阿部 信雄 (あべ のぶお、1948年〈昭和23年〉3月1日… 阿部 信雄 (あべ のぶお、1948年〈昭和23年〉3月1日 - )は、 日本の美術評論家。 専門は、近現代美術、博物館学。父は英文学者で作家の阿部知二。兄はフランス文学者の阿部良雄。科学史家で評論家の赤木昭夫は義兄。 兵庫県姫路市に生まれる。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院修士課程修了。 1977年より、石橋財団ブリヂストン美術館学芸員となり、後に学芸部長を務める。1993年に退職。 1989から92年まで、東急Bunkamuraザミュージアムのプロデューサーを兼任。 ニューオータニ美術館顧問、鎌倉大谷記念美術館運営委員、セキ美術館(愛媛県)顧問を歴任した。 また、美術館外では、名古屋大学、学習院大学、成城大学、玉川大学、武蔵工業大学などの非常勤講師を務めた。
関根 正和(せきね まさかず、1948年 - )はアメリカロ… 関根 正和(せきね まさかず、1948年 - )はアメリカロサンゼルス在住の実業家・食文化評論家。米国帰化市民。SEKAI Electronics, Inc.創業者。ペンネームはミスター世界。 東京都出身。母は徳川宗家第十七代当主で元貴族院議長の徳川家正の三女徳川順子。 1970年慶應義塾大学工学部電気工学科卒業、1972年同大学大学院修士課程修了。1982年軍事民間警察用途の航空機車両等に搭載するビデオカメラやレコーダーのメーカー、SEKAI Electronics, Inc.を設立する。 1980年代から、ミスター世界のペンネームで世界の食文化評論家としてロサンゼルスの日本語テレビ、ラジオ、情報誌で活動。
七澤公典(ななさわ きみのり、1948年- )は、「与作」の… 七澤公典(ななさわ きみのり、1948年- )は、「与作」の作者、宗教家、評論家。 群馬県生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。ジャズギタリスト、ウエイター、セールスマン、サラリーマンなど幾多の職業を経験後、76年にジャズで売りだすため渡米するが失敗して帰国、「与作」を作詞・作曲してNHK「あなたのメロディー」に応募。78年、北島三郎の歌で売りだしヒットする。1983年、植松愛子、深見東州と出会い、師事する。ワールドメイトのスタッフとして多くの人々の相談にあたり、また、全国各地で講演会を開催したりなどの活動を行っている。別名・北山高望, 七沢耀, 七澤友一郎の名で著作を出している。
岡田 晃(おかだ あきら、1947年〈昭和22年〉12月17… 岡田 晃(おかだ あきら、1947年〈昭和22年〉12月17日 - )は、日本の経済評論家。大阪経済大学客員教授、21世紀臨調運営委員。大阪府出身。 BSジャパン(現:BSテレビ東京) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山崎 行太郎(やまざき こうたろう、1947年1月26日 -… 山崎 行太郎(やまざき こうたろう、1947年1月26日 - )は、日本の文芸評論家、インタビュアー、ブロガー。鹿児島県出身。東京工業大学、埼玉大学講師を経て、2016年現在は日本大学芸術学部非常勤講師。2016年現在は、「月刊日本」に「マルクスとエンゲルス」を連載中。
石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1… 石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1月5日 - 2024年(令和6年)8月19日)は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト、時事問題評論家。妻は小説家の殿谷みな子。 1947年、東京都伊豆大島(大島町波浮港)生まれ。1959年、大島町立第三中学校入学。1962年、東京都立大島高等学校入学。大島高校では野球部に所属し主将を務めた。1965年、都立高校卒業と同時に先行渡米していた実兄を頼り、短期農業移民資格でアメリカ・カリフォルニア州へ渡る。カリフォルニア州では、兄の勤めていた農園で働く。1969年に帰国。1974年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、再渡米し、庭園業を営む。
後藤 雅洋(ごとう まさひろ、1947年 - )は、日本のジ… 後藤 雅洋(ごとう まさひろ、1947年 - )は、日本のジャズ評論家、ジャズ喫茶「いーぐる」店主。 東京都生まれ。中等部から慶應義塾で学ぶ。慶應義塾大学商学部在学中の1967年、四谷にジャズ喫茶「いーぐる」を開店、現在も営業を続けている。1988年『ジャズ・オブ・パラダイス』を上梓以来、ジャズ評論でも著書多数。「いーぐる」の常連客には村井康司、杉田宏樹、林建紀、高野雲などのジャズ評論家が多数いることから同店は「ジャズ道場」としても知られている。
塩田 潮(しおた うしお、1946年7月14日 - )は、日… 塩田 潮(しおた うしお、1946年7月14日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家。 本名・満彦。高知県吾川郡いの町生まれ。土佐中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒(中村菊男ゼミ)。1970年に日本能率協会に入り、「月刊マネジメント」編集部に勤務する。民社党法務政策委員長たる衆院議員岡澤完治秘書、「文藝春秋」記者などを経てノンフィクション作家。1983年『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。主として現代政治について執筆。
