金 三純(キム・サムスン、朝鮮語: 김삼순、1909年2月3… 金 三純(キム・サムスン、朝鮮語: 김삼순、1909年2月3日 - 2001年12月11日)は、大韓民国の生物学者。韓国最初の女性農学博士で、特に菌類学の分野ではヒラタケの韓国国内での人工栽培の実現など多くの業績があり、著書に『韓国産キノコ図鑑』がある。 号は声至。3人の兄弟(金洪鏞、金汶鏞、金星鏞(朝鮮語版))と夫の姜世馨はいずれも国会議員を務めた。政治家の李会昌は妹と李弘圭(朝鮮語版)の息子である。 金海金氏の7人きょうだいの上から4番目の三女として大韓帝国全羅南道潭陽郡昌平面に生まれた。1929年、京畿高等女学校卒業。1933年3月、東京女子高等師範学校理科選科修了。のち東京女子高等師範学校研究科を経て、1941年4月、北海道帝国大学理学部植物学科入学。
岡田 武彦(おかだ たけひこ、1908年(明治41年)11月… 岡田 武彦(おかだ たけひこ、1908年(明治41年)11月22日 - 2004年(平成16年)10月17日)は、日本の哲学者・著述家。 兵庫県飾磨郡白浜村字中村(白浜町を経て、現在の姫路市白浜町)で生まれる。姫路高等学校を経て、1934年(昭和9年)九州帝国大学法文学部支那哲学史専攻(当時)を卒業した。富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)教諭を務め、1938年(昭和13年)に宮崎県立延岡中学校(現在の宮崎県立延岡高等学校)教諭、1939年(昭和14年)に福岡県立中学修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)教諭を務めた。1943年(昭和18年)に長崎師範専門学校(現在の長崎大学教育学部)教諭、1945年(昭和20年)に熊本陸軍幼年学校教官、1946年(昭和21年)に福岡県立修猷館高等学校教諭を務めた。
三宅 貞祥(みやけ さだよし : 1908年(明治41年)3… 三宅 貞祥(みやけ さだよし : 1908年(明治41年)3月23日 - 1998年(平成10年)9月30日)は、昭和・平成期の日本の動物学者。農学博士。十脚目、特に異尾類の分類で功績を残した。九州大学名誉教授、日本甲殻類学会会長。 日本甲殻類学会設立時のメンバーの一人であり会長も務めるなど、甲殻類研究の発展に寄与した。 1908年(明治41年)3月23日、香川県小豆島に生まれ、1920年(大正9年)に岡山県へ移った。1931年(昭和6年)に岡山市の旧制第六高等学校を卒業し、九州帝国大学(現 : 九州大学)農学部に入学した。指導教官の大島広は棘皮動物研究者であったが、三宅の最初の論文はカクレガニの幼生についてのものであった。
安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月… 安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月1日 - 1983年(昭和58年)1月25日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。日本における天敵による害虫防除の草分け。
鄭 寅笑(チョン・インソ、朝鮮語: 정인소、1907年11月… 鄭 寅笑(チョン・インソ、朝鮮語: 정인소、1907年11月11日または1908年 - 1977年8月21日または8月27日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の大学教員、政治家。第5代韓国国会議員。本貫は東萊鄭氏(朝鮮語版)。キリスト教徒。 ソウルまたは忠北陰城出身。大阪府立中学校、北京外国語専門学校世界語科、九州帝国大学(現・九州大学)法文学部政経科、ピープル大学大学院博士課程修了(文学博士)。若い頃は民族解放運動をしたため、当局の特別高等要視察人とされ、128回も検束投獄に遭った。特に世界語普及および禁酒・禁煙・阿片・公娼・蓄接などの廃止運動で活躍し、私財で愛の世界社、国際禁酒同盟、韓国世界語総連盟を設立し総裁を務めた。
水野 高明(みずの たかあき、1907年 <明治40年> 8… 水野 高明(みずの たかあき、1907年 <明治40年> 8月21日 - 1996年 <平成8年> 2月12日)は、日本の土木工学者。九州大学総長や、日本コンクリート工学協会会長を務めた。位階は正三位。 福岡県出身。1930年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。1935年内務省技師。1938年九州帝国大学助教授。1943年九州帝国大学教授。1948年九州大学工学博士。1967年九州大学総長。1969年九州大学名誉教授。1978年から1993年まで攻玉社工科短期大学学長。1984年日本コンクリート工学協会会長。間組顧問なども務めた。昭和52年度土木学会功績賞受賞。1981年、勲二等旭日重光章を受章。
