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橋本 英教(はしもと ひでのり、1967年8月28日 - 2… 橋本 英教(はしもと ひでのり、1967年8月28日 - 2018年9月7日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。 岩手県大船渡市生まれ。大船渡北小学校、大船渡中学校、盛岡第一高等学校を経て、1993年3月、慶應義塾大学商学部卒業。同年4月から1998年12月まで、電源開発に勤務。 1999年、岩手県議会議員選挙で大船渡市選挙区に自由民主党公認で立候補したが、自由党の藤原良信(のちに参議院議員)、無所属の田村誠に敗れ落選。同年6月、玉沢徳一郎秘書を、2001年9月、尾身幸次秘書を務める。 NPO法人日中友好市民倶楽部理事、南開大学日本語学部客員講師、山東省日照市人民政府経済建設顧問を経て、2003年4月、岩手県議会議員選挙で大船渡市選挙区に自民党公認で再び立候補するが、またも藤原、田村に敗れた。
階 猛(しな たけし、1966年〈昭和41年〉10月7日 -… 階 猛(しな たけし、1966年〈昭和41年〉10月7日 - )は、日本の政治家、弁護士。中道改革連合所属の衆議院議員(8期)、中道改革連合幹事長兼選挙対策委員長。 総務大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院法務委員長、民主党役員室長、同岩手県連代表、民進党政務調査会長(第3代)、希望の党幹事長代理、国民民主党政務調査会長代行、同憲法調査会長、自誓会会長(第2代)を歴任した。 岩手県盛岡市生まれ。雫石町立雫石小学校、雫石町立雫石中学校、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。2年間の浪人生活を経て、東京大学文科一類に入学。高校、大学では野球部に所属し、大学の野球部では投手を務めた。東大時代の同期に小林至がいる。
内舘 茂(うちだて しげる、1966年〈昭和41年〉9月28… 内舘 茂(うちだて しげる、1966年〈昭和41年〉9月28日 - )は、日本の政治家、実業家。盛岡市長(1期)。 岩手県盛岡市出身。盛岡市立杜陵小学校、盛岡市立下橋中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、学習院大学経済学部経営学科卒業。卒業後はTOTOに就職する。同社を退職した後は帰郷し、実家の住宅設備会社丸乃タイル株式会社で働く。2003年に同社の代表取締役社長となり、社名を株式会社マルノに変更した。 2015年の盛岡市長選に立候補し、民主・生活両党の推薦を受けたが、現職の谷藤裕明に敗れた。 2019年の盛岡市長選で再び立候補したが、現職の谷藤に再び敗れた。 2023年の盛岡市長選では3度目の挑戦となり、内舘が65,704票を得て当選、6期目を目指した現職の谷藤(得票数48,022票)を破った。
広瀬 めぐみ(ひろせ めぐみ、1966年〈昭和41年〉6月2… 広瀬 めぐみ(ひろせ めぐみ、1966年〈昭和41年〉6月27日 - )は、日本の政治家、元弁護士。元参議院議員(1期)。 岩手県盛岡市中央通で、小田島旅館(現・ホテル小田島)を営む家に生まれる。11歳で父親が病死して母子家庭で育つ。岩手大学教育学部附属中学校卒業。1982年4月、岩手県立盛岡第一高等学校に入学。高校在学中、1年間米国に留学した。1986年4月、上智大学外国語学部英語学科に入学。1991年3月、上智大学外国語学部英語学科卒業。 1994年11月、高校の同級生の弁護士と結婚。自身も主婦から弁護士を目指し、1999年に司法試験に合格して2001年に弁護士登録した。第二東京弁護士会に所属。
達増 拓也(たっそ たくや、1964年〈昭和39年〉6月10… 達増 拓也(たっそ たくや、1964年〈昭和39年〉6月10日 - )は、日本の政治家、外交官。岩手県知事(公選第16〜20代)。復興庁復興推進委員会委員。無所属。 衆議院議員(4期)、東日本大震災復興構想会議委員を歴任。 岩手県盛岡市出身。生家は炭屋。 1983年3月岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1988年3月、東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。政治過程論の茅野修のゼミや国際問題研究会などに所属していた。大学卒業後は外務省に入省。同期入省には、船越健裕(外務事務次官)、赤松武(元南スーダン大使)、堤尚広(南スーダン大使)、松本太(シリア臨時代理大使)などがいる。1991年3月、ジョンズ・ホプキンズ大学国際研究高等大学院(SAIS)修了。
畑 浩治(はた こうじ、1963年9月28日 - )は、日本… 畑 浩治(はた こうじ、1963年9月28日 - )は、日本の建設官僚、政治家、行政書士。元衆議院議員(2期)。 国土交通省総合政策局情報企画課課長補佐、都市基盤整備公団公園企画課課長、独立行政法人都市再生機構営業推進室チームリーダー、民主党幹事長補佐、生活の党幹事長代理兼総合政策会議議長などを歴任した。 1963年、岩手県久慈市に生まれる。父親は大工であった。1981年、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業した。上京して早稲田大学に入学、法学を専攻した。1985年、早稲田大学を卒業した。 「地域の発展に携わりたい」と考え、1987年に建設省に入省した。建設省の内部部局においては、1992年に道路局の道路総務課にて企画係の係長となり、第11次道路整備5か年計画の策定に携わった。
