まれる。実家は日本酒やビール、焼酎、洋酒などを扱う酒屋を営んでいた。旧海軍甲種飛行予科練習生(14期前期)を経て、1949年3月に中央大学商学科を卒業。1952年3月には中央大学経済学部を卒業する。創価学会が初めて政界に進出した1955年の第3回統一地方選挙では、杉並区議会議員選挙における藤原行正の選挙スタッフとして活動した。
石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月… 石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月23日 - 2019年(令和元年)11月19日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。松江市長。 島根県松江市出身。中央大学法学部卒。1945年、松江市役所に入る。総務部長を経て、助役に就任する。1986年松江市総合文化センター館長になる。1989年の松江市長選挙に立候補して当選する。1993年の市長選挙で再選を目指したが、宮岡寿雄に敗れた。2011年、旭日双光章受章。 2019年11月19日、内臓疾患のため自宅で死去。94歳没。死没日をもって正六位に叙される。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年… 村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年9月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期)。 長野県南信濃村(現飯田市)出身。大学入学資格検定を経て1954年中央大学法学部卒業。1949年から長野県下伊那地方事務所に勤務。1954年神稲(くましろ)森林組合常任理事となり、1963年長野県議会に初当選し、以後3期務めた。1975年社会党長野県本部書記長を経て、1977年第11回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で初当選。予算委員、農業水産委員各理事、災害対策特別委員長などを歴任。 1992年社会党シャドーキャビネットでは農水相(後任は辻一彦)。1993年8月細川内閣で農水政務次官就任したが同年12月コメ自由化に反対し辞任。
板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日… 板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属参議院議員。日本遺族会顧問。日本会議代表委員。板垣征四郎の次男。
金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月… 金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月3日 - 2016年2月1日)は、大韓民国の検察官、弁護士、政治家。第5・9・15代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。仏教徒。元国会議員の金光俊は兄、呉俊碩は妹の夫。元韓国住宅金融公社社長の金璟浩は息子、元大韓医師協会会長の秋武辰は娘婿。また、元公報処次官・青瓦台政務首席秘書官の李源宗のおばの夫である。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海邑出身。1943年中央大学予科卒。1944年満洲国高等考試司法科合格、1945年朝鮮弁護士試験合格。1946年京城帝国大学法文学部(現・ソウル大学校法科大学)卒。司法要員養成所修了。