舞田 敏彦(まいた としひこ、1976年7月12日 - )は… 舞田 敏彦(まいた としひこ、1976年7月12日 - )は、日本の教育社会学者(博士(教育学))。専門は教育社会学、社会病理学、社会統計学。 1995年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業、東京学芸大学教育学部に進学し小学校教員養成課程を1999年3月に卒業。2001年3月、鹿児島大学大学院教育学研究科修士課程修了。2005年3月、東京学芸大学連合大学院博士後期課程で教育社会学研究室で陣内靖彦に師事し修了。「高等教育就学機会の地域間格差に関する実証的研究」で博士(教育学)、甲種取得。 武蔵野大学、杏林大学、武蔵野学院大学で非常勤講師を務めた。自身のブログで記事を発表しながら、日本教育新聞や各ニュースサイトなどに寄稿や連載をおこなう。
深見 聡(ふかみ さとし 1975年9月25日-)は、日本の… 深見 聡(ふかみ さとし 1975年9月25日-)は、日本の観光学者・地理学者。長崎大学環境科学部准教授。 1975年鹿児島市に生まれる。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1998年に鹿児島大学理学部地学科(現:理学科地球科学プログラムコース)卒業。2001年、NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会を設立し、2008年まで代表理事を務める。2003年、同大学大学院教育学研究科修士課程地理学分野修了。2006年、同大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程地域政策科学専攻修了。鹿児島国際大学附置地域総合研究所客員研究員等を経て、2008年より現職。専門は観光地理学、環境教育論、地理教育論。
川畑 秀明(かわばた ひであき、1974年 - )は、日本の… 川畑 秀明(かわばた ひであき、1974年 - )は、日本の心理学者。慶應義塾大学文学部人文社会学科人間関係系教授。日本における感性心理学の第一人者。 専門領域は、感性心理学(実験美学,神経美学,対人魅力・対人印象研究,抗加齢医学分野の心理学的研究,感性教育,鑑賞教育)、芸術心理学、認知神経科学、知覚心理学などである。 主な研究テーマは、「美意識・美的な心の在り方」、「芸術や美の感じ方」、「顔や身体の魅力の認知と評価、抗加齢的処方への応用」、「美やアートの効用」などである。発達や文化差などを踏まえ、美とアートに関わる脳と心の働きについて多様性や個性についても研究を行っている。 研究対象は、絵画や音楽などの諸芸術、美、顔魅力、創造性、広告、ユーザー・エクスペリエンス,デザイン,ユーザビリティ,感性教育,鑑賞行動など多岐にわたる。
松田 忠大(まつだ ただひろ、1971年9月-)は、日本の法… 松田 忠大(まつだ ただひろ、1971年9月-)は、日本の法学者。法学博士。商法、特に海商法が専門。鹿児島大学教授・法文学部長(2020年度現在)。 鹿児島県姶良郡姶良町(現姶良市)出身で、姶良町立重富中学校を経て、1990年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。 1994年3月、早稲田大学法学部卒業。大学で先輩に誘われて中村眞澄の海商法のゼミに入り、海洋や船舶上の法に関心を持つようになる。同大学院法学研究科に進学し、そこで箱井崇史から研究者の道を勧められたため、1996年9月に修士課程修了して、1997年4月より宇部工業高等専門学校講師を務めながら研究を続ける。2000年4月に鹿児島工業高等専門学校講師となり、2002年4月より同校助教授。
遠田 晋次(とおだ しんじ、1966年 - )は、日本の地震… 遠田 晋次(とおだ しんじ、1966年 - )は、日本の地震学者。東北大学災害科学国際研究所教授、地震予知連絡会会長、日本活断層学会副会長。博士(理学)(東北大学)。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡東高等学校(現:宮崎県立延岡星雲高等学校)を経て、1989年に鹿児島大学理学部地学科を卒業し、1991年に東北大学大学院理学研究科前期博士課程を修了。1999年博士(理学)。電力中央研究所所属、米国地質調査所 (USGS) 客員研究員、東京大学地震研究所助手、産業技術総合研究所活断層研究センター研究員、京都大学防災研究所地震予知研究センター准教授を経て、2012年10月から東北大学災害科学国際研究所教授。
恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月2… 恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月21日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、スポーツ科学者。学位は修士。お笑いコンビホンジャマカのツッコミ担当。相方は石塚英彦。愛称は、恵(めぐ)ちゃん。 鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。 鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立甲南高等学校卒業。3年間の浪人を経て、東放学園専門学校に就職。 1986年(昭和61年)、当時渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY()」のオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年(昭和63年)6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。
