治部 れんげ(じぶ れんげ、1974年 - )は、日本の女性… 治部 れんげ(じぶ れんげ、1974年 - )は、日本の女性ジャーナリスト、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。 1997年一橋大学法学部卒業、同大学経営学修士課程修了。同級生だったPRプランナーの中川淳一郎とは大学時代からの知人。大学では刑事政策の福田雅章教授のゼミに所属していた。治部も、同ゼミでオウム真理教を取材したのをきっかけにジャーナリスト志望となる。大学の先輩の勧めで1997年に日経BP社に入社し、編集記者となる。『日経エンタテインメント!』誌に配属され、2000年に『日経ビジネス』に異動。 2006年から1年間、留学休暇制度を利用してフルブライト・プログラムでミシガン大学女性教育センターに客員研究員として留学し、アメリカ合衆国の共働き世帯の調査を行った。
佐々木 広人(ささき ひろと、1971年 - )は、日本のジ… 佐々木 広人(ささき ひろと、1971年 - )は、日本のジャーナリスト、編集者。アサヒカメラ元編集長。「終活」の生みの親としても知られる。 秋田県秋田市出身。秋田市立外旭川中学校、秋田県立秋田高等学校、一橋大学社会学部卒業後、リクルート入社。大学ではバンドサークルに所属。メディア論専攻。 リクルートではエイビーロード編集部で海外のホテル、グルメなどの取材に従事。1999年朝日新聞社入社。2012年まで週刊朝日編集部に記者や編集者として勤務、2007年から3年間副編集長を務めたが、短い睡眠時間が続き体調不良により自宅療養となる。 復帰後、週刊朝日公式サイト(現AERA dot.)の立ち上げや、公式twitter開設、Ustreamでの週刊朝日UST劇場放送などにあたった。
立岩 陽一郎(たていわ よういちろう、1967年 - )は、… 立岩 陽一郎(たていわ よういちろう、1967年 - )は、日本のジャーナリスト。NHKの報道記者・ディレクター・テヘラン特派員などを経て、大阪を拠点に、特定非営利活動法人インファクト代表理事・編集長や公益財団法人政治資金センター理事として活動している。2023年度から、大阪芸術大学短期大学部の教授に就任。 神奈川県横浜市の生まれで、16歳の時に、実父の仕事の関係でメキシコに1年間居住。現地のアメリカンスクールに通っていた。帰国後に一橋大学社会学部へ進学。卒業後の1991年に、報道記者として日本放送協会(NHK)に入局した。沖縄放送局、大阪放送局、放送センターの報道局社会部などに勤務。テヘラン特派員、放送センター社会部記者、国際放送局World News部部デスクなども歴任した。
三井 美奈(みつい みな、1967年 - )は、日本のジャー… 三井 美奈(みつい みな、1967年 - )は、日本のジャーナリスト。読売新聞社パリ支局長等を経て、産経新聞社パリ支局長。 奈良県生まれ。1989年一橋大学社会学部卒業、読売新聞社入社。1998年ブリュッセル支局特派員。2006年エルサレム支局長。ハーバード大学日米関係プログラム客員研究員、国際部デスクを経て、2011年パリ支局長。2015年国際部デスク。2016年産経新聞社入社、外信部編集委員。2017年パリ支局長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
稲垣 えみ子(いながき えみこ、1965年 - )は日本のジ… 稲垣 えみ子(いながき えみこ、1965年 - )は日本のジャーナリスト。朝日新聞大阪本社デスク・朝日新聞論説委員・編集委員を歴任して2016年1月に50歳で依願退職しフリージャーナリストになる。 愛知県出身。家電メーカーに勤める父の仕事の都合で小学校・中学校では転校を繰り返す。 1987年一橋大学社会学部を卒業し、朝日新聞社入社。高松支局・京都支局を経て、1991年から勤める朝日新聞大阪本社社会部時代に大阪府警察本部との懇親会でかつらをかぶったのを機にアフロヘアーにする。大阪本社社会部デスク、週刊朝日編集部を経て、2013年から朝日新聞論説委員として社説を担当する。 福島第一原子力発電所事故を受けて始めた月1000円以下に電気代を抑えるほど徹底した節電生活を書いたコラムが話題となり、感銘を受けた古舘伊知郎キャスターからオファーを受け報道ステーションに出演。
沢井 俊光(さわい としみつ、1962年〈昭和37年〉 - … 沢井 俊光(さわい としみつ、1962年〈昭和37年〉 - )は、日本のジャーナリスト、経営者。共同通信社社長を務める。 三重県生まれ。父の転勤に伴って、福岡県、東京都と転居。東京都立富士高等学校を経て、1985年(昭和60年)に一橋大学経済学部を卒業。谷口晋吉ゼミで学び、卒論のテーマは戦後フィリピン経済であった。大学3年の秋から始めた通信社でのアルバイトからマスコミに興味を持ち、同1985年に共同通信社入社。 主に外信部でキャリアを重ね、神戸支局、横浜支局を経て、1995年ナイロビ支局長、1999年バンコク支局、2001年兼イスラマバード支局長、2002年外信部、2004年ワシントン支局、2007年外信部次長、09年バンコク支局長。
島田 喜広(しまだ よしひろ、1960年12月10日 - … 島田 喜広(しまだ よしひろ、1960年12月10日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家、北陸放送代表取締役社長。 富山県生まれ。1984年一橋大学社会学部卒業。同年4月、株式会社東京放送(現・株式会社TBSホールディングス)に入社。報道局ニュースカメラマンに配属し、日本航空123便墜落事故、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争を取材。1988年~1993年パリ支局・ロンドン特派員。1993年~ 外信部・社会部記者 ニュース番組のプロデューサー等歴任。2009年TBS報道局ニュースセンター長。2011年TBSインターナショナルプレジデント兼ニューヨーク支局長。2015年TBSテレビ情報制作局長。2018年テレパック代表取締役社長。
白井 康彦(しらい やすひこ、1958年 - )は、日本のフ… 白井 康彦(しらい やすひこ、1958年 - )は、日本のフリージャーナリスト、社会運動家。元中日新聞社社員。 愛知県名古屋市に生まれる。私立東海高等学校卒。一橋大学在学中の1980年、日本将棋連盟大学将棋において学生名人となる。 大学卒業後、中日新聞社に入社。消費者問題や貧困問題の取材に注力した。東京本社経済部、名古屋本社経済部、名古屋本社生活部、岐阜支社報道部などを経て、2010年8月より名古屋本社生活部編集委員となった。2018年に退社。 その後はフリージャーナリストとして、社会保障政策に関する執筆を行っている。また社会運動家として、2013年の生活扶助基準引き下げの取り消しを求める集団訴訟いのちのとりで裁判に深くかかわり、厚生労働省が提示した「生活扶助相当CPIに含まれる不適切な計算の実態を解明して社会の関心を高める活動を行っている。
石川 一郎(いしかわ いちろう、1957年9月8日 - )は… 石川 一郎(いしかわ いちろう、1957年9月8日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家である。テレビ東京ホールディングス代表取締役会長。 神奈川県横浜市生まれ。聖光学院高等学校を経て、1980年3月一橋大学社会学部卒業後、同年4月に日本経済新聞社に入社。 日本経済新聞入社後は経済・政治畑で新聞記者として活動。2003年3月から3年間、日本経済新聞名古屋支社編集部長を務める。 2006年3月に日本経済新聞東京本社編集局次長兼政治部長に就く。 2007年3月から日本経済新聞東京本社編集局次長在職のまま、東京本社版夕刊編集長と論説委員に就任。その後、2011年3月に日本経済新聞社執行役員となり、2012年3月に常務取締役、2015年3月に専務取締役にそれぞれ昇任。
杉田 弘毅(すぎた ひろき、1957年 - )は日本のジャー… 杉田 弘毅(すぎた ひろき、1957年 - )は日本のジャーナリスト。共同通信社ワシントン支局長、論説委員長を経て同社特別編集委員兼論説委員。BS朝日「日曜スクープ」アンカー、明治大学政治経済学部特任教授、星槎大学客員教授、国際新聞編集者協会(IPI)理事、公益財団法人フォーリン・プレスセンター評議員、NHKカルチャーセンター講師を兼務。2021年度日本記者クラブ賞受賞。 愛知県生まれ。東京都立上野高等学校を経て、1980年一橋大学法学部卒業、共同通信社入社。大阪社会部を経て、1989年から外信部。ソヴィエト連邦、中東移動特派員としてソビエト連邦の崩壊や湾岸戦争を取材したのち、テヘラン支局長、ニューヨーク特派員、ワシントン特派員、外信部次長、外信部副部長、ワシントン支局長を経て、2010年編集委員兼論説委員。
黄木 紀之(おおぎ のりゆき、1957年 - )は日本のジャ… 黄木 紀之(おおぎ のりゆき、1957年 - )は日本のジャーナリスト。NHK社会部担当部長、編成局長、NHK理事等を経て、NHK財団理事長。 愛知県出身。1981年一橋大学社会学部卒業、日本放送協会(NHK)入局。社会部記者、社会部副部長、編成計画部副部長を経て、2004年からの編成局担当部長時代には、週刊文春の記事について立花孝志に対し面接をし、録音やめろと問いかけたとされる。 2005年社会部担当部長。2007年テレビニュース部エグゼクティブ・プロデューサー。2008年おはよう日本部エグゼクティブ・プロデューサー。2009年テレビニュース部長。 2011年報道局編集主幹。2012年編成局計画管理部長。
城本 勝(しろもと まさる、1957年 - )は、日本のジャ… 城本 勝(しろもと まさる、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。元日本国際放送代表取締役社長。NHK解説委員室解説副委員長やNHK福岡放送局長を歴任。解説委員としての担当分野は政治。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て一橋大学社会学部を卒業後、1982年NHKに入局し、地元九州・福岡局の記者としてキャリアをスタートさせる。大学及び入局同期に菅康弘がいる。 東京転勤後は報道局政治部記者として経世会、民主党などを担当。広島局選挙担当デスク、本部報道局政治部副部長などを務めた。 2004年から政治担当の解説委員となり、『日曜討論』や『時論公論』など、解説委員室制作の番組に出演。 2009年解説主幹。
松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年2月4日 - )は… 松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年2月4日 - )は、日本のジャーナリスト、編集者。かもがわ出版編集主幹。元・かもがわ出版編集長、元・日本共産党中央委員会勤務員。 日本平和学会会員、日本ジャーナリスト会議出版部会世話人。専門は外交・安全保障。 自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会事務局長、国際刑事法典の制定を国会に求める会事務局長を務める。 1955年、長崎県西海市生まれ。父親は炭鉱労働者。閉山のため東京、神戸に移住。兵庫県立神戸高等学校を経て、一橋大学経済学部・一橋大学社会学部卒業。全日本学生自治会総連合(全学連)委員長を務め、学費値上げ反対闘争を率いた。大学の経済学部卒業後の社会学部への学士入学は全学連での活動継続が主目的だったため、入学試験での面接ではどう回答するか苦労したという。
大野 博人(おおの ひろひと、1955年 - )は、日本のジ… 大野 博人(おおの ひろひと、1955年 - )は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社ヨーロッパ総局長、論説委員、役員待遇論説主幹、NHK中央放送番組審議会委員等を歴任した。社会学修士。 兵庫県神戸市出身。1973年岐阜県立岐阜高等学校卒業、1977年一橋大学法学部卒業。1981年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、社会学修士。指導教官は鈴木秀勇で、修士論文は「パスカルにおける自然学の方法―真空論争をめぐって」。 1981年朝日新聞社入社、佐賀支局員。1984年久留米支局員。1991年ジャカルタ支局長。1996年パリ支局員。1999年外報部次長。2000年パリ支局長。朝日新聞東京本社論説委員を経て、2004年東京本社外報部長。
魚住 昭(うおずみ あきら、1951年10月25日 - )は… 魚住 昭(うおずみ あきら、1951年10月25日 - )は、日本のフリージャーナリスト。ノンフィクション作家。講談社ノンフィクション賞受賞。 熊本県八代郡鏡町(現・八代市)出身。熊本大学教育学部附属中学校から熊本県立熊本高等学校に入学。テニス部に入り、高校3年時に国体、インターハイに出場。夏のインターハイでシングルスベスト16に進出した。現役で一橋大学法学部に入学。大学では卒業論文を提出せずに1年間留年し、読書とパチンコをして日々を過ごした。高校時代の同級生に山室信一(元京都大学教授)、大学前期クラスでの同級生に鈴木和宏(検察官、元福岡高等検察庁検事長)や藤巻健史(為替トレーダー、参議院議員)などがいる。
篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は… 篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は、日本の編集者、ジャーナリスト、実業家。月刊『創』編集長、『マス読』編集長、創出版社長。「コミック表現の自由を守る会」事務局長、「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。茨城県出身。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1976年に一橋大学経済学部卒業。当時の一橋大生は商社や銀行にフリーパスではあったが、篠田はそういった進路に疑問を感じ、雑誌ジャーナリズムを志して政策時報社に入社する。 1980年、政策時報社を退社し総合評論社に入社する。月刊『創』編集部所属となり1981年の月刊『創』編集長就任後、徐々にメディア批評誌化を進める。 1982年、月刊『創』編集者3人で創出版設立。
大住 良之(おおすみ よしゆき、1951年7月17日 - )… 大住 良之(おおすみ よしゆき、1951年7月17日 - )は、日本のサッカージャーナリスト、サッカー指導者。サッカーマガジン編集長、FC PAF監督、日本スポーツプレス協会副会長、日本サッカー協会審判委員等を歴任。アジアサッカー連盟フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー受賞。 神奈川県横須賀市久里浜出身。日本のサッカージャーナリストの先駆者的な存在で知られる。 栄光学園中学校・高等学校、一橋大学法学部卒業後、大学時代にアルバイトをしていたベースボール・マガジン社に1974年に入社、サッカーマガジン編集部に在籍。1978年以降は編集長を務めた。 1982年にベースボール・マガジン社退社。 その後はアンサーを経て1988年からはフリーとなる。
小山 鉄郎(こやま てつろう、1949年5月3日 - )は日… 小山 鉄郎(こやま てつろう、1949年5月3日 - )は日本のジャーナリスト。元共同通信社編集委員兼論説委員。日本記者クラブ賞受賞。 群馬県伊勢崎市出身。一橋大学経済学部を卒業し、1973年共同通信社に入社。社会部、川崎支局、横浜支局、社会部などを経て、1984年から文化部。2024年11月まで共同通信社編集委員兼論説委員を務める。 この間、2009年まで文字文化研究所理事を務めたほか、白川静の漢字学や村上春樹についての著作活動も行う。村上春樹作品については『ノルウェイの森』刊行時(1987年9月)、唯一のインタビュアー。オウム真理教信者たちによる地下鉄サリン事件の被害者らへのインタビュー集『アンダーグラウンド』が1997年3月20日に刊行されることを特報。
坂本 榮(さかもと さかえ、1946年 - )は、日本のジャ… 坂本 榮(さかもと さかえ、1946年 - )は、日本のジャーナリスト。時事通信社経済部長、常陽新聞社長、同社会長、特定非営利活動法人NEWSつくば理事長等を歴任。時事通信社社長賞受賞。 茨城県土浦市出身。1966年に茨城県立土浦第一高等学校卒業。1970年一橋大学社会学部を卒業し、軍事評論家久住忠男の影響で、時事通信社に入社。 時事通信社では経済部に配属され、日本銀行記者クラブ時代に国際金融に関する報道で社長賞を受賞。1979年から1983年までワシントン特派員。経済部デスクを経て、証券部長として証券情報サービス「PRIME」の開設や、インサイダー取引規制体制整備などにあたった。1992年経済部長。
岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月… 岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月21日)は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 元朝日新聞論説委員、元朝日ニュースター(CS放送)キャスター、元『週刊金曜日』編集長。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。1959年新潟県立高田高等学校卒業。 1964年、一橋大学社会学部を卒業後、朝日新聞社に入社。1979年にワシントン特派員を経て、1988年に朝日新聞論説委員となる。2000年、同社を定年退社。『週刊金曜日』編集長を経て、フリージャーナリストに転身した。現在は、食の安全や公共事業、日本経済を主なテーマにして、市民の立場から取材・執筆・講演活動をしている。 FSN(食の安全を考えるネットワーク)理事のほか、上智大学や法政大学の講師、東京経済大学の非常勤講師も務めている。
酒井 武史(さかい たけし、1938年12月10日 - )は… 酒井 武史(さかい たけし、1938年12月10日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。武照舎創業者であり、のち休眠中の創土社を買収し、同社代表取締役を務めた。 1961年一橋大学卒業。大学在学中は、宮崎省吾、川岸近衛、平尾光司、飯沼健真らと学生運動に参加した。朝日新聞社記者を経て、1990年武照舎を設立し、大学の先輩である二瓶一郎が社長を務めていた新評論に委託する形で人文書の出版などを行った。2001年二瓶の新評論社長退任に伴い、休眠会社の創土社を買収し同社代表取締役に就任。出版不況が続く中、フェイスとの業務提携を行うなどし、版権を保有する人気ゲームブックの再販を進めるなどした。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
安藤 博(あんどう ひろし、1938年11月 - )は、日本… 安藤 博(あんどう ひろし、1938年11月 - )は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 東京生まれ。1962年一橋大学経済学部卒、1981年まで朝日新聞記者。1970年代半ばにはワシントン支局在勤。東海大学平和戦略国際研究所教授、(株)構造計画研究所研究員。市民立憲フォーラム、非暴力平和隊・日本、情報公開クリアリングハウス理事、福島原発行動隊代表理事。
川岸 近衛(かわぎし このえ、1938年1月19日 - 20… 川岸 近衛(かわぎし このえ、1938年1月19日 - 2022年5月21日)は、日本のジャーナリスト。読売新聞社論説副委員長や、証券取引等監視委員会委員などを務めた。 1961年一橋大学経済学部卒業。大学在学中は宮崎省吾、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加し、一橋新聞編集長も務めた。大学卒業後読売新聞社入社。1983年経済部次長。1988年論説委員。1992年論説副委員長。1998年証券取引等監視委員会委員。2004年三菱自動車工業企業倫理委員会委員。税制調査会特別委員、資金運用審議会専門委員、海運造船合理化審議会専門委員、航空審議会委員なども歴任した。 北海道支社勤務時代の1960年に、札幌市立山の手養護学校の生徒から王貞治宛のファンレターを託され、その後長く続きゴールデンスピリット賞へと到る同校への慰問のきっかけを作った。
山村 喜晴(やまむら よしはる、1933年8月12日 - 1… 山村 喜晴(やまむら よしはる、1933年8月12日 - 1997年3月6日)は、日本の経済ジャーナリスト。 富山県出身。筆名・大河健太郎。1957年一橋大学経済学部卒、毎日新聞社入社。経済部副部長、編集委員、77年論説委員。定年後、富山国際大学教授を務めた。
大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 … 大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日)は、日本のジャーナリスト、コメンテーター。 福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校、一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。 退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年、東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。 2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された。
辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017… 辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、元朝日新聞記者のジャーナリスト、エッセイスト。元日本エッセイスト・クラブ理事長。 東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した。 大学卒業後朝日新聞社入社。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。 ジャーナリストとして多数の著書を刊行している。
荒川 弘(あらかわ ひろし、1925年10月3日 - 200… 荒川 弘(あらかわ ひろし、1925年10月3日 - 2003年2月12日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京出身。一橋大学卒。高島善哉ゼミ出身。産経新聞社に入り、記者、論説委員ののち1980年成城大学経済学部教授となる。1996年定年、名誉教授となる。
武山 泰雄(たけやま やすお、1923年2月1日 - 200… 武山 泰雄(たけやま やすお、1923年2月1日 - 2005年4月20日)は、日本のジャーナリスト。 東京都生まれ。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年(昭和19年)2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、光海軍工廠に配属され、会計部材料課員として製鋼原料入手を担当。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年(昭和20年)4月、海軍航空本部出仕・海軍艦政本部出仕・広島監督官兼呉運輸部員に転じた。同年8月6日、広島駅で被爆し負傷したが命を取り留め、同年9月に主計中尉に進み、同年11月予備役に編入され解員(復員)した。 1946年(昭和21年)東京商科大学卒。
韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は… 韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は、日本のジャーナリスト。日本共産党で赤旗編集局長等を歴任し、既存マスコミの報道におけるタブーへの批判などを展開した。 長野県小諸町生まれ。実家は洋服屋。小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進学。大学在学中金沢で陸軍に勤務。高島善哉ゼミ出身。 大学に復学後、共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)らとともに参加し、主要メンバーとして活動した。民研はのちに、学生自治会委員長となった弓削達(のちに東京大学名誉教授)から批判を受けるなどし解散して社会科学研究会に改組した。
川本 信正(かわもと のぶまさ、1907年9月22日 - 1… 川本 信正(かわもと のぶまさ、1907年9月22日 - 1996年6月17日)は、日本のスポーツジャーナリスト、新聞記者、スポーツ評論家。オリンピックを初めて「五輪」と表記したことで知られる。
浦松 佐美太郎(うらまつ さみたろう、1901年10月1日 … 浦松 佐美太郎(うらまつ さみたろう、1901年10月1日 - 1981年12月23日)は、日本のジャーナリスト・登山家。 今日では本業のジャーナリストとしてよりも、登山家・山岳作家としての仕事で知られている。 1919年、旧制芝中学校卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。ロンドンに留学して近代登山に出会い、帰国後『たった一人の山』((1941年刊)など、山岳紀行の分野を開拓する。 ジャーナリストとしては日本太平洋問題調査会に参加し、1929年京都で開かれた「太平洋会議」(太平洋問題調査会の国際会議)の後、その争点を検討する「東京政治経済研究所」を蠟山政道・松本重治・牛場友彦らとともに設立し、近衛文麿の外交問題ブレインを形成した。
香月 保(かつき / かずき たもつ、1901年(明治34年… 香月 保(かつき / かずき たもつ、1901年(明治34年)4月30日 - 1964年(昭和39年)3月12日)は、日本のジャーナリスト。福岡県田川市長。 福岡県田川郡方城村大字弁城(方城町を経て現福智町弁城)に生まれる。1918年福岡県立中学修猷館を卒業、同級生には後に朝日新聞で同僚となる笠信太郎と益田豊彦がいる。1923年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。 東京朝日新聞に入社し、同社ロンドン支局長、亜細亜部長を経て、1945年朝日新聞大阪本社編集局長に就任する。 1947年4月第1回大阪府知事選挙に日本社会党公認候補として立候補するが、修猷館の同級生である赤間文三に敗れ落選する。 1951年田川市長に当選し、1955年まで務める。
笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - … 笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹をつとめた。
田中 慎次郎(たなか しんじろう、1900年7月28日 - … 田中 慎次郎(たなか しんじろう、1900年7月28日 - 1993年7月2日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社取締役出版局長、総理府原子力委員会参与、社団法人日本原子力産業会議参与などを務めた。 埼玉県出身。旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1926年朝日新聞社入社。朝日新聞大阪本社経済部次長、朝日新聞社経済部次長兼論説委員等を経て、1940年から政治経済部長を務め、第二次世界大戦、太平洋戦争下の政治経済の報道を行っていたが、1942年3月15日にゾルゲ事件に関し、入社同期の尾崎秀実に対し大日本帝国陸軍の南部仏印進駐作戦を事前に漏らしたとする軍機保護法違反容疑で逮捕された。同年4月15日から休職となり、6月5日には釈放されたものの、6月15日に退社させられた。
呉 三連(ご さんれん、1899年11月15日 - 1988… 呉 三連(ご さんれん、1899年11月15日 - 1988年12月29日)は、中華民国の政治家、日本のジャーナリスト。初代民選台北市長。 日本統治時代の台湾の嘉義県の寒村頭港仔出身。1919年台湾総督府国語学校国語部を卒業し、東京高等商業学校(現一橋大学)予科に進学。留学中日本統治下の台湾における台湾人政治運動に加わり、1920年新民会、東京台湾青年会に参加。同年下村宏台湾総督府総務長官と面会し日本の植民地政策を批判し、その後台湾議会設置運動に参加した。 1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業。陸上競技部出身。卒業後大阪毎日新聞記者となる。1932年台湾新民報が創刊されると編集者として台湾に戻り、論説委員、整理部長、政治部長を兼任した。
尹 白南(いん はくなん、1888年11月7日 - 1954… 尹 白南(いん はくなん、1888年11月7日 - 1954年9月29日)は、日本統治時代の朝鮮・大韓民国の俳優、脚本家、映画監督、小説家、ジャーナリスト、演劇演出家。本名は尹 教重。本貫は坡平尹氏。 李氏朝鮮忠清南道公州府出身。大韓帝国国費留学生として早稲田大学に入学したのち、東京高等商業学校(現一橋大学)に移り、同校を卒業した。日韓併合後毎日新報記者となり、のち俳優、映画製作などに携わるようになる。1930年に東亜日報に朝鮮初の大衆小説「大盜傳」を連載し人気を博す。1931年には劇芸術研究会を創立し新劇場運動の先駆者としての役割を果たした。1937年満州国に移住し、歴史小説を執筆。日本の降伏後帰国し、朝鮮映画建設本部本部長兼代表委員長に就任。
上田 碩三(うえだ せきぞう、1886年2月27日 - 19… 上田 碩三(うえだ せきぞう、1886年2月27日 - 1949年1月30日)は日本のジャーナリスト、実業家。元電通社長。 熊本県八代郡宮原町(現・氷川町)出身。1909年に東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業し、日本電報通信社(のちの電通)入社。語学力を活かしパリ講和会議、ワシントン会議、ロンドン海軍軍縮会議で特派員を務め、「カミソリ上田」と呼ばれた。 電通で常務取締役通信部長等を務めたのち、同盟通信社編集局長、常務理事。日映専務理事。 1945年電通社長に就任。同年、大学の後輩で、結核の療養中だった田中寛治郎を再入社させた。田中は結核の療養を続けながら、電通の監査役兼渉外部長や秘書役等を歴任し、パブリック・リレーションズ(PR)研究・導入の日本における草分けとなった。
河上 哲太(かわかみ てつた、1881年(明治14年)10月… 河上 哲太(かわかみ てつた、1881年(明治14年)10月13日 – 1952年(昭和27年)11月17日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 愛媛県周桑郡国安村(現在の西条市)出身。1905年(明治38年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業。卒業後は、国民新聞社に入社し、経済記者として活動。経済部長に昇った。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。9回連続当選を果たした。その間、加藤高明内閣で文部参与官に就任し、その他に政友会総務を務めた。 戦後、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となる。1951年(昭和26年)、追放解除となるが、翌1952年(昭和27年)11月17日死去。
安田 純平 は、日本のフリージャーナリスト。
宇留間 和基(うるま かずもと)は、日本のジャーナリスト、編… 宇留間 和基(うるま かずもと)は、日本のジャーナリスト、編集者。AERA創刊時から編集部に入り、同誌編集長や、初代朝日新聞出版代表取締役社長等を経て、J-CASTニュース編集長。 新潟県相川町(現佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校を経て、1979年一橋大学社会学部卒業、毎日新聞社入社。その後朝日新聞社に移り、1988年にAERAが創刊されると同誌編集部に入る。 1992年朝日新聞東京社会部。1995年AERA副編集長。2003年から2006年までAERA編集長。朝日新聞社出版本部雑誌編集センター長、図書編集センター長、出版本部長を経て、2008年に朝日新聞出版が設立されると、同社代表取締役社長に就任。
杉田 沙智代 (すぎた さちよ) は、日本のジャーナリスト。… 杉田 沙智代 (すぎた さちよ) は、日本のジャーナリスト。NHK放送総局報道局国際部記者。 1999年9月 桐朋女子中学校入学 2005年3月 桐朋女子高等学校卒業 在学中は6年間、硬式テニス部に所属。 2010年3月 一橋大学経済学部経済学科卒業 2010年4月 NHKに入局し、和歌山放送局配属 2014年7月 大阪放送局配属 2016年7月 報道局社会部 『NHK和歌山放送局』、『NHK大阪放送局』では主に、事件を担当。報道局社会部では 『環境省』を担当。 2022年8月 国際部 2024年8月 ブリュッセル支局長