玄 成秀(げん せいしゅう、1992年7月26日- )は、日… 玄 成秀(げん せいしゅう、1992年7月26日- )は、日本の経営者、農芸科学者。博士(農芸化学)。株式会社Agnaviの創業者で代表取締役。東京農業大学 総合研究所 客員准教授。 1992年、群馬県伊勢崎市生まれ。 全寮制の男子校である私立函館ラ・サール中学校・高等学校を卒業。東京農業大学に進学し、農芸化学を専攻、博士(農芸化学)を取得。在学中に、米国コーネル大学食品科学部へ留学した。大学院では、てんかん発作や過誤腫の形成、精神発達の遅延を伴う国指定難病「結節性硬化症」において、 原因タンパク質TSC2の安定化が必須アミノ酸メチオニンを介したメチル化修飾によって制御されることを明らかにした。
野呂 浩良(のろ ひろよし、土井 浩良、1980年(昭和55… 野呂 浩良(のろ ひろよし、土井 浩良、1980年(昭和55年)10月6日 - )は、日本の実業家、起業家。東京農業大学を卒業し、株式会社リクルートなど複数の企業を渡り歩き、2014年6月に個人事業主として独立。2015年に株式会社DIVE INTO CODE(株式会社ダイビック)を起業し、同社の代表取締役・Founder CEO。 神奈川県南足柄市で生誕。神奈川県立小田原高等学校を経て、2003年に東京農業大学を卒業。 29歳未経験からワークスアプリケーションズの問題解決能力発掘プログラムを突破し、「何でも考え抜けば実現できる思考」が開眼。独立・起業過程でエンジニア人材の不足を痛感し、プロのエンジニアになるために挑戦する人がチャンスをつかめる「DIVE INTO CODE」を創業。
笠岡 誠一(かさおか せいいち、1967年7月22日 - )… 笠岡 誠一(かさおか せいいち、1967年7月22日 - )は、日本の栄養学者、博士(農学)(愛媛大学)。文教大学健康栄養学部管理栄養学科教授。マネジメントエージェント キャスティングドクター所属。 1967年7月に広島県三原市で生まれて小学5年で埼玉県へ転居し、1986年にさいたま市立浦和高等学校、1991年に東京農業大学農学部栄養学科、それぞれを卒業する。1993年に東京農業大学大学院農学研究科食品栄養学専攻博士前期課程を修了し、1999年に愛媛大学大学院連合農学研究科で博士(農学)を授かる。1993年4月から2000年3月31日まで山之内製薬健康科学研究所研究員、2007年4月から2008年3月31日までアメリカ国立衛生研究所研究員、2014年4月から文教大学健康栄養学部管理栄養学科教授、2015年から理化学研究所客員研究員、それぞれ勤務する。
神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、… 神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手、大学教授。兄(昭夫・日立)と弟(勝利・NKK)は共にJSLでプレーした経験を持つ。 NKK在籍時まではフォワードであったが、1994年に移籍したセレッソ大阪で左サイドバックに転向。同年JFLのベストイレブンに選出される。アウトサイドのプレーヤーとして中盤でもプレーした。 1995年に新潟県出身者として初めて日本代表に選ばれ、1995年5月28日のキリンカップ・エクアドル代表戦で1キャップを記録。1998年より横浜F・マリノス、2000年よりアルビレックス新潟でプレーし、2003年をもって現役を引退した。
江口 文陽(えぐち ふみお、1965年 - )は、日本の農学… 江口 文陽(えぐち ふみお、1965年 - )は、日本の農学者(林産学・薬理学)。学位は博士(林学)(東京農業大学・1993年)。東京農業大学第13代学長、学校法人東京農業大学理事長。東京農業大学「食と農」の博物館館長・地域環境科学部教授。大日本農会副会長。 高崎健康福祉大学健康福祉学部教授などを歴任した。 1965年(昭和40年)、群馬県に生まれた。群馬県高崎市出身。学校法人東京農業大学が設置・運営する東京農業大学第二高等学校に進学し、普通科にて学んだ。高校生の頃、父親が胃癌に侵され、多臓器転移により十二指腸、膵臓尾部、脾臓、リンパ節を切除、摘出することになった。手術後、父親にはカワラタケ菌糸体から抽出された抗悪性腫瘍剤である「クレスチン」が投与されることになったが、「きのこがそんな重篤な癌に効果を発揮するのか」と驚き、それをきっかけにキノコの研究を志す。