中村 力(なかむら りき、1962年1月19日 - )は、日… 中村 力(なかむら りき、1962年1月19日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。株式会社ドリームマックス岩手(家庭用水素水供給装置製造)代表取締役。 実父は東日本ハウス(現・日本ハウスホールディングス)創業者で青年自由党代表の中村功(2017年現在ドリームマックス株式会社代表取締役)。 東京大学法学部を卒業し、郵政省に1986年から1989年まで勤務。 1990年、第39回総選挙に旧岩手1区から出馬し落選。1993年、第40回総選挙に再び無所属で出馬し初当選。衆議院の院内会派である「自由民主党・自由国民会議→自由民主党・自由連合」に参加。1996年、第41回総選挙に岩手1区から無所属で出馬するが落選。
山本 正德(やまもと まさのり、1955年8月3日 - )は… 山本 正德(やまもと まさのり、1955年8月3日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元岩手県宮古市長(4期)。 岩手県田老町(現宮古市)出身。町立田老第一小学校(現・市立田老第一小学校)、町立田老第一中学校(現・市立田老第一中学校)、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、岩手医科大学歯学部卒業。勤務医を経たのち、1984年(昭和59年)4月12日、歯科医院を開業する。 2009年(平成21年)6月28日執行の宮古市長選挙に無所属で出馬し、初当選。同年7月3日、市長に就任。2013年(平成25年)6月9日告示、6月16日投票の市長選において無投票で2期目の当選。2017年(平成29年)6月18日告示、6月25日投票の市長選挙において8年ぶりの選挙戦となり、元市議の内舘勝則を破り3期目の当選。
黄川田 徹(きかわだ とおる、1953年10月14日 - )… 黄川田 徹(きかわだ とおる、1953年10月14日 - )は、日本の政治家。 復興副大臣(野田第3次改造内閣)、総務副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣)、衆議院東日本大震災復興特別委員長、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長、衆議院議員(6期)、岩手県議会議員(2期)、民主党・民進党・国民民主党岩手県連代表、自誓会代表幹事等を務めた。 岩手県気仙郡広田町(現:陸前高田市)生まれ。陸前高田市立広田小学校、陸前高田市立広田中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学法学部卒業。1977年、早大法学部を卒業し陸前高田市役所に就職した。 1995年、岩手県議会議員選挙に新進党公認で陸前高田市選挙区から出馬し、初当選。
奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年(昭和26年)6月… 奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年(昭和26年)6月23日 - )は、日本の地方公務員、政治家。旧姓は熊地。 2009年から2017年まで仙台市長を2期務めた。宮城県初の女性首長、政令指定都市初の女性市長である。 1951年、秋田県秋田市生まれ。幼少期から国家公務員だった父親の転勤に伴い各地を転々とした。秋田県立秋田高等学校に入学するが、2年生のときに岩手県立盛岡第一高等学校に転校する。東北大学経済学部卒業後、東京都(世田谷区)勤務を経て、仙台市役所入庁。市役所では生涯学習課長、女性企画課長、せんだいメディアテーク館長、市民局次長、教育長を歴任。副市長に在職中の2007年、仙台市教育委員会教員採用試験の合否通知をめぐる不正問題で渦中の人となった。
谷藤 裕明(たにふじ ひろあき、1950年(昭和25年)4月… 谷藤 裕明(たにふじ ひろあき、1950年(昭和25年)4月29日 - )は、日本の政治家、実業家。元盛岡市長(5期)。盛岡市出身。岩手県議会議長、岩手県議会議員(3期)を務めた。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡市立厨川小学校、盛岡市立城西中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学教育学部卒業。大学卒業後、盛岡市に本社を置く株式会社橋市の役員を経て、1991年に岩手県議会議員選挙に盛岡市選挙区から出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。岩手県議時代は自由民主党系の会派(自由民主クラブ)に所属した。2001年、岩手県議会議長に就任。2003年の岩手県議会議員選挙では、同年8月の盛岡市長選挙への出馬を見越し、4選出馬を見送った。
主濱 了(しゅはま りょう、1950年(昭和25年)4月2日… 主濱 了(しゅはま りょう、1950年(昭和25年)4月2日 - )は、日本の政治家。新字体で主浜 了と表記されることもある。参議院議員(2期)、参議院農林水産委員長、総務大臣政務官、国民の生活が第一代表(第2代)、同参議院国会対策委員長、生活の党と山本太郎となかまたち副代表兼両院議員会長兼参議院会長、岩手県宮古市助役、岩手県庁農林水産部次長、岩手県滝沢市長(1期)などを歴任した。