千眼 智見(せんがん ちけん、1907年(明治40年)7月9… 千眼 智見(せんがん ちけん、1907年(明治40年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月2日)は、日本の哲学者。元徳島県農業大学校校長。元高野山大学教授。元徳島女子大学教授。九州帝国大学法学部卒業。徳島県美馬市出身。 美馬郡脇町(現在の美馬市)生まれ。九州帝国大学法学部卒業。高野山大学教授・徳島女子大学教授・高野山高等学校校長・徳島県立池田中学校校長・徳島県立穴吹高等学校校長・徳島県立脇町高等学校校長・徳島県立城北高等学校校長を歴任。 1969年(昭和44年)より徳島県農業大学校校長に就任。徳島文理小学校名誉校長に就任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
樋口 謙太郎(ひぐち けんたろう、1907年5月14日 - … 樋口 謙太郎(ひぐち けんたろう、1907年5月14日 - 1994年3月8日)は、日本の医学者、皮膚科医。久留米大学、九州大学、福岡大学で皮膚科の教授を務め、多くの弟子を育てた。 エッセイストとしても知られている。教科書を多数著した。専門は真菌学、梅毒などである。
田中 晃(たなか あきら、1906年12月10日 - 199… 田中 晃(たなか あきら、1906年12月10日 - 1998年5月17日)は、日本の教育者、哲学者。山口大学第2代目学長。同大名誉教授。文学博士(1944年、九州大学にて取得)。雅号は周陽。 1906年山口県防府市の生まれ。旧制山口高等学校を経て、1930年九州帝国大学哲学科を卒業。1938年に広島高等学校教授兼九州帝国大学助教授、1944年より九州帝国大学専任となる。1952年より山口大学文理学部西洋哲学科教授。1944年8月、九州大学にて、「プラトンとアリストテレス」で文学博士。1958年山口大学第2代目学長に就任(1962年まで)。同大名誉教授、1970年より山口女子大学(現・山口県立大学)学長・名誉教授。
初島 住彦(はつしま すみひこ、1906年9月11日 - 2… 初島 住彦(はつしま すみひこ、1906年9月11日 - 2008年1月22日)は、日本の植物学者。鹿児島大学名誉教授。農学博士。 1906年、長崎県島原市に生まれた。鹿児島高等農林学校卒業後、九州帝国大学(現:九州大学)に進学。戦前に金平亮三とニューギニアやジャワ島の植物調査を実施した。1931年、農学部林学科卒業。 1942年に九州帝国大学で農学博士の学位を取得。学位論文は「亜細亜産黄楊属の検討」。 戦後は鹿児島大学で教鞭をとり、佐藤正己などを指導した。1972年の定年まで同大に勤務後、琉球大学理工学部(現理学部)へ教授として3年間赴任。その後も南日本の植物研究と教育に尽力した。 2008年1月22日、胆管癌のため鹿児島市の病院で死去。
安 東赫(アン・ドンヒョク、朝鮮語: 안동혁、1906年3月… 安 東赫(アン・ドンヒョク、朝鮮語: 안동혁、1906年3月11日 - 2004年10月14日)は、大韓民国の化学者。本貫は順興安氏。日本名は安東 赫。 1906年(光武10年)3月14日、京畿道高陽市に生まれた。徽文高等普通学校を経て、1926年、京城高等工業学校卒業。1929年、九州帝国大学工学部(現在の九州大学工学部)を卒業した後、京城工業専門学校の教師として赴任した。 1933年には教鞭を取り、中央試験所化学工業部に旗手業務も兼任した。京城工業と中央試験所を行き来しながら化学工学の講義と研究にまい進し、専門の油脂工業分野で6つの特許を取り、約10本の論文を発表した。大韓化学会、大韓窯業総協会、韓国食品科学会会長を歴任し、学術活動にも大きく貢献し、学術院の初代会員や副会長を経て、韓国科学会理事会の1、2代理事長など、様々な学会の会長を歴任し、大韓民国の化学共同学術活動の基礎を固めた。
堀内 仁(ほりうち まさし、1906年2月5日 - 1988… 堀内 仁(ほりうち まさし、1906年2月5日 - 1988年5月30日)は、日本の弁護士、法学者。 福岡県出身。1928年九州帝国大学法学部卒。弁護士、日本勧業銀行、第一勧業銀行調査部顧問を経て、大東文化大学法学部教授。1976年定年、その後非常勤講師。金融法務が専門。
