大内 明日香(おおうち あすか、1972年 - )は、日本の… 大内 明日香(おおうち あすか、1972年 - )は、日本の編集者、出版評論家。 1972年、東京都生まれ。立教大学法学部法学科卒業。 出版社、編集プロダクション、印刷会社、書店などでの勤務を経て、2004年よりフリーとなる。 『マンガでわかる小説入門』(ダイヤモンド社)を企画、編集したことをきっかけとして、小説指導をはじめる。専門学校では、小説技法を教えるかたわら、自主小説講座「Story Hint!」も主宰している。 また、出版業界についての著作を発表し、ロフトプラスワンなどで精力的に出版業界評論や小説作法などのトークライブ等も行っている。
千街 晶之(せんがい あきゆき、1970年 - )は、日本の… 千街 晶之(せんがい あきゆき、1970年 - )は、日本のミステリ評論家。 日本推理作家協会、探偵小説研究会会員。 北海道倶知安町出身。北海道倶知安高等学校卒、立教大学文学部卒。 1994年、竹本健治『将棋殺人事件』の解説を執筆。翌1995年、「終わらない伝言ゲーム――ゴシック・ミステリの系譜」(『創元推理10〈'95年秋号〉』掲載)で第2回創元推理評論賞を受賞し本格的にデビュー。2003年、『怪奇幻想ミステリ150選 ロジカル・ナイトメア』で第3回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)最終候補に残るも落選。翌2004年、『水面の星座 水底の宝石 ミステリの変容をふりかえる』で第4回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)、第57回日本推理作家協会賞(評論部門)をW受賞。
たまさぶろ(本名非公表、男性、1965年11月13日 - )… たまさぶろ(本名非公表、男性、1965年11月13日 - )は、日本のエッセイスト、バー評論家。東京都渋谷区生まれ。千葉県立四街道高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。出版社勤務を経て渡米、ベルリッツなどに勤務。ニューヨーク在住中よりフリーランスの執筆活動に入り、主に雑誌『男の隠れ家』などにバーの原稿を執筆。バー評論家となる。 東京都渋谷区出身。高校の近所にあった「ブギー・ウギー・ハウス」という宇崎竜童の甥が経営するバーに通い始めたのが、バーの原体験と著書で語っている。立教大学在学中より光文社『週刊宝石』にて編集記者となる。音楽雑誌『FMステーション』などの勤務を経て渡米。この頃、フリーランスとして執筆活動をスタート。
丸々 もとお(まるまる もとお、1965年8月31日 - )… 丸々 もとお(まるまる もとお、1965年8月31日 - )は、夜景評論家、夜景プロデューサー、夜景コンサルタント、照明コンサルタント。 本名は丸田 基雄(まるた もとお)。日本夜景遺産事務局長。夜景鑑賞士検定事務局長。(社)LED光源普及開発機構理事。元ぴあ、ダイヤモンド社、KKベストセラーズ、リクルートの編集者・記者。元リクナビ副編集長。2002年から、父の経営する有限会社マルタアドバタイジング所属。血液型AB型。 自称世界初の夜景評論家であり、その肩書きは商標登録済み。夜景、夜景観光のパイオニアとして活躍。 夜景の魅力を観光学、景観学、色彩心理学等、学際的に評論する独自の夜景学を構築。1992年発売の「東京夜景」以来、夜景に関する著書は30冊を超える。
テレンス・リー(英語表記:Terence Lee、1964年… テレンス・リー(英語表記:Terence Lee、1964年〈昭和39年〉10月30日 - )は、日本のタレント、元傭兵、軍事評論家、危機管理コーディネーター。本名は加藤 善照(かとう よしてる)。神奈川県横浜市鶴見区出身。芸能プロダクション『オフィステレンスリー』創立者、現在は顧問。 横浜の下町で生まれ育つ。1983年、立教大学文学部史学科への進学と同時に、高校在学時より同級生と計画していたビジネスの手始めに、買い付けで渡英。その際にロンドンで傭兵にスカウトされ、狙撃や諜報活動を任務に中南米、アフリカで参戦したとされている。 1992年 に傭兵を引退後、アメリカでのボディーガードへの転身を経て1993年帰国。
石川 忠司(いしかわ ただし、1963年2月20日 - )は… 石川 忠司(いしかわ ただし、1963年2月20日 - )は、日本の文芸評論家、東北芸術工科大学芸術学部文芸学科教授。
