大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 20… 大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 2007年3月21日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専門は財政学。勲三等旭日中綬章受章。 日本財政学会代表理事、日本経済政策学会理事、日本地方自治研究学会理事、国際財政学会理事、財政制度審議会委員、大学設置審議会委員、日本学術会議会員、国税審議会会長などを歴任。 指導学生に堀場勇夫(青山学院大学名誉教授)、内藤忠顕(元日本郵船社長)、永田雄志(元東洋エンジニアリング会長)、伊藤隆敏(コロンビア大学教授)、金田勝年(元法務大臣)、進藤孝生(日本製鉄会長)、塚原治(元国税庁国税審議官)、鹿取克章(元駐インドネシア大使)、吉國眞一(元国際決済銀行アジア太平洋総代表)、星野茂夫(元国土交通省海事局長)など。
伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 20… 伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 2021年10月2日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞。 神奈川県出身。横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)塩野谷九十九ゼミ出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、1950年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下で助手に就任。1966年「アメリカの金融政策 その論争点の分析」で経済学博士(一橋大学)。一橋大学経済研究所教授を経て、1974-1976年一橋大学経済研究所所長、1986年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、成城大学教授を務めた。 1998年勲三等旭日中綬章受章。
平田 清明(ひらた きよあき、 1922年8月17日 - 1… 平田 清明(ひらた きよあき、 1922年8月17日 - 1995年3月1日)は、日本の経済学者。専門は、経済史・マルクス経済学。京都大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。高島善哉ゼミ出身。 市民社会論を展開。元経済理論学会全国幹事。京都西山の自然と文化を守る会会長、フォーラム90s呼びかけ人、トロツキー50周年実行委員会世話人等も務めた。 杉本苑子が直木賞を受賞した「孤愁の岸」で描いた宝暦の木曾三川の大治水普請(宝暦治水事件)の総奉行、薩摩藩家老平田靱負の末裔。 名大時代の弟子に山田鋭夫名大教授、八木紀一郎京大教授、植村邦彦関西大名誉教授、若森章孝関西大名誉教授が、斉藤日出治大阪産業大名誉教授、神奈川大学時代の弟子に丹野清人東京都立大学教授がいる。
杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1… 杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1999年3月21日)は、日本の経済学者。英国経済学史専攻。一橋大学社会科学古典資料センター第2代主任教授、経済学史学会代表幹事、経済資料協議会会長等を歴任。東京経済大学名誉教授、静岡大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 静岡県沼津市出身。旧制沼津中学(現静岡県立沼津東高等学校)を経て、東京商科大学(現一橋大学)在学中、学徒出陣で第3師団野戦重砲兵第3連隊入隊。結核で除隊後、1945年に大学を卒業し、沼津の芝浦工作機械(現芝浦機械)入社。吹田順助ゼミ出身。 1947年退社、日本大学専任講師。専門部教授、教養部助教授、静岡大学助教授を経て、一橋大学大学院に内地留学し大塚金之助に師事。
江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12… 江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12日 - 2011年12月22日)は日本の経済学者。財政学専攻。生存科学研究所理事長。一橋大学・帝京大学名誉教授。
