嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年… 嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年)1月21日 ‐ 2011年(平成23年)10月26日)は、日本の政治学者、政治家。衆議院議員(8期)。 石川県小松市粟津町に生まれる。兄の均は自由民主党所属の参議院議員、法務大臣を歴任し、兄弟で党籍が与野党に別れていた。また、弟の丞は石川県立美術館館長。 旧制第四高等学校を経て九州大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。 大学院修士課程修了後、九州大学助教授、教授となる。向坂逸郎らと共に社会主義協会系の学者として活躍するが、1967年(昭和42年)社会主義協会分裂の際は太田派の中心人物の一人となった。 1969年(昭和44年)、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、旧石川1区から第32回総選挙に立候補するが落選。
原田敏丸(はらだ としまる、1925年1月8日 - 2021… 原田敏丸(はらだ としまる、1925年1月8日 - 2021年3月15日)は、日本の経済史学者、専門は農村社会経済史。大阪大学経済学博士、同名誉教授。 熊本県鹿本郡吉松村(現・熊本市北区)出身。民俗学者原田敏明の長男。九州大学法文学部経済科卒、同大学院中退、宮本又次に師事した。1951年大分大学経済学部講師、1953年滋賀大学に移り1954年助教授、1968年教授。1969年より大阪大学経済学部教授。1970年「近世山割制度の研究」で大阪大学経済学博士。1988年定年退官、名誉教授。同年より1996年まで帝塚山大学教授。2021年3月16日、96歳で死去。 2002年(平成14年)4月29日 - 勲二等瑞宝章
大村 裕(おおむら ゆたか、1925年1月4日 - )は、日… 大村 裕(おおむら ゆたか、1925年1月4日 - )は、日本の神経学者。九州大学・岡崎国立共同研究機構生理学研究所名誉教授、医学博士。 日本統治時代の朝鮮・京城府(現在のソウル特別市)生まれ。1947年九州帝国大学医学部卒業。1953年 九州大学 医学博士 論文の題は「神経活動に及ぼす無機及び有機燐酸塩の影響について 」。金沢大学、九州大学、富山医科薬科大学(現在は富山大学に併合)岡崎国立共同研究機構生理学研究所などで教授を務めた。 脳と疲労:慢性疲労とそのメカニズム ISBN 9784320054028
大野 透(おおの とおる、1925年 - )は、日本語学者。… 大野 透(おおの とおる、1925年 - )は、日本語学者。 第一高等学校理科から東京大学理学部物理学科へ進学。 『漢文法の溯源的研究I』で1985年に九州大学より、『万葉仮名の研究』で1987年に國學院大學より、それぞれ文学博士号を取得した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鶴谷 寿(つるたに ひさし、1925年 - )は、日本のアメ… 鶴谷 寿(つるたに ひさし、1925年 - )は、日本のアメリカ文学研究者、米国移住者、竹久夢二研究者である。日本英文学会会員。アメリカ学会会員。長崎県生まれ。
上原 和(うえはら かず、1924年12月30日 - 201… 上原 和(うえはら かず、1924年12月30日 - 2017年2月9日)は、日本の美術史家。成城大学名誉教授。専門は美学美術史。 日本領台湾台中市生まれ。九州大学法文学部哲学科美学美術史専攻卒業、同大学院文学研究科特別研究生、前期課程修了。宮崎大学学芸学部専任講師、成城大学文芸学部専任講師・助教授・教授・文芸学部長・大学院文学研究科長を経て1995年定年退任、名誉教授。 玉虫厨子研究をライフワークとし、この創作を飛鳥時代とし、法隆寺はその基礎の上に建てられたとの説を唱え村田治郎らと論争を行った。また、西域からギリシャまでの建築に関心を寄せ、詩人的な筆致による文章を書く。 1975年『斑鳩の白い道の上に』で亀井勝一郎賞受賞。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
裾分 一弘(すそわけ かずひろ、1924年11月21日 - … 裾分 一弘(すそわけ かずひろ、1924年11月21日 - 2016年2月17日)は、日本の西洋美術史学者、学習院大学名誉教授。 岡山県生まれ。九州帝国大学文学部哲学科卒。同大学院修了。1958年九州大学助手、1962年武蔵野美術大学助教授、1967年学習院大学文学部教授。95年定年退任、名誉教授。レオナルド・ダ・ヴィンチ研究の第一人者だった。 2003年11月瑞宝中綬章受章。 (古田光、藤田健治、木田献一、屋形禎亮、澤柳大五郎、廣川洋一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、裾分一弘、下村寅太郎、西沢龍生、永井博による共編著)