田中 宗一郎(たなか そういちろう、1963年1月28日 -… 田中 宗一郎(たなか そういちろう、1963年1月28日 - )は、日本の音楽評論家、DJ。音楽雑誌『snoozer』編集長。大阪府出身。愛称はタナソウ、宗さん。 立教大学文学部では前田愛に学ぶ。広告代理店勤務を経た後、1991年にロッキング・オンに入社。洋楽専門の月刊音楽雑誌『rockin'on』の副編集長を務める。1995年にロッキング・オンを退社し、リトルモア社から音楽雑誌『snoozer』を創刊、2011年に廃刊。現在[いつ?]は、club SNOOZERを主宰。the sign magazineのクリエイティブ・ディレクターを務める。 作品のレビューではアーティストに対して極端に心酔する過剰な表現による文体が特徴。
奥田 佳道(おくだ よしみち、1962年 - )は、日本の音… 奥田 佳道(おくだ よしみち、1962年 - )は、日本の音楽評論家。くらしき作陽大学元講師。エリザベト音楽大学パフォーマンス・フォーラム元講師。父は指揮者の奥田道昭。 1962年東京生まれ。ヴァイオリンを学ぶ。立教大学に進みドイツ文学と西洋音楽史を専攻した。西洋音楽史を皆川達夫に師事。立教大学文学部ドイツ文学科卒業。ウィーン大学に留学。 アサヒグループ芸術文化財団音楽部門選考委員、フッペル鳥栖ピアノコンクール審査員、公益財団法人パシフィック・ミュージック・フェスティバル芸術企画アドバイザー会議委員、NPO法人東京ジュニアオーケストラソサエティ理事、2004年から2013年まで北九州国際音楽祭ミュージック・アドバイザーを務めた。
加藤 淳(かとう じゅん、1961年7月17日 - )は、日… 加藤 淳(かとう じゅん、1961年7月17日 - )は、日本のデザインプランナー・クラシック音楽評論家。東海大学国際文化学部デザイン文化学科(札幌キャンパス)客員教授。 東京都出身。立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学文学部卒業。 1984年、株式会社日本デザインセンター入社。同社の内部専門機関「CIデザイン研究所」のプロデューサーとして、阪急電鉄、茨城県、新潟県など日本を代表する一流企業、自治体のCI(コーポレートアイデンティティ)やブランドデザインを40社以上担当。 1998年に独立し、加藤淳事務所を設立。エコツーリズムの促進に関わるデザインや、行政施設のデザインモデルを提示するなどの活動を行う。
都並 清史(つなみ きよし、1959年3月4日 - )は、日… 都並 清史(つなみ きよし、1959年3月4日 - )は、日本の実業家、ジャズ評論家、ミュージシャン。株式会社東京機械製作所代表取締役社長。実業家でありながら、音楽家でもあり、ビブラストーンの元メンバーとしてトランペット奏者として活躍。実弟は、サッカー元日本代表の都並敏史。 1959年3月4日生まれ。東京都出身。中学2年の時にモダン・ジャズに興味を持ち、トランペットを始める。 1982年3月、立教大学文学部卒業。大学時代は、立教大学ニュー・スウィンギン・ハード・オーケストラに所属し、ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテストで敢闘賞(1978年)、最優秀賞および優秀ソリスト賞受賞(1980年)を受賞。
有馬 晴海(ありま はるみ、1958年4月2日 - )は、日… 有馬 晴海(ありま はるみ、1958年4月2日 - )は、日本の政治評論家、コメンテーター。 1958年長崎県佐世保市生まれ、鹿児島県川辺郡坊津町出身。立教大学経済学部卒業。リクルート社に入社。当時優秀社員ベスト10人内の1人に入る成績を収めた唯一の男性社員だった。 1985年、リクルートを退職し、国会議員秘書へ転身。 1996年に政治評論家として独立。 現在はテレビ、ラジオ出演や、新聞・雑誌での政治評論や講演活動を続ける一方、研究会「隗始塾」を主宰している。また、ポスト小泉レースにおいて用いられた麻垣康三という造語を発案した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
亀岡 典子(かめおか のりこ、1958年〈昭和33年〉- )… 亀岡 典子(かめおか のりこ、1958年〈昭和33年〉- )は、日本の演劇評論家。産経新聞社大阪本社編集局文化部特別客員記者。2020年より神戸学院大学人文学部非常勤講師。 大阪府生まれ。立教大学日本文学科卒業後、1990年に産経新聞社入社。伝統芸能に縁は薄かったが、大阪文化部で古典芸能を中心とした演劇記事の取材・執筆に多数携わり、パリ・オペラ座で史上初めて行われた歌舞伎公演やアルジェリアの文楽公演などに同行取材。編集委員として紙面に伝統芸能についてのコラムを多数執筆。 産経新聞に限らず、様々な古典芸能(歌舞伎・文楽等)の研究会参加や観劇初心者向け講座のMC・講師、また歌舞伎専門誌『演劇界』(演劇出版社、2022年休刊)での劇評掲載など幅広く活動している。
下野 康史(かばた やすし、1955年2月7日 - )は、日… 下野 康史(かばた やすし、1955年2月7日 - )は、日本の自動車評論家。 専門用語をあまり用いない平易な自動車解説が特徴で、自動車専門誌のみならず一般誌に記事を寄せるケースも多い。 自転車ロードレース愛好家としても知られており、東京‐糸魚川ファストランに毎年参加している。また固定ギアにも造詣が深く、ブーム以前の2001年にはフルオーダーで固定ギア車を製作している。但し保安部品の取り付けを前提条件としており、ノーブレーキには否定的である。 「楽をするためにクルマに乗ってるんじゃない」ので、(3ペダルの)マニュアル車をこよなく愛する。 中学生時代、実妹を交通事故により亡くしている。その為、交通安全に関しては辛辣な記述が時折見られる。
池上 冬樹(いけがみ ふゆき、1955年 - )は、日本の文… 池上 冬樹(いけがみ ふゆき、1955年 - )は、日本の文芸評論家、書評家。マルタの鷹協会会員。 山形市生まれ。山形県立山形中央高等学校、立教大学文学部日本文学科卒。マルタの鷹協会に寄稿していた書評を小鷹信光に注目され、アシスタント業務を担当するようになる。ハードボイルドの翻訳から初めて、ミステリなどの書評家となり、『週刊文春』、『本の雑誌』、『ミステリマガジン』、「日本経済新聞」などではばひろく書評・批評をおこなう。2004年から3年間「朝日新聞」書評委員、さくらんぼテレビジョン主宰の山形小説家・ライター講座では世話役を担当している。 漫画家の金井たつおは高校の同級生。また文学研究者の松坂俊夫は高校時代の恩師である。
渡辺 和彦(わたなべ かずひこ、1954年9月 - )は、日… 渡辺 和彦(わたなべ かずひこ、1954年9月 - )は、日本の音楽評論家。 北海道生まれ。1977年立教大学文学部独文学科卒。音楽雑誌記者を経て、1982年から1989年までFM東京「夜明けのプレリュード」、「野田秀樹のスイッチ・オン・クラシック」他の企画構成、1986年から2003年までNHK-FM「朝の音楽散歩」「ミュージック・ダイヤリー」「あさのバロック」の企画構成を手がけた。その他、新聞・雑誌にクラシック音楽時評を執筆している。
吉村 葉子(よしむら ようこ、1952年 - )は、日本のエ… 吉村 葉子(よしむら ようこ、1952年 - )は、日本のエッセイスト・評論家。 神奈川県藤沢市生まれ。立教大学経済学部卒業。1979年から2000年まで、約20年間をパリで暮らす。生活文化研究家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大貫 憲章(おおぬき けんしょう、1951年2月22日 - … 大貫 憲章(おおぬき けんしょう、1951年2月22日 - )は、日本の音楽評論家、ディスクジョッキー(DJ)。東京都出身。立教大学卒業。 1971年、大学在籍中に音楽評論家として執筆活動を開始。ロックを中心に執筆活動を行い、特にパンク・ロック、UKロックに造詣が深い。パンクらしく格式ばっていない軽い口調の刺々しい文体が特徴。セックス・ピストルズのライナーノーツで堂々とピストルズの再結成について批判を行なったこともある。NHKラジオ第1放送の「若いこだま」でDJを担当してからDJとしての活動も精力的に行なっている。1980年より続く、パンクを中心に選曲したDJイベント「LONDON NITE」を主宰している。
吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日… 吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日本の演芸評論家、小説家、コラムニスト。ルポライターのほか、放送作家。 妻は、粋曲(色物)の柳家小菊(落語協会所属)。日本文芸家協会会員。駄句駄句会同人、俳号は「駄郎(だろう)」。 茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)出身。父親は長唄の岡安喜三四郎。姉と妹がおり、三人の名付け親は西條八十。 1971年立教大学経済学部卒業。 ルポライターのほか、放送作家として「青島幸男のお昼のワイドショー」などの構成を担当する一方、1979年から演芸評論家として演芸評、コラムを書き始める。1980年「小説現代」で小説家としてデビュー。 落語立川流の顧問であったが、2014年11月に辞任した。
戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )… 戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )は、日本の編集者、ミステリ評論家。 東京創元社の元会長、元社長。光文文化財団理事。 ミステリ専門書店「TRICK + TRAP」元店主。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ各会員。本格ミステリ作家クラブでは事務局長をつとめた。編集者としてミステリ作家を多数育成する傍ら、文庫解説等の執筆を行う。 戦時疎開先の長野県で出生し、翌年、東京に移り荒川区南千住で育つ。 生家は備中庭瀬藩戸川家の分家である帯江戸川家で、江戸時代には3000石の大身旗本だった。同名の庭瀬藩主戸川安宣は、直系ではないが、先祖筋にあたる。曽祖父は、帯江戸川家8代目戸川安愛の弟で、9代目戸川最兎女(もとめ)栄秀。
島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 20… 島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 2013年4月23日)は、日本の広告評論家・エッセイスト・編集者。月刊誌『広告批評』の2代目編集長・発行人を務めた。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校を経て、1969年に立教大学社会学部を卒業。講談社に入社し、児童図書(子ども向け百科事典や絵本)などの編集に関わった。 1971年、天野祐吉のマドラ・プロダクションに移る。『キャッチフレーズ3000選』『今日の広告』の編集に携わりながら、広告評論活動も開始した。1979年、天野と共に『広告批評』を創刊。副編集長・メインインタビュアーを経て、1988年に天野から編集長を引き継いだ。 1990年にはフジテレビ「FNN NEWSCOM」のキャスターを務めたほか、TBSテレビ「ブロードキャスター」などでコメンテーターとしても活動した。
間 章(あいだ あきら、Aquirax Aida、1946年… 間 章(あいだ あきら、Aquirax Aida、1946年8月18日 - 1978年12月12日)は、音楽評論家、現代思想家。新潟県生まれ。立教大学中退。1969年よりフリー・ジャズを中心とした音楽批評活動を展開し、イベントやレコードのプロデュース活動を行った。1978年12月12日、脳出血により死去。享年32。
服部 幸應(はっとり ゆきお、1945年12月16日 - 2… 服部 幸應(はっとり ゆきお、1945年12月16日 - 2024年10月4日)は、日本の料理評論家、教育者、タレント。学位は博士(医学)(昭和大学・2005年)。 本名は染谷 幸彦(そめや ゆきひこ)。学校法人服部学園理事長(第3代)、服部栄養専門学校校長(第3代)、公益社団法人全国調理師養成施設協会会長、社団法人全国栄養士養成施設協会副会長、一般社団法人全国料理学校協会副会長、東日本料理学校協会会長、特定非営利活動法人NPO日本食育インストラクター協会理事長。プライドフィッシュプロジェクト企画委員会会長。一般社団法人全日本・食学会理事。 東京都豊島区出身。料理学校「服部学園」の創立者である服部道政こと染谷栄の子として生まれた。
落合 正勝(おちあい まさかつ、1945年 - 2006年8… 落合 正勝(おちあい まさかつ、1945年 - 2006年8月7日)は、日本の服飾評論家、ジャーナリスト。 東京都中央区築地生まれ。立教大学法学部卒業。『ジャパンタイムズ』を経て服飾評論家として独立。1994年5月、男性向けファッション雑誌『MEN'S EX』(世界文化社)の連載で「クラシコ・イタリア」という言葉を紹介し、「ファッションとは流行を追うばかりでなく普遍的なクラシックがある」と主張し、服飾評論の世界に一石を投じた。1997年、フィレンツェ市長よりベスト・ペン・プライズを受賞。1998年、東洋人として初めてクラシコ・イタリア大賞を受賞。ファッション誌に限らず、中日新聞や生活雑誌『サライ』(小学館)などでも連載を勤めた。
川田 太三(かわた たいぞう、1944年2月20日 - )は… 川田 太三(かわた たいぞう、1944年2月20日 - )は、日本のゴルフ評論家・ゴルフ場設計者。 東京都出身。学童時代は一貫して立教大学付属の小学校、中学校、高校で生活し、その後アメリカ合衆国・オハイオ州立大学留学。その後立教大学に編入。卒業後個人事務所・ティ・アンド・ケイインターナショナルを設立し代表取締役に就任。自らもアマチュアゴルファーとして活動し、日本アマチュアゴルフ選手権大会、日本オープンゴルフ選手権競技などに出場する実績を持つ。 その後『中日クラウンズ』などのゴルフ中継解説者、日本ゴルフ協会競技・規則・国際委員などを歴任。また世界各地に22ヵ所のゴルフコースを設計・監修している。 母方の親戚で従妹に女優の吉永小百合がいる。
結城 信孝(ゆうき のぶたか、1944年 - )は、日本のジ… 結城 信孝(ゆうき のぶたか、1944年 - )は、日本のジャーナリスト、文芸評論家、アンソロジスト、エッセイストである。日本推理作家協会会員。父は作家の結城信一。 東京都目黒区出身。立教大学経済学部卒業。1967年、ベースボールマガジン社に入社。「週刊ベースボール」「相撲」編集部に所属。1973年、内外タイムス社に入社。編集局に勤務し、文化、芸能、スポーツ、ギャンブル等の記者をつとめるかたわら、文芸評論家として活動。新聞・雑誌で書評を連載。文庫解説や作家インタビューなども手がける。 1990年退社。ギャンブル小説、ミステリを中心に、多数の小説のアンソロジーを発表している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中沢 孝夫(なかざわ たかお、1944年 - 2025年4月… 中沢 孝夫(なかざわ たかお、1944年 - 2025年4月7日)は、日本の経済評論家、福井県立大学経済学部経営学科特任教授。専門は、地域活性化論、中小企業論、産業論、人材育成論。 娘はフリーライターの中沢明子。 群馬県出身。高校を卒業後、郵便局勤務から全国逓信労働組合本部勤務を経て、1989年に立教大学法学部に入学。1993年同大卒。姫路工業大学(現・兵庫県立大学)環境人間学部教授を経て、2008年4月から福井県立大学経済学部教授、2009年より特任教授。日本の中小企業の実力を実証した著書「中小企業新時代」がベストセラーとなった。 製造業を中心に約600社の経営者や従業員からの聞き取り調査を実施したり、数多くの商店街の実態調査を行うなど、具体的なミクロの経済を専門とし、丹念な取材を行っている。
濤川 栄太(なみかわ えいた、1943年11月22日 - 2… 濤川 栄太(なみかわ えいた、1943年11月22日 - 2009年4月15日)は、日本の教育評論家。濤川平成塾(旧「新・松下村塾」)塾長、日本教育文化研究会代表、日本と世界の子どもたちを救う会代表、「輝け日本!」会長などを死去まで務めた。国家戦略研究会議創立者。元新しい歴史教科書をつくる会副会長。 東京都出身。1966年3月、立教大学経済学部経済学科卒業。いすゞ自動車に入社したが、教師への夢を捨てきれず同大学文学部教育学科に再入学、1968年3月卒業。同年4月、横浜市小学校教員に。同市立豊田小学校教諭や南舞岡小学校教諭、同市教育センター研究員などを計19年間務めた。 在任中から教育相談や著書の執筆を行っていたが、1987年3月に退職後に独立し、日本教育文化研究会を設立。
高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2… 高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2024年1月6日)は、日本の著作家、文芸評論家。男性。日本ペンクラブ副会長。 東京生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業、立教大学文学部日本文学科卒業。人物往来社に勤務し、『歴史読本』編集長、取締役、編集局長等を経て、1996年退社。日本ペンクラブ常務理事、大衆文学研究会幹事長。 尾崎秀樹主宰の雑誌『ゾルゲ事件研究』にも共同編集者として参加している(『ゾルゲ事件研究』は監修者:石堂清倫、今井清一、尾崎秀樹、編集者:高橋千劔破、田才益夫、田辺貞夫)。 2024年1月6日、腎がんのため埼玉県さいたま市の自宅で死去。80歳没。
志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月1… 山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月17日 - 2008年〈平成20年〉8月19日)は、日本の放送評論家。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)生まれ。立教大学文学部 でロシア語を学び、在学中の1960年からNHK国際局でアルバイトを開始した。大学卒業後の1963年にキングレコードに就職。洋楽部ディレクターを務めたが、後にワーナー・パイオニアに移籍する。 1955年頃からBCL(海外の短波放送を受信する趣味)を開始し、1964年5月に「アンデスの声」(HCJB)が日本語放送を開始した際には、日本から最初の受信報告書を送った。1970年代から1980年代にかけてのBCLブームの時期には、ディレクターとしての仕事の傍ら、月刊「ラジオの製作」(電波新聞社)などにBCL関連の記事を連載し、さらに『BCLマニュアル』(1976・1980年、電波新聞社)、『入門BCLブック』(1977-1981年、82年版は『BCLデータブック』。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015… 井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日)は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。 山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。 1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
