朴 容万(パク・ヨンマン、朝鮮語: 박용만/朴容萬、1924… 朴 容万(パク・ヨンマン、朝鮮語: 박용만/朴容萬、1924年3月15日 - 1996年10月19日)は、大韓民国の政治家。第9・10・12・13代大韓民国国会議員。本貫は密陽朴氏。号は嶺岩(ヨンアム、영암/嶺岩)。 日本統治時代の慶尚北道豊基郡(現・栄州市)に生まれた。1942年、金泉高を卒業後に内地に渡り、1944年に中央大学専門部法科を卒業した。1945年に早稲田大学文学部英文学科を中退し、翌年にソウル大学校文理科大学に編入し、1949年に卒業。 光復後、ソウルで留学生同盟本部委員長を務め、1946年7月に李哲承などと共に全国学生総連盟を組織し、共同議長を務めた。反共・反託闘争を通じて李承晩の信任を得たため、その後は李の大統領秘書官を務めた。
矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 -2017… 矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 -2017年3月27日)は、日本の政治家。元衆議院議員・参議院議員。日本社会党中央執行委員教宣局長、衆議院石炭対策特別委員長、参議院社会労働委員長を務めた。 岡山県津山市小桁に生まれる。旧制岡山県津山商業学校(現・岡山県立津山商業高等学校)を経て、1949年中央大学法学部卒業、会計検査院事務官となる。1951年に退職後、津山市議会議員を1期、岡山県議会議員を2期務めた。1962年の第6回参議院議員通常選挙に岡山県選挙区から出馬し、トップ当選。参議院社会労働委員長などを歴任し、2期務めた。その後1976年の第34回衆議院議員総選挙に黒田寿男の後継として出馬し、当選した。
工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 198… 工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 1989年3月22日)は、日本の政治家。元青森市長(3期、当選は4回)。 青森県青森市出身。1948年、中央大学法学部卒業。同年、青森県庁に入庁し、2年後の1950年総理府に転じ、事務官となった。その後1961年に栃木県庁に勤務。1965年に自治省に出向した。翌1966年、青森県庁に復帰し、税務課長、総務部次長などを歴任し、1972年八戸市助役に就任し1975年まで務めた。退任後は保護司となった。 1975年、青森市長選挙に立候補するも落選。 1979年、青森市長選挙に再挑戦し初当選した。 1983年、再選。1984年、青森総合流通団地詐欺事件にからみ、助役が受託収賄容疑で逮捕される。
植木 公(うえき ただし、1923年(大正12年)10月11… 植木 公(うえき ただし、1923年(大正12年)10月11日 - 2005年(平成17年)7月14日)は、日本の政治家。高田市議会議員(5期)、上越市議会議員(1期)、上越市長(5期)。勲等は勲三等瑞宝章。位階は従四位。 新潟県出身。1948年、中央大学法学部卒。卒業後はブレート工場を経営した。その傍ら、中頸城郡連合青年団長、新潟県細巾織物協同組合理事などを務めた。1955年、高田市議会議員に当選、5期務め、副議長を務めた。1971年、高田市は直江津市と合併して上越市が誕生。上越市議会議員となり、議長に就任した。1973年12月に初代上越市長(旧・高田市長)の小山元一が死去。これに伴う翌1974年2月の市長選挙で当選、5期務めた。
川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 19… 川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 1986年12月30日)は日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の… 小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の政治家。元民社党衆議院議員(1期)。 千葉県出身。1944年中央大学専門部経済学科卒。同年日本発送電入社。戦後、東京電力に入り、同社労組役員を経て、全日本労働総同盟副書記長、同政治福祉局長などを務める。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で神奈川2区から曾禰益の後継者として民社党公認で立候補したが落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙でも落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選し、衆議院議員を1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1987年・1989年(リクルート事件に伴う革新系現職辞任による選挙)二度の川崎市長選で県議経験者の新人永井英慈(民社、自民、進歩の各党推薦)を全面的支援するも永井は落選。