具島 兼三郎(ぐしま かねさぶろう、1905年11月5日 -… 具島 兼三郎(ぐしま かねさぶろう、1905年11月5日 - 2004年11月12日)は、日本の国際政治学者。 1905年福岡生まれ。1928年に九州帝国大学法文学部を卒業後、1935年に『ファシズム論』を唯物論全書の一冊として共著で刊行した。 その後、南満州鉄道に入り、調査部で各種調査に従事。独ソ戦序盤、ナチスドイツが圧倒する戦局の中、石油供給量の緻密な分析を通して、ドイツ不利の予測を立てた。そこでの研究内容は軍部に批判的とされ、満鉄調査部事件で逮捕された。 戦後は九州大学教授や長崎大学学長、長崎総合科学大学長崎平和文化研究所所長などをつとめた。
藤田 武夫(ふじだ たけお、1905年2月27日 - 198… 藤田 武夫(ふじだ たけお、1905年2月27日 - 1988年10月6日)は、昭和期の経済学者、立教大学名誉教授。専門は財政学。財政学研究の第一人者として、地方財政論を開拓した権威。 1905年(明治38年)、京都府宮津市に生まれる。1930(昭和5年)九州帝国大学(現・九州大学)経済学部卒業。1934年(昭和9年)京都大学大学院修了。 立命館大学講師、財団法人東京市政調査会(現・後藤・安田記念東京都市研究所)調査課長、明治大学講師、中央大学講師を務めたのち、1946年(昭和21年)、立教大学教授に就任。 1952年(昭和27年)、立教大学経済学部経済学科長に就任。1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)まで経済学部長を務め、大学施設の増築にともない大学院読書室の開設を実現し、経営学科(現・経営学部)関連のスタッフの充実に尽力した。
白根 孝之(しらね たかゆき、1905年2月24日 - 19… 白根 孝之(しらね たかゆき、1905年2月24日 - 1981年11月10日)は、元軍人、マスコミ学者。 旧制山口高等学校を経て、九州帝国大学文学部哲学科卒。師範学校で教育学を教え、1937年応召、陸軍中尉として1941年『戦陣訓』を草す。戦後は日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の創設期に調査部長、のち東京造形大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大隅 芳雄(おおすみ よしお、1905年(明治38年)1月2… 大隅 芳雄(おおすみ よしお、1905年(明治38年)1月24日 - 1987年(昭和62年)6月7日)は、日本の鉱山学者。九州大学名誉教授。岳父は日本史学者で九州大学名誉教授の長沼賢海。長男は日本史学者で東京女子大学名誉教授の大隅和雄、二男は生物学者でノーベル賞受賞者の大隅良典。孫は歴史学者の大隅清陽。 1905年、広島県広島市生まれ。旧制広島高師附属中学、旧制山口高等学校を経て、1929年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業。 大学卒業後は九州帝国大学講師に採用。助教授を経て、1943年に教授昇進。1961年より工学部長を務めた。 趣味は刀剣。宗教は真宗。 九州帝国大学に勤務し、福岡県福岡市大字香椎に居住していた。
清水 盛光(しみず もりみつ、1904年12月25日 - 1… 清水 盛光(しみず もりみつ、1904年12月25日 - 1999年1月16日)は、日本の社会学者。 愛知県渥美郡田原町出身。本籍・広島県。1931年九州帝国大学法文学部哲学科卒。九大助手を経て満鉄調査部に勤務し、「支那社会の研究」を発表。京都帝国大学人文科学研究所助教授、1949年京都大学人文科学研究所教授、58年「支那家族の構造」で京都大学文学博士。68年定年退官、名誉教授、関西大学教授、1974年松山商科大学教授、1977年駒澤大学教授。中国の社会関係の研究を行った。
大浜晧 / 大濱晧(おおはま あきら、1904年7月22日ー… 大浜晧 / 大濱晧(おおはま あきら、1904年7月22日ー1987年12月20日)は、日本の中国哲学者。 1904年(明治37)沖縄県石垣市登野城生まれ。実姉に『八重山生活誌』の著者である宮城文がいる。 1934年(昭和9)九州帝国大学法文学部支那哲学科卒業、1939年(昭和14)東京帝国大学大学院満期退学。1941年(昭和16)台北帝国大学予科教授となり、敗戦により内地に帰還。1947年(昭和22)東京帝国大学文学部副手着任、1948年(昭和23)11月名古屋大学文学部助教授、1949年(昭和24)同大学教授昇格。1957年(昭和32)文学博士学位授与、1968年(昭和43)定年退官、名古屋大学名誉教授となる。