小島 清(こじま きよし、1920年5月22日 - 2010… 小島 清(こじま きよし、1920年5月22日 - 2010年1月7日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専門は国際経済学。 1920年愛知県名古屋市中区流町の困窮小売商・瀬見井家に生まれる。1938年愛知県商業学校(現愛知県立愛知商業高等学校)卒業(首席)。同年小島家の養子となる。1938年名古屋高等商業学校(現名古屋大学)に無試験入学、1941年同卒業、1943年9月東京商科大学(現一橋大学)(赤松要ゼミナール)を繰り上げ卒業、同年同大特別研究生となる。大学附属東亜経済研究所所員時代、江口定条初代如水会理事長が軍需省から大学キャンパスを守るため、キャンパス内に学生などが住めるよう設立した如水寮に居住。
柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日… 大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日 - 2005年4月5日)は、日本の経済学者。横浜国立大学名誉教授。 1919年、福岡県飯塚市生まれ。横浜高等商業学校(現横浜国立大学)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。しかし太平洋戦争のため1942年9月に同大学を繰上げ卒業となり、入隊。機関砲中隊に配属されるが、病気のため現役免除となり、満鉄調査部に勤務。 戦後、横浜国立大学経済学部助教授となる。後に教授に昇進。1973年経済学部長。1985年に横浜国立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関東学院大学教授、神奈川大学教授として教鞭をとった。ユーラシア研究所名誉顧問。
李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11… 李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11月13日 - 2008年8月13日)は、大韓民国の経済学者、銀行家、実業家、政治家。 本貫は星州李氏(朝鮮語版)[要出典]。日本名星山 正雄。延世大学校教授などを経て、韓国銀行総裁や、大韓民国財務部長官、韓国産業銀行総裁、錦湖石油化学会長等を歴任した。金塔産業勲章受章。 慶尚南道東萊郡(のちの釜山広域市)出身。東萊中学校(のちの東萊高等学校(朝鮮語版))を経て、1941年東京商科大学(のちの一橋大学)予科修了。1944年同大学卒業。 釜山大学校教授、延世大学校教授を経て、1961年大韓民国財務部長官顧問。1962年農業協同組合中央会会長。
渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 -… 渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 - 2008年9月17日)は日本の経済学者。専門は経済史。福島大学学長などを経て、同大学名誉教授。 1919年、福島県二本松市生まれ、安達中学校を経て、福島高等商業学校に進学、1941年に卒業、東京商科大学に進む。卒業後、東芝に入社したが、1949年、恩師小林昇に請われて、母校福島大学経済学部にもどる。以後、短期大学部主事、図書館長、学生部長、経済学部長を歴任、母校の発展に尽力する。 1976年から2期5年間、福島大学学長に就任、福島大学の統合整備計画を進め、金谷川キャンパスへの統合移転を実現させた。研究者としては、イギリス重商主義経済学研究の第一人者として活動した。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
西川 元彦(にしかわ もとひこ、1918年 - 没年不明) … 西川 元彦(にしかわ もとひこ、1918年 - 没年不明) は、日本の経済学者 、日本銀行監事。 名古屋高等商業学校で宮田喜代蔵 の指導を受け、「最も理論的なものは、最も実践的である。」という言葉で、経済に対する関心を深める。宮田の勧めもあり、東京商科大学に進学、中山伊知郎の門を叩く。 1941年(昭和16年)東京商科大学卒業後、日本銀行入行。統計局長、調査局長、監事を歴任、一橋大学の講師も務めた。1978年(昭和53年)1月に前川春雄副総裁を委員長とする日本銀行百年史編纂委員会が発足すると、吉野俊彦、呉文二と共に日本銀行百年史編纂委員会の委嘱委員を務めた。 中央銀行の理論と歴史に関する権威として知られ、多くの論文、専門書を執筆・監訳した。
