黄 珞周(ファン・ナクチュ、朝鮮語: 황낙주、1928年3月… 黄 珞周(ファン・ナクチュ、朝鮮語: 황낙주、1928年3月22日 - 2002年12月12日)は、大韓民国の政治家。第8・9・10・12・13・14・15代大韓民国国会議員、第14代国会副議長・議長(後半)などを歴任した。本貫は長水黄氏。 日本統治時代の慶尚南道昌原郡(現・昌原市鎮海区)出身。馬山商高、ソウル大学校商科大学経済学部卒、早稲田大学大学院政経研究科政治学専攻修了。忠武中学校(のちの鎮海西女子中学校、現在は廃校)および忠武商業高等学校(現・鎮海世和女子高等学校(朝鮮語版))創設者・校長・理事長、新民党慶南支部副委員長・慶南第6地区党委員長、自治体促進闘争委員会慶南支部長、新民党慶尚南道党委員長・院内首席副総務・政務委員・中央人権擁護委員長、APU韓国代表、新民党院内総務、統一民主党政務委員、国会動力資源委員長、民自党中央委員会議長、第14代国会副議長・議長、ハンナラ党常任顧問を務めた。
奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 201… 奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 2018年3月2日)は、日本の政治家。京都市会議長・衆議院議員(6期)・文部大臣などの要職を歴任。従三位。 京都府綾部市出身。京都師範学校を卒業後、教員生活を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。早大卒業後、読売新聞記者となる。その後京都市会議員・同市会議長・京都府議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧京都1区から立候補し、落選した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では(現職の田中伊三次が公認を返上したため)唯一の自民党公認候補として選挙戦を戦い、初当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・川崎二郎・柿澤弘治など)。
小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年… 小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年〉1月26日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等。建設大臣(第52代)、通商産業大臣(第43代)、衆議院議員(8期)。 神奈川県横浜市出身。父親は衆議院議員の小此木歌治。三男は元衆議院議員の小此木八郎。1945年5月の横浜大空襲で母と妹を亡くす。 神奈川県立第一中学校を経て、1952年に早稲田大学文学部哲学科卒業。父の教育方針で関西で修業、1953年に父が死去、家業の材木商を継ぐ。藤木企業の大番頭の伊藤清蔵の長女と結婚。 1963年、横浜市会議員にトップで初当選。人口増加問題や遅れをとっていた都市整備問題に取り組む。
平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21… 平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21日 - )は、日本の政治家。第31・32代広島市長。大阪府出身。 大阪市住吉区に生まれ、ソウルと広島市で育つ。旧制広島高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、中国新聞社へ入社。1964年に創刊し、1年で廃刊となったスポーツ中国の製作責任者(スポーツ整理部部長) や、常務取締役編集局長、中国放送代表取締役社長などを歴任した後、1991年2月3日に行われた広島市長選挙で保守分裂による候補者乱立のなかから初当選。1995年には再選を果たし、1999年までの2期8年にわたり在職した。 在任中の1994年には広島アジア大会が開催され、また原爆ドームの世界遺産登録に力を注いだ。
奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26… 奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の政治家。位階は正三位。 石川県議会議員(1期)、衆議院議員(10期)、郵政大臣(第44代)、自治大臣(第40代)、国家公安委員会委員長(第50代)、運輸大臣(第65代)を歴任。自由民主党所属時代は「竹下派七奉行」の1人。 石川県石川郡美川町(現・白山市)出身。 旧制石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)で学ぶ。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、高沢寅男らと同期。旧制第四高等学校卒業。1948年、早稲田大学政治経済学部に入学。早大時代はレスリング部に所属し、小柄ながら戦闘的な性格と行動力を培った。
