熊谷 太三郎(くまがい たさぶろう、1906年11月3日 -… 熊谷 太三郎(くまがい たさぶろう、1906年11月3日 - 1992年1月15日)は、日本の実業家、政治家。 科学技術庁長官(第32代)、参議院議員(4期)、福井市長(官選第10代、公選初代)。熊谷組2代目社長。行政、事業の両面で原子力発電所の建設を推進した。 建設業を営む熊谷三太郎の二男として福井県福井市豊島上町に生まれた。旧制福井県立福井中学校、旧制第一高等学校を経て、京都帝国大学経済学部に入学し1930年に卒業。一高在学時には、アララギ会に入会。このとき、斎藤茂吉や土屋文明から短歌の指導を受けている。 その後、家業の建設業に従事していたが、1933年4月、飛島組(現在の飛島建設)社長の後援により福井市会議員選挙に市議でもあった父の後継として当選。
中田 吉雄(なかた よしお、明治39年(1906年)10月3… 中田 吉雄(なかた よしお、明治39年(1906年)10月30日 - 昭和60年(1985年)5月1日)は日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 妻は日本初の女性弁護士で、鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを歴任した中田正子。 鳥取県八頭郡若桜町根安出身。竹次郎の長男。 1933年京都帝国大学農学部農林経済学科卒。1938年東亜研究所勤務、1945年若桜町農業会専務理事(以降農業関係の役職を歴任)、1947年4月鳥取県議会議員当選、1947年5月鳥取県議会議長。 1950年6月参議院議員(第2、3、5回通常選挙当選)、1954年参議院地方行政委員長、1955年日本社会党参議院副会長(1959年6月の第5回通常選挙では39票差で当選。
宇都宮 徳馬(宇都宮 德馬、うつのみや とくま、1906年〈… 宇都宮 徳馬(宇都宮 德馬、うつのみや とくま、1906年〈明治39年〉9月24日 - 2000年〈平成12年〉7月1日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は勲一等。 ミノファーゲン製薬創設者。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。月刊誌『軍縮問題資料』創刊者。 参議院議員(2期)、衆議院議員(10期)、日中友好協会会長・名誉会長、日本北アフリカ協会会長。 東京府に生まれる。父は陸軍大将、朝鮮軍司令官を務めた宇都宮太郎。父の意志で旧制府立第一中学を経て、東京陸軍幼年学校(25期)に入学し、1924年に卒業。1925年に旧制水戸高等学校に入学。水戸高校時代はマルクス主義に傾倒し、水田とともに東京帝国大学ではなく、学生連合会の要請で京都帝国大学を志望校に選んだ。
黒田 巌(黑田 巖、くろだ いわお、1906年(明治39年)… 黒田 巌(黑田 巖、くろだ いわお、1906年(明治39年)9月18日 - 1981年(昭和56年)4月27日)は、日本の陸軍軍属、実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県印南郡阿弥陀村(現高砂市)で生まれる。1932年(昭和7年) 京都帝国大学法学部を卒業した。小学校訓導、兵庫県巡査、満州国ハルピン警察庁巡官、浜江省規画科長、北支那方面軍嘱託、済南治安維持会顧問、済南特務機関勤務、山東省会警察局顧問、同省公署顧問補佐官、日本陸軍師団・旅団の政治工作班長などを務めた。 1942年(昭和17年)4月、 第21回衆議院議員総選挙に兵庫県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選。当選後は翼賛政治会に参加し、終戦後は日本進歩党に所属して衆議院議員を1期務めた。
松本 鼎一(まつもと ていいち、1906年(明治39年)5月… 松本 鼎一(まつもと ていいち、1906年(明治39年)5月31日 - 1986年(昭和61年)12月7日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・大阪府。華族・松本春造の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1927年(昭和2年)6月15日、男爵を襲爵した。 1931年(昭和6年)3月、京都帝国大学法学部を卒業した。同年、三井生命保険に入社。その後、日産自動車、自動車統制会(参事)、日産重工業で勤務した。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
田万 広文(廣文、たまん ひろふみ、1906年(明治39年)… 田万 広文(廣文、たまん ひろふみ、1906年(明治39年)5月17日 – 1986年(昭和61年)5月9日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 香川県仲多度郡、のちの善通寺市中通で生まれる。1930年(昭和5年)京都帝国大学法学部を卒業。 1930年、高等試験司法科試験に合格し、有馬忠三郎事務所で研修した。1932年(昭和7年)丸亀市で法律事務所を開業した。高松弁護士会副会長、全日本農民組合香川県支部連合会顧問、日本弁護士連合会司法制度調査委員などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に香川全県区から日本社会党公認で出馬して初当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に香川県第2区から出馬して落選。