西井 一夫(にしい かずお、1946年1月1日 - 2001… 西井 一夫(にしい かずお、1946年1月1日 - 2001年11月25日)は日本の写真評論家、編集者。 東京都江戸川区小岩に生まれ、1952年までそこで育つ。1968年、慶應義塾大学経済学部卒業。 弘文堂新社編集部を経て、1969年に毎日新聞社出版局入社。「サンデー毎日」「毎日グラフ」記者を経て「カメラ毎日」編集部に入り、1983年から1985年休刊まで同誌編集長。1989年に「写真の会」を結成し「写真の会賞」を主催。 1996年、毎日新聞社出版局クロニクル編集長としてシリーズ「20世紀の記憶」全20巻を立ち上げ、2000年12月、同シリーズの完結後に選択定年退職。食道癌で死去。 癌発見後、死去までの2ヶ月を河瀬直美がドキュメンタリー映画『追憶のダンス』として撮影した。
高木 勝(たかぎ まさる、1945年7月16日 - 2011… 高木 勝(たかぎ まさる、1945年7月16日 - 2011年6月26日)は、日本の経済学者、経済評論家。明治大学政治経済学部教授(日本経済論、金融論)。 神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、富士銀行に入行。調査部、1982年-1987年ニューヨーク駐在、富士総合研究所経済調査部長などを経て、1998年より明治大学政治経済学部教授。 2011年6月26日、肺がんのため死去。65歳没。
佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日… 佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日 - )は、日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。元「週刊金曜日」編集委員。山形県酒田市出身。 「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人を務める。 近年はYouTube番組であるデモクラシータイムスの『3ジジ放談』に平野貞夫、前川喜平と共に出演している。 2022年、全7巻の『佐高信 評伝選』(旬報社)が刊行されている。 父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)。山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
広野 功(ひろの いさお、1943年10月16日 - )は、… 広野 功(ひろの いさお、1943年10月16日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。実兄は元プロ野球選手の広野翼。 徳島商業では2年次の1960年に左翼手として甲子園に春夏連続出場し、春の選抜では2回戦で滝川高に敗退。夏の選手権では2回戦で米子東高のエース・宮本洋二郎を打ち崩すなど順調に勝ち進むが、準決勝で静岡高に敗れた。3年次の1961年夏はエースの妹尾幸一(南海)を擁し南四国大会決勝に進むが、高知商の高橋善正に抑えられ、9回裏0-1のサヨナラ負けで甲子園には届かなかった。他のチームメイトに二塁手の多田勉(広島)がいた。 高校卒業後は1962年に慶應義塾大学へ入学し、同期外野手の鈴木義信と共に東京六大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。
北浜 流一郎(きたはま りゅういちろう、本名:福永 爲善、1… 北浜 流一郎(きたはま りゅういちろう、本名:福永 爲善、1943年7月20日 - )は、日本の株式評論家(自称、株式アドバイザー)。 鹿児島県出水郡阿久根町(現・阿久根市)出身。 慶應義塾大学商学部中退後、コピーライター、週刊誌記者、作家業を経て個人投資家向けの株式投資のアドバイスを行っている。 日本ペンクラブ、日本文芸家クラブに所属。 慶應義塾大学商学部に入学するが、新聞部の活動と映画鑑賞に明け暮れ、簿記とドイツ語の単位を落とす。当時、学生運動で学内が荒れて講義が殆どなかったこともあり、テレビアニメのシナリオなどを執筆して生活の糧とすることを試みるが、2本執筆した後に大学を中退する。 中退後しばらくは定職に就かなかったが、通信教育等のコピーライターとして再出発を図る。
渡辺 みえこ(わたなべ みえこ、1943年(昭和18年) -… 渡辺 みえこ(わたなべ みえこ、1943年(昭和18年) - )は、日本の詩人、画家、評論家。 東京深川区(現深川)生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。武蔵野美術大学油絵専攻卒業。横浜国立大学大学院修士課程修了。1997年『女のいない死の楽園 供犠の身体 三島由紀夫』で第1回女性文化賞受賞。油絵では、1967年新世紀美術協会奨励賞。1980年新世紀美術協会文房堂賞。参加詩誌に「にゅくす」「言葉の会」「ぐるうぷ・ふみ」「舟」「青い花」。現在「歴程」「いのちの篭」同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本美術家連盟会員。 三島由紀夫の女性嫌悪、村上春樹の『ノルウェイの森』におけるレズビアンに対する差別的な描き方を批判した。