朴 泰俊(パク・テジュン、1927年10月24日〈陰暦9月2… 朴 泰俊(パク・テジュン、1927年10月24日〈陰暦9月29日〉 - 2011年12月13日)は、大韓民国の政治家・実業家。浦項総合製鉄(現・ポスコ)の設立者や、第32代国務総理として知られる。号は青岩(チョンアム、청암)。愛称はTJ。 慶尚南道東萊郡(現在の機張郡)に生まれる。本貫は密陽朴氏。6歳の時に日本に渡り、以降日本で育つこととなる。1945年、早稲田大学予科入学。日本の敗戦に伴って朝鮮に戻る。1948年に朝鮮警備士官学校(6期)入学。このとき、第1中隊長だった朴正煕大尉と出会う。朴泰俊は当時、難問として知られていた弾道学の問題をすらすら解き、朴大尉に深い印象を残したという。同年卒業後少尉に任官した。
小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年… 小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年)9月15日 - 1994年(平成6年)11月21日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、郵政大臣を歴任。 山梨県甲府市出身。後に参議院議員となった小宮山常吉の四男。長兄・英蔵は平和相互銀行の創設者。東京府立葛飾中学校を経て、中央大学予科、日本大学法文学部を卒業。1948年に早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。1951年に同大学を卒業しアメリカ・ニューヨーク州のアルフレッド大学に官費留学、経営学を学ぶ。アルフレッド大学卒業後、1955年に読売新聞社に入社し、大阪支局経済部に配属される。その後、読売新聞の英字新聞記者となる。 1958年に佐藤栄作の秘書となり政界入り。
三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 … 三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 2004年〈平成16年〉4月25日)は、日本の政治家、獣医師。 衆議院議員(10期)、運輸大臣(第57代)、通商産業大臣(第48代)、外務大臣(第111代)、大蔵大臣(第102代)、衆議院議院運営委員長(第44代)、自由民主党政務調査会長(第35代・38代)、自由民主党幹事長(第31代)、自由民主党税制調査会長(第22代)を歴任。正三位旭日大綬章。血液型O型。 宮城県遠田郡北浦村(小牛田町を経て美里町)で、男6人、女8人の14人兄弟の7番目として誕生。宮城県立小牛田農林学校(現宮城県小牛田農林高等学校)、東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。
藤枝 和博(ふじえだ かずひろ、1927年(昭和2年)6月1… 藤枝 和博(ふじえだ かずひろ、1927年(昭和2年)6月16日 - )は、日本の政治家。元東京都荒川区長。勲四等旭日小綬章。 北海道斜里郡斜里村(現斜里町)出身。 1951年(昭和26年)3月、早稲田大学法学部を卒業する。 1953年(昭和28年)4月、東京都庁に入り都立工業短大庶務課長、総務局副監察員、公害局副参事、教育庁施設計画課長、高等学校教育課長などを歴任する。 1977年(昭和52年)荒川区企画部長に転じ、1979年(昭和54年)同区助役を経て、1989年(平成元年)9月、荒川区長に当選し、3期務める。 2001年(平成13年)引退した。2002年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年… 安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年11月5日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。位階は従五位。 栃木県宇都宮市出身。1947年早稲田大学専門部法律科卒。同年栃木県庁に入り、地方労働委員会勤務。1951年に退職。1954年社会党に入党。1960年から1年間広瀬秀吉の秘書を務めた。1963年から宇都宮市議を3期、1975年から栃木県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧栃木1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。のちに2002年から2010年まで栃木県遊技業協同組合理事長を務めた。 2019年11月5日、死去。92歳没。死没日をもって従五位叙位、旭日小綬章追贈。
川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - … 川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - 2016年1月24日)は、日本の政治家。元衆議院議員。秋田県雄勝郡(現・湯沢市)出身。議員当時は日本社会党に所属。 旧制県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)から早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、同和鉱業に入社。同社の労働組合の役員等に着いた後、義父である川俣清音の糖尿病悪化に伴い後継候補として衆議院議員選挙に秋田2区から出馬、当選。以後8期連続で当選し予算委員会理事などを歴任した。また党内の右派グループ「政権構想研究会」代表を務めるなど、社会党右派の実力者として君臨した。また、自民党内などでも渡辺美智雄と親交があり、隣町の出身の秋田県選出の現自民党衆議院議員金田勝年〔元外務副大臣、参議院議員〕らと親交がある。
