神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1… 神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1日 - )は、日本の登山家、冒険家。登山界のリーダー、山岳団体の要職を務めた人物である。 東京都出身。日本大学山岳部出身。 神崎は、エベレストに4回挑戦したが頂上には到達できず、自身を「悲劇の登山家」と呼んでいた。1970年のエベレスト登山では滑落事故を経験し、1980年のチョモランマ登山では急性心筋梗塞を発症した。 NHK文化センター、読売日本テレビ文化センター、昭和女子大オープンカレッジ各登山教室講師 太郎と花子山の会会長 ジャックアンドベティ山の会会長 数多くの世界の登山、トラッキングを会員を連れて挑戦 韓国(北漢山、智異山、月出山、道峰山、漢拏山、雪岳山)、中国(雪宝頂)、台湾(玉山、雪山、南湖大山、中央尖山)、香港(海の見える山)、ロシア(アパチャ山)、トルコ(カッパドキア)、カンボジア、イタリア(ドロミテ)、グルジア(コーカサス)、スペイン(ピレネー山脈)、カザフスタン(天山)、アメリカ(グランドキャニオン、ヨセミテ国立公園)、イギリス(ウェールズ)、南極など 2019年時点で79歳であったが、月に10〜15日は古い友人たちと山歩きを楽しんでいた。
岡崎 宏司(おかざき こうじ、1940年4月20日 - )は… 岡崎 宏司(おかざき こうじ、1940年4月20日 - )は、日本の自動車評論家。本名は同じ字だが「ひろし」と読む。内閣府第7次中央交通安全対策会議専門委員。国土交通省安全基準検討会委員。2000年から2001年に開催された三菱自動車品質諮問委員会のメンバー。東京生まれ、1964年日本大学芸術学部放送学科卒業。日本自動車ジャーナリスト協会会員。「クルマの動質」「ブランディング」についての研究評価を専門とする。 息子に自動車ジャーナリストの岡崎五朗がいる。 現在の主な出稿先は、『Web LEON』、『CAR and DRIVER』、 他に、『モーターファン』、『毎日新聞(夕刊)』、『報知新聞』、『週刊プレイボーイ』、『月刊プレイボーイ』、『メンズエクストラ』、『LEON』、『サンデー毎日』(2011年をもち、722回の連載終了)、『MADURO』、『メンズクラブ』、『SAPIO』、『NAVI』、『THE EV TIMES』などに連載。
原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2… 原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2025年7月11日)は、日本の医師。医学博士(東京大学、1975年)。医療法人杏仁会大圃病院(きょうじんかい おおはたびょういん)会長。第18代日本医師会会長。 1940年、茨城県生まれ。福島県浪江町出身。『日本医師会 平成三十年の歩み』にある経歴中で茨城県生まれと記載されているが、『浪江町くらしのガイドブック』には郷土出身者の一人として掲載されている。 1966年に日本大学医学部卒業。1967年に東京大学医学部に入局。1980年に東京大学医科学研究所内科医局長、1990年に東京大学助教授に就任。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げる。
宮口 二郎(みやぐち じろう、1940年3月30日 - 19… 宮口 二郎(みやぐち じろう、1940年3月30日 - 1995年9月18日)は、日本の俳優。本名は秋山 忠史()。旧芸名は宮口 二朗(読み同じ)。 東京都出身。日本大学藝術学部中退。劇団ひまわり、エヌ・エー・シー、東京企画、アマチ企画を経て、中里事務所に所属していた。 中学・高校と劇団ひまわりに所属。大学入学後、住み込みの付き人として天知茂に師事。天知のもとで演技を学び、1964年のテレビドラマ『廃虚の唇』で、天知を狙う殺し屋役でデビュー後、悪役俳優として、テレビ・映画・舞台で活躍した。 テレビでは刑事ドラマから特撮番組まで、様々な作品に出演しており、演じたキャラクターでは『仮面ライダー』(1971年、東映 / 毎日放送)のゾル大佐、『非情のライセンス』(1973年 - 1976年、東映 / NET)の坂井刑事で知られる。
西沢 信孝(西澤、にしざわ のぶたか、1940年3月8日 -… 西沢 信孝(西澤、にしざわ のぶたか、1940年3月8日 - 2015年3月4日)は、日本のアニメーション監督、アニメプロデューサー。 代表作にテレビアニメ『銀河鉄道999』、『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』、『SLAM DUNK』など。 熊本県出身。日本大学芸術学部映画学科在学中は、東京放送(TBS)でラジオの仕事のアルバイトをし、卒業後は新聞社に入社、2430!名義で競馬の予想記者をする、もすぐに退社。1964年、東映動画(現東映アニメーション)の助監督の募集に応募して入社。同期は、白川大作に師事し、翌1965年『ハッスルパンチ』の4話で演出デビュー。1974年に『マジンガーZ対暗黒大将軍』で初の劇場作品の監督を手がける。