田口 一博(たぐち かずひろ、1962年-)は、日本の政治学… 田口 一博(たぐち かずひろ、1962年-)は、日本の政治学者、地方議会学の専門家。神奈川県横須賀市生まれ。横須賀市職員、公益財団法人地方自治総合研究所常任研究員を経て、現在新潟県立大学国際地域学部准教授。地方議会の運営を研究。専門は、地方自治・行政・議会法・地域公共政策・地域政治史。 東京農業大学農学部農業拓殖学科卒業、放送大学教養学部「社会と経済」専攻卒業、放送大学大学院政策経営プログラム修士課程修了。 明治大学政治経済学部兼任講師。東京大学大学院法学政治学研究科特任講師・公共政策大学院講師、東北公益文科大学大学院講師を兼ねる。
懸川 武史(かけがわ たけし、1955年2月 - )は、日本… 懸川 武史(かけがわ たけし、1955年2月 - )は、日本の教育学者である。群馬県館林市出身。 専門職学位課程実務家教員。群馬大学教育学部子ども総合サポートセンター長。元群馬大学大学院教育学研究科教職リーダー講座教授。専門は学校臨床心理学。現在、東群馬看護専門学校校長。 長い教員生活を経て、現在に至る。趣味は海外旅行。
河野 友宏(こうの ともひろ, 1953年 - )は、日本の… 河野 友宏(こうの ともひろ, 1953年 - )は、日本の生物学者。東京農業大学名誉教授。 世界で初めて哺乳類(マウス)の単為生殖に成功したことで知られる。この哺乳類の名前はKaguyaといい、実験の成果はNatureに掲載された。 1993年 東京農業大学農学部助手。1996年 東京農業大学農学部教授。 2002年 東京農業大学応用生物科学部教授。2017年 東京農業大学生命科学部教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
舘 博(たち ひろし、1953年(昭和28年) - )は、日… 舘 博(たち ひろし、1953年(昭和28年) - )は、日本の醸造学者、東京農業大学短期大学部醸造学科教授を経て、2019年(平成31年)より名誉教授。 京都府生まれ。1977年(昭和52年)に東京農業大学農学部醸造学科を卒業した、1979年(昭和54年)に大学院農学研究科博士前期課程農芸化学専攻を修了した。東京農業大学の副手となり、以降、助手、講師、助教授と順次昇任して、2002年(平成14年)に教授となった。 この間、1990年代はじめには、東京農工大学の一島英治の指導の下で醤油醸造の過程におけるタンパク質の分解酵素について研究を進め、1996年(平成8年)には「麹菌の新規ジペプチジルペプチダーゼIVの性状と醤油醸造における役割 」により東京農業大学から博士(農芸化学)を取得した。
渋沢 寿一(しぶさわ じゅいち、旧字体: 澁澤 壽一、195… 渋沢 寿一(しぶさわ じゅいち、旧字体: 澁澤 壽一、1952年11月8日 - )は、日本の農学者、教育者。東京農業大学大学院修了。農学博士。NPO法人共存の森ネットワーク理事長。 渋沢栄一と植村澄三郎のひ孫。父は栄一の三男である渋沢正雄の長男・渋沢正一で、母は澄三郎の長男である植村甲午郎の長女・和子。 叔母に鮫島純子、又従兄弟に渋沢雅英(渋沢家当主、渋沢栄一記念財団初代理事長、MRAハウス理事)、親戚に渋沢田鶴子。娘に渋沢星(日本画家)。 渋沢は1952年(昭和27年)11月8日、渋沢正一・和子夫妻の間の長男として東京都世田谷区に生まれた。曾祖父・栄一については、渋沢が生まれた時には既に故人で、父から栄一にまつわるエピソードを伝え聞く機会もほとんどなかったため「私にとって栄一は歴史上の人物という認識で、そういう意味では皆さんと知識量もそう変わらないかもしれません」と講演でたびたび語っている。