金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、192… 金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、1923年 - 1953年5月27日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 忠清南道大徳郡出身。中央大学法科卒。大韓青年団大徳郡団長のほか、東国大学(現・東国大学校)で講師を務めた。1950年の第2代総選挙に大徳選挙区から無所属で出馬して当選し、国会においては1951年3月9日から同年12月19日まで、また1952年1月24日から同年12月19日まで国会国防委員会委員長を務めた。 しかし、1953年5月27日に影島の自宅で急死した。5月26日に遊説を終えて自宅に戻り、就寝中に「手足が少し痛い」と言い、次に目を覚ました時にはすでに死去していたと妻は述べている。
朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 -… 朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 - 2013年11月11日)は、大韓民国の外交官、国会議員。民主正義党に所属した。本貫は密陽朴氏。 大邱府出身。大邱高等普通学校と日本の中央大学を卒業。 総理秘書、大統領秘書を経て、1951年に外務部に入省。儀典局長、駐イギリス参事官、外務部次官、駐ベトナム大使、駐ブラジル大使、駐ジュネーブ大使、国連大使、外務部長官(1975年-1980年)、国会議員(1981年-1985年)、国土統一院長官(1985年-1986年)、駐アメリカ大使(1988年-1991年)、韓国電力公社理事長、韓国外交協会会長を務めた。 2013年11月11日、京畿道龍仁市の病院にて老衰により死去。
内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 200… 内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 2005年8月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。建設大臣(第46代)、国土庁長官(第17代)、衆議院議員(9期)。 関東州(現在の中国東北部)大連市に生まれる。私立豊山中学校(現日本大学豊山中学校)を経て、中央大学法学部に入学。1944年、大学在学中に学徒出陣となり、海軍の特攻隊に配属される。復員後、住宅営団勤務を経て、衆議院議員だった父内海安吉の秘書となる。 1967年1月、健康不安のため引退を決意した安吉の後継者として旧宮城2区から自由民主党公認で衆院選に立候補し、初当選。自民党では当初、船田派に所属。1979年の第35回衆議院議員総選挙の後、田中派に移り、同派幹部田村元の側近となる。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 19… 佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 1996年3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員・参議院議員を歴任した佐藤公治の父親。 衆議院議員(9期)、農林水産大臣(第8代)、国土庁長官(第20代)、北海道開発庁長官(第60代)、沖縄開発庁長官(第29代)を歴任。 広島県御調郡向島町(現尾道市)出身。尾道商業学校、1947年中央大学法学部英法科卒業。 運輸大臣を務めた永野護の秘書を長く務め、1960年の第29回衆議院議員総選挙に無所属で立候補するが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で自由民主党公認を得て、再び広島3区から立候補し初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
崔 沢元(チェ・テグォン、최택원、1921年12月23日 -… 崔 沢元(チェ・テグォン、최택원、1921年12月23日 - 1995年3月14日)は、大韓民国の軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第四共和国体制で第13代総務処次官。 新義州出身。1943年、日本中央大学卒業。 警備士官学校5期卒業。 在日米軍で研修中に朝鮮戦争開戦を迎え、龍門山の戦いに参加。同年、陸軍大学を経て渡米留学し、米陸軍歩兵学校を卒業。第38師団長、第26師団長、第3師団長等を歴任し、陸軍本部作戦参謀副長で予備役編入後、総務処次官。朴正煕暗殺事件当時、国務会議招集責任者。12.12クーデター直後、行政改革委員長を務めた。 1995年3月14日、ソウル永登浦区汝矣島洞の自宅で老衰により死去した。
古性 直(ふるしょう ただし、1921年(大正10年)12月… 古性 直(ふるしょう ただし、1921年(大正10年)12月17日 - 2000年(平成12年)8月21日)は、日本の政治家。元東京都足立区長。 のちの東京都足立区出身。1941年(昭和16年)青山師範本科二部を卒業する。1967年(昭和42年)足立区議会議員に当選し3期務め、同議長を歴任した。1978年(昭和53年)足立区助役となり、1980年(昭和55年)より同区長に4選した。1997年、勲三等瑞宝章受章。叙正五位。