柳川 覚治(柳川 覺治、やながわ かくじ、1926年4月24… 柳川 覚治(柳川 覺治、やながわ かくじ、1926年4月24日 - 2004年6月26日)は、日本の政治家、文部官僚。参議院議員(3期)。 神奈川県秦野市出身。陸軍士官学校(60期)を中退し(同期に加藤六月)、秦野高校を経て、1950年、早稲田大学政治経済学部卒業。文部省入省。同省の体育局長や管理局長を経て退官。体育局長時代には1980年モスクワオリンピックのボイコットを巡り各競技団体を説得する役割を担った。50代半ばで官僚を辞して厳正拘束名簿式で実施の1983年の第13回参議院議員通常選挙比例区で自由民主党から立候補し初当選し当時の自民党総裁及び内閣総理大臣中曽根康弘が創設した中曽根派に属した。
田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月2… 田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月27日 - 2013年(平成25年)5月1日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 熊本県熊本市出身。1950年早稲田大学専門部卒。1954年熊本市役所に入り、観光、総務の各部長、経済、総務の各局長を経て、1980年助役に就任。1984年まで務めた後、1986年の熊本市長選に立候補して当選し、2期8年務めた。在任中は全国に先駆けて環境基本条例を制定、1991年には近隣の旧飽託郡4町合併などを行った。1994年に市長を引退。1999年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位を追贈された。
河原 勇(かわはら いさむ、1926年(大正15年)3月15… 河原 勇(かわはら いさむ、1926年(大正15年)3月15日 - 2012年(平成24年)3月1日)は、日本の政治家。東京都目黒区長(2期)。 1926年3月15日、杉並区に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。東京都出納長室主査、目黒区戸籍課長、区民課長、総務課長、福祉問題担当主幹、区民センター管理事務所長、区民部長、企画部長、助役を経て、1990年自・社・公・民・社民連・進歩・スポーツ平和・サラ新の8党からの推薦を受けて目黒区長選挙に出馬し、当選。1994年には自・社・新生・公・日本新・さきがけ・民社7党の推薦を受けて再選を果たした。1998年5月に区長引退を表明し、10月20日の任期満了に伴って辞任した。
村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21… 村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月30日)は、日本の政治家。岩手県稗貫郡大迫町(現花巻市)長(9期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県稗貫郡大迫町に生まれる。旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1950年早稲田大学政治経済学部卒。1951年旧大迫町議会議員に当選し、合併までの2期務める。1955年の合併後も町議会議員を2期務める。1960年大迫町長に当選。1988年まで8期連続で務める。町長時代は特産品のブドウ栽培やワイン造りに力を入れ、エーデルワインを設立し、社長に就任した。また、町長在任中には早池峰神楽の国の重要無形文化財指定や早池峰山の国定公園の指定、早池峰山に自生する高山植物ハヤチネウスユキソウが縁でオーストリアのベルンドルフ市との姉妹都市の締結、山岳博物館の開館などがあり、福祉向上と町の発展に努めた。
加藤 一敏(かとう かずとし、1926年(大正15年)2月1… 加藤 一敏(かとう かずとし、1926年(大正15年)2月13日 - 2018年(平成30年)9月26日)は、日本の政治家。元東京都豊島区長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 のちの東京都豊島区出身。早稲田大学文学部を卒業し、豊島区役所に奉職する。1984年(昭和59年)助役を経て、1987年(昭和62年)豊島区長に就任した。1999年(平成11年)引退した。 2000年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2018年(平成30年)9月26日死去。死没日付をもって従五位に叙された。
