大久保 良順(おおくぼ りょうじゅん、1915年9月11日 … 大久保 良順(おおくぼ りょうじゅん、1915年9月11日 - 2010年10月28日)は、天台宗の僧。大正大学長を務めた。 神奈川県平塚市生まれ。1938年大正大学文学部仏教学科卒。40年同大学院修了。天台宗天王寺住職。大正大学助教授、教授、1985年学長。天台宗大僧正。三十三間堂本坊・妙法院門跡、同名誉門主。大久保良峻は甥。1987年、勲三等瑞宝章受章。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田 久一(よしだ きゅういち、1915年9月10日 - 2… 吉田 久一(よしだ きゅういち、1915年9月10日 - 2005年10月16日)は、日本の社会福祉学者。日本社会事業大学名誉教授。 新潟県生まれ。大正大学文学部史学科卒業。1943年応召し中国、満洲、沖縄、石垣島などに駐屯。戦後は日本社会事業大学助教授、教授を務め、1981年定年退任。日本社会事業大学名誉教授、東洋大学教授。「福祉と宗教と平和」をテーマとして社会福祉と近代仏教を専攻とした。2003年に第37回仏教伝道功労賞を受賞。
永井 義憲(ながい よしのり、1914年(大正3年)10月2… 永井 義憲(ながい よしのり、1914年(大正3年)10月23日 - 2001年(平成19年)8月5日)は、国文学者、大妻女子大学名誉教授。真言宗豊山派日輪寺住職。 千葉県生まれ。父は千葉義胤、母は永井とら。1937年大正大学文学部国文学科卒。1945年10月大正大学講師、1950年助教授、55年教授。1962年「日本仏教文学研究」により大正大学文学博士。1967年大妻女子大学教授。87年退任、名誉教授。同年勲三等瑞宝章受勲。 1979年、早稲田大学の講義における「私の村の隣には『きちがい部落』があるが、こうした部落では近親結婚が多く、だいたい一割の割合できちがいが出ている。私は結婚相談をされた時には『きちがい部落』の出身者が相手なら注意することにしている」との発言が部落解放同盟に問題視され、騒動に発展した。
壬生 台舜(みぶ たいしゅん、1913年9月24日 - 20… 壬生 台舜(みぶ たいしゅん、1913年9月24日 - 2002年6月13日)は、日本の仏教学者、浅草寺第26世貫首。大正大学教授等を務めた。専門は天台教学、仏教学。 1913年生まれ。大正大学仏教学部で学び、卒業。 1962年、学位論文『チベット仏教の基礎的研究』を大正大学に提出して文学博士号を取得。2002年に遷化。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
竹中 信常(たけなか しんじょう、1913年(大正2年)8月… 竹中 信常(たけなか しんじょう、1913年(大正2年)8月12日 - 1992年(平成4年)6月11日)は、宗教学者。大正大学教授。専門は宗教心理学、宗教儀礼の研究。 東京生まれ。1936年 大正大学宗教学科を卒業後、1960年『比較宗教学より見たる儀礼の理論と様態』により文学博士(大正大学)。東京大学、淑徳大学、佛教大学講師を経て大正大学教授となる。大正大学宗教学研究室主任、日本宗教学会常務理事、浄土宗総合研究所長等を歴任。
長澤 實導(ながさわ じつどう、1910年(明治43年)2月… 長澤 實導(ながさわ じつどう、1910年(明治43年)2月16日 - 1968年(昭和43年)12月20日)は、日本の仏教学者。大正大学教授。真言宗智山派満福寺第29世。権大僧正。 1910年、愛知県名古屋市中区の商家・藤田家に生まれる。幼名、清比古。1923年(大正12年)、故あって同市同区の福生院(袋町お聖天)松平實亮の室に入る。1924年(大正13年)、師に随い受戒得度、僧名實導となる。1925年(大正14年)、旧制愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)に入学。仏門の徒弟の身ながら、師の許しのもと高校野球に専念、甲子園を目指すも愛知県予選の決勝で敗れる。 1928年(昭和3年)、熱田中学を卒業し宗立大学智山専門学校本科(現・大正大学)に進学。