大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1… 大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1993年4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期、新自由クラブ)。 埼玉県北足立郡三橋村(のち大宮市、現・さいたま市)出身。浦和商業学校(現埼玉県立浦和商業高等学校)を経て、中央大学専門部経済科中退。国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)に入るが、間もなく召集され、陸軍中尉で終戦を迎える。終戦後は大宮工場に復帰し、同工場の労働組合の書記長になり、日本社会党に入る。1947年、大宮市議会議員に当選し、2期務める。その後、労働組合を脱退し、社会党を離党し、衆議院議員福永健司の秘書になる。1959年、埼玉県議会議員に当選し、3期務め、同議長となる。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月… 小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月13日 - 2001年(平成13年)6月18日)は、日本の政治家、宗教家。参議院議員(4期)。 長野県生まれ。1936年、高等科2年を卒業、造り酒屋に奉公、1937年愛知県名古屋市で水道局に勤める傍ら、夜学に通い、中学卒業検定試験に合格。1941年(昭和16年)春、上京し、中央大学に通う。 同年秋、時習学館の新聞の講師求人広告に応募し、創価教育学会の牧口常三郎に出会い、入会する。その後、学徒出陣で、徴兵検査を受け、入隊、終戦を迎える。 戦後、復員すると、創価教育学会から名前を改めた創価学会で、教学部長、機関誌『大白蓮華』編集長などを歴任。
李 鍾寿(イ・ジョンス、朝鮮語: 이종수/李鍾壽、1921年… 李 鍾寿(イ・ジョンス、朝鮮語: 이종수/李鍾壽、1921年3月7日 - 2015年5月24日)は、大韓民国の実業家、政治家。第2・3・4代韓国国会議員。 本貫は慶州李氏、号は芝圃。キリスト教徒。 日本統治時代の慶尚南道金海郡(現・金海市)出身。ソウル培材高等学校を経て、1943年中央大学法科卒。韓青団長、朝鮮農具製作所経営者、釜山明仁学院理事長、東亜学塾監事、三豊産業株式会社社長、金海乙選挙区選出の自由党所属の国会議員3期、国会財政経済委員会幹事・交通逓信分科委員会委員長、慶州李氏中央花樹会副会長・諮問委員、大韓民国憲政会元老諮問委員・副会長・理事・元老会議副議長、ノジャン育成中央連合会諮問委員、第3代国会議員親睦会会長などを務めた。
金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月… 金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月5日 - 1991年1月31日)は、大韓民国の官僚、政治家。第5代韓国国会議員。 慶南南海出身。中央大学法科3年卒業。総務処事務官、国務院事務処書記官・人事課長・総務課長、重機工業協同組合理事などを務めた。崔致煥の公民権制限による1961年の第5代総選挙の補欠選挙で当選し、国会議員を務めた。 第5代議員当選後すぐに発生した5・16軍事クーデターにより3日間しか在籍できず、議員宣誓もできなかった。
北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月1… 北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月13日 - 2023年〈令和5年〉3月12日)は、日本の政治家。位階は従四位。元東京都北区長。 東京府東京市王子区(現在の東京都北区)出身。 1950年(昭和25年)中央大学法学部を卒業する。 東京府北区に奉職し、同区立図書館長、教育委員会社会教育課長、財政課長、総務課長、総務部長、助役を歴任した。 1983年(昭和58年)北区長に就任、2003年(平成15年)まで5期20年務める。 2023年(令和5年)3月12日に死去。102歳没。日本政府は没日付にて従四位に追叙した。
後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月… 後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月12日 - 2007年(平成19年)11月1日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し、東京都武蔵野市議会議員・副議長、第2代武蔵野市長を歴任した。1960年代から1970年代にかけて日本各地に多く誕生した革新系首長の一人である。 1920年(大正9年)9月12日、東京府北多摩郡武蔵野村(のちの東京都武蔵野市)に生まれる。 1943年(昭和18年)8月、中央大学法学部を中退。終戦時には第三〇二海軍航空隊に中尉として所属し、厚木航空隊事件に際しては上官の小園安名大佐の命により「抗戦の使者」として谷田部海軍航空隊へ駆り出されたものの、同隊の説得を断念している。
趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月2… 趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月28日 - 1965年9月19日)は、大韓民国の政治家。第4・5代韓国国会議員。 日本統治時代の慶尚南道東萊郡(現・釜山広域市東萊区一帯)出身。中央大学法科中退あるいは卒業。 日本留学中に三星党組織事件により7回も検挙され、拷問を受けた。光復後は亡くなった李奉昌、尹奉吉、白貞基の遺骨を本国に奉安する使命で帰国し、申翼熙と会った後に民主国民党の発起人を務めた。同党中央執行委員および慶尚南道党企画部長・組織部長・青年指導部長を経て、民主党発起人・中央委員・釜山西区党委員長・政策委員、国会国防委員を務めた。 1965年1月に民主党院外政策委員に選出されたが、同年9月19日に持病により自宅で死去した。
脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ … 脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ 1997年(平成9年)12月12日)は、日本の政治家。1971年から1995年までの6期24年にわたり高松市長を務めた。日本社会党県副委員長、全国革新市長会会長などを歴任。高松市名誉市民。 高松市出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て中央大学法学部を卒業。戦後は帰郷し、同郷の成田知巳(後の日本社会党委員長)の秘書を16年間務める。 前市長・三宅徳三郎の1期限りでの引退表明を受け行われた1971年の高松市長選挙に、社会党と共産党の推薦を受け立候補。自身としては3回目の挑戦であったが、当時全国各地で革新自治体が誕生していたことや、保守陣営が分裂したことも手伝い初当選。
安 東濬(アン・ドンジュン、朝鮮語: 안동준、1919年5月… 安 東濬(アン・ドンジュン、朝鮮語: 안동준、1919年5月15日 - 2010年11月16日)は、大韓民国の陸軍軍人、政治家、教育者。陸軍大領、第3・5・6・7代韓国国会議員、国際観光公社(現・韓国観光公社)総裁などを歴任した。 本貫は順興安氏(朝鮮語版)、号は中山(チュンサン、중산)。儒教の信者。 日本統治時代の忠清北道槐山郡出身。牧渡公立普通学校(現・牧渡初等学校(朝鮮語版))、清州公立農業学校(現・清州教育大学校)を経て、1942年中央大学法科卒。1944年中央大学大学院研究科修了。1948年陸軍士官学校第7期卒。1949年陸軍参謀学校、1952年陸軍大学、1953年アメリカ合衆国陸軍歩兵学校卒。
鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919… 鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国の政治家、検察官、弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。 本貫は延日鄭氏(朝鮮語版)。資産家の鄭雲漢は父、第4代国会議員の鄭南沢は兄、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家の鄭春沢も兄弟である。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁(朝鮮語版)検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した。
瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 200… 瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 2008年12月16日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員。元参議院副議長。正三位勲一等旭日大綬章。 東京府に生まれ、1931年、中央大学法学部卒業後、鉄道省に就職。戦後国鉄労働組合(国労)の結成に参加し反共連盟→民主化同盟で活動、埼玉県国営企業体等労働組合協議会議長を歴任した。 大沢雄一の辞職(第29回衆議院議員総選挙出馬)に伴う1960年11月の参議院議員補欠選挙(第29回衆議院議員総選挙と同日)に埼玉県地方区(1983年の参院選より埼玉県選挙区)から社会党公認で出馬し落選するも、1962年7月参院選に同区より再び社会党公認で出馬し当選、以後連続6期務める。
村上 茂利(むらかみ しげとし、1918年11月9日 - 1… 村上 茂利(むらかみ しげとし、1918年11月9日 - 1989年11月20日)は、日本の政治家。自由民主党所属衆議院議員(3期)。福田派。