中島 利博(なかじま としひろ、1964年11月 - )は、… 中島 利博(なかじま としひろ、1964年11月 - )は、日本の医学者。博士(医学)。 1989年に鹿児島大学医学部を卒業。ソーク研究所留学後、1997年に鹿児島大学より博士(医学)の学位を取得。ハーバード大学医学部 instructor、筑波大学応用生物化学系講師、聖マリアンナ医科大学教授などを歴任後、2010年より東京医科大学医学総合研究所教授。 E3ユビキチンリガーゼの1種が関節リウマチを引き起こす原因タンパク質であることを発表し、そのタンパク質をシノビオリンと名付けた。日本リウマチ学会賞、日本内科学会奨励賞、ノバルティス・リウマチ医学賞などの賞を受賞している。 2006年に初めてキルギス共和国を訪れて以来、同国に蔓延するリウマチ熱およびその後遺症によるリウマチ性心疾患の調査や治療、および予防活動を行っており、2008年より同国の医療分野に関する国家顧問に任命され、2015年、同国特別栄誉賞を日本人として初めて受賞した。
朝長 啓造(ともなが けいぞう、1964年 - ) は、日本… 朝長 啓造(ともなが けいぞう、1964年 - ) は、日本のウイルス学者。京都大学医生物学研究所教授・所長 福岡県生まれ。1983年福岡大学附属大濠高等学校卒業。1990年鹿児島大学農学部獣医学科卒業。1994年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了、博士(獣医学)、東京大学大学院農学系研究科博士研究員(日本学術振興会特別研究員)。1995年タフツ大学医学部博士研究員(日本学術振興会海外特別研究員)。1997年タフツ大学学部博士研究員(アメリカ白血病協会特別研究員)。1998年北海道大学免疫科学研究所助手。1999年大阪大学微生物病研究所助手。2000年助教授。2011年京都大学ウイルス研究所教授。
升本 順夫(ますもと ゆきお、1963年10月9日 - ) … 升本 順夫(ますもと ゆきお、1963年10月9日 - ) は、日本の海洋物理学者。東京大学大学院理学系研究科教授。祖父は中央大学総長を務めた法学者の升本喜兵衛 (四代)。 東京都生まれ。1982年東京都立駒場高等学校卒業。1987年鹿児島大学工学部海洋土木開発工学科卒業。1989年九州大学大学院工学研究科水工土木学専攻修士課程修了。1992年東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻助教授。2009年気象庁異常気象分析検討会委員。2010年海洋研究開発機構地球環境変動領域プログラムディレクター。2013年東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
梅津 昭彦(うめつ あきひこ、1959年 - )は、日本の法… 梅津 昭彦(うめつ あきひこ、1959年 - )は、日本の法学者、新潟大学教授。博士(法学)、専門は商法。 福島県会津若松市生まれ。父親の職業の関係で幼少の頃から各地に住む。1985年、駒澤大学法学部法律学科卒業。1987年、鹿児島大学大学院法学研究科修士課程修了。1990年、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。東北学院大学法学部助手、専任講師、助教授。専攻は商法、保険法、証券取引法。 1995年、学位論文「保険仲介者の規制と責任」で博士号取得(法学、神戸大学)。 東北学院大学法学部教授、同大学院法務研究科教授、法務研究科長を経て、新潟大学大学院実務法学研究科教授。 新潟大学法学部長、公認会計士試験委員、日本保険学会理事、日本海法学会理事、新潟県立新発田病院倫理審査委員会委員などを歴任。
ヒシグジャフ・ツォクトバートル(モンゴル語キリル文字表記:Х… ヒシグジャフ・ツォクトバートル(モンゴル語キリル文字表記:Хишигжавын Цогтбаатарын、英語表記:Khishigjav Tsogtbaatar、1959年 - )は、モンゴル国の古生物学者。モンゴル科学アカデミー(英語版)古生物学研究所元所長。アジア恐竜協会副理事長。モンゴル産鳥脚類の研究を専門とする。日本を含む諸外国との共同調査をはじめ多くの古生物学研究に携わっており、2022年には日蒙外交関係樹立50周年に際して日本国外務省から外務大臣表彰を受賞した。 日本語でのカナ表記には表記揺れがあり、父称Khishigjavはヒシグシャフ、ヒシグジャフ、ヒシグジャブ、キシグジャフ、キシグジャヴなどの表記例がある。
平井 一臣(ひらい かずおみ、1958年4月30日 - )は… 平井 一臣(ひらい かずおみ、1958年4月30日 - )は、日本の政治学者、鹿児島大学名誉教授。専攻は日本政治史、地域政治。博士(法学)。 宮崎県都城市生まれ。北海道虻田郡倶知安町で少年時代を過ごす。1977年3月熊本県立済々黌高等学校卒業。1982年3月九州大学法学部卒業。1984年3月九州大学大学院法学研究科博士前期課程修了し、法学修士の学位を取得。1987年3月九州大学法学研究科後期博士課程単位取得退学、同年4月より九州大学法学部助手。1989年4月鹿児島大学教養部講師、翌1990年4月より助教授。教養部の廃止にともない1997年4月より鹿児島大学法文学部経済情報学科助教授、2001年10月教授に昇任。
