大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22… 大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22日 - 2013年(平成25年)7月31日)は、日本の実業家。元静岡ガス会長。 1955年(昭和30年)、一橋大学経済学部卒業。同年4月、静岡ガス入社。1976年(昭和51年)、取締役、1978年(昭和53年)、常務を経て、1983年(昭和58年)、専務。1986年(昭和61年)、代表専務。1989年(平成元年)3月、同代表取締役社長。1999年(平成11年)、静岡朝日テレビ取締役を兼務。2001年(平成13年)3月、静岡ガス代表取締役会長、2006年(平成18年)3月、同最高顧問。 1999年(平成11年)6月、静岡商工会議所副会頭、2000年(平成12年)5月、静岡県障害者雇用促進協会会長、2001年(平成13年)5月、静岡県経営者協会会長、2003年(平成15年)5月、静岡交響楽協会理事長。
新井 陽(あらい あきら、1931年11月6日 - 2012… 新井 陽(あらい あきら、1931年11月6日 - 2012年7月10日)は、日本の経営者。北越製紙社長を務めた。 東京都出身。1954年に一橋大学商学部を卒業し、同年に北越製紙に入社。1987年11月に取締役に就任し、1992年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任。 2012年7月10日に敗血症のために死去。80歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
野崎 次郎(のざき じろう、1931年9月18日 - 199… 野崎 次郎(のざき じろう、1931年9月18日 - 1995年5月4日)は、日本の経営者。日本酸素社長を務めた。 東京都出身。1935年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。1978年9月に日本酸素取締役に就任し、1983年9月に常務、1984年9月に専務を経て、1986年9月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格。 1995年5月4日急性心不全のために死去。63歳没。
和田 淑弘(わだ よしひろ、1931年9月13日 - 201… 和田 淑弘(わだ よしひろ、1931年9月13日 - 2015年4月7日)は日本の実業家。マツダ社長や日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長等を務めた。コロンビア共和国国家功労大十字勲章。 島根県出身。1955年一橋大学商学部を卒業し、住友銀行(のちの三井住友銀行)入行。審査畑を歩む。住友銀行取締役を経て、1983年、東洋工業(のちのマツダ)顧問就任。専務を経て、1985年マツダ副社長。なお、和田が副社長を務めていた際、和田の役員秘書を務めていた岸田裕子は、内閣総理大臣夫人である。 1991年に社長に就任、原価低減活動を推進するとともに、フォード・モーターとの提携強化を進めた。またボンゴフレンディを発売、カペラセダンを復活させた。
行平 次雄(ゆきひら つぎお、1931年8月19日 - 20… 行平 次雄(ゆきひら つぎお、1931年8月19日 - 2010年4月1日)は、日本の実業家。山一證券の社長・会長、日本証券業協会会長等を歴任。「山一のドン」と評された。 旧関東州の旅順で生まれる。旧制奉天第一中学校在学中に終戦を迎え、両親と共に福岡県豊前市へ引き揚げる。 1955年に一橋大学法学部卒業、山一證券入社。入社後、投資信託本部に所属し、行平の前に社長を務めた植谷久三、横田良男の2人の下で働く。同じ本部には後に三木淳夫も配属された。一時、証券団体協議会専門調査員に出向、日興證券の岩崎琢弥など、後に四大証券の幹部となる人々と机を並べて仕事をした。 証券団体協議会から帰任する際、既に取締役金融法人部長となっていた横田良男の引きで金融法人部へ所属することとなった。
藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年… 藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年6月14日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長、会長を務めた。 東京都出身。1969年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に三井信託銀行に入社。1982年6月に取締役に就任し、1986年9月に常務、1987年9月に専務を経て、1991年9月に社長に就任した。1996年6月には会長に就任し、1999年4月に取締役、1999年6月に顧問を経て、2000年4月には中央三井信託銀行特別顧問に就任。 2021年6月14日、誤嚥性肺炎のために死去。90歳没。
桑原 通徳(くわばら みちのり、1931年2月7日 - 19… 桑原 通徳(くわばら みちのり、1931年2月7日 - 1999年12月30日)は、日本の実業家。元コカ・コーラナショナルセールス社長、元全国清涼飲料工業会会長。 1953年一橋大学経済学部卒業、キリンビール入社。大阪で営業を担当し、1979年神戸支店長就任。1983年からマーケティング部長を務め、前田仁を使い商品開発を進めるなどした。やがて、社内で絶対的な権力を有した本山英世社長が大阪時代に担当していた特約店が、桑原の担当する特約店と競合するようになり、また経営会議でも本山に対して直言するなどしていたが、社長の目がなくなり、常務大阪支社長、専務大阪支社長、近畿コカ・コーラボトリング社長、コカ・コーラナショナルセールス社長を経て、1996年から全国清涼飲料工業会会長を務めた。
清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年… 清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年6月16日)は、日本の実業家。位階は従三位。元東京急行電鉄(現:東急)社長。 1995年、東京急行電鉄(現:東急)社長に就任。東急グループ代表として、五島昇亡き後のグループを率い、バブル崩壊の影響で業績不振に陥っていたグループを再興した。日本民営鉄道協会会長等の公職も務めた。 東京府出身。1953年に一橋大学経済学部を卒業し、東京急行電鉄に入社。同社では長く財務部門、経営管理部門を歩み、入社後に公認会計士試験に合格し会計士補の資格も取得した。 専務等を経て、1週間前に横田二郎社長から後任社長の内示を受け、いったん固辞したのち、横田が取締役相談役として引き続き取締役に留任するなどとの説得を受け、1995年東京急行電鉄代表取締役社長就任。
板橋 敏雄(いたばし としお、1931年1月17日 - 20… 板橋 敏雄(いたばし としお、1931年1月17日 - 2019年3月25日)は日本の実業家。板通会長、わたらせテレビ社長、公益財団法人ロータリー米山記念奨学会理事長、国際ロータリー会長代理、日台ロータリー親善会議総裁などを歴任した。国際ロータリー超我の奉仕賞等受賞。 1953年一橋大学商学部卒業、三菱商事入社。1959年、当時従業員15人程度だった家業の板橋通商(現板通)に入り、カリスマ的トップに依存した経営体制からの脱却などを行った。1972年柏ハウジング代表取締役。1973年板通通商代表取締役社長。1993年同代表取締役会長。1996年足利ケーブルテレビ(現わたらせテレビ)代表取締役社長。
澤田 浩(さわだ ひろし、1931年1月1日 - 2021年… 澤田 浩(さわだ ひろし、1931年1月1日 - 2021年11月21日)は日本の実業家。ニップン代表取締役会長、製粉協会会長、日本・トルコ協会会長を歴任。 八王子空襲で被災し、東京都立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1953年一橋大学経済学部卒業。大学では村松祐次ゼミナールに参加。大学卒業後、日本製粉入社。 1993年から日本製粉代表取締役社長。業績低迷が続く中、従業員の3分2を削減するなどリストラを進め、工場の閉鎖・集約化を進める一方、中食事業などで積極的なM&Aを展開。売上高を500億円増やした。また阪神・淡路大震災では、倒壊した工場の再建などにあたった。 2002年社長を退任し、会長に就任。
篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )… 篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )は、日本の経営学者、会計学者、歌人、経営・労働評論家。 静岡大学名誉教授。日本福祉大学教授、京都自由大学講師。専門は排除論・芸術論。 東京生まれ。一橋大学卒、1960年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。高島善哉の指導を受けた。 関東学院大学講師、立命館大学経営学部助教授、教授、1979年静岡大学人文学部教授。94年定年退官、名誉教授。
稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 - … 稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 - 2011年3月18日)は、日本の実業家。カルピス社長、味の素社長などを歴任、日本食品添加物協会会長を務めた。1998年食品産業功労賞。 神奈川県出身。1955年に一橋大学社会学部を卒業し、味の素に入社。27歳で、初めての見合い相手と結婚。 味の素で海外事業部長、名古屋支店長等を務めた。和風調味料「ほんだし」の生みの親とされる。1981年にアメリカ味の素社長に就任し、ノースカロライナ州に建設された初の医薬用アミノ酸工場の立ち上げの指揮にあたった。 1984年に味の素取締役に就任。ところが、その後過労のため意識を失い、三度の入院生活を送る。
藤居 寛(ふじい ひろし、1930年8月19日 - 2013… 藤居 寛(ふじい ひろし、1930年8月19日 - 2013年6月7日)は、日本の実業家。帝国ホテル社長。 東京都出身。終戦直後の夏1945年9月6日、15歳で両親を中央線笹子駅構内脱線転覆事故で亡くした。さらに事故の10日後に、身元確認のため埋葬されていた遺体を掘り起こし、その後自らの手で一晩かけて火葬した。以後、土木作業員などとして働き、祖母、妹、弟を養いながら学校に通った。大学時代は秋山富一(元住友商事社長)らとともに、体育会ラグビー部に所属。旧制東京府立千歳中学校(東京都立千歳高等学校の前身)を経て、1953年3月に一橋大学経済学部を卒業。 1953年4月 第一銀行入行、本店配属。堀留支店、労働組合副委員長、全国銀行協会連合会出向等を経たのち、第一勧業銀行で神田支店長、取締役個人開発部長、常務取締役等を務めた。
村田 薫(むらた かおる、1930年8月1日- 2018年2… 村田 薫(むらた かおる、1930年8月1日- 2018年2月18日 )は、日本の経営者。昭和電線電纜社長、会長を務めた。 静岡県出身。1954年に一橋大学商学部を卒業し、同年に昭和電線電纜に入社した。1988年6月に常務に就任し、1992年6月には社長に昇格した。1996年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に退いた。 1999年4月に藍綬褒章を受章した。 2004年4月に旭日中綬章を受章した。 2018年2月18日、肺炎のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日… 卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日本の実業家。アイワ代表取締役社長、同会長や、スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現スカパーJSAT)代表取締役会長、同社長を務めた。 福岡県出身。一橋大学商学部卒業後、1954年4月ゼネラル物産株式会社(現三井物産株式会社)入社。1959年10月、海外貿易要員第1期としてソニー株式会社に入社し、外国部配属。 ソニー入社数ヶ月でアフリカ出張を行い、エジプトからアフリカ大陸に入り、南アフリカ、西アフリカと、半年間アフリカ大陸を周って代理店契約の相手方候補の調査を行い、海外販路の開拓を行った。ソニー・アメリカ駐在やソニー外国部長株式会社などを経て、1977年10月ソニー株式会社取締役、1984年1月ソニー株式会社専務取締役。
渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 202… 渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 2021年6月8日)は、日本の実業家。三和銀行頭取や三菱東京UFJ銀行名誉顧問のほか、全国銀行協会連合会副会長、経済同友会副代表幹事等の公職も務めた。1993年藍綬褒章受章。 東京・赤羽出身。渡辺幸吉(中央大学名誉教授)は父。旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。渡辺文雄(俳優)は旧制中学の同級生。大学時代は弓道部に所属。またキリスト教青年会にも参加。大学同期の伊藤助成(元日本生命社長)と親しい関係であった。 1953年に大学を卒業し、三和銀行入行。入行後は、丸善石油(現コスモ石油)や岩井産業(現双日)への出向を経て、営業本部第二部長、融資部長、営業本部長等、国内営業部門を歩み、1988年に川勝堅二の後任として、頭取に就任した。
秋山 富一(あきやま とみいち、1929年12月17日 - … 秋山 富一(あきやま とみいち、1929年12月17日 - )は、日本の実業家。第六代住友商事社長。 群馬県藤岡市生まれ。1953年一橋大学卒業。大学では体育会ラグビー部に、藤居寛(帝国ホテル社長)らとともに所属しており後年、第6代一橋大学ラグビー部OB会長を務めた。 1953年住友商事株式会社入社、鉄鋼部に配属される。1956年ニューヨーク支店(四年半)、鉄鋼貿易部を経て、1965年ロスアンジェルス事務所長(二年半)、1973年ジャカルタ支店長(三年半)を歴任。 1979年同社取締役、1983年同社常務、1986年同社専務電子航空本部長、1987年同社副社長、1988年同社副社長メディア事業本部長、1990年同社社長、1996年同社会長、1997年退任。
大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年… 大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年1月19日)は日本の実業家。元ホテルオークラ社長。 東京四番町で生まれ育つ。父は常磐炭鉱会長を務めた大崎新吉。 旧制東京都立第四中学校(のちの東京都立戸山高等学校)を経て、1953年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。常磐炭鉱入社。秋山富一(元住友商事社長)は大学予科の同級生。 1960年ホテルオークラ開業にともない、大成観光入社、1973年取締役、1981年常務業務管理室長施設担当、1989年専務、1992年副社長。新規プロジェクトを多く手掛け、切れ者と評された。 1995年、佐藤晃一の後任として、ホテルオークラ社長に就任。初の生え抜き社長となった。
伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25… 伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25日 - 2005年(平成17年)4月21日)は、日本の実業家。 日本生命保険の社長や会長、経済同友会副代表幹事、生命保険協会会長を務めた。また生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務めた。日本人として8人目の「保険の殿堂」入り。 秋田県羽後町出身。羽後町立羽後中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、1953年(昭和28年)に一橋大学経済学部を卒業し、日本生命入社。大阪本社人事課配属。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。大学同期の渡辺滉(元三和銀行頭取)と親しい仲であった。のちに日本生命副会長や東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた小林玉夫は大学同期で同期入社。
湯本 大蔵(ゆもと たいぞう、1929年 <昭和4年> 5月… 湯本 大蔵(ゆもと たいぞう、1929年 <昭和4年> 5月8日 - 2000年 <平成12年> 7月23日)は、日本の経営者。ウシオ電機社長を務めた。 東京都出身。1953年に東京商科大学を卒業し、同年に協和銀行に入行。1974年にウシオ電機取締役に就任し、1975年に常務、1980年3月に専務を経て、同年12月には社長に就任。1995年3月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2000年7月23日肺癌のために死去。71歳没。
山口 敏明(やまぐち としあき、1928年9月16日 - 2… 山口 敏明(やまぐち としあき、1928年9月16日 - 2000年1月3日)は、日本の実業家。東ソー代表取締役社長、新大協和石油化学代表取締役社長、経済同友会副代表幹事、塩化ビニル工業協会会長、プラスチック処理促進協会会長などを歴任した。 中華民国奉天市出身。1942年陸軍幼年学校進学。陸軍予科士官学校在学中、ソ連対日参戦を前に満州国で母を自決により亡くす。日本の降伏後、1945年旧制東京商科大学(現一橋大学)入学。大学では同期の伊東光晴(京都大学名誉教授)らとともに一橋新聞の活動に熱中した。1951年大学を卒業し、東洋曹達工業(現東ソー)に入社。企画部門や、ファイン・スペシャリティー事業、海外事業等を担当した。
友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 20… 友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 2022年10月27日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶(現商船三井)元代表取締役会長、同社代表取締役相談役、商船三井最高顧問、社団法人日本海難防止協会会長、一般財団法人海技振興センター会長、一般社団法人日本アルゼンチン協会会長等を歴任した。アルゼンチンコメンダドール勲章受章。 1953年一橋大学商学部卒業、三井船舶(現商船三井)入社。1981年大阪商船三井船舶(現商船三井)取締役。1985年常務取締役。1988年代表取締役専務取締役。1989年代表取締役副社長。1991年代表取締役会長。1994年代表取締役相談役。1996年相談役。1997年小池酸素工業監査役。
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
長島 一成 (ながしま かずしげ、 1928年1月15日 -… 長島 一成 (ながしま かずしげ、 1928年1月15日 - 2021年9月17日)は日本の実業家。共同石油と日本鉱業の合併を実現し、合併により誕生したジャパンエナジー(現:ENEOS/JX金属)の初代社長や会長を務めた。また1989年に米アモコ社からライセンスを取得し、日本でのam/pmのコンビニエンスストア事業の展開を開始させた。勲二等瑞宝章受章。 東京都出身。1952年、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本鉱業入社。1965年共同石油入社、1978年取締役、1980年常務取締役、1984年専務取締役、1986年副社長就任。 1990年、副会長に退く、通商産業省出身の左近友三郎社長の後任として、共同石油代表取締役社長に就任。
荒川 和夫(あらかわ かずお、1927年10月25日 - 2… 荒川 和夫(あらかわ かずお、1927年10月25日 - 2020年1月5日)は、日本の実業家、元サッポロビール社長。 1927年10月25日、愛知県名古屋市に生まれる。1951年、東京商科大学卒業、同年日本麦酒入社。1971年営業企画部長。1973年営業部長。1975年取締役。1979年常務。1981年専務。1983年副社長。1989年3月、サッポロビール社長に就任、サッポロファクトリーや恵比寿ガーデンプレイスの開業に尽力。 2020年1月5日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
志村 文一郎(しむら ぶんいちろう、1927年10月20日 … 志村 文一郎(しむら ぶんいちろう、1927年10月20日 - 2003年11月14日)は、日本の経営者。電気化学工業社長を務めた。東京都出身。 1950年に東京商科大学を卒業し、同年に電気化学工業に入社。1972年6月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1988年6月には社長に就任。1994年6月に会長に就任。1960年のローマ・オリンピックでは、水泳選手団のマネージャーを務め、日本水泳連盟監事なども歴任。 2003年11月14日に呼吸不全のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 20… 香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 2011年8月25日)は、日本の経営者。東洋ゴム工業(現在のTOYO TIRE)社長・会長を務めた。 岡山県出身。1953年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、同年に東洋ゴム工業に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 1992年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年8月25日、脳幹梗塞のために死去した。83歳没。
