横堀 將司(よこぼり しょうじ、1974年7月15日 - )… 横堀 將司(よこぼり しょうじ、1974年7月15日 - )は、日本の医学者・医師。専門は救急医学・脳神経外科学・外傷学。博士(医学)。 日本医科大学救急医学教室大学院教授、日本医科大学付属病院高度救命救急センター長。 横田裕行の後任として日本医科大学救急医学教室の大学院教授(日本医科大学では2012年より主任教授を大学院教授と呼称)の4代目を務めている。
群馬県立前橋高等学校:40人
横堀 將司(よこぼり しょうじ、1974年7月15日 - )… 横堀 將司(よこぼり しょうじ、1974年7月15日 - )は、日本の医学者・医師。専門は救急医学・脳神経外科学・外傷学。博士(医学)。 日本医科大学救急医学教室大学院教授、日本医科大学付属病院高度救命救急センター長。 横田裕行の後任として日本医科大学救急医学教室の大学院教授(日本医科大学では2012年より主任教授を大学院教授と呼称)の4代目を務めている。
関 良徳(せき よしのり、1971年 - )は、日本の法学者… 関 良徳(せき よしのり、1971年 - )は、日本の法学者。専門は法哲学。信州大学学術研究院教授。日本法哲学会事務局長。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1994年一橋大学法学部卒業。1999年同大大学院法学研究科を修了し、論文「ミシェル・フーコーの権カ論と法の問題」により博士(法学)取得。審査員は森村進、佐々木滋子、青木人志。 一橋大学大学院法学研究科助手、日本学術振興会特別研究員を経て、2002年岩手大学教育学部専任講師。2003年信州大学教育学部専任講師。2007年同准教授。2011年日本法哲学会理事。2012年共通教育グッドプラクティス最優秀賞受賞。2017年信州大学学術研究院教授。
青木 俊明(あおき としあき、1970年 - )は、日本の都… 青木 俊明(あおき としあき、1970年 - )は、日本の都市計画学者。専門は環境心理学、都市環境政策、都市計画、地域計画、応用社会心理学など。2020年現在は東北大学大学院国際文化研究科准教授。 群馬県に生まれる[要出典]。群馬県立前橋高等学校を経て、1993年に東北大学工学部原子核工学科を卒業し、引き続き大学院情報科学研究科に進み、1998年3月に博士後期課程を満期退学した。同年4月より経済学部助手となり、翌年建設省土木研究所(現在の国土交通省国土技術政策総合研究所)で任期付研究員になる。 2002年4月より東北工業大学土木工学科講師となり、建設システム工学科助教授(2005年4月)を経て2008年4月に経営コミュニケーション学科准教授に就任する。
干川 剛史(ほしかわ つよし、1961年4月2日 - )は、… 干川 剛史(ほしかわ つよし、1961年4月2日 - )は、日本の社会学者、大妻女子大学教授。 もともと、公共圏やデジタル・ネットワーキングの議論に関心を寄せていた。阪神・淡路大震災を契機として、情報通信技術(ICT)の被災地支援への活用に取り組むようになり、災害時にネットワーク環境が保持されることを目指すシステムの提案や、被災地への支援者の呼び込みを目的とするポータルサイトの構築などを提案するなどの取り組みをしている。 1961年、群馬県前橋市生まれ。1980年、群馬県立前橋高等学校卒業。1984年、群馬大学教育学部社会科学学科Ⅱ類卒業。1987年、慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了(社会学修士)。
樋口 正人(ひぐち まさと、1960年〈昭和35年〉8月17… 樋口 正人(ひぐち まさと、1960年〈昭和35年〉8月17日 - )は、日本の起業家・研究者である。2009年(平成21年)より株式会社ダステック代表取締役社長。新潟県新潟市生まれ、事業拠点は石川県金沢市。 一般社団法人日本ファンクショナルダイエット協会の「シニアケトジェニックアドバイザー」(認定証発行2016年3月20日)。および一般社団法人AGE研究協会の「AGE研究協会認定講師」(認定証発行2016年4月1日)。1998年(平成10年)4月 - 2001年(平成13年)3月は、通商産業省工業技術院生命工学工業技術研究所の技術研修員もつとめた。先生は岡修一。 ペンネーム「純炭社長」としてブログやSNSの発信もおこなっている(「純炭社長の徒然起業日誌」など)。