岡庭 昇(おかにわ のぼる、1942年12月19日 - 20… 岡庭 昇(おかにわ のぼる、1942年12月19日 - 2021年7月14日)は、日本の文芸・メディア評論家。 三光汽船代表取締役を務めた岡庭博の長男として東京で生まれる。慶應義塾大学経済学部卒、TBS勤務ののち評論家。 はじめ文芸評論から始まり、左翼的、戦後文学擁護の立場をとり、「内向の世代」批判も行ったが、メディア論に移行し、創価学会支持の立場で論陣を張っている。 2021年7月14日、胆のうがんのため死去。78歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
京須 偕充(きょうす ともみつ、1942年11月12日 - … 京須 偕充(きょうす ともみつ、1942年11月12日 - )は、落語の録音プロデューサー、落語評論家。日本文芸家協会会員。 東京神田区松住町生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。CBSソニー第1AV事業部制作三部課長、A&R第五部次長を経て、ソニー・ミュージックエンタテインメント・チーフプロデューサー。 ソニー・ミュージック(旧:CBS・ソニー)のプロデューサーとして、6代目三遊亭圓生の「圓生百席」や3代目古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけている。また、「朝日名人会」(有楽町朝日ホールで開催)、「朝日いつかは名人会」(浜離宮朝日ホールで開催)などの落語会をプロデュースしている(この落語会は録音することを前提としても開催)。
柘植 久慶(つげ ひさよし、1942年6月21日 - )は、… 柘植 久慶(つげ ひさよし、1942年6月21日 - )は、日本の作家・軍事評論家・コイン収集家。本名は平木啓一。 愛知県蒲郡市で出生。父は、東証1部上場の大手ミシンメーカーであったリッカーミシン(1984年に経営破綻)を創業して長く社長を務めた平木信二(1910年 - 1971年)。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 海外旅行に行く日本人がまだ少なかった1961年、大学1年の夏期休暇にコンゴ動乱に参加した。 1962年、アルジェリア戦争にフランス外人部隊の格闘技教官(中尉待遇)として参加した。 1965年、慶應義塾大学を卒業し、父が社長在任中のリッカーミシンに入社。
栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年〈昭和16年… 栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年〈昭和16年〉11月23日 - )は、日本の経済学者(経済人類学)・評論家・政治家・健康食品開発者。有明教育芸術短期大学学長、衆議院議員(2期)、経済企画政務次官、有限会社大学総合研究所理事長、朝日新聞書評委員 を歴任した。 東京都(出生当時は東京府)出身。父は元最高裁判事の栗本一夫(岐阜県出身)。母トシ子は元東京府会議長中野勇治郎(京都府出身)三女。 東京学芸大学附属世田谷小学校、同中学校、東京都立戸山高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程退学[要出典]。 天理大学専任講師、奈良県立短期大学(現:奈良県立大学)助教授、ノースウェスタン大学客員教授(1975年 - 1976年)を経て、明治大学教授在任中、ヴァンダービルト大学客員教授(1986年 - 1987年)も務める。
酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は… 酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は、日本の美術評論家、世田谷美術館館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 1941年、北海道余市郡余市町生まれ。北海道余市高等学校を経て、慶應義塾大学に入学。1964年、慶應義塾大学文学部美学美術史科を卒業。 大学卒業と同時期に神奈川県立近代美術館学芸員になる。土方定一に師事し、学芸課長、副館長を経て、1992年より館長。2004年から2024年3月まで世田谷美術館館長。2003年の『海にかえる魚』では、小説に挑んだ。2006年から2021年まで美術館連絡協議会理事長。 近代美術の研究、現代美術の評論活動を行う。ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務めた。
安田二郎(やすだ じろう、1940年2月4日-2008年1月… 安田二郎(やすだ じろう、1940年2月4日-2008年1月30日 )は、日本の証券評論家、作家。 東京生まれ。父も投資評論家の益田金六(本名・安田清臣)。慶應義塾大学文学部哲学科卒。株での利殖に関する評論のほか兜町などを舞台とした小説も多く書いた。晩年は静岡県熱海市の伊豆多賀にて執筆業務に専念。 2008年1月癌の為都内の病院で死亡。 配偶者安田萱子は詩人、長女は関西大学社会学部教授安田雪 次女はMPI(Meeting Professional International)日本支部会長(2018/20期)、日本コソボ協会の安田弓、長男安田潮太郎は都内商社勤務。
