増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 202… 増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 2025年12月25日)は、日本の登山家、実業家、作家、エッセイスト。 福井県生まれ。広島大学工学部卒。増永酒造合資会社社長を経て、福井山岳会会長。1985年福井県文化芸術賞、2000年福井文化賞受賞。最初の妻は歌人・登山家の佐伯道子。
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増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 202… 増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 2025年12月25日)は、日本の登山家、実業家、作家、エッセイスト。 福井県生まれ。広島大学工学部卒。増永酒造合資会社社長を経て、福井山岳会会長。1985年福井県文化芸術賞、2000年福井文化賞受賞。最初の妻は歌人・登山家の佐伯道子。
川端俊英(かわばた としふさ、1933年7月5日- )は、日… 川端俊英(かわばた としふさ、1933年7月5日- )は、日本近代文学研究者、同朋大学名誉教授。 満州普蘭店生まれ。広島大学文学部国文科卒業、立命館大学大学院修士課程修了。滋賀県立八日市高等学校教諭、京都府立鴨沂高等学校教諭、同朋大学助教授をへて教授、2004年定年、名誉教授となる。部落問題研究所主任研究員などを務めた。
児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 202… 児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 2021年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、日本共産党中央委員を務めた。 広島県生まれ。広島県立安芸郡坂町横浜小学校、広島県立広島第一中学校、広島県立海田高等学校、商船大学航海科を経て、広島大学文学部卒業。同大学院中退。高校に奉職後、教諭として勤務する一方、北海道高教組副委員長等を歴任。 1977年に行われた第11回参議院議員通常選挙及び1983年に行われた第13回参議院議員通常選挙に日本共産党公認で北海道選挙区から立候補するも落選。同年に行われた第37回衆議院議員総選挙に旧北海道1区から立候補するも落選。1986年に行われた第38回衆議院議員総選挙に再び旧北海道1区から立候補し初当選した。
大江寛人(おおえ ひろと、1933年2月9日 - 1998年… 大江寛人(おおえ ひろと、1933年2月9日 - 1998年9月9日)は、日本の牧師、宣教師。広島県生まれ。 祖父は大江邦治と中田重治。 1933年(昭和8年)に父大江捨一(大江邦治の長男)と母陸奥(中田重治の長女)の間の一人息子として生まれる。 1955年(昭和30年) に広島大学教育学部卒業すると同時に、広島家庭裁判所調査官補に就職する。 1959年(昭和34年)、大阪家庭裁判所調査官になる。1961年1月、裁判所の調査官をしながら、今治アライアンス教会の大泉勇牧師に協力して、大阪で開拓伝道を始める。同時に、丸山のフリーメソジスト神学校の夜学部で学ぶ。翌年、大阪家庭裁判所調査官を退職する。 1964年(昭和39年)に、日本アライアンス聖書学校卒業し、宣教師としてサンパウロに赴任する。
岩川 隆(いわかわ たかし、1933年(昭和8年)1月25日… 岩川 隆(いわかわ たかし、1933年(昭和8年)1月25日 - 2001年(平成13年)7月15日)は、日本のノンフィクション作家。 山口県岩国市生まれ。旧制山口県立防府中学校、山口県立防府高等学校を経て広島大学文学部独文科卒業。 梶山軍団の一員として、『週刊文春』『週刊女性』などに執筆の後、小説、ノンフィクションを上梓。 1976年、『神を信ぜず』、1979年、『多くを語らず』、1982年、『海峡』でそれぞれ直木賞候補。1994年、JRA賞馬事文化賞、1995年、『孤島の土となるとも』(BC級戦犯を扱った『神を信ぜず』の続篇)で講談社ノンフィクション賞受賞。 プロ野球、競馬関係に造詣が深く、それらを題材とした著作が多い。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護士。民法学者。東京学芸大学及び中央大学名誉教授。東京都出身。川村泰啓門下。
上里 一郎(あがり いちろう、1933年 - 2011年7月… 上里 一郎(あがり いちろう、1933年 - 2011年7月29日)は、日本の臨床心理学者、臨床心理士、教育学博士。広島大学名誉教授。元日本学術会議会員。専門は臨床心理学・健康心理学。
石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7… 石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7日- )は、日本の教育家、児童文学作家。 練馬区立豊渓小学校長、同南町小学校長、練馬区小学校教育会長、竹早教員保育士養成所講師、日本創作ゲーム協会常任理事、教育文筆者の会事務局長。 大阪市生まれ。広島大学教育学部卒。童話集、ゲーム集、教育書など著書多数。
轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は… 轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は、日本の俳優。本名は佐戸正男、現芸名は轟謙司。 広島県大竹市出身。広島県立大竹高校から広島大学に進むが中退。 1952年、市川右太衛門に弟子入りし、轟謙二の芸名をもらう。同年、東映京都に入り、1954年の『旗本退屈男 謎の百萬両』でデビュー。その後、多数の時代劇に端役で出演。 1957年には東映東京に移り、『月光仮面 魔人(サタン)の爪』(1958年)を皮切りに、現代劇映画に多数出演した。テレビドラマは、1959年の『七色仮面』第二部(毎日放送)に初出演。1961年11月にスタートした『特別機動捜査隊』(NET)では桃井刑事役で11年間レギュラーを務め、これをきっかけにテレビドラマに専念するようになった。
外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 201… 外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 2013年4月26日)は、日本の日本史学者。 長崎市生まれ。長崎県立大村高等学校卒。広島大学大学院文学研究科国史学修了、1978年「大名領国形成過程の研究 大友氏の場合」で文学博士。佐世保工業高等専門学校助教授、長崎大学助教授、教授。1998年定年退官、名誉教授、長崎県立女子短期大学教授、1999年に県立長崎シーボルト大学教授、2002年退職。県文化財保護審議会長、長崎市史編纂委員会委員長などを務めた。2012年4月瑞宝中綬章受章。
兒玉 光雄(こだま みつお、1932年9月24日 - 202… 兒玉 光雄(こだま みつお、1932年9月24日 - 2020年10月28日)は、広島県出身の被爆者。1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下で至近距離で被爆し、放射線の影響により生涯にわたって闘病を続けるとともに、被爆体験を伝えるべく積極的に活動した。 兒玉は旧制中学校1年生だった12歳の時に、爆心地から876メートルの校舎内で被爆した。即死は免れたものの致死量の半分以上に相当する4グレイを浴びたため放射線障害により一時は生死の境をさまよい、その後回復して88歳まで生きたが、晩年はがんが相次いで見つかった。 76歳の時に研究機関に血液を提供したことで染色体の異常が判明し、それ以来「私のような人間を二度とこの地球上で創らせてはいけない」と考え、被爆者として「核被曝の怖さ」のメッセージを積極的に発信すべきと考えて、あらゆる機会と媒体を通じて訴え、記録も始めた。
三好 信浩(みよし のぶひろ、1932年8月18日 - 20… 三好 信浩(みよし のぶひろ、1932年8月18日 - 2024年1月24日)は、日本の産業教育史学者、広島大学・比治山大学名誉教授。 大分県日田市生まれ。1961年広島大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、1966年「英国公教育制度成立課程の研究 ケイ・シャトルワースを中心にして」で教育学博士。茨城大学講師、助教授、大阪市立大学助教授、広島大学教育学部助教授をへて、教授、1996年定年退官、名誉教授となり、甲南女子大学教授、比治山大学学長を務め、名誉教授となった。 2013年4月瑞宝中綬章受章。 2024年1月24日に悪性リンパ腫のため、広島県福山市の病院で死去。91歳没。
森 楙(もり しげる、1932年6月16日 - )は、日本の… 森 楙(もり しげる、1932年6月16日 - )は、日本の幼児教育学者、教育社会学者、広島大学名誉教授。 長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身。筆名・森しげる。1955年広島大学教育学部卒。1960年同大学院教育学研究科教育学専攻博士課程満期退学。1961年広大教育学部助手、1962年広島県立保育専門学校主事、1965年立命館大学産業社会学部助教授、1971年広島大学助教授、1983年教授、同年「G.H.ミードの幼児社会化論の研究」で広島大学より教育学博士の学位を取得。広島大学評議員、附属幼稚園長、教育学部附属幼年教育研究施設長、附属学校部長を兼任、1996年定年退官、名誉教授、日本保育学会、日本教育社会学会、日本子ども社会学会の理事を務めた、広島修道大学教授、くらしき作陽大学客員教授。
児玉 正憲(こだま まさのり、1932年4月22日 - )は… 児玉 正憲(こだま まさのり、1932年4月22日 - )は、日本の経営学者(専門は生産管理)。理学博士、九州大学名誉教授、広島修道大学名誉教授(元学長)。 広島県出身。1955年広島大学文理学部卒業。1960年九州大学大学院理学研究科修士課程修了。九州大学経済学部教授、九州大学経済学部長、広島修道大学学長を歴任。 日本生産管理学会(会長)、日本オペレーションズ ・リサーチ学会(九州支部顧問)、日本経営工学会(九州支部顧問)、他。 2009年4月瑞宝中綬章受章。