古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日… 古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日 - 2007年(平成19年)4月11日)は、日本の経済学者。元東北大学経済学部教授、一橋大学商学博士。四女の漫画家、山下和美の作品『天才柳沢教授の生活』の主人公・柳沢良則のモデル。なお、良則は大六の父、つまり山下の祖父の名である。 1917年(大正6年)6月26日、父・古瀬良則(英語学者・一橋大学名誉教授)、母・要(旧姓、鷲田)の長男として、石川県金沢市に生まれる。 1940年(昭和15年)、東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業後、東京芝浦電気に入社。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 198… 増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 1983年5月12日)は、日本の経済学者・東洋史学者。専門は東洋経済史。一橋大学名誉教授。 1916年、栃木県那須郡生まれ。旧制栃木県立烏山中学校(現栃木県立烏山高等学校)を経て、1940年旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業。大学では上原専禄や三浦新七に師事し西洋経済史を研究したが、後に東洋経済史に転向。教育召集により歩兵1712連隊[疑問点 – ノート]、次いで歩兵第66連隊に入隊。終戦時には二等兵として召集解除。 戦後は、1945年より東京産業大学東亜経済研究所参事。1947年に東京商科大学副手となり、1948年より同大経済研究所研究員、1949年より同大経済研究所助教授。
石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 … 石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 - 2019年11月2日)は、日本の経済学者。位階は従四位。 三木内閣首席参事官、拓殖大学学長、防衛大学校名誉教授、拓殖大学名誉教授。財団法人産業経済研究協会理事長等を歴任した。 1915年、栃木県宇都宮市生まれ。1944年、旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業した。大学では赤松要に師事した。 率朝護は、大倉経済専門学校(現東京経済大学)教授となった。社団法人日本貿易会調査課長の後、防衛庁防衛研修所所員、内閣国防会議事務局参事官、防衛大学校教授となった。拓殖大学教授、拓殖短期大学学長、拓殖大学学長、財団法人産業経済研究協会理事長をつとめた。
山田 長夫(やまだ ながお、1913年6月5日 - 1987… 山田 長夫(やまだ ながお、1913年6月5日 - 1987年1月27日)は、日本の経済学者。 愛知県出身。東京商科大学卒。関東学院大学助教授、横浜市立大学助教授、教授、1979年定年退官、名誉教授。ケインズ経済学を研究した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
野々村 一雄(ののむら かずお、1913年3月10日 - 1… 野々村 一雄(ののむら かずお、1913年3月10日 - 1998年1月12日)は、日本の経済学者。専門はソヴィエト経済。一橋大学名誉教授。元経済理論学会代表幹事。 1i913年、愛知県で生まれた。大阪商科大学(現大阪市立大学)を卒業後、満鉄調査部に入社。 満鉄調査部では石堂清倫とともに資料課に属し、基礎理論が中途半端なまま、関東軍の要望にこたえて総合調査をおこなう経調派・綜合課グループに批判的な立場をとった。そしてそこでの研究、調査内容が軍部に批判的なものであったため、満鉄調査部事件で逮捕され、1945年に懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。 敗戦後は満鉄の後身である中長鉄路調査局に上級調査員として勤務。
小泉 明(こいずみ あきら、1913年2月10日 - 197… 小泉 明(こいずみ あきら、1913年2月10日 - 1977年2月8日)は、日本の経済学者。ケインズ経済学を専攻、国際金融論。第7代一橋大学学長。経済学博士。正三位勲二等旭日重光章。 神奈川県横浜市出身。1938年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。山口茂ゼミ出身。三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、日東製網社長の小林政夫、三井不動産社長の坪井東らとともに大学の同期会を結成。 大学卒業後第一生命保険に入社するが、1940年に同社を退職し東京商科大学助手に就任。同助教授を経て、戦後一橋大学商学部助教授、58年教授に昇格。
