日色 保(ひいろ たもつ、1965年〈昭和40年〉12月11… 日色 保(ひいろ たもつ、1965年〈昭和40年〉12月11日 - )は、日本の実業家。ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人の代表取締役社長、日本マクドナルド株式会社の代表取締役会長などを経て、2025年5月1日からウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社の代表取締役社長兼マネージング・ディレクターに就任。経済同友会副代表幹事。 愛知県名古屋市出身。愛知県立中村高等学校より静岡大学人文学部法学科へ進学。卒業後、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人に入社。 医療機器の営業や外科用器材部門と糖尿病関連事業部門の事業部長を経て、2005年にグループ会社であるオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス社長に就任。
岩本 太郎(いわもと たろう、1960年8月14日 - 20… 岩本 太郎(いわもと たろう、1960年8月14日 - 2015年2月9日)は、大塚製薬の第5代代表取締役社長。静岡県生まれ。 1983年に静岡大学農学部卒業。1992年には岐阜薬科大学で博士号を取得した。 米国の製薬会社勤務を経て1994年11月入社。2007年に大塚アメリカファーマシューティカルのCEOとなった後、2008年6月に樋口達夫の後任として代表取締役社長に就任。 社長在任中の2015年2月9日に心不全により死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 雅彦(いとう まさひこ、1957年9月1日 - )は、… 伊藤 雅彦(いとう まさひこ、1957年9月1日 - )は、日本の実業家。株式会社フジクラ代表取締役社長。元一般社団法人日本電線工業会会長。 福井県武生市(現・越前市)出身。福井県立武生高等学校を経て、1980年静岡大学工学部卒業。1982年静岡大学大学院工学研究科修了、藤倉電線入社。2005年ビスキャス電力事業部電力ケーブル製造部長。2011年フジクラ新規事業推進センター超電導事業推進室長。2013年フジクラ執行役員。2014年フジクラ常務執行役員新規事業推進センター超電導事業推進室長、エネルギー・情報通信カンパニー副統括。2015年フジクラ取締役常務執行役員エネルギー・情報通信カンパニー副統括、エネルギー・情報通信カンパニー長。
木村 昌平(きむら しょうへい、1957年3月12日 - )… 木村 昌平(きむら しょうへい、1957年3月12日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。日産自動車副社長や、日産車体代表取締役社長を経て、同社会長、日本自動車車体工業会会長を歴任した。 大阪府出身。1975年清風高等学校卒業。1979年静岡大学工学部卒業、日産自動車入社、原価管理部配属。2001年日産自動車生産技術プレス技術部次長。2004年北米日産出向。2006年日産自動車追浜工場工場長。2008年インド日産出向。 2009年日産自動車執行役員。2014年日産自動車アライアンスEVP・副社長。2015年日産車体副社長執行役員。2016年日産車体代表取締役社長。2019年日本自動車車体工業会会長。
西 純久(にし すみひさ、1957年2月3日 - )は、日本… 西 純久(にし すみひさ、1957年2月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家、タレントマネジメント会社経営者。文化人のエージェント業務を手がける。鹿児島県出身。 静岡大学を卒業後、1980年4月にCBS・ソニーグループ(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント(略称:SMEJ))に入社。 入社後は、音楽プロデューサーとして近藤真彦、TOKIO、J-FRIENDS、ZONE、伊藤由奈を手がける。 2005年に、角川映画に女優発掘オーディションの企画を持ち込み、角川映画、ソニー・ミュージックエンタテインメント、Yahoo! JAPANとの共催による女優発掘オーディション「スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックス」を開催・運営する。
榛葉 英二(しんば えいじ、1957年[要出典] - )は、… 榛葉 英二(しんば えいじ、1957年[要出典] - )は、日本の実業家。静岡放送第4代社長。 静岡市葵区出身。1974年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学人文学部卒業。1978年、静岡放送入社報道局長を経て、2013年6月、東京支社長取締役。2015年7月、編成業務局長兼技術局長取締役。2017年、技術局長常務。2020年、営業・事業本部長常務。2021年3月、静岡放送社長就任。2022年6月、静岡放送社長を退任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高橋 興三(たかはし こうぞう、1954年8月20日 - )… 高橋 興三(たかはし こうぞう、1954年8月20日 - )は日本の技術者、実業家。シャープ株式会社第7代代表取締役社長を務めた。 大阪府出身。1980年静岡大学大学院工学研究科修士課程修了、シャープ入社。複写機事業出身で、2008年から執行役員健康・環境システム事業本部長としてプラズマクラスターの普及を進めた。2010年常務執行役員米州本部長。2012年代表取締役兼副社長執行役員営業担当兼海外事業本部長。2013年代表取締役兼副社長執行役員プロダクトビジネスグループ担当。2013年から代表取締役社長を務め、経営再建にあたったが、巨額赤字を計上し、2016年に鴻海精密工業による買収を受け入れ退任した。