溝上 泰(みぞうえ やすし、1932年4月2日 - 2025… 溝上 泰(みぞうえ やすし、1932年4月2日 - 2025年12月16日)は、日本の教育学者。広島大学・鳴門教育大学名誉教授。社会科教育学専攻。 広島県御調町出身。広島大学教育学部高等学校教育科社会科歴史卒業。同大学大学院文学研究科修士課程西洋史学専攻修了(文学修士)。広島大学大学院を修了後、広島県海田高等学校(現広島県立海田高等学校)教諭となり、その後は長崎大学教育学部講師、同大学助教授、広島大学助教授、同大学教授、広島大学附属東雲小学校長に就任。1995年鳴門教育大学教授、同大学副学長を経て1998年4月から2004年3月まで同大学学長に就任。 また文部省初等中等教育局小学校教育課教科調査官、全国社会科教育学会長、日本社会科教育学会評議員、OECD/CERI環太平洋研究組織議長、日本教育大学協会理事・評議員、日本教科教育学会理事、徳島県教育振興会審議会長を歴任。
五十嵐 美智(いがらし みち、1932年3月30日 - 20… 五十嵐 美智(いがらし みち、1932年3月30日 - 2002年12月10日)は、日本の英文学者、金城学院大学名誉教授。 新潟県生まれ。1954年、広島大学英文科卒、金城学院大学助手。1957年に専任講師、1963年に助教授を経て、1978年、教授。1976年、マドリード大学から「ロルカとイギリス・ロマン派詩人たち」に対してPh.D.。ワーズワスを研究した。2000年、定年退任。 2002年12月10日、急性心不全のため死去。
横山 邦治(よこやま くにはる、1932年1月22日 - )… 横山 邦治(よこやま くにはる、1932年1月22日 - )は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に読本。広島文教女子大学名誉教授。 広島県生まれ。広島大学文学部文学科を経て、1962年、同大学院文学研究科国語国文学科専攻博士課程単位取得退学。同年4月、可部女子短期大学講師。1969年9月「読本の研究」で広島大学文学博士。広島大学文学部助手として2年間勤務した後、広島文教女子大学助教授、教授。1995年から1997年まで同大学学長を務めた。1997年、停年退職。その後は、中国大連に活動拠点を移し、大連外国語学院客員教授、大連理工大学客員教授を歴任した。現地では、大連図書館の満州鉄道資料を始めとする書籍群の全貌を解明すると同時に、現地の日本語教育に貢献した。
伊藤 秀三(いとう しゅうぞう、1932年 - 2025年5… 伊藤 秀三(いとう しゅうぞう、1932年 - 2025年5月6日)は、日本の生態学者。長崎大学名誉教授。専門は植物生態学。日本ガラパゴスの会会長、チャールズ・ダーウィン財団評議員、日本巨樹巨木林の会会長などを務める。 広島県竹原市出身。1955年、広島大学理学部生物学科卒業。同大学院理学研究科修了。理学博士。日本自然保護協会研究員などをへて、1970年長崎大学教養部教授となり、のち長崎大学環境科学部教授。1998年に退官し長崎大学名誉教授となる。 長崎県の島嶼部をはじめ、ハワイ諸島、ガラパゴス諸島、小笠原諸島の植生調査に従事。特に、ガラパゴス諸島については、1964年以来、計七回にわたって学術調査を行った。
好村 冨士彦(こうむら ふじひこ、1931年8月21日 - … 好村 冨士彦(こうむら ふじひこ、1931年8月21日 - 2002年9月19日)は、日本のドイツ文学・哲学者。広島大学名誉教授。 1931年、東京都で生まれた。1938年、北支宣撫の父に従って北京に渡った。1943年に父が死去。そのまま大陸に滞在し、1946年に引き上げた。 帰国後広島高等学校に入学し、1949年に学制改革で広島大学理学部となった同校で学んだが、肺結核のため療養に入った。 1958年、早稲田大学第一文学部独文科に入り、60年安保で野口武彦らと知りあった。1962年に卒業し、同大学大学院に進んだ。清水多吉、池田浩士らとブロッホ研究会を作った。1967年、博士課程を単位取得後満期退学した。
木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年… 木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年2月21日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。名前の読みを「げん」とする資料もある。 長沼健、樽谷恵三は広島大学附属小学校からの幼馴染み。1945年被爆。広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)では、長沼・樽谷との超強力スリートップの高速右ウイングとして全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。翌年国体も制覇。
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
