甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の… 甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の物理学者。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学理学部を卒業後、九州大学大学院修士課程を修了した。 大学院修了後は、九州大学教養部の助手や助教授、教授を歴任した。1971年に論文「Hg[1-x]Cd[x]Te系合金のバンド構造と、その圧力依存性」で、九州大学より工学博士号を取得した。 九州大学を退官後は名誉教授となり、カナダのアルバータ大学の客員教授も務めた。
中村 廣治(なかむら ひろじ、1931年 - )は、日本の思… 中村 廣治(なかむら ひろじ、1931年 - )は、日本の思想史家で、デヴィッド・リカード研究を専門とした。広島大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。 福岡県生まれ。旧制福岡高等学校を経て、1953年九州大学経済学部卒業。高木暢哉門下で、1955年九州大学大学院経済学研究科博士課程進学。1958年大分大学着任。1964年九州大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。広島大学教授、熊本学園大学教授、九州産業大学教授を歴任した。広島大学名誉教授。この間、1995年から1997年まで経済学史学会代表幹事。専門はデヴィッド・リカード。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、… 藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の実業家、技術コンサルタントである。元宇部興産(現・UBE)専務取締役。 1931年(昭和6年)、山口県宇部市に生まれる。 終戦間近の1944年(昭和19年)、広島県広島市の広島陸軍幼年学校へ入校するが、翌1945年(昭和20年)6月に阿南惟幾陸軍大臣(当時)の命を受けて広島から疎開し、2ヶ月後の広島市への原子爆弾投下による被爆を免れた。藤野はこれを「お前たちは敗戦後の日本の復興に努力せよ」との遺言と受け止めている。 終戦後、九州大学工学部機械工学科へ進学し、1953年(昭和28年)に卒業。同年宇部興産に入社し、同社機械部門に配属される。
北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年1… 北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年12月1日)は、日本の地球物理学者。九州大学名誉教授。理学博士。京都市出身。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部地球物理学科に入学。京都大学山岳部に在籍。1954年(昭和29年)卒業、同大学院修士課程に進学し、長谷川万吉研究室で広野求和から地磁気の指導を受ける。なお、のちに第4次南極越冬隊に参加し、ブリザードのため遭難死した福島紳とは、小学校から大学院まで一貫して同級生同士だった。 修士課程在籍中、長谷川万吉から第1次南極地域観測隊への参加を打診される。その後、長谷川が、隊長に選ばれた永田武との確執から、南極関係の人事から事実上手をひくことになっため、山岳部の先輩である今西錦司に直訴して西堀栄三郎副隊長への紹介状を書いてもらい、西堀に直訴して観測隊に加えられる。
藤井 哲(ふじい てつ、1931年 - 2011年3月21日… 藤井 哲(ふじい てつ、1931年 - 2011年3月21日) は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。元日本熱物性学会会長。 1931年、福岡県生まれ。1947年に福岡県立朝倉中学校(現福岡県立朝倉高等学校)を卒業。1950年、山口高等学校卒業。九州大学工学部機械工学科に進み、大学では山縣清に師事した。1953年に卒業。卒業後は九州大学大学院に進み、1956年に研究奨学生前期修了すると、電力中央研究所技術研究所研究員となった。 1960年、九州大学に『自由対流熱伝達に関する研究』を提出して工学博士の学位を取得。1961年、九州大学生産科学研究所助教授。1967年、九州大学生産科学研究所教授に昇進。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
比留木 忠治(ひるき ちゅうじ、1931年 - 2021年1… 比留木 忠治(ひるき ちゅうじ、1931年 - 2021年11月15日)は、日本・カナダの生物学者(植物病理学)。学位は、農学博士(九州大学・1963年)。特定非営利活動法人五島の椿と自然を守る会理事長、International Camellia Society副会長、アルバータ大学名誉教授、カナダ王立協会会員。長崎県出身。長年カナダに在住。 日本専売公社秦野たばこ試験場での勤務を経て、アルバータ大学農生命環境学部教授、アルバータ大学マッカラ研究教授、アルバータ大学特別全学教授、International Society for Plant Pathology会計役などを歴任した。 長崎県出身の生物学者である。