小嶋 勝衛(こじま かつえ、1940年3月2日 - )は、日… 小嶋 勝衛(こじま かつえ、1940年3月2日 - )は、日本の建築系都市計画学者。工学者。一級建築士。工学博士。第11代日本大学総長・日本大学理事長。専門は都市計画、建築計画。 昭和15年(1940年)に東京府で生まれる。東京都立大学附属高等学校に入学して、芸術家に憧れて美術研究部に入部した。昭和38年(1963年)に日本大学理工学部建築学科を卒業。昭和40年(1965年)には同(日大)大学院理工学研究科修士課程建設工学専攻を修了する。その後、日本大学理工学部助手となり、専任講師、助教授と昇格し、昭和58年(1983年)に教授に就任した。平成9年(1997年)から理工学部長および理工学研究科長を務める。
森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月2… 森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月25日 - )は、日本の作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。 北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが1年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。68年には森山良子に「愛する人に歌わせないで」を提供した。1969年、森田公一とトップギャランを結成。71年にデビュー曲「恋のグアム島」を発売。 1971年 日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』の審査員を務めた。
三箇 文夫(さんか ふみお、1940年2月25日 -)は、日… 三箇 文夫(さんか ふみお、1940年2月25日 -)は、日本の哲学者、倫理学者。学位は文学修士(日本大学大学院・1971年)。 1940年、北海道天塩町生まれ。1971年、日本大学大学院文学研究科哲学専攻博士前期課程修了。1988年、スペインのポンティフィシア・コミージャス大学(Univ.Pontefica Comillas)に留学。1990年、日本大学法学部教授に就任。1998年、日本大学法学部海外留学により、トルコのイスタンブール大学でアチックコーク先生、マルマラ大学でファフレッティン・オルグネル教授の下でファーラービーの研究を行う。 2010年、日本大学を定年退職。2011年より、同大学法学部、商学部、薬学部、通信教育部の非常勤講師を務める。
早野 凡平(はやの ぼんぺい、1940年〈昭和15年〉2月2… 早野 凡平(はやの ぼんぺい、1940年〈昭和15年〉2月21日 - 1990年〈平成2年〉5月3日)は、日本の大道芸人、ボードビリアン、タレント。日本大学芸術学部演劇科中退。本名は松本 光弘(まつもと みつひろ)。 大道芸人のパン猪狩の弟子。新宿松竹文化演芸場の研究生として出入りしているうちにこの世界に入った。その後キャバレー廻りなどを経験して、主にテレビの演芸番組や舞台で活躍した。 「ホンジャマーの帽子(ホンジャマカ帽、マジックハットの異名もある)」と呼ばれる、帽子を用いたヨーロッパ起源の古典芸(Chapeaugraphy)が有名。この帽子は帽体とツバの部分が分離するようになっており、早野は慣れた手つきで黒い帽子を様々な形に変形させて、有名人や動物の真似をして人気を博した。
小澤 渉(おざわ わたる、1940年2月19日 - 2023… 小澤 渉(おざわ わたる、1940年2月19日 - 2023年9月22日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務めた。 東京都出身。1962年に日本大学商学部を卒業し、同年に共栄火災海上保険に入社した。1992年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、1999年6月には社長に就任。2005年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2023年9月22日、死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竜 雷太(りゅう らいた、本名:長谷川 龍男、1940年1月… 竜 雷太(りゅう らいた、本名:長谷川 龍男、1940年1月21日 - )は、日本の俳優である。大阪府箕面市出身、京都府舞鶴市育ち。三船プロ、田中プロモーション、アクターズプロモーションを経て、アートプロモーション所属。元妻は女優の吉成洋子、夏圭子(現:桂子)。息子は韓国でギタリストとして活躍する長谷川陽平。