池田 光穂(いけだ みつほ、1956年6月16日 - )は、… 池田 光穂(いけだ みつほ、1956年6月16日 - )は、日本の文化人類学者。大阪府出身。専門領域は、中央アメリカの民族誌研究と医療人類学。 医療人類学(文化人類学)、中米民族誌学、エコツーリズム研究、科学人類学、先住民運動研究、多文化共生を可能にする社会状況下における医療・福祉サービスのあり方、臨床コミュニケーション・ヘルスコミュニケーション、狗類学(こうるいがく)研究、ほか。 医療人類学の定義は、池田光穂によると「医学と人類学を架橋(ブリッジ)する学問を医療人類学(medical anthropology)」としている。
亀崎 直樹(かめざき なおき、1956年 - )は、日本の動… 亀崎 直樹(かめざき なおき、1956年 - )は、日本の動物学者。特にウミガメの研究に力を注いでいる。国際ウミガメ学会理事、NPO法人日本ウミガメ協議会前会長、神戸市立須磨海浜水族園学術研究統括(前:園長)、岡山理科大学生物地球学部教授。 日本ウミガメ協議会、亀崎直樹、薮田慎司、菅沼弘行『日本のウミガメの産卵地』日本ウミガメ協議会 1994 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB05900065
古沢 仁(ふるさわ ひとし、1956年〈昭和31年〉 - 2… 古沢 仁(ふるさわ ひとし、1956年〈昭和31年〉 - 2023年〈令和4年〉9月2日)は、日本の古生物学者。元・札幌市博物館活動センター学芸員。鯨類や海牛目などの海棲哺乳類を対象とし、これらの分類群の進化や系統を研究した。膵癌のため2023年9月に死去。 1956年に札幌市にて生まれる。学士課程では北海道教育大学札幌校に所属。帯広市で高等学校の教職に就いていた木村方一が1977年から同大学札幌校地学教室に助手として採用され、古沢は木村に化石への興味を口頭で伝えた。同年9月と翌1978年7月に木村とともに歌登町でのデスモスチルス化石の発掘に参加した。同年9月には深川市で発見された大型脊椎動物化石の発掘とそれに関連する地質調査を行い、産出したヒゲクジラを卒業研究のテーマとした。
有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行… 有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行政学者。宮崎公立大学第8代学長・名誉教授。専門は行政学、地方自治論。博士(学術)。日本地方自治研究学会常任理事。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校での部活動は化学部。1975年4月明治大学経営学部経営学科入学、1979年3月に卒業し、商業の高校教員免許を取得。1980年12月鹿児島県庁(鹿児島県上級行政職)に入職し、以降23年間勤務。県庁では高齢者福祉、過疎対策などを担当。その間に、自治省(現・総務省)財政局での「地方財政白書」の執筆や、鹿児島県大口市役所(現・伊佐市)での勤務を経験する。1996年4月鹿児島大学大学院法学研究科法学専攻へ入学して1998年3月修了し、修士(法学)の学位を授与される。
木村 朗(きむら あきら、1954年8月23日 - )は、日… 木村 朗(きむら あきら、1954年8月23日 - )は、日本の政治学者、鹿児島大学教授。専門は平和学。 北九州市小倉生まれ。北九州工業高等専門学校を中退、福岡県立小倉高等学校を経て九州大学法学部に入学し、政治学を専攻。九州大学大学院法学研究科に進学、1984年3月九州大学法学修士。博士課程在籍中の1985年9月-1987年3月、政府交換留学生としてベオグラード大学政治学部に留学。 1988年3月九州大学大学院法学研究科政治学専攻単位取得後退学。 九州大学法学部助手を経て、1988年10月に鹿児島大学法文学部に赴任。1997年4月より現職。 社会人も対象とする自主ゼミ「平和問題ゼミナール」を開講。
秋吉 博之(あきよし ひろゆき、1954年 - )は、日本の… 秋吉 博之(あきよし ひろゆき、1954年 - )は、日本の教育学者、和歌山信愛大学教育学部教授。専門は理科教育学、子ども環境学。 1954年福岡県久留米市生まれ。1980年鹿児島大学農学部農芸化学科卒業。2004年神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課程修了、博士(学術)。 食品会社勤務(品質管理)、神戸市立葺合中学校教諭、兵庫教育大学附属中学校文部教官教諭、国際協力機構(JICA)ケニア中等理数科教育強化プロジェクト技術協力専門家(生物教育)、就実大学教育学部初等教育学科教授、就実大学大学院人文科学研究科初等教育学専攻(新設)教授、大阪教育大学教育学部実践学校教育講座理科教育学研究室教授、大阪教育大学大学院連合教職実践研究科(新設)教授等を経て、2019年4月より和歌山信愛大学教育学部(新設)教授。