郡司 信夫(ぐんじ のぶお、1908年10月1日 - 199… 郡司 信夫(ぐんじ のぶお、1908年10月1日 - 1999年2月11日)は、栃木県出身のボクシング評論家。 大田原中学校から大正大学を経て、1930年に誠文堂新光社に入社。スポーツ誌編集に携わる。 1934年に独立してガゼット出版社を設立、「ボクシング・ガゼット」誌を創刊した。時同じくして「拳道会ボクシング練習場」を設立。拳道会は解散するが、戦後に「日本拳闘株式会社」を設立。一方、ガゼット誌の編集はベースボール・マガジン社に吸収されるまで約30年担当。 1952年からは30年に渡りTBSのボクシング解説者を務め、日本テレビの平沢雪村、フジテレビの石川輝らとともにボクシング解説者の草分けと呼ばれた。
関口 真大(關口 眞大、せきぐち しんだい、1907年3月1… 関口 真大(關口 眞大、せきぐち しんだい、1907年3月15日 - 1986年10月2日)は、天台宗の僧、仏教学者。 1907年、栃木県生まれ。1931年、大正大学文学部を卒業。日光山華厳院住職となる。また、母校である大正大学で教授を務め、1960年「天台止観の成立と達摩禅」を大正大学に提出して文学博士号を取得。1978年に定年退職すると同時に名誉教授となった。以降も、国際仏教研究所理事、全日本仏教会評議員を務めた。
櫛田 良洪(くしだ りょうこう、1905年11月28日 – … 櫛田 良洪(くしだ りょうこう、1905年11月28日 – 1980年11月4日 )は、日本の僧侶、日本仏教史研究者。 愛知県出身。大正13年旧制豊山中学校卒業、1929年大正大学文学部史学科卒業。1934年大正大学講師、1944年同助教授、1947年同教授。1966年には大正大学学長となり、1974年に名誉教授。日本仏教史、特に浄土真宗史の研究を専門とし、1960年に「東密の史的展開に関する研究」により大正大学から文学博士の学位を授与された。松戸市教育委員長なども務めた。1977年に勲三等瑞宝章を受章。
朴 允進(パク・ユンジン、日本名:福田允進(ふくだ いんじん… 朴 允進(パク・ユンジン、日本名:福田允進(ふくだ いんじん)、1905年5月2日 - ?)は、大韓民国の仏教僧侶。号は大愚(デウ、대우)、法名は領海(ヨンへ、영해)。 もともとは京畿道高陽郡の興国寺に在籍する僧侶であった。京城第一高等普通学校(後の京畿高等学校)を1927年に卒業し、仏教専修学校(後の東国大学校)に入学した。この学校在学中に、青年僧侶たちが韓龍雲を党首に推して組織した卍党に加入した。 仏教専修学校は朴允進の在学中に中央仏教専門学校へと昇格し、朴允進はこの専門学校の第1回卒業生として日本に留学した。東京の大正大学宗教学科で修学した。日本留学の期間中、東京の留学生たちが作る雑誌『금강저(金剛杵)』の編集と発行に参加し、文章も発表していた記録がある。
崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月2… 崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月26日 - 1979年7月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、仏教の僧侶、教育者、政治家、茶人。制憲韓国国会議員。 俗名は英煥。堂号は錦峯、法号は暁堂(ヒョダン、효당/曉堂)。 慶尚南道昆陽郡両浦面(後の泗川郡西浦面)出身。昆陽普通学校卒業後、1916年に地元の多率寺(朝鮮語版)で出家した。1917年に海印寺の地方学林に入学した。三・一運動の時は独立宣言文を配布したため、日本の警察に逮捕された。1922年に渡日し大正大学予科を経て、1933年に同大仏教学科卒。特に1923年以降は朴烈、朴興坤、陸洪均、韓龍雲、金法麟らと「不逞鮮人社」「黒友会」「卍党」などの運動に参加して、いわゆる「朴烈事件」の大逆事件で上海への爆弾運搬役として検挙され、8か月間投獄された。
服部 清道(はっとり せいどう、1904年3月4日 - 19… 服部 清道(はっとり せいどう、1904年3月4日 - 1997年7月19日)は、日本の郷土史家、教員。本名は服部 清五郎(はっとり せいごろう)。 茨城県生まれ。清五郎と名付けられる。1929年に大正大学予科を卒業し、さらに同大学文学部史学科に進学し、1932年に卒業。1936年に比叡山専修院に入学し仏教学を学び、1941年3月に卒業。藤嶺学園で教員を務めたのち、横浜商科大学教授となり、藤沢市文化財保護委員会委員長、湘南考古同好会会長なども務めた。鳥居龍蔵が主宰する武蔵野会に入会し、鳥居から仏教考古学を勧められ、また同会で三輪善之助の指導を得て、板碑を研究とするようになる。1953年、「戒壇の研究」により法政大学から文学博士の学位を授与される。