荒木 誠之(あらき せいし、1924年10月12日 - 20… 荒木 誠之(あらき せいし、1924年10月12日 - 2015年11月12日)は、日本の法学者。位階は従三位。 九州大学名誉教授。社会保障法学専攻。 熊本県生まれ。九州帝国大学法文学部法学科卒。1961年「労働者災害補償法の研究」で九州大学法学博士。熊本大学法文学部講師、助教授、九大法学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授、姫路獨協大学教授。1995年熊本学園大学教授。2001年退職。
笹井 章(ささい あきら、1924年 <大正13年> 9月1… 笹井 章(ささい あきら、1924年 <大正13年> 9月19日 - 2004年 <平成16年> 7月16日)は、日本の経営者。明治製菓社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。旧制四高を経て1948年に九州大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に明治製菓に入社。1974年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年6月に社長に就任。1995年6月から会長を務めた。 1997年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2004年7月16日多臓器不全のために死去。79歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加地 正郎(かじ まさろう、1924年9月11日 - 201… 加地 正郎(かじ まさろう、1924年9月11日 - 2017年12月10日)は、日本の医師、久留米大学医学部第一内科名誉教授。 熊本県熊本市出身。九州大学を卒業後、九州大学第一内科に入局。感染症を主として研究対象とした。1952年九州大学から学位を得る。題は「西日本各地区住民特に学児のインフルエンザビールス中和抗体保有量について」。特にインフルエンザの研究は知られており、「風邪の加地」(かぜのかじ)と異名をとった。門下生には九州大学総合診療部教授、国立病院九州医療センター院長をつとめた柏木征三郎がいる。その後久留米大学へ転出し、教授に就任した。教授退官後は呉共済病院院長に就任した。 2001年秋、勲三等瑞宝章叙勲。
中尾 英俊(なかお ひでとし、1924年9月10日- 201… 中尾 英俊(なかお ひでとし、1924年9月10日- 2014年12月21日)は、日本の法学者で、弁護士。西南学院大学名誉教授。湘潭大学名誉教授。法学博士(九州大学、1962年)。2001年勲三等瑞宝章受章。 東京市(東京都)生まれ福岡県育ち。父の勤務の都合で、主に東京と郷里福岡で幼少年時代を過ごす。東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)卒業後、1943年4月東京商科大学商学専門部(現一橋大学)に入学する。翌年8月東京商科大学商学専門部在学のまま海軍予備生徒、1945年6月海軍少尉候補生を命ぜられ、特殊潜航艇蛟龍艇長として訓練を受け、出撃待機中に終戦を迎える。同年9月少尉任官、復員。郷里の福岡に帰り約1年間実家にて農業に従事する。
市川 武(いちかわ たけし、1924年〈大正13年〉9月10… 市川 武(いちかわ たけし、1924年〈大正13年〉9月10日 - 2020年〈令和2年〉5月22日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。 裾野市出身。1947年(昭和22年)九州帝国大学工学部土木工学科卒業。 1952年(昭和27年)静岡県庁に奉職し、1969年(昭和44年)港湾課長、1977年(昭和52年)土木部技監を経て、1978年(昭和53年)裾野市長に当選。4期務めた。 2020年(令和2年)5月22日死去、95歳。
上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 201… 上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 2015年5月4日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。大分県大分市出身。 1958年に九州帝国大学法文学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1972年11月に取締役に就任し、1975年5月には専務に就任した。 1978年5月にクラレに転じ、同年6月に専務に就任し、1981年6月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格した。1990年6月から相談役に就任した。 2015年5月4日前立腺がんのために死去。90歳没。
川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1… 川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある。愛媛県生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学。第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し、1943年、西南学院高等学部商科に入学。1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。