村里好俊(むらさと よしとし、1952年1月26日- )は、… 村里好俊(むらさと よしとし、1952年1月26日- )は、日本の英文学者、熊本県立大学名誉教授、大妻女子大学教授。 長崎県有家町(現在の南島原市)に生まれる。1974年鹿児島大学法文学部を卒業(師匠は大塚定徳)、1978年九州大学大学院文学研究科博士課程を中退後、和歌山大学教育学部に助手として採用される。1985年和歌山大学講師、助教授、福岡教育大学助教授、福岡県立福岡女子大学文学部教授、熊本県立大学文学部教授、2017年定年退任、名誉教授、2020年大妻女子大学教授。2022年大妻女子大学大学院人間生活文化研究科博士課程特別研究員。日本スペンサー協会会長。 日本英文学会九州支部長、日本英文学会理事。
畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は… 畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は、日本の家族社会学者。大阪市立大学名誉教授、博士(学術)。専門は、家族社会学・臨床社会学・家族福祉学。 鹿児島市生まれ。1969年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。1973年、鹿児島大学教育学部卒業。1975年、立教大学大学院社会学研究科応用社会学修士課程修了(社会学修士)。1980年、筑波大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。沖縄キリスト教短期大学講師、中国短期大学幼児教育科助教授、大阪市立大学生活科学部助教授を経て、大阪市立大学生活科学部・大学院生活科学研究科教授。1999年3月に大阪市立大学より博士(学術)の学位を取得。
久田 信行(ひさた のぶゆき、1949年5月 - )は、日本… 久田 信行(ひさた のぶゆき、1949年5月 - )は、日本の心理学者。専門は障害児心理学。現在は群馬大学教育学部学校教育教員養成講座障害児教育専攻教授を経て、群馬医療福祉大学社会福祉学部特任教授。 群馬大学教育学部学校教育講座障害児教育専攻教授を経て、群馬医療福祉大学社会福祉学部特任教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡村 眞(おかむら まこと、1949年2月5日 - )は、地… 岡村 眞(おかむら まこと、1949年2月5日 - )は、地質学者、高知大学教育研究部自然科学系理工学部門, 名誉教授。専門は地震地質学。 佐賀県生まれ。1972年3月、鹿児島大学理学部地学科卒業。1974年3月、東北大学大学院理学研究科修士課程修了。1976年12月、東北大学大学院理学研究科博士課程退学。1977年1月、熊本大学教育学部助手。 1979年10月、高知大学に赴任。理学部助手、講師、助教授を経て、1994年4月教授。1990年2月、理学博士(東北大学)。理学部自然環境科学科長、教育研究部自然科学系理学部門教授、総合研究センター防災部門(南海地震防災支援センター)部門長等を歴任した。
山内 廣隆(やまうち ひろたか、1949年 - )は、日本の… 山内 廣隆(やまうち ひろたか、1949年 - )は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 1949年、鹿児島県鹿児島市で生まれた。鹿児島県立鹿児島中央高等学校を卒業し、鹿児島大学法文学部哲学専攻に進学。1975年に卒業し、広島大学大学院文学研究科西洋哲学専攻に進んだ。1982年、博士課程後期を単位修得退学。 卒業後は比治山女子高等学校教諭となり、1991年より比治山女子短期大学助教授。1994年に比治山大学助教授に昇進。1996年、広島大学文学部助教授となり、2001年より同文学研究科助教授、2004年に教授昇進。2003年、学位論文『ヘーゲル:哲学体系への胎動』を広島大学に提出して文学博士の学位を取得。
冨永 茂人(とみなが しげと、1949年(昭和24年)-)は… 冨永 茂人(とみなが しげと、1949年(昭和24年)-)は、日本の農学者、園芸学者。農学博士、鹿児島大学名誉教授。ポンカンなどの柑橘類を中心に果樹栽培を研究したほか、島嶼農業や農業環境論についても研究。 鹿児島県いちき串木野市羽島出身。果樹経営主体の農家に生まれる。鹿児島県立串木野高等学校および鹿児島大学農学部卒業。1975年(昭和50年)鹿児島大学大学院農学研究科修士課程農学専攻を修了し、農林省・農林水産省試験場の研究員となり四国農業試験場土地利用部研究員を経て、1981年(昭和56年)より果樹試験場興津支場研究員。1983年(昭和58年)より母校鹿児島大学農学部の講師。1988年(昭和63年)2月、論文「ポンカン(Citrus reticulata Blanco)の果実の品質向上に関する研究」にて農学博士取得(九州大学より授与)。
森山 雅幸(もりやま まさゆき、1949年 - )は、ランド… 森山 雅幸(もりやま まさゆき、1949年 - )は、ランドスケープアーキテクトおよび宮城大学名誉教授。第37回日本公園緑地協会北村賞受賞。 1949年に福岡県で誕生。南九州大学園芸学部造園学科を卒業し、鹿児島大学大学院農学研究科修士課程、オレゴン大学建築・総合芸術学部大学院造園学科修士課程を修了(M.L.A)を修了する。その後、サンフランシスコ(アメリカ)近郊の設計事務所に勤務する。日本に帰国してからは仙台で設計事務所森山アソシエイツを設立。 食産業学部教授、宮城大学副学長を歴任し、東北地方の文化的景観や三陸沿岸部オープンスペースに関する敷地分析、スキー場の夏期利用のための敷地計画等の研究を行ってきた。