別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月2… 別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月25日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 石川県石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石)で生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1942年(昭和17年)中央大学経済学部を卒業した。全国農業会産業組合中央会職員となり太平洋戦争に出征した。 1946年(昭和21年)石川県農業会に入り、以後、石川県農業協同組合中央会参事、同常務理事、同県信用農業協同組合連合会理事、同経済農業協同組合連合会理事、同共済農業協同組合連合会理事などを務めた。 1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で石川県第1区から自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
戸井田 三郎(といだ さぶろう、1918年6月12日 - 1… 戸井田 三郎(といだ さぶろう、1918年6月12日 - 1996年10月13日)は、日本の政治家。衆議院議員。長男は元衆議院議員の戸井田徹。東京都出身。従三位勲一等瑞宝章。
稲葉 誠一(いなば せいいち、1918年(大正7年)3月3日… 稲葉 誠一(いなば せいいち、1918年(大正7年)3月3日 - 1996年(平成8年)5月4日)は、昭和から平成初期の弁護士、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 東京都新宿区出身。1941年(昭和16年)中央大学専門部法科を卒業。高等試験司法科に合格し、司法官試補に任官後、大阪・東京・宇都宮地検の検事を経て1947年(昭和22年)に退官、弁護士になる。 日本社会党に入党。同党栃木県本部書記長、同委員長を務め、1955年(昭和30年)栃木県議会議員選挙に当選し2期在任した。1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙に栃木県地方区から社会党公認で当選した。1968年(昭和43年)第8回通常選挙で落選。
広瀬 秀吉(廣瀬 秀吉、ひろせ ひでよし、1918年〈大正7… 広瀬 秀吉(廣瀬 秀吉、ひろせ ひでよし、1918年〈大正7年〉2月2日 - 2011年〈平成23年〉10月17日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(9期)、社民党栃木県連合常任顧問。 栃木県、現在の真岡市出身。 1941年、中央大学法学部卒業。その後、南満州鉄道に勤務、前橋予備士官学校卒業などを経る。 1946年、日本国有鉄道に勤務。国鉄労働組合の専従役員なども務めた。 1958年の総選挙で旧栃木1区から日本社会党公認で立候補するも落選。1960年の総選挙で初当選した。その後、1963年の総選挙では落選したが、1967年の総選挙から通算9期務めた。1990年の総選挙には立候補せず退いた。
朴 商黙(パク・サンムク、朝鮮語: 박상묵/朴商默、1917… 朴 商黙(パク・サンムク、朝鮮語: 박상묵/朴商默、1917年11月9日 - 1983年7月28日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第5代韓国国会議員。 日本統治時代の京畿道華城郡(現・華城市)出身。京城徽文高等普通学校、中央大学法学部卒。京城新聞・国都新聞・自由新聞・大公新聞記者、自由新報編集部次長、商工日報・産業経済新聞編集部長など20年間マスコミ業界で活動したのち政界に進出し、民主党華城郡党委員長、無所属の第5代国会議員、国会国防委員を務めた。 1983年7月28日、ソウル市麻浦区の自宅で肺癌により死去。享年67または68。
李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月… 李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月12日または9月13日 - 2005年9月30日)は、大韓民国の政治家、弁護士。第2・3・5・6・9・10代大韓民国国会議員。 本貫は陽城李氏。元駐チェコ大使の全海鎮と法務法人「中央」代表弁護士、元国会議員の李泛来は娘婿。 日本統治時代の忠清北道鎮川郡に生まれた。中央大学1年修了、大同学院卒業。1943年に日本の高等文官試験行政科に合格した。清州商科大学の講師と忠清北道人事処長代理を務めた後、第2代総選挙に無所属で立候補して当選し、民議員(国会議員)となった。その後も5度議員を務めた。国会議員在任中に予算決算委員長を4回務めたほか、民主党政策委副委員長、民衆党忠北第7地区党委員長、アジア国会議員連合第2回総会韓国代表、民衆党政策審議会議長・運営委員、新民党政務委員・政策審議会議長・全党大会議長・総裁権限代行・最高委員などを歴任した。