石橋 秀一(いしばし しゅういち、1954年〈昭和29年〉1… 石橋 秀一(いしばし しゅういち、1954年〈昭和29年〉1月19日 - )は、日本の実業家。 福岡県出身。福岡教育大学附属久留米中学校、久留米大学附設高等学校、1977年静岡大学人文学部法経学科法学専攻卒業。 ブリヂストン入社、1989年ファイアストンタイヤ アンド ラバーカンパニー派遣。1990年ブリヂストン/ファイアストン インク ディレクター。1995年ブリヂストン/ファイアストン インク エグゼクティブ ディレクター。1997年ブリヂストン/ファイアストン インク ヴァイスプレジデント。2000年ブリヂストン/ファイアストン インク エグゼクティブヴァイスプレジデント兼取締役。2003年にアメリカ合衆国から日本へ帰任し、2004年ブリヂストン消費財タイヤ事業本部長に就任。
小寺 春樹(こてら はるき、1953年2月12日 - )は、… 小寺 春樹(こてら はるき、1953年2月12日 - )は、日本製粉の代表取締役社長。奈良県生まれ。 1975年に静岡大学農学部卒業後、日本製粉に入社。 2006年取締役、2008年常務、2011年専務執行役員を経て、2012年に代表取締役社長に就任。 日本国内22の製粉会社でつくる製粉協会会長も務めていた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西川 定良(にしかわ さだよし、1953年1月24日 - )… 西川 定良(にしかわ さだよし、1953年1月24日 - )は、日本の経営者。大関社長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1975年に静岡大学人文学部を卒業し、同年に太陽神戸銀行に入行した。2000年に大関に転じ、2004年に取締役に就任し、2009年に副社長を経て、2010年3月に社長に就任。2017年4月には相談役に就任。
髙木 重義(たかぎ しげよし、1951年4月11日 - )は… 髙木 重義(たかぎ しげよし、1951年4月11日 - )は、日本の実業家でNTNの元代表取締役社長。静岡県生まれ。 静岡大学工学部電気工学科卒業後、エヌ・テー・エヌ東洋ベアリング 株式会社(現NTN株式会社)入社。 生産技術研究所研究室長、桑名製作所長、執行役員を経て、2011年に代表取締役社長に就任。2014年6月に退任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉川恵治(よしかわ けいじ、1950年(昭和25年)7月6日… 吉川恵治(よしかわ けいじ、1950年(昭和25年)7月6日 - )は、日本の実業家。日本板硝子の元代表取締役社長。静岡県生まれ。 1973年(昭和48年)に静岡大学工学部機械工学科卒業後、日本板硝子に入社。情報電子カンパニー情報通信デバイス事業部長、執行役員、取締役を歴任。 2012年(平成24年)2月に副社長兼CPMO(最高プロジェクトマネジメント責任者)、4月に代表取締役社長兼CEOに昇格し、藤本勝司会長ら旧体制により陥った大幅な経営悪化からの再建にあたり、15年3月期に4期ぶりの黒字化を実現して、4月に相談役に退いた。 2018年関西ペイント取締役。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
川村 誠(かわむら まこと、1949年8月13日 - )は、… 川村 誠(かわむら まこと、1949年8月13日 - )は、京セラの元代表取締役社長、会長。愛知県名古屋市生まれ。 1973年に静岡大学工学部卒業後、京都セラミック(現京セラ)入社。 ソーラーエネルギー事業部副事業部長、機械工具統括事業部長を経て、2005年に代表取締役社長、2009年に会長に就任し、京セラミタ会長も兼務した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
富田 達夫(とみた たつお、1949年〈昭和24年〉7月5日… 富田 達夫(とみた たつお、1949年〈昭和24年〉7月5日 - )は、日本の技術者、経営者。 情報処理推進機構理事長、富士通研究所取締役会長、情報処理学会会長(第28代)などを歴任。 東京都出身。1972年(昭和47年)12月、東京大学理学部物理学科を卒業し、翌1973年(昭和48年)12月に富士通へ入社。入社以来、IT関連の製品開発に従事し、経営幹部としてミッションクリティカル領域や携帯電話事業等のコンシューマー領域の立ち上げ・拡大など、富士通の全プロダクト事業を統括した。 富士通経営執行役兼モバイルフォン事業本部長、同社経営執行役常務兼システムプロダクトビジネスグループ長、同社取締役副社長(プロダクトビジネスグループ担当)兼ユビキタスプロダクトビジネスグループ長、同社代表取締役副社長兼プロダクトビジネスグループ担当、富士通研究所代表取締役社長、同取締役会長などを歴任。