金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日 - )は… 金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日 - )は、石川県出身の飛込競技選手・指導者。1960年ローマ・1964年東京の2度のオリンピックに日本代表選手として出場した。 石川県出身。石川県立金沢桜丘高等学校を卒業し、日本大学に進む。 日本大学在学中の1960年、ローマオリンピックに出場し、飛板飛込みで23位、高飛込みで10位となった。大学卒業後、1964年の東京オリンピックでは飛板飛込み24位、高飛込み11位。 同じくローマ・東京五輪に出場した飛び込み選手・渡辺久美子と結婚。息子の金戸恵太も飛び込み選手として活躍した。 引退後は指導者に転身し、1992年のバルセロナオリンピックでは日本選手団コーチを務めた。
坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4… 坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の法学者。専門は商法。日本大学名誉教授。日本大学法科大学院教授、日本大学常任幹事などを歴任。弁護士(東京弁護士会)。前中央選挙管理会委員長(2004年3月 - 2010年3月)。 資産評価政策学会理事。
木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 201… 木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 2011年11月28日)は、日本の教育者。学校法人青森山田学園の理事長や青森山田高等学校の校長を務めていた。スポーツに力を入れ、卓球や野球、サッカーなどで青森山田高等学校の名前を全国に知らしめた。日本卓球協会副会長を務めており、10段を授与されている。 青森県出身。青森県立青森高等学校、日本大学法学部を卒業、1962年に当時母親が校長だった青森山田高等学校の教諭に赴任し、1995年に同校の校長となった。校長就任後はスポーツに力を入れて、野球の渋谷良弥や卓球の吉田安夫など優れた指導者を招くとともに、優秀な生徒を集め、バドミントンや卓球、サッカー、野球などで実績をあげた。
戸塚 進也(とつか しんや、1940年(昭和15年)1月2日… 戸塚 進也(とつか しんや、1940年(昭和15年)1月2日 - )は、日本の政治家。財団法人日韓文化交流基金理事。社団法人静岡県茶業会議所理事。 衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)、掛川市長(初代)、静岡県議会議員(1期)、(旧)掛川市議会議員(1期)を歴任。 静岡県静岡市両替町に生まれる。徳島県をはじめとする各県の知事、衆議院議員を務めた戸塚九一郎は叔父。 玉川学園の小学部から高等部まで籍を置き続け、高等部を卒業して1年後の1959年4月に通商産業省職員となって軽工業局に勤務。通産省を2年で退官して株式会社平喜百貨店(現・株式会社平喜)に転職し、会社員をしながら1963年3月に日本大学法学部第二部法律学科を卒業。
沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日… 沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - )は、日本の写真家。東京府出身。女性ポートレートの分野を中心に幅広く活動。『少女アリス』等の写真集を出版。 中学の修学旅行の際に中古のリコーフレックスを入手し、写真を撮り始める。日大二高では写真部に所属。高校3年時に『サンケイカメラ』誌月例コンテストの中高の部でいきなり3作品を入賞させ、その後も月例コンテストの常連となる。 日芸の写真学科に進学後、月例コンテストの選者だった佐藤明のアドバイスで月例コンテストからは撤退。この頃、映画『死刑台のエレベーター』を見てジャズやヌーヴェルヴァーグに傾倒。詩人の白石かずことともに横田基地に通い、黒人女性や子供たちの撮影に取り組む。
田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 20… 田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 2021年1月28日)は、日本の音響監督。愛知県名古屋市中区出身。 名古屋市立前津中学校、名古屋市立菊里高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。 東映の時代劇を好み助監督を志すが、試験日に寝過ごしてしまい、1年留年して翌年の試験に備えたものの、翌年には募集そのものがなくなってしまった為、産業訓練用スライドの制作会社ピーアールシープロダクション(現:PRC)に入社。2年後、太平洋テレビジョンに勤めていた友人と入れ替わる形で同社に移り、演出部のアシスタントとして吹き替え仕事に関わり始め、1967年に放送された『キャット 闇に挑む男』で演出デビュー。
齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年… 齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年8月)は日本とアメリカで活躍した日本人カーデザイナー、工業デザイナー。スポーツ・クーペのフォード・プローブのデザインにチーフ・デザイナーとして携わるなど、海外で活躍する日本人デザイナーの草分け的存在として知られる。曾祖父は、幕末の土佐藩家老で、明治政府で刑部大輔、参議、元老院議官を務めた斎藤利行、娘婿は、国際政治学者で日本大学准教授の井手康仁である。墓所は青山霊園にある。 1940年、東京府東京市(現東京都)牛込区生まれ。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1962年、慶應義塾大学工学部(現理工学部)機械工学科卒業。 1965年、渡米してカリフォルニア州のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学。
名鏡 勝朗(めいきょう かつお、1940年 - )は、日本の… 名鏡 勝朗(めいきょう かつお、1940年 - )は、日本の写真家。古書籍、美術品、工芸品の写真を専門とする。 1940年、東京・江東区生まれ。千葉県市川市大野町在住。1963年、日本大学芸術学部写真学科卒業後、国立文化財研究所からの依託により文化財の撮影を担当していた小沢健志教授に1年間師事・研鑽し、さらに美術品撮影を専門としていた写真家の山本正勝のアシスタントをつとめた後に独立。美術工芸品や文化財の撮影を専門とする写真家として活動している。 その間、日本書誌学の第一人者である川瀬一馬や詩人・美術評論家の安東次男から薫陶をうけ、古書籍、美術、古美術の鑑賞や接し方について多くの教示を受け学んだ。
山崎 裕(やまざき ゆたか、1940年 - )は、日本の映画… 山崎 裕(やまざき ゆたか、1940年 - )は、日本の映画撮影監督。 日本大学芸術学部卒業後、1965年に記録映画『肉筆浮世絵の発見』でカメラマンとしてデビュー。多くのテレビドキュメンタリー、記録映画、CMなどに撮影監督として参加する傍ら、多数の劇場用映画の撮影をも担当。是枝裕和監督とのコンビが有名。2010年の映画『トルソ』で監督としてデビュー。2013年の『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』ではプロデューサーも。 2001年より「座・高円寺ドキュメンタリ−フェスティバル」のプログラムディレクターをつとめている。
中野好文(なかの よしふみ、1940年 - 2008年6月2… 中野好文(なかの よしふみ、1940年 - 2008年6月26日)は、日本の建築行政職、都市計画家で東京都足立区助役。一級建築士。建築主事。 1958年日本大学旧工学部建築学科卒業。足立区まちづくり課長、同都市計画課長、同建築部長、同都市環境部長を経て、現職。 著書に『市民生活と自治体責任』(共著、学陽書房)、『あなたのまちをデザインする61の方法』(共著、日本コンサルタントグループ)、『都市の計画と防災』(共著、地域科学研究会)など。
関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 20… 関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 2014年3月3日)は、日本の文芸評論家。主に坂口安吾と太宰治の研究者として知られる。 弘前学院大学客員教授、近畿大学教授(国際人文経済研究所副所長)、早稲田予備校現代文担当講師などを務めた。 東京府生まれ。本名、山田光男(やまだみつお)。日本大学芸術学部文芸学科卒業。近畿大学では柄谷行人の側近だったが、単著は一冊もない。 2006年3月に近畿大学の運営に不満をもち、柄谷行人とともに近畿大学教授の職を辞任。近畿大学には関井の他にも柄谷側近を自認する者はいたが、職を辞することまで柄谷と行動を伴にしたのは関井のみである。 2014年3月3日午後8時30分、虚血性心疾患のため東京都練馬区の自宅で死去。
若佐 博之(わかさ ひろゆき、1939年12月17日 - … 若佐 博之(わかさ ひろゆき、1939年12月17日 - )は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。 島根県出身。1963年に日本大学商学部を卒業し、同年に山陰合同銀行に入行した。1994年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1999年6月に専務を経て、、2001年6月に副頭取に就任し、2002年6月には頭取に昇格。2007年6月から2010年6月までに会長を務めた。 日本棋院松江支部理事・副支部長、社会福祉法人島根県共同募金会会長でもあり、2020年には、第49回大倉喜七郎賞を受賞した(有澤寛(日本棋院松江支部支部長、山陰中央テレビジョン放送株式会社会長)との同時受賞)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同… 東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同じ、1939年12月5日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元監督・元演出家。