洪 範憙(ホン・ボミ、朝鮮語: 홍범희、1917年6月8日ま… 洪 範憙(ホン・ボミ、朝鮮語: 홍범희、1917年6月8日または6月18日 - 1972年2月27日または2月28日)は、大韓民国の官僚、政治家、教育者。槐山郡郡守、内務部次官、制憲・第4代韓国国会議員。 本貫は豊山洪氏(朝鮮語版)。号は逸谷。漢字表記は洪範熹とも。 日本統治時代の江原道原州郡または慶尚北道善山郡出身。京城京北中学校を経て、1935年に京城第二高普、1937年に普成専門学校法科、1941年に中央大学法学部卒。1945年に高等文官試験行政科に合格した後、1946年に原州に育民館を設立し、館長を務めた。朝鮮食糧営団忠清北道支部勤務を経て、1948年の初代総選挙で国会議員に当選し、国会交通逓信委員会常任委員会で活動した。
柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 20… 柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 2003年12月21日)は、日本の政治家。長野県篠ノ井市長。長野県議会議員(8期、自由民主党)。 長野県更級郡栄村(現長野市)出身、旧制屋代中学を経て、昭和13年(1938年)中央大学専門部法科中途退学。同23年(1948年)篠ノ井町役場収入役、同29年(1954年)助役、同33年(1958年)町長を歴任し、同34年(1959年)市制施行に伴い篠ノ井市長となる。 在任中は長野市等との2市6町村合併を推進し、昭和41年(1966年)退任、翌年(1967年)から長野県議会議員(自由民主党)、同63年(1988年)議長。平成11年(1999年)政界を引退した。
名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18… 名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。 青森県青森市生まれ。名尾良辰の四男。1921年に浦和に移り、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業。 戦後に弁護士を開業する。1959年、埼玉県議会議員に当選。以来連続6期在任する。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12… 文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12月25日 - 1987年8月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 本貫は南平文氏(朝鮮語版)。号は悟耕。 日本統治時代の慶尚北道漆谷郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校(朝鮮語版))、中央大学法科卒。大邱市学務課長署理、慶尚北道知事官房、人事審査院慶尚北道高試課長、金泉中学期成会会長、慶尚北道理事官・教育委員、金泉時報社長、金泉商工会議所会長、金泉新聞記者団団長、民主共和党慶尚北道金泉地区党委員長・中央常任委員を務めた。 晩年は尹奉吉義士義挙55周年記念事業推進会副会長を務めた。
安 峻錡(アン・ジュンギ、朝鮮語: 안준기、1916年11月… 安 峻錡(アン・ジュンギ、朝鮮語: 안준기、1916年11月3日 - 1995年6月28日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第3代韓国国会議員を務めた。 釜山出身。日本大学専門部法律科、中央大学法学部卒。普通文官試験合格。釜山弁護士副会長・会長、釜山地方法院調整委員、交通部法律顧問、国民会慶南本部副会長、大韓造船公社監事を経て、1955年の第3代国会議員の補欠選挙で自由党の候補として当選し、自由党慶南道党副委員長、李龍範の顧問などを務めた。 野次をよく飛ばす議員として知られる。
金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月2… 金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月28日 - 1991年6月3日)は、満洲国および大韓民国の検察官、政治家、弁護士。第11代韓国国会議員。 慶北大邱出身。中央大学法学科卒。高等文官試験司法科合格。新京地方検察庁検察官、京城地方法院甕津支庁長、大邱地方検察庁部長検事・次長検事、全州地方検察庁・大邱高等検察庁次長検事、春川地方検察庁・大田地方検察庁・大邱地方検察庁検事長、統一主体国民会議運営委員、国家保衛立法会議議員・政治関係法特別委員長、民主正義党創党発起人、韓日議員連盟法的地位特別委員長、弁護士を務めた。
久保 等(くぼ ひとし、1916年〈大正5年〉10月6日 -… 久保 等(くぼ ひとし、1916年〈大正5年〉10月6日 - 2002年〈平成14年〉6月15日)は、日本の政治家。 日本社会党所属の衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、衆議院永年在職議員。 香川県綾歌郡生まれ。1941年、中央大学法学部卒業。 1953年、全電通労組(現NTT労組)初代委員長を経て、第3回参議院議員通常選挙全国区当選。1958年、参議院社会労働委員長。 1968年、参議院逓信委員長。1972年、衆議院に鞍替え出馬して第33回衆議院議員総選挙香川2区当選。1977年、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員長。 1983年、第37回衆議院議員総選挙で加藤常太郎に309票差で敗れ落選。