櫻井 康文(さくらい やすふみ、1949年1月6日 - )は… 櫻井 康文(さくらい やすふみ、1949年1月6日 - )は、日本の実業家。不二家の社長(7代目)。東京都出身。 東京都立新宿高等学校を経て静岡大学農学部を卒業、1972年に不二家へ入社。商事本部応用開発室長・菓子事業本部マーケティンググループリーダー・不二家ファミリー文化研究所長などの要職を歴任。同社のロングセラー菓子商品「カントリーマアム」の生みの親でもある。2003年より執行役員、2005年より取締役。藤井林太郎の後任として2007年1月22日に社長に就任した。不二家の創業者一族以外から社長になったのは、桜井が初めてである。2019年に70歳で社長を退任したものの、不二家ファミリー文化研究所長に留まり、取締役海外事業担当兼海外事業部長にも就任した。
森下 篤史(もりした あつし、1947年2月13日 - )は… 森下 篤史(もりした あつし、1947年2月13日 - )は、日本の実業家。テンポスホールディングス創業者で、同社代表取締役社長。元あさくま代表取締役。 静岡県磐田郡水窪町(現浜松市天竜区)のお茶農家の家に生まれ、愛知県立新城高等学校を経て、1971年静岡大学教育学部卒業、同年東京電気(現東芝テック)入社。1997年テンポスバスターズ設立。2006年あさくまと資本提携を締結し、あさくま取締役に就任。2009年あさくま代表取締役。2017年持株会社化してテンポスホールディングスに商号変更し、同社代表取締役社長に就任。2019年親子上場であさくまをJASDAQに上場。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
川上 康男(かわかみ やすお、1946年12月21日 - )… 川上 康男(かわかみ やすお、1946年12月21日 - )は、日本の実業家である。株式会社長府製作所代表取締役会長、サンポット株式会社取締役、下関商工会議所会頭、山口県商工会議所連合会会頭。 1946年、長府製作所の実質的創業者である川上米男の四男として山口県下関市に生まれる。静岡大学工学部を卒業後、1971年に長府製作所に入社。その後、取締役営業所長や取締役宇都宮工場長を歴任し、1997年12月9日に代表取締役社長に就任。社長在任中には、東証一部上場を果たし、暖房機器メーカーのサンポットを子会社化するなど会社を大きく成長させた。2012年3月23日付で代表取締役会長に就いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
三村 益一郎(みむら ますいちろう、1946年(昭和21年)… 三村 益一郎(みむら ますいちろう、1946年(昭和21年)4月3日 - )は、日本の実業家である。日本ビクター(現:JVCケンウッド)取締役の後、第5代アドテック代表取締役社長。岡山県出身。 1946年(昭和21年)岡山県に生れる。その後、地元の岡山県立高梁高校へ進学する。同期には、JR北海道社長をつとめた小池明夫、画家の平松利昭、最高裁判所司法研修所教官・電通監査役を務める濱田俊郎がいる。1965年(昭和40年)同校を卒業し、静岡大学工学部へ進学する。1969年(昭和44年)同校を卒業し、就職する。 1969年4月、日本ビクターへ入社する。その後、順調に出世していき、1995年(平成7年)4月にカーエレクトロニクス事業副部長に就任する。
長谷川 房彦(はせがわ ふさひこ、1943年 - )は、株式… 長谷川 房彦(はせがわ ふさひこ、1943年 - )は、株式会社アドテックス(破産)の創業者・元代表取締役会長である。大阪府出身。 1968年3月 静岡大学工学部機械工学科卒業。1968年4月 株式会社日立製作所入社。1969年8月 同社退職。 1969年8月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社。1990年1月 日本アイ・ビー・エム株式会社、藤沢工場副工場長。1991年1月 日本アイ・ビー・エム株式会社、藤沢工場SSD(ストレージシステムディビジョン)工場長、ワールドワイド製造統括部長。 1993年6月 日本アイ・ビー・エム株式会社、海外事業本部長に就任。1993年7月 株式会社アドテックス設立、日本アイ・ビー・エム株式会社から出向する形で代表取締役社長に就任。
本多 義弘(ほんだ みちひろ、1942年10月13日- )… 本多 義弘(ほんだ みちひろ、1942年10月13日- )は、日本の経営者。日立金属社長、会長を務めた。岡山県出身。 1965年に静岡大学工学部工業化学科を卒業し、同年に日立金属に入社した。1995年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務に就任し、2003年6月には社長に昇格した。2006年6月から2010年4月までに会長を務めた。
大橋 一彦(おおはし かずひこ、1941年10月10日 - … 大橋 一彦(おおはし かずひこ、1941年10月10日 - )は、日本の経営者。フジクラ社長を務めた。静岡県出身。 1965年に静岡大学工学部を卒業し、同年に藤倉電線(現在のフジクラ)に入社。1997年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務を経て、2005年4月には社長に就任。2009年4月に会長を経て、2011年4月に相談役に就任。2016年4月に名誉顧問。 2022年4月に旭日中綬章を受章。