都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 … 都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 - 2006年〈平成18年〉2月5日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。 初代一橋大学経済研究所長、第6代一橋大学学長、ハーバード大学客員教授、イェール大学客員教授、国際経済学連合会長(日本人初)を歴任、日本学士院会員に選出された。日本人として2人目のハーバード大学名誉学位保持者。国民経済計算における三面等価の原則の考案・命名などをおこなった。 大分県生まれ、名古屋市育ち。小学校第5学年修了、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)第4学年修了を経て第八高等学校(現・名古屋大学)に入学したが、日本の中国侵入に反対して欠席届を出さずにストライキを起こしたため(反帝同盟事件)、宮崎辰雄(元神戸市長)、田中文雄(元王子製紙社長)、河本敏夫(元通産大臣)らとともに除籍される。
木村 元一(きむら もとかず、1912年1月1日 - 198… 木村 元一(きむら もとかず、1912年1月1日 - 1987年4月7日 )は、日本の経済学者。専門は財政学。一橋大学名誉教授。井藤半彌門下。ドイツ流の財政社会学を日本の財政学に導入。 宮城県志田郡志田村(現・大崎市古川、旧・古川市)生まれ。 1928年和歌山高等商業学校(現・和歌山大学経済学部)に無試験入学。1934年東京商科大学(現・一橋大学)卒業(井藤半彌ゼミナール)、同大学大学院研究科に進学するとともに、高輪商業学校(現・高輪中学校・高等学校)等で教鞭をとる。 1945年に召集により第2師団入隊。同年終戦により復員。 1973年に胃癌が発見され東京女子医科大学消化器病センターで胃3分の1の切除手術を受ける。
申 泰煥(シン・テファン、英語: SHIN Tae-hwan… 申 泰煥(シン・テファン、英語: SHIN Tae-hwan、1912年 - 1993年)は、大韓民国の経済学者、政治家。大韓民国建設部長官、ソウル大学校総長、大韓民国国土統一院長官を歴任した。本貫は平山申氏。 日本統治時代の朝鮮の京畿道仁川府で生まれる。1936年に京城高等商業学校卒業。1939年に旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業し、商学士を取得。専門は理論経済学。在学中、全朝鮮陸上選手権大会の800メートル競走で優勝。同年延禧専門学校(現延世大学校)教授。 1945年朝鮮基督教大学(現延世大学校)教授。1952年ソウル大学校法科大学教授。同年釜山で韓国経済学会を創立。1957年ソウル大学校法科大学長。
村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 19… 村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 1974年3月6日)は、日本の経済学者。専門は中国社会経済史。一橋大学学長事務取扱等を歴任。日本学士院賞、日経・経済図書文化賞特賞受賞。従三位勲二等瑞宝章。 東京府八王子市寺町出身。旧制府立二中(現東京都立立川高等学校)を経て、1933年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。根岸佶門下。 1933年大学を卒業し近衛歩兵連隊入隊。1936年大日本帝国陸軍主計少尉、1938年同中尉、1939年東京商科大学助教授。 1951年一橋大学経済学部教授、1954年東京大学文学部講師併任、1963年一橋大学経済学部長、1969年一橋大学学長事務取扱を歴任するも、1974年北里大学病院にて肝硬変のため死去。
天利長三(あまり ちょうぞう、1910年(明治43年)10月… 天利長三(あまり ちょうぞう、1910年(明治43年)10月9日 - 2000年(平成12年)7月10日)は、日本の経済学者。専門は金融論。 滋賀県長浜市出身。1936年東京商科大学卒、1961年「貨幣経済と実物経済」で一橋大学より経済学博士の学位を取得。彦根高等商業学校教授、東京商科大学経済研究所参事、小樽商科大学教授、東京女子大学教授、東京都立大学教授、青山学院大学経済学部教授を務め、1980年定年、名誉教授となり、東海大学教授を務めた。
大川 一司(おおかわ かずし、1908年11月16日 - 1… 大川 一司(おおかわ かずし、1908年11月16日 - 1993年11月13日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。1950年日本農学賞受賞。従四位勲二等旭日重光章。文化功労者。 1908年、静岡県生まれ。1933年に東京帝国大学農学部を卒業。卒業後は、宇都宮高等農林学校教授、東京商科大学教授となった。 戦後の1949年、経済安定本部調査課長となる。1950年より一橋大学教授。1952年、学位論文『食糧経済の理論と計測 』を提出して農学博士号を取得。1958年、経済企画庁経済研究所(のち内閣府経済社会総合研究所)初代所長となる。1969年より一橋大学経済研究所所長。1972年に一橋大学を定年退職し、名誉教授となった。