金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月2… 金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月25日 - 2001年3月25日)は、大韓民国の政治家、実業家。第6・7・9・10韓国国会議員。第7・8代大韓民国憲政会会長。 慶尚南道巨済島の巨済面明珍里またはソウル生まれ。中央大学法学部卒業。朝鮮金融組合連合会理事、韓国輸出産業公団社長、農業銀行常任取締役、韓国経済人協会常勤副委員長、事務局長などを務めた。時期は不明だが民主共和党に入党し、同党慶南第4地区党委員長・政策委副議長・政策研究室長・慶南道党党務協議会委員長などを務めた。1963年の第6代総選挙に同党の公認で立候補して初当選し、国会では農林委員長、予決委員長、維新政友会副議長、韓日協力委員会事務総長などを務めた。
加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月2… 加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月21日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。 岡山県知事(公選第6・7代)、自治大臣(第26代)、国家公安委員会委員長(第35代)、北海道開発庁長官(第40代)、参議院議員(5期)。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 弟に農林水産大臣の加藤六月、次男に自由民主党参議院議員の加藤紀文、義理の甥に自由民主党衆議院議員の加藤勝信、義理の兄に渡辺武次郎がいる。 岡山県笠岡市出身。旧制中央大学法学部を経て、内務省入省。1950年の参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し初当選、当時の最年少参院議員だった。保守合同後、自由民主党に移り通算当選5回。
金 光俊(キム・グァンジュン、朝鮮語: 김광준、1915年1… 金 光俊(キム・グァンジュン、朝鮮語: 김광준、1915年11月15日 - 1971年2月24日または3月)は、大韓民国の警察公務員(警監)、政治家、弁護士。第3代春川警察署長、制憲・第2・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。元国会議員の金命潤は弟、呉俊碩は妹の夫。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海出身。中央大学専門部法科卒。朝鮮弁護士試験合格、総督府普通文官試験合格、日本高等文官試験司法科・行政科合格。全羅南道道属・警務課長、第3代春川警察署長(1946年7月18日~1947年10月25日)、弁護士、無所属の国会議員、国会内務治安委員、憲法起草委員、高試司法行政両科委員、自由党党員、民主党所属の国会議員、民政党結党全党大会副議長を務めた。
鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、… 鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、1915年9月23日 - 1999年5月21日)は、大韓民国の実業家、教育者、政治家。交通部長官、国務院事務処長、第2・4・5・8・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。金大中夫人李姫鎬の甥の1人は娘婿である。 慶尚南道固城郡出身。1935年徽文高等普通学校(現・徽文高等学校(朝鮮語版))卒、1941年中央大学法学部卒。中央大学同窓会委員長に選ばれたことがきっかけに独立運動を展開したが、検挙され投獄された。出獄後は朝鮮陶器社長、大韓独立促成国民会副支部長、釜山韓洋貿易株式会社社長、三千浦中学校(朝鮮語版)・三千浦女子中学校校長(1948年〜1950年)、南陽学園理事長(1951年)、第2代国会憲法起草委員会委員・法制司法委員会常任委員・国防委員会常任委員、第4代国会内閣責任制改憲案起草特別委員会委員長、第二共和国憲法起草委員長、民主党慶尚南道党副委員長・泗川郡党委員長・中央常務委員・政策委員、民主党張勉内閣の交通部(現・国土交通部)長官(通算第10代、1960年8月~9月)、第10代国務院事務処長(1960年9月12日~1961年5月18日)、新民党慶尚南道党委員長、民主党政策審議会議長、新民党政務委員・政策審議委員会議長・選挙対策本部次長兼企画室長・党務委員、第28回UN総会韓国代表、第61回IPU韓国代表理事、新民党全党大会議長(1976年)、民主化推進協議会指導委員(1985年〜1988年1月)を務めた。
