9代 森 六郎(もり ろくろう、1891年(明治24年)11… 9代 森 六郎(もり ろくろう、1891年(明治24年)11月29日 - 1974年(昭和49年)3月2日)は、日本の政治家。実業家。元徳島市長。徳島県小松島市出身。 勝浦郡芝生村(現在の小松島市芝生町)の仙石鹿太郎の次男として生まれる。幼名は茂之。 1913年(大正2年)に農商務省水産講習所製造科(現在の東京海洋大学)を卒業し、1914年(大正3年)に森家へ養子に入り、8代目森六郎の長女・純と結婚。1931年(昭和6年)に森六郎を襲名し家督を相続して9代目となった。 1932年(昭和7年)に日本人造藍販売株式会社の社長に就任。1942年(昭和17年)、第二次世界大戦中に徳島市長に就任。終戦直前の1945年(昭和20年)4月まで市長を務めた。
高橋 百千(たかはし ももち、1889年7月14日 - 19… 高橋 百千(たかはし ももち、1889年7月14日 - 1973年8月8日)は船舶交通に関する人物。 台湾総督府交通局技師として現地の方を尊重し、台湾と日本の関係良好の礎を築いた。戦後は日本モーターボート選手会が今の競艇に発展するための法整備などに尽力。[要出典] 広島県広島市東白鳥町で生まれる。1916年(大正5年)、官立商船学校機関科(現・東京海洋大学海洋工学部)卒業。日本郵船機関士を務めた後、1917年(大正6年)逓信省管船局に入り、名古屋逓信局海事部長を経て、1940年(昭和15年)日本船用品統制副社長、1949年(昭和24年)日本船燈監査役となる。 1956年(昭和31年)日本船舶機関士協会会長、1957年(昭和32年)全国モーターボート競走施行者協議会事務局長を務める。
岩波 嘉重(いわなみ かじゅう、1886年 - 1974年)… 岩波 嘉重(いわなみ かじゅう、1886年 - 1974年)は、日本の実業家。日本ピラー工業(現・PILLAR)創業者。 長野県諏訪郡中洲村(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)卒業。1924年船舶用レシプロエンジンのシリンダーグランド用として国産第一号の船舶用パッキンである合金製ピラーパッキンを考案し、兵庫県神戸市灘区に日本ピラー工業所(現・PILLAR)を創業。1926年大阪府大阪市淀川区に本社・工場を新設。1948年株式会社に改組し、日本ピラー工業株式会社(現・株式会社PILLAR)を設立。
高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - … 高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - 1964年2月24日)は、日本の政治家・実業家。満洲重工業開発株式会社副総裁・第2代総裁、電源開発初代総裁、通商産業大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。 大阪府島上郡三箇牧村(現在の高槻市)で生まれる。旧制茨木中学を卒業後、農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務。1917年、東洋製罐を創立。1938年、東洋製罐専修学校(後の東洋食品工業短期大学)を設立。1942年、満洲重工業開発総裁に就任。1947年公職追放、1951年同解除。1952年、電源開発総裁に就任。
片岡 弓八(かたおか ゆみはち、1884年(明治17年)5月… 片岡 弓八(かたおか ゆみはち、1884年(明治17年)5月15日 - 1958年(昭和33年)10月2日)は、日本の船員。船員から潜水業に転じ、海洋サルベージで名を成した。香川県綾歌郡陶村九十原(現・綾川町陶)出身。 細谷鈴吉を父として生まれる。1900年(明治33年)12月に上京し、1907年(明治40年)9月に東京高等商船学校を卒業。卒業後は東洋汽船に就職し、天洋丸に乗務した。4年後に東洋汽船を退社すると、トロール船による漁業を手がけた。 1913年(大正2年)、東京高等水産講習所の教官に招聘され、練習船の船長となる。同年、片岡家を相続し、片岡弓八となる。1914年(大正4年)、第一次世界大戦勃発に際してフランスの傭船となった帝国丸に船長として乗務。
中島 董一郎(なかしま とういちろう、1883年8月22日 … 中島 董一郎(なかしま とういちろう、1883年8月22日 - 1973年12月19日)は、愛知県西尾市出身の実業家。キユーピー創業者。
