安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18… 真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1981年〈昭和56年〉1月10日)は、日本の法制官僚、裁判官、弁護士。内閣法制局長官。 福井市出身。弁護士・真田一夫、政乃夫妻の七男として生まれた。福井県立福井中学校、第三高等学校を卒業。大学在学中に高等試験司法科試験に合格。京都帝国大学法学部を卒業。1942年(昭和17年)1月、司法官試補となり東京地方裁判所判事に任官。召集され陸軍の戦車隊に配属されたが、海軍短期現役士官を志願し海軍法務官に転じ、終戦時は海軍法務中尉であった。 戦後、裁判官に復帰したが、1947年(昭和22年)法制局に転じ参事官となり、第二部長、第一部長、内閣法制次長などを歴任。
樋口 和博(ひぐち かずひろ、1909年12月1日 - 20… 樋口 和博(ひぐち かずひろ、1909年12月1日 - 2009年2月7日)は、日本の裁判官、弁護士。 長野県上伊那郡川島村(現辰野町)生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校文科甲類、京都帝国大学法学部卒業。昭和11年司法官試補、以後、大阪、青森、高松、長野、東京の各地裁で約38年間裁判官生活を送る。昭和49年定年退官。昭和50年1月、弁護士登録(東京弁護士会)。
伊達 秋雄(だて あきお、1909年(明治42年)1月1日 … 伊達 秋雄(だて あきお、1909年(明治42年)1月1日 - 1994年(平成6年)12月25日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者。法政大学名誉教授。砂川事件一審において、日米安全保障条約によるアメリカ軍の駐留は日本国憲法違反とする判断を示したことで知られる。長男の伊達寛は東京メトロポリタンテレビジョン社長[要出典]。 大分県出身。旧制静岡県立掛川中学校を経て旧制静岡高等学校に進んだ。高校時代、軍事教練に反対して安倍川渡河演習を拒否したり、銃掃除の命令に従わなかったことがあったという。 京都帝国大学卒業。1933年(昭和8年)判事となる。1942年(昭和17年)、満州国司法部刑事司参事官となったが、この時期、不当に拘束され強制労働をさせられた中国人らを次々と釈放していた、との逸話がある。
池谷 信一(いけがや のぶいち、1899年(明治32年)11… 池谷 信一(いけがや のぶいち、1899年(明治32年)11月29日 - 1983年(昭和58年)2月9日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。位階は従五位。勲等は勲三等瑞宝章。元静岡県弁護士会長。元日本弁護士会常務理事。元日本弁護士連合会副会長。 静岡県出身。1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。 弁護士を開業。静岡地方裁判所各種調停委員、静岡県地方労働委員会長、静岡県弁護士会長、日本弁護士会常務理事、日本弁護士連合会副会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で静岡県第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
白川 久雄(しらかわ ひさお、1896年(明治29年)10月… 白川 久雄(しらかわ ひさお、1896年(明治29年)10月18日 - 1984年(昭和59年)1月1日)は、大正末から昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長。 兵庫県三原郡神代村(三原町を経て現南あわじ市神代)で、白川五平、まつ の長男として生まれる。旧制洲本中学校卒業。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。陸軍法務官試補に任官し、法務官に昇進。1925年(大正14年)から弁護士の業務に従事した。 実業界では、洲本瓦斯社長、全淡自動車取締役、洲本鉄工所取締役、淡路交通取締役、淡路タクシー取締役、淡路産業監査役、淡路商工会議所会頭などを務めた。
藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月… 藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月19日 - 1965年(昭和40年)2月21日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 奈良県宇智郡北宇智村近内(現在の五條市)出身。北宇智村長・藤岡長二郎の三男として生まれる。奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)を経て、第三高等学校を卒業。 1920年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、警視庁警視、広島県書記官・学務部長、鹿児島県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、東京府総務部長、警視庁警務部長などを歴任。 1938年2月、香川県知事に就任。
田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1… 田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1985年7月21日)は、日本の弁護士・法学者。専門は私法学。大阪経済大学元理事長、同名誉教授。 1894年(明治27年)香川県三野郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)に生まれる。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、1915年(大正4年)京都帝国大学法律科入学、1918年(大正7年)に卒業し司法官試補となる。1920年(大正9年)大阪地方裁判所判事に任官。1922年(大正11年)学界に転じ大分高等商業学校教授に就任、法律学を担当。翌1923年(大正12年)よりイギリス・ドイツに留学する。1929年(昭和4年)彦根高等商業学校に転任し民法、商法などを講じた。
伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明… 伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明治26年)10月15日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 沖縄県中頭郡北谷村(現北谷町)字北谷で、農家・伊礼昆正の三男として生まれる。沖縄県立第一中学校から第七高等学校造士館に進学し、1916年に同校理科を卒業。京都帝国大学法学部法律学科(独法)に進学し、1919年7月に卒業した。 同年に帰郷して沖縄県属となり地方課に配属。要請を受け1920年8月に北谷村長に就任。村政改革を進めたが保守勢力との対立を引き起こした。1923年11月に村長を辞して那覇に法律事務所を開設。1924年5月の第15回衆議院議員総選挙に憲政会の公認を受けて沖縄県から出馬したが落選。
高山 義三(たかやま ぎぞう、1892年(明治25年)6月1… 高山 義三(たかやま ぎぞう、1892年(明治25年)6月15日 - 1974年(昭和49年)12月6日)は、日本の弁護士、政治家。京都市長(第19代)。国立京都国際会館初代館長。京都自由人権協会理事長。初代京都市会議長で第1回衆議院議員を務めた中村栄助の三男。 中村栄助の三男として京都市に生まれる。京都府立二中では野球部で小西作太郎とバッテリーを組んでいた。第五高等学校を経て1918年に京都帝国大学法科大学法律学科を卒業。学生時代は河上肇を顧問とする労学会に所属、キリスト教社会主義運動に参加。1917年、友愛会の初代京都支部長に選ばれた。賀川豊彦の影響により普選運動に携わった。 京大助手、同志社大学講師を経て、神戸で弁護士を開業した。
大野 熊雄(大野 久磨夫、おおの くまお、1889年〈明治2… 大野 熊雄(大野 久磨夫、おおの くまお、1889年〈明治22年〉11月6日 - 1981年〈昭和56年〉6月1日)は、日本の武道家、弁護士。 熊本市生まれ。大野家は熊本藩藩主細川氏の家臣であった。熊雄は幼時より熊本藩伝の新陰流剣術、伯耆流居合術を修行し免許皆伝を授かる。熊本県中学済々黌、京都帝国大学経済学部、法学部を卒業。 東亜同文書院教授、大阪毎日新聞記者、京都帝国大学学生主事を歴任。大日本武徳会で武道の修練、大映京都撮影所で剣戟映画指導も行った。著書に『剣士内藤高治』、『剣士一代』、『日本名刀伝』がある。 1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬したが落選した。
細野 長良(ほその ながよし、1883年(明治16年)1月7… 細野 長良(ほその ながよし、1883年(明治16年)1月7日 - 1950年(昭和25年)1月1日)は、日本の裁判官、弁護士。最後の大審院院長を務めた。 富山県立富山中学校(後の富山県立富山高等学校)中退、旧制第六高等学校卒業。1908年、京都帝国大学法学部卒業。1918年、東京控訴院判事。広島控訴院院長の時に1944年2月の東條演説事件に対して、司法権独立の侵害と憲法違反に抗議する意見書を提出した。 1946年2月に第23代大審院長に就任。これは岩田宙造司法大臣による人事であり、細野は岩田大臣と司法権独立で意気投合していた。細野は日本の司法改革に意欲を持つGHQ民政局司法法制課課長のアルフレッド・C・オプラーとも意気投合した。
西村 禎一郎(にしむら さだいちろう、1881年(明治14年… 西村 禎一郎(にしむら さだいちろう、1881年(明治14年)8月 - 不明 )は日本の銀行家であり弁護士である。岡山県新見市出身。 1881年(明治14年)岡山県阿哲郡上市村井村(現:新見市上市)の西村幸三の6男として生まれる。20歳の時、1902年(明治35年)旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業し、旧制第六高等学校文科へ入学。ドイツ語を専攻する。1905年(明治38年)7月に同校を卒業し、京都帝国大学法科大学へ入学した。その後、仮面浪人を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学法科大学へ入学し、1912年(大正元年)10月に同大学独法学科を31歳で卒業した。 卒業後は村井銀行へ就職。
大八木 喬輔(おおやぎ きょうすけ、1881年7月 - 没年… 大八木 喬輔(おおやぎ きょうすけ、1881年7月 - 没年不詳)は、日本の陸軍法務官、弁護士。 福岡県遠賀郡底井野村(現・中間市)に生まれる。1900年福岡県中学修猷館、1904年7月第一高等学校独法科を経て、1907年7月京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 卒業後、直ちに志願兵として小倉歩兵第14連隊に入隊し三等主計に任官。1909年東京第1師団軍法会議法務官、次いで岡山第17師団軍法会議法務官、1912年台湾総督府軍法会議法務官、1916年青島守備軍軍法会議法務官兼青島守備軍法院裁判官、1920年小倉第12師団軍法会議法務官を歴任し、軍事法務上の一大権威と称されるが、1925年官を辞し、小倉市で弁護士を開業。
磯部 尚(いそべ ひさし、1875年(明治8年)11月23日… 磯部 尚(いそべ ひさし、1875年(明治8年)11月23日 - 1935年(昭和10年)11月1日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。磯部四郎の娘婿。 福井県福井市で士族の日比登の二男として生まれる。1887年、私立長岡学校(現在の新潟県立長岡高等学校)卒。京都帝国大学教授で工学博士の日比忠彦は実兄。第一高等学校を経て、1898年に東京帝国大学法科大学を卒業。卒業後、直ちに弁護士を開業した。弁護士・貴族院議員の磯部四郎の長女艶子と結婚し、姓を改めた。 本所区会議員、東京市会議員を経て、1917年の第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。その間、田中義一内閣で司法参与官を務めた。