戸田 公明(とだ きみあき、1949年(昭和24年)5月7日… 戸田 公明(とだ きみあき、1949年(昭和24年)5月7日 - )は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)を務めた。 岩手県三陸町(現:大船渡市)吉浜生まれ。大船渡市立盛小学校、大船渡市立第一中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部建築学科卒業。1972年、清水建設に入社。1986年、社命によりアメリカ合衆国のハーバード大学に留学。また、社命により上海営業所長や北京駐在員事務所長、香港営業所長等を務め、2006年9月に同社を退社した。同年の大船渡市長選に立候補したが、落選。2007年1月、医療法人勝久会の専務理事に就任し、2010年9月まで務めた。 2010年11月21日投開票の大船渡市長選挙に公明党の推薦を受けて出馬。
相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月… 相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月1日 - )は、岩手県の政治家。江刺市長(1期)、奥州市長(1期)を歴任。 2006年の奥州市誕生を機に初代市長を目指し立候補。旧水沢市長の高橋光夫、元衆議院議員の高橋嘉信を破り当選する。 2010年の市長選挙には、再選(2期目)を目指して出馬したが、新人で前奥州市議会議長の小沢昌記に12,600票差で破れ、再選はならなかった。 奥州市長選では副県都構想、金ケ崎町・平泉町との合併(いわゆる「平泉市構想」)、四年制大学の誘致などを提唱した。 第二回「マニフェスト大賞2007」で、自身の「みんなで創ろう豊かな奥州市」が、首長部門審査委員会特別賞に選ばれた。
熊谷 泉(くまがい いずみ、 (1947-08-25) 19… 熊谷 泉(くまがい いずみ、 (1947-08-25) 1947年8月25日 - )は、日本の政治家、獣医師。岩手県紫波町長(第12代、2014年 - 2026年)。有限会社熊谷牧場代表取締役を務めた。公民連携によるまちづくりを推進し、「オガールプロジェクト」などの再開発事業で知られる。 1947年(昭和22年)8月25日、岩手県紫波町片寄に生まれる。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、岩手大学農学部を卒業後、1971年(昭和46年)に家畜医院を開業した。 1999年(平成11年)、有限会社熊谷牧場代表取締役に就任。 2003年(平成15年)、紫波町議会議員に当選(2006年12月まで)。 2007年(平成19年)、岩手県議会議員に当選(2013年12月まで)。
穀田 恵二(こくた けいじ 1947年1月11日 - )は、… 穀田 恵二(こくた けいじ 1947年1月11日 - )は、日本の政治家。 1947年1月11日、岩手県水沢市(現・奥州市)に生まれる。1965年3月、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。1969年3月、立命館大学文学部人文学科日本文学専攻を卒業。同年4月、学校法人立命館に入職。1972年、日本共産党北地区委員会に入職。 1987年4月、京都市議会議員選挙で北区選挙区から日本共産党公認で出馬し、初当選。 1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で旧京都1区から出馬し、初当選。 1996年10月25日、第41回衆議院議員総選挙で京都1区から出馬し、伊吹文明に2600票差で惜敗するも比例近畿ブロックで比例復活し、2選。
高橋 昌造(たかはし しょうぞう、1945年8月14日 - … 高橋 昌造(たかはし しょうぞう、1945年8月14日 - )は、日本の政治家。岩手県矢巾町長(2期)。元岩手県議会議員(2期)。 岩手県盛岡市生まれ。1964年(昭和39年)3月、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1971年(昭和46年)、矢巾町役場に奉職。1999年(平成11年)5月から2007年(平成19年)まで助役を務めた。 2007年(平成19年)4月8日に行われた岩手県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。東日本大震災の影響で2011年(平成23年)9月11日に延期された県議選では民主党公認で立候補し再選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた矢巾町長選挙に立候補し初当選した。4月30日、町長就任。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
高橋 令則(たかはし よしのり、1934年(昭和9年)9月2… 高橋 令則(たかはし よしのり、1934年(昭和9年)9月29日 - 2016年(平成28年)9月3日)は、日本の政治家。 岩手県出納長、岩手県副知事、参議院議員(1期)、自由党岩手県総支部連合会会長などを歴任した。 1934年に岩手県岩手郡松尾村(現八幡平市)で生まれた。岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学法学部を卒業。 1962年(昭和37年)岩手県庁に入庁した。要職を歴任し、岩手県知事の中村直の下では出納長を務めた。後任の知事である工藤巌の下では副知事を務めた。工藤の退任にともない、1995年4月29日に副知事を退任した。同年、第17回参議院議員通常選挙への立候補を表明した。新進党の公認を受け、岩手県選挙区にて当選を果たした。