杉原 一正(すぎはら かずまさ、1948年 - )は、日本の… 杉原 一正(すぎはら かずまさ、1948年 - )は、日本の歯科医師、歯学者。元鹿児島大学歯学部長。鹿児島大学大学院医歯学総合研究科先進治療科学専攻顎顔面機能再建学講座・顎顔面疾患制御学分野教授。 1973年九州大学歯学部卒業、1977年鹿児島大学医学研究科修了。鹿児島大学 医学博士 論文の題は 「リボフラビン欠乏ラットの口腔粘膜病変に関する生化学的ならびに電子顕微鏡学的研究」。 以後同大学医学部助手、歯学部助手、講師、助教授を経て1997年より教授に就任。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
紙屋 正和(かみや まさかず、1947年8月28日 - 20… 紙屋 正和(かみや まさかず、1947年8月28日 - 2018年5月13日)は、日本の東洋史学者。専門は中国古代史、特に漢代の地方行政制度や郡県制の研究で知られる。福岡大学名誉教授、博士(文学)。 鹿児島県出身。1970年に鹿児島大学法文学部文学科を卒業。九州大学大学院文学研究科修士課程(東洋史学専攻)を修了し、文学修士の学位を取得。1974年10月1日、九州大学文学部東洋史学研究室の助手に就く。1976年から福岡大学人文学部講師、1979年から福岡大学人文学部助教授、1985年から福岡大学人文学部教授を務めた(所属は文化学科、後に歴史学科)。2008年、論文「漢時代における郡県制の展開」で九州大学より博士(文学)の学位を取得。
池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月… 池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月21日 - )は日本の医師、医学者。専門は周産期医学。宮崎大学名誉教授で、2015年10月から同大学学長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1964年長崎県立長崎東高等学校卒業。1970年鹿児島大学医学部を卒業。1972年鹿児島市立病院に産婦人科医員として勤務。その後南カリフォルニア大学産婦人科とカリフォルニア大学アーバイン校産婦人科に留学する。1982年に医学博士号を取得(日本大学)。1990年に鹿児島市立病院産婦人科部長となる。1991年宮崎医科大学産婦人科教授。2003年宮崎医科大学の宮崎大学への統合に伴い宮崎大学医学部附属病院副病院長。
前田 芳實(まえだ よしざね、1945年1月30日 - )は… 前田 芳實(まえだ よしざね、1945年1月30日 - )は、日本の農学者、畜産学者。鹿児島大学第12代学長・名誉教授。農学博士。日本の畜産学における遺伝子や蛋白質制御についての研究が業績として挙げられ、地元鹿児島の肉用牛の研究やトカラ馬の調査などもおこなった。 鹿児島県立甲南高等学校を1963年3月に卒業し、在学中は生物部で部活動をおこなっていた。同年4月、鹿児島大学農学部に新設の畜産学科へ1期生として入学し、自主研究会も立ち上げ学業に取り組む。1967年3月、同学科を卒業。1969年3月、鹿児島大学大学院農学研究科(畜産学)を修了し農学修士。1969年3月鹿児島大学農学部助手となり、1981年10月助教授に就任。
皆村 武一(みなむら たけいち、1945年 - )は、日本の… 皆村 武一(みなむら たけいち、1945年 - )は、日本の経済学者、鹿児島大学名誉教授、経済学博士。 沖永良部島、鹿児島県大島郡和泊町皆川出身。1963年鹿児島県立沖永良部高等学校卒業し、鹿児島大学に入学。1968年鹿児島大学文理学部卒業。1973年九州大学大学院経済学研究科博士課程単位取得後退学。経済学修士。1988年「イタリアの戦後改革 戦後経済序説」で経済学博士。鹿児島大学法文学部助教授を経て、教授。2010年定年退任、名誉教授となる。専門分野は国際経済システム、経済発展論。
嶌 洪(しま ひろし、1944年2月9日 - )は、日本の生… 嶌 洪(しま ひろし、1944年2月9日 - )は、日本の生物学者。九州大学名誉教授。農学博士(九州大学、1981年)。専門は系統分類学。 長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1966年に鹿児島大学農学部を卒業後、1968年九州大学大学院農学研究科修士課程修了、1970年同博士課程中退。同年に九州大学教養学部助手となり、1981年同助教授、1989年同教授を経て、1994年大学院比較社会文化研究科教授、1999年大学院比較社会文化研究科長。同大学において教職員組合委員長、書記長などを歴任する一方、学会活動にも精力的に取り組み、2005年、2006年には日本昆虫学会長を務めた。 その後、九州大学総合研究博物館長などを務め退官、九州大学名誉教授となる。