中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文… 中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文化学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。専門は18世紀英国芸能史。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1962年東京外国語大学英米科卒業、1968年東京都立大学 (1949-2011)人文科学研究科博士課程中退、同大学英文研究室助手、1969年國學院大學専任講師、1973年慶應義塾大学法学部専任講師、1979年助教授、1986年教授、2005年定年退職、名誉教授。 1996年 - 2002年長岡リリックホール館長。国際音楽フェスティヴァル、オペラなどの総合プロデュースを多数手がけた。雑誌に多くの音楽評を書いた。
岡田 隆彦(おかだ たかひこ、1939年9月4日 - 199… 岡田 隆彦(おかだ たかひこ、1939年9月4日 - 1997年2月26日)は、日本の詩人・美術評論家。 祖父は第35代衆議院議長・岡田忠彦。妻は俳人・岡田史乃。長女は俳人・辻村麻乃。 東京府出身。永田町小学校(現麹町小学校)、麹町中学校、獨協高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。「三田詩人」復刊に参画。1961年、会田千衣子、井上輝夫、鈴木伸治、吉増剛造と詩誌「ドラムカン」創刊。大学卒業後は美術出版社に就職し、20代の終わりにはヴェネツィア・ビエンナーレのコミッショナーを務めていた。 1968年、中平卓馬、高梨豊、多木浩二らと写真批評詩「provoke」創刊。1985年『時に岸なし』で高見順賞受賞。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
木島 俊介(きじま しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉2月… 木島 俊介(きじま しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉2月27日 - 2024年〈令和6年〉4月20日)は、日本の美術史家、美術評論家。共立女子大学名誉教授。元地中海学会副会長。 鳥取県八頭郡若桜町生まれ。木島公之の長男。1964年、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史攻卒業。同大学大学院修士課程修了。フィレンツェ大学、ニューヨーク大学大学院、同美術史研究所に学ぶ。 共立女子大文芸学部教授、2009年、定年退任、名誉教授。群馬県立近代美術館館長、群馬県立館林美術館館長、Bunkamuraザ・ミュージアムプロデューサー。1992年地中海学会常任委員・副会長、日本美術評論家連盟常任委員。 2014年7月1日よりポーラ美術館館長を務め、2023年7月1日に退任。
高齋 正(こうさい ただし、1938年12月21日 - 20… 高齋 正(こうさい ただし、1938年12月21日 - 2025年6月28日)は、日本の作家、自動車評論家。高斎 正とも表記される(高斉 正の表記も見受けられるが、一般的ではない)。 群馬県前橋市生まれ。のちにSF作家仲間となる豊田有恒とは群馬大学附属小学校・中学校の同級生であり、大学進学後も交友した(1960年、豊田に『SFマガジン』の存在を伝えたのは高斎)。1957年群馬県立前橋高等学校卒業。1961年慶應義塾大学経済学部卒業。 自動車レース小説を多く書く。SF作家でもあり、日本SF作家クラブ第3代事務局長を務めた(星新一が初代会長をつとめた際の、事務局長であった)。2013年、他のベテラン作家らとともに、日本SF作家クラブの名誉会員に。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2… 永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2012年5月9日)は、オペラ研究家、評論家、昭和音楽大学教授。 東京都中央区築地生まれ。慶應義塾中等部の頃から歌舞伎を観るほか、藤原歌劇団の練習所に通い詰める。慶應義塾高等学校演劇部に在籍し、市川猿之助作「宝島」の作曲を担当、猿之助と共に白木劇場の舞台に立つ。慶應義塾大学ではオペラ研究会を創立、慶應義塾創立100年記念に若杉弘指揮、メノッティの「電話」を演出。1961年慶應義塾大学商学部を卒業、三井物産に入社、1965年同社イタリア修業生としてボローニャ大学に留学。その後二回にわたり計11年、同社ミラノ店に勤務し、1988年退社。ANFコーポレーション、サウンド・バンク社長を歴任し、1996年退任。
増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、… 増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、日本の著作家、時事評論家、投資家。 投資顧問会社「サンラ・ワールド」最高顧問。月刊「力の意志」編集主幹。グローバル・レインボーシップ相談役 東京都生まれ。1962年に慶應義塾大学商学部を卒業し東急エージェンシーに入社するも、1964年に退社。 1974年に「アメリカンドリームを求め」て渡米、ロサンゼルスを本拠に天下一家の会の活動に従事し有罪判決を受ける。保護観察の後、畳や布団を全米各地で売り歩く等の事業を展開。1986年にハワイに渡り、先住ハワイアンの土地奪還請求運動を支援(後述)、1994年パラオが米国から独立後、同国国会アドバイザーに任命されたと自称。