小倉 重夫(おぐら しげお、1935年9月23日 - )は、… 小倉 重夫(おぐら しげお、1935年9月23日 - )は、日本の舞踊評論家、翻訳家。 東京生まれ。立教大学文学部卒、1965年デンマーク・ロイヤル・バレエ・アカデミー修了、1972年東京大学教養学部中退あるいは卒業。1979年から三年間芸術祭審査委員。
杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17… 杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17日 - 2001年〈平成13年〉11月11日)は、愛知県西加茂郡挙母町大字挙母(現:豊田市若宮町)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球 (NPB) 史上5人目・パ・リーグ初の投手5冠を達成し、「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」などと呼ばれた。 現在の豊田市若宮町で生まれる。5人兄弟の四男で、「忠」の名は「南総里見八犬伝」から取られたもので、父・定治は、長男を「仁」、次男を「智」、三男を「孝」、四男を「忠」、五男を「義信」と命名した。挙母町立第一小学校(現:豊田市立挙母小学校)、挙母市立東部中学校(現:豊田市立崇化館中学校)、愛知県立挙母高等学校(現:愛知県立豊田西高等学校)を卒業。
堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 20… 堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 2012年1月14日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者・評論家。 桃山学院高校では3年次の1952年、夏の大阪府大会で準決勝に進出するが、明星高に敗退。高校卒業後は1953年に立教大学へ入学するが、同期のエース東実や1年下の杉浦忠の陰に隠れ、あまり活躍の機会はなかった。専ら他校のエースを真似た練習台の投手であった。他の大学同期に矢頭高雄がおり、一年下に長嶋茂雄がいた。大学卒業後は1957年に日通浦和へ入社し、同年の都市対抗では3勝を挙げて決勝に進出。熊谷組の島津四郎と投げ合うも完封を喫するが、この大会の久慈賞を獲得。
木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は… 木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本のエネルギー政策の評論家、ジャーナリスト。旧姓、町田(まちだ)。 夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。 北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。 4歳の時、父の仕事で旧満州の吉林省敦化に移住。終戦の1年前に、父が南方に出征したため、北朝鮮の羅津から新潟港へ最後の貨客船で帰国している。そのため同年代の中国残留日本人や、北朝鮮による日本人拉致問題に対しては深い思い入れがある。 東京都立豊島高等学校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒業。
菊池 孝(きくち たかし、1932年9月13日 - 2012… 菊池 孝(きくち たかし、1932年9月13日 - 2012年9月1日)は、日本のプロレス評論家である。 プロレス取材歴50年以上の大ベテランで、最古参のプロレス評論家と呼ばれた。東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送された『国際プロレスアワー』では解説者を務めた。 神奈川県横須賀市出身。立教大学文学部英米文学科卒業。1956年、室蘭民報に入社して社会部記者となる。その後、野球雑誌の記者を経て1960年に大阪新夕刊でプロレス記者となる。 1968年にフリーとなり、1977年から1981年まで『国際プロレスアワー』(東京12チャンネル)では門馬忠雄と共に解説者を担当。1978年8月に放送された唯一の国際プロレス海外遠征中継となったソウル遠征でも解説を務めた。