金 濬泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김준태、1915年9月5… 金 濬泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김준태、1915年9月5日 - 1987年10月1日または10月4日)は、満洲国および大韓民国の検察官、官僚、弁護士、政治家。第2・5・6代韓国国会議員。 慶尚北道清道郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校)、満州新京大同学院卒。中央大学法律研究所修了。1939年朝鮮弁護士予備試験合格、1943年高等文官試験司法科合格、その後満洲国国務院事務局で勤務した。弁護士として23年活動したほか、1948年に大邱地方検察庁検事、1958年に民主党清道郡党委員長・監察部長、1960年に民主党院内副総務・監察委員長・院内対策委員会委員、1961年に張勉第2次改造内閣の復興部政務次官、1963年に自由民主党結党発起準備委員会メンバー・同党政策委員、同年末からは民主共和党党務委員・院内副総務・中央常任委員・絶糧危機克服委員長・党紀委員を務めた。
具 喆会(ク・チョルェ、朝鮮語: 구철회/具喆會、1915年… 具 喆会(ク・チョルェ、朝鮮語: 구철회/具喆會、1915年7月26日または1918年 - 1965年1月27日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第4代韓国国会議員。本貫は綾城具氏。 日本統治時代の京畿道水原出身。本籍地はソウル。中央大学予科、立教大学文学部卒。日本統治時代には抗日闘争により3年間投獄された。解放後は漢城日報政治経済部長、民衆日報幹部、水原新聞社社長、政界春秋社社長、国際ニュース社社長、自由新聞社常務取締役を務めた。政界入りした後は民主党中央委員・宣伝部次長・龍仁郡党委員長・京畿道党副委員長を歴任し、1958年の第4代総選挙で民主党の候補として龍仁郡選挙区から当選したが、後は民主党を離党し自由党に移籍した。
大原 亨(おおはら とおる、 1915年7月25日 - 19… 大原 亨(おおはら とおる、 1915年7月25日 - 1990年4月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期、日本社会党)。 広島県豊田郡本郷町(現三原市)出身。1942年中央大学法学部卒。卒業後は読売新聞社に勤務する。戦後、小学校教員になり、広島県教職員組合委員長や日教組書記次長などを歴任。1952年の第25回衆議院議員総選挙に広島1区で左派社会党より立候補し落選。1955年の第27回衆議院議員総選挙でも落選した。1958年の第28回衆議院議員総選挙において日本社会党公認で立候補して当選。以後連続当選11回を数えた。 1975年2月に広島市長選に出馬し、落選している。 1990年1月の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界引退。
佐野 憲治(さの けんじ、1915年2月6日 - 1978年… 佐野 憲治(さの けんじ、1915年2月6日 - 1978年4月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。
朴 海禎(パク・ヘジョン、朝鮮語: 박해정/朴海禎、1915… 朴 海禎(パク・ヘジョン、朝鮮語: 박해정/朴海禎、1915年または1916年7月21日 - 1966年2月6日)は、大韓民国の警察官僚、政治家。元交通部長官、制憲・第3・4・5代韓国国会議員。本貫は密陽朴氏。 日本統治時代の慶尚北道慶山郡(現・慶山市)出身。大邱公立高等普通学校、大邱師範学校講習科、中央大学専門部・法学部卒。光復後は慶尚北道警察局総務課長、警察庁警察学校副校長、安東警察署長、順天地方警察署長、民主党創設メンバー・中央委員・政策委員・慶山郡党委員長、国会財経委員・予決委員、民主党政権の交通部長官を務めた。 1966年2月6日、ソウル市西大門区の自宅にて脳溢血により死去。享年51。
遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月3… 遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月30日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都文京区長。文京区名誉区民。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業後上京し、1933年(昭和8年)7月、東京市本郷区に奉職し、1939年(昭和14年)中央大学商学部二部を卒業した。戦時中は千葉県市川市国府台の高射砲隊にいた。のち文京区教育委員会学務課長、総務部長、助役を経て、1973年(昭和48年)12月、文京区長に就任した。1999年(平成11年)4月の任期満了まで6期24年務めた。この間、特別区長会会長を歴任した。ほか、特別区人事・厚生事務組合管理者、特別区協議会理事長を務めた。
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3… 足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。