落合 渉悟(おちあい しょうご、1990年 - )は、日本の… 落合 渉悟(おちあい しょうご、1990年 - )は、日本の起業家、技術者、著述家。 ブロックチェーン領域で事業や執筆活動を行っており、特にイーサリアムに関連した実績が多い。著書として『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』がある。訳書にはオライリージャパン社より「マスタリング・イーサリアム」。TEDx登壇やWired特集等の実績もある。 鹿児島県薩摩川内市生まれ。九州大学工学部物質科学工学科在学中にプログラミングを開始し、23歳に渋谷でフリーランス開発者、26歳にインドネシアでファッション通販アプリ会社のCTO。28歳でブロックチェーン関連企業を立ち上げ、東京大学特任研究員や大阪大学特任研究員に就任。
高江 暁(たかえ さとし、1958年11月16日 - )は、… 高江 暁(たかえ さとし、1958年11月16日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。中央発條株式会社代表取締役社長。 福岡県出身。1981年九州大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。2006年生技管理部長。2010年常務役員広瀬工場企画管理部工場長兼貞宝工場工機管理部工場長。2011年常務役員高岡工場長兼堤工場長兼広瀬工場長兼フタバ産業監査役。2013年常務役員上郷工場長兼下山工場長。2015年から中央発條代表取締役社長を務め、ワイヤーハーネス事業の体制見直しなどにあたった。中部産業連盟理事、中部経済連合会政策議員等も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田島 誠司(たしま せいじ、1958年4月5日 - )は、日… 田島 誠司(たしま せいじ、1958年4月5日 - )は、日本のエンジニア。 福岡県立三池高等学校、九州大学工学部を卒業。1982年、東洋工業(現マツダ)に入社、第5エンジン設計課(ロータリーエンジン設計)に配属される。ロータリーエンジン設計課、RE設計Grサイド排気開発に参画。RE先行開発Gr 280ps 13B-REW開発に参画。RE先行開発Gr RENESIS開発に参画。 趣味はコンピューターゲーム、映画鑑賞、ガーデニング。 2005年12月13日・第186回放送のプロジェクトX〜挑戦者たち〜にて田島のエンジン開発の人生が取り上げられる。
久芳 徹夫(くば てつお、1954年2月2日 - )は日本の… 久芳 徹夫(くば てつお、1954年2月2日 - )は日本の技術者、実業家。京セラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都パープルサンガ代表取締役会長等を務めた。 福岡県出身。福岡県立嘉穂高等学校を経て、1979年九州大学工学部卒業。1982年京都セラミツク(現京セラ)入社。自動車部品事業部長、ファインセラミック統括事業部長を経て、2003年執行役員に昇格。2005年執行役員常務。2007年執行役員専務。2008年取締役兼執行役員専務。 2009年から京セラ代表取締役社長を務め、太陽電池事業の黒字化などを実現した。2013年代表取締役会長、京都パープルサンガ代表取締役会長、京セラサーキットソリューションズ代表取締役会長、京セラドキュメントソリューションズ代表取締役会長。
山本 正已(やまもと まさみ、1954年1月11日 - )は… 山本 正已(やまもと まさみ、1954年1月11日 - )は、日本の技術者、実業家。富士通代表取締役社長や、同社取締役会長、電子情報技術産業協会会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、キッズデザイン協議会会長等を歴任した。 山口県豊浦郡豊北町(現下関市)出身。山口県立豊北高等学校を経て、1976年九州大学工学部電気工学科卒業後、オイルショックの影響で九州電力や中国電力の採用がなかったため富士通に入社。OASYSの入出力装置開発に携わったのち、パソコン事業に移り、モバイルPC事業部長等を経て、2004年パーソナルビジネス本部副本部長。2005年経営執行役。2007年経営執行役常務。 2010年から富士通代表取締役社長 を務め、半導体事業の構造改革などを進めた。