山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日… 山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日 - 2001年(平成13年)1月3日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。弁護士。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京外国語大学英米科卒、1957年(昭和32年)東京大学法学部卒、東京大学大学院法学研究科中退。千葉県立千葉商業高等学校の講師、同教諭を経て、衆議院議員の父山中吾郎の秘書を務め、1966年(昭和41年)に弁護士登録し、開業。1983年(昭和58年)から1年間岩手県弁護士会会長を務めた。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙で旧岩手1区から立候補して初当選。1993年(平成5年)第40回総選挙で落選、1996年(平成8年)第41回総選挙で岩手1区から社会民主党公認で出馬したが、再び落選した。
横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14… 横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14日 - 2017年(平成29年)6月17日)は、日本共産党岩手県議会議員(6期) 。盛岡市議会議員(1期) 。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡米内村(現在の盛岡市)に無産運動家の横田忠夫とチエ(のち岩手県議)の子に生まれる。一家はその後、盛岡市に移る。盛岡市立仁王小学校を経て、旧制盛岡中学(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)に入る。在学中に父忠夫が死去する。盛岡中学を3年で中退。仙台市にある私立南光学園東北中学校(現在の東北高等学校)に編入し、同校を卒業する。卒業後は仙台工業専門学校(現在の東北大学工学部)に入る。在学中は日本社会党に入り、同校生徒自治会総合委員長、社会党宮城県連常任書記となる。
村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21… 村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月30日)は、日本の政治家。岩手県稗貫郡大迫町(現花巻市)長(9期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県稗貫郡大迫町に生まれる。旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1950年早稲田大学政治経済学部卒。1951年旧大迫町議会議員に当選し、合併までの2期務める。1955年の合併後も町議会議員を2期務める。1960年大迫町長に当選。1988年まで8期連続で務める。町長時代は特産品のブドウ栽培やワイン造りに力を入れ、エーデルワインを設立し、社長に就任した。また、町長在任中には早池峰神楽の国の重要無形文化財指定や早池峰山の国定公園の指定、早池峰山に自生する高山植物ハヤチネウスユキソウが縁でオーストリアのベルンドルフ市との姉妹都市の締結、山岳博物館の開館などがあり、福祉向上と町の発展に努めた。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18… 工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に立候補し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。
中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月… 中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。 1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。早稲田大学に入るが中退する。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。
和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2… 和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2月21日 - 1997年 <平成9年> 10月18日)は日本の政治家。岩手県普代村長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 普代村出身。盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進むが、健康を害して中退、普代に戻った。 1933年、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した。後に著した回想録『貧乏との戦い四十年』では「阿鼻叫喚とはこのことか。堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時にはなんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」と述懐している。 普代村役場で働いたのち、1947年に村長選挙に出馬して当選し、以後1987年まで10期40年に亘り務める。