福島県喜多方市出身。 1966年、円谷プロ作品『ウルトラQ』にて助監督として関わり、キャリアをスタート。翌々年の1968年、同プロダクション制作作品である『戦え!マイティジャック』で監督デビュー。以降同プロダクションや東映制作の特撮テレビドラマを中心に活動を続けた。 特撮監督の佐川和夫とは大学の同期だったが、在学中は全く交流がなく、付き合いは円谷プロで仕事をするようになってからである。 大学卒業後にテアトルプロに入社。助監督として東宝や大映のテレビドラマに参加した。
佐川 和夫(さがわ かずお、1939年10月29日 - )は… 佐川 和夫(さがわ かずお、1939年10月29日 - )は、日本の特撮監督。 日本大学藝術学部在学中に円谷特技研究所に出入りし、特撮を研究するため円谷英二に師事し、東宝映画の撮影現場で修業する。卒業後東宝特殊技術課を経て、1963年に円谷特技プロダクションに設立と同時に入社。 『ウルトラQ』で特撮班の撮影助手として始動、『ウルトラマン』で高野宏一が特技担当になったためキャメラマンに昇格し、『ウルトラセブン』でも特撮の撮影技師を務めた後、『マイティジャック』の第4話「祖国よ永遠なれ!!」で特技監督デビュー。『帰ってきたウルトラマン』の第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」で初めてウルトラシリーズの特撮監督を務めた。
鶴岡 博(つるおか ひろし、1939年10月19日 - 20… 鶴岡 博(つるおか ひろし、1939年10月19日 - 2017年12月16日)は日本の実業家である。横浜スタジアム開設に尽力し、横浜のジャズ文化の発展にも貢献した。 1939年(昭和14年)10月19日、横浜市中区末吉町に生まれる。小学校低学年の頃、隣接する若葉町に終戦後にできた米軍飛行場の整備庫から流れてきた音楽が、ジャズに接するきっかけとなった。中学・高校では野毛のジャズ喫茶「ダウンビート」をよく訪れた。 1964年に日本大学を卒業。1965年に若葉運輸常務取締役、1976年には同社代表取締役社長に就任した。 1970年代後半、当時川崎球場を本拠地していたプロ野球球団「大洋ホエールズ」(のちの横浜DeNAベイスターズ)の横浜への移転の話が持ち上がると、商店街などを回りオーナーズシートの提供を条件に出資を集め、球場建設に向けた資本金20億円を2週間で調達した。
菅野 菜保之(かんの なおゆき、1939年9月23日 - )… 菅野 菜保之(かんの なおゆき、1939年9月23日 - )は日本の俳優。本名並びに旧芸名は菅野忠彦。東京都出身。身長170cm。ミズキ事務所所属。
石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東… 石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東京都出身の元競泳選手でのちに解説者、共同通信記者、現在は日本大学常務理事。1960年ローマオリンピック競泳男子800m自由形リレー銀メダリスト。日本大学卒業。 義兄弟に元フィギュアスケート選手の長瀬洋子と藤森美恵子(共に、旧姓 大岩)、甥に2024年パリオリンピック総合馬術の団体銅メダリストである大岩義明がいる。
坂本 太郎(さかもと たろう、1939年9月20日 - )は… 坂本 太郎(さかもと たろう、1939年9月20日 - )は、特撮テレビドラマ作品の元監督・演出家である。岡山県出身。日本大学藝術学部卒業。 1964年、東映テレビプロで『廃虚の唇』より助監督として関わり、キャリアをスタート。以後は『特別機動捜査隊』・『プレイガール』・『人造人間キカイダー』・『非情のライセンス』・『がんばれ!!ロボコン』・『特捜最前線』など多くの東映大泉テレビ作品に助監督を担当し、伊賀山正光・田中秀夫・奥中惇夫・野田幸男・天野利彦・小西通雄・吉川一義らアクション、刑事ものを数多く撮った監督達に師事した。坂本は東映に入社後、演出部に配属されたことが演出家になったきっかけと述べている。
南野 梅雄(みなみの うめを、1939年9月12日 - 20… 南野 梅雄(みなみの うめを、1939年9月12日 - 2022年3月10日)は、日本の映画監督。大映京都撮影所でながく勝新太郎の座頭市シリーズなどの制作に関わる。 1939年、大阪市浪速区生まれ。日本大学芸術学部卒業後、大映京都撮影所に助監督として入る。時代劇カメラマン石本秀雄の三女と結婚。長男は憲法学者・九州大学教授の南野森、長女は小説家の村木嵐。京都市在住。