渡部 俊弘(わたなべ としひろ、1952年 - )は、日本の… 渡部 俊弘(わたなべ としひろ、1952年 - )は、日本の農芸化学者、東京農業大学名誉教授・北海道文教大学学長。 北海道沙流郡門別町(現日高町)生まれ。1977年東京農業大学農学部卒業。1979年同大大学院修士課程修了。北海道栄養短期大学助手、講師、1989年東京農業大学生物産業学部食品科学科講師、助教授を経て2000年教授。東京農大バイオインダストリー社長などを経て2014年同大副学長に就任。2018年北海道文教大学学長に就任。1996年東京農業大学・博士(農芸化学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
芹澤 良久(せりざわ よしひさ、1951年または1952年 … 芹澤 良久(せりざわ よしひさ、1951年または1952年 - 2014年7月27日)は、日本の農学者。 農学博士(東京農業大学)。専門は植物育種学、細胞遺伝学、組織培養。 財団法人進化生物学研究所主任研究員、武蔵工業大学(現・東京都市大学)講師などを歴任した。 東京農業大学大学院を経て、同大学世田谷キャンパス内に併設されている財団法人進化生物学研究所に所属。長年にわたり資源植物研究室の主任研究員として、バイオテクノロジーを用いた植物の育種研究に従事した。 また、武蔵工業大学(現・東京都市大学)においても講師(兼任)を務め、後進の指導にあたった。2014年(平成26年)7月27日、逝去。享年62。
岡島 秀治(おかじま しゅうじ、1950年12月6日 - )… 岡島 秀治(おかじま しゅうじ、1950年12月6日 - )は、日本の昆虫学者。農学博士。東京農業大学名誉教授。 1950年大阪府大阪市生まれ。1969年大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎卒業。1973年東京農業大学農学部農学科卒業。1978年同大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。東京農業大学農学部農学科助手・講師・助教授・教授、東京農業大学第一高等学校・中等部校長、東京農業大学農学部長などを歴任。専門は、昆虫学・動物系統分類学。同大学昆虫学研究室を主宰。特にアザミウマ目の分類学的研究に造詣が深く、内外の専門誌に多数の論文を発表。
古賀 学(こが まなぶ、1949年 - )は、日本の観光学… 古賀 学(こが まなぶ、1949年 - )は、日本の観光学者、地域政策学者。松蔭大学観光文化学部観光文化学科教授。 1949年生まれ。東京農業大学農学部造園学科卒業。1972年(社)日本観光協会入協、国土交通省等の各種調査に携わり、計画調査課長、調査部長、総合研究所長を歴任する。平成2008年より現職。NPO法人観光文化研究所理事長。日本離島研究会幹事長。東京農業大学造園科学科非常勤講師、立教大学観光学部講師を兼務。 国土交通省の水源地域対策アドバイザー・地域振興アドバイザーをはじめ、観光庁の「まちめぐりナビプロジェクト」「観光統計の整備に関する検討懇談会・宿泊旅行統計分科会」「観光ルネサンス事業検討会」などの委員、総務省の「地域の観光振興に貢献する自動音声翻訳の実証実験」採択評価会委員などの役職を歴任する。
小林 泉(こばやし いずみ、男性、1948年4月13日 - … 小林 泉(こばやし いずみ、男性、1948年4月13日 - )は、日本の国際関係論学者、太平洋諸島研究者、大阪学院大学教授。 東京生まれ。1971年東京農業大学畜産学科卒業。1973年シンガポール南洋大学留学。1992年「太平洋島嶼諸国の経済自立と援助に関する研究」で東京農業大学博士(農業経済学)。大阪学院大学助教授、教授。一般社団法人太平洋協会理事長、太平洋諸島学会会長。1995年『太平洋島嶼諸国論』で大平正芳記念賞受賞。国際関係論・国際開発学専攻。2025年4月旭日小綬章受章。