武野 秀樹(たけの ひでき、1930年12月5日 - )は、… 武野 秀樹(たけの ひでき、1930年12月5日 - )は、日本の経済学者、九州大学名誉教授。 福岡県出身。旧制山口高等学校を経て、1953年九州大学経済学部卒、55年助手。73年「国民経済計算の基礎」で経済学博士。1958年九大助教授、70年教授、86年経済学部長。92年定年退官、名誉教授、九州産業大学教授、兵庫大学教授。近代経済学、国民経済論が専門。
下川 浩一(しもかわ こういち、1930年11月28日 - … 下川 浩一(しもかわ こういち、1930年11月28日 - 2016年9月24日)は、日本の経営学者。法政大学名誉教授、東海学園大学名誉教授。元組織学会会長。 東京に生まれる。1957年九州大学経済学部卒、1962年同大学院経営学博士課程満期退学、1980年「米国自動車産業経営史研究」で経済学博士の学位を取得。富山大学経営短期大学部講師・助教授、1969年法政大学経営学部助教授・教授。1999年同名誉教授、東海学園大学経営学部教授、のち名誉教授。自動車産業が専門。
近藤 秋男(こんどう あきお、1930年11月20日 - )… 近藤 秋男(こんどう あきお、1930年11月20日 - )は、大分県出身の日本の実業家。元全日本空輸社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、… 高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東映代表取締役社長、会長、相談役を歴任した。
清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016… 清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016年7月20日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 福岡県田川市出身。1954年に九州大学法学部を卒業し、同年に西日本新聞社に入社。1985年に取締役に就任し、1987年に常務、1989年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月から1年間相談役を務めた。 テレビ西日本会長、共同通信社理事なども歴任。 2016年7月20日心不全のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川崎 恭治(かわさき きょうじ、1930年8月4日 - 20… 川崎 恭治(かわさき きょうじ、1930年8月4日 - 2021年11月12日)は、日本の物理学者。九州大学名誉教授。専門は化学物理学、統計力学。
大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29… 大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29日 - 2022年(令和2年)1月29日)は、日本の生化学者。シトクロムP450発見者。九州大学名誉教授。理学博士。 静岡市に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年(昭和28年)、東京大学理学部化学科卒業。同年、静岡大学文理学部化学科助手。1960年(昭和35年)、 大阪大学蛋白質研究所助教授。 1961年(昭和36年)、理学博士。1970年(昭和45年)、九州大学理学部生物学科教授。1986年(昭和61年)、九州大学大学院医学系研究科教授(分子生命科学専攻)。1994年(平成6年) 、九州大学を定年退職、名誉教授。
森下 研(もりした けん、1930年7月3日- )は、日本の… 森下 研(もりした けん、1930年7月3日- )は、日本の児童文学作家。福岡県門司(現・北九州市)出身。九州大学卒。広告会社勤務、放送作家を経て、児童文学の創作を開始する。 少年小説やノンフィクションを中心に執筆。遠洋マグロ延縄漁の体験から書いた『男たちの海』で第15回児童福祉文化奨励賞(昭和48年 1973年)を受賞。
柏木 駿(かしわぎ たかし、1930年6月23日 - )は、… 柏木 駿(かしわぎ たかし、1930年6月23日 - )は、日本の法学者。専門は経済法。 大阪府泉北郡北上神村(現・堺市西区)に生まれる。1950年福岡県立修猷館高等学校を経て、1954年九州大学法学部法律学科を卒業。1956年九州大学大学院法学研究科修士課程(私法学専攻)を修了、1959年同博士課程を満了退学。 1961年4月九州大学法学部助手を経て、同年11月名城大学法商学部法学科専任講師(労働法担当)に転じ、1963年11月法商学部が分離した法学部の助教授となる。1969年4月同教授(経済法担当)に就任。1975年4月同大学院法学研究科修士課程で英米法、1978年4月社会法を担当。1985年4月同博士課程で社会法を担当。