則武 真一(のりたけ しんいち、1931年(昭和6年)4月1… 則武 真一(のりたけ しんいち、1931年(昭和6年)4月1日 - 2018年(平成30年)10月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部長。 岡山県出身。広島大学文学部仏文学科を卒業後、山陽新聞記者、同労組委員長や新聞労連中央執行委員などを歴任。岡山県議会議員を務めた後、1979年(昭和54年)第35回衆議院議員総選挙で岡山1区から立候補し初当選。1980年(昭和55年)第36回総選挙にも立候補したが再選はならなかった。2006年(平成18年)12月10日、報道関係者OBと共に岡山マスコミ九条の会を設立する。 2018年10月2日、老衰のため岡山市北区の病院で死去。
今永 清二(いまなが せいじ、1931年3月17日 - 20… 今永 清二(いまなが せいじ、1931年3月17日 - 2018年3月16日)は、日本の東洋史学者、広島大学名誉教授。 大分県生まれ。広島大学卒。1974年「中国回教社会史研究序説」で広島大学文学博士。別府大学助教授、広島大学文学部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授、広島市立大学教授、県立広島女子大学学長。2004年退任。2007年秋瑞宝中綬章叙勲。2018年3月16日、呼吸不全のため、大分市内の病院で死去、86歳。叙正四位。
沖井 千代子(おきい ちよこ、1931年3月7日 - 202… 沖井 千代子(おきい ちよこ、1931年3月7日 - 2021年11月15日)は、日本の児童文学作家。 愛媛県生まれ。広島県、山口県岩国市で育つ。広島県立広島女子専門学校(現県立広島大学)卒業。 2002年「空ゆく舟」で第42回日本児童文学者協会賞、第32回赤い鳥文学賞受賞。 童話サークル『びわの実ノート』同人。放送分野ではNHK「お話でてこい」に「風の子フウタくん」の脚本を書いた。 2021年11月15日、心不全のため死去。
堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1… 堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1日 - 2016年 <平成28年> 12月15日)は、日本の経営者。中国放送社長、会長を務めた。位階は正五位。 広島県広島市出身。1953年に広島大学工学部工業経営科を卒業し、同年に中国新聞社に入社。 1980年3月に取締役に就任し、1984年に常務を経て、1990年12月に広島市長選挙に出馬した平岡敬社長に代わり、中国放送社長に就任。1999年6月から2002年6月までに会長を務めた。 2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。2016年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
片岡 徳雄(かたおか とくお、1931年2月6日 - 202… 片岡 徳雄(かたおか とくお、1931年2月6日 - 2020年2月28日)は、日本の教育学者(教育社会学)。教育学博士。広島大学名誉教授。 高知県出身。1953年広島大学教育学部卒業。広島大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、教育学博士。広島大学教育学部教授、同教育学部長を歴任。定年退官後は、広島経済大学教授や土佐女子短期大学の学長などを務めた。「日本子ども社会学会」を設立した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
内山 康(うちやま やすし、昭和6年(1931年)1月13日… 内山 康(うちやま やすし、昭和6年(1931年)1月13日 - 平成4年(1992年)8月25日)は、広島県出身の実業家。レーザーテック株式会社の創業者。
沢田 昭二(さわだ しょうじ、1931年 - )は、日本の物… 沢田 昭二(さわだ しょうじ、1931年 - )は、日本の物理学者。素粒子の理論物理学者。名古屋大学名誉教授。 1931年、広島県広島市で生まれた。13歳のときに広島で被爆。広島大学理学部へ入学し、1955年に卒業。卒業後は同大学大学院理学研究科へ進んだ。1961年に学位論文『π中間子-核子衝突における一個のπ中間子発生過程』を提出して理学博士号を取得し、卒業した。 卒業後は、1986年より名古屋大学理学部助教授。1990年に教授に昇格。素粒子物理学の研究者として小川修三に師事し、素粒子論の研究に携わった。坂田昌一が発表した坂田模型における対称性に関する沢田-米沢質量公式などの研究を行った。 名古屋大学を定年退職後、原爆症患者認定訴訟の原告側証人として原爆被害者救済に携わり、原爆の放射線による影響の調査研究を始める。
橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12… 橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12月17日)は、日本の国語教育学者。 大阪市生まれ。1954年広島大学教育学部卒業。和歌山県立桐蔭高等学校、広島県下の高等学校に勤務。1969年広島県教育委員会指導課指導主事、高等学校教育係係長・指導課課長補佐。広島県立高等学校教頭、1980年大分大学助教授、教授。1989年鳴門教育大学教授、評議員、付属図書館長となり「大村はま文庫」を創設、1990年大村はま賞受賞。1997 - 2003年徳島文理大学教授。2002年「中等学校国語科教材史研究 現代文教材化の状況とその史的役割を中心に」で広島大学博士(教育学)。専攻は国語教育学、国語教育史研究。
吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 198… 吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 1986年10月23日)は、日本の厚生官僚。公的健康保険制度の大改革を実現させた厚生省事務次官。広島県賀茂郡西条町(現・東広島市西条岡町)出身。 旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)三年のときに、広島への原爆投下があったが、出席番号が奇数だったために呉市の工場へ動員され、奇跡的に被爆を免れる。旧制官立広島高等学校(現・広島大学)を経て、1953年に東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、旧厚生省に入省する。薬害エイズ事件当時の薬務課長であり、元衆院議員の持永和見は同期。以降一貫して医療保険政策に携わり医療問題に取り組む。
大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 200… 大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 2001年10月7日)は、日本のジャーナリスト。元広島平和文化センター理事長。 宮崎県出身。広島高等師範学校、広島大学文学部仏文科卒業。1950年から梶山季之とともに雑誌『天邪鬼』を創刊。 1953年、中国新聞社に入社。記者となる。 1964年に当時アメリカ軍の支配下におかれた沖縄を訪れ、同地の被爆者を日本のジャーナリストとして初めて取材した。 ある時、中国新聞の記者として広島に投下された原爆の悲惨さを告発し続けた金井利博に影響を受け、広島に興味を持つようになった。市長の平岡敬に勧められ、1992年に広島平和文化センターの理事長となる。同年中国新聞の編集者を引退した。
宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、… 宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、日本の教育学者、佛教大学名誉教授。 広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学、1968年「フランス大学入学資格試験制度史研究」で広大教育学博士。皇學館女子短期大学講師、美作女子大学助教授、佛教大学文学部助教授、教授、1995-97年教育学部長を兼任。
小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大… 小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大韓民国慶尚北道生まれの作家。1937年両親の故郷広島に引き揚げる。広島大学文学部卒業。1972年「折れた八月」で直木賞候補に、1977年「夏の刻印」で芥川賞候補になる。小久保は言う、「広島は小説の材料に事を欠かない所だ」と、小説を始めようとする人に訴える。そして「お前はここが悪いのだ」と、手厳しい。<要出典>
有元 正雄(ありもと まさお、1930年2月13日 - 20… 有元 正雄(ありもと まさお、1930年2月13日 - 2024年1月14日)は、日本の歴史学者。広島大学名誉教授。 岡山県生まれ。1953年、広島文理科大学史学科卒業。1971年、「地租改正と農民闘争」で広島大学文学博士。岡山朝日高等学校教諭、広島修道大学助教授を経て、広島大学教授。1998年、定年退官、名誉教授、広島経済大学教授。2005年、退職。
近藤 恒一(こんどう つねいち、1930年 - )は、日本の… 近藤 恒一(こんどう つねいち、1930年 - )は、日本のイタリア文学者。東京学芸大学名誉教授。ルネサンス思想史・文芸史を専攻。 1930年、高知県生まれ。広島大学文学部に入学し、清水純一の下で学んだ。1958年、広島大学大学院文学研究科(西洋哲学専攻)博士課程を単位修得退学。1961年から1967年まで、ボローニャ大学に研究留学し、ボローニャ大学講師。 1968年より大分大学講師、後に助教授。1974年、東京学芸大学助教授となった。1979~80年にフィレンツェで留学研究。1994年に東京学芸大学を定年退職し、名誉教授となった。 1987年、マルコ・ポーロ賞を受賞した著作『ペトラルカ研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。