大谷 剛(おおたに たけし、1947年 - 2019年)は、… 大谷 剛(おおたに たけし、1947年 - 2019年)は、日本の昆虫学者。専門は昆虫行動学。兵庫県立大学名誉教授。 1947年福島県生まれ。1970年東京農業大学卒業、1980年北海道大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。1981年(有)栗林自然写真研究所昆虫生態アドバイザー。1985年「ミツバチ雌成虫の巣内行動の研究」で北海道大学より理学博士の学位を取得。その後、(財)東京動物園協会職員を経て、1992年姫路工業大学助教授 兼 兵庫県立人と自然の博物館研究員。1996年同大学教授。2006年兵庫県立大学教授。2013年に定年退職、同大学名誉教授、兵庫県立人と自然の博物館名誉研究員。退職後は、神戸女学院大学元非常勤講師や朝日新聞RONZAの執筆者も務めた。
近藤 勝彦(こんどう かつひこ、1944年5月 - )は、日… 近藤 勝彦(こんどう かつひこ、1944年5月 - )は、日本の植物学者。広島大学名誉教授。植物遺伝子資源学、細胞遺伝学専攻。多くの食虫植物に関する著作を執筆している。 名古屋市生まれ。父親は制御部品製造会社三明電機の社長の近藤誠宏(筆名、本名徳吉)で食虫植物愛好家であり、父親に伊吹山へ植物採集に連れて行ってもらったことや、父親がハエトリグサの栽培を始めたことから、植物に強い興味を抱くようになった。 1968年に東京農業大学を卒業後、ノースカロライナ大学チャペルヒル校植物学科で博士課程を修了した。1976年にメリーランド大学カレッジパーク校生物学科講師、広島大学助手となり、1979年講師、1982年助教授、1989年理学部教授となった。
小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は… 小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は、日本の農学者、発酵学者、文筆家。東京農業大学名誉教授(農学博士)。専門は、発酵学、食品文化論、醸造学。 福島県小野町の造り酒屋で、6人きょうだいの末っ子として生まれた。幼少時は走り回って囲炉裏の灰に突っ込んだこともあるほどヤンチャで、火傷を防ぐため祖母が柱に帯でつないだこともあったが、右手に身欠き鰊、左手に味噌を持たせると泣き止み、それらをしゃぶっている間は大人しかったという。実家には家族や従業員ら毎食20人分を用意する大きな台所があり、小学生の頃には鰹節を削ったり、ぬか床の手入れをしたりしていた。小学校4年の時、母が亡くなり落ち込んでいたのを見た父から、寂しさを紛らわさせるため専用の台所と調理用具一式を与えられ、料理にのめり込んだ。
大場 秀章(おおば ひであき、1943年7月14日 - )は… 大場 秀章(おおば ひであき、1943年7月14日 - )は、日本の植物学者、東京大学名誉教授、東京大学総合研究博物館特招研究員。専門は植物分類学、植物文化史。理学博士。 大場秀章は1943年、東京都に生まれる。東京農業大学農学部に進むと1964年に卒業、同学大学院農学部農業拓殖専攻修士課程を1969年に中退する。翌1970年、東北大学に奉職(助手)、1973年に東京大学助手に転じる。1979年に同学大学院より博士号を授与され、同学講師(1980年)、同助教授(1981年)、1996年に同学教授職につくと2006年に定年退官。2024年9月時点で東京大学名誉教授、同学総合研究博物館の特任研究員、定年退官後はキュラトリアル・ワーク研究部の特任研究員として在籍する。
大森 正司(おおもり まさし、1942年5月6日 - )は、… 大森 正司(おおもり まさし、1942年5月6日 - )は、日本の食物科学者。大妻女子大学名誉教授。「お茶博士」と呼ばれる。 東京都生まれ(宮城県出身とする記述もある)。東京農業大学農芸化学科卒業、同大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了。農学博士。当初は農薬の研究者だったが、小幡弥太郎の指導がきっかけとなり、お茶の研究を行うようになった。 1970年大妻女子大学家政学部専任講師、1976年助教授、1994年教授。2004-2008年家政学部長。2013年定年退職、名誉教授。NPO法人日本茶普及協会理事長、NPO法人日本食行動科学研究所理事、お茶料理研究会事務局長、大妻女子大学「お茶大学」校長、茶需要拡大技術確立推進協議会会長などを歴任した。
兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月… 兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月15日)は、日本の農学博士(畜産学)、元東京都畜産試験場長。 1942年、愛媛県東宇和郡野村町前石(現・西予市)に生まれる。 1960年、愛媛県立野村高等学校を卒業。同年東京農業大学に入学、同大学院農学科畜産を専攻する。大学院修了後は、駒沢学園女子高等学校で生物の教鞭を執っていた。しかし、日本の農業に携わる仕事への欲求から、1971年に東京都職員となり、新島での養豚の技術指導に当たる。その後、東京都畜産試験場で研究員として養豚を担当する。 東京都畜産試験場で、環境畜産部長、畜産試験場長を経て2002年3月に東京都畜産試験場を退職する。 その後は、東京都農業会議や民間会社の役員を歴任。
高家 博成(たかいえ ひろしげ、1941年10月31日 - … 高家 博成(たかいえ ひろしげ、1941年10月31日 - )は、日本の昆虫学者、絵本作家。 京都府生まれ。1969年東京農業大学大学院農学研究科農学専攻博士課程修了。1978年農学博士(境博成)。多摩動物公園昆虫飼育係長を務めた。昆虫に関する書籍やテレビ番組の監修、ラジオ番組への出演など幅広く活躍し、子どもたちに昆虫や生き物の魅力を伝え続けている。生き物の生態をおさえた絵本や紙芝居作品の人気も高い。92年『あめんぼがとんだ』で日本科学読物賞受賞。
土屋 公幸(つちや きみゆき、1941年2月1日 - 201… 土屋 公幸(つちや きみゆき、1941年2月1日 - 2018年6月5日)は、日本の哺乳類学者。学位は、農学博士(東京農業大学・論文博士・1975年)。東京農業大学名誉教授。 1941年、東京都生まれ。1964年、東京農業大学農学部卒業。 元東京農業大学野生動物学研究室教授、元太美生物研究所所長、元株式会社応用生物生物資源研究室特任研究員。ネズミやモグラを中心とした幅広い研究を行う。 1975年、「日本産アカネズミ類の種分化に関する核形態学的および生化学的研究」で、東京農業大学より農学博士の学位を取得。 学芸員資格をもち、宮崎県および山梨県のレッドデータ哺乳動物部門の調査・執筆を担当する。 2010年、野生小哺乳類の染色体・系統分類と実験動物化に関する長年の研究業績を認められ、平成22年度(第3回)日本哺乳類学会賞を受賞した。
宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 202… 宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の河川工学者、関東学院大学工学部名誉教授。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)生まれ。1966年東京農業大学大学院修士課程修了。1975年「水害と土地利用に関する実証的研究」で東京大学工学博士。関東学院大学工学部助教授、1985年教授。2010年名誉教授。横浜歴史資産調査会代表、NPO法人本所深川代表。宮村河川塾を開いた。2019年、個人として初めて水防功労者国土交通大臣表彰を受けた。2022年9月3日、菌血症のため死去。83歳没。 1987年、当時関東学院大学の工学部の教授であった宮村らが中心となって、工学部土木工学科の中に全国初の「女子クラス」が誕生した。