吉田 浩己(よしだ ひろき、1944年1月18日 - )は、… 吉田 浩己(よしだ ひろき、1944年1月18日 - )は、日本の医学者、病理学者。鹿児島大学第11代学長・名誉教授。医学博士。専門は乳癌病理学、毒性病理学。 福岡県久留米市生まれ。1969年に鹿児島大学医学部医学科を卒業。1971年から1973年の間、シカゴ大学ベン・メイ癌研究所に留学。1974年、鹿児島大学大学院医学研究科単位修得し、愛媛大学医学部助手に就く。「新生児期男性ホルモンの雌性ラット性腺分化に与える影響についての研究」の論文により、1976年2月17日に医学博士の学位を鹿児島大学から授与される。愛媛大学医学部助教授を経て、1983年9月、鹿児島大学医学部教授に就任。鹿児島大学教授の間、医学部附属動物実験施設長(1991年4月就任)、医学部医学科長(2000年10月就任)、医学部長(2003年2月就任)、医歯学総合研究科長(20003年4月就任)などを歴任。
小川 全夫(おがわ たけお、1943年7月31日 - )は、… 小川 全夫(おがわ たけお、1943年7月31日 - )は、日本の社会福祉学者、山口大学・九州大学名誉教授。 台北市生まれ、兵庫県出身。鹿児島大学文理学部卒業、九州大学大学院文学研究科社会学科修士課程修了、1996年「地域の高齢化と福祉 高齢者のコミュニティ状況」で久留米大学文学博士。宮崎大学教育学部講師、助教授、山口大学人文学部助教授、教授をへて、名誉教授、1998年九州大学文学研究科教授となる。2006年定年退官、名誉教授、山口県立大学教授、2010年熊本学園大学教授を務め、2014年退職。2025年、瑞宝中綬章受章。
萬田 正治(まんだ まさはる、1942年4月23日 - )は… 萬田 正治(まんだ まさはる、1942年4月23日 - )は、日本の農学者、専門は畜産学。鹿児島大学名誉教授。日本での持続可能な農業を研究提言するなかで、自らも萬田農園を開設し、合鴨農法による無農薬米の生産方法を確立・全国に普及させるなどの実績を持つ実践者でもある。放送大学客員教授、鹿屋体育大学理事、鹿児島大学経営協議会委員、鹿児島大学稲盛アカデミー特任教授、等を兼任。 鹿児島大学農学部卒、東北大学大学院終了、酪農学園大学講師
小野 武年(おの たけとし、1938年6月3日 - 2022… 小野 武年(おの たけとし、1938年6月3日 - 2022年12月15日)は、日本の医学者・生理学者。富山医科薬科大学名誉教授・元学長。位階は従三位。 英領マレー半島ケランタン州コタバル市生まれ。1964年鹿児島大学医学部卒業。1969年金沢大学大学院医学研究科修了、「摂食中枢の抑制機構について」で医学博士。同年金沢大学医学部生理学助手。1973年助教授。1977年富山医科薬科大学医学部生理学教授。2004年富山医科薬科大学学長。同名誉教授、富山大学大学院医学薬学研究部・特任教授。1984年セッシェノフ賞受賞、1994年中日文化賞受賞。2015年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。
藤善 眞澄(ふじよし ますみ、1934年(昭和9年)9月-2… 藤善 眞澄(ふじよし ますみ、1934年(昭和9年)9月-2012年(平成24年)2月8日)は、日本の東洋史・仏教史学者。関西大学名誉教授。 1934年、鹿児島県鹿児島郡東桜島村大字湯之(現在の鹿児島市東桜島町)で生まれた。生家は浄土真宗本願寺派の光善寺であった。1953年、鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業し、鹿児島大学東洋史学科に入学。同大学を卒業後、京都大学大学院に進学した。研究テーマは隋唐時代の末法思想であった。また、京都大学では森鹿三の指導により、中国歴史地理学についても研究することになった。1964年、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得後退学。 卒業後は、関西大学教授に就いた。1993年、学位論文『南山大師道宣傳の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。
田中 弘允(たなか ひろみつ、1934年7月1日 - 202… 田中 弘允(たなか ひろみつ、1934年7月1日 - 2025年2月6日)は、日本の医学者、内科学者。鹿児島大学第9代学長・名誉教授。医学博士。心筋症、心疾患など循環器学分野を特に研究した。 鹿児島県名瀬市(奄美市)と鹿児島県熊毛郡中種子町輪野尾出身。1953年、鹿児島県中種子高等学校(現鹿児島県立種子島中央高等学校)を卒業。鹿児島県立大学で学び、1958年までに鹿児島県立大学が国立の鹿児島大学に統合移管されたため、鹿児島大学医学部医学科を1959年に卒業。1960年、聖路加国際病院でのインターンを終え、鹿児島大学医学部第一内科に入局。鹿児島大学大学院医学研究科博士課程を修了し、「アドレナリン静注による犬の条件反応性不整脉についての研究」により、1966年3月26日に医学博士の学位を取得。
松下 志朗(まつした しろう、1933年7月1日 - 201… 松下 志朗(まつした しろう、1933年7月1日 - 2017年)は、日本の日本史学者。 鹿児島県囎唹郡志布志町(現・志布志市)で生まれ、4歳で鹿児島市に転居し、戦争疎開で末吉町(現・曽於市)に移る。鹿児島県立末吉高等学校(現・鹿児島県立曽於高等学校)から熊本大学法文学部法学科に進学するが、2年で鹿児島大学文理学部の史学に編入。鹿児島大学卒業後、鹿児島県立川辺高等学校や鹿児島県立大島高等学校で日本史を教え、大島高校教諭時代に『名瀬市史』の編纂に関わった際に、編纂委員の原口虎雄から研究者の道を勧められる。1967年九州大学大学院文学研究科中退。1985年「幕藩制社会と石高制」で経済学博士。福岡大学助教授を経て、1971年九大経済学部助教授、1986年教授となる。