草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2… 草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2008年3月19日)は、日本のマンガ、広告、写真評論家。 北海道河東郡音更村(現・音更町)生まれ。長男の渡部幻は映画批評家で編集者。長女の東海笑子は翻訳家。 北海道帯広柏葉高等学校を経て、1浪後慶應義塾大学文学部に入学して中国文学科に進む。大学時代は奥野信太郎や村松暎に師事。また慶應義塾大学推理小説同好会に参加、このときの先輩に紀田順一郎や田波靖男がいる。 映画監督を志望し、1960年に東映の入社試験を受けたが面接で失敗。 1961年、大学卒業後は婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社し、『男の服飾』を『MEN'S CLUB』に改名する発案をする。
宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、… 宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、日本の外交官・外交評論家。 京都府京都市生まれ、愛媛県出身。1962年慶應義塾大学法学部卒、1990年「中ソ対立生成・発展の基本要因についての研究: 米中ソの「核」と中ソの大国民族主義・意識の結合」で法学博士。1962外務省入省、駐キューバ特命全権大使、駐チェコ特命全権大使を歴任後、外交評論家として執筆、講演活動に入る。2000年、フルート奏者・歌手・女優の神崎愛と結婚。
間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本… 間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本の児童文学翻訳家、文芸評論家。本姓(夫姓)は"大月"であり、学会への参加や公的な図書館活動は大月 ルリ子(おおつき るりこ)として行っている。神戸市立図書館協議会委員(副会長)を務めた。 長崎県長崎市生まれ1937年2月。1959年慶應義塾大学図書館学科卒業。その後渡米し、ボストンのシモンズ・カレッジ(英語版)大学院で図書館学を学ぶ。図書館学修士課程修了後、ニューヨーク公共図書館児童室に勤務。1961年帰国後アメリカンスクールの図書館に勤務。1963年に翻訳した『もりのなか』がロングセラーとなる。1968年から2015年まで47年間にわたり、神戸市東灘区で毎週土曜午後1時から5時まで私設の児童図書館(子ども文庫)「鴨の子文庫」を主宰し開いていた。
白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 20… 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 2023年7月18日)は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。慶應義塾大学・特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 20… 加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。助川 明(すけがわ あきら)も使用。自由社社長、日本会議監事兼日本会議東京会長、日本教育再生機構代表委員、世界平和教授アカデミー常任理事などを務めた。 東京府出身。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。 慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。
山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月1… 山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月10日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の舞踊評論家。 東京都生まれ。日本のバレエ創生期のスターで、『白鳥の湖』全幕を最初に踊った松尾明美(1919~2013年)に憧れて舞踊の世界に入る[要出典]。慶應義塾大学法学部在学中から新聞や雑誌等に公演批評、作品解説等を執筆するようになった。1959年、慶應義塾大学法学部卒業。1960年、他の批評家、舞踊家らと「二十世紀舞踊の会」を立ち上げる。この会では、うらわまこと、池宮信夫、市川雅などの若手批評家たち、小杉武久らのグループ音楽、そしてさまざまな分野の舞踊家が、新しい表現を追求していたモダンダンスの邦千谷のスタジオに集まって、舞踊やパフォーマンス、トーク、シンポジウムなどを行った。
古屋 健三(ふるや けんぞう、1936年4月8日 - )は、… 古屋 健三(ふるや けんぞう、1936年4月8日 - )は、日本のフランス文学者、文芸評論家、作家、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。フランス・グルノーブル大学に留学、博士号取得。慶大文学部助教授を経て教授、2002年に定年退職し名誉教授。 文芸評論家としても、主として内向の世代の作家を論じ、「三田文学」編集長も務めた。60歳になるまで著書を出さない方針だったが、それ以後は旺盛な執筆活動に入り、小説も著した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