梅津 明治郎(うめつ めいじろう、1930年6月5日 - 没… 梅津 明治郎(うめつ めいじろう、1930年6月5日 - 没年不明)は日本の映画監督。 1930年に佐賀県で生まれる。1955年に九州大学大学院を中退後、松竹京都撮影所に入社。 影響を受けた人物に宮島義勇と渡辺邦男がいたが、同僚と師匠を持たないことを申し合わせた。松竹の労働組合京都分会委員長を務めたこともある。 1964年に『忍法破り 必殺』で監督としてデビュー。1965年に松竹大船撮影所へ移り作品を撮り続けていたが、1976年の『狭山事件造花の判決』撮影のために松竹を退社し、フリーとなった。 以後はテレビドキュメンタリー作品の監督がメインとなり、特に滋賀県を舞台にした作品が多く、びわ湖放送の番組であった 「〜近江〜 その歴史と現代」では県内各地の撮影に奔走した。
梶山 純(かじやま じゅん、1930年(昭和5年)5月 - … 梶山 純(かじやま じゅん、1930年(昭和5年)5月 - )は、日本の法学者。専門は商法。八幡大学名誉教授。長崎県国見町出身。 長崎県立長崎中学校 (旧制)3年生の時に原爆を体験する。第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1953年九州大学法学部法律学科卒業。その後九州大学大学院助手を経て、1960年八幡大学法経学部講師に就任、以後助教授、教授を歴任。2003年九州国際大学より名誉教授の称号を受く。
小野 勇一(おの ゆういち、1930年4月21日 - 201… 小野 勇一(おの ゆういち、1930年4月21日 - 2015年7月20日)は、大分県出身の動物学者、生態学者。九州大学名誉教授。元日本生態学会会長。 1930年、大分県生まれ。北九州市立いのちのたび博物館名誉館員、前館長。教員だった父が2歳の時に他界し、同じく教員だった17歳上の長姉の転勤につれて一家で大分県内を転々とするうち旧制竹田中学校(現竹田高等学校)に入って終戦を迎えたが、竹田中学の4年後輩に、のちに北九州市長を5期務める末吉興一がいた。九大理学部卒業、森下正明の下で、同大大学院生態学専攻、九州大学博士、九州大学大学院教授、平成10(1998)年日本生態学会会長。平成14(2002)年11月 北九州市立自然史・歴史博物館のオープンに際して竹田市長との関係もあり、館長に就任する。
荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 20… 荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 2020年1月1日)は、日本の指揮者。日本指揮者協会元会長。 広島県東広島市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1953年、九州大学法学部を卒業し、1955年、同文学部を卒業。九州大学在学中は、九大フィルハーモニーオーケストラ、福岡合唱協会に所属し指揮を行い、指揮法を石丸寛、作曲を高田三郎に師事する。 1959年、東京放送合唱団を指揮してデビュー。1968年、東京フィルハーモニー交響楽団指揮者に就任。1969年、文化庁派遣在外芸術研修員としてアメリカに留学し、ジョージ・セルのもとで研究して、1970年、クリーヴランド管弦楽団を指揮。
高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日… 高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日 - 2021年(令和3年)1月3日)は、日本の官僚。元文部事務次官。福田淳一元財務事務次官は娘婿。 福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を経て、1953年に九州大学法学部卒業、同大学院法学研究科修了。 1989年リクルート事件に関する収賄罪容疑で逮捕。2002年最高裁判所で、「積極的な便宜供与行為をしていなかったとしても,文部省が私人の事業の遂行に不利益となるような行政措置を採らずにいたことに対する謝礼等の趣旨で利益を収受したときは、収賄罪における職務関連性が認められる。 」として懲役2年6月、執行猶予4年、追徴金2270万円が確定。
井田輝敏(いだ てるとし、1930年1月25日 - 2010… 井田輝敏(いだ てるとし、1930年1月25日 - 2010年9月)は、日本の政治学者。 愛媛県出身。九州大学法学部政治学科卒、同大学院をへて、八幡大学(のち九州国際大学)講師、助教授、北九州大学助教授、教授、学部長を務め、93年定年退官、名誉教授、九州国際大学教授、2002年退任、名誉教授。近代日本政治史が専門。
桃井 齊(ももい ひとし、1930年1月20日 - 2002… 桃井 齊(ももい ひとし、1930年1月20日 - 2002年2月26日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。東京都生まれ。 旧制第五高等学校を経て、1953年九州大学理学部地質学科を卒業。1956年九州大学理学部助手、1968年同助教授。1976年愛媛大学理学部教授に転任。1987年から1995年まで同大学評議員。1995年定年退官。1962年、九州大学より理学博士の学位を取得。 学部から大学院にかけて冨田達の指導を受け、花崗岩および黒色頁岩中のラジウム含有量に関する研究を行った。1956年から吉村豊文のもとで、マンガン珪酸塩鉱物(イネス石、ダンネモル石、パイロクスマンガン石、バナジウム柘榴石、ばら輝石など)の鉱物化学的研究に従事した。