市川 信愛(いちかわ のぶちか、1924年4月21日 ‐ 2… 市川 信愛(いちかわ のぶちか、1924年4月21日 ‐ 2002年4月2日)は日本の商学者(華僑論)。元九州国際大学教授。元宮崎大学教授。文学博士。長崎県出身。 1944年東亜同文書院大学入学。その後、九州大学法文学部を卒業し、GHQ経済科局農水産省総合研究所、長崎県経済研究所、長崎大学商業短期大学、宮崎大学教育学部教授を経て1989年九州国際大学国際商学部教授に就任。 華僑社会経済、金門華僑関係の研究活動が顕著である。2000年8月には中華民国福建省の金門島に調査に入り現地でシンポジウムも開催した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13… 三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)5月31日)は、日本の心理学者。専攻は社会心理学。文学博士。元九州大学教授、大阪大学名誉教授、筑紫女学園大学・短期大学元学長。財団法人集団力学研究所初代所長。 福岡県出身。クルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックス(集団力学)を日本に紹介し、その普及と発展に力を注いだ。リーダーシップをパフォーマンスとメンテナンスの2つの機能の複合として捉えるPM理論で世界的に知られる。 日本グループ・ダイナミックス学会の設立に尽力し、2代目会長に就任。以来、長きに渡って同学会の幹部を務める。また九州大学教育学部教授在任中の1967年(昭和42年)、学界と地元企業の交流の場として集団力学研究所を設立。
大藪寿一(おおやぶ じゅいち、1924年2月26日 - 20… 大藪寿一(おおやぶ じゅいち、1924年2月26日 - 2001年10月16日)は、日本の社会学者。大阪市立大学名誉教授。社会病理学を専門とした。 福岡県生まれ。九州帝国大学法文学部卒。熊本短期大学助教授、大阪市立大学助教授、教授、86年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。
妹尾 泰利(せのお やすとし、1924年2月25日 - )は… 妹尾 泰利(せのお やすとし、1924年2月25日 - )は日本の機械工学者、流体機械学者。九州大学名誉教授。専門はターボ機械。
山崎 森(やまざき しげる、1924年(大正13年)1月1日… 山崎 森(やまざき しげる、1924年(大正13年)1月1日 - )は、日本の詩人、カウンセラー。佐賀県武雄市生まれ。1952年九州大学法学部卒。横浜家庭裁判所家事調停委員、東京家庭裁判所、横浜家裁で調査員、大学講師をへて、国際カウンセリング協会主任研究員。
本田 精一(ほんだ せいいち、1923年12月3日 - 20… 本田 精一(ほんだ せいいち、1923年12月3日 - 2019年6月23日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1941年、福岡県中学修猷館を経て、1950年、九州大学経済学部を卒業し日産火災海上に入社。 1973年6月、同社取締役となり福岡支店長、1974年6月大阪支店長、1977年7月常務、1978年11月専務、1980年7月副社長を経て、1981年7月社長に就任する。1989年6月相談役、1994年6月顧問となる。
齋藤 次郎(さいとう じろう、1923年10月7日 - 19… 齋藤 次郎(さいとう じろう、1923年10月7日 - 1986年6月2日)は、日本の裁判官。最高裁判所調査官や長崎地方裁判所長、福岡高等裁判所部総括判事などを務めた。水俣病第一次訴訟の裁判長を務めた。 熊本地方裁判所勤務時には水俣病第一次訴訟に携わり、初めてチッソの過失責任を認める判決を下した。その際、チッソと水俣病患者家族互助会との間で1959年に結ばれた見舞金契約によって支払われた金銭は「お見舞い」であって補償金ではないため、これをもって賠償とするのは金額が低く公序良俗に反するため無効との判断を示し、弁護士費用も含め9億3千万円の賠償を命じた。この額は他の四大公害病訴訟の中では最高額となる。
作道 洋太郎(さくどう ようたろう、1923年(大正12年)… 作道 洋太郎(さくどう ようたろう、1923年(大正12年)9月23日 - 2005年(平成17年)2月4日)は、日本の経済学者・経営学者。専門は、日本経済史・経営史。学位は、経済学博士(大阪大学・1961年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年… 属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年9月6日)は、日本の経営者。山口県下関市出身。 1952年に九州大学理学部化学科を卒業し、同年に西部ガスに入社。1979年6月に理事に就任し、福岡支店長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1993年6月には副会長に就任。1998年6月から相談役を務めた。 1993年から2004年までに九州生産性本部会長を務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2022年9月6日、老衰のため死去。99歳没。