潟山 英清(がたやま ひできよ、1953年9月8日 - 20… 潟山 英清(がたやま ひできよ、1953年9月8日 - 2025年4月30日)は、日本の技術者、実業家。 元京葉瓦斯株式会社代表取締役社長。元一般社団法人日本ガス協会理事。 鹿児島県出身。九州大学ラグビー部出身。1976年九州大学工学部卒業、京葉ガス入社。 京葉ガス船橋支店長などを経て、2002年京葉ガスリビング営業部長。2005年京葉ガス取締役リビング営業部長。2008年京葉ガス常務取締役。2011年から京葉ガス代表取締役社長を務め、コジェネレーション販売などを進め、顧客数を伸ばした。 2017年京葉ガス相談役。市川商工会議所副会頭、市川市総合計画審議会委員、日本ガス協会理事、房総ガス協議会会長なども務めた。
真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2… 真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2022年1月19日)は、日本の実業家、カメラ技術者。キヤノン代表取締役社長や、ビジネス機械・情報システム産業協会副会長を務めた。 宮崎県延岡市出身。延岡市立岡富小学校、延岡市立西小学校、延岡市立恒富中学校、宮崎県立延岡高等学校を経て、1975年九州大学工学部卒業後、キヤノン入社。本流のカメラ技術者として活躍し、2007年から取締役イメージコミュニケーション事業本部長としてデジタルカメラ事業の急成長を牽引した。 2010年キヤノン常務取締役に昇格。2014年専務取締役。2016年御手洗冨士夫の後任としてキヤノン代表取締役社長兼最高執行責任者に就任。
高峰 和宏(たかみね かずひろ、1951年8月2日 - )は… 高峰 和宏(たかみね かずひろ、1951年8月2日 - )は、日本の技術者、実業家。鳥越製粉株式会社代表取締役社長を経て、同社取締役副会長。 熊本県出身。1976年九州大学農学部卒業、鳥越製粉入社。1998年鳥越製粉研究開発第二部長。2002年鳥越製粉取締役研究開発部長。2004年鳥越製粉執行役員研究開発部付部長。2006年鳥越製粉常務執行役員。2011年鳥越製粉取締役常務執行役員。2012年から鳥越製粉代表取締役社長執行役員を務め、麩等新分野の拡大や、アベノミクスへの対応を進めた。2016年鳥越製粉取締役副会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井上 友二(いのうえ ゆうじ、1948年10月19日 - )… 井上 友二(いのうえ ゆうじ、1948年10月19日 - ) は、日本の技術者。NTT取締役最高技術責任者や、トヨタIT開発センター代表取締役会長、情報通信技術委員会理事長、電子情報通信学会会長などを歴任した。 福岡県福岡市出身。1967年福岡県立修猷館高等学校卒業。1971年九州大学工学部電子工学科卒業。1973年九州大学大学院工学研究科修士課程電子工学専攻修了、日本電信電話公社入社。1986年九州大学工学博士。1997年日本電信電話国際本部担当部長。1998年日本電信電話マルチメディアネットワーク研究所所長。1999年NTTデータ技術開発本部副本部長、モンゴル科学技術大学名誉教授。2000年NTTデータ取締役技術開発本部副本部長兼ビジネス企画本部副本部長。
段上 守(だんがみ まもる、1944年12月4日- )は、日… 段上 守(だんがみ まもる、1944年12月4日- )は、日本の技術者、実業家。九州電力副社長を経て大分共同火力代表取締役社長。 福岡県出身。九州大学工学部機械工学科卒業。1967年、九州電力入社。1987年原子力建設部原子力工事課長。1991年玄海原子力発電所次長(蒸気発生器管理担当)。1997年玄海原子力発電所第一所長。2001年6月川内原子力発電所長。同年7月執行役員川内原子力発電所長。2007年6月、常務執行役員原子力発電本部長。2009年、副社長。 九電社内で原子力のエキスパートと言われ、2009年11月玄海原発3号機での日本初のプルサーマル発電開始を前に、「図らずも国内9電力会社の先頭を切る形になり、責任も感じているが、粛々と進めていきたい」と淡々と語った。