一瀬 直行(いちのせ なおゆき、1904年2月27日-197… 一瀬 直行(いちのせ なおゆき、1904年2月27日-1978年11月14日)は、日本の詩人、小説家。 東京府東京市浅草区浅草吉野町一丁目(現在の東京都台東区今戸一丁目)生まれ。大正大学中退。在学中より詩作を発表。1938年「隣家の人々」で第7回芥川賞候補。
藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1… 藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1998年4月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。種智院大学教授。真言宗智山派管長。智積院65世能化。専門は密教学。真言宗清和院住職。義父に、智積院55世能化の高井観海。
許 永鎬(ホ・ヨンホ、朝鮮語: 허영호、1900年12月21… 許 永鎬(ホ・ヨンホ、朝鮮語: 허영호、1900年12月21日 - 1952年1月30日?)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、社会運動家、仏教の僧侶・宗教家、大韓民国の教育者、政治家。制憲国会議員。 別名に許 允(ホ・ユン、허윤)などがある。号は玄州(ヒョンジュ、현주)。法名は鏡湖(キョンホ、경호)。日本名は徳光 允、徳光 翼。 慶尚南道釜山府(現・釜山広域市)出身。東萊高等普通学校(現・東萊高等学校)、東洋大学、大正大学仏教学科卒。 梵魚寺が運営する中等学校の3年在学中に三・一運動に関連する東莱市場の独立万歳デモを主導したため、逮捕され1年間投獄された。出獄後は日本留学を経て、朝鮮に帰り講演活動を行った。
芙蓉 良順(ふよう りょうじゅん、1900年2月4日 - 1… 芙蓉 良順(ふよう りょうじゅん、1900年2月4日 - 1983年8月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。大正大学教授、学長。真言宗智山派管長。智積院62世能化。専門は密教学。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
落合 寛茂(おちあい かんも、1897年(明治30年)11月… 落合 寛茂(おちあい かんも、1897年(明治30年)11月5日 - 1972年(昭和47年)4月15日)は、明治末から昭和期の僧、政治家。衆議院議員(1期)、天台宗大僧正。 長野県小県郡傍陽村(真田町を経て現上田市真田町傍陽)出身。12歳で得度受戒。天台宗中学(現駒込中学校・高等学校)を経て、1919年(大正8年)天台宗大学(現大正大学)専門部を卒業した。その後、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科で学んだ。 実相院(上田市)住職に就任。天台宗宗務庁教学部で勤務し、信濃毎日新聞社客員として漫画、漫文などを掲載した。1935年(昭和10年)茨城県結城郡大花羽村大輪(水海道市を経て現常総市大輪町)の安楽寺特命住職に転任。
硲慈弘(はざま じこう、1896年6月16日-1946年4月… 硲慈弘(はざま じこう、1896年6月16日-1946年4月16日)は、天台宗の僧、仏教学者。 和歌山県生まれ。天台宗大学(のち大正大学)卒。東京帝国大学へ内地留学、島地大等に師事、その『天台教学史』の編纂助手を務める。1927年大正大学講師、助教授、教授。初代天台宗教学研究所長。
古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933… 古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」は通称である。 1895年6月18日、福岡県久留米市の善福寺の住職(古賀正順)の長男として生まれた。善福寺は江戸時代初期からの歴史を持つ浄土宗の寺である。古賀春江は、父・正順が53歳、母・イシが43歳の時の子供でただ一人の男子だった(古賀春江が生まれる前に3人の女の子をもうけたが、2人は早世した)。松田実(後述)によると、そのために両親や姉の溺愛を受けて育ったという。