前園 主計(まえその しゅけい、1932年5月2日 - 20… 前園 主計(まえその しゅけい、1932年5月2日 - 2022年6月19日)は、日本の図書館情報学者。 鹿児島県指宿市生まれ、同市東方木の下出身。旧制鹿児島県立指宿中学校に入り学制改革を経て、1951年3月に鹿児島県立指宿高等学校卒業。鹿児島県立大学工学部(後の鹿児島大学工学部)電気工学科に入学したが、結核のため療養。慶應義塾大学文学部図書館学科に入りなおして1956年3月に卒業。1956年4月に日本生産性本部生産性研究所入所。1960年~1961年、米国コロンビア大学経営管理大学院留学。日本生産性本部図書室長を経て、1975年青山学院女子短期大学教授、図書館長。2002年定年退職、名誉教授、山梨英和大学教授・図書館長。
山下 佐英(やました すけひで、1931年10月28日 -)… 山下 佐英(やました すけひで、1931年10月28日 -)は、日本の医師、歯科医師、歯学者、鹿児島大学名誉教授、鹿児島医療技術専門学校学長、元鹿児島大学歯学部附属病院長。医学博士。 鹿児島県日置郡伊集院町(後の日置市)出身。1949年旧制鹿児島県立伊集院中学校卒業、1950年新制鹿児島県立伊集院高等学校卒業。1957年鹿児島大学医学部卒業。日本赤十字社中央病院インターン、鹿児島大学副手を経て、1960年鹿児島大学医学部助手、1962年鹿児島大学医学部講師、1964年鹿児島大学医学部助教授。1967年大阪大学歯学部に編入学。1970年に大阪大学歯学部を卒業し、鹿児島大学医学部助教授に復職。1977年、鹿児島大学歯学部教授に就任。
朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 20… 朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 2014年9月14日)は、日本の脳神経外科医、医学者。 鹿児島県出身。1948年鹿児島県立鹿屋中学校4年修了、1955年鹿児島医科大学学士試験合格、1956年医師国家試験合格、国立東京第一病院外科研究員として勤務、1959年鹿児島大学医学部研究員(神経精神科)、1961年助教授、1969年東京女子医科大学講師、1971年助教授、1975年鹿児島大学医学部教授に戻り、1985-1989年附属病院長、1997年定年退官、名誉教授、医療法人猪鹿倉会パールランド病院名誉院長、和風会加世田病院顧問、脳神経疾患研究所付属てんかん研究所所長、2002年慈風会厚地記念放射線医学研究所所長、2005年和風会加世田病院理事長・院長、2012年慈風会厚地脳神経外科・放射線科クリニック院長。
金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 20… 金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 2009年2月14日)は、日本の水産学者。専門は水産化学、水族栄養化学。鹿児島大学名誉教授、日本水産学会名誉会員、学位農学博士。 鹿児島県鹿児島市出身。1951年(昭和26年)3月旧制鹿児島水産専門学校(鹿児島大学水産学部の前身)水産製造科卒業。1952年(昭和27年)6月新制鹿児島大学水産学部助手に着任。論文「海藻のビタミンB群に関する研究」により、1962年(昭和37年)3月31日九州大学から農学博士の学位を授与される。1964年(昭和39年)5月、「藻類の成長を促進し品質を向上せしめる方法、海苔の養殖剤の製造法」に対して昭和39年度全国発明表彰発明協会会長賞を授与される。
阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016… 阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016年5月21日)は、日本の国文学者、万葉学者。 鹿児島県出身。日本統治時代の朝鮮の全州で生まれ、終戦後に鹿児島県に引き揚げ。鹿児島県立串木野高等学校を経て、鹿児島大学文理学部文学科卒業。国語教師を経て東京大学大学院に入学し、同博士課程修了。1972年「柿本人麻呂の研究」で文学博士の学位を取得。山梨英和短期大学教授、共立女子大学文芸学部教授を経て、1991年日本女子大学文学部教授、1998年昭和女子大学特任教授。
下野 敏見(しもの としみ、1929年(昭和4年)4月4日 … 下野 敏見(しもの としみ、1929年(昭和4年)4月4日 - 2022年3月10日)は、日本の民俗学者、文学博士。鹿児島大学教授、鹿児島純心女子大学教授を歴任。南日本地方の民俗研究の第一人者であり、日本民俗学会の権威ともいわれる。 鹿児島県川辺郡知覧町(現在の南九州市)出身。鹿児島県立川辺高等学校、鹿児島大学文理学部社会学科卒業。大学卒業後は県内各地の高等学校の教諭を経て、鹿児島大学法文学部教授、鹿児島純心女子大学教授を務める。高校教員時代から夏休みのたびに屋久島を訪ね、古老の話者を探して昔話を聞き続けた。その後もフィールドワークを信条に県内外を歩き続け、民俗学の研究に情熱を注いでおり、南九州から沖縄県に至る地域で、長年にわたって民俗調査を行なっている。