神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1… 神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1997年4月18日)は、日本の経営者。沖電気工業社長を務めた。鹿児島県出身。 1953年に九州大学工学部通信工学科を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社した。1978年3月に沖電気工業に転じ、同年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1992年10月に社長に就任。1995年8月に取締役に就任し、1996年6月から特別顧問を務めた。 1997年4月18日脳腫瘍のために神奈川県大和市の病院で死去。67歳没。
宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15… 宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15日 - 1997年(平成9年)6月29日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取・会長、全国銀行協会連合会会長、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。 1997年に発覚した第一勧業銀行が関連した総会屋利益供与事件(小池隆一事件)で取り調べを受けていた最中、自宅で首吊り自殺した。 佐賀県佐賀市出身。父の宮崎林三郎(2代目)は、失明と貧困の中で画期的な縄ない機を発明し成功を収めた林三郎(初代)から見込まれ、養子に入り農機具販売店を営み、両親共に篤志家()として知られていた。 宮崎は7人兄弟の下から2番めの4男として生まれ、長兄の宮崎善吾は佐賀県副知事を経てエフエム佐賀社長等を歴任、次兄は家業を継ぎ、三兄の宮崎幸造は西日本新聞社で編集局次長を務めた。
秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は… 秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は、日本の詩人・中国文学者。九州大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。本名・勝廣。九州大学文学部卒。1977年「近代中国における文学運動の展開」で九大文学博士。近畿大学第二教養部(福岡)助教授、福岡女子大学教授、九大文学部教授。1993年定年退官、名誉教授。1993年翻訳特別功労賞(日本翻訳家協会)。1998年福岡県詩人会特別賞。2001年第一回詩界賞(日本詩人クラブ)。2011年福岡県詩人会先達詩人顕彰。
原田 實(はらだ みのる、1930年1月1日 - 2011年… 原田 實(はらだ みのる、1930年1月1日 - 2011年11月7日)は、日本の経営情報学者。 山口県出身。1947年福岡県中学修猷館、1949年旧制福岡高等学校文科甲類(第1学年終了)を経て、1955年九州大学経済学部を卒業。1960年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 1960年4月年西南学院大学商学部専任講師、1963年4月同助教授を経て、1969年4月九州大学経済学部助教授に転じ、1974年6月同教授に就任。経営労務論講座を担当。1988年4月経済学部組織変更に伴い企業管理講座を担当。 1985年4月から1987年3月まで九州大学評議員を務めた。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
佐藤 一段(さとう いちだん 1930年 - 2025年)は… 佐藤 一段(さとう いちだん 1930年 - 2025年)は、日本のジャーナリスト。所属事務所は昭和プロダクション。 大阪府出身。九州大学法学部政治学科卒業後、産業経済新聞社に入り、大阪、東京両本社で経済部長を務め、フジサンケイグループの活字部門の源流である大阪新聞社長も務めた。 現在はフリージャーナリストとして、経済をメインに政治、社会、文化など幅広い分野で評論・解説をおこなうほか、テレビ、ラジオなどにもしばしば出演している。 以下の番組はいずれも、フジサンケイグループのラジオ大阪で放送。メインパーソナリティを務めた。