原田 源三郎(はらだ げんざぶろう、1904年2月16日 -… 原田 源三郎(はらだ げんざぶろう、1904年2月16日 - 1995年11月2日)は、日本の工学者、実業家。日本磁力選鉱の創業者。 現在の福岡県北九州市出身。明治専門学校(現九州工業大学)工学部電気工学科卒業後、九州帝国大学(現九州大学)で冶金を専攻。 大学卒業後は特殊合金、大倉鉱業、満洲本渓湖特殊鋼等で鉄鉱石に関する研究活動に従事、原料鉱石等の処理技術を習得。さらに、昭和19年(1944年)原料処理に欠かせない「原田式交流磁選機」を開発。これらの業績により、戦後、八幡製鐵所の高炉ガス灰処理研究を製鐵所から依頼され、ガス灰処理技術での事業化の確信を得て、昭和24年(1949年)日本磁力選鉱を設立。
八田 秋(はった おさむ、1904年 - 1986年)は、日… 八田 秋(はった おさむ、1904年 - 1986年)は、日本の外科学者。九州大学名誉教授。専門は温泉治療学。
三木 栄(みき さかえ、1903年7月25日 - 1992年… 三木 栄(みき さかえ、1903年7月25日 - 1992年12月20日)は、日本の医史学者。専門は朝鮮医学史。もと京城帝国大学助教授。 大阪府堺市生まれ。九州帝国大学卒業。1932年、博士。堺市教育委員賞、日本医師会最高優功賞、日本医史学会功労賞、韓国科学史学会感謝牌賞などを受賞。
葛西 泰二郎(かさい たいじろう、1903年4月17日 - … 葛西 泰二郎(かさい たいじろう、1903年4月17日 - 1974年2月9日)は、日本の機械工学者。工学博士。九州大学名誉教授。ラグビー日本代表監督。 福岡市大名町(現・福岡市中央区大名)に生まれる。1921年福岡県立中学修猷館、1924年第五高等学校理科甲類を経て、1927年九州帝国大学工学部を卒業する。 1930年九州帝国大学助教授、1936年工学博士、1941年同教授と進み、流体機械、ポンプ、水車などを研究、送風機、圧縮機に主力を注いだが、太平洋戦争とともにその才能を買われ軍に奉仕させられることになる。1942年広海軍工廠における研究業務を委嘱され、1944年3月第2陸軍航空技術研究所に配属。
黒岩 保(くろいわ たもつ、1903年3月24日 - 197… 黒岩 保(くろいわ たもつ、1903年3月24日 - 1978年5月10日)は、日本の工学者。北海道大学名誉教授。北海道工業大学元学長。福岡県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
新開 長英(しんかい ながふさ、1903年3月24日 - 1… 新開 長英(しんかい ながふさ、1903年3月24日 - 1985年8月5日)は、日本の哲学者。 福岡県田川市出身。1928年九州帝国大学法文学部哲学科卒、旧制広島高等学校教授、福岡高等学校教授、1932年九大助教授、1942年神宮皇學館教授に転じる。戦後は北九州大学教授、九州産業大学教授を務めた。
田中 茂美(たなか しげみ、1903年〈明治36年〉3月7日… 田中 茂美(たなか しげみ、1903年〈明治36年〉3月7日 - 1997年〈平成9年〉7月3日)は、昭和から平成時代前期の土木工学者。鉄道官僚。実業家。 白石兵次郎の三男として福岡県遠賀郡に生まれ、のち田中正夫の養子となる。1926年(大正15年)九大土木科卒。鉄道省に奉職し、長野保線事務所長、札鉄局工事課長、新橋保線部長、1943年(昭和18年)門鉄施設部長、1945年(昭和20年)鉄道総局施設局計画課長、1948年(昭和23年)施設局長、1949年(昭和24年)国鉄理事施設局長をへて理事・初代技師長となり、1952年(昭和27年)退職。同年極東鋼弦コンクリート振興、1955年(昭和30年)興和化成、1958年(昭和33年)興和コンクリート各社の社長を務めた。
稲田 正次(いなだ まさつぐ、1902年(明治35年)8月2… 稲田 正次(いなだ まさつぐ、1902年(明治35年)8月26日 - 1984年(昭和59年)8月14日)は、日本の憲法学者。法学博士。東京教育大学名誉教授。 島根県能義郡赤屋村(現安来市伯太町)出身。1922年東京高等師範学校文科に入学し、1926年に卒業。熊本県第一師範学校教諭を務めたのち、1928年に九州帝国大学法文学部に入学。1931年に学士試験に合格し法学士となる。静岡県立富士高等女学校教諭を務めたのち、1934年5月に東京文理科大学助手兼東京高等師範学校助教授となる。1936年東京高等師範学校教授、1942年東京文理科大学助教授。 1945年、終戦直後の12月憲法改正私案を政府に提出し、公表した。
土井 静雄(どい しずお、1902年1月30日 - 1974… 土井 静雄(どい しずお、1902年1月30日 - 1974年4月21日) は、日本の機械工学者。名古屋大学名誉教授。元沼津工業高等専門学校校長。 鳥取県出身。1927年九州帝国大学工学部機械工学科卒業、旅順工科大学講師。1928年旅順工科大学助教授。1937年九州帝国大学工学博士。1938年旅順工科大学教授。1944年名古屋帝国大学教授。1964年沼津工業高等専門学校校長。1965年名古屋大学名誉教授。1973年勲二等瑞宝章受章。旋盤の研究などを行った。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