逢沢 英雄(逢澤、あいさわ ひでお、1926年(大正15年)… 逢沢 英雄(逢澤、あいさわ ひでお、1926年(大正15年)1月28日 - 2016年(平成28年)3月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。衆議院議員(3期、自由民主党)。 衆議院議員逢沢寛の次男として岡山県御津郡御津町[要出典](現・岡山市北区御津)に生まれる。1950年(昭和25年)に早稲田大学商学部を卒業。 岡山青年会議所理事長、岡山商工会議所副会頭を経て、1968年(昭和43年)の第8回参議院議員通常選挙、1974年(昭和49年)の第10回通常選挙で岡山県地方区から自民党公認で立候補するもいずれも次点で落選。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に父・寛の後継者として旧岡山1区から立候補して初当選。
楊 燦宇(ヤン・チャヌ、朝鮮語: 양찬우、1926年1月25… 楊 燦宇(ヤン・チャヌ、朝鮮語: 양찬우、1926年1月25日 - 2011年2月14日)は、 大韓民国の陸軍軍人、政治家。元慶尚南道知事、第29代内務部長官。第7・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州楊氏。号は東人(トンイン、동인)。 日本統治時代の釜山府(現・釜山広域市釜山鎮区)に生まれた。志願兵として日本軍に入隊。終戦直後、満州国軍出身者によって組織された新京保安司令部に所属。 陸軍士官学校第3期、アメリカ合衆国陸軍歩兵学校、陸軍大学、慶熙大学校政治外交学科を経て同校経営大学院卒業。早稲田大学大学院国際政治学科修了。 将校に任官(軍番10385番)後、陸軍歩兵第3連隊中隊長・大隊長、第11師団第20連隊長、第15師団副師団長を経て、1955年に陸軍准将、1956年に陸軍教育総本部作戦教育処処長、1959年4月に第32師団長、同年8月に陸軍少将、12月に第21師団長、東南アジア地域軍事使節を歴任した。
水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19… 水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19日 - 1994年(平成6年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 三重県桑名市出身。1951年(昭和26年)早稲田大学政治経済学部卒業。桑名市議会議員、三重県議会議員、第64代三重県議会議長(1971年(昭和46年)5月 - 1972年(昭和47年)5月)、全国都道府県議長会副会長、自由民主党三重県支部連合会幹事長を歴任した。1982年(昭和57年)春の褒章で藍綬褒章受章。 1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙の三重県選挙区で日本社会党所属の坂倉藤吾を破り当選した。自由民主党に所属して、予算委員会理事、農林水産委員、国会対策委員、商工局次長、出版局次長を務めた。
木村 茂(きむら しげる、1925年(大正14年)10月23… 木村 茂(きむら しげる、1925年(大正14年)10月23日 - 2017年(平成29年)11月23日)は、日本の政治家。東京都千代田区長(3期)、東京都議会議員(4期)、都議会自民党政調会長、都議会自民党幹事長を歴任した。東京府出身。 東京市麹町区生まれ。麹町小学校、早稲田実業学校卒業。1944年に熊谷陸軍飛行学校に第3期生として入学。1年後輩には、後の内閣総理大臣竹下登がいた。陸軍少尉として終戦までタイ、マレーシア、スマトラを転戦。1950年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。卒業後は、25年間にわたり国会議員秘書を務めた。当時の同僚秘書には海部俊樹や森喜朗がいる。 その後、1973年に東京都議会議員に当選。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001… 武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001年5月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。日本社会党衆議院議員。 栃木県足利市出身。青年時代は勤労学生で、衆議院議員・金子益太郎の秘書をしながら早稲田大学政経学部を卒業する。その後、同大の大学院に進むが、1952年に大学院を中退して群馬県立館林女子高等学校の教員に就職。1955年、栃木県県議会議員に当選して2期務めたあと1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選を果たし、通算10期務めた。この間1977年に党政審会長、1986年に党副委員長、1988年に党代議士会会長を歴任した。一方で党内右派の政権構想研究会代表を務め、1981年に行われた日本社会党委員長選挙では飛鳥田一雄委員長の対抗馬として立候補し、落選。
石川 要三(いしかわ ようぞう、1925年〈大正14年〉7月… 石川 要三(いしかわ ようぞう、1925年〈大正14年〉7月6日 - 2014年〈平成26年〉6月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 防衛庁長官(第49代)、衆議院議員(8期)、衆議院内閣委員長、東京都青梅市長(2期)、青梅市議会議員を務めた。 東京府西多摩郡(現東京都青梅市)生まれ。旧制府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て1951年早稲田大学政治経済学部卒業後、西東京バス株式会社取締役、青梅市議会議員などを経て、1967年に青梅市長選挙で初当選した。1975年まで市長を2期務め、1976年に第34回衆議院議員総選挙に旧東京11区から立候補し、当選した(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正らがいる)。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
菊池 福治郎(きくち ふくじろう、1925年5月18日 - … 菊池 福治郎(きくち ふくじろう、1925年5月18日 - 2004年2月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(7期)。 宮城県気仙沼市生まれ。1950年(昭和25年)に早稲田大学政経学部政治学科を卒業。その後、国会議員・保利茂の秘書を務めた。 1963年(昭和38年)、衆院選旧宮城2区に立候補するも、落選。その後も負けても負けても立候補を繰り返し、4回目の落選後は「登米郡の票の伸びが芳しくなかった」と、登米郡の街頭に1年365日毎日立って手を振り、人呼んで「人間地蔵」と評されるまでになった。 挑戦5回目の1976年(昭和51年)、新自由クラブの公認を得て初当選。その後、離党した同党幹事長・西岡武夫の後を追って離党、自由民主党に移籍し鈴木派に所属した。
岡野 義一(おかの ぎいち、1924年(大正13年)11月5… 岡野 義一(おかの ぎいち、1924年(大正13年)11月5日 - 2004年(平成16年)7月22日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県朝霞市長。勲四等旭日小綬章。 埼玉県北足立郡朝霞町(現朝霞市)出身。1950年(昭和25年)早稲田大学専門部政経科卒業。朝霞町議会議員、朝霞市議会議員、埼玉県議会議員3期を経て、1989年(平成元年)3月、朝霞市長に当選した。1993年(平成5年)落選した。1998年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
横溝 克己(よこみぞ よしみ、1924年5月12日 - 19… 横溝 克己(よこみぞ よしみ、1924年5月12日 - 1990年2月23日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。早稲田大学教授。天津大学客員教授。 早稲田大学大学院生向けに海外からの留学生を含む経済的に恵まれない学生の勉学生活を支援することを目的として、夫人・京子からの寄付により設立された奨学金。 。
宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 … 宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(3期)などを務めた。旧姓・佐藤。 千葉県匝瑳郡共興村(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で佐藤久衛、つぎ の四男として生まれた。共興小学校、匝瑳中学校(現千葉県立匝瑳高等学校)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学文学部に入学。1944年(昭和19年)前橋陸軍予備士官学校に入校し、見習士官となり陸軍少尉で終戦を迎えた。その後、復学して1947年(昭和22年)早稲田大学文学部を卒業した。大学在学中に、親類筋、八日市場市の酒造業・宇野儀助の長女・満子と結婚して宇野姓となる。
竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26… 竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26日 - 2000年〈平成12年〉6月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 内閣総理大臣(第74代)、大蔵大臣(第84・86・87・90代)、建設大臣(第38代)、内閣官房長官(第35・38代)、内閣官房副長官(第1次佐藤内閣・第1次佐藤第1次改造内閣)、通商産業政務次官(第3次池田内閣)、衆議院予算委員長、衆議院議員(14期)、島根県議会議員(2期)、自由民主党総裁(第12代)、同幹事長、同幹事長代理、同青年局長を歴任した。異母弟は、自身の秘書を経て復興大臣、自由民主党総務会長、平成研究会会長、衆議院議員などを務めた竹下亘。