仲原 善一(なかはら ぜんいち、1905年〈明治38年〉11… 仲原 善一(なかはら ぜんいち、1905年〈明治38年〉11月6日 - 1980年〈昭和55年〉4月4日)は、日本の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。 鳥取県東伯郡旭村湯谷(現・三朝町湯谷)出身。農業・仲原勝治の長男。1932年(昭和7年)京都帝国大学農学部農林経済学科を卒業した。 農林省小作官、農林技師、海軍技師、鳥取県農地部長、同農林部長、同経済部長などを歴任。太平洋戦争初頭に海軍民政府要員として南方に派遣された。 1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙に鳥取地方区から自由民主党所属で出馬して当選。第6回通常選挙でも当選し、参議院議員を2期務めた。この間、自民党鳥取県連会長、同党政務調査会農林部会副部会長、参議院自民党副幹事長、同国会対策副委員長、第1次池田内閣北海道開発政務次官、参議院農林水産委員長、同地方行政委員長などを務めた。
李 升基(リ・スンギ、朝鮮語: 리승기、1905年10月1日… 李 升基(リ・スンギ、朝鮮語: 리승기、1905年10月1日 - 1996年2月8日)は、北朝鮮の化学者、政治家。ビニロンの発明者の一人。 日本統治時代の朝鮮の全羅南道潭陽郡生まれ。中央普通学校を経て松山高等学校理科甲類を1928年3月に卒業した。その後、京都帝国大学工学部に進学して1931年3月に卒業し、その後、京都帝国大学化学研究所では助教授を務めた。1939年には桜田一郎、川上博(大日本紡績)らと共にビニロンを合成し、世界で2番目の合成繊維を作成した。しかし戦時中の日本の軍事政策に協力しなかったために治安維持法により拘束され、終戦を迎えるまでとらわれの身となった。なお同時期の京大化研では同じ朝鮮人化学者の李泰圭も助教授・教授として在籍している。
飯島 連次郎(いいじま れんじろう、1905年〈明治38年〉… 飯島 連次郎(いいじま れんじろう、1905年〈明治38年〉7月4日 - 1992年〈平成4年〉10月15日)は、昭和期の農業技術者、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、群馬県邑楽郡多々良村長。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市木戸町)出身。1923年(大正12年)旧制栃木県立佐野中学校(現・栃木県立佐野高等学校)卒業。1932年(昭和7年)京都帝国大学農学部農学科を卒業した。同年、満州国に渡り満蒙開拓移民の指導、訓練、研究に従事し、満蒙開拓訓練所長などを務めた。 1946年(昭和21年)帰郷して多々良村長兼同村農業協同組合長に就任。その他、群馬県酪農業協同組合理事、同県生産農業協同組合連合会長、同信用農業協同組合連合会理事、同農林統計協会長、全国指導農業協同組合連合会専務理事、農業電化協会副会長、全国厚生文化農業協同組合連合会理事、全国新聞情報農業協同組合連合会長などを務めた。
水田 三喜男(みずた みきお、1905年〈明治38年〉4月1… 水田 三喜男(みずた みきお、1905年〈明治38年〉4月13日 - 1976年〈昭和51年〉12月22日)は、日本の政治家。位階は従二位。城西大学創立者。自由民主党政務調査会長(初代)。大蔵大臣を数度にわたり務めたほか、経済審議庁長官や通商産業大臣など経済閣僚を歴任した。戦後日本の代表的な財政家でもある。 千葉県安房郡曽呂村(現・鴨川市)出身。水田家は400年ほど前に讃岐(現在の香川県)の地から移住してきた家系とされる。祖父・竹蔵、父・信太郎はいずれも村長を務めた。旧運輸事務次官と日本航空副社長を務めた町田直は妻の実弟である。実家は、旧水田家住宅として保存されている。 旧制安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制水戸高等学校(茨城大学の前身校)を卒業し、東京帝国大学を当初は志望したが、学生連合会の要請で親友の宇都宮徳馬とともに京都帝国大学(法学部)に入学した。
高橋 道男(たかはし みちお、1905年〈明治38年〉2月1… 高橋 道男(たかはし みちお、1905年〈明治38年〉2月18日 - 1969年〈昭和44年〉8月7日)は、昭和期の宗教家、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県熊本市で高橋卯治郎の長男として生まれる。1928年(昭和3年)3月、京都帝国大学文学部文学科(独文学専攻)を卒業した。 1928年、天理外国語学校講師に就任。以後、天理図書館(現天理大学附属天理図書館)建築現場事務担当、天理教海外伝道部課長、天理図書館主任、天理教東京出張所長、同総務長、日本宗教連盟理事、天理教教会本部役員、天理教責任役員、天理大学理事兼評議員、(株)天御津組監査役、共立出版(株)監査役などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
鹿野 彦吉(かの ひこきち、1904年(明治37年)12月1… 鹿野 彦吉(かの ひこきち、1904年(明治37年)12月11日 - 1978年(昭和53年)2月18日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(5期)。 民主党衆議院議員で農林水産大臣などを務めた鹿野道彦の父。 山形県出身。1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業。京城化学支配人、関西ペイント東京支店長、東京特殊塗料監査役、関西ペイント取締役、徳山曹達(現トクヤマ)取締役、山形天然瓦斯取締役、蔵王高原観光開発取締役社長などを務めた。 1949年(昭和24年)の総選挙で山形1区から出馬し、初当選。以来通算5期務めた。第1次岸改造内閣経済企画政務次官、国土開発審議会委員、自由党総務、自民党国会対策副委員長、衆院公職選挙法改正に関する調査特別委員長等を務めた。
宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月1… 宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月15日 - 1957年(昭和32年)12月30日)は、昭和期の日本の政治家、実業家。経済企画庁長官(第3-4代)、科学技術庁長官(第2-3代)、衆議院議員(3期)。旧姓は六田。 高知県出身。大阪市西区で六田橘太郎、ウタ夫妻の六男として生まれる。1917年(大正6年)土佐中学校・高等学校の創立者でもある海運業者で衆議院議員(憲政会)も務めた宇田友四郎の養子となる。幼少期は高知県香美郡岸本町の伯父の家で育ち、岸本尋常小学校から高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校(現高知大学)を経て、京都帝国大学法科に入学。1929年(昭和4年)卒業後、ヨーロッパ視察、兵役を経て、1930年(昭和5年)南満洲鉄道に入社。
佐野 広(廣、さの ひろし、1904年(明治37年)9月28… 佐野 広(廣、さの ひろし、1904年(明治37年)9月28日 - 1980年(昭和55年)1月19日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。旧姓は永井。 島根県大原郡春殖村(大東町を経て現雲南市)で、永井伊太郎の三男として生まれる。1925年(大正14年)弁護士佐野正雄の養子となった。旧制山口高等学校を経て、1932年(昭和7年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。 1933年(昭和8年)出雲電気に入社。その後、代議士櫻内幸雄の秘書となる。戦後、中国電力島根支店次長、同東京支社長を歴任。その他、島根県農村電化協会会長、同体育協会理事長、日本バレーボール協会参与、ラジオ山陰(現山陰放送)相談役、民主党島根支部連幹事長、自由民主党島根支部連会長などを務めた。
山口 左右平(やまぐち そうへい、1904年(明治37年)6… 山口 左右平(やまぐち そうへい、1904年(明治37年)6月28日 - 1949年(昭和24年)3月26日)は、昭和時代前期の政治家。衆議院議員(1期)。 神奈川県中郡高部屋村上糟屋(伊勢原町を経て現伊勢原市)に生まれる。1930年(昭和5年)京都帝国大学経済学部を卒業する。農業を営む傍ら、産業組合中央会に奉職し、同総務部企画課長、文書課長、満州国開拓協力協議会幹事、農林省委員などを歴任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では神奈川県第3区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。戦後、公職追放となった。
鄭 準謨(チョン・ジュンモ、朝鮮語: 정준모、1904年5月… 鄭 準謨(チョン・ジュンモ、朝鮮語: 정준모、1904年5月23日 - 1978年11月26日)は、大韓民国の医師、病院経営者、陸軍軍人(陸軍少領)、政治家、実業家。保健社会部次官・長官、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 本貫は東萊鄭氏(朝鮮語版)。漢字表記は鄭準模とも。 全羅北道(現・全北特別自治道)長水郡出身。京城薬専、平壌医専を経て、1937年京都帝国大学(現・京都大学)医学部研究科卒。1939年医学博士号取得。1928年医師試験合格。同仁外科医院経営者、ソウル医師会副会長、陸軍軍医学校校長、保健社会部次官(1952年)、高等選考委員、大韓医学協会理事、大韓赤十字社副総裁、第3代国会保社委員長、自由党中央委員、第2代保健社会部長官(1956年5月26日~1957年6月16日)を務めた。
森崎 隆(もりさき たかし、1904年〈明治37年〉2月8日… 森崎 隆(もりさき たかし、1904年〈明治37年〉2月8日 – 1961年〈昭和36年〉7月6日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。 香川県綾歌郡土器村(現丸亀市土器町)で生まれる。1929年(昭和4年)京都帝国大学文学部を卒業した。 同年、香川県女子師範学校教諭に就任。以後、同県立坂出高等女学校(現香川県立坂出高等学校)教諭、同県高松第一中学校(現高松第一高等学校)教諭、同校長事務取扱、高松市立高等女学校長、高松第二高等学校長、高松市教育部長を歴任した。1947年(昭和22年)香川県教職員組合中央執行委員長に就任し1年間在任した。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に香川県地方区から日本社会党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
趙 瓊奎(チョ・ギョンギュ、朝鮮語: 조경규、1904年1月… 趙 瓊奎(チョ・ギョンギュ、朝鮮語: 조경규、1904年1月6日 - 1983年1月13日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の産婦人科医、実業家、政治家。第2・3・4代韓国国会議員、第3代前・後期民議院副議長。 本貫は咸安趙氏。ジャーナリストの趙鏞寿(朝鮮語版)の叔父である。 慶南咸安出身。培材高普、セブランス医学専門学校(現・延世大学校)卒、京都帝大大学院修了。産婦人科医、大邱民報社長、大邱時事新報社長、慶北国民訓練院長、国民会大邱市副委員長・大邱支部組織部長・慶尚北道支部長・中央本部副会長、大韓労総最高委員を歴任した。1948年の初代総選挙に出馬したが落選し、1950年の第2代総選挙で大邱市から初当選し、自由党院内議員部政策委員長・中央委員、国会懲戒資格委員長・内務治安委員長・全院委員長・内務委員長、第3代国会民議院副議長を務めた。