伊藤 紫朗(いとう しろう、1931年 - )は日本のファッ… 伊藤 紫朗(いとう しろう、1931年 - )は日本のファッション・プロデューサー、服飾評論家。(株)チェスターフィールド代表取締役。 1953年に立教大学経済学部経営学科卒業。同年白木屋に入社して紳士服仕入部に配属される。1954年には「イヤーラウンドスーツ」考案し、実用新案特許取得により社長表彰。
浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003… 浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家、評論家、教育者。専攻は近代文学。中学、高校での教師を務めたのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事を歴任した。日本児童文学者協会理事、日本児童文芸家協会理事、日本文芸家協会会員。 静岡県御殿場市出身。早稲田大学第一文学部国文科を卒業後、都内の中学、高校教師を務め、立教大学大学院を修了(近代文学専攻)。 上野高等学校教頭を最後に高校教師を退職したのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事などを歴任。
旗 一兵(はた いっぺい、1908年11月3日 - 1988… 旗 一兵(はた いっぺい、1908年11月3日 - 1988年10月28日)は、昭和期に活躍した日本のテレビプロデューサー、映画評論家、演劇評論家、雑誌編集者、新聞記者。フジテレビプロデューサー、吉本興業企画課長、東京日日新聞社(現・毎日新聞)芸能部記者、日本移動演劇連盟劇団課長、キネマ旬報社編集者などを務めた。本名は金田福太郎。 1908年(明治41年)11月3日生まれ。東京府東京市芝区(現在の東京都港区)高輪出身。 1931年(昭和6年)、立教大学文学部卒業。学生時代から映画や演劇の研究を行い、大学在学中の1929年(昭和4年)には立教大学雑誌部出版の『立教大学文学』に「発声映画に関する常識」と題する論評を発表している。
岡本 鶴松(おかもと つるまつ、1882年2月7日 - 19… 岡本 鶴松(おかもと つるまつ、1882年2月7日 - 1945年7月10日)は、明治後期から昭和前期のジャーナリスト、新聞記者、評論家、小説家、翻訳家。大阪朝日新聞社(現・朝日新聞社)外報部長。号は九皐。『トム・ブラウンの学校生活』の訳書を著し、明治時代の日本の高校生に最も人気の英語圏の作品となった。 1882年2月7日、東京生まれ。大阪・英和学舎(現・立教大学)卒業。その後、東京へ戻り、東京英語専修学校(現・立教大学)で学ぶ。 1903年(明治36年)には、ハリー・ポッターシリーズに影響を与えたトマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』の訳書を『英国学校生活』として出版。発行は鶴松の号から名付けた九皐社で、印刷は築地・明石町にあった立教学院活版部で行われ、本訳書の序文を立教学院総理であったヘンリー・セントジョージ・タッカーが寄稿した。
米田 實(米田 実、まいだ〈まいた〉 みのる、1878年12… 米田 實(米田 実、まいだ〈まいた〉 みのる、1878年12月7日 - 1948年1月9日)は、大正から昭和前期の日本の新聞記者、ジャーナリスト、外交評論家、国際法学者、外交史学者。東京朝日新聞社(現・朝日新聞社)論説委員長、同社編集顧問、同社初代外報部長。明治大学、立教大学で教授を務め、東京商科大学(現・一橋大学)、法政大学等でも講じた。専門は外交史。法学博士。別名(筆名)米田切水。20世紀前半の日本を代表する国際問題評論家である。 1878年(明治11年)12月7日、福岡県久留米に生まれる。 1893年(明治26年)、中学明善校を中退して上京する。立教学校(現・立教大学)、国民英学会で学ぶ。
生駒 粂蔵(生駒 粂造、いこま くめぞう、1874年7月22… 生駒 粂蔵(生駒 粂造、いこま くめぞう、1874年7月22日 - 1944年7月11日)は、明治後期から昭和前期の新聞記者、ジャーナリスト、評論家、翻訳家。報知新聞社調査部長や芸備日日新聞主筆兼編集長を務め、相撲記者の長老として、角界の批評、随筆等に活躍した。将棋界の発展にも貢献し、東京将棋連盟(現・日本将棋連盟)名誉顧問・評議委員を務めた。別名、翺翔(こうしょう、ごうしょう)。聖公会信徒。 1874年(明治7年)7月22日生まれ。1896年(明治29年)、東京・築地の立教大学卒業。 1899年(明治32年)、東京毎日新聞社に入社。明治35年、藝備(芸備)日日新聞主筆兼編集長を経て、報知新聞社に入社。