星野 俊也(ほしの としや、1959年9月7日 - )は、日… 星野 俊也(ほしの としや、1959年9月7日 - )は、日本の国際政治学者・外交官。外務省在アメリカ合衆国日本国大使館専門調査員、大阪大学大学院教授、国際連合日本政府代表部公使等を経て、同大使次席常駐代表(2017年8月1日~2020年8月)。専門は、国際安全保障論、国連研究。大阪大学博士(国際公共政策)(2003年)。日本において、模擬国連(Model United Nations)活動を開始したことでも知られている。現在、大阪大学大学院国際公共政策研究科教授や岡山大学エグゼクティブ・アドバイザーなどを務める。
高草木 光一(たかくさぎ こういち、1956年 - )は、日… 高草木 光一(たかくさぎ こういち、1956年 - )は、日本の社会思想史学者。慶應義塾大学名誉教授。 群馬県生まれ。1975年群馬県立前橋高等学校卒業。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。1982年同大学院経済学研究科修士課程修了、1988年同博士課程単位取得退学。1989年慶應義塾大学経済学部助手、1994年助教授、2001年教授。 社会思想史専攻。フランス無政府主義が専門だが、戦後日本の思想史を研究する。
長沼 範良(ながぬま のりよし、1955年 - )は、日本の… 長沼 範良(ながぬま のりよし、1955年 - )は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。松尾浩也に師事。 群馬県出身。成蹊大学講師、金沢大学助教授、成蹊大学教授、上智大学法科大学院院長を経て、上智大学大学院法学研究科教授。司法試験考査委員(刑事訴訟法)。 【事案の概要】 上智大学法科大学院長かつ早稲田非常勤の長沼教授(刑訴法)が、早稲田法科大学院未修女子に対し、 大学院定期試験終了後の平成20年2月18日、歌舞伎町付近のバーからの帰り道において、 「人のいないところで今後の話がしたい」「考査委員の私があたなを指導するメリットは大きいと思う」 などと申し向け、同女をラブホテルに誘った。これに対し、同女は 「どんな話をするか聞いてみたい」「変な雰囲気になればすぐ出ればいい」 との思いから、氏の誘いに応じてホテル4階の一室に入室。
大島 登志彦(おおしま としひこ、1954年 - )は、日本… 大島 登志彦(おおしま としひこ、1954年 - )は、日本の地理学者。高崎経済大学地域科学研究所名誉研究員。高崎経済大学名誉教授。上毛電鉄友の会会長。工学博士(日本大学)。 専門は人文地理学、交通地理学、交通史、産業考古学。研究テーマはスイッチバックと東武バス。 群馬県出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1977年3月東北大学工学部電気系・通信工学科卒業、1982年3月群馬大学教育学部社会科学専攻卒業、1985年3月東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程修了。 1977年4月ナカヨ通信機入社(1978年3月まで勤務)、1985年4月群馬県立嬬恋高等学校教諭、1988年4月群馬工業高等専門学校講師、1991年4月同高専助教授、1999年4月高崎経済大学経済学部助教授、2001年4月同大学教授を経て、2020年7月より同大学地域科学研究所名誉研究員。
小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 201… 小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 2017年4月22日)は、日本の教育学者、公衆衛生学者。群馬大学教育学部教授。専門は公衆衛生学、健康教育学、保健統計学。位階は従四位。 趣味で始めた柔道では講道館七段を持ち、大学でも柔道実習の講師、またスキー実習の講師を務めて一級の運動指導者として名を馳せていた。平成2年に腹部手術により容姿が変貌したが、晩年まで柔道指導を行い、群馬大学柔道部顧問も務めた。長男は教育者のおがわしんたろう。
戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11… 戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11日 - )は、日本の地理学者、高崎経済大学名誉教授。第36代日本地理学会会長(2016年 - 2017年)。群馬県前橋市総社町出身。