伊大知 良太郎(いおち りょうたろう、1908年〈明治41年… 伊大知 良太郎(いおち りょうたろう、1908年〈明治41年〉11月8日 - 1985年〈昭和60年〉5月26日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所長、日本統計学会会長等を歴任した。 東京出身。1931年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。1934年同研究科修了。台北高等商業学校教授、総理府統計局、横浜国立大学教授を経て、一橋大学経済研究所教授を務めた。1963年から高橋長太郎の後任として第8代一橋大学経済研究所長を務めた。1965年に所長を退任し都留重人と代わる。1971年から1972年まで第10代日本統計学会会長。1973年一橋大学定年退官、一橋大学名誉教授、東海大学教授。
高橋 長太郎(たかはし ちょうたろう、1907年2月28日 … 高橋 長太郎(たかはし ちょうたろう、1907年2月28日 - 1991年3月29日)は、日本の経済学者。経済学博士(一橋大学・1960年)。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所長、専修大学学長等を歴任。正四位勲二等瑞宝章。東京生まれ 1927年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科修了。1930年同大学学士。1932年同大学研究科修了。哲学者の山内得立教授に師事した。1934年法政大学商業学校教諭。1947年大蔵省内閣統計官。1949年東京商科大学経済研究所教授。一橋大学経済研究所国民所得・再生産研究部門主任教授として倉林義正らと国民経済計算を行い、1959年から小原敬士の後任として第6代一橋大学経済研究所長を務めた。
高橋 泰蔵(たかはし たいぞう、旧字:髙橋泰藏。1905年1… 高橋 泰蔵(たかはし たいぞう、旧字:髙橋泰藏。1905年10月9日 - 1989年5月22日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元日本学士院会員。 静岡県出身。1929年東京商科大学(現一橋大学)学部卒。同期に深見義一一橋大名誉教授がいる。東京商大教授、戦後一橋大教授。1960-61年一橋大学附属図書館長。1961-64年学長。1981-1989日本学士院会員。近代経済学専攻。貨幣論、金融論。 佐藤定幸(一橋大学名誉教授)、石川滋(一橋大学名誉教授)は、高橋ゼミナールの出身。
高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 19… 高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事。
金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - … 金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - 1984年(昭和59年))は、日本の経済学者・経営学者・教育者。専門は社会思想史・簿記論。元・札幌商業高等学校校長。北海道生まれ。 この他、1949年(昭和24年)北海学院兼任教授や、1949年(昭和24年)~1956年(昭和31年)まで学校法人北海学園理事。また、1948年(昭和23年)~1984年(昭和59年)まで学校法人北海学園評議員。
矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - … 矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - 1978年11月12日)は、日本の経済学者。関西大学教授、第22代関西大学学長、第4期・6期・7期・8期日本学術会議会員、文部省の学術奨励審議会専門委員等を歴任。 長野県松本市出身。旧制松本商業学校を経て、1927年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。1928年関西大学専任講師、助教授を経て1934年関西大学教授となった。1959年に関西大学第22代学長、1974年より大阪商業大学教授。神戸商業大学の宮下孝吉、大阪商科大学の五島茂とともに関西におけるイギリス経済史研究をリードした。学外においては、1937年社会経済史学会の評議員に選ばれ、 理事、 常務理事を歴任。 戦後、1950年には日本西洋史学会評議員を務めるなど学会の発展に尽くした。