長沢 別天(長澤、ながさわ べってん、1868年6月20日(… 長沢 別天(長澤、ながさわ べってん、1868年6月20日(慶応4年5月1日) - 1899年(明治32年)11月22日)は、明治時代の評論家、文芸評論家、ジャーナリスト。 山陽新報(現・山陽新聞)主筆、東京朝日新聞政治主任。本名、説。別名、別天樓主人、別天生、別有天地樓主人、半眼子、四六翁、坂東太郞、渺茫子、渺茫居士、渺茫生、金毛獅。 ジョン・ミルトンやジョージ・バイロンの評論を著し、エドガー・アラン・ポーの詩を日本に初めて紹介するなど英文学の普及に尽力。文芸に加えて日本関係論や政治思想など幅広い評論活動を行った。 常陸国(現・茨城県)生まれ。攻玉社を経て、築地の立教学校(現・立教大学)で学ぶ。
内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏… 内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏4月5日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。明治文壇を代表する批評家として知られ、旺盛な好奇心と広範な知識は文学を超えて、民族学や文明論的な拡がりを持った。江戸下谷車坂六軒町(現・東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。 旧幕臣の子・貢(幼名・貢太郎)として下谷車坂三軒町に生まれる。父・正には7人の妻がおり、魯庵は最初の妻との子。はじめは政治・実業に関心を持ち、1882年(明治15年)に15歳で築地の立教学校(現立教大学)に入学して英語を学んだほか、東京専門学校(現早稲田大学)英語部などでも英語を学び、東京大学予備門にも入ったが、家が貧しく結局どこも中退し、文部省編輯局翻訳係であった叔父(継母の姉妹の夫)・井上勤のもとで下訳や編集の仕事をする。
高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年… 高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年3月20日) - 1935年9月7日)は、明治時代から昭和初期の翻訳家、啓蒙的英文学者、英語学者、言語学者、評論家、教育者である。 聖書の翻訳や英語教育を行い、立教大学、早稲田大学、駒澤大学で教授を歴任した。 1856年(安政3年)に越後国柏崎の庄屋の家に生まれる。本名は吾良である。1868年、群馬県高崎に行き、竜門寺で市川左近に漢学や仏学を学ぶ。1871年より牧野再竜、高崎藩校の田中毛野に学ぶ。 1873年に洋学を学ぶために上京し、緒方塾で緒方惟孝(緒方城次郎、緒方洪庵の三男)に学び、植村正久と知り合いになる。1875年(明治8年)に横浜へ行き、植村の紹介でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師S・R・ブラウンのブラウン塾で英学と英語、仏語、独語を習った。
萩谷 由喜子(はぎや ゆきこ、9月9日 - )は日本の女性音… 萩谷 由喜子(はぎや ゆきこ、9月9日 - )は日本の女性音楽評論家。東京都文京区生まれ。立教大学経済学部卒業。日本舞踊花柳流の専門部名取で邦楽にも造詣が深い。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。 音楽雑誌「音楽の友」「ショパン」「音楽現代」誌上で器楽、室内楽を中心に演奏会評を執筆しているほか、多くのCDライナーノート、演奏会プログラムなどに解説を書いている。専門研究分野は日本のクラシック音楽発達史と女性音楽家研究で、音楽家の人物伝を得意とする。著書に、日本人として初めてヨーロッパに学んだピアニストとヴァイオリニストの姉妹の生涯を描いた「幸田姉妹」、メジャー・コンクールに立て続けに上位入賞して日本人ピアニスト活躍時代の先鞭をつけながら病に倒れたピアニストの評伝「田中希代子」、女性音楽家の人物伝「五線譜の薔薇」と「音楽史を彩る女性たち」、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の解説ブック(以上5冊はショパン刊)、50人の作曲家のミニ伝記と簡易作品表をコンパクトに収載した「ひとり5分で読める作曲家おもしろ雑学事典」、30組の音楽家カップルの感動秘話を綴った「ひと組5分で読める音楽家カップルおもしろ雑学事典」(以上2冊はヤマハ・ミュージック・メディア刊)などがある。