白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )… 白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、ダイハツ工業代表取締役会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1963年九州大学工学部造船科卒業。同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。田原工場第2製造部長を経て、1992年湯野川孝夫らとともに取締役に昇格。1997年常務取締役。2000年専務取締役。2001年取締役副社長。 2005年からダイハツ工業代表取締役会長を務め、系列の解体や軽自動車専用ラインの整備などを進めて、軽自動車販売台数で30年以上トップの座にあったスズキを抜き業界トップとした。トヨタ自動車の意向でグループ定年の68歳を超えても続投していたが、2011年相談役技監に退いた。
芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - … 芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - )は、日本の電気技術者、実業家。九州電力代表取締役副社長や、九州通信ネットワーク代表取締役社長、博多座代表取締役社長、九州先端科学技術研究所理事長等を歴任した。 長崎県諫早市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部電気工学科卒業、九州電力入社。上椎葉水力発電所、北九州支店電力課で計5年現場経験を積んだのち、、本社の工務部給電課に配属された。1973年フランス電力で研修。1982年九州電力本社企画部設備計画課長。1987年電気事業連合会に工務部長として出向。1992年九州電力大分支店長。1995年九州電力工務部長。1996年九州電力企画部長。
林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動… 林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動車エンジニア。日産自動車でエンジン開発を手がけた後、2012年3月まで東海大学工学部教授を務めた。 日産時代には1989年に実戦デビューした日産・VRH35の開発主管を務め、以下のような実績を挙げた。 モータースポーツ分野の研究が盛んに行われている。中でも開発コースにおいては、全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)やル・マン24時間へ参戦する為の車両開発が行われている。同学科ではプロトタイプレーシングカーの開発を行っており、前述の通り2008年にはル・マン24時間レースへの参戦を果たした。その後も2009年 - 2011年にかけてアジアン・ル・マン・シリーズに参戦するなど活動を続行してきたが、2012年3月に林が退任することに伴い、2012年1月に富士スピードウェイでテスト走行を行ったのを最後にプロジェクトを終了した。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
深海 正治(ふかうみ まさはる、1920年(大正9年)2月2… 深海 正治(ふかうみ まさはる、1920年(大正9年)2月21日 - 2021年(令和3年)5月28日)は、日本の技術者。 オリンパス光学工業専務、オリンパス精機社長。 佐賀県出身。久留米高等工業学校(現 : 九州大学工学部)精密機械科を卒業後、旧海軍の技術士官に採用され、大尉に任官。終戦まで機銃や零式艦上戦闘機の同調発射装置の設計を担当。 終戦後の1948年(昭和23年)にオリンパス光学工業に入社。1949年(昭和24年)、諏訪工場から杉浦睦夫が主任技師を務める研究所に異動。東京大学医学部附属病院副手の宇治達郎から胃の内部を撮影するカメラの製作を杉浦とともに依頼され、海軍時代に銃身内部の検査を行う装置を研究していたことを活かし、食道よりも細い管の中にカメラの全ての機能を詰め込む設計を考案。
大島 信太郎(おおしま しんたろう、1914年8月5日 - … 大島 信太郎(おおしま しんたろう、1914年8月5日 - 1995年2月24日) は、日本の技術者。国際電信電話副社長や、電気通信学会会長、テレビジョン学会会長などを歴任した。紫綬褒章受章。 1940年九州帝国大学工学部電気工学科卒業、国際電気通信入社。名古屋大学工学部助教授を経て、1950年電気通信研究所入所。喜安善市の下で研究に従事した。1954年国際電信電話入社。1962年九州大学工学博士。国際電信電話取締役研究所長を経て、1977年国際電信電話副社長、電気通信学会会長。1979年テレビジョン学会会長。独創的電気通信研究を行った。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