真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 19… 真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 1991年4月26日)は、日本の航空工学者。暦法家。九州大学工学部航空工学科助教授。
楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日… 楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日本の官僚、労働問題研究者。 熊本県出身。1948年九州帝国大学理学部数学科卒、労働省に入り、1962年統計業務指導官、1965年経済企画庁経済研究所主任研究官、1968年アジア経済研究所主任調査研究員、1970年退官、日本賃金センター研究主任、1981年代表幹事。1980年日本生産性本部理事、1984年日本雇用処遇センター所長。1994年産労総合研究所。日本賃金研究センター代表幹事。
稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19… 稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19日 - 2022年(令和4年)6月5日)は、日本の食品科学者。九州大学名誉教授。元カルピス食品工業(現:アサヒ飲料)常務取締役、元日本食品科学工業学会副会長。カネミ油症事件の原因を解明した。岡山県新見市出身。 1923年(大正12年)、岡山県新見市に生まれる。その後、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、天野昇(日本原子力研究所副理事長)、福田正彦(新見市長)、古米初男(丸善石油副参与)、田井庄之助(大分大学教授)がいた。1940年(昭和15年)、高梁中学校を卒業、鳥取高等農業学校獣医畜産学科へ進学する。
大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 200… 大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 2003年11月12日)は、日本の実業家。 盲人福祉運動家大城雪造の三男として、福岡県に生まれる。1940年福岡県中学修猷館を経て、1948年九州大学工学部土木工学科を卒業。 1948年福岡市に勤務した後、1954年防衛庁陸上自衛隊一等陸尉となる。 1959年日本道路公団に入り、福岡建設局長を経て、1980年理事。1984年8月前田建設工業顧問となり、1985年2月常務。1986年10月東京湾横断道路副社長となり、1995年6月代表取締役社長に就任。東京湾アクアラインを完成させ、1997年12月東京湾横断道路から日本道路公団に道路施設を引渡し、皇太子夫妻を招いて開通式を行った。
中川 正輔(なかがわ まさすけ、1923年2月21日 - 1… 中川 正輔(なかがわ まさすけ、1923年2月21日 - 1993年1月21日 )は、日本の経営者。 福岡県北九州市出身。1948年に九州大学法文学部を卒業し、同年に九州配電(のちの九州電力)に入社。鹿児島支店長、理事を経て、1977年6月に取締役に就任し、常務を経て、1983年6月に副社長に就任。1988年6月に九州旅客鉄道会長に就任し、福岡県公安委員会委員長も務めた。 1988年4月に藍綬褒章を受章。
首藤 堯(しゅどう たかし、1923年2月1日 - 2012… 首藤 堯(しゅどう たかし、1923年2月1日 - 2012年10月10日)は、日本の官僚。自治事務次官、公営企業金融公庫総裁、地域総合整備財団理事長。大分県出身。従三位勲一等瑞宝章。長男は脚本家の首藤剛志。 大分県大分市に生まれる。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。石垣島で終戦を迎える。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 旧制福岡高校を経て、1946年を九州大学法学部卒業。福岡県の地元の新聞社で一年務めた後、1947年に内務省入省。福岡県に配属される。
西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日… 西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日 - 2006年6月7日) は、日本の精神科医。モンテッソーリ教育による幼児・障害者教育にも携わった。 広島県庄原市出身。1944年、台北帝国大学医学部を卒業する。台北帝国大学医学部精神科、九州大学医学部精神科に勤務した。1951年、国立久里浜病院医長となる。 1952年、九州大学にて医学博士号を取得し、慶応義塾大学医学部精神科に勤務した(他に群馬大学医学部および広島大学教育学部講師を務める)。 1957年、呉市に「安浦病院」を開設、同時に現在の広島市西区に「教育医学研究所」を設立した。「モンテッソーリ子どもの家」を中心に、精神科リハビリの生理学的治療を実施した。