樽谷 恵三(たるや けいぞう、1930年 - 2015年7月… 樽谷 恵三(たるや けいぞう、1930年 - 2015年7月6日)は、広島県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 長沼健、木村現は、広島高等師範附属小学校(現広島大学附属小学校)からのチームメイト。広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)、樽谷はセンターフォワードとして、右インナーFW長沼、右ウイングFW木村との超強力布陣で全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。
秋山 和夫(あきやま かずお、1929年〈昭和4年〉8月26… 秋山 和夫(あきやま かずお、1929年〈昭和4年〉8月26日 - 2000年〈平成12年〉9月14日)は、日本の教育学者。岡山大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1952年広島文理科大学教育学科卒、岡山大学教育学部助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、山陽学園大学学長。 2000年9月14日、胃癌のため死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、1929年〈昭和4年〉8月14… 河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、1929年〈昭和4年〉8月14日 - 2010年〈平成22年〉10月25日)は、島根県平田市(現:出雲市)出身の日本の書家。本名は、河瀬喜重(かわせきじゅう)で、雅号を断魚としていた。昭和の三筆の一人と称されている手島右卿に師事。実弟には、考古学者で広島大学名誉教授の河瀬正利が存在したが2008年6月に病気の為兄より先に他界している。日本の漢字書家一覧 島根県平田市(現:出雲市)に河瀬家の三男として生まれる。長男は生後間も無く亡くなり、次男寿三郎も戦時中に戦死している。三男である喜重も通信兵として戦争に出兵したが幸いにして無事生還し次男寿三郎に代わり河瀬家の跡取となる。
淺井 良平(あさい りょうへい、1929年7月9日 - 20… 淺井 良平(あさい りょうへい、1929年7月9日 - 2011年12月31日)は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。 兵庫県出身。1954年に広島大学工学部を卒業し、1956年6月にヒガシマル醤油に入社した。1966年4月に取締役に就任し、1971年5月に常務、1978年5月に専務を経て、1986年3月に副社長に就任し、1996年3月には社長に昇格した。2002年3月には副会長に就任。 2011年12月31日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2… 高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2003年5月18日)は、日本の教育学者(教育心理学)・歌人。静岡県立大学名誉教授。 池田市教育研究所所員、兵庫県立湊川高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、水甕選者、水甕運営委員長などを歴任した。 1929年4月14日、兵庫県神戸市にて生まれた。その後、広島文理科大学に進学し、教育学科にて学んだ。なお、広島文理科大学は、国立学校設置法により広島大学に包括されることが決まったことから、大学名を広島大学広島文理科大学と改称したうえで、在学生の卒業後に廃止されることになった。1953年、広島文理科大学を卒業した。1953年をもって広島文理科大学としての学生は全員卒業したため、広島大学広島文理科大学は研究科などの残務整理のうえ1962年に廃止された。
長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4… 長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4月4日 ‐ 2007年8月31日)は広島県呉市出身の作家、海上自衛官、暗号研究者。日本暗号協会会長(1986年8月~)。 呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業後、1945年に海軍兵学校予科(第78期、昭和20年4月入校)に入校するが、終戦により閉校となる。1954年広島大学文学部哲学科を卒業。1955年防衛庁暗号専門機関に入り、暗号理論の研究及び解読に従事。1965年海上自衛隊暗号専門部隊に転じ、通信保全業務隊司令となり1983年1等海佐で退職した。 1986年8月日本暗号協会を設立し初代会長。暗号に造詣が深く、暗号関係の著作は1964年から刊行しており多数。
濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26… 濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月18日)は、日本の音楽理論家、指揮者、音楽教育者、作曲家。姓は浜田と表記されることがある。 山口県山口市出身。1951年(昭和26年)文化学院卒業。 齋藤秀雄、諸井三郎らに幼時から音楽を学び、ピアノ・作曲・指揮法を個人教授で習得。1956年(昭和31年) - 1959年(昭和34年)成蹊グリークラブ指揮者。1958年(昭和33年)谷桃子バレエ団10周年記念公演で東京ジングアカデミーを指揮。1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年)広島大学音楽科交響楽団を指導。1961年(昭和36年)東北大学交響楽団を指揮。
大野 平吉(おおの へいきち、1929年3月1日- )は、日… 大野 平吉(おおの へいきち、1929年3月1日- )は、日本の法学者、広島大学・専修大学名誉教授。
久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 -… 久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 - 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、副総理(第1次橋本内閣)、大蔵大臣(第101代)、鹿児島県議会議員(3期)、日本社会党書記長、社会民主党副党首、民主改革連合最高顧問、民主党参議院議員会長を歴任。正三位勲一等旭日大綬章。 鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市)出身。(旧制)長崎県立佐世保中学校1年修了を経て熊本陸軍幼年学校に進学。陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散・復員し、鹿児島師範学校(現:鹿児島大学)に編入学。予科士官学校では鹿児島市長赤崎義則と同期。師範学校卒業後に広島文理科大学(現:広島大学)史学科へ入学し西洋史を専攻、1952年に卒業して鹿児島県の高校教諭となる。
北西 英子(きたにし ひでこ、1929年〈昭和4年〉 - 1… 北西 英子(きたにし ひでこ、1929年〈昭和4年〉 - 1999年〈平成11年〉7月17日)は、日本の歴史研究家。女性の地位向上をテーマとした広島県の女性団体「広島女性史研究会」の代表。夫は政治学者で広島大学名誉教授の北西允。 山口県須佐町(後の萩市)で誕生した。男女差別の厳しい土地に生まれ育ったことが、後の活動の原点となった。1955年(昭和30年)に結婚に伴い、夫の都合で広島県へ転居した。 1970年(昭和45年)、女性の地位向上をテーマとして、ボランティア活動などに携わる主婦たちを集めて広島女性史研究会を発足させ、代表を務めた。1981年(昭和56年)に、新聞から拾った女性の記事を年表にまとめ、『新聞集成広島女性史』を出版した。
山根巴(やまね ともえ、1928年10月7日- )は、日本… 山根巴(やまね ともえ、1928年10月7日- )は、日本の日本近代文学研究者、相模女子大学名誉教授。 広島県比婆郡西条町(現東広島市)出身。1954年広島大学文学部国文科卒、1959年同大学院博士課程満期退学。相模女子大学助教授、教授。99年定年、名誉教授。長塚節、中村憲吉など近代の歌人について研究した。
河合 伊六(かわい いろく、1928年3月13日 - 200… 河合 伊六(かわい いろく、1928年3月13日 - 2007年10月4日)は日本の臨床心理学者。学校心理士。学位は、文学博士(広島大学・1976年)(学位論文「知覚・運動学習過程における個人差の類別 」)。広島大学名誉教授。専門は教育臨床心理学。大分県生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史… 吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史学者、広島大学名誉教授、福山大学名誉学長。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校、広島高等師範学校を経て、 広島文理科大学(現・広島大学)史学科を卒業した。 文部省資料館勤務、開成高等学校教諭を経て、東京女子体育大学で助教授となる。その後相模女子大学助教授に移り、愛知教育大学助教授、教授を経て、広島大学教授に就任した。 この間、1971年に「近世専売制度の研究」で広島大学より文学博士号を取得した。 1991年に定年退官して、広島大学名誉教授となる。退官後は福山大学学長を務め、退任後に名誉学長となる。
坂本 賞三(さかもと しょうぞう、1926年10月29日 -… 坂本 賞三(さかもと しょうぞう、1926年10月29日 - 2021年8月18日)は、日本の歴史学者。広島大学名誉教授。平安時代史が専門。 中華民国(のち満洲)生まれ。広島大学文学部卒、同大学院修了、1977年「王朝国家と王朝貴族の国政観」で文学博士。滋賀大学助教授、広島大学文学部助教授を経て教授、1992年定年退官、名誉教授、神戸学院大学人文学部教授を務めた。