金 憲植(キム・ホンシク、朝鮮語: 김헌식、1904年 - … 金 憲植(キム・ホンシク、朝鮮語: 김헌식、1904年 - 没年不詳)は、大韓民国の医師、政治家。第2代韓国国会議員。 京都帝国大学(現・京都大学)研究科卒。医師であったほか、論山邑消防署長などを務めた。1950年の第2代総選挙では論山甲選挙区から無所属で出馬し当選したが、朝鮮戦争時に北朝鮮に拉致された。
清滝 幸次郎(清瀧 幸次郎、きよたき こうじろう、1903年… 清滝 幸次郎(清瀧 幸次郎、きよたき こうじろう、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1984年〈昭和59年〉3月14日)は、日本の政治家(池田市議)、実業家。池田銀行頭取。南海毛糸紡績、宝塚ホテル、能勢電気各取締役。池田商工会議所会頭。位階は従五位。元・池田銀行頭取清滝一也は養子。プリンストン大学教授清滝信宏は孫。 大阪府池田市出身。清瀧辰吉の六男。伯父徳兵衛の養子となり1930年、家督を相続。1928年、京都帝国大学経済学部を卒業した。 1930年7月、池田実業銀行取締役に選ばれ同年9月1日頭取に就任した。1951年、池田銀行頭取に就任した。1974年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
森田 義衛(義衞、もりた ぎえい、1903年(明治36年)1… 森田 義衛(義衞、もりた ぎえい、1903年(明治36年)11月29日 - 1982年(昭和57年)10月24日)は、日本の鉄道官僚、実業家、政治家。参議院議員(1期)。 三重県、後の上野市(現伊賀市)出身。水戸高等学校を経て、1934年(昭和4年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。同年に鉄道省に入省し東京鉄道局に配属。同年10月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、岡崎駅長、下関運輸事務所長、札幌鉄道局業務部長、企画院書記官、運輸通信省企画局課長、東京鉄道局業務部長、運輸省配車課長、新潟鉄道局長、日本国有鉄道運輸支配人、東京鉄道管理局長、国鉄理事、同関東総支配人、鉄道建設審議会委員、日本交通文化協会理事などを務めた。
江藤 夏雄(えとう なつお、1903年(明治36年)7月9日… 江藤 夏雄(えとう なつお、1903年(明治36年)7月9日 - 1968年(昭和43年)1月28日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。初代司法卿であった江藤新平の孫。 東京生まれ。父は江藤新平の二男で衆議院議員の江藤新作。冬に生まれた兄が冬雄と名付けられたのと同じく、夏に生まれたので夏雄と名付けられた。第五高等学校、1928年京都帝国大学経済学部卒業後、南満洲鉄道職員、満洲国官吏、興亜院秘書官などを経て1946年3月、第22回衆議院議員総選挙に日本自由党所属として佐賀選挙区に出馬し初当選を果たす。その後、GHQによる公職追放の余波もあり2期にわたり出馬しなかったが、1952年10月、第25回衆議院議員総選挙に自由党から再出馬する。
山地 壽(やまぢ ひさし、1903年〈明治36年〉6月6日 … 山地 壽(やまぢ ひさし、1903年〈明治36年〉6月6日 - 1993年〈平成5年〉9月5日)は日本の新聞記者、1級首相秘書官、政治家。通称名は山地 一壽(やまぢ かずとし)。東京日日新聞記者、岸信介総理大臣1級秘書、財団法人家族計画国際協力財団(現JOICFP)理事長。
中峠 国夫(なかたお くにお、1903年(明治36年)3月1… 中峠 国夫(なかたお くにお、1903年(明治36年)3月13日 - 没年不詳)は、日本の政治家。衆議院議員を1期務めた。 広島県出身。苦学の末、旧制広島高等学校、京都帝国大学(文学士)、東京帝国大学(工学士)卒業。 計15回の選挙に立候補するが、当選は1952年の第25回衆議院議員総選挙の1回のみであった。文部大臣秘書官。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大塚 正(おおつか ただし、1902年〈明治35年〉12月1… 大塚 正(おおつか ただし、1902年〈明治35年〉12月11日 - 没年不明)は、昭和時代前期の政治家。台湾総督府官僚。陸軍司政官。大阪府堺市長。 大阪市に生まれる。1927年(昭和2年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業し、1930年(昭和5年)10月、高等試験行政科に合格する。1933年(昭和8年)5月、台湾総督府専売局書記を拝命し、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州蘇澳郡守に任じた。その後、総督官房調査課外務企画各部勤務、新竹州花蓮港庁各総務課長などを経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政長官に任じた。 戦後、堺市長を務めた。堺市長退任後の1960年(昭和35年)の第29回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から自由民主党公認で立候補したが落選した。