阿部 喜元(あべ きげん、1923年(大正12年)12月25… 阿部 喜元(あべ きげん、1923年(大正12年)12月25日 - 1998年(平成10年)4月4日)は、昭和期の政治家、議員秘書。衆議院議員(2期)。 愛媛県西宇和郡出身。1949年(昭和24年)早稲田大学政治経済学部政治科を卒業した。 参議院議員・林屋亀次郎の秘書となり、第4次吉田内閣に林屋が国務大臣として入閣するとその秘書官を務めた。 1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙に愛媛県第3区から立候補したが落選。第29回、第30回総選挙でも落選したが、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙に立候補して初当選。第32回総選挙では次点で落選し、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
馬場 猪太郎(ばば いたろう、1923年9月17日 - 20… 馬場 猪太郎(ばば いたろう、1923年9月17日 - 2018年3月25日[要出典])は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 大阪府出身。早稲田大学卒業後、松下電器産業勤務、農業従事を経て1947年(昭和22年)に社会党入党。全日本農民組合連合会大阪府連副会長、日本社会党大阪府7区協議会議長、大阪府議会議員を歴任。1976年の第34回衆議院議員総選挙で大阪府7区から社会党公認で立候補して当選、1期務めた。1979年の第35回衆議院議員総選挙、1980年の第36回衆議院議員総選挙では落選により政界を引退。社会福祉法人友愛福祉会 おおわだ保育園の元理事長。
高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1… 高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1923年8月23日 - 2007年1月8日)は、日本の政治家。豊橋市長(4期)、愛知県議会議員(3期)、同議長(第62代)、豊橋市議会議員(2期)。 愛知県豊橋市菰口町出身。1941年(昭和16年)愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣。1947年(昭和22年)3月、早稲田大学法学部卒業。同年10月、大同製鋼株式会社入社。1948年5月、有限会社高橋製糸場入社。 1963年(昭和38年)4月30日に行われた豊橋市議会議員に無所属で立候補し、トップで初当選を果たした。1967年の市議選は自由民主党公認で立候補し再選。
清水 徳松(しみず とくまつ、1923年(大正12年)3月2… 清水 徳松(しみず とくまつ、1923年(大正12年)3月20日 - 2013年(平成25年)5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員。 秋田県で生まれる。1944年、早稲田大学政治経済部を卒業した。 1946年、人民新聞社に入社し、同年、日本社会党に入党。同党中央本部書記、同参議院事務局長、同国会対策委員会事務局長(両院事務局長)などを務めた。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙で埼玉県第二区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。 その他、日本社会党米軍基地返還跡地対策特別副委員長、同党埼玉県本部国民運動部長、同県本部常任顧問、日中国交回復埼玉県民会議副会長などを務めた。
増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 20… 増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 2011年7月24日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)、厚生大臣(第64代)を歴任。元鉄鋼ビルディング代表取締役会長。 広島県呉市出身。増岡組創業者・増岡登作の次男。1948年(昭和23年)早稲田大学政治経済学部卒業。 1948年(昭和23年)増岡組に入り、取締役東京営業所長、1952年(昭和27年)専務。1959年(昭和34年)呉商工会議所会頭に選ばれる。 池田勇人元首相の地盤を継いで1967年(昭和42年)衆議院議員に初当選。以来通算8期。運輸政務次官、自民党交通部会長、衆議院運輸委員長、大蔵委員長の他、議院運営委員会理事、国会対策副委員長などを歴任し、1984年(昭和59年)第2次中曽根内閣の厚生大臣に就任。
鞠 快男(クク・クェナム、朝鮮語: 국쾌남、1922年3月1… 鞠 快男(クク・クェナム、朝鮮語: 국쾌남、1922年3月16日 - 2007年11月15日)は、大韓民国の実業家、政治家。忠武路にある映画館の大韓劇場(朝鮮語版)の設立者。第4代韓国国会議員。 本貫は潭陽鞠氏。号は白雪(ペクソル、백설)。15歳年下の弟の鞠鍾男は第14代国会議員、長男の鞠井本は1981年に大韓劇場の経営を継承した。 全南潭陽出身、4男2女中の長男である。早稲田大学法学部卒。軍政庁通訳官、ソングァン商事取締役、世紀商事代表、世紀航空(朝鮮語版)代表などを務めた。 1958年8月に映画館を運営する会社である世紀商事を設立し、1960年代に大韓劇場を引き継いだ以降に事業は着実に発展した。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