久武 雅夫(ひさたけ まさお、1903年(明治36年)9月2… 久武 雅夫(ひさたけ まさお、1903年(明治36年)9月24日 - 2003年(平成15年)10月8日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。学位は、経済学博士(1958年)(学位論文「価格理論の基礎」)。一橋大学名誉教授。国際基督教大学第3代学長。 高知県生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒、同教授、一橋大学教授、1951年に佐藤信吉らと商業数学研究会(のちの日本経営数学会)を設立。1958年「価格理論の基礎」で経済学博士の学位を取得。1965年定年退官、名誉教授、1967年から69年まで国際基督教大学学長、名誉教授、駒澤大学教授、1981年定年。日本数理経済学会会長。2003年10月8日、急性呼吸不全のため川崎市川崎区の病院で死去。
山田 雄三(やまだ ゆうぞう、1902年12月20日 - 1… 山田 雄三(やまだ ゆうぞう、1902年12月20日 - 1996年5月25日)は、日本の経済学者(理論経済学)、一橋大学名誉教授。社会保障研究所長、国民年金審議会会長等を歴任。池田内閣の所得倍増計画に参画した。 山梨県出身。1927年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。福田徳三門下。1929年同助手、1934年同予科教授、1935年助教授、1941年教授。1944年東京商科大学附属図書館長。1949年から1963年までは東京経済大学教授を兼任。一橋大学教授、1955年一橋大学経済学部長。66年定年退官。社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)初代所長。96年従三位。 1951年「日本国民所得推計資料」は国民所得分析の先駆的業績。
小椋 広勝(おぐら ひろかつ、1902年11月19日 - 1… 小椋 広勝(おぐら ひろかつ、1902年11月19日 - 1968年11月6日)は、日本の経済学者。東京出身。東京商科大学(現在の一橋大学)卒。共産党系の文化団体・プロ科で活動しつつ法政大学商業学校(現在の法政大学中学高等学校の前身のひとつ)で教えるが、1928年、三・一五事件で検挙され退職。1937年、同盟通信社に入社。戦後はレッドパージにあい、世界経済研究所理事、1959年、立命館大学教授。在職中に死去。
小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 197… 小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 1975年11月16日)は、日本の経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。 神奈川県横浜市出身。兵庫県立神戸商業学校(現:兵庫県立神戸商業高等学校)、第一神港商業学校(現:神戸市立神港高等学校)を経て、1929年(昭和4年)に、東京商科大学(現:一橋大学)卒業後、関西学院高等商業学部(のちの関西学院高等商業学校、現関西学院大学経済学部・商学部)の経済学担当教授に就任した。 関西学院初代教職員組合長、初代宗教活動委員会委員長を経て、1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)まで関西学院大学経済学部長を務めるなどし、関西学院におけるキリスト教活動の活性化及び民主化に尽力した。
新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 19… 新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 1978年11月17日)は、日本の経済学者。専攻は、金融論・国際金融論。神戸大学経済学部教授・関西学院大学商学部教授を歴任。 京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校)の級友に野村寅三郎神戸大学名誉教授がいた。同校を経て、神戸高等商業学校(現:神戸大学)卒業後、東京商科大学(現:一橋大学)に入り、高垣寅次郎の下で金融論を専攻。テニス部出身。1928年(昭和3年)に卒業し、神戸高等商業学校講師となる。その後、同校の昇格に伴い神戸商業大学助教授、神戸経済大学教授、神戸大学経済学部教授として勤務。 門下生には、神戸大学名誉教授・三木谷良一(神戸大学名誉教授)、則武保夫(神戸大学名誉教授)、千田純一(名古屋大学名誉教授)、片山貞雄(滋賀大学名誉教授)などがいる。
富永 祐治(とみなが ゆうじ、1902年(明治35年)3月2… 富永 祐治(とみなが ゆうじ、1902年(明治35年)3月29日 - 1997年7月25日)は、日本の交通経済学者。大阪市立大学経済学部名誉教授。 東京商科大学(のち一橋大学)卒、大塚金之助に師事。1929年大阪商科大学付属大阪市経済研究所勤務、1933年大阪商大助教授、教授、1953年「交通における資本主義の発展」で大阪商大経済学博士、大阪市立大学経済学部教授、1965年定年退官、名誉教授。都市交通研究所長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 19… 松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 1993年11月9日)は、日本の経済学者。松野新次郎の長男。熊本県八代市生まれ、神奈川県湯河原で逝去。