岩松 鷹司(いわまつ たかし、1938年2月11日 - )は… 岩松 鷹司(いわまつ たかし、1938年2月11日 - )は、日本の生物学者。愛知教育大学名誉教授、日本動物学会評議員。生殖生物学と発生生物学の専門家。 高知県高知市長浜出身。東京農業大学を卒業後、名古屋大学大学院理学研究科生物学専攻に進学し、山本時男に師事した。 メダカを研究材料として選び、卵の操作等の微細実験技術を独自に開発し、卵や受精の発生現象に多くの業績をあげた。イクオリンを用いた受精波の可視化などで有名。定年退官時までに発表した論文は180編を超える。 生殖生物学、発生生物学だけではなく、メダカの分類学、形態学にも多くの業績があり、それらは『メダカ学全書』を始めとした多数の著書に結実されている。
中本博皓(なかもと ひろつぐ、1934年5月1日- )は、日… 中本博皓(なかもと ひろつぐ、1934年5月1日- )は、日本の農業経済学者、大東文化大学名誉教授。 東洋大学経済学部卒、1965年東京農業大学大学院農学研究科博士後期課程修了。農学博士。上武大学教授、大東文化大学教授。2003年定年、名誉教授。
田村 善次郎(たむら ぜんじろう、1934年(昭和9年)1月… 田村 善次郎(たむら ぜんじろう、1934年(昭和9年)1月10日 - )は、日本の民俗学者、武蔵野美術大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1957年に東京農業大学を卒業市、引き続き同大学院に進んで修士課程を修了した。武蔵野美術大学教授、同附属美術図書館館長を務めた。2005年に退職、名誉教授となる。宮本常一に師事し、その著作集を編纂した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋本 保(はしもと たもつ、1933年8月 - 2008年… 橋本 保(はしもと たもつ、1933年8月 - 2008年6月)は日本の植物学者である。 1957年に東京農業大学を卒業し、東京大学理学部付属植物園で働いた。1961年からアフガニスタン政府農業省園芸専門官として、アフガニスタンの植物を研究。1965年から南アメリカ、アンデス地帯の植物を調査した。1983年に開園した国立科学博物館の筑波実験植物園の主任研究官となり1997年から園長を務めた。
金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳… 金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳)は東京農業大学名誉教授。専門は造園学の工学分野。 長野県長野市出身。生まれは外地で母方の祖父は片倉製紙の重役。本籍長野の他は埼玉で長く暮らす。 1945年9月 東京農業大学専門部緑地土木科を卒業し、1946年9月から1954年まで東京農業大学専門部緑地科助手、1954年からは埼玉県行田市役所技術嘱託土木課公園掛、1956年から1962年3月までは行田市役所技術吏員で、その間の1957年から1961年まで東京農業大学造園学科造園工学専攻で年度講師として測量などを担当し、1962年4月から東京農業大学造園学科講師、1965年に同大学助教授、1978年から同大学教授就任、1995年に退職し名誉教授。
椿 啓介(つばき けいすけ、男性、1924年6月21日 - … 椿 啓介(つばき けいすけ、男性、1924年6月21日 - 2005年8月18日)は、日本の菌類学者。不完全菌の分類体系を、分生子形成様式に基づいて構築した。東京都出身。 1924年(大正13年)6月21日に東京に生まれ、幼少期を一時北海道函館市で過ごした他は東京で育った。1948年(昭和23年)3月に東京農業大学農学部農芸化学科を卒業した。卒業研究ではカビの生産物を扱ったが、カビそのものへの関心を強め、卒業後は研究の主軸をこちらに移していった。 その年の4月にカビ、酵母のジーンバンク活動を行っていた財団法人長尾研究所に入所し、不完全菌類の研究を開始。ここでは主任研究員にまでなり、また1959年(昭和34年)8月には、1954年から1958年にかけて発表した、不完全菌の分類体系に関する一連の論文に基づき、広島大学から理学博士の学位を授与された。