清水 和夫(しみず かずお、1946年8月 - )は、日本の… 清水 和夫(しみず かずお、1946年8月 - )は、日本の教育学者である。 群馬県前橋市出身。群馬県教育委員会特別表彰。 現在群馬大学大学院教育学研究科 (教職リーダーコース) 教授。専門は教育学、学校経営学。 1946年8月 群馬県前橋市で出生。幼少時代の将来の夢は『大工さん』。1965年8月 群馬県立前橋高等学校普通科卒業。1970年3月 群馬大学教育学部社会科教育専修卒業(考古学専攻)。 1970年4月 - 1973年3月 前橋市立下川淵小学校教諭。1973年4月 - 1976年3月 群馬県教育委員会文化財保護課文化財保護主事。1976年4月 - 1981年3月 前橋市立朝倉小学校教諭。
吉田 賢右(よしだ まさすけ、1944年〈昭和19年〉2月 … 吉田 賢右(よしだ まさすけ、1944年〈昭和19年〉2月 - )は、日本の生物学者(分子生物学・生化学)。理学博士(東京大学・1972年)。東京工業大学名誉教授、京都産業大学シニアリサーチフェロー。 自治医科大学医学部講師、東京工業大学理学部教授、東京工業大学生命理工学部教授、東京工業大学資源化学研究所教授、東京工業大学資源化学研究所所長(第14代)、京都産業大学工学部教授、京都産業大学総合生命科学部教授、京都産業大学構造生物学研究センターセンター長などを歴任した。 群馬県前橋市出身の分子生物学者、生化学者である。ATP合成酵素を構成するサブユニットの単離精製と再構成に成功するとともに、世界で初めてサブユニットの構成比を明らかにするなど、ATP合成酵素の研究の先駆けとして知られている。
茂木 俊彦(もぎ としひこ、1942年〈昭和17年〉10月1… 茂木 俊彦(もぎ としひこ、1942年〈昭和17年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉9月25日)は、日本の教育心理学者。障害児教育が専門。東京都立大学第11代総長。東京都立大学名誉教授。 群馬県前橋市出身。東京大学大学院教育学研究科博士課程退学後、東京大学教育学部助手、広島大学教育学部助教授、立正大学文学部助教授、東京都立大学人文学部教授などを歴任。東京都の大学改革による首都大学東京の発足に伴い、東京都立大学総長職が廃止となったため、2005年3月に退任。最後の東京都立大学総長となった。
矢部 喜正(やべ よしまさ、1940年(昭和15年)4月1日… 矢部 喜正(やべ よしまさ、1940年(昭和15年)4月1日 - 2005年(平成17年)12月)は、日本の医学者(循環器病学)、東邦大学元教授。医学博士。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京慈恵会医科大学医学部卒業。1973年に東邦大学より「冠動脈結紮犬における冠動脈間吻合の発達に関する研究」で医学博士の学位を取得。東邦大学医学部附属大森病院循環器センター長などを歴任。今では一般的となった心筋梗塞の治療に、バルーンによる血管拡張治療を始めた先駆者的存在であった。
高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 -… 高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者。専門は核化学。理学博士(東京大学)。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。 父は開業医。幼少時の仇名は「ジンザ」でエスペラントに関心を持っていた。 宮沢賢治文学を愛好した。群馬大学学芸学部附属小・中学校時代の同級生には、日本銀行で要職を務めたあとOECD経済総局長、ついでOECD副事務総長に栄進した重原久美春、SF作家の豊田有恒、がいる。 『高木仁三郎著作集』(全12巻)など多数の著書を七つ森書館より刊行。同社の中里英章社長(当時)は高木に師事した。 政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立して代表を務めた。
斎藤 公男(さいとう まさお、1938年 - )は、日本の構… 斎藤 公男(さいとう まさお、1938年 - )は、日本の構造エンジニア(構造家)。日本大学名誉教授、日本建築学会元会長。現在、A-Forum代表、日本建築文化保存協会理事。 群馬県立前橋高等学校卒業。日本大学在学時に坪井善勝の元で学び、バックミンスター・フラーに魅了される。空間構造や構造デザインに対する強い関心を育み、その後の大学における「教育・研究・設計」の融合を図ることへのテーマとつなげる。卒業後は、日本大学理工学部建築学科で教鞭をとりながら、空間構造デザイナーとして数多くの作品を生み出してきた構造設計者の一人である。特に、張弦梁構造の設計の第一人者として知られる。 全日本弓道連盟会長であった父の斎藤友治が日本弓をