小林 孝一郎(こばやし こういちろう、1977年〈昭和52年… 小林 孝一郎(こばやし こういちろう、1977年〈昭和52年〉8月8日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の参議院議員(1期)。元岡山県議会議員(3期)。 広島県福山市出身。広島大学附属福山高等学校、岡山大学医学部医学科卒業後、同大学病院等で内科医として勤務。 2011年の岡山県議会議員選挙で岡山市南区選挙区から自由民主党推薦で立候補し、初当選。以後3期務める。 2021年10月の第49回衆議院議員総選挙に自民党の比例中国ブロックから立候補したが、落選。 2024年8月、自民党岡山県連が翌年夏の第27回参議院議員通常選挙岡山県選挙区に向けて実施した公募に応募する意向を示した。同年11月24日、県連は小林を擁立する方針を決めた。
東 毅(あずま つよし、1976年3月31日 - )は、日本… 東 毅(あずま つよし、1976年3月31日 - )は、日本の政治家。日本共産党岡山市議会議員。 福井県小浜市生まれ。福井県立若狭高等学校を経て、岡山大学農学部卒業。日本共産党、日本民主青年同盟に所属する傍ら政治活動を開始し、2011年岡山市議会議員に初当選。現在3期目を務める。保健福祉、社会福祉、防災を専門として活動している。
原田 秀一(はらだ ひでかず、1972年〈昭和47年〉12月… 原田 秀一(はらだ ひでかず、1972年〈昭和47年〉12月25日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の参議院議員(1期)。 大阪府四條畷市に生まれ、香川県大川郡大川町(現さぬき市)で育つ。大川町立松尾小学校、大川町立大川第一中学校、香川県立高松商業高等学校を経て、岡山大学法学部を卒業。 1995年4月から西松建設、1999年に公認会計士試験に合格した後、1999年10月から中央青山監査法人、2000年12月から大和証券、更に2004年5月からメリルリンチ日本証券で勤務して、2019年3月から同社取締役に就任した。2020年4月からKKRジャパンでマネージング・ディレクターとして勤務した後、2023年10月にジャパン・アクティベーション・キャピタルを有志と創業、2025年1月に退社した。
柚木 道義(ゆのき みちよし、1972年5月28日 - )は… 柚木 道義(ゆのき みちよし、1972年5月28日 - )は、日本の政治家。立憲民主党岡山県連代表。 衆議院議員(7期)、財務大臣政務官(野田第3次改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、民主党・民進党国会対策副委員長、同岡山県連代表を歴任した。 岡山県倉敷市生まれ。倉敷市立上成小学校、金光学園中学校・高等学校、岡山大学文学部哲学科心理学・社会心理学コース卒業。学士(文学)の学位を取得。大学では美学を専攻した。大学卒業後、1年浪人して有隣堂に入社。2002年、参議院議員・江田五月の秘書試験に合格すると同時に[要出典]、民主党の候補者公募に合格。 2003年の第43回衆議院議員総選挙に岡山4区から民主党公認で立候補したが、自由民主党の橋本龍太郎元内閣総理大臣に敗れ、落選した。
森 臨太郎(もり りんたろう、1970年9月17日 - )は… 森 臨太郎(もり りんたろう、1970年9月17日 - )は、日本および英国の小児科医師、政治家。兵庫県宝塚市長(1期)。元国連職員。 兵庫県西宮市出身。小学校3年までは尼崎市の尼崎市立武庫南小学校に、4年からは西宮市の西宮市立鳴尾北小学校に通う。長野県北安曇郡小谷村の真木共働学舎で夏休みを過ごし、さまざまな障がいとともに生きる人たちと、助け合って自給自足の小さな社会の一員となる経験から、お互いに支えあって暮らす社会のあり方を実体験から学ぶ。 六甲学院中学校・高等学校を経て、1989年4月岡山大学医学部入学。阪神・淡路大震災では、医療ボランティアチームの一員として、神戸市長田区の保健所で活動。 1999年3月、岡山大学大学院医学研究科博士課程修了。
野志 克仁(のし かつひと、1967年〈昭和42年〉7月31… 野志 克仁(のし かつひと、1967年〈昭和42年〉7月31日 - )は、日本の政治家。愛媛県松山市長(4期)。元RNB南海放送のアナウンサー。 愛媛県松山市出身。松山市立清水小学校、伊予三島市立南中学校、愛媛県立松山南高等学校、岡山大学経済学部卒業。1990年、南海放送に入社。翌1991年、入社2年目にしてもぎたてテレビ10o'clockのキャスターに抜擢された。その後20年間にわたり愛媛県内各地をリポートした。 2010年10月、南海放送を退社。 愛媛県知事選挙への出馬を表明して辞職した中村時広松山市長(当時、現・愛媛県知事)の後継指名を受けて11月の松山市長選挙に出馬、自由民主党推薦の新人候補など4新人を破り初当選。
越智 三義(おち みつよし、1964年11月18日 - )は… 越智 三義(おち みつよし、1964年11月18日 - )は、日本の政治家、元地方公務員。愛媛県西条市長(1期)。愛媛県西条市出身。元西条市副市長。 愛媛県西条市出身。岡山大学を卒業後、西条市役所に入庁。 西条市役所では危機管理官、市民安全部長、産業経済部長、経営戦略部長などを歴任。2021年1月から副市長に就任し、当時の玉井敏久市長の下で副市長を務めた。副市長の任期途中であった2024年11月に一身上の都合を理由に高橋敏明市長らに退職届を提出し、退任した。 高橋敏明市長への不信任決議に伴う市長失職により行われた西条市長選挙に立候補。前職の高橋敏明と一騎打ちの選挙戦の中で、市議会最大会派や県建設業協会西条支部、労組関係団体などの支援を受ける組織戦で産業活性化などを訴えて、大票田の旧西条市を中心に支持を拡大。
谷口 圭三(たにぐち けいぞう、1963年(昭和38年)9月… 谷口 圭三(たにぐち けいぞう、1963年(昭和38年)9月25日 - )は、日本の政治家。第28代・29代岡山県津山市長(2期)。 岡山県津山市下高倉西に生まれる。津山市立津山東中学校、岡山県立津山高等学校、中央大学商学部卒業。1988年(昭和63年)から加藤武徳参議院議員、加藤紀文参議院議員らの秘書を務めた。 1995年(平成7年)、津山市議会議員選挙に初当選。市議を3期務めた。2007年(平成19年)、岡山県議会議員選挙に初当選。2010年(平成22年)、岡山大学大学院社会文化科学研究科博士前期課程修了。2011年(平成23年)、県議に再選。県議時代は自由民主党に所属した。 2014年(平成26年)2月9日に行われた津山市長選挙に出馬するも、現職の宮地昭範に敗れた(宮地:26,818票、谷口:20,607票)。
姫井 由美子(ひめい ゆみこ、1959年〈昭和34年〉2月1… 姫井 由美子(ひめい ゆみこ、1959年〈昭和34年〉2月14日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、岡山県議会議員(2期)、自由党岡山県連代表などを歴任した。 岡山県岡山市中区出身。岡山県立岡山操山高等学校卒業。岡山大学法文学部第二部を経て、同大学院法学研究科修了。1982年に司法書士試験合格、父の後を継いで司法書士・行政書士事務所を開業する。全国青年司法書士協議会副会長、岡山青年会議所常任理事などを歴任。 1999年、民主党公認候補として岡山県議会議員選挙(旧岡山市第1選挙区選出)に立候補し、初当選。以後連続2期を務めた。その間、民主党岡山県連の副幹事長などを務める。 2006年12月に参議院選挙立候補を表明し、2007年の第21回参議院議員通常選挙岡山県選挙区において、自由民主党前職で自民党参議院幹事長の片山虎之助を破り初当選。
近藤 隆則(こんどう たかのり、1959年(昭和34年)2月… 近藤 隆則(こんどう たかのり、1959年(昭和34年)2月1日 - )は、日本の政治家。元岡山県高梁市長(4期)。 岡山県高梁市出身。岡山県立高梁高等学校を経て、1981年(昭和56年)3月、岡山大学工学部卒業。同年4月、高梁市役所に採用される。1996年(平成8年)4月、総務部総務課財政係長に就任。2008年(平成20年)4月、産業経済部商工観光課長に就任。同年9月、退職。 同年9月28日に行われた高梁市長選挙に出馬し初当選。10月24日に市長就任。現在4期目。 2014年(平成26年)9月28日、スピード違反で検挙される。当時高梁市は秋の交通安全県民運動のさなかであった(9月21日-30日開催)。
友實 武則(ともざね たけのり、1958年〈昭和33年〉3月… 友實 武則(ともざね たけのり、1958年〈昭和33年〉3月6日 - )は、日本の政治家。元岡山県赤磐市長(3期)。「友實」は「友実」と表記する場合もある。 岡山県赤磐郡山陽町(現・赤磐市)上市出身。山陽町立高陽中学校、岡山県立瀬戸高等学校卒業。1980年(昭和55年)に岡山大学工学部土木工学科を卒業、4月1日に岡山市役所に採用される。2004年(平成16年)3月に岡山大学大学院自然科学研究科を修了。2006年(平成18年)4月1日から岡山市の秘書広報室秘書担当課長、2009年(平成21年)4月1日から都市整備局次長、2011年(平成23年)4月1日から下水道局審議監、2012年(平成24年)4月1日から消防局危機管理監を歴任。
穂積 亮次(ほづみ りょうじ、1952年〈昭和27年〉9月2… 穂積 亮次(ほづみ りょうじ、1952年〈昭和27年〉9月21日 - )は、日本の政治家。元新城市長(4期)、元鳳来町長(1期)。 祖父は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。父親は旧愛知5区から選出された日本社会党所属の衆議院議員・穂積七郎。 東京都文京区出身。1968年、東京都立小石川高等学校中退。1969年、佐藤首相訪米阻止闘争に参加し、武器に使うはずの鉄パイプの受け取りに失敗して近くの墓地から抜き取った板塔婆で機動隊に挑み、兄とともに逮捕される。 マルクス主義青年同盟(現:「がんばろう、日本!」国民協議会)の運動に参加した。 1975年の岡山大学北津寮襲撃事件では、寮生をひき殺したマイクロバスの上で「行け。
長岡 秀人(ながおか ひでと、1951年(昭和26年)2月5… 長岡 秀人(ながおか ひでと、1951年(昭和26年)2月5日 - )は、日本の政治家。元島根県出雲市長(3期)、元平田市長(1期)。 島根県出雲市出身。岡山大学法文学部法律学科卒業。1975年(昭和50年)4月、法務省法務教官となる。1977年(昭和52年)9月、平田市役所に入庁。1999年(平成11年)7月、平田市助役に就任。 2003年(平成15年)、平田市長の太田満保が島根県知事選挙に立候補するため辞職。これに伴って行われた平田市長選挙に立候補し無投票で初当選した(4月20日確定)。 2005年(平成17年)3月22日、平田市は旧出雲市・佐田町・多伎町・湖陵町・大社町と合併し廃止となる。
中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 201… 中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 2016年2月12日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(2期)を務めた。 岡山県児島郡灘崎町(のち岡山市)出身。岡山大学医学部卒業。岡山大学助手等を経て、自治労常任顧問医。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に民主党公認で岡山2区から出馬。自由民主党から出馬した熊代昭彦に敗れるも比例復活し、初当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では再び熊代昭彦に敗れ比例復活もできず落選。落選後、「若い人に道を譲りたい。」と述べ、引退を表明。しかし、2003年8月に比例中国ブロックで当選していた山田敏雅が福山市長選挙出馬のため辞職したため、繰り上げ当選した。
谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月… 谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月6日 - 2017年(平成29年)1月8日)は、日本の政治家。宮崎県日南市長(新市制、1期)。 宮崎県立日南高等学校、岡山大学農学部卒業。衆議院議員公設秘書を15年つとめたのち、学生支援にとりくむ民間企業に勤務。 2004年(平成16年)、旧日南市長選挙に出馬し当選。同年7月20日に第15代旧日南市長に就任。2008年(平成20年)6月29日執行の同市長選において2期目の当選。 2009年(平成21年)3月30日、旧制の日南市が北郷町、南郷町と合併して新しい日南市が誕生する。それに伴って同年4月26日執行の日南市長選挙に出馬し、当選。 2013年(平成25年)4月14日執行の日南市長選挙に出馬するも、前宮崎県職員の崎田恭平に敗れ、落選。
立岡脩二(たつおか しゅうじ、1940年(昭和15年)3月2… 立岡脩二(たつおか しゅうじ、1940年(昭和15年)3月20日 - )は、岡山県邑久郡(現・瀬戸内市)出身の映画プロデューサー、地方政治家。元山陽映画プロデューサー、元岡山県瀬戸内市長。 災い転じて福となす。常にプラス思考。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 201… 五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 2016年11月14日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(6期)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院環境委員長を務めた。 京都府京都市出身。岡山大学医学部卒業。1979年11月に医療法人防治会四国勤労病院を設立。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で、日本社会党から高知県全県区に出馬し初当選。以降、連続当選6回。 1996年、旧民主党結党に参画。 小選挙区比例代表並立制が導入された同年の第41回衆議院議員総選挙以降は、高知1区から立候補した。この選挙では日本共産党の山原健二郎に、2000年の総選挙からは3回連続で自由民主党の福井照に敗れ、すべて比例四国ブロックで復活しての当選である。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 20… 伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 2024年5月7日)は、日本の政治家。元沖縄県平良市長(3期)、元宮古島市長(1期)。 1933年、当時、父が教員として赴任していた沖縄県宮古郡多良間村(多良間島)で生まれる。多良間島で4歳まで過ごした後、父の転勤により伊良部町字佐和田(現宮古島市伊良部佐和田)、次いで小学1年生時に平良町(現宮古島市平良)に移り、1941年には台湾に移り住んだ。 岡山大学医学部卒。琉球政府立宮古南静園園長、沖縄県宮古保健所所長、沖縄県立宮古病院院長などを経て、1964年に伊志嶺医院を開業。 1994年に平良市長に初当選。以後、3期にわたって平良市長を務める。
森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本… 森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(1期)。 岡山県岡山市出身。1961年岡山大学教育学部卒。中学教諭を務め、その後、岡山県教職員組合副委員長や日本社会党岡山県副委員長などを歴任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙で岡山選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。1998年の第18回参議院議員通常選挙では比例区に社会民主党から立候補したが落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岡田 五郎(おかだ ごろう、1901年(明治34年)8月25… 岡田 五郎(おかだ ごろう、1901年(明治34年)8月25日 – 1965年(昭和40年)9月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。衆議院議員(3期)。 兵庫県加東郡小野町長尾で岡田常次の三男として生まれる。第六高等学校を経て、1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、鉄道省に入省し鉄道属に任官し札幌駅貨物係に配属された。 以後、鉄道局参事、鉄道大臣官房人事課長、同秘書課長、鉄道監、札幌鉄道局長、大阪鉄道局長などを歴任し、1947年に退官した。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙で兵庫県第三区に民主自由党から出馬し当選。以後、第26回総選挙まで連続して当選し、衆議院議員を連続三期務めた。
柏原 義則(かしはら よしのり、1900年(明治33年)2月… 柏原 義則(かしはら よしのり、1900年(明治33年)2月25日 - 1971年(昭和46年)4月30日)は、日本の政治家、宗教家。衆議院議員(3期)。位階は正五位。 徳島市幟町に生まれる。徳島県立徳島中学校、第六高等学校卒業後、京都帝国大学文学部社会学科へ進学し卒業。 大学卒業後は天理教が中心となって設置した奈良県の天理中学校に奉職し校長まで務め、後に徳島に戻り天理教徳島教区長・天理教名東大教会長を歴任した。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選し、1952年(昭和27年)まで3期を務めた。1949年(昭和24年)には第3次吉田内閣で文部政務次官を務めた。 1970年(昭和45年)、春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
木村 義雄(きむら よしお、1897年(明治30年)8月16… 木村 義雄(きむら よしお、1897年(明治30年)8月16日 – 1988年(昭和63年)5月27日)は、日本の医師、政治家。 1897年、山口県大津郡仙崎町(現・長門市仙崎)に生まれる。1921年、岡山医学専門学校を卒業。 1937年に妻の従兄弟で当時の日置村長の安倍寛(安倍晋三の祖父)の勧めで大津郡日置村に産婦人科医院を開業。1946年に安倍が死去すると、安倍が出馬を予定していた第22回衆議院議員総選挙に、安倍の長男である安倍晋太郎が被選挙権を得るまでのつなぎ役として出馬し当選するも、戦時中に地元の大政翼賛会の幹部を務めた事により公職追放され、衆議院議員の地位を失う。 1965年から油谷町長を1期務め、1971年には勲四等瑞宝章を受章。
藤森 真治(眞治、ふじもり しんじ、1891年(明治24年)… 藤森 真治(眞治、ふじもり しんじ、1891年(明治24年)8月5日 - 1957年(昭和32年)5月17日)は、大正から昭和期の医師、政治家。参議院議員、医学博士。 兵庫県姫路市出身。1913年(大正2年)岡山医学専門学校を卒業。1915年(大正4年)耳鼻咽喉科医院を開業する。その後、ベルン大学を卒業して医学博士となる。 姫路市本町に藤森病院を開業し院長に就任、藤森医療財団理事長となる。また兵庫県医師会姫路市支部長、姫路市公職適否審査委員などを務め、姫路市議会議員にも選出された。ほか日本医療法人協会理事長、日本耳鼻咽喉科学会評議員、日本気管食道科学会顧問、社会保障制度審議会委員を歴任した。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で兵庫県地方区から出馬して当選し、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した。
高橋 統閭(たかはし のりさと、1887年(明治20年)2月… 高橋 統閭(たかはし のりさと、1887年(明治20年)2月21日 - 没年不明)は、日本の政治家。千葉県市川市長。医学博士、内科医。 山梨県出身。1911年(明治44年)岡山医学専門学校(のち岡山医科大学、現在の岡山大学医学部)卒業。卒業後は佐々木杏雲堂病院医長、岡山医学専門学校、岡山医科大学各講師となる。1923年(大正12年)千葉県東葛飾郡市川町で開業する。翌年学位を受ける。 その後、市川市医師会長を経て、1944年(昭和19年)3月市川市長に就任。市長に就任してから戦況は悪化の一途をたどり、終戦を迎えた。終戦後は市長として戦後の処理に当たっていたが、1946年(昭和21年)に市長を辞職した。
菅 實(かん みのる、1884年? - 1946年(昭和21… 菅 實(かん みのる、1884年? - 1946年(昭和21年))は、日本の医師、政治家。新字体にて菅 実(かん みのる)と表記されることもある。菅納家重の子。第94代内閣総理大臣菅直人の祖父。 久米郡医師会会長、久米郡会議員などを歴任した。 岡山県出身。生家は江戸時代には村の庄屋を務めており、元は豪族であった。 旧制岡山県津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)を経て岡山医学専門学校を卒業し、医師となる。岡山県病院で研修の後、1911年(明治44年)に津山市内で開業。1913年(大正2年)に郷里に戻って医業を続け、久米郡医師会長、郡会議員などを歴任。囲碁、俳諧の趣味も楽しみ、1946年(昭和21年)に62歳で死去。
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日… 清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。質素な生活ぶり、岡山にゆかりがあること、歌人・書家という活動分野から、晩年は「今良寛」と呼ばれた。 岡山県上房郡高梁町(現・高梁市弓之町)に清水質(ただし)と妻・すへの長男として生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業。中学から大学まで同級生だった友人に神社柳吉がいる。司法官として神戸地方裁判所へ勤務。
逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年〈明治11年〉11… 逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年〈明治11年〉11月13日 - 1949年〈昭和24年〉2月11日)は、日本の医師、歌人、政治家。本名は逢坂 佐馬之助(おうさか さまのすけ)。他の筆名に逢坂 蘭翠がある。 1878年11月13日、徳島県美馬郡半田町(現・つるぎ町)に、熊八の三男として生まれる。1879年10月20日、熊八が病死し、それ以降は伯父の真佐八を「父」と呼ぶ。 1883年4月、半田口山小学校初等科(後の半田尋常小学校)に入学する。1888年3月、半田尋常小学校を卒業する。同年4月、半田簡易小学校において1年間の補習を受ける。1889年5月から1890年4月まで、半田簡易小学校の補助教員に、1895年1月から4月まで、久保尋常小学校の補助教員に、同年5月から12月まで、半田尋常高等小学校の補助教員になる。
大林 森次郎(おおばやし もりじろう、慶応3年8月1日(18… 大林 森次郎(おおばやし もりじろう、慶応3年8月1日(1867年8月29日) – 昭和5年(1930年)1月4日)は、衆議院議員(立憲政友会)、医師。 讃岐国綾歌郡富熊村(現在の香川県丸亀市)の松井家に生まれ、大林三斎の養子となった。第三高等中学校医学部を卒業し、医師となった。香川県医師会副会長、香川県医師会会長、綾歌郡医師会会長を歴任した。 また郡会議員、郡参事会員、県会議員、県参事会員に選出された。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第14回衆議院議員総選挙でも再選された。
阿部 祐美子 は、日本の政治家。