山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5… 山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5日 - 2021年(令和3年))は、日本の民俗学者、文化人類学者。奄美の民俗学、ユタ研究の第一人者であった。文学博士、鹿児島国際大学名誉教授。 鹿児島県奄美大島の名瀬町(現・奄美市)に生まれる。名瀬国民学校から旧制鹿児島県立大島中学校に進学。県の土木技師であった父の本土転任にともない、旧制鹿児島県立加治木中学校に転校。旧制加治木中を四年修了して鹿児島農林専門学校獣医畜産科に入学、卒業。一度、新制中学校の英語教師となった後、早稲田大学法学部に編入学するが、母の病気等の事情により中退して鹿児島へ戻り、県立高等学校(英語教師)や県教育庁にて勤務。
渡辺幸博(わたなべ ゆきひろ、1928年2月19日- )は、… 渡辺幸博(わたなべ ゆきひろ、1928年2月19日- )は、日本の哲学者、関西大学名誉教授。 熊本県阿蘇郡生まれ。1952年鹿児島大学農学部獣医専攻科卒業、大阪府家畜健康衛生所勤務。1963年関西大学大学院文学研究家哲学専攻博士課程満期退学。1967年関西大学文学部講師、助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 1993年「サルトルとポスト構造主義」で関西大学文学博士。
橋村 三郎(はしむら さぶろう、1926年1月30日 - 2… 橋村 三郎(はしむら さぶろう、1926年1月30日 - 2013年6月7日)は、日本の医学者、生理学者。専門は神経生理学、電気生理学。鹿児島大学名誉教授、医学博士。 鹿児島県鹿児島市の谷山地区出身。4人兄弟の次男。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1944年に旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科を卒業。1948年九州大学医学部を卒業。1953年から2年間、アメリカのロチェスター大学に留学。帰国後、九州大学医学部助教授(生理学教室第一講座所属)。論文「日本産トノサマガエルならびにヒキガエルの血液におけるK及びCaの含有量の季節的変動について」により、1956年8月九州大学から医学博士の学位を授与される。
外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993… 外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993年7月21日)は、日本の産婦人科医、産婦人科学者。周産期医療、母子救急医療の権威。鹿児島県の周産期医療・新生児医療の改善と発展に尽力した。鹿児島市立病院第5代院長。 宮崎県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1951年に旧制県立鹿児島医学専門学校(後の旧制県立鹿児島医科大学、現・鹿児島大学医学部)卒業。1958年4月、旧制県立鹿児島医科大学より医学博士号授与。鹿児島大学産婦人科(町野碩夫教授)に入局し、1958年1月より助手、1961年5月より講師。1966年2月に鹿児島大学助教授となるが、鹿児島市立病院に招かれて7月に退職。
石神 兼文(いしがみ かねふみ、1916年8月11日 - 2… 石神 兼文(いしがみ かねふみ、1916年8月11日 - 2011年4月27日)は、日本の法学者。鹿児島大学第6代学長・名誉教授。専門は民法、特に財産法。 鹿児島県日置郡東市来村長里(現・日置市東市来町長里)にて生まれる。鹿児島県立伊集院中学校 (旧制)を経て、1935年3月に第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類を卒業。1940年3月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業して、大日本航空に入社するが、翌年3月に軍に現役入隊となり休職。1946年3月、復員。1947年10月から1950年10月まで、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校とその学制改革後の鹿児島県甲南高等学校にて教諭を務め、社会科の一般社会の授業を担当。
金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 200… 金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 2008年6月26日)は、日本の医学者、内科学者。医学博士。内科疾患の精神身体医学的側面について研究した、日本における心身医学の草分け。鹿児島大学名誉教授。 鹿児島県瀬戸内町生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)四年修了を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科を1934年に卒業。1938年、九州帝国大学医学部を卒業。学部では操坦道のもとでデング熱やワイル病について研究した。金子廉次郎教授の第一内科に入局し九大講師。1945年11月、「黄疸出血性レプトスピラ病における出血の成因に関する実験的研究」で九州大学より医学博士取得。また戦後は稲田竜吉東京大学教授が主催するインフルエンザ研究会にも参加した。