三宅 博(みやけ ひろし、1901年9月5日 - 1993年… 三宅 博(みやけ ひろし、1901年9月5日 - 1993年12月18日)は、日本の医学者。九州大学名誉教授。専門は消化器外科学。胆石症の権威。 九州帝国大学医学部第一外科初代教授を務めた三宅速の長男として徳島県に生まれる。福岡県立中学修猷館、旧制佐賀高等学校を経て、1927年九州帝国大学医学部を卒業。 大学卒業後、九大医学部の赤岩八郎教授の第一外科に入局。助手を経て、1933年1月講師となり、1934年3月助教授に就任。その後、1934年10月から1936年8月にかけて在外研究員としてドイツに留学し、キール大学のアンシュッツ(Wilhelm Anschütz)教授に師事する。 1938年7月長崎医科大学第一外科教授、1941年12月岡山医科大学第一外科教授を務めた後、1947年7月、父が初代教授を務めた九州大学医学部第一外科の第4代教授に就任。
小寺 駿吉(こでら しゅんきち、1901年〈明治34年〉6月… 小寺 駿吉(こでら しゅんきち、1901年〈明治34年〉6月23日 - 1975年〈昭和50年〉2月4日)は、日本の造園家・農学者。造園学分野で東京大学、千葉大学等で教鞭をとり、学究の途を一貫して歩む。位階は正四位。勲三等瑞宝章。 北海道小樽市に岐阜県士族の父、小寺芳次郎、母ただの五男として生まれる。二男は小寺健吉(画家)、三男は小寺廉吉(桃山学院大学教授等)、四男は小寺融吉(日本舞踊研究家)、七男は俳優の中村伸郎。 九州帝国大学に進学、永見健一に師事。1927年、農学部林学科卒業後、東京帝国大学大学院に進学、本多静六に師事し更に田村剛の指導をうける。この間1929年から東京大学農学部講師もつとめ造園学を担当。
山縣 清(やまがた きよし、1901年1月5日 - 1973… 山縣 清(やまがた きよし、1901年1月5日 - 1973年2月24日) は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。元宇部工業高等専門学校校長。元日本伝熱研究会会長。 1901年、山口県厚狭生まれ。1926年九州帝国大学工学部機械工学科を卒業し、卒業後は同大学の助手となる。1927年、九州帝国大学講師に昇進。1929年、九州帝国大学助教授に昇進。1939年、九州帝国大学に「真直ナ円管内ニ於ケル流体ノ非等温層流ノ理論ニ対スル寄与」を提出して工学博士号を取得。1940年、九州帝国大学工学部教授に昇進。1947年より九州大学工学部長。1964年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。 その後は郷里に戻り、1965年より宇部工業高等専門学校校長(第3代目校長)。
趙 伯顕(チョ・ベッキョン、朝鮮語: 조백현/趙伯顯、190… 趙 伯顕(チョ・ベッキョン、朝鮮語: 조백현/趙伯顯、1900年12月15日 - 1994年7月13日)は、大韓民国の土壌学者、農芸化学者。 本貫は平壌趙氏。号は華農(ファノン)。 1900年12月15日、日本統治時代の朝鮮でソウルにて大韓帝国陸軍の参事であった趙性根の息子として生まれた。また、義兄には史学者の李丙燾がいる。 近代の農学および生化学研究の先駆けとなる科学者で、伝統食品の研究を実際の国民の食生活と連携させ、農学および食品産業分野を発展させた。 豆、キムチ、伝統醤類などに関する研究を通して韓国の伝統食品に科学的かつ体系的にアプローチし種菌の開発や繁殖などの研究に貢献した。 すなわち、キムチの栄養価値、味噌玉麹カビの分類、コチュジャン成分分析などの伝統食品を農学へと発展させた。
津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日 - 没年… 津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、実業家。 津上嶮路の四男として、福岡県糸島郡北崎村(現・福岡市)に生まれる。津上製作所(現・ツガミ)創業者津上退助は実兄。1920年福岡県中学修猷館、1922年3月第五高等学校理科乙類を経て、1925年3月九州帝国大学工学部機械工学科を卒業。 卒業後、三菱鋼業に入社。1928年津上製作所に転じ、1929年技師長となる。1940年名古屋帝国大学工学部教授、および愛知県工学試験所部長を兼ね、1945年津上製作所取締役に選ばれ、1947年常務に進む。1964年5月津上文化機器販売社長に就任。 機械学会(現・日本機械学会)評議員、長岡市商工会議所理事、日本小型工作機械工業会(現・日本精密機械工業会)会長なども務めている。