米窪 満亮(よねくぼ みつすけ、1881年(明治14年)9月… 米窪 満亮(よねくぼ みつすけ、1881年(明治14年)9月16日 - 1951年(昭和26年)1月16日)は、日本の労働運動家、小説家、政治家。日本海員組合副会長を経て、戦後、日本社会党に所属し、片山内閣の国務大臣、初代労働大臣を歴任した。小説家としての筆名は「米窪太刀雄」がある。
岡崎 憲(おかざき けん、1880年〈明治13年〉11月30… 岡崎 憲(おかざき けん、1880年〈明治13年〉11月30日 - 1942年〈昭和17年〉7月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 宮城県仙台市生まれ。1907年(明治40年)東京高等商船学校(現東京海洋大学)卒。東洋汽船に入り、外国航路の船長になる。同時に海軍予備員となり、少佐となる。1920年(大正9年)にイタリアのジェノバで開かれた第2回ILO総会に出席。帰国後は海員組合の創立委員となり、顧問に就任。その後社会民衆党の結成に参加し、中央委員となる。1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙で当時の神奈川1区から社会大衆党公認で立候補して当選した。翌年の総選挙でも再選。いずれもトップで当選した。
瀬川 直一(せがわ なおいち、1880年(明治13年)1月1… 瀬川 直一(せがわ なおいち、1880年(明治13年)1月10日 - 1968年(昭和43年)8月21日)は、日本の船長、第二代日本海事検定協会会長。位階は従五位。 牧師である父、瀬川浅と母つやの長男として佐賀県で生まれ、その後すぐ長崎市へ移り、同地で育つ。 東山学院を経て、1906年(明治39年)に東京商船学校を卒業後、日本郵船に入社。英国留学の経験や英語が得意だったことを活かして、主に欧州航路の乗組船員として乗務に就いた後、小樽丸、加賀丸、靖国丸等の船長を務める。 1933年(昭和8年)に日本郵船を退職、1935年(昭和10年)日本海事検定協会に検査員として就職し、横浜出張所所長や理事などを務めた。
小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月… 小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月21日 - 1959年(昭和34年)2月11日)は、日本の船員、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 茨城県久慈郡馬場村(後の誉田村大字馬場、現在の常陸太田市馬場町)で、鋳物業・小泉長介、とみ夫妻の六男として生まれた。太田尋常小学校、太田町立太田高等小学校を経て、1893年4月、茨城県尋常中学校に入学。1896年3月、中学第3学年を修了後退学し、同年7月、官立商船学校(現在の東京海洋大学海洋工学部)航海科に入学。1902年1月、同校を卒業した。 大阪商船の貸費生であったので、卒業後直ちに同社に入社し監督課技士となる。1903年夏過ぎ、大阪商船を退職し、同年9月、三井物産船舶部に入社して阿蘇山丸に二等運転士として配属された。
田上 郷吉(たがみ さときち、1874年(明治7年)7月30… 田上 郷吉(たがみ さときち、1874年(明治7年)7月30日 - 1959年(昭和34年)7月7日)は日本の元船長。 一般社団法人日本海事検定協会初代会長。勲四等旭日小綬章受章者。 山口県佐波郡右田村に生まれる。 1894年(明治27年)7月 - 官立商船学校航海科に入学。在学中、英国に留学し約5年間にわたり同国帆船に乗船し、航海運用術及び先進各国の海運状況を研究した。 1899年(明治32年)7月 - 官立商船学校航海科卒業と同時に大阪商船株式会社に入社。累進して船長となる。 1906年(明治39年)10月 - 嘱望されて台湾総督府海事官に就任。同時に土木技術士を兼任した。この間に英国ロイド保険協会の台湾全島における海事鑑定人も委嘱された。
島谷 敏郎(しまたに としろう、1873年(明治6年)10月… 島谷 敏郎(しまたに としろう、1873年(明治6年)10月2日 - 1940年(昭和15年)8月18日)は、日本の教育者。 広島県佐伯郡廿日市町(現在の廿日市市)出身。1897年(明治30年)、商船学校(のち東京高等商船学校)機関科を卒業。翌1898年(明治31年)、商船学校教諭となり、1903年(明治36年)から1905年(明治38年)まで機関学研究のためイギリスに留学した。帰国とともに教授となり、1923年(大正12年)に教頭に、1925年(大正15年)には校長に就任した。1936年(昭和11年)に退官し、東京高等商船学校名誉教授の称号を得た。 逓信省技師・地方海員審判所審判官・高等海員審判所審判官を兼ねたほか、帝国水難救済会評議員・造船協会評議員・日本海員掖済会理事などを務めた。
田岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870… 田岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870年11月21日) - 大正元年(1912年)9月7日)は、近代日本の文芸評論・思想家。本名は佐代治。
山田 良政(やまだ よしまさ、慶応4年1月1日(1868年1… 山田 良政(やまだ よしまさ、慶応4年1月1日(1868年1月25日) - 明治33年(1900年)10月22日?)は、日本の革命運動家、大陸浪人である。熊本の宮崎滔天らと共に孫文の支援者となり辛亥革命に参加。実弟の山田純三郎も兄の遺志を継いで孫文を支援した。 陸奥国弘前(後の青森県弘前市)に津軽藩士の子として生まれる。山田家は思想家の陸羯南の実家と真向かいにあったこともあり、良政は少年時代から羯南の影響を受けていたとされる。伯父の菊池九郎が経営する東奥義塾で学んだ後に地元の青森師範学校へ進学したが、2年時に全寮制の寮内での賄経費を巡る騒動(賄征伐)が発生した際に、騒動の首謀者となった友人をかばう形で退学処分を受けた。
辰沢 延次郎(たつざわ えんじろう、慶応元年11月14日(1… 辰沢 延次郎(たつざわ えんじろう、慶応元年11月14日(1865年12月31日) - 1931年(昭和6年)10月16日)は日本の実業家、政治家。東京市会議員。 静岡藩士、石渡栄次郎の二男として江戸(後の東京市京橋区新船松町(霊岸島)、現東京都中央区新川)に生まれる。辰沢豊三郎の養子となった後、1877年(明治10年)1月家督相続。攻玉社中学を経て、1885年(明治18年)東京商船学校航海科卒業、海運業界に入る。当初は運転士として海上勤務だったが入社先が日本郵船に改称すると陸上勤務に転じる。同社は艀船部を廃止して京浜艀船受負事務所を新設、辰沢は同社を退職して1897年(明治30年)に事務所と同じ所在地に辰沢回漕店を開業、自ら海運業を営み、日本郵船から事業を受け継いで京浜間の貨物輸送を嘱託されていた。
伊谷 以知二郎(いたに いちじろう、1864年12月31日(… 伊谷 以知二郎(いたに いちじろう、1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1937年(昭和12年)3月30日)は、明治から昭和初期にかけての日本の水産学者。現在の東京海洋大学の創立に寄与した。大日本水産会や日本水産学会の会長を務め、水産界をはじめ缶詰業界の発展に貢献した。旧姓は田中。 紀州藩士田中傳の次男(第三子)として、現在の紀尾井町にあった藩邸で生まれた。15歳の時に三菱商業学校予備科に入学するが、18歳の時に廃校となったため独学となった。1884年(明治17年)9月、同藩士であった[要出典]伊谷久吉の養子となり家督を相続した。この間、父が手を出した鉱山事業に失敗し、13歳から32歳頃まで生活が困窮した。
久田 佐助(ひさだ さすけ、1864年12月28日(元治元年… 久田 佐助(ひさだ さすけ、1864年12月28日(元治元年11月30日) - 1903年(明治36年)10月29日)は、明治時代の船長。 1864年、鳳至郡鵜川村(現石川県能登町字鵜川)に生まれる。1893年、東京商船学校(現東京海洋大学)を卒業し、日本郵船に入社。1903年、青森函館間の連絡船「東海丸」の船長に任命される。 同年10月29日、「東海丸」は青森を出航後、悪天候に見舞われ、津軽海峡でロシアの貨物船「プログレス号」に衝突される。久田は乗客乗員全員を救命ボートに乗せたのち、非常汽笛を鳴らし続けるため、ただ一人「東海丸」にとどまる。船はやがて沈没し、久田は船と運命を共にしたが、汽笛を聞きつけた「プログレス号」が戻り、乗客乗員57人の救助に成功する。
神田 英宣(かんだ ひでのぶ)は、日本の海上自衛官、防衛学研… 神田 英宣(かんだ ひでのぶ)は、日本の海上自衛官、防衛学研究者。専門は、海洋安全保障、海軍戦略。 城西大学付属川越高等学校、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業。2017年東京海洋大学大学院海洋科学技術研究科海洋管理政策学専攻博士前期課程修了、修士(海洋科学)の学位を取得。日産ディーゼル工業(株)工務部、艦艇(護衛艦、砕氷艦、輸送艦)、海上自衛隊幹部候補生学校教官、防衛局防衛政策課BMD研究室、統合幕僚会議事務局、海上幕僚監部防衛部、海上自衛隊第1術科学校生徒隊長兼教務室長、防衛研究所政策研究部所員等を経て、2013年7月より防衛大学校防衛学教育学群准教授。2019年3月2等海佐に特別昇進し定年退職。