住友 彰(すみとも あきら、1912年3月12日 - 201… 住友 彰(すみとも あきら、1912年3月12日 - 2011年8月16日)は、日本の土木技術者。専門はトンネル工学。 福岡市に生まれる。1930年福岡県中学修猷館を経て、1935年九州帝国大学工学部土木工学科を卒業。 1935年内務省技師となり、下関工事事務所に勤務。1937年下関市と門司市(現・北九州市)の海底を結ぶ関門国道トンネルの調査工事の下関側責任者となり、戦中の工事休眠期間中は他事務所へ転任。工事が再開されると、併任のまま関門国道工事に携わる。戦前、戦中から、1958年の完成まで、21年間にわたって一貫してトンネル工事の調査から設計施工までを幹部として関わり、関門国道トンネルの完成に尽くした。
金森 政雄(かなもり まさお、1911年(明治44年)12月… 金森 政雄(かなもり まさお、1911年(明治44年)12月18日 - 2001年(平成13年)8月15日)は、日本の技術者、実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、日本プラントメンテナンス協会会長、日本造船工業会会長などを歴任した。勲一等瑞宝章受章。 山口県山口市野田生まれ。1932年(昭和7年)旧制福岡高等学校を卒業。1935年(昭和10年)九州帝国大学工学部冶金学科卒業し、三菱重工業に入社。1971年(昭和46年)三菱重工業技術本部長。 1977年(昭和52年)三菱重工業取締役社長。1981年(昭和56年)三菱重工業取締役会長。 1986年(昭和61年)日本プラントメンテナンス協会会長。
上林 忠次(かんばやし ちゅうじ、1906年〈明治39年〉2… 上林 忠次(かんばやし ちゅうじ、1906年〈明治39年〉2月11日 - 1968年〈昭和43年〉11月23日)は、昭和期の農業技術者、技官、政治家。参議院議員、日本専売公社理事。 京都府出身。1930年(昭和5年)九州帝国大学農学部を卒業した。 1930年、大蔵省に入省し、専売局たばこ技術課長、同生産課長、日本専売公社生産部長、同理事などを歴任した。 1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し、1959年(昭和34年)6月の第5回通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。この間、緑風会政務調査会副会長、自民党政審副会長、参議院建設委員長、第2次池田内閣・通商産業政務次官、国会たばこの会副会長などを務めた。
川上 米男(かわかみ よねお、1904年11月29日 - 1… 川上 米男(かわかみ よねお、1904年11月29日 - 1990年2月25日)は、日本の実業家、技術者である。長府製作所の実質的創業者であり、同社の社長と会長を歴任した。 1904年に福岡県久留米市に生まれる。第七高等学校(旧制)を経て、1928年3月九州帝国大学農学部を卒業する。 卒業後、農林省に入省し、農業試験場で農機具の試験などを行った。1946年山口県農業会長府工場の製造部長に就任する。8カ月ほどで見切りをつけたが、1949年山口県経済連(旧山口農業会)長府工場の再建を依頼され工場長として復帰し、以降実質的な経営者となる。 1954年長府工場が「株式会社長府製作所」へ改組後、専務取締役に就任する。
清成 迪(きよなり すすむ、1903年(明治36年)11月2… 清成 迪(きよなり すすむ、1903年(明治36年)11月2日 - 1988年(昭和63年)2月7日)は、日本の技術者。日立製作所取締役副社長を経て、動力炉・核燃料開発事業団理事長や、原子力委員会委員長代理を務めた。「もんじゅ」や「ふげん」の名付け親でもある。 熊本県熊本市出身。1928年九州帝国大学工学部卒業。1940年日立製作所取締役副社長。1967年動力炉開発臨時推進本部委員。動力炉・核燃料開発事業団副理事長在任中の1970年、大洗工学センターの発足式で、高速増殖炉もんじゅ、新型転換炉ふげんの命名を行った。1972年動力炉・核燃料開発事業団理事長。1978年原子力委員会委員。同年原子力委員会委員長代理。