平松 茂雄(ひらまつ しげお、1936年(昭和11年)2月9… 平松 茂雄(ひらまつ しげお、1936年(昭和11年)2月9日 - 2023年(令和5年)7月5日)は、日本の政治学者、評論家。国家基本問題研究所評議員。 静岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、1966年(昭和41年)同大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学(1986年(昭和61年)に法学博士)。1967年(昭和42年)防衛庁防衛研究所入所、1980年(昭和55年)第1研究部第3研究室長を経て、1987年(昭和62年)から2005年(平成17年)まで杏林大学社会科学部(のちに総合政策学部)で教鞭をとった。 長年、中華人民共和国の軍事面での台頭について警告を発している。東西冷戦終結間際の時期(1988年(昭和63年)頃)に、中国が冷戦崩壊後の世界で軍事的に台頭することを予想していたのは自身のほかにはほとんどいなかったと述べている。
高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2… 高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2019年1月27日)は、日本の小説家、文芸評論家。 東京府生まれ。慶応義塾大学文学部仏文科卒。博報堂、コスモ・ピーアール勤務を経て創作活動に入る。1973年「白蟻」で芥川賞候補、1974年「道化の背景」、1975年「藁のぬくもり」で同じく芥川賞候補、1977年『巷塵』で直木賞候補、1983年「町の秋」で芥川賞候補。第7次『三田文学』復刊に携わり、1985年から1986年にかけて編集長をつとめる。1997年『独楽の回転 甦る近代小説』で第25回平林たい子文学賞受賞。1998年5月~99年7月、日本経済新聞に小説「饗宴」を連載した。 2019年1月27日午後5時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 -… 紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 - 2025年7月15日)は、日本の文芸・メディア評論家・翻訳家・小説家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員。 本名は佐藤 俊()。ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。 書誌研究を中心に、半世紀以上にわたり『古書街を歩く』、『日記の虚実』、『二十世紀を騒がせた本』などメディア論、近代史論などを数多く刊行。古書をテーマとした推理小説、幻想文学作品も著した。 横浜・本牧(正確には横浜市中区千代崎町)で出生、父は日本銀行本店の行員。1941年に父が結核となり、暗い家庭となる。腺病質で体が弱かったため、本の世界に楽しみを見出していた。
渡邊 學而(わたなべ がくじ、1935年〈昭和10年〉2月9… 渡邊 學而(わたなべ がくじ、1935年〈昭和10年〉2月9日 - 2025年〈令和7年〉4月4日)は、日本の音楽評論家、合唱指揮者。新字体で渡辺学而または渡邊学而と記載されることがある。 東京教育大学附属高等学校を経て、1959年(昭和34年)3月、慶應義塾大学経済学部卒業。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の学生指揮者を務めた。同年4月日本ビクター株式会社へ就職したが1961年(昭和36年)10月に同社退職。同年よりヴォイストレーナーとして学習院輔仁会音楽部男声合唱団の指導に携わり、1962年(昭和37年)から1972年(昭和47年)まで前田幸市郎とともに男声合唱団の常任指揮者を務めた。
磯貝 勝太郎(いそがい かつたろう、1935年1月26日 -… 磯貝 勝太郎(いそがい かつたろう、1935年1月26日 - 2016年6月16日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、大衆文学研究会、各会員。 東京牛込区生まれ。少年時代、歌舞伎に熱中する父親のもとで講談全集を読みあさる。1945年の東京大空襲で埼玉県川口市に移り家計の事情で高校進学を断念、通商産業省の研究所給仕となった。その後、夜学へ通ったのち昼間の大学にも進む。1961年、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業。 もとは作家志望だったが、のち大衆文学研究を志す。国際基督教大学図書館に勤務し主幹となった。のちに「国際基督教大学史」の編纂主幹。 1980年から海音寺潮五郎記念会評議員、1996年から司馬遼太郎記念財団評議員、2001年から新田次郎文学会監事、2000年から大衆文学研究会副会長を務め、さいたま市スポーツ文学賞選考委員も務めた。
金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997… 江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 長女は小説家の江國香織。 小学校は慶應義塾幼稚舎であったが、1945年秋、東京から静岡県庵原郡蒲原町(現在の静岡市清水区)に転校して徹底的ないじめを受ける。当時の経験を後に「怨み骨髄、あのときのいじめの下手人たちの顔も名前も身体的特徴も、いまだに忘れていない」と語り、文筆家になってからも紀行文の中で当時の恨みつらみを吐露している。 静岡県立清水東高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。卒業後は新潮社に入社して、十年間『週刊新潮』の編集部にいたが、1966年に退社。
堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は… 堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は、日本の劇作家、演出家、演劇評論家。演出家として三島作品を多数手がける。また、新作能の作者として、数多くの作品を手がけている。