上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)… 上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)は、昭和時代の労働運動家。 福岡県生まれ。1950年九州大学法学部政治学科卒業。在学中は野中卓、水原輝雄とともに九州大学共産党細胞の中心メンバーであった。1953年左派社会党の稲村順三衆議院議員の秘書となる。1957年総評書記局に入局し調査部に配属。太田薫総評議長のブレーンとして「日本的組合主義」の草案を執筆。1963年総評教宣局情宣部長に就任し『月刊総評』の編集などに従事。1968年岩井章総評事務局長と対立して総評を退職。宝樹文彦全逓委員長の招請で全逓に入職し、全逓中央労働学校の常任講師、制度・政策委員として活動した。
矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。
小柳 陽太郎(こやなぎ ようたろう、1923年 - 2015… 小柳 陽太郎(こやなぎ ようたろう、1923年 - 2015年11月28日)は、日本の教育者。国民文化研究会副会長。 東京に生まれ、幼少時佐賀市に転居。 旧制佐賀高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学するが、1943年、東大在学中に学徒出陣し、復員後九州帝国大学文学部国文学科に転学。 1946年、九大を卒業し、泰星高等学校(現・上智福岡高等学校)の国語教諭として奉職。1950年6月、福岡県立修猷館高等学校国語教諭に転じる。 1983年3月、修猷館高校を退職し、九州造形短期大学教授に就任。
秀村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 -2… 秀村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 -2021年4月15日)は、日本の日本社会経済史学者。九州大学名誉教授。 1922年、福岡県福岡市にて出生。福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)を卒業後、福岡高等学校 (旧制)で学んだ。1942年、京都帝国大学経済学部に入学。京大への志望理由は、当時同大学教授で日本経済史学の権威として知られた本庄栄治郎の下で学ぶためであった。太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1943年9月、学徒出陣で海軍に入隊して突撃部隊に所属。 終戦後に復学するが、経済難で学費が払えなくなり、当時京大教授であった蜷川虎三の勧めで故郷に近い九州帝国大学法文学部に転校。1946年5月より九州帝国大学の宮本又次、竹内理三、喜多野清一らの下で学んだ。
弓削 三男(ゆげ みつお、1922年(大正11年)11月15… 弓削 三男(ゆげ みつお、1922年(大正11年)11月15日 - 2002年(平成14年)1月26日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 福岡県八女市出身。1950年(昭和25年)に九州大学文学部仏文学科を卒業し、同年に九州大学大学院の特別研究生として在学。翌1951年(昭和26年)に九州大学専任講師となる。1956年(昭和31年)にはフランスのストラスブール大学に、次いで翌1957年(昭和32年)にパリ大学に留学した。 1962年(昭和37年)に九州大学の教授となったのち、1964年(昭和39年)に早稲田大学第一文学部の専任講師となった。さらに翌1965年(昭和40年)に早稲田大学第一文学部の助教授となると、以降1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)まで早稲田大学大学院文学研究科を兼任した。
稲永 和豊(いななが かずとよ、1922年11月13日 - … 稲永 和豊(いななが かずとよ、1922年11月13日 - 2015年9月7日)は、日本の脳科医・脳生理学者。 福岡県朝倉郡杷木町(現朝倉市)生まれ。1946年九州帝国大学医学部卒、1951年同大学院研究生修了、医学博士、九州大学医学部助手、1956年九州大学医学部附属病院講師、1959年久留米大学助教授、1966年教授となり、1979-1985年付属病院長を務めた。1988年定年退官、名誉教授となり、筑水会病院において臨床精神医学担当、同病院神経情報研究所長、筑水会病院神経情報研究所長。