大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月… 大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月10日 - 1999年(平成11年)3月13日)は、日本の政治家。初代福島県いわき市長。旧平市(現・いわき市)長。 福島県出身。弘前高校を経て、1927年、高等文官試験(行政科)に合格。1928年、京都帝国大学法律学科卒。卒業後は関東庁に勤務する。1936年、関東庁警察部長となり、1939年、帰国。帰国後は岩手、鳥取、茨城、京都、福島の各府県に勤務する。この間、司政官としてシンガポールに派遣される予定だったが、出発直前に終戦となり、派遣は取りやめになった。 終戦後は福島県総務部長となり、1947年、福島県副知事に就任。1953年の第3回参議院議員通常選挙において福島地方区から自由党公認で立候補したが落選した。
水谷川 忠麿(みやがわ ただまろ、1902年〈明治35年〉8… 水谷川 忠麿(みやがわ ただまろ、1902年〈明治35年〉8月27日 - 1961年〈昭和36年〉5月20日)は、日本の男爵、貴族院議員。旧姓、近衛。 公爵近衛篤麿の四男として生まれた。兄に内閣総理大臣の近衛文麿、指揮者の近衛秀麿、ホルン奏者の近衛直麿がいる。 男爵水谷川忠起の養子となり家督を相続する。学習院中等科時代から有島生馬について洋画を習い、画家を志す。学習院高等科在学中、1921年(大正10年)に養母堯子を亡くした。1923年(大正12年)京都帝国大学文学部哲学科に入学した直後に養父忠起を亡くし、男爵位を相続。京大在学中は京都帝大オーケストラに参加してオーボエを吹き、京都音楽協会の設立に参加。
上原 準三(うえはら じゅんぞう、1902年(明治35年)8… 上原 準三(うえはら じゅんぞう、1902年(明治35年)8月19日 - 没年不明)は日本の弁護士、政治家。元鳥取県弁護士会長。元米子市教育委員長。元米子市会議員。 妻の美貴子は元鳥取県弁護士会長君野順三の長女で、弁護士 君野駿平の姉。 鳥取県八頭郡河原町(現:鳥取市)出身。弥太郎三男。 1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部卒。1928年(昭和3年)判事、1931年(昭和6年)弁護士開業。 趣味は囲碁、長唄。宗教は真言宗。住所は米子市西町。 安田光昭(元鳥取県議会議員、米子市教育長)の著書『「あの人この人」私の交友録』130頁によると、「昭和三十一年公選制の教育委員に議会選出で、上原準三さんが出て来られた。
豊田 幸太郎(とよた こうたろう、1902年(明治35年)4… 豊田 幸太郎(とよた こうたろう、1902年(明治35年)4月21日 - 1979年(昭和54年)6月29日)は、昭和期の地方公務員、政治家。徳島市長。 徳島県三好郡三野町芝生(現在の三好市)に生まれ、京都帝国大学法学部を卒業。 1947年、徳島市助役、1951年、徳島県出納長に就任。1959年から1967年まで徳島市長を2期務めた。市長在任中は徳島刑務所の移転や徳島市立高等学校の創設などを手掛けた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
梅溪 通虎(梅渓、うめたに みちとら、1902年(明治35年… 梅溪 通虎(梅渓、うめたに みちとら、1902年(明治35年)3月8日 - 1984年(昭和59年)8月9日)は、昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・松平。梅溪家12代当主。 三重県で、実業家・松平家晃、則子夫妻の二男として生まれる。生まれてすぐ母方の梅溪家当主・梅溪通魯の養子となり、養父の死去に伴い、1920年(大正9年)6月21日に子爵を襲爵した。 1925年(大正14年)3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。さらに同大学院を修了した。日本鉱業監査役、日本水産本店庶務課長、日本海洋漁業統制(株)理事などを務めた。 1945年(昭和20年)10月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
川村 和嘉治(かわむら わかじ、1901年(明治34年)2月… 川村 和嘉治(かわむら わかじ、1901年(明治34年)2月21日 - 1968年(昭和43年)2月19日、満66歳没)は日本の政治家。高知県知事を務めた。 高知県長岡郡本山町出身。1930年京都帝国大学農学部卒業。『大阪毎日新聞』で農政記者として、戦時下の農政団体で活躍する。1947年(昭和22年)の第1回高知県知事選挙に出馬し当選。およそ半年後の1947年(昭和22年)7月25日に公職追放が決定し、解職。追放解除後の1951年(昭和26年)に国民民主党、日本社会党、社会革新党の推薦を得て、現職の桃井直美を約2万票の差で破り当選。1955年(昭和30年)まで再び知事を務めた。1955年の高知県知事選挙では新人の溝渕増巳に敗れて知事を退任。