那須 政隆(なす せいりゅう、1894年(明治27年)8月1… 那須 政隆(なす せいりゅう、1894年(明治27年)8月15日 - 1987年(昭和62年)5月31日)は、日本の仏教学者。専門は密教。大正大学学長、同大名誉教授、智積院化主(真言宗智山派管長)及び真言宗長者。愛知県龍照院住職。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
田嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、1892年〈明治25年〉1… 田嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、1892年〈明治25年〉1月9日 - 1957年〈昭和32年〉7月24日)は、日本の仏教学者。大正大学教授。真言宗豊山派大僧正。 チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった。 大正末期、日本におけるチベット語の先駆者河口慧海に師事しチベット語を修得。昭和初期にフランスに渡りソルボンヌ大学に留学。チベット訳の『大日経』や曼荼羅の研究に学績を残した。また大戦後、花山信勝の後を受けて巣鴨拘置所の教誨師となり、刑場に臨む戦犯に寄り添い処刑に立ち会うとともにBC級戦犯の助命減刑嘆願にも奔走した。その「代受苦」(地蔵菩薩の身代りの徳)の活動が多くの戦犯から感謝され、「巣鴨の父」と慕われた。
石田 幹之助(いしだ みきのすけ、1891年12月28日 -… 石田 幹之助(いしだ みきのすけ、1891年12月28日 - 1974年5月25日)は、日本の歴史学者、東洋学者。國學院大學や大正大学、日本大学などで教授をつとめた。芥川龍之介とは、一高同級生の友人だった。
不染 鉄(ふせん てつ、1891年6月16日 - 1976年… 不染 鉄(ふせん てつ、1891年6月16日 - 1976年2月28日)は、大正から昭和にかけて活動した日本画家。 1891年(明治24年)6月16日、東京・小石川の光円寺住職であった不染信翁の子として生まれる。本名は哲治。のち哲爾に改める。別号に鉄二。「不染」の名字は、平民苗字必称義務令にあたり父・信翁自らが名乗ったものだという。当時一般には僧侶の妻帯を認められておらず、母との関係はふせられたまま不染は光円寺で育てられた。 こうした複雑な境遇から、不良少年とみなされていたという。小学4年の春に千葉県富浦の西方寺で修行させられた後、芝中学校、攻玉社中学校、大正大学などで学ぶ。画を志し、山田敬中に師事。
清水谷 恭順(しみずだに きょうじゅん、1891年〈明治24… 清水谷 恭順(しみずだに きょうじゅん、1891年〈明治24年〉3月14日 - 1979年〈昭和54年〉8月8日)は、天台宗の僧、仏教学者、浅草寺貫首。 1891年(明治24年)、群馬県新田郡笠懸村西鹿田(現・みどり市笠懸町西鹿田)の長昌寺住職・林恵順の子として生まれる。幼名・光司。笠懸尋常小学校を経て、県立太田中学校へ進学。1906年(明治39年)清水谷慶順につき得度し、清水谷姓となる。 1915年(大正4年)天台宗大学を卒業。1919年(大正8年)天台宗大学教授となり、1926年(大正15年)の大正大学創設に伴い教授に就任し、1945年(昭和20年)に退任。この間、宮内省職員養成所講師や、比叡山中学校校長も務める。
塩入 亮忠(しおいり りょうちゅう、1889年6月23日 -… 塩入 亮忠(しおいり りょうちゅう、1889年6月23日 - 1971年12月23日)は、天台宗の僧侶、仏教学者。第13代大正大学学長。雅号・一乗子、別名・汲海。 1889年、長野県小県郡神川村(現上田市)に生まれる。1901年、東京浅草寺で得度。天台宗大学(現・大正大学)で学び、1915年に卒業。大谷大学研究科で華厳、唯識、天台宗学を学びつつ、奈良の華厳宗本山東大寺勧学院でも修めた。 1918年より天台宗大中学講師、1927年より大正大学講師となる。研究雑誌「伝教大師研究」を創刊。第2代駒込中学校長・理事長を務めた。1931年より大正大学教授。1951年、同大学学長に就任。1959年に定年退職し名誉教授。