田中 健藏(たなか けんぞう、1922年11月7日 - 20… 田中 健藏(たなか けんぞう、1922年11月7日 - 2015年2月11日)は、日本の病理学者、外科医。第17代九州大学総長。 東京市日本橋区生まれ。関東大震災後に移住し、長崎県佐世保市育ち。1940年旧制長崎県立佐世保中学校卒業。1942年旧制佐賀高等学校卒業。1946年九州大学医学部卒業、外科学教室第1講座入局。1948年九州大学大学院特別研究生前期修了。1949年九州大学医学部助手。1951年医学博士。1953年九州大学医学部講師。同年九州大学医学部助教授。 1960年フルブライト・プログラムでハーバード大学医学部に留学。1963年九州大学医学部教授。1975年九州大学医学部長を経て、1981年に九州大学総長、国立大学協会理事。
水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年… 水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年) - 2003年(平成15年)7月31日)は、日本の法学者。専門は法哲学。九州大学名誉教授、元久留米大学教授。 初めは河村又介(後の最高裁判事)の下で憲法学の研究を始めるが、やがて憲法学の根本学である公法学、後に法哲学に研究の重心を移す。思想的にはトマス主義に立脚するが、アルフ・ロス、ハンス・ケルゼン、カール・ポパー等、自らとは異なる立場の思想家をも取り上げ、批判的書評を公刊した。 1954年に、大澤章の導きでカトリックに入信。ネオ・トミズムの本場ベルギーに留学し、ジャン・ダバンに師事。トマス主義の哲学、法哲学の研究に取り組み、帰国後は20世紀の法哲学におけるトマス主義の位置づけと主張を明快に論じた大著『法の観念-ジャン・ダバンとその周辺-』を公刊した。
山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10… 山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10月1日 - 1986年(昭和61年)3月22日)は日本の実業家。TBS社長を歴任した。 長崎県平戸市出身。東亜同文書院在学中に兵役に就き、1947年(昭和22年)九州大学法文学部を卒業後、改造社に入社。雑誌「改造」の編集に携わるが、1955年(昭和30年)の廃刊とともにTBSの前身であるラジオ東京に転じ、テレビ編成局長、テレビ本部長、取締役、常務、1975年(昭和50年)5月専務を歴任。 1977年(昭和52年)6月29日、諏訪博の後任として社長に昇格し、東京データビジョン、テレビユー福島などの設立に尽くした。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで日本民間放送連盟会長。
大野 俊康(おおの としやす、1922年〈大正11年〉5月2… 大野 俊康(おおの としやす、1922年〈大正11年〉5月20日 - 2013年〈平成25年〉4月16日)は、日本の神職。靖國神社宮司(第7代)。本渡諏訪神社名誉宮司。 熊本県出身。1943年(昭和18年)10月、神宮皇學館大学祭祀専攻科に入学したが、学徒出陣により、同年12月1日、陸軍西部十六部隊(熊本市の陸軍歩兵連隊機関銃中隊大隊砲小隊)に入営。1944年(昭和19年)6月、第三期特操として熊谷飛行学校に入校したものの、訓練未了のまま終戦を迎えた。 1947年(昭和22年)2月、肥後本渡諏訪神社(天草島総鎮守)宮司。1948年(昭和23年)、九州帝国大学(現・九州大学)文学部卒。1986年(昭和61年)、熊本県神社庁長。
安藤 精一(あんどう せいいち、1922年2月17日 - 2… 安藤 精一(あんどう せいいち、1922年2月17日 - 2018年2月28日)は、日本の日本史学者。学位は、経済学博士(大阪大学・論文博士・1961年)(学位論文「近世在方商業の研究」)。和歌山大学名誉教授。 アメリカ合衆国シアトル生まれ。1947年九州帝国大学法文学部卒、1949年同大学院特別研究生修士課程修了。1961年「近世在方商業の研究」で大阪大学より経済学博士の学位を取得。和歌山大学経済学部講師、助教授、教授。1986年定年退官、名誉教授、大阪産業大学教授。1993年退職。1996年勲二等瑞宝章受章。和歌山県教育委員長。近世経済史が専門で、宮本又次に師事した。また、『八代将軍吉宗』の時代考証を大石慎三郎らとともに担当している。
黒木 三郎(くろき さぶろう、1922年2月8日 - 201… 黒木 三郎(くろき さぶろう、1922年2月8日 - 2010年2月20日)は、日本の法学者、弁護士、早稲田大学名誉教授。愛知大学教授や日本法社会学会理事長を務めた。日本学術会議会員。専門は民法、法社会学。 九州大学在学中、福岡市内で開かれた学徒出陣式で学生代表として答辞を述べる際の原稿に「戦火がおさまったときには銃をペンにかえて学園に戻る」と書いたことが検閲に引っかかった。のちに「言論を封じ込め、学生から学問を奪い取り、死まで強要する体制に疑問を感じた。」と述べ、この体験から護憲を掲げて、青島幸男が当選を果たした1995年の東京都知事選挙に無所属で出馬した。選挙では社会党の政策立案にも携わった東京大学名誉教授の大内力が応援に駆け付けたものの、結果は284,387票(得票率6.12%)しか得られず落選した。