小畠 郁生(おばた いくお、1929年11月15日 - 20… 小畠 郁生(おばた いくお、1929年11月15日 - 2015年9月19日)は、日本の古生物学者。 もともとアンモナイトを中心とする無脊椎動物の研究者であるが、日本国内の数少ない中生代(特に白亜紀)の動物の研究者として多数の恐竜関連の書籍の監修、翻訳を行った。また、1993年に日本における恐竜研究についての現状、方法をまとめた『恐竜学』を編纂、神流町恐竜センターの名誉顧問を行うなど日本における恐竜研究の普及に尽力した。 1929年、福岡県に生まれる。旧制逗子開成中学校から1945年、海軍兵学校に第78期生として入学するも、敗戦により退校。九州大学理学部地質学科を卒業後、1956年に九州大学大学院理学研究科博士課程中退。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
赤木善光(あかぎ よしみつ、1929年9月23日 - 202… 赤木善光(あかぎ よしみつ、1929年9月23日 - 2022年3月1日)は、日本の神学者。東京神学大学名誉教授。 福岡県出身。九州大学文学部哲学科卒業、1956年東京神学大学大学院修士課程修了、日本基督教団東中通教会主任牧師、1961年から1962年までフランス・ストラスブールのプロテスタント神学大学博士課程に学び、帰国後東北学院大学講師、1965年東京神学大学講師、1967年助教授、1972年教授、1973年「信仰と権威 -新約聖書からアウグスティーヌスまで」で東京神学大学神学博士。1966年から1986年まで自由が丘教会主任牧師。1998年東京神学大学を定年退職。 2022年3月1日に死去した。
岡 誠(おか まこと、1929年8月10日 - )は、日本の… 岡 誠(おか まこと、1929年8月10日 - )は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1947年福岡県中学修猷館を経て、1954年九州大学経済学部を卒業しNHKに入社。 1972年トリオ(後にケンウッドと改称、日本ビクターと合併して現在JVCケンウッド)に入社。1973年1月取締役となり、1980年8月常務、1983年8月専務、1989年2月副社長を経て、1990年2月社長に就任。1999年6月会長、2000年6月相談役となる。
杉崎 光世(すぎさき みつよ、Dr. Sugisaki Ka… 杉崎 光世(すぎさき みつよ、Dr. Sugisaki Kawase Mitsuyo, 1929年(昭和4年)4月19日 - 2018年(平成30年)6月12日)は、日本の法学者(博士)。フランス語学者。教育者。九州国際大学名誉教授。専門分野は家族法。板垣退助の曾孫。IQ140。旧姓は川瀬で、婚姻により杉崎姓を名乗るが、のち川瀬に復姓。川瀬光世。 昭和4年(1929年)4月19日、日本福音ルーテル八幡教会牧師・川瀬徳太郎の二女として、福岡県八幡市大字槻田1194番地に生まれる。母は乾正士の長女 美世子(みよし)。教育家・乾一郎は叔父にあたる。 西南女学院を卒業後、八幡大学法経学部に進み、さらに九州大学大学院で博士課程の単位を取得した。
本多 正昭(ほんだ まさあき、1929年4月2日 - )は、… 本多 正昭(ほんだ まさあき、1929年4月2日 - )は、日本の哲学・神学者。相即人間学会代表、産業医科大学名誉教授。 長崎県出身。1955年九州大学文学部哲学科卒、1957年同大学院修士課程修了。1958-61年マニラ教皇庁トマス大学修了。熊本マリスト学園高等学校教諭。神戸海星女子学院大学・短期大学講師、助教授、1978年産業医科大学教授、1992-94年聖泉短期大学学長、1996-98年ノートルダム女子大学学長。 2006年11月瑞宝小綬章受章。
伊藤 光男(いとう みつお、1929年3月24日 - 201… 伊藤 光男(いとう みつお、1929年3月24日 - 2019年11月14日)は、日本の物理化学者。東北大学名誉教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構長。紫綬褒章受章。正四位瑞宝重光章。専門は分子分光学。 福岡県北九州市若松区生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)… 藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒 九州大学工学部造船科(専門部)卒 (1948年) 松田塾にて松田実に洋画の指導を受ける(1949年) 東京芸術大学美術学部芸術学科卒(1955年) スペインの王立サン・フェルナンド美術アカデミーヘ留学(1962年-1966年) 国画会会員。京都造形芸術大学名誉教授。群を抜く描写力と清澄な色彩で「静」でありながら、圧倒する存在感をもつ静物画が多数。また、中央にモチーフを配し単色の背景というシンプルな画面構成であり、抽象画的な感覚も持ちあわせながらも、古典的な技法にもすぐれ各所でその力量を窺うことができる。
蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月… 蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月8日 - 1994年(平成6年))は、日本の実業家。 山陽国策パルプ(現:日本製紙)元専務取締役。山陽国策産業(現:日本製紙総合開発)元社長。 愛媛県新居浜市出身。蝶野勝四郎・ヒロの次男に生まれる。1952年(昭和27年)九州大学農学部林学科を卒業し、同年4月山陽パルプ(現:日本製紙)に入社。1972年(昭和47年)3月31日に山陽パルプと国策パルプ工業が合併し、山陽国策パルプ発足後、1981年(昭和56年)6月取締役に就任。 1985年(昭和60年)常務、1989年(平成元年)6月専務を経て、1991年(平成3年)6月退任。山陽国策パルプ(現:日本製紙総合開発)に就任した。