林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月2… 林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月21日 - )は、日本の実業家、政治家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。1962年(昭和37年)日本大学経済学部卒業。会社勤務を経て、1966年(昭和41年)和泉工業(メッキ関係)取締役となり、同代表取締役、岡谷青年会議所副理事を務めた。 1975年(昭和50年)9月、岡谷市長選挙に出馬し36歳で当選、当時、全国最年少市長であった。1995年(平成7年)9月まで5期務めた。在任中は公共下水道や市営住宅の整備、防災体制の強化、市街地の再開発、医療施設の充実などに尽力した。 スポーツ界では、1975年、岡谷市体育協会長となり、1979年(昭和54年)長野県スケート連盟会長、1980年(昭和55年)日本スケート連盟理事を兼任し、のち副会長となった。
峯野 龍弘(みねの たつひろ、1939年8月10日 - )は… 峯野 龍弘(みねの たつひろ、1939年8月10日 - )は、日本のホーリネス系福音派の牧師。 日本福音同盟理事長を務めた。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国韓国トーチ・トリニティー神学大学)。前ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会主管牧師。前クリスチャントゥデイ代表取締役会長。2025年5月、同教会主幹牧師を退任。 横浜に生まれる。高校二年の頃聖書を初めて購入し、独学で聖書に対する興味と関心を深めた。日本大学法学部在学中の1960年、日本基督教団清水ヶ丘教会で受洗。同年から翌1961年にかけて八丈島伝道を単独で複数回敢行した後、1961年秋、伝道者としての召命を受けた。1965年、東京聖書学校卒業。
毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月2… 毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月28日 - 2010年(平成22年)5月2日)は、徳山毛利家第13代当主、実業家。 日本大学理工学部を卒業。 1992年4月に東京都目黒区で、映像・音楽編集スタジオを運営するモウリアートワークススタジオ株式会社(前身は1960年代に設立のモウリスタジオ)を設立する。 かつての根拠地の徳山藩に当たる、山口県周南市と東京を毎月往復し、「参勤交代」を江戸時代から約400年近く続けていた。また、周南市のゴルフ場「徳山カントリークラブ」の代表取締役も務めた。 2010年5月2日、脳梗塞のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。
山本 晋也(やまもと しんや、本名:伊藤 直(いとう ただし… 山本 晋也(やまもと しんや、本名:伊藤 直(いとう ただし)、1939年〈昭和14年〉6月16日 - )は、日本の映画監督、タレント、俳優、リポーター。東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。愛称は「カントク」。サングラスにちょび髭がトレードマーク。口癖は「すごいですねぇ」「ほとんどビョーキ」。現在、毒蝮三太夫が所属するまむしプロダクションと業務提携をしている。 神田生まれの江戸っ子ということもあり、中学時代から落語が好きで寄席に通っていた。早稲田高等学校を経て、1963年に日本大学芸術学部演劇学科に入学。学生運動が激しかった時代だが、山本は当時、右翼学生の立場だったという。後に視野が広がり、左派的な平和主義の立場にかわっている。
内藤 幸位(ないとう こうい、本名:ないとう ゆきただ、19… 内藤 幸位(ないとう こうい、本名:ないとう ゆきただ、1939年6月2日 - 2020年4月10日)は、山梨県出身のラジオ日本の元アナウンサー。 1962年、日本大学芸術学部放送学科卒業し、当時のラジオ関東に入社。 プロ野球(読売ジャイアンツ戦)、競馬、競輪、駅伝競走、マラソンなどのスポーツ中継を中心に、そのほかにもニュースや演歌番組なども担当。特にプロ野球中継は、読売ジャイアンツ戦を中心に39年間1500試合以上の実況をした。 2000年10月21日、王貞治、長嶋茂雄 (ON) の対決となった日本シリーズ第1戦(読売ジャイアンツ対福岡ダイエーホークス)を最後に定年のため引退、その模様は、週刊ベースボールでも特集が組まれた。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。
古賀 武(こが たけし、1939年5月11日 - )は日本の… 古賀 武(こが たけし、1939年5月11日 - )は日本の柔道家(9段)。福岡県出身。 1961年に開催された世界選手権の銅メダリストである。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)で家具製造業の傍ら柔道場を開く父親のもと、3人兄妹の長男として生まれる。太平洋戦争でソ連に抑留されていた父親が戦後帰国し、道場 を再開したのを機に、古賀はそこで柔道を習い始める。白銀中学1年の時であった。 柔道は父親の勧めによるもので古賀本人の意思によるものではなく、古賀曰く“最初は嫌々やっていた”が、天性の運動神経も手伝い、次第に柔道に明け暮れるようになる。朝5時に目覚めると、父親同伴で近くの海岸をランニングし、途中の神社で約100段の階段を駆け上がるという稽古を中高時代に続けた。