八木 昇(やぎ のぼる、1921年12月14日 - 2005… 八木 昇(やぎ のぼる、1921年12月14日 - 2005年4月26日)は、佐賀県出身の政治家、元衆議院議員。日本社会党所属。 1921年、佐賀郡富士町(現、佐賀市)で生まれる。福岡中学、早稲田大学を経て、1942年に九州配電(後の九州電力)に入社。1944年、歩兵第48連隊(久留米)入隊、フィリピン、モンテンルパ捕虜収容所より復員。 日本電気産業労働組合(電産)中央執行委員をはじめ、佐賀県総評初代議長、労働金庫初代理事長を務め、佐賀県労働運動や労働者福祉運動の礎を築いた。衆議院議員は1955年の第27回衆議院議員総選挙で初当選、以来計9期(25年9ヶ月)を務めた。 1992年4月の春の叙勲で勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
平林 剛(ひらばやし たけし、1921年10月10日 - 1… 平林 剛(ひらばやし たけし、1921年10月10日 - 1983年2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)を歴任した。 長野県上田市(旧小県郡丸子町)生まれ。小学校時に東京市板橋区に転居。旧制府立四中を経て、早稲田大学専門部法科入学後、1939年大蔵省専売局(後の日本専売公社)入局。全専売労働組合委員長を経て、1953年4月の第3回参議院議員通常選挙の全国区に左派社会党から立候補するが、次点で落選。この選挙の際、栃木県佐野市の投票所において、平林の所属政党名が日本共産党と誤って表示されていたことが明らかになり、1954年9月には下位当選者6名の当選が取り消された。
韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年… 韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年8月10日 - 1994年8月5日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家、実業家。 第6・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州韓氏、号は鳳巌(ボンアム、봉암/鳳巖)。 元の名前の漢字表記は韓 鍵洙(ハングル表記同じ)であったが、煩雑であったため第2代総選挙の後は金偏のない「韓 建洙」の名前を選挙区民宛のハガキと手紙に使用した。その後は裁判所により改名許可を受けた。 日本統治時代の忠清南道礼山郡に生まれた。礼山農業学校(現在は廃校)を卒業後に渡日し、早稲田大学法学科を卒業した。 世界日報社編集局次長、批判新聞の主筆などを務めた後、1948年より監察委員会(2022年現在は監査院)情報課長、調査課長、1951年より政界公論主筆、1952年より弘益大学校事務処長を務めた。
宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10… 宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10日-1984年(昭和59年)6月2日)は、日本の政治家・俳人・市民運動家。北海道紋別郡生田原町出身。旧制北海道野付牛中学校(現、北海道北見北斗高等学校)を経て、早稲田大学政経学部卒業。北海道北見市長(1967年-1975年、2期)。 早稲田大学卒業後、市の職員として北見市立東陵中学校などの中学校教諭に就く。教師時代から、市民運動・住民運動に力を入れ、1956年(昭和31年)に北海道教職員組合北見市支部執行委員長に就き、その後、全北海道労働組合協議会副議長を歴任。1967年(昭和42年)北見市長選挙に出馬し現職の滝野啓次郎を破って革新系首長として初当選する。
田島 衛(たじま まもる、1921年(大正10年)2月23日… 田島 衛(たじま まもる、1921年(大正10年)2月23日 - 1988年(昭和63年)1月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(2期)。 東京府東京市(現東京都)江戸川区出身。府立三中(現都立両国高等学校)を経て早稲田大学法学部在学中、学徒出陣で海軍に入る。海軍特攻隊特殊潜航艇蛟龍艇長となり、海軍中尉で復員した。 その後、1951年(昭和26年)江戸川区議会議員に選出され4期在任。1969年(昭和44年)東京都議会議員となり2期務めた(自由民主党所属)。この間、都議会自民党副幹事長、同政調会長などを務めた。 1976年(昭和51年)第34回衆議院議員総選挙に東京都第10区から無所属で立候補して次点で落選。