光易 恒(みつやす ひさし、1929年 - )は、日本の物理… 光易 恒(みつやす ひさし、1929年 - )は、日本の物理学者。専門は海洋物理学。特に海洋波の研究で知られる。九州大学名誉教授 1929年、広島県生まれ。1945年に旧制崇徳中学校を卒業。1948年に旧制広島高等学校を卒業、1952年に広島文理科大学(現広島大学)を卒業、旧運輸省運輸技術研究所へ入る。高潮津波研究室長および波浪研究室長を経て、1965年に九州大学応用力学研究所助教授に転進、1967年同教授となる。後に同研究所所長をつとめた。1992年に九州大学を退官後は、広島工業大学環境デザイン学科教授に就任し、1999年に退職している。
和田 光史(わだ こうじ、1928年11月7日 - )は、日… 和田 光史(わだ こうじ、1928年11月7日 - )は、日本の土壌学者。第19代九州大学総長。九州大学名誉教授。日本学士院会員。火山灰土壌を研究し、その理化学的な性質、生成過程、生産性などの解明・向上に貢献した。
大河内一雄(おおこうち かずお、1928年(昭和3年)10月… 大河内一雄(おおこうち かずお、1928年(昭和3年)10月8日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の医学者、ウイルス学者 血清学者。九州大学名誉教授。 専門は輸血による感染症。 1963年にバルーク・サミュエル・ブランバーグが発見したオーストラリア抗原を肝炎患者の血液から分離し、B型肝炎ウイルスの発見につながった。この研究は輸血によるB型ウイルス性肝炎感染防止に応用され、輸血の安全性を高めることに大きく貢献した。その後も成人T細胞白血病ウイルスや、エイズウイルスの輸血による感染の研究に尽力した。
西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2… 西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2022年4月19日)は、日本の医学者・精神科医。福岡大学名誉教授。学位は、医学博士(論文博士・1959年)(学位論文「神経症に関する臨床的研究」)。 福岡県生まれ。1953年九州大学医学部卒業。1959年論文「神経症に関する臨床的研究」で医学博士の学位の取得。 1971年九州大学医学部助教授。1973年福岡大学医学部教授。医学部学部長。1993-2001年WHO協力センター(福岡大学)所長。1999年定年退任、名誉教授。 1999年、福岡市博多区に心理社会的精神医学研究所を開設して活動の拠点としたが、2019年に自ら閉鎖。 長いキャリアの間に、日本精神神経学会、日本精神分析学会、西太平洋地域医学教育連合、環太平洋精神科医会議、アジア児童思春期精神医学会、多文化間精神医学会、日本精神分析協会の会長などを歴任した。
髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 20… 髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 2019年9月29日)は、日本の流体工学者。九州大学名誉教授。元有明工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。 福岡県福岡市出身。福岡県中学修猷館を経て、1958年九州大学大学院修了。1962年九州大学より工学博士の学位を取得。九州大学助手、九州大学講師、九州大学助教授を経て、1972年九州大学教授に昇格。1988年から九州大学工学部長を務め、ベビーブーム期の学生への対応を行うなどした。1992年有明工業高等専門学校校長。1998年久留米工業大学学長。2001年勲二等瑞宝章受章。2019年9月29日、福岡市城南区の病院で急性肺炎のため死去。
迎 靜雄(むかえ しずお、1928年9月2日 - 2010年… 迎 靜雄(むかえ しずお、1928年9月2日 - 2010年11月3日)は、九州工業大学第8代学長で、株式会社北九州テクノセンター代表取締役社長、学校法人九州国際大学理事長を歴任。 1928年福岡県に生まれ、1948年3月明治工業専門学校(現:九州工業大学)冶金科、1952年3月九州大学工学部冶金学科を卒業後、1957年3月九州大学大学院研究奨学生前後期を修了し、1958年7月に九州工業大学講師として母校の教壇に立つ。その後1960年4月助教授、1970年4月教授と、九州工業大学で29年に亘って溶接工学、特に鋼及びアルミニウム合金溶接部の金属学的特性に関する教育研究に尽力する。これらの研究成果は軽金属溶接構造協会賞、溶接学会賞、日本溶接協会業績賞及び嘉村記念賞などで高く評価され、溶接学会会長などの要職を歴任する。