古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年4月25日 - )は、… 古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年4月25日 - )は、東京都出身のサッカー指導者。 東京都立江戸川高等学校を経て、日本大学文理学部体育専修を卒業後、1964年に体育教諭として帝京高校に赴任。 1965年からサッカー部監督に就任し、高校選手権6回、高校総体3回の計9回の全国制覇に導いた。 帝京では木梨憲武ら、数々の部員を指導していた。 本人はサッカーの経験はなかった。 2003年限りで一線を退き、2004年はサッカー部部長、2005年からはJリーグ・東京ヴェルディのアドバイザーに就任。育成・普及面でのサポートを行っている。 2007年に流通経済大学付属柏高等学校、2008年からは矢板中央高等学校でも指導する。
荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、… 荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、日本の男性脚本家。主にテレビアニメを手がけた。 東京府出身。東京都立大森高等学校放送同好会および日本大学芸術学部で脚本などの作劇を学び、卒業後は東映の脚本家に師事しテレビドラマを手掛ける傍ら、系列の東映動画の作品 ひみつのアッコちゃんの制作現場に呼ばれる。その後もフリーとして各社で仕事を重ね、日本サンライズにおいては『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』、『機動戦士ガンダム』、『戦闘メカ ザブングル』を始めとする富野由悠季監督作品や『無敵ロボ トライダーG7』や『最強ロボ ダイオージャ』等の作品を手がけた。
林 成之(はやし なりゆき、1939年3月8日 - )は、日… 林 成之(はやし なりゆき、1939年3月8日 - )は、日本の脳神経外科医。日本大学名誉教授。 1939年、富山県に生まれる。1965年、日本大学医学部医学科卒業。1970年、日本大学大学院医学研究科博士課程修了。マイアミ大学脳神経外科に留学する。1991年秋、日本大学医学部附属板橋病院にて、危篤患者に対する救命療法である脳低温療法を開発する。1993年、日本大学医学部附属板橋病院救命救急センター部長に就任。1996年、日本大学医学部およびマイアミ大学脳神経外科生涯臨床教授に就任。2005年、日本大学大学院総合科学研究科教授となる。2014年、日本大学を退官、名誉教授。脳低温療法の開発者という肩書きばかりでなく、脳についての啓発本をいくつか発刊している。
広川 太一郎(ひろかわ たいちろう、1939年〈昭和14年〉… 広川 太一郎(ひろかわ たいちろう、1939年〈昭和14年〉2月15日 - 2008年〈平成20年〉3月3日)は、日本の俳優、声優、司会者、ラジオDJ。東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)出身。 妻は女優の加茂良子。実妹は声優兼歌手の広川あけみ。作曲家の藤森崇多は甥。 コメディ作品などにおける言葉遊びを駆使したアドリブや独特な口調は「広川節」などと呼ばれ親しまれた。 松竹、中田プロ、東名企画を経て、フリーランスで活動。個人事務所のオフィス広川を経営していた。 父親が大都映画所属のカメラマンだったこともあり、生後すぐから小学3年生頃まで映画に出演していた。 中野区立第九中学校(現:中野区立中野中学校)、東京都立文京高等学校卒業。
山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は… 山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は、日本の政治家。元北海道小樽市長(3期)。 小樽市出身。後に砂川市に移る。砂川南高等学校を卒業後、1960年に小樽市役所に入る。1962年に小樽商科大学短期大学部を、1966年に日本大学経済学部(通信教育部)を卒業。教育委員会社会教育部長、学校教育部長、小樽市役所経済部長、総務部長、収入役を歴任する。 1999年の小樽市長選挙に、新谷昌明の後継として立候補して当選。2003年の選挙で再選。2007年の選挙でも三選した。北海道市長会副会長などを務めた。2011年に市長を退任した。
鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )は… 鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )は、日本の映画監督(ドキュメンタリー)、プロデューサーである。同姓同名の俳優の鈴木健介とは無関係の別人である。 1939年(昭和14年)2月11日、東京市豊島区巣鴨(現在の東京都豊島区巣鴨)に生まれる。 1963年(昭和38年)日本大学芸術学部映画学科演出コースを卒業。在学中には当時同大学で教授をつとめていた牛原虚彦に師事して演出の基本を学ぶ。50分の劇映画『明るすぎて暗い』を卒業製作として脚本、監督した。卒業後はフリーランスとして映画やテレビの仕事につく。 1966年(昭和41年)から3年間、中川信夫の助監督をつとめて強い影響を受け、中川が1984年(昭和59年)に死去するまでの18年間にわたり人生の師と仰いで交流した。
松熊 信義(まつくま のぶよし、1939年2月10日 - )… 松熊 信義(まつくま のぶよし、1939年2月10日 - )は日本の俳優。福岡県出身。現代制作舎所属。劇団新人会出身。 日本大学芸術学部演劇科卒業。1962年4月、文化座に入団。『炎の人』の中年紳士役が初舞台。 特技は殺陣。舞台を中心に活動しており、演出も手掛ける。
松原 正之(まつばら まさゆき、1939年2月7日 - )は… 松原 正之(まつばら まさゆき、1939年2月7日 - )は、宮城県出身の元レスリング選手で現在は日本レスリング協会評議委員。1960年ローマオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級銀メダリスト。日本大学卒業。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年… 中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年4月4日)は、日本の光学合成技師。円谷プロダクション、日本現代企画を経て、デン・フィルム・エフェクトに所属していた。東京都出身。 日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科出身。同期には佐川和夫、東條昭平、坂本太郎がいた。 1972年、高野宏一、飯塚定雄と共に「デン・フィルム・エフェクト」を設立。 2016年、文化庁映画賞受賞。 2021年4月4日、肝不全のため死去。82歳没。
那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、… 那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、元信越放送のアナウンサー。 1939年(昭和14年)長野県北安曇郡池田町出身。1958年(昭和33年)長野県松本県ヶ丘高校 卒業。1962年(昭和37年)日本大学卒業。1963年(昭和38年)信越放送入社。エグゼクティブアナウンサー、アナウンス部長。主に SBCニュースワイドのキャスター、SBC制作番組のナレーションを務める。2000年(平成12年)信越放送定年退職。 以降、NHK文化センター松本・長野県カルチャーセンター講師を務める。
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月… ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長。 紫綬褒章受章者、旭日小綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院会員。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家ちばあきお、ちばプロダクション社長千葉研作、漫画原作者七三太朗は実弟。
高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は… 高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は、日本の建築家。山形県村山市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1962年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、大林組に勤務。 1966年から1968年まで、デンマークのクローン・ラスムッセン設計事務所に勤務する。その後丹下健三都市建築設計研究所を経て、 1975年に計画・設計工房を谷口吉生と開設。1980年には谷口建築設計研究所取締役に就任し、1985年に谷口建築設計研究所の代表となり、谷口吉生とともに、資生堂アートハウス、土門拳記念館、東京都葛西臨海水族園、豊田市美術館などを手がけていく。 1996年から2007年まで母校日本大学理工学部建築学科の教授を務める。
増田 彰久(ますだ あきひさ、1939年1月2日 - )は、… 増田 彰久(ますだ あきひさ、1939年1月2日 - )は、日本の写真家。 1939年、東京生まれ。兵庫県立芦屋高等学校、日本大学芸術学部写真学科を卒業。増田彰久写真事務所を主催。