松本 美行(まつもと よしゆき、1901年〈明治34年〉 -… 松本 美行(まつもと よしゆき、1901年〈明治34年〉 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。 島根県松江市生まれ。1925年、京都帝国大学経済学部を卒業。山陰合同銀行参与、山陰貯蓄銀行頭取、松江市議会議長、島根県松江市教育委員会委員長などをつとめた。 趣味は読書。宗教は禅宗。住所は松江市寺町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小原 謙太郎(おはら けんたろう、1900年(明治33年)1… 小原 謙太郎(おはら けんたろう、1900年(明治33年)12月15日 - 1990年(平成2年)10月2日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・岐阜県。官僚・小原駩吉の長男として生まれる。父の死去に伴い、1932年(昭和7年)6月15日、男爵を襲爵した。 1927年(昭和2年)3月、京都帝国大学法学部を卒業した。同年、大阪商船に入社し、東京支店勤務を経て、本社勤務となった。 1944年(昭和19年)7月22日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。同年の第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補したが落選した。
内田 敏雄(うちだ としお、1900年〈明治33年〉11月1… 内田 敏雄(うちだ としお、1900年〈明治33年〉11月1日 - 没年不詳)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。位階は正四位。 海軍士官・内田正敏の養子・栄(矢部善作の二男)の長男として生まれる。養曽父・正敏の死去に伴い、1922年(大正11年)6月2日、男爵を襲爵した。 1926年(大正15年)4月、京都帝国大学法学部政治経済学科を卒業。1927年(昭和2年)東京市社会局嘱託となる。その後、南洋拓殖人事課長、同参事などを務めた。 1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1977年(昭和52年)時点でのインタビューが残っている。
伊藤 郷一(いとう ごういち、1900年(明治33年)9月2… 伊藤 郷一(いとう ごういち、1900年(明治33年)9月23日 - 1987年(昭和62年)9月8日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(7期)。 北海道白糠郡白糠村(現白糠町)で生まれる。1927年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。横浜市総持寺高等女学校教師、釧路市文化協会理事長、中華民国新民会河南省総会次長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に北海道第二区から日本自由党所属で出馬し当選。その後、北海道第5区で第27回総選挙まで連続6回当選し、その後第29回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算7期務めた。この間、衆議院図書館運営委員長、同文部委員長、第2次吉田内閣農林政務次官、北海道開発審議会委員、裁判官訴追委員長、自由党両院議員総会副会長、同党政調会文教部長、同党総務、自由民主党文教制度調査会副会長などを歴任した。
松浦 栄(まつうら さかえ、1900年7月1日 - 1990… 松浦 栄(まつうら さかえ、1900年7月1日 - 1990年5月3日)は、日本の法学者、警察官僚、衆議院議員(当選1回)。専門は行政法。地方自治法や警察法を研究対象としている。 福井県福井市で生まれ、まもなく北海道追分町(のち安平町)に移住。1922年(大正11年)に北海道帝国大学農学部卒業。1924年、京都帝国大学法学部英法科卒業。 北海道庁警部兼通訳、北海道警察練習所所長、北海道庁外事課長・警視課長、沖縄県警察部長、長崎県警察部長、宮城県学務部長、茨城県内務部長、茨城新聞社理事などを歴任。 1947年には、第23回衆議院議員総選挙で日本自由党公認で、北海道4区から出馬し初当選するが、1949年の第24回衆議院議員総選挙では落選。
若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年(明治33年)5… 若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年(明治33年)5月30日 - 1981年(昭和56年)5月17日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員(2期)。福井県敦賀市長、大阪府箕面市長。 三重県上野市にて生まれる。1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部を卒業し、同大学生監事務嘱託を経て、国民同志会に入る。同会では理事に進み、長らく国民の政治教育に傾倒した。のち、学士会倶楽部大阪支部書記長を経て、1938年(昭和13年)12月12日に前福井県敦賀市長の森本一雄が逝去すると、同職の後任となった。 ついで、日本人造皮革工業連合会長、黒住教顧問などを歴任。1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙岡山全県区に自由党から出馬して当選し、第24回総選挙でも当選して計2期在任した。
池田 勇人(いけだ はやと、1899年〈明治32年〉12月3… 池田 勇人(いけだ はやと、1899年〈明治32年〉12月3日 - 1965年〈昭和40年〉8月13日)は、日本の政治家、大蔵官僚。同国58,59,60代内閣総理大臣。 大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・6・17代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長などを歴任した。全日本居合道連盟創立者及び初代会長。 大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角を顕し、第3次吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。保守合同後は自民党の宏池会の領袖として一派をなし、1960年に首相に就任した。