小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は… 小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は日本の実業家。日本ガイシ社長・会長、日本ファインセラミックス協会会長等を務めた。勲二等瑞宝章、フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章、ベルギー王冠章コマンドール勲章、藍綬褒章受章、日本セラミックス協会賞功労賞受賞、在名古屋フランス名誉領事。
岡崎 寛(おかざき ひろし、1927年1月15日 - )は、… 岡崎 寛(おかざき ひろし、1927年1月15日 - )は、日本の経営者。横浜ベイスターズ球団社長を務めた。 高知県出身。1952年に東京商科大学を卒業し、同年に大洋漁業に入社。1990年3月には横浜大洋ホエールズ球団社長に就任。横浜ベイスターズでも引き続き球団社長を務め、1994年3月には社長の座を大堀隆に譲り、自身は相談役に退いた。
沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉1… 沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉10月22日 - 2016年〈平成28年〉2月20日)は、日本の実業家、鼻煙壺収集家。ファミリーマート初代社長、良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。東京生まれ。 馬込小学校、旧制東京中学校を経て、1951年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社。大学時代は水泳部に所属。香港駐在、西友ストアー常務等を務めた。 1981年ファミリーマート社長に就任。発注の翌日納品、東海地方でのフランチャイズチェーン展開、プライベートブランド商品の導入、台湾進出などを行った。 1987年日本フランチャイズチェーン協会副会長、1991年同会長に就任。
田中 義巳(たなか よしみ、1926年9月26日 - 201… 田中 義巳(たなか よしみ、1926年9月26日 - 2013年7月11日)は、日本の経営者。和歌山県日高郡美浜町出身。 1950年に東京商科大学経済学部を卒業し、同年に日綿実業に入社。 1975年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に社長に就任した。1994年6月に会長に就任した。 1992年に藍綬褒章を受章し、1999年に勲二等瑞宝章を受章した。 2013年7月11日心不全のために死去。86歳没。
和泉 信一(いずみ しんいち、1926年7月25日 - 20… 和泉 信一(いずみ しんいち、1926年7月25日 - 2016年8月26日)は、日本の実業家、馬主。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、白二本輪、青袖、冠名には主に「ナカヤマ」、過去には「イズミ」、「シン」を用いた。日本馬主協会連合会会長を務めたのち、同会の名誉会長となったほか、2011年現在では東日本馬主協議会・中山馬主協会の最高顧問も務めていた。 馬主となったきっかけは、大井競馬場で先に馬主となっていた弟の敬三(2005年没)の所有馬が増え持ちきれなくなり、兄である信一に所有を頼んだことで、大井競馬を経て国営競馬(現中央競馬)の馬主となる。昭和30年代には抽せん馬が大量に当たり、レースで所有馬が上位を独占したこともあった。
辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26… 辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26日 - 2008年(平成20年)7月5日)は、日本の実業家。辻兵グループ総帥。日本青年会議所、秋田商工会議所会頭、日本バスケットボール協会会長などを務めた。秋田県秋田市出身。 秋田県屈指の素封家である1856年(安政3年)創業の呉服店「辻兵」に生まれた。辻兵太郎の息子。秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、高島屋飯田(現:丸紅)に入社。 1952年(昭和27年)、五代目兵吉を襲名。以後、辻兵・辻不動産・秋田いすゞ自動車などの辻兵グループ企業のトップを務め、同グループを秋田県下有数の企業グループまでに育てた。
本山 英世(もとやま ひでよ、1925年8月27日 - 20… 本山 英世(もとやま ひでよ、1925年8月27日 - 2005年11月22日)は、日本の実業家。キリンビール(現キリンホールディングス)社長・会長や、ビール酒造組合代表理事、全国清涼飲料連合会会長を務めた。通称「キリンの天皇」。勲二等瑞宝章受章。 新潟県出身。1950年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、キリンビール入社、一貫して営業畑を歩んだ。1984年同社社長就任。キリン一番搾り生ビールを発売し、ヒットさせるなど、ビール市場でのシェア低下を食い止め、1991年にはシェア50パーセントを達成させた。また腎性貧血治療薬のエスポーを発売するなど、医薬部門を拡大させ、事業多角化を行ったほか、飲料部門をキリンビバレッジとして独立させるなど、組織再編も行った。
山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 20… 山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 2014年4月16日)は日本の実業家。山種証券(現SMBCフレンド証券)社長、会長、日本青年会議所会頭、山種美術館館長を歴任。「報告」「連絡」「相談」を重視する「ほうれんそう(報・連・相)経営」を提唱したことでも知られる。