小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 20… 小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 2019年3月2日)は、日本の実業家、文筆家。 旧制甲南高等学校卒業。1944年九州帝国大学工学部航空学科卒業。川西航空機へ入社するが戦後解散。小型三輪車の明和自動車に移り、同社で労組委員長をつとめた。 1955年松下電器産業入社。電子レンジ事業部長等を経て、1977年独立分社、松下住設機器専務、1982年社長。 1984年退職。甲南学園理事長、近畿大学工学部教授。松下電器産業客員、PHP研究所参与、甲南病院理事長。
大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 20… 大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 2017年11月11日)は、日本のフリーライター。日本エディタースクール講師。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部を経て九州大学法文学部卒業。 大戦末期に学徒出陣し、西部第47部隊に入営。甲種幹部候補生に合格し、久留米第一予備士官学校に11期生として入学。歩兵砲中隊速射砲区隊を経て福知山の中部軍教育隊での教育機関を終えたのち、12月に大村に戻り初年兵教育を担当する。45年頭に新田原飛行場の警備兼塹壕構築に従事。3月中旬に第156師団に転じ、速射砲中隊を経て5月より歩兵第454連隊(護西第22804部隊)第3大隊副官に転じる。7月に幹部候補生教育隊も兼任した。
中村 信子(なかむら のぶこ、1922年 - 2022年5月… 中村 信子(なかむら のぶこ、1922年 - 2022年5月10日)は、ベトナムのラジオ放送局の元アナウンサー。1975年4月30日、ベトナム戦争を共産主義勢力の勝利で終結させたサイゴン陥落を世界に伝えた。 長崎県佐世保市生まれ。太平洋戦争終結直後の1945年10月、九州大学農学部に留学中だったベトナム人農学博士、ルオン・ディン・クア(ベトナム語版)と出会い結婚した。第1次インドシナ戦争中の1952年に北ベトナムへ移住した。1963年からハノイのラジオ局「ベトナムの声」で日本語放送のアナウンサーを務め、1975年4月30日には北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線の進軍に伴い「サイゴン市は完全に解放されました」とサイゴン陥落を伝えた。
三戸 公(みと ただし、1921年12月17日 - 2022… 三戸 公(みと ただし、1921年12月17日 - 2022年10月18日)は、日本の経営学者。立教大学名誉教授、中京大学名誉教授。企業の経済学的研究の枠を超えた「人としての経営学」の確立と体系化を行うとともに、日本労務学会会長、経営哲学学会会長、経営学史学会会長等も歴任し、日本の経営学研究の発展に大きく貢献した。 山口県生まれ。1949年九州大学法文学部卒。在学中は馬場克三に師事。1955年熊本商科大学助教授、1956年同志社大学商学部助教授。 1961年立教大学経済学部助教授、1963年から1965年まで経営学科長を務める。1966年「個別資本論序説」で九州大学より経済学博士の学位を取得。1970年立教大学経済学部教授。
諫山 博(いさやま ひろし、1921年12月5日 - 200… 諫山 博(いさやま ひろし、1921年12月5日 - 2004年11月27日)は、日本の政治家、弁護士。参議院議員、衆議院議員をそれぞれ1期ずつ務めた。 福岡県浮羽郡浮羽町(現・うきは市)生まれ。九州大学法文学部哲学科を経て、1951年に弁護士開業。以後自由法曹団幹事や共産党福岡県委員会法規対策部長、福岡第一法律事務所長などを歴任する。 九州では戦後初の自由法曹団員として、三井三池争議の現地弁護団に加わった。 1972年の衆院選に福岡1区から立候補し初当選を果たすが、再選を期して1976年、1979年、そして1980年の各衆院選に立候補するも落選。 1986年の同年の参院選で比例区から立候補し初当選となる。
寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2… 寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2007年3月4日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。 和歌山県出身。1945年に九州帝国大学法学部経済学科を卒業し、同年に運輸省に入省し、1947年に高文行政科に合格。1973年9月に航空局長、1974年6月に海上保安庁長官を歴任し、1975年7月に運輸省顧問に就任。その後は、1979年9月に日本アジア航空副社長、1983年10月に日本貨物航空副社長、1990年7月に航空振興財団理事長を歴任。 1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2007年3月4日に腹部大動脈瘤破裂のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。