近藤 茂吉(こんどう しげきち、1883年〈明治16年〉1月… 近藤 茂吉(こんどう しげきち、1883年〈明治16年〉1月7日 - 1969年〈昭和44年〉2月22日)は、日本の登山家・貿易商。 登山家としては、剱岳別山尾根の初下降、辻村伊助とともに行ったヨーロッパ遠征、黒部峡谷初横断などで名を残し、日本山岳会名誉会員に選ばれた。また、大日本体育協会設立に参画し、バスケットボールの普及にも貢献している。 1883年(明治16年)、千葉県海上郡飯岡町(現在の旭市)に生まれる。実家は醸造家。 東京・音羽の豊山中学校(のちに大正大学となる学校)を卒業後、1904年(明治37年)から1906年(明治39年)にかけてウイスキー研究のためにイギリス・スコットランドのグラスゴー大学に留学。
小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10… 小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10月1日 - 1961年〈昭和36年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。名古屋市長を3期務めた。 滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)にて漢方薬商、山本藤右衛門の三男として生まれた。幼名は音次郎。1884年(明治17年)、滋賀県野洲市北桜の浄土宗多門寺の小林麗海の養子となり海音と改名した。その後、浄土宗高等学院(現大正大学)入学するが中退。小学校教員、京都府内の極楽寺住職を経て、ジャーナリストとしての才覚を発揮し1905年(明治38年)には「近江新報」主筆となり、県政批判の筆を揮った。1911年(明治44年)名古屋新聞に転じ1914年(大正3年)より「名古屋新聞」主筆を経て、1942年(昭和17年)政府の指導で「新愛知新聞」と合併した「中部日本新聞(現中日新聞)」の取締役となった。
大村 桂巌(おおむら けいがん、1880年(明治13年)2月… 大村 桂巌(おおむら けいがん、1880年(明治13年)2月10日 - 1954年(昭和29年)10月2日)は日本の教育者、浄土宗の僧侶。大日本帝国の陸軍士官学校の教授、芝中学校・高等学校の第5代校長、大正大学の第11代学長などを務めた。 1880年(明治13年)2月10日、滋賀県愛知郡葉枝見村三ツ谷(現在の滋賀県彦根市)常光寺住職の父・哲誉上人、母・琴鶴の長男として生まれる。幼名は里磨。里磨は得度となし、桂巌と改名し、浄士宗の中学及び大学を卒業したのち、内地留学生に特選され東京都へ移り明治43年に東京帝国大学哲学科教育学を卒業。その後、陸軍士官学校の教授、芝中学校・高等学校の第5代校長、大正大学の第11代学長などを務めた。
田中 一元(たなか かずもと、1878年(明治11年)2月2… 田中 一元(たなか かずもと、1878年(明治11年)2月2日 - 1942年(昭和17年)2月12日)は、日本の教育者。 福岡県遠賀郡折尾町(現在の北九州市八幡西区)出身。池田作右衛門の二男として生まれ、田中寥誉の養子となった。1899年(明治32年)、浄土宗高等学院(現在の大正大学)を卒業。1906年(明治39年)、東京帝国大学文科大学史学科を卒業し、さらに研究科を修了した。芝中学校教頭、奈良県立郡山高等学校教頭、奈良女子高等師範学校教授・庶務主幹、島根県立松江中学校校長などを歴任した。1927年(昭和2年)、東京府女子師範学校校長・東京府立第二高等女学校校長となり、1938年(昭和13年)に退官した。
加藤 精神(かとう せいしん、明治5年9月29日〈1872年… 加藤 精神(かとう せいしん、明治5年9月29日〈1872年10月31日〉 - 昭和31年〈1956年〉10月18日)は、真言宗豊山派の学僧、仏教学者、文学博士、大正大学名誉教授。 愛媛県伊予郡北伊予村生まれ。1882年10月、石手寺に入り、翌年得度した。1887年精神と改名し、上京する。1891年、哲学館(現在の東洋大学)を卒業した後、さらに1893年に新義派大学林(後に大正大学に吸収合併)を卒業。奈良の長谷寺にて研鑽を積み、1897年権大僧都に任命される。1908年から豊山大学教授を務め、1918年より豊山大学第2代、1923年より第3代学長。大正大学創立とともに同大教授となり、1927年4月、東洋大学教授となる(仏教科主任)。