左藤 義詮(さとう ぎせん、1899年〈明治32年〉6月3日… 左藤 義詮(さとう ぎせん、1899年〈明治32年〉6月3日 - 1985年〈昭和60年〉1月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)、防衛庁長官(第9代)、大阪府知事(公選第4代 - 6代)。学校法人大谷学園理事長(第2代)。郵政大臣、法務大臣、国土庁長官を歴任した左藤恵は息子。 三重県出身。1924年、京都帝国大学文学部卒業。 欧米留学の後、真言宗京都大学、臨済宗大学、神戸高等商船学校の教授を経て1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で大阪府第2区に日本自由党から出馬し当選し、衆議院議員を1期務める。 1958年、第2次岸内閣で防衛庁長官として初入閣。9月2日から9月16日にかけて衆議院決算委員会において航空機購入問題で現役閣僚として証人喚問を受ける。
李 晶来(イ・ジョンネ、朝鮮語: 이정래/李晶來、1899年… 李 晶来(イ・ジョンネ、朝鮮語: 이정래/李晶來、1899年5月7日 - 1989年7月28日)は、大韓民国の実業家、政治家。制憲・第5・6代韓国国会議員。 本貫は広州李氏(朝鮮語版)。号はウギョン(우경)。4人息子のうち2人は記者で1人は画家。妻の実家は潭陽郡昌平面で、元国務総理の李漢基(朝鮮語版)の父とは同郷であり、李晶来は彼の母方のおばの夫に当たる。 全南宝城兼白面またはソウル市鐘路区出身。私立中央学校3学年修了。正則英語学校を経て、早稲田大学専門部政治経済学科修了。1943年、京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。1932年からソウル市鐘路で東光堂書店・出版社を経営し、代表取締役を務めた。
桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1… 桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1960年4月8日)は日本の政治家、内務官僚。熊本県知事(官選第34代、公選初代-第3代)、参議院議員(1期)。位階は正三位。医学者、参議院議員の高桑栄松は弟。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の長兄として生まれる。旧制新潟県立巻中学校、旧制第四高等学校を経て、1926年に京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、島根県書記官・警察部長、警視庁部長・消防部長、徳島、福岡両県の内政部長などを歴任。戦中は熊本県で官選知事を務め、1947年の熊本県知事選挙に出馬。細川隆元らを退けて当選した。この際、GHQの幹部が桜の枝を持って投票所を回り、桜井を暗に支持する選挙干渉があったという。
羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月1… 羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月19日 - 1974年(昭和49年))は、昭和期の内務官僚、政治家。官選第35代富山県知事、公選第3代(通算第39代)福井県知事(在任期間は1955年4月26日~1959年4月22日、1期4年)。 三重県多気郡出身。羽根貞助の長男として生まれ、幼少期に富山県上新川郡大沢野村(現富山市)へ移住した。立命館中学校、大阪市立高等商業学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学経済学部を卒業。立命館大学助教授となる。 1929年、内務省に入省し岐阜県属となる。以後、高知県書記官・警察部長、栃木県部長・警察部長、新潟県警察部長、愛知県警察部長などを歴任。
岡田 信次(おかだ しんじ、1898年〈明治31年〉12月1… 岡田 信次(おかだ しんじ、1898年〈明治31年〉12月13日 - 1986年〈昭和61年〉3月22日)は、昭和時代の土木工学者、政治家、鉄道官僚、運輸官僚。参議院議員。運輸政務次官。陸軍司政長官。 岡田竹五郎の子として東京府に生まれる。1923年(大正12年)京都帝国大学工学部土木工学科を卒業し、鉄道省工務局改良課に奉職する。同年、関東大震災による鉄道被害の復旧のため国府津改良事務所で東海道線の復旧、改良工事に従事し、のち国府津改良事務所長となる。1932年(昭和7年)から2年間、在外研究員として欧米に留学した。1939年(昭和14年)広島鉄道局工務部長、1942年(昭和17年)鉄道省工務局計画課長を経て、1944年(昭和19年)陸軍司政長官となり、フィリピンに赴任した。
増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10… 増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10月4日 - 1985年(昭和60年)12月21日)は、昭和戦後期の政治家。吉田茂の側近として、運輸大臣、労働大臣、内閣官房長官、自由党幹事長などを歴任。