庄司 るり(しょうじ るり)は、日本の航海学者、海上交通工学… 庄司 るり(しょうじ るり)は、日本の航海学者、海上交通工学者。東京海洋大学理事・副学長を経て、海上・港湾・航空技術研究所理事長を務めた。 東京都出身。大田区ふたば幼稚園、大田区立入新井第二小学校、大田区立大森第三中学校、川越市立大東中学校、富士見高等学校を経て、東京商船大学(のちの東京海洋大学)商船学部航海学科卒業後、1989年同大学大学院商船学研究科修了、オーシャンルーツ入社。1992年東京商船大学航海学科助手。1999年東京商船大学航海学科講師。2003年東京海洋大学海洋工学部海事システム工学科講師。2010年東京海洋大学海洋工学部海事システム工学科准教授。2012年東京海洋大学学術研究院海事システム工学部門教授。
岩原 謙三 (いわはら けんぞう、1863年12月1日(文久… 岩原 謙三 (いわはら けんぞう、1863年12月1日(文久3年10月21日)- 1936年(昭和11年)7月12日)は、明治から昭和初期の実業家。三井物産時代にヴィッカーズ事件で有罪となるも、その後足利紡績、芝浦製作所社長、日本放送協会会長など多くの重役を務めた。 加賀国大聖寺藩(現在の石川県加賀市大聖寺錦町)の藩士・岩原孝興の長男として誕生。 金沢の石川県啓明学校にて学業を始め、1878年(明治11年)に卒業し大阪に出立して旧制大阪英語学校を経て東京の旧制東京商船学校を卒業。 1883年(明治16年)東京商船学校を卒業すると共同運輸会社(現在の日本郵船)へ入社。その後、三井物産(旧社)に転職する。
加藤 光一(かとう こういち)は、日本の国土交通技官。国土交… 加藤 光一(かとう こういち)は、日本の国土交通技官。国土交通省大臣官房技術審議官等を経て、地方公共団体金融機構監事、日本小型船舶検査機構顧問、日本船舶技術研究協会専務理事。山縣勝見賞著作賞受賞。 1983年東京商船大学(のちの東京海洋大学)商船学部航海学科卒業、運輸省入省。科学技術庁出向や、運輸省神戸海運局船舶部船舶検査官、運輸省海上技術安全局安全基準管理官付、国土交通省海事局検査測度課補佐官、国土交通省海事局検査測度課長補佐等を経て、2002年日本貿易振興会ロンドン・ジャパン・シップセンター次長。2005年国土交通省海事局付。 2007年国土交通省海事局造船課国際業務室長。2011年国土交通省海事局安全・環境政策課長。
ムジキウィス・D・サントス (Mudjekeewis Da… ムジキウィス・D・サントス (Mudjekeewis Dalisay Santos)は、フィリピンの水産学者。フィリピン農務省国立水産研究開発研究所 (NFRDI) 科学者IV 、フィリピン生化学・分子生物学協会会長、フィリピン国立科学技術アカデミー会員。 フィリピン共和国バギオ生まれ。1992年フィリピン大学バギオ校卒業。国立水産研究開発研究所 (NFRDI) 主任水産養殖者を務め、2008年東京海洋大学大学院修了、博士(海洋科学)。青木宙教授の下で博士研究員を務め、2009年にフィリピンに帰国後、2010年に科学者I、2014年に科学者 II、2021年に科学者 IVが授与された。2018年フィリピン国立科学技術アカデミー会員。
凌 霄(りょう しょう)は、中華民国の海軍軍人。南京国民政府… 凌 霄(りょう しょう)は、中華民国の海軍軍人。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。別号は壮華。 日本に留学し、東京商船学校、海軍大学校を卒業した。帰国後は、北京政府参謀本部科長、奉天省航警学校校長、東北第2艦隊司令、渤海艦隊副司令を歴任する。1929年(民国18年)、沈鴻烈配下の東北第1艦隊司令として青島に入った。しかし沈と対立して、東北海軍駐青弁公処処長に転じている。 1940年(民国29年)3月、汪兆銘が南京国民政府を樹立すると、凌霄は軍事委員会委員兼海軍部政務次長となった。同年5月、政務次長を離れ、委員専任となる。1944年(民国33年)11月、海軍部長任援道に代理して部長となり、翌1945年(民国34年)1月、正式に海軍部長に昇進した。