草間 三郎(くさま さぶろう、1939年10月12日 - )… 草間 三郎(くさま さぶろう、1939年10月12日 - )は、セイコーエプソンの元代表取締役社長、会長。愛知県半田市生まれ。 愛知県立半田高等学校を経て、1963年に静岡大学工学部電子工学科卒業後、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)入社。 半導体事業本部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長を経て、2001年に代表取締役社長、2005年に代表取締役会長就任。2016年11月、旭日中綬章を受章。
戸田 昌男(とだ まさお、1935年4月2日 - 2007年… 戸田 昌男(とだ まさお、1935年4月2日 - 2007年3月25日)は、スズキの第5代代表取締役社長。愛知県新城市生まれ。 1958年に静岡大学工学部機械工学科卒業後、鈴木自動車工業(現・スズキ)に入社。 特機設計部長や四輪エンジン第二設計部長、常務取締役、専務取締役、取締役副社長を経て、2000年6月に代表取締役社長に就任し、2003年3月まで務めた。 2007年、急性腎不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - 2022年… 久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - 2022年9月11日)は、日本の実業家。自動車エンジニア。1983年から1990年まで本田技研工業代表取締役社長を務めた。兵庫県出身。 静岡大学工学部機械工学科卒業後、本田技研工業に入社。専門はエンジンの設計で、マン島TTレースの競技車両用エンジンや、ホンダF1初の空冷エンジンカー、RA302のエンジン開発に携わる。若手の頃は、空冷エンジン採用を主張する本田宗一郎に対して、水冷エンジン採用を主張して譲らず、ホンダ1300やRA302の開発時には辞表を出して数度にわたり出社を拒否したという逸話を持つ(詳しくはホンダ・RA302の記事を参照)。 その後、社運を賭けて取り組んだ初代シビックの開発責任者(LPL)として、開発初期のクルマのコンセプトづくりに参画。
大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997… 大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997年1月8日)は、日本の経営者。積水ハウス副社長、会長を務めた。 静岡県出身。1948年に静岡高校文科を卒業し、1961年に積水ハウスに入社。1972年に取締役に就任し、、1969年には常務、1980年には専務をそれぞれ歴任し、1984年に副社長に就任。1992年4月に副会長に就任し、1993年10月には会長に昇格。 経済団体連合会常任理事、住宅生産振興財団理事長なども歴任。 1997年1月8日、心不全のために死去。68歳没。
白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日… 白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日 - 2024年〈令和6年〉10月29日)は、愛知県渥美郡田原町(現:田原市)出身の日本の新聞記者、実業家。株式会社中日新聞社顧問名誉会長。株式会社中日ドラゴンズ名誉オーナー。 株式会社中日新聞社代表取締役社長・会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長、東海テレビ放送取締役、名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事を歴任した。 愛知県成章中学校(現:愛知県立成章高等学校)、静岡高等学校(現:静岡大学)を卒業後、1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社する。
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 199… 髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 1992年1月19日)は、日本ビクターの元副社長。事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。1986年に副社長に就任した。 愛知県碧海郡依佐美村(現・安城市)出身。旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)、浜松高等工業学校精密機械科(現・静岡大学工学部)を卒業。 日本光学工業(現・ニコン)に入社後、応召。1946年、日本ビクターに入社。 1986年6月、副社長に就任。エミー賞受賞。1989年、藍綬褒章受章。 1992年1月19日、死去。68歳没。墓は刈谷市の昌福寺にある。 VHS開発の経緯はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で2000年4月4日に放送された「窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~」で紹介され、大きな反響を呼んだ。
牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 20… 牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 2012年5月)は、日本の編集者・出版社経営者。 講談社で『少女クラブ』編集部、『なかよし』初代編集長、『週刊少年マガジン』の初代編集長、『週刊現代』の第4代編集長を歴任。1974年に退社した後は、マイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を創立した。 講談社時代は漫画部門のトップとして業界で権力を誇った。1959年に『週刊少年マガジン』を創刊した際、トキワ荘を訪れ、藤子不二雄に執筆を依頼したが『週刊少年サンデー』の依頼の方が早かったため断られた。その後、内田勝が『週刊ぼくらマガジン』創刊で藤子・F・不二雄に『モジャ公』を依頼するまでの10年間、講談社での藤子の執筆は『たのしい一年生』連載の『てぶくろてっちゃん』だけで、『週刊少年マガジン』グループは執筆依頼しなかった。
戸田 憲吾(とだ けんご、1919年 <大正8年> 6月20… 戸田 憲吾(とだ けんご、1919年 <大正8年> 6月20日 - 1995年 <平成7年> 2月7日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 愛知県出身。1941年に浜松高等工業学校電気学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業に入社。1949年12月に日本電装に転じ、1969年2月に取締役に就任し、1974年2月に常務、1978年3月に専務を経て、1981年3月に副社長に就任し、1982年3月には社長に昇格。1987年3月から会長を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 1995年2月7日腎不全のために死去。75歳没。
清水 保夫(しみず やすお、1916年3月31日 - 199… 清水 保夫(しみず やすお、1916年3月31日 - 1991年12月16日)は、日本の経営者。山口県出身。 1937年に浜松高等工業学校応用化学科を卒業し、同年に宇部興産(現:UBE)の前身である宇部窒素工業に入社。 軍隊生活を経て、1967年11月に取締役に就任し、1971年5月に常務、1977年12月に専務を歴任し、1983年6月に社長に就任した。。1991年5月には会長に就任。 1991年12月16日肝不全のために死去。75歳没。
堀内 平八郎(ほりうち へいはちろう、1915年8月8日 -… 堀内 平八郎(ほりうち へいはちろう、1915年8月8日 - 1997年7月4日)は日本の実業家。浜松ホトニクス創業者。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)出身。旧制中校卒業後、浜松高等工業学校に入学し、高柳健次郎に師事する。1937年に卒業後、テレビジョン研究の実用化のためNHK技術研究所に入所し、太平洋戦争中はテレビジョン技術を軍事に応用した暗視管の研究に従事し、1943年日本電子工業嘱託となり、1945年疎開先の天童で終戦を迎えた。 1947年浜松に戻り、東海電子研究所を設立。1949年東海真空工業を創業して誘蛾灯の点灯管の製造を開始したが、農薬の普及に押されて廃業した。その間、光を電気信号に変える光電変換素子の研究を進め、1953年に浜松テレビを創業し社長に就任、1978年に会長、1980年取締役相談役となり、光電変換素子の世界的メーカーに育て上げた。
鈴木 實治郎(すずき じつじろう、1913年 <大正2年> … 鈴木 實治郎(すずき じつじろう、1913年 <大正2年> 11月29日 - 1994年 <平成6年> 4月9日)は、日本の逓信官僚、実業家。旧姓は中西(なかにし)。位階は正四位。 逓信省(後の郵政省→総務省)での勤務を経て、鈴木自動車工業株式会社社長(第3代)、鈴木自動車工業株式会社会長(第2代)などを歴任した。 1913年に生まれ、静岡県の志太郡にて育った。浜松高等工業学校に進学し、1934年に卒業した。卒業後は逓信省(後の郵政省→総務省)に入省し、日本発送電に関する案件などを手掛けた。このころ、実業家の鈴木道雄の三女との縁談が持ち上がった。1940年、道雄の三女と結婚に伴い、逓信省を退官して道雄が経営する鈴木式織機に入社した。
白井 武明(しらい たけあき、1912年〈明治45年〉3月3… 白井 武明(しらい たけあき、1912年〈明治45年〉3月31日 - 2002年〈平成14年〉10月16日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長、会長を務めた。 愛知県出身。1932年に浜松高等工業学校機械科を卒業。豊田自動織機、トヨタ自動車工業、日本電気自動車製造での勤務を経て、1949年に日本電装取締役に就任し、1953年4月に常務、1962年8月に専務を経て、1967年12月に副社長に就任し、1973年2月には社長に昇格。1977年3月に会長、1982年3月に取締役相談役を経て、、1983年3月に相談役に就任。 1976年3月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 198… 野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社第4代社長。日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。旧姓高木。