遠城寺 宗徳(えんじょうじ むねのり、1900年1月14日 … 遠城寺 宗徳(えんじょうじ むねのり、1900年1月14日 - 1978年8月9日)は日本の医学者。小児科学専攻。九州大学医学部長、第11代九州大学総長、久留米大学学長等を務め、勲一等瑞宝章を受章した。長男は病理学者の遠城寺宗知。ゆとり教育導入に尽力した文部官僚の寺脇研は孫。 大分県生まれ。九州帝国大学医学部卒業。医師、医学博士。 1923年に伊東祐彦の九州帝国大学医学部小児科教室に入局。平壌医学専門学校教授を経て、1941年にウィーン大学留学。1942年から九州帝国大学医学部小児科教室教授。九州大学病院院長、九州大学医学部長兼初代心臓血管研究施設長を経て、1961年から第11代九州大学学長、1968年から久留米大学学長。
棚橋 影草(たなはし えいそう、1899年12月1日 - 1… 棚橋 影草(たなはし えいそう、1899年12月1日 - 1970年9月9日)は、日本の俳人、医学者。福岡県福岡市出身。本名は棚橋陽吉。 1918年福岡県立中学修猷館を経て、九州帝国大学医学部を卒業し、同大医学部教授に就任。貝の血液研究でも知られる。 昭和の初めから、吉岡禅寺洞に師事し、俳誌「天の川」幹部同人となり、新興俳句の隆盛期に評論などで活躍した。一時横山白虹の後を継ぎ「天の川」を編集している。1938年以後目を病み、句作から離れた。
榊原 亨(さかきばら とおる、1899年〈明治32年〉11月… 榊原 亨(さかきばら とおる、1899年〈明治32年〉11月3日 - 1992年〈平成4年〉1月27日)は、大正末から昭和期の医学者、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、医学博士。心臓外科の創始者。 福井県福井市宝永上町生まれ。幕臣榊原職直の後裔である。開業医の長男として生まれる。第四高等学校を経て、1925年(大正14年)九州帝国大学医学部を卒業した。 金沢医科大学(現金沢大学)に赴任し副手、助手を歴任。泉伍朗教授の元で脾臓手術を行い認められる。1928年(昭和3年)泉教授と共に岡山医科大学(現岡山大学医学部)に赴任し講師に就任し、1929年(昭和4年)助教授となる。収縮性心包炎の手術に成功して名を知られた。
今井 直重(いまい なおしげ/なおえ、1899年6月10日 … 今井 直重(いまい なおしげ/なおえ、1899年6月10日 - 1994年1月14日)は、日本の法学者、政治学者、哲学者。奈良教育大学名誉教授。学位は法学博士(京都大学)、文学博士(京都大学)。 奈良県出身。九州帝国大学文学部哲学科卒。京都帝国大学大学院文学研究科博士課程修了。 1964年「主権の憲法学的研究」で、法学博士(京都大学)の学位を取得。1968年「プラトンの国家論の研究」で、京都大学文学博士(京都大学)の学位を取得。 奈良学芸大学教授、奈良教育大学教授。1962年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。1984年退職。
山内 俊吉(やまうち としよし、1899年5月1日 - 20… 山内 俊吉(やまうち としよし、1899年5月1日 - 2001年10月17日) は、日本の材料科学者。東京工業大学名誉教授。東京工業大学出身者として初となる同大学長や、科学技術庁無機材質研究所所長、窯業協会会長、日本セラミックス協会名誉会長などを務めた。藍綬褒章受章。 鹿児島県国分市生まれ。1924年東京高等工業学校(現東京工業大学)附属工業教員養成所卒業。福岡県立中学校教諭を経て、1930年九州帝国大学工学部採鉱学科卒業。同年東京工業大学講師。1939年東京工業大学工学博士。1941年東京工業大学教授。 1945年から1948年まで窯業協会会長。1947年東京工業大学窯業研究所長。1948年大学設置委員会臨時委員。
的場 幸雄(まとば さちお、1899年3月23日 - 198… 的場 幸雄(まとば さちお、1899年3月23日 - 1987年9月28日)は、日本の金属工学者。東北大学名誉教授。元富士製鐵代表取締役副社長。元日本金属学会会長。元日本鉄鋼協会副会長。 1924年九州帝国大学工学部冶金学科卒業、東北帝国大学工学部金属工学科講師。1927年東北帝国大学工学部金属工学科助教授。1935年九州帝国大学工学博士。1936年東北帝国大学工学部金属工学科教授。1955年日本金属学会会長。1959年東北大学工学部長。1962年東北大学名誉教授、富士製鐵代表取締役副社長、富士製鐵中央研究所所長。1971年日本工学会会長。日本鉄鋼協会副会長、日本学術会議会員なども務めた。墓所は染井霊園。