三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 200… 三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 2004年7月16日)は、日本のノンフィクション作家、文芸評論家。日本文藝家協会会員、日本推理作家協会会員。 北海道函館市生まれ。 横浜市立大学文理学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。 学研編集部勤務を経てフリーライターとなり、文芸評論、近代文学研究などに従事。1970年7月、小説「サバンナに燃ゆ」が小学館主催の第1回小説セブン新人賞最終候補となっている。『北方領土・悲しみの島々』『戦後 幻のドン』『棄てられた四万三千人』などのノンフィクションを刊行。1977年、第1回「週刊読売」ノンフィクション賞に入選。 1983年、上田女子短期大学教授。
安倍 寧(あべ やすし、1933年5月21日 - )は、日本… 安倍 寧(あべ やすし、1933年5月21日 - )は、日本の音楽評論家。 静岡県生まれ。東京都立日比谷高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。大学在学中の1955年、フリーライターとしてショー・ビジネス、芸能界に関わり、美空ひばり、越路吹雪、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ビートルズなどについて評論を書く。 1965年以降、ニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのウエスト・エンドで多くのミュージカルを観る。日本レコード大賞実行委員、審査委員を務めた。浅利慶太は大学時代からの友人(1951年に慶應義塾大学で二人は出会った)であり、劇団四季取締役も務めた。その他、エイベックス・ホールディングス株式会社顧問など。
田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年(昭和8年)2月4日… 田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年(昭和8年)2月4日 - 2024年(令和6年)1月9日)は、日本の外交評論家、政治学者、政治活動家。杏林大学客員教授。専門は国際政治学、アメリカ外交。博士(法学)。 日本会議第4代会長(在任時に死去)、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表、国家基本問題研究所副理事長、明治の日推進協議会会長、富士社会教育センター理事、新しい歴史教科書をつくる会理事などを務めた。 千葉県生まれ、東京都立九段高等学校(現・千代田区立九段中等教育学校)卒業。1956年、早稲田大学法学部卒業。 1956年、時事通信社入社。1956年から1962年まで地方部記者(自治庁、大蔵省、農林省担当)。
江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日… 江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 1999年〈平成11年〉7月21日)は、日本の文芸評論家。東京工業大学、慶應義塾大学教授を歴任。学位は、文学博士(慶應義塾大学)。日本芸術院会員。本名:江頭 淳夫(えがしら あつお)、身長160センチ。 学生時代に発表した『夏目漱石』(1956年)で注目され、『作家は行動する』(1959年)、『小林秀雄』(1960年)で文芸評論家としての地位を確立。『アメリカと私』(1965年)など文明批評も多い。 戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄没後は文芸批評の第一人者とも評された。20代の頃から長らく文芸時評を担当し、大きな影響力を持った。
槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タ… 槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・放送作家・ファッション評論家・フリープロデューサー。主に関西で活躍中。 神戸市出身。神戸二中(現兵庫高等学校)卒業。1955年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社、同期に植草貞夫と山内久司と澤田隆治らがいる。その後、大阪テレビ放送へ出向し、大阪テレビ放送が朝日放送と合併後は新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ移籍。毎日放送退社後は松下電工(現・パナソニック電工)に転職。 朝日放送・大阪テレビ時代は制作部に所属し、多くの番組でディレクターとして活動。新日本放送時代は制作部門を渡り歩き、松下電工時代は広報・宣伝に携わる。
藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006… 藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006年2月9日)は、愛媛県新居浜市出身(越智郡宮窪村四阪島生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。