望月 信亨(もちづき しんこう、1869年10月28日〈明治… 望月 信亨(もちづき しんこう、1869年10月28日〈明治2年9月24日〉 - 1948年〈昭和23年〉7月13日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶。浄土宗総本山知恩院第82世門跡。 1869年、福井県今立郡国高村(現:越前市)で生まれた。本名は松原勝次郎。小学校を卒業した12歳の時に坂井郡新保村の円海寺に入り、加納法宣師のもとで得度。名を信亨と改め、浄土宗の僧籍に加わった。 18歳の時、京都に出て浄土宗西部大学林に入学。20歳の時、大正大学の前身たる浄土宗学本校に入り、仏教学を学んだ。25歳の時に望月有成(兵庫県藤之寺住職)の養子となった。1896年、27歳の時に浄土宗学本校全科を卒業した。 その後は浄土宗高等学院教授となった。
荻原 雲来(おぎわら うんらい、明治2年2月10日(1869… 荻原 雲来(おぎわら うんらい、明治2年2月10日(1869年3月22日) - 昭和12年(1937年)12月20日)は、和歌山県生まれの浄土宗の僧侶、仏教学者・サンスクリット学者。日本のサンスクリット語研究、サンスクリット文献に基づいた仏教研究の先駆者であり、大成者である。 1869年(明治2年)、和歌山県に生まれ、当時浄土宗の重鎮であった荻原雲台の養子となる。1896年(明治29年)、浄土宗学本校(のち真言宗豊山・智山派、天台宗と合同し宗教大学を経て現・大正大学)を優秀な成績で卒業。1898年(明治31年)よりドイツのカイザー・ヴィルヘルム二世大学に留学、サンスクリット語研究の泰斗エルンスト・ロイマンに師事する。
大岡 博華 は、日本の卓球選手。中国からの帰化選手であり、中… 大岡 博華 は、日本の卓球選手。中国からの帰化選手であり、中国名は孫博。北京市出身。仙台育英高校-大正大学卒業。アスモ所属。
飯村 吏毅哉(いいむら りきや)は、松濤館流空手の指導者。J… 飯村 吏毅哉(いいむら りきや)は、松濤館流空手の指導者。JKAの組手の選手権覇者で[いつ?]日本空手協会の元指導員。 茨城県生まれ。 大正大学卒業。 次の空手大会で勝利を重ねる。
塩野 潤二(しおの じゅんじ、6月2日 - )は、日本の男性… 塩野 潤二(しおの じゅんじ、6月2日 - )は、日本の男性ナレーター、ラジオパーソナリティ、司会者、キャスター、リポーター、声優。 埼玉県朝霞市出身。浦和学院高等学校卒業、大正大学人間学部社会学科卒業。2007年4月にシグマ・セブンに所属。愛称は、しおっち。 ナレーターとしてはテレビ番組を、スタジアムDJとしてはワールドカップバレーボール(フジテレビ)、東京ヴェルディ1969、プロレスリングアナウンサーとしてはユニバーサル・プロレスリングを、ラジオパーソナリティ、INOKI BOM-BA-YE 2012、お台場冒険王 女子フットサルリーグ(BSフジ)、新日本プロレス、プロレスリング・ノア、ZERO1-MAX、全日本プロレス、無我ワールド・プロレスリング、IWAジャパンプロレス、大阪プロレス、全日本女子プロレス、NWA-TNA、ROH、Jd'、JWP、LLPW(FIGHTING TV サムライ)の実況、リポーター、司会も手掛ける。
岩崎 香(いわさき かおり) は、日本の社会福祉学者、社会福… 岩崎 香(いわさき かおり) は、日本の社会福祉学者、社会福祉士、精神保健福祉士。早稲田大学人間科学部教授。 和歌山県生まれ。都留文科大学文学部卒業。佛教大学社会学部卒業。大正大学大学院人間学研究科福祉・臨床心理専攻博士課程満期退学。社会福祉士、精神保健福祉士。2009年大正大学博士(人間学)。順天堂大学スポーツ健康科学部准教授、早稲田大学人間科学部准教授を経て、早稲田大学人間科学部教授、日本精神障害者リハビリテーション学会理事、日本精神保健福祉学会理事。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小堀 光實(こぼり こうじつ)は、日本の天台宗の僧侶。三千院… 小堀 光實(こぼり こうじつ)は、日本の天台宗の僧侶。三千院門主。前比叡山延暦寺大霊園園長。 1953年(昭和28年)10月、小堀光詮の長男として大津市に生まれる。大正大学仏教学部を卒業した。 1963年(昭和38年)、出家得度した。 1979年(昭和54年)、寂光院の住職に任じられた。 2013年(平成25年)6月22日に父・光詮が遷化すると長男として喪主を務めた。 2014年(平成26年)、延暦寺執行となり、2020年(令和2年)まで務めた。 2021年(令和3年)11月1日、三千院の門主となり、父と親子二代で門主を務めることになった。