北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2… 北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2002年2月22日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 岩手県花巻市生まれ。盛岡中学と東京帝国大学で学び、中国へ渡って貿易統制機関で働く。戦後引き揚げて社会党結成に参加し、1947年まで花巻町長を2期務める。1953年の衆院選に岩手2区から左派社会党公認で出馬、当選して1983年の衆院選で落選するまで通算10期務める。 この間、党政策審議会長(1970年 - 1972年)・党中央執行副委員長(1978年 - 1981年)を歴任。国民服(中国の人民服)で国会に登壇したり、政界を退いた後もミニコミ紙を発行して政治評論活動を続けるなど、独特の活動を行っていた。
阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月2… 阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月23日 - 1972年(昭和47年)9月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1952-1953)、岩手県知事(1955年-1963年)などを務めた。 1893年(明治26年)11月23日、岩手県稗貫郡湯口村大字中根子(現在の花巻市中根子)に、小学校教員(後に湯口村村長)の父・晁(ちょう)と母・テルの長男として生まれた。仮死状態で生まれ、家族は一時あきらめたが、祖母が千に一つの望みに、と医師を呼んで手当をしてもらって奇跡的に助かったことから、その医師・三又与次郎の発案で千一と名付けられた。1912年に盛岡中学校、1916年に第一高等学校を卒業。
4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26… 4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26年〉11月4日 - 1967年〈昭和42年〉11月21日)は、日本の資産家、実業家、政治家(貴族院多額納税者議員)。「弥右衛門」の名前は代々襲名されており、本記事に記載するのは4代目である。 岩手県稗貫郡花巻町出身。出生名は周蔵。花巻町でも有数の豪農である瀬川家に、3代弥右衛門の子として生まれ、父の死去に伴い1922年(大正11年)1月に家督を相続し弥右衛門を襲名した。 慶應義塾大学経済学部を卒業。父が没した1922年の時点では瀬川家は県下一の多額納税者であった。この時期には農家から貸金業に中心は移っていたとみられている。豊富な資金を岩手軽便鉄道・花巻電気などに投資し、その役員となった。
大矢 半次郎(おおや はんじろう、1892年〈明治25年〉1… 大矢 半次郎(おおや はんじろう、1892年〈明治25年〉1月9日 – 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、大正から昭和期の大蔵官僚、弁護士、政治家。参議院議員、農林中央金庫副理事長。旧姓は佐々木。 岩手県紫波郡、のちの都南村(現盛岡市)で、佐々木定吉の三男として生まれ、政治家大矢馬太郎の養子となり1918年(大正7年)に分家した。盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、第一高等学校を卒業し、1917年(大正6年)10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。同年、大蔵省に入省し参事官室属となる。 以後、富山税務署長、品川税務署長、永代税務署長、仙台税務監督局直税部長、大阪税務監督局直税部長、銀行検査官、大蔵省主税局国税課長兼主税局臨時土地調査課長、東京税務監督局長、日本銀行監理官、大蔵省主税局長などを歴任。
川村 松助(かわむら まつすけ、1890年(明治23年)9月… 川村 松助(かわむら まつすけ、1890年(明治23年)9月1日 - 1961年(昭和36年)6月28日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。吉田派。 岩手県紫波郡徳田村(現・矢巾町)に川徳創業者の川村徳松の息子に生まれる。岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。陸軍に入り、除隊後盛岡に松屋百貨店(現存せず)を創業する。盛岡市会議員、盛岡商工会議所会頭、花巻温泉、花巻電鉄の各社長となる。このほか東北六県織物商業組合理事長、全日本繊維商業協同組合、盛岡観光協会、岩手県貿易振興協会各会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月第1回参議院議員通常選挙岩手県選挙区から無所属で出馬、落選。
小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉… 小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉1月10日 - 1952年〈昭和27年〉8月12日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町→東和町現・花巻市)出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった。 1929年、盛岡市会議員となり、18年務めた。 盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした。