山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-198… 山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-1981年1月16日)は、日本の経済学者。第3代一橋大学学長。日本経済政策学会代表理事、中小企業学会会長、労働省中央労働基準審議会会長等を歴任。
森田 優三(もりた ゆうぞう、1901年8月29日 - 19… 森田 優三(もりた ゆうぞう、1901年8月29日 - 1994年2月7日)は、日本の経済学者。一橋大学教授・内閣統計局長・日本統計学会会長を歴任。1974年勲一等瑞宝章受章。 指導学生に溝口敏行(一橋大学名誉教授)、宮川公男(一橋大学名誉教授)など。
杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 19… 杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。
鬼頭 仁三郎(きとう にさぶろう、1900年12月1日 - … 鬼頭 仁三郎(きとう にさぶろう、1900年12月1日 - 1947年9月29日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。1925年東京商科大学卒、1928年同研究科卒。高垣寅次郎に師事した。東京商大図書館に勤め、1935年東京商大附属商業専門部教授、1940年東京商大教授を兼任した。1945年東京商大附属商学専門部長、同商業教育養成所長となった。1947年叙官吏一級、正五位。墓所は多磨霊園。 ケインズの「貨幣論」を翻訳し1932-1934年に刊行。「貨幣と利子の動態」をはじめとする貨幣論の著作によって、ケインズ金融理論の発展に努めた。弟子に三上隆三、吉野昌甫らがいる。英文学者で作家の北條文緒は娘。
渡辺 輝一(わたなべ きいち、1900年 - 1988年)は… 渡辺 輝一(わたなべ きいち、1900年 - 1988年)は、日本の経済学者。専門は経済政策。太平洋戦争中南洋学院教授を務め、日本の降伏後、横浜国立大学経済学部学部長などを経て、横浜国立大学名誉教授。 愛媛県出身。1923年に東京商科大学(現一橋大学)卒業。町田實秀(のちに法制史学者、一橋大学名誉教授)とは三浦新七ゼミの同期。1924年に横浜高等商業学校が開校されると同校教授に着任し、商業政策、交通論、商業英語を担当した。また、同校と横浜市立横浜商業専門学校の教授の懇談会をイスペ会と命名した。ゼミの指導学生に上野豊(のちに横浜商工会議所会頭等)などがいた。 1941年に太平洋戦争が始まると、横浜高等商業学校内に、田尻常雄校長が自らが所長となり設立された太平洋貿易研究所において、各務財団から助成を受けて調査研究に従事し、さらに仏印進駐後には、1942年に新設された南洋学院の教授に就任し、フランス領インドシナでの現地調査も行った。
大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 … 大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 -1988年10月18日 )は、日本の経済学者である。専門は、社会保障学、保険学。一橋大学名誉教授、第9代成城大学学長。
猪谷 善一(いたに ぜんいち、1899年2月15日 - 19… 猪谷 善一(いたに ぜんいち、1899年2月15日 - 1980年1月16日)は、日本の経済学者。 富山県出身。1923年東京商科大学卒、同年助手、パリ留学をへて1927年助教授、1937年教授。1938年「最近日本貿易の伸展に関する実証的研究」で経済学博士。1939年退職、大阪商工会議所理事。亜細亜大学教授。1971年定年、駒澤大学教授。上田貞次郎に師事した。 妻の妙子は、幼女の頃より中勘助に愛された人として知られる(『中勘助の恋』富岡多恵子、創元社、1993)。中の学友・江木定男(江木鰐水の孫)とその妻・万世(関新平の娘で、定男の継母・悦子の妹でもあり、鏑木清方の代表作「築地明石町」のモデル)との娘で、お茶の水女学校を出て猪谷と結婚し出産もしたが、35歳で早世した。
榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月1… 榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月17日 - 1994年〈平成6年〉11月30日)は、日本の経済学者、キリスト教(アナバプティズム)研究家、政治家、実業家。青山学院大学名誉教授。筆名は、吾妻 東一、福田 逸史。 妻は衆議院議員の榊原千代。息子はヒッポファミリークラブ創設者の榊原陽。 愛知県碧南市生まれ。1921年(大正10年)3月、官立神戸高等商業学校を中途退学する。同年4月に東京商科大学(現・一橋大学)本科に入学し、1924年(大正13年)3月に卒業する。同年4月に横浜社会問題研究所の研究員に就任する。 1926年(大正15年)6月から福島高等商業学校(現・福島大学)講師、1927年(昭和2年)7月から同校教授に就任する。
中山 伊知郎(なかやま いちろう、1898年9月20日 - … 中山 伊知郎(なかやま いちろう、1898年9月20日 - 1980年4月9日)は、日本の経済学者。経済学博士(東京商科大学・1939年)。一橋大学初代学長、一橋大学名誉教授。日本における近代経済学の導入に貢献した。1963年から1980年まで日本学士院会員。1968年文化功労者。第4期日本学術会議副会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。勲一等瑞宝章受章。 父である中山朝之助は福島の平(現・いわき市)で生まれ、その後三重の宇治山田(現・伊勢市)で山田朝報という新聞社を創業し、主筆を務めた。旧制宇治山田中学(現・三重県立宇治山田高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1923年に東京商科大学(現・一橋大学)本科を卒業し、同年4月、東京商科大学大学助手に就任。
水谷 一雄(みずたに かずお、1897年10月12日 - 1… 水谷 一雄(みずたに かずお、1897年10月12日 - 1981年9月12日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(神戸経済大学・1955年)(学位論文「数学的思惟と経済理論」)。神戸大学名誉教授。従四位勲二等瑞宝章。 1897年、愛知県渥美郡高豊村字七根に生まれる。1923年、神戸高等商業学校卒業、1926年、東京商科大学卒業。 1926年神戸高等商業学校講師、1929年神戸高等商業学校附属商業専門部教授、1932年神戸商業大学助教授、1939年同大学教授、1944年神戸経済大学教授に就任。 1946年、授勲三等瑞宝章、叙従四位。 1953年、神戸大学経済学部教授(1950年とする記述もある)に就任、1955年、学位論文「数学的思惟と経済理論」で神戸経済大学から経済学博士の学位を取得。
福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - … 福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - 1980年1月15日)は、日本の商学者・経済学者。学位は、商学博士。神戸大学名誉教授。第3代神戸大学学長(在任:1959年12月16日 - 1963年12月15日)。名古屋学院大学初代学長。独自の観点で商学を体系化した「福田商学」で知られる。弟子は荒川祐吉。 1896年、大阪府大阪市東区で生まれた。大阪府立茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)、神戸高等商業学校(のちの神戸大学、1918年卒)、東京高等商業学校(のちの旧制東京商科大学、現一橋大学)専攻部に進学し、1920年に卒業。同期に平井泰太郎神戸大学名誉教授がいる。 神戸高等商業学校では田崎慎治ゼミナールに所属し、卒業論文のテーマは「海上保険における再保険の研究」であった。
赤松 要(あかまつ かなめ、1896年8月7日 - 1974… 赤松 要(あかまつ かなめ、1896年8月7日 - 1974年12月20日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。日本における経済政策学の第一人者で、雁行形態論(のち小島清や山澤逸平らにより発展)等を提唱したことで知られる。 福岡県に旧久留米藩藩士の長男として生まれる。久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)、神戸高等商業学校(現神戸大学)を経て、1921年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。1944年経済学博士(東京商科大学)。福田徳三門下。 1921年、名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)講師、1922年、同教授。1923年から留学し、ドイツでハインリヒ・リッケルトとヘルマン・グロックナーに師事したのちアメリカ合衆国でに移りハーヴァード大学でケースメソッドを学んだ。