山近 剛太郎(やまちか ごうたろう、1902年〈明治35年〉… 山近 剛太郎(やまちか ごうたろう、1902年〈明治35年〉9月28日 - 1990年〈平成2年〉)は、日本の炭鉱技術者、洋画家。自身が経験した炭鉱の採掘作業や鉱山事故を題材に、油彩や水彩で描いた記録画で知られる。 福岡県鞍手郡宮田町(現・宮若市)に産まれる。若いころから絵画に興味があり、中学校時代には画塾にも通っていた。九州帝国大学採鉱科卒業。 1926年(昭和元年)、貝島太助が社長を務める貝島炭鉱に入社し、炭鉱の採掘現場で技術指導や監督にあたった。後には貝島炭鉱の役員として1972年(昭和47年)まで炭坑に入り、特に炭鉱の防災体制の確立に貢献した。この間にも、坑内の風景をスケッチし、1947年(昭和22年)-1949年(昭和24年)頃には、福岡で画塾を主宰していた洋画家である、手島貢(創元会会員)の下で絵を学んでいた。
山本 利三郎(やまもと りさぶろう、1899年4月25日 -… 山本 利三郎(やまもと りさぶろう、1899年4月25日 - 1982年5月30日)は、日本の鉄道技術者。 東京急行電鉄(大東急)から分離した後の小田急電鉄に取締役運輸担当として就任し、同社3000形電車(SE車)の開発に尽力した。また、その後の小田急電鉄の車両における思想に影響を残した。 大阪府大阪市南区(現在の天王寺区)上汐に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1924年3月に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、鉄道省に入省。 鉄道省では電気局に配属となり、1931年までに品川電車庫、田町機関庫、東京機関庫、蒲田電車庫、国府津機関庫などの現業機関を経験する。田町機関庫では導入されたばかりのイギリス製電気機関車に故障が多く苦労したという。
松尾 守治(まつお もりじ / もりはる、1892年(明治2… 松尾 守治(まつお もりじ / もりはる、1892年(明治25年)10月9日 - 1973年(昭和48年)8月19日)は、大正から昭和期の土木技術者、内務技官、政治家。山口県下関市長。旧姓・市川。 山口県で市川直彦の七男として生まれ、松尾琢三(衆議院議員松尾寅三の長男、馬関電灯取締役)の養子となる。1913年(大正2年)旧制第三高等学校を卒業[要出典]。1917年(大正6年)九州帝国大学工科大学土木工学科を卒業。一年志願兵として入隊した。 1919年(大正8年)内務省に入省し、下関土木出張所、神戸土木出張所で勤務。1924年(大正13年)欧米に出張し港湾施設を視察。帰国後、下関土木出張所に配属され、下関港、門司港の修築工事を担当した。
山川 良一(やまかわ りょういち、1891年〈明治24年〉6… 山川 良一(やまかわ りょういち、1891年〈明治24年〉6月5日 - 1982年〈昭和57年〉8月19日)は、大正から昭和期の鉱山技術者、実業家、政治家。参議院議員。 長崎県出身。1915年(大正4年)九州帝国大学工科大学採鉱学科を卒業した。 卒業後、三井鉱山(現日本コークス工業)に入社し、山野鉱業所長、砂川鉱業所長、同社常務取締役などを歴任し、1947年(昭和22年)同社長に就任。その他、初代日本石炭協会長、同顧問、全国石炭復興会議議長、全国炭鉱管理委員会委員、経済復興計画委員会委員、北海道総合開発審議会委員、日本産業協議会理事、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)理事、日本経営者団体連盟(現:日本経済団体連合会)理事、東京商工会議所議員などを務めた。
森本 貫一(もりもと かんいち、1888年(明治21年)6月… 森本 貫一(もりもと かんいち、1888年(明治21年)6月1日 - 1979年(昭和54年)9月26日)は、日本の技術者、実業家。三菱化成工業(現三菱ケミカル)社長や、旭硝子(現AGC)社長、電気化学協会会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章。 熊本県宇土市生まれ。第五高等学校を経て、1915年九州帝国大学工科大学応用化学科卒業、旭硝子入社。1940年尼崎工場長。1944年三菱化成工業常務取締役、日本板硝子取締役。1946年に三菱化成工業社長に就任したが同年公職追放となった。1951年旭硝子会長、旭化学工業奨励会理事長。 1952年から旭硝子社長を務め、高度経済成長期に、ブラウン管用ガラスや、自動車用ガラスの製造を進めた。