大内 初夫(おおうち はつお、1928年(昭和3年)8月16… 大内 初夫(おおうち はつお、1928年(昭和3年)8月16日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、日本の国文学者。鹿児島大学名誉教授。専門は俳文学。 大分県日田市生まれ。九州大学国文科卒業。同大学院、佐賀龍谷短期大学(現・九州龍谷短期大学)助教授を経て、1958年、鹿児島大学教養部助教授、のちに教授。1982年、「近世九州俳壇史の研究」で、九州大学より文学博士の学位を取得。1994年、定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授。1999年、退職。 2003年9月13日、脳出血のため死去。75歳没。没後正四位勲三等旭日中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 -… 有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 - 2006年(平成18年)7月22日)は、日本の法学者。専門は家族法。学位は、法学博士(九州大学・論文博士・1962年)。九州大学名誉教授、聖心女子大学名誉教授。弁護士。鳥取県鳥取市出身。 日本法社会学会理事、比較家族史学会副会長、日本家族(法と社会)学会理事、福岡家庭裁判所家事調停委員、同参与員、九州地方鉱業協議会委員、RKB番組審議会委員長、福岡国税局土地評価審議会委員、九州大学出版会常任理事等を歴任。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5… 山口 宗之(やまぐち むねゆき、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2012年〈平成24年〉3月21日)は、日本の歴史学者。従四位瑞宝中綬章。学位は文学博士(九州大学・1980年・論文博士)。九州大学名誉教授。専門は幕末政治思想史。陸海軍将校に関する著書もある。 佐賀県藤津郡多良村(現・太良町大字多良)生まれ。1935年(昭和10年)、村立多良尋常小学校入学。1941年(昭和16年)、佐賀県立鹿島中学校(現・佐賀県立鹿島高等学校)入学。1945年(昭和20年)3月、佐賀県立鹿島中学校卒業(4年繰上げ)。同年4月、第七高等学校造士館文科一類(のち文科乙類となる)入学。1948年(昭和23年)3月、第七高等学校造士館文科乙類卒業。
阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年… 阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年不詳)は、日本の構造化学者。 福岡市中央区に生まれる。1945年3月福岡県中学修猷館、1948年3月旧制福岡高等学校を経て、1951年3月九州大学理学部化学科卒業。1955年3月同大学大学院研究奨学生修了。 1955年4月九州大学講師に採用され、1959年9月から1961年10月まで分子の電子構造研究のためイギリスに出張、その間1959年10月理学博士の学位を取得。1962年5月九州大学助教授、1962年6月から同年9月までパラベンゾキノンの振動スペクトルの研究のためアメリカ合衆国に出張、1963年6月から同年10月までパラベンゾキノンの電子構造の研究のためアメリカ合衆国に出張。
和栗 雄太郎(わくり ゆうたろう、1928年7月7日 - 2… 和栗 雄太郎(わくり ゆうたろう、1928年7月7日 - 2014年4月1日)は日本の機械工学者、熱工学者。九州大学名誉教授。
有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日… 有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日 - 2012年3月11日)は、日本の詩人、翻訳家、仏文学者。専門はフランス詩。西南学院大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 長崎県佐世保市出身。海軍主計将校だった父の転勤に従って鎌倉、台湾、再び佐世保と転々とした。長崎県立佐世保中学校、第五高等学校を経て、1953年九州大学文学部仏文科卒業。1958年九州大学大学院第二期修了、九州大学文学部助手。1963年北九州大学講師、1964年同助教授、1968年同教授。1975年西南学院大学教授。1999年同大学を退職。 シャルル・ボードレールらの詩が専門だが、ヴィクトル・セガレンの全訳やサン=ジョン・ペルスの翻訳でも知られる。
杉谷 昭(すぎたに あきら、1928年5月15日 - 201… 杉谷 昭(すぎたに あきら、1928年5月15日 - 2016年5月24日)は、日本史学者。 島根県簸川郡今市町(現・出雲市)生まれ。1953年九州大学文学部史学科卒。1968年「明治前期地方制度史研究」で國學院大學文学博士。佐賀大学助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、久留米大学教授。佐賀城本丸歴史館初代館長。