堀田 一郎(ほった いちろう、1925年〈大正14年〉5月2… 堀田 一郎(ほった いちろう、1925年〈大正14年〉5月20日 - 2009年〈平成21年〉1月2日)は、日本の新聞記者、実業家。愛知県名古屋市昭和区出身。 1979年(昭和54年)2月から1985年(昭和60年)6月まで中日ドラゴンズの3代目球団社長を務めた。また中日新聞社副社長、中部日本ビルディング取締役相談役も務めた。 1925年(大正14年)5月20日生まれ。本籍地は愛知県名古屋市昭和区天神町。 1949年(昭和24年)3月に東京商科大学(現:一橋大学)を卒業、同年4月に中部日本新聞社に入社。卒業後は東京で就職したかったが、父親から「名古屋へ帰ってこい」と言われたため、中部日本新聞社へ入社したものの、入社から約2年後には東京支社へ転勤させられており、1977年時点では東京生活の方が長くなっていたという。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998… 阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998年10月29日)は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。東京都出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1978年12月に取締役に就任し、1980年7月に富士紡績に転じ、1984年4月に常務を経て、1984年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任。 1998年10月29日、心不全のために死去。74歳没。
角田 彦三(つのだ ひこぞう、1923年 <大正12年> 1… 角田 彦三(つのだ ひこぞう、1923年 <大正12年> 10月2日 - 2005年 <平成17年> 2月27日)は、日本の経営者。澁澤倉庫社長、会長を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1948年に東京商科大学を卒業し、同年4月に澁澤倉庫に入社。1971年に取締役に就任し、1975年5月に常務、1982年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1991年6月に会長を経て、1995年6月から1996年6月までに再び社長を務め、2000年6月までに会長を務めた。 1994年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年2月27日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
倉田 隆文(くらた たかふみ、1923年5月15日 - 19… 倉田 隆文(くらた たかふみ、1923年5月15日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)社長として同社を再建したのち、ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や中部経済同友会代表幹事を務めた。スリランカラトナ勲章受章。 東京都出身。神田の本屋街で育つ。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業、日本陶器入社。 ニューヨーク支店、社長室、海外事業部長、常務等を経て、1974年から1981年まで経営悪化に陥っていた伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)の社長を兼務。工場や従業員を半減するなど減量経営を行い、6年で再建を果たす。 1981年1月専務、1981年8月副社長を経て、1982年、杉本悌二郎の後任としてノリタケカンパニーリミテド社長就任。
金井 紀年(かない のりとし、1923年(大正12年)2月2… 金井 紀年(かない のりとし、1923年(大正12年)2月25日 - 2017年(平成29年)4月22日)とは、日本の実業家。共同貿易元社長。アメリカ合衆国における寿司ブームの仕掛人とされる。日本食海外普及功労者表彰・農林水産大臣賞受賞。また在外日本人選挙権訴訟原告団長を務め、日本国籍の在外投票実現に尽力した。 東京府豊多摩郡落合村 (現東京都新宿区下落合) で文部省官僚の父と、教員の母の下に3男として生まれる。10歳から柔道を始める。講道館柔道4段。 東京府立第九中学校(現東京都立北園高等学校)を経て、1941年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。予科在学中の1943年に学徒出陣し、栃木県宇都宮市の大日本帝国陸軍東部第40砲兵連隊に入営。
高橋 壽常(たかはし としつね、1922年5月28日 - 1… 高橋 壽常(たかはし としつね、1922年5月28日 - 1996年2月8日)は、日本の実業家。日本生命保険元副社長。関西経済同友会元代表幹事。 神奈川県横浜市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学卒業後、日本生命保険に入社したのちも、経済学の勉強を続けた。日本生命保険副社長や、日本生命財団理事長を歴任し、1985年から1987年にかけては弘世現に続き日本生命保険出身者としては歴代2人目となる関西経済同友会代表幹事を務め、太平洋経済協力会議バンクーバー総会に参加するなどした。1994年企業メセナ協議会メセナアワードを日本生命財団が受賞し理事長として登壇した。 1996年2月8日、呼吸不全のため死去。
鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 200… 鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 2000年6月1日)は日本の実業家。三菱化成(現三菱ケミカル)代表取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。勲一等瑞宝章受章。 東京府(現・東京都)出身。旧制京北中学校を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。陸上競技部出身。三菱化成(のちの三菱化学、現在の三菱ケミカル)代表取締役社長、同社取締役会長、同社相談役、三菱化成生命科学研究所代表取締役、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。1986年藍綬褒章受章。1993年ダイヤ高齢社会研究財団初代理事長。
米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 201… 米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 2015年12月6日)は日本の実業家。伊藤忠商事の社長・会長、経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章、藍綬褒章、トルコ共和国功労勲章受章。
青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011… 青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011年9月12日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 宮崎県延岡市出身。1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)を卒業し、1947年に西日本新聞社に入社。1973年に取締役に就任し、1975年に常務、1977年に専務、1983年に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2000年6月に取締役相談役を経て、2001年6月には相談役に就任した。 テレビ西日本会長、テレビ宮崎取締役も務めた。 2011年9月12日肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
土田 芳男(つちだ よしお、1922年2月15日 - 199… 土田 芳男(つちだ よしお、1922年2月15日 - 1993年10月25日)は、日本の経営者。 昭和電線電纜社長を務めた。東京都出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、1947年に昭和電線電纜に入社。1972年に取締役に就任し、1976年7月に常務、1980年7月に専務を経て、1986年7月には社長に就任。1988年6月には会長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1993年10月25日急性循環不全のために死去。71歳没。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018年10月28日)は、日本の経営者。兼松江商社長、会長を務めた。静岡県御殿場市出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、同年に兼松江商に入社。1969年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年12月に社長に就任し、1989年6月には会長に就任し、1992年6月に相談役を経て、1994年6月から名誉顧問を務めた。 1983年5月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年10月28日老衰のために死去。96歳没。
富田 昭平(とみた しょうへい、1922年 - )は日本の実… 富田 昭平(とみた しょうへい、1922年 - )は日本の実業家。日本ケンタッキー・フライド・チキン設立の日本側責任者を務め、同社社長・会長、ジェフグルメカード初代社長、日本フードサービス協会会長等を歴任した。 1943年9月旧制東京商科大学付属商学専門部(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。1944年旧日本軍に入隊し、中国で従軍。 1946年5月に復員するも、職がなく、1946年9月に、父の友人であった神田啓三郎が主宰する大成水産に入社。その後事業が失敗。神田社長の世話で三陸油脂入社。専務を務めていた二村謙三(のちに三菱商事副社長)との知遇を得て、油脂の仕事の指導を受ける。 明光商事、不二商事、三菱商事を経て、日本ケンタッキー・フライド・チキン設立の三菱商事側の責任者を務め、1970年の会社設立時に常務取締役に就任。
永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本… 永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本の実業家。元三井ホーム社長。