和栗 明(わくり あきら、1899年1月31日 - 1986… 和栗 明(わくり あきら、1899年1月31日 - 1986年11月28日)は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。第2代久留米工業短期大学学長。初代久留米工業高等専門学校校長。日本学士院賞受賞。和栗雄太郎九州大学名誉教授は長男。 岡山県出身。1923年九州帝国大学工学部機械学科卒業。1936年九州帝国大学工学博士。九州帝国大学工学部講師、九州帝国帝国大学工学部助教授を経て、1938年九州帝国大学校工学部教授。1953年「歯車に関する研究」により成瀬政男東北大学教授、中田孝東京工業大学教授とともに日本学士院賞を受賞。1964年久留米工業高等専門学校校長、日本機械学会名誉員。1969年勲二等瑞宝章受章。
大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年… 大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年)3月1日 - 1967年(昭和42年)11月23日)は、日本の工学者、官僚。工学博士。室蘭工業大学元学長。北海道大学・室蘭工業大学名誉教授。専門は、水理工学・河川工学。富山県黒部市出身。河川水理学の権威で北海道開発における技術的指導者であった。 1922年(大正11年)九州帝國大學工学部土木工学科を卒業し、東洋アルミナムや、日本電力に勤務。1925年(大正14年)5月に北海道帝國大學工学部講師。1925年7月に同助教授。1942年(昭和17年)に論題「段落個所に於ける流体運動」で北海道帝国大学より工学博士号受く。1942年北海道帝國大學工学部教授(水理工学・河川工学講座を担当)。
向井 參之充(むかい さんのじゅう、1898年(明治31年)… 向井 參之充(むかい さんのじゅう、1898年(明治31年) - 1963年(昭和38年))は、日本の化学者。熊本大学名誉教授。学位は工学博士。専門は応用化学。 本籍地は佐賀県。第八高等学校 (旧制)、九州帝国大学工学部を卒業ののち、九州帝国大学工学部助教授。京城帝国大学教授を経て、戦後は熊本大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山田 穣(やまだ みのる、1897年(明治30年)12月27… 山田 穣(やまだ みのる、1897年(明治30年)12月27日 - 1985年(昭和60年)12月4日)は、昭和時代の日本の鉱山学者。採鉱学の権威。主な研究分野は炭坑内のガス爆発や炭塵爆発。九州大学名誉教授。 現在の愛媛県伊予市にて生まれる。1922年(大正11年)九州帝国大学工学部採鉱学科を卒業。1939年(昭和14年)工学博士。同年、母校の九州帝国大学の教授となり、生産科学研究所長、工学部長を歴任。1953年(昭和28年)11月から1961年(昭和36年)11月まで同大学総長を、退官後の1967年(昭和42年)4月から1978年(昭和53年)3月まで九州共立大学の学長を務めた。ほか、1963年(昭和38年)11月に起きた三井三池三川炭鉱炭塵爆発の政府技術調査団団長を務めた。
操 坦道(みさお たんどう、1893年1月2日 - 1994… 操 坦道(みさお たんどう、1893年1月2日 - 1994年9月11日)は、日本の医学者、内科学者、感染症学者、ウイルス学者。臨床医学の日本における紹介者で、ウイルス性疾患研究の第一人者だった。九州大学名誉教授、日本感染症学会名誉会員。 鹿児島県の沖永良部島の現・和泊町出身。代々村長かつ学者の家系だった操家に生まれる。名前の由来は王陽明の「信歩行来皆坦道」。西郷隆盛が沖永良部島に流刑になった際は祖父・操坦栽が世話をし、隆盛が父の操坦勁のために書いた家族生活の心得や曾祖父の操坦晋が遺した家訓「清慎」のもと、坦道は育てられた。1906年4月に鹿児島市の鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ入学。同校の寄宿舎「成徳寮」で暮らす。
半田 敏治(はんだ としはる、1892年2月12日 - 19… 半田 敏治(はんだ としはる、1892年2月12日 - 1967年9月13日)は、日本の官僚、哲学者、陸軍軍人。 陸軍大阪衛戍病院院長を務めた軍医半田久雄・房子の長男として福岡県に生まれる。母・房子は、代々福岡藩の藩医を務めた原家の当主12代原三信(当主は代々「三信」を襲名している)の長女であり、13代原三信(原三信病院設立者)は伯父、14代原三信は従兄にあたる。敏治10才の時に房子は急逝している。 1909年福岡県立中学修猷館を卒業し、第七高等学校第一部甲類(英法)に入学するが、同年12月父に無断で高校を退学し、陸軍士官学校へ入学、1912年5月卒業する(24期生)。陸士の同期には甘粕正彦がおり、甘粕が満洲で亡くなるまで親交を続けた。