見坊 田鶴男(けんぼう たづお、1883年〈明治16年〉1月… 見坊 田鶴男(けんぼう たづお、1883年〈明治16年〉1月6日 - 1955年〈昭和30年〉1月20日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 盛岡市出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。岩手県庁に入り、岩手郡書記となる。内務省警保局書記を経て、青森県北津軽郡長、福島県相馬郡長を歴任した。1927年に満州に渡り、遼陽、鞍山の各事務所長を経て、関東州果樹組合専務理事に就任した。1936年に退職し帰国した。 1939年に盛岡市長に就任。盛岡市は厨川、中野、本宮、浅岸と合併。太平洋戦争が始まり、戦時体制下の市政運営となり、困難を極めた。市長は1943年に辞職した。 戦後、公職追放となり、追放解除後の1955年に死去した。
田子 一民(たご いちみん、1881年〈明治14年〉11月1… 田子 一民(たご いちみん、1881年〈明治14年〉11月14日 - 1963年〈昭和38年〉8月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議長(第34代)、衆議院副議長(第27代)、官選三重県知事、農林大臣(第4次吉田内閣)、衆議院議員(通算9期)などを務めた。岩手県盛岡市出身。東京帝国大学法科大学卒業。 岩手県士族の田子勘治の次男として生まれる。現在の盛岡市立城南小学校、盛岡中学、旧制二高を経て、1908年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、内務省に入省。山口県警部、山口県都濃郡長、山口県警察部長、内務省社会局第一課長兼第二課長、社会局長、官選三重県知事などを歴任し、その後政界に転じる。
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年〈明治13年〉12月… 八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年〈明治13年〉12月19日 - 1965年〈昭和40年〉1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 岩手県盛岡市出身。栃内曽次郎海軍大将は叔父。八角が海軍兵学校を志願するきっかけは原敬の激励だったという。 岩手県立盛岡尋常中学校より海軍兵学校(29期)へ進んだ。席次は入校時137名中119番。卒業時は125名中75番。第一駆逐隊所属の駆逐艦「吹雪」乗組み中尉として日本海海戦に参戦。大尉時代に『敵艦進路及び速力の誤測に対する命中限界算法、魚雷動的発射に於ける誤差』と題する論文を発表 し、海軍水雷術の発展に貢献している。海軍水雷学校校長、第二水雷戦隊司令官を務めた水雷の権威である。
米内 光政(よない みつまさ、旧字体: 米內 光政、1880… 米内 光政(よない みつまさ、旧字体: 米內 光政、1880年〈明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵29期・海大12期。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。 連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。 1880年(明治13年)、岩手県南岩手郡三割村(現:盛岡市)に旧盛岡藩士・米内受政の長男として誕生する。 1886年(明治19年)、鍛冶町尋常小学校に入学。1890年(明治23年)、盛岡高等小学校に入学。1894年(明治27年)、岩手県尋常中学校に入学。1898年(明治31年)、海軍兵学校29期に入校。
出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25… 出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25日 - 1947年(昭和22年)8月19日)は、日本の外交官、政治家。外務次官、在アメリカ合衆国日本大使、貴族院勅選議員、参議院議員。位階は正三位、勲等は勲一等。 岩手県第一大区一小区仁王村(現盛岡市梨木町)で旧盛岡藩藩士の次男として生まれる。旧制盛岡中学校(岩手県立盛岡第一高等学校の前身)卒、1902年旧制東京高等商業学校(一橋大学の前身)専門部貿易科卒業。同期に山中千之元国際連盟委任統治委員、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など。 1902年、外交官及び領事官試験に合格し外務省入省。京城在勤、ドイツ在勤、政務局第一課長を歴任。
大矢 馬太郎(おおや うまたろう、1870年7月24日〈明治… 大矢 馬太郎(おおや うまたろう、1870年7月24日〈明治3年6月26日〉 - 1939年〈昭和14年〉7月11日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。岩手県盛岡市長。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。旧姓は中村。 中村俊太郎の伯父として、現在の盛岡市馬場町(馬場小路)に生まれる。のち大矢五蔵の養子となり家督を相続する。1888年(明治21年)7月、岩手県中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を卒業し、盛岡市参事会員を経て、1907年(明治40年)11月、盛岡市長に就任。1910年(明治43年)8月、市長の座を退き、岩手県会議員、岩手県参事会員、盛岡市会議員、同議長などを経て、1916年(大正5年)12月、補欠選挙で貴族院議員に当選し、同年12月26日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。