平井 昌信(ひらい まさのぶ、1924年 - 2019年(平… 平井 昌信(ひらい まさのぶ、1924年 - 2019年(平成31年)1月)は、元東京農業大学造園学科助教授。東京農業大学東京緑友会相談役。造園家、 1945年東京農業大学卒業。代表作の武蔵丘陵森林公園他一連の造園設計 で、昭和49年度日本造園学会賞受賞。1993年第15回日本公園緑地協会北村賞受賞。 著書に『都市緑地の計画と設計』(彰国社、1987年)など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小沢 知雄(おざわともお、1918年 - 2016年7月21… 小沢 知雄(おざわともお、1918年 - 2016年7月21日)は、日本の造園学者、緑化工学者。造園地被学などを専門とした。 東京農業大学名誉顧問・同大名誉教授。東京農業大学緑友会名誉会長。造園学科長、日本造園学会会長を歴任。日本造園学会や日本芝草学会名誉会員。東京農業大学総合研究所芝草部会会長。農学博士。 東京農業大学を1941年12月に繰り上げ卒業。日産農林工業株式会社に研究職として就職、農園部企画課に配属後も軍の応召を繰り返すが、健康診断により結局兵隊にはいかずじまいであった。 戦後の1947年から母校農大の園芸研究室に無給の副手として在籍の傍ら、国本女学校で週2日の非常勤講師を務める。同年9月から助手に採用された。
内山 正雄(うちやま まさお、1917年 - 2009年)は… 内山 正雄(うちやま まさお、1917年 - 2009年)は、日本の造園学者。東京農業大学などで後進の育成にあたり、日本造園学会会長などを歴任した。 東京府東京市日本橋区葺屋町(現・中央区日本橋人形町)生まれ、豊多摩郡中野町(現・中野区)育ち。実家は商店を営む。京華中学校を経て、1934年に東京農業大学に進学した。1939年に同大学卒業後、東京市役所に勤務するが、1943年、海軍航空隊に招集された。戦後、東京都庁に復員する際、国家公務員の身分となって戦災復興院に出向し、その後建設省まで二十数年勤務した。 1969年より東京農業大学に勤務し、研究・教育の傍ら、国家公務員試験作成や造園施工管理技士試験作成にも関与した。
井上 寛(いのうえ ひろし、1917年 - 2008年6月2… 井上 寛(いのうえ ひろし、1917年 - 2008年6月2日)は、日本の昆虫学者。 東京農業大学を卒業し、1967年から大妻女子大学で教授を務めた。日本の蛾類研究の第一人者であり、世界的にも著名な蛾類学者である。生涯で記載した新種や新亜種などの分類群は1042にのぼり、また、イノウエマダラ Inouela exiguitata やイノウエトガリメイガ Endotricha inouei など、多くの新種の献名の対象となった。中心となって編纂に関わり1982年に出版された『日本産蛾類大図鑑』は、現在でも日本産の蛾類に関する権威ある図鑑のひとつである。標本のコレクションの多くは1992年にロンドン自然史博物館に寄贈されたが、一部は農業環境技術研究所に収蔵されている。
近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 19… 近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 1997年1月21日)は、日本の環境共生学者・研究者・指導者。探検家。専門は植物遺伝育種学などで、種無しスイカの生みの親でもある。三重県松阪市生まれ。 1915年、小津茂右衛門の次男として生まれる。は旧制津中学(現・三重県立津高等学校)を経て1939年、東京農業大学農学部農学科卒業。京都帝国大学農学部遺伝子研究室副手。1941年、財団法人木原生物学研究所所員。1944年同研究所主任。1948年、同研究所主任・京都大学副手を辞任、東京農業大学助教授就任。1950年、東京農業大学育種学研究所創設。1954年に農学博士。1957年、東京農業大学教授就任。