有信 春二(ありのぶ はるじ、1910年3月24日 - 19… 有信 春二(ありのぶ はるじ、1910年3月24日 - 1992年8月9日)は、日本の経営者。岡山県出身。 1932年に浜松高等工業学校機械科を卒業。三河セメント、日立製作所での勤務を経て、1969年2月から1979年6月までに日立マクセル社長を務めた。 1992年8月9日心不全のために死去。82歳没。
小林 佐三郎(こばやし ささぶろう、1906年3月9日 - … 小林 佐三郎(こばやし ささぶろう、1906年3月9日 - 1995年11月30日)は、日本の経営者、工学博士。長野県出身。位階は従四位。 1927年に浜松高等工業学校応用化学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。 1947年5月に取締役に就任し、1949年12月に常務、1957年11月に専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1965年11月には社長に昇格。1973年11月に会長を経て、1983年6月から相談役を務めた。 1967年4月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1995年11月30日心不全のために死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
鈴木 俊三(すずき しゅんぞう、1903年5月24日 - 1… 鈴木 俊三(すずき しゅんぞう、1903年5月24日 - 1977年6月17日)は、日本の実業家。旧姓は木村(きむら)。 鐘淵紡績株式会社、鈴木式織機株式会社での勤務を経て、鈴木自動車工業株式会社社長(第2代)、鈴木自動車工業株式会社会長(初代)などを歴任した。 1903年5月24日に生まれ、愛知県の額田郡岡崎町(現:岡崎市)にて育った。浜松高等工業学校に進学し機械科にて学んだ。1927年、浜松高等工業学校を卒業した。その後、鐘淵紡績に技術職として入社した。このころ、実業家の鈴木道雄と出会い、道雄の長女との縁談が持ち上がった。1931年、道雄が経営する鈴木式織機に入社するとともに、道雄の長女と結婚して鈴木家に婿入りし、道雄の養嗣子となった。
高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年〈明治32年… 高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年〈明治32年〉1月20日 - 1990年〈平成2年〉7月23日)は、日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。文化勲章受章。 静岡県浜名郡和田村(今の静岡県浜松市中央区安新町)に生まれた。静岡師範学校を経て1921年(大正10年)、東京高等工業学校(現・東京工業大学)附設工業教員養成所卒業。同年、神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)教諭、1924年(大正13年)に浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授となり「無線遠視法」(テレビジョン)の研究を本格的に開始する。 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位した1926年(昭和元年)12月25日、高柳はブラウン管による電送・受像に世界で初めて成功した。
久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年4月27日 - 198… 久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年4月27日 - 1986年9月9日)は、日本の実業家。位階は正三位。日窒コンツェルンの野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した。戦後は建設コンサルタント会社日本工営社長を務めた。 日窒コンツェルンの長津江水電、朝鮮送電の取締役を経て、朝鮮電業社長に就任。当時世界的な生産規模を有していた朝鮮窒素肥料興南工場などへ電力を供給する体制を整えた。また世界でも最大級のダムである鴨緑江の水豊ダムの建設を実現した。戦後、ビルマ(現ミャンマー)のバルーチャン発電計画を受注し、これは結果的にODAの原点となる戦後賠償の第1号案件につながった。
坂下 仙一郎(さかした せんいちろう、1876年(明治9年)… 坂下 仙一郎(さかした せんいちろう、1876年(明治9年)11月20日 - 1947年(昭和22年)2月9日)は、日本の教育者、実業家、政治家。衆議院議員、雄踏町長。 静岡県敷知郡宇布見村浅羽(現浜松市中央区雄踏町宇布見)で、鍛冶屋・坂下仙蔵の長男として生まれる。1896年、静岡県師範学校講習所を卒業。雄踏尋常小学校、入野尋常小学校で訓導として教鞭をとった。その後政界に入り、雄踏町会議員、静岡県会議員を務めた。1932年2月から1944年5月まで雄踏町長に在任。 1936年2月、第19回衆議院議員総選挙において立憲民政党所属で静岡県第三区から出馬して当選し、その後第21回総選挙まで連続三回の当選を果たした。