志村 茂治(しむら しげはる、男性、1898年(明治31年)… 志村 茂治(しむら しげはる、男性、1898年(明治31年)9月10日 – 1971年(昭和46年)8月9日)は、神奈川県出身の政治家、経済学者。衆議院議員(3期)。 三浦郡初声村和田(現・三浦市)に、志村広太郎の長男として生まれる。1921年(大正10年)東京帝国大学農学部実科、1925年(大正14年)京都帝国大学経済学部を卒業、東京帝国大学農学部教授・佐藤寛次の研究室に入り農業経済学を専攻。ベルリン大学、ハイデルベルク大学にも学び、帰国後は専修大学経済学部講師、日本大学商経学部教授、中央物価統制協力会議調査部長を務める。 戦後、神奈川県農地委員を務めていた1952年(昭和27年)、第25回衆議院議員総選挙において、旧神奈川2区にて 左派社会党から立候補し当選。
中村 俊夫(なかむら としお、1898年(明治31年)7月3… 中村 俊夫(なかむら としお、1898年(明治31年)7月30日 - 1984年(昭和59年)7月7日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、全日本スキー連盟副会長。 兵庫県出身。1923年(大正12年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。 弁護士となる。日本冷却器専務取締役、神戸保護観察所嘱託保護司、兵庫県司法保護委員、同県体育連盟副会長、同県教育審議会委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。その後、第24回、第26回総選挙に立候補したがいずれも落選した。 以後、全日本スキー連盟副会長、日本体育協会(現日本スポーツ協会)評議員、兵庫県スキー連盟会長などを務めた。
岡本 茂(おかもと しげる、1898年〈明治31年〉5月7日… 岡本 茂(おかもと しげる、1898年〈明治31年〉5月7日 – 1980年〈昭和55年〉9月30日)は、日本の内務官僚、政治家。山口県知事(官選第27代)、富山県知事(官選第31代)、衆議院議員(4期)。旧姓は小野。 奈良県出身。小野は奈の三男として生まれ、岡本佐七の養子となる。1924年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学にさらに一年間在学し、1925年に法学部法律学科を卒業。内務省に入省し滋賀県属となる。 1927年、島根県に移り、会計、学務、庶務の各課長を務める。以後、香川県警察部・新潟県警察部の各特別高等警察課長、満洲国国務院民政部総務科長、内務省社会局事務官、滋賀県書記官・警察部長、警視庁衛生部長、同保安部長、内務省計画局都市計画課長、同地方局振興課長、大阪府書記官・総務部長、同内政部長などを歴任。
水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30… 水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30年)11月4日 - 1960年(昭和35年)12月17日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士、労働運動家。位階は正三位。 片山内閣、芦田内閣の商工大臣を務めた。愛称「水長」(みずちょう)。 1897年(明治30年)11月4日京都府紀伊郡伏見町京橋(現在の京都市伏見区)に生まれる。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部を卒業する。京都帝大ではマルクス経済学者の河上肇に師事、高山義三とともに河上を顧問とする労学会を結成した。京都帝大在学中に友愛会に参加し、河上の紹介で大原社会問題研究所の嘱託となる。京都帝大卒業後、弁護士を開業した。 1926年(大正15年)普通選挙法が通過し、25歳以上の成人男子に普通選挙が認められると、1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙に無産政党の一つ労働農民党から立候補し山本宣治とともに当選、日本初の社会主義政党の代議士となる。
村田 保定(むらた やすさだ、1897年(明治30年)6月2… 村田 保定(むらた やすさだ、1897年(明治30年)6月29日 - 1976年(昭和51年)11月6日)は、大正・昭和期の弁護士・政治家・華族。貴族院男爵議員。旧姓・安場、旧名・道俊。 実業家・安場末喜の三男として生まれる。1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。同年、明治銀行に入行し、日本勧業銀行に転じ同青森支店主事、同本店支店課勤務を務めた。妻子を伴い、男爵・村田綱太郎(村田経芳長男)の死跡を相続し、1929年(昭和4年)4月15日、男爵を襲爵した。その後、第一弁護士会所属弁護士となった。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
藤井 兼誼(ふじい かねよし、1897年(明治30年)6月1… 藤井 兼誼(ふじい かねよし、1897年(明治30年)6月15日 - 1986年(昭和61年)10月30日)は、日本の政治家、華族。貴族院子爵議員。 京都市で子爵・藤井行徳の二男として生まれる。父の隠居に伴い、1930年(昭和5年)10月15日、子爵を襲爵した。 1926年(大正15年)京都帝国大学文学部を卒業。同年、私立京都薬学専門学校教授に就任。1937年(昭和12年)殿掌となり、大喪使祭官を務めた。 1942年(昭和17年)3月31日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。