高橋 尚孝(たかはし ひさたか、1914年(大正3年) - … 高橋 尚孝(たかはし ひさたか、1914年(大正3年) - 1993年(平成5年))は、日本の昆虫学者。徳島県徳島市出身。田宮尋常小学校(現徳島市立千松小学校)、旧制撫養中学(現徳島県立鳴門高等学校)、東京農業大学卒業。 徳島県加茂村矢三に4男として生まれる。鳴門市の親族の家の養子となり、1933年(昭和8年)に旧制撫養中学(現徳島県立鳴門高等学校)を卒業。同級生に植物研究家・高知女子大学元教授の赤沢時之がいる。 昆虫館系雑誌「昆蟲界」に、「吉野川下流地方の昆虫相(1)~(完)」(1933年-1937年)を報告し、徳島県内の昆虫約700種を記録・報告した。 1937年(昭和12年)に東京農業大学を卒業。
村上 肇(むらかみ はじめ、1898年(明治31年)1月15… 村上 肇(むらかみ はじめ、1898年(明治31年)1月15日 - 1978年(昭和53年)8月21日)は、元多芸村長、化学者である。岐阜県養老郡養老町橋爪出身。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大井上 康(おおいのうえ やすし、1892年(明治25年)8… 大井上 康(おおいのうえ やすし、1892年(明治25年)8月21日 - 1952年(昭和27年)9月23日)は、農業学者、民間育種家。ブドウ「巨峰」の生みの親として、また今日では常識となっている栄養週期理論の提唱者としても知られる。 海軍軍人の子として広島県江田島の海軍兵学校官舎で生まれる。幼少時に病気を患い片足が不自由となったため農業学者を志した。東京農業大学卒業後、茨城県の酒造会社・神谷酒造所牛久葡萄園の技師となる。ここでブドウの交配育種の取り組みと作物栽培法の研究に没頭、また植物に容易に栄養素を与えず、必要な時期に必要な栄養素を最低限与える「栄養週期理論」を提唱した。しかし、この理論は当時の学会では異端視されたため、農学会を去り民間育種家・園芸家となる。
三浦 肆玖楼(みうら しくろう、1890年(明治23年)9月… 三浦 肆玖楼(みうら しくろう、1890年(明治23年)9月21日 - 1961年(昭和36年)10月4日)は、大正から昭和時代の日本の農学者。 島根県那賀郡井野村(現・浜田市三隅町)にて生まれる。島根県農林学校を経て、1917年(大正6年)東京農業大学を卒業。シンガポールの三五公司の社員となり、ゴムノキの芽接ぎ技術を完成、熱帯ゴム樹栽培の技術を確立した。1925年(大正14年)島根県邑智郡農会技師、1928年(昭和3年)岐阜高等農林学校勤務を経て、1931年(昭和6年)母校の東京農業大学講師となる。さらにアメリカのネブラスカ大学に留学。1934年(昭和9年)に帰国し、東京農業大学教授となり、同校の戦後復興に尽力。
高嶺 英恒(たかみね ひでつね)は、日本の教育者、生物学者(… 高嶺 英恒(たかみね ひでつね)は、日本の教育者、生物学者(昆虫学)。 沖縄尚学高等学校附属中学校教諭などを歴任した。 日本の教育者であり、沖縄尚学高等学校附属中学校で教鞭を執っていた。また、在野の生物学者でもあり、特に蟻の採集や調査で知られている。生涯を賭して採集した標本群は「高嶺コレクション」として知られ、沖縄県において体系的に整備された標本としては最古であり、同時に信頼性の最も高い参照標本とされている。これらの業績から「沖縄産アリ類研究の第一人者」と評されている。 中学生の頃から蟻に興味を持っていた。のちに本州に移り、東京農業大学を卒業した。それに伴い、農学士の称号を取得した。 沖縄県に戻ると、沖縄尚学高等学校附属中学校に採用され、教諭として勤務した。
中谷 弥栄子(なかたに やえこ)は、日本の栄養学者。鎌倉女子… 中谷 弥栄子(なかたに やえこ)は、日本の栄養学者。鎌倉女子大学家政学部管理栄養士学科教授。博士(医学)。 東京農業大学農学部栄養学科管理栄養士専攻卒業、同大学院農学研究科食品栄養学専攻修士課程修了。公益社団法人日本栄養士会、東邦大学医学部、杏林大学保健学部を経て、2006年より鎌倉女子大学家政学部教授。管理栄養士国家試験委員、独立行政法人労働者健康福祉機構東京産業保健推進センター特別相談員、鎌倉食育推進会議副会長などを歴任。第43回日本栄養改善学会奨励賞を受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。