岡空 至(おかそら いたる、1921年〈大正10年〉 - 没… 岡空 至(おかそら いたる、1921年〈大正10年〉 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。千代むすび商事社長。千代むすび酒造監査役。千代むすび灘本舗代表取締役。境港市議会副議長。旧姓・下西。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)出身。境郵便局長の父・下西二郎、母・よし子の息子。1943年、早稲田大学専門部商科を卒業する。スポーツ用品・計量器販売業を営む。1974年、境港市議会議員に当選する。 戦後、市内でスキー熱が盛んになり、1949年ごろから景山利夫、赤石挙一、岡空至らの指導によりスキー教室を大山で開き、スキー愛好者を数多く育てた。住所は鳥取県境港市明治町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29… 桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29日 - 2001年7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。石川県立金沢第一中学校を経て早稲田大学卒業。 八重洲地下街社長、滋賀県副知事(1959年7月1日 - 1962年12月21日)を経て1967年、第31回衆議院議員総選挙に石川県第1区から無所属から出馬し当選。 1969年、第32回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し落選、1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し落選。 2000年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章。2001年7月9日、脳出血のため死去、80歳。死没日をもって従五位に叙される。
張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日… 張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日 - 2015年1月4日)は大日本帝国陸軍の軍人及び大韓民国の軍人、政治家、企業家。本貫は仁同張氏。 1920年、京城府に生まれる。1941年、早稲田大学商学部卒業。1942年、岐阜陸軍飛行学校、浜松陸軍飛行学校卒業。 1948年4月、韓国軍入隊。同年6月15日、航空基地司令部勤務。同年9月、航空基地司令部飛行部隊小隊長。1949年9月31日、飛行団飛行隊第2中隊長。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発するとF-51D操縦要員として板付に派遣された。同年11月、空中輸送班長。韓国空軍初の空輸任務を遂行した。1952年7月、駐アメリカ大使館付武官。
渋谷 守生(しぶや もりお、1920年(大正9年)9月13日… 渋谷 守生(しぶや もりお、1920年(大正9年)9月13日 - 2014年(平成26年)12月13日)は、日本の政治家。東京都議会議長を務める等、政治家として活躍する傍らで将棋の普及にも大きく貢献し、2012年に日本将棋連盟からアマチュア八段を授与された。位階は正五位。 以下、将棋関係の連載、コラム等多数 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29日 – 1997年(平成9年)10月16日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第7・8・9・10・11代)、全国革新市長会会長等を歴任した。位階は正四位。 千葉県成田市生まれ。1940年早稲田高等工学校(現早稲田大学)を卒業後、逓信省航空局に入省。第二次世界大戦での兵役を経て、敗戦後の1951年に川崎市役所に就職。技術吏員を振り出しに、職員組合委員長、労働組合連合会委員長、自治労神奈川県本部委員長等を経て、1971年の川崎市長選挙に日本社会党・日本共産党の推薦を受けて出馬し、7期目の当選を目指していた保守系の現職・金刺不二太郎を破り、初当選を果たす。
小巻 敏雄(こまき としお、1920年3月21日 - 199… 小巻 敏雄(こまき としお、1920年3月21日 - 1990年6月16日)は日本の教育者、政治家。元参議院議員(日本共産党公認)。 京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)生まれ。1944年、早稲田大学文学部卒業。その後、1947年に、京都府立宮津中学校(現・京都府立宮津高等学校)で、1951年に大阪府立生野高等学校でそれぞれ勤務する。生野高等学校時代に、大阪府立高校教職員組合の執行委員長に就任。委員長には1973年まで在職した。1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選を果たす。当選1回。党内では文教委員などを歴任した。1980年の第12回参院選に立候補したが落選した。 1990年6月16日、心筋梗塞のため奈良県奈良市の県立奈良病院で死去。
多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5… 多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5日 - 1995年4月9日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員、同党書記長。広島県呉市出身。正三位勲一等旭日大綬章。