岩瀬 徳三郎(いわせ とくさぶろう、1887年8月11日 -… 岩瀬 徳三郎(いわせ とくさぶろう、1887年8月11日 - 1971年2月2日)は、日本の化学技術者、工学博士。東ソー及び東曹産業の創業者。 千葉県銚子市出身。1887年(明治20年)大地主、岩瀬利右衛門の三男として生まれる。1914年九州帝国大学工学部応用化学科卒業。同大学院へ進みアメリカへ留学。渡米の際の船で安野譲と知り合った縁で1918年に日本曹達工業(のちのトクヤマ)入社。同社取締役技師長、専務取締役を経て1935年東洋曹達工業(現東ソー)を設立し社長に就任。1940年「アンモニアソーダ工業用生石灰焼成に関する研究」で九州帝国大学工学博士の学位を取得。 妻・つね(1894年生)との間に徳郎、和子、義郎、秀郎、幹子、及び養子の寅四郎あり。
河合 理文(かわい まさふみ)は、日本の技術者。IHI技師長… 河合 理文(かわい まさふみ)は、日本の技術者。IHI技師長、日本機械学会副会長。 2008年九州大学大学院修了、博士(工学)。2019年日本機械学会関東支部長。2020年、日本機械学会流体工学部門部門賞及び、日本機械学会関東支部功績賞受賞。数値流体力学や流体設計の研究開発を行い、IHI技師長を経て、2021年からは日本機械学会副会長も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
NORO(のろ)は、日本のシンガーソングライター、レコーディ… NORO(のろ)は、日本のシンガーソングライター、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、マニピュレーター。広島県広島市出身。WEBデザイナーや女優としても活動している。 自ら打ち込み、録音、ミキシング、マスタリングも行うシンガーソングライターである。2007年に牧村憲一エグゼクティブ・プロデューサーの下、自身で打ち込みやミキシングも行った渋谷系ポップスの流れを継いだ1stアルバム『LOVE SWEET DREAM』をリリース。その後アメリカ合衆国フィラデルフィアの女性ラッパーSteph Pocketsとの共同プロデュースなどインターナショナルな活動をしながら、2011年ドリーミーポップな2ndミニアルバム『FREEWHEELin’ e.p.』、2014年電子雑誌トルタルでの音楽連載をまとめた3rdミニアルバム『theRoom1058』、1stシングル『DREAM in RUINS(廃墟の夢)』、2016年に4枚目のアルバム『Je T’aime(ジュテーム)』をリリース。
前村 昌紀(まえむら あきのり)は、ネットワークの設計、運用… 前村 昌紀(まえむら あきのり)は、ネットワークの設計、運用に携わる日本のネットワーク技術者。京都情報大学院大学教授。 1994年にNECのインターネットサービスプロバイダ(ISP)事業立ち上げにネットワークエンジニアとして参加。ネットワーク設計・運用、技術渉外を担当。1996年より日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)IPアドレス検討部会メンバーとなり、2002年からIPアドレス担当理事を務め、日本のIPアドレス管理に貢献した。国際的にも、2000年からアジア太平洋地域を管轄するIPアドレスレジストリであるAPNIC(Asia Pacific Network Information Centre)のEC(Executive Council)メンバーとしてAPNICの運営に関わり、2003年にはEC議長に任命された。
山田 明(やまだ あきら) は、日本の技術者。三菱重工業技監… 山田 明(やまだ あきら) は、日本の技術者。三菱重工業技監や、九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所招聘教授、日本機械学会副会長を歴任した。 1978年九州大学工学部機械工学科卒業。1980年九州大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1983年九州大学大学院工学研究科動力機械工学専攻博士後期課程単位取得認定退学、三菱重工業入社。同年九州大学工学博士。1990年パデュー大学客員研究員。2003年三菱重工業先進技術研究所次長。2005年三菱重工業長崎研究所次長。2008年三菱重工業本社知的財産部部長。2011年三菱重工業長崎研究所主幹。2012年三菱重工業長崎研究所技監・主幹研究員。