佐藤 正典(さとう まさのり、1891年(明治24年) - … 佐藤 正典(さとう まさのり、1891年(明治24年) - 1985年(昭和60年)1月1日)は、日本の教育者、化学工学者。南満州鉄道中央試験場所長、大阪府工業奨励館館長、(株)科学研究所(現・理化学研究所)社長、千葉工業大学第4代学長、日本国政府人事院人事官、日本化学会会長、理化学研究所相談役などを歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
佐藤 与助(與助)(さとう よすけ、1890年11月1日 -… 佐藤 与助(與助)(さとう よすけ、1890年11月1日 - 1971年)は、日本の資源工学者。専門は採炭学、及び日本の炭鉱・炭田に関する史的研究。 三宅長市の三男として福岡市に生まれ、炭鉱経営者で篤志家であった佐藤慶太郎の養子となる。1910年福岡県立中学修猷館、1913年7月第五高等学校工科を経て、1916年7月九州帝国大学工学部採炭学科を卒業。 卒業後、九州帝国大学工学部講師となり、1918年9月採炭学研究のため欧米に留学、1920年6月に帰国後、明治専門学校(現・九州工業大学)の教授に就任し、鉱山学科長、および採炭学科長を務めた。その後、東北帝国大学工学部講師を経て、1947年9月同教授に就任、1948年8月同鉱山学科主任教授となる。
岩瀬 徳三郎(いわせ とくさぶろう、1887年8月11日 -… 岩瀬 徳三郎(いわせ とくさぶろう、1887年8月11日 - 1971年2月2日)は、日本の化学技術者、工学博士。東ソー及び東曹産業の創業者。 千葉県銚子市出身。1887年(明治20年)大地主、岩瀬利右衛門の三男として生まれる。1914年九州帝国大学工学部応用化学科卒業。同大学院へ進みアメリカへ留学。渡米の際の船で安野譲と知り合った縁で1918年に日本曹達工業(のちのトクヤマ)入社。同社取締役技師長、専務取締役を経て1935年東洋曹達工業(現東ソー)を設立し社長に就任。1940年「アンモニアソーダ工業用生石灰焼成に関する研究」で九州帝国大学工学博士の学位を取得。 妻・つね(1894年生)との間に徳郎、和子、義郎、秀郎、幹子、及び養子の寅四郎あり。
岩井 誠四郎(いわい せいしろう、1886年11月 - 19… 岩井 誠四郎(いわい せいしろう、1886年11月 - 1963年7月)は、日本の医学者、京城帝国大学教授、朝鮮総督府医院医官、学位は医学博士。専攻は内科学。旧姓・木内。 旧制第七高等学校造士館を経て、1916年、九州帝国大学医科大学医学科卒業、同大助手。1921年、慶應義塾大学医学部助教授を経て、京城帝国大学教授に就任。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:医学と医療、PJ:医学、PJ:歯学)。
緒方 大象(おがた だいぞう、1886年2月5日 - 195… 緒方 大象(おがた だいぞう、1886年2月5日 - 1956年7月20日)は、日本の医学者。九州大学名誉教授。リンパ心臓の研究で知られる。緒方道平の次男。弟には政治家緒方竹虎と医師緒方龍がいる。長男は同じく九州大学医学部生理学教授を務めた緒方道彦。 福岡市に生まれる。1904年福岡県立中学修猷館、1907年第五高等学校医科を経て、1907年9月東京帝国大学医学部に入学するが、同年12月に京都帝国大学福岡医科大学に転学し、1911年11月同大学の後身である九州帝国大学医学部を卒業する。五高の同期には大川周明がおり、共に五高の校友会雑誌「龍南会雑誌」の雑誌部委員を務めた。 1912年1月九州帝大医学部の石原誠教授の生理学教室に入室。
田中 義麿(たなか よしまろ、1884年10月6日 - 19… 田中 義麿(たなか よしまろ、1884年10月6日 - 1972年7月1日)は、日本の遺伝学者、育種学者。九州大学名誉教授。 長野県東筑摩郡片丘村(現塩尻市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)在学中、動物学教室でウィリアム・ベイトソンの『メンデルの遺伝の法則』をに感銘を受け遺伝学を志す。1911年に同大助教授となり、1913年、日本で初めて遺伝学を講義する。1917年、「蚕の遺伝学的研究」で農学博士号を得る。欧米留学後の1924年には九州帝国大学農学部教授となる。 安藤広太郎らと7名で1915年、日本育種学会(1920年に日本遺伝学会に改組)を創設、1939年日本遺伝学会会長、1949年には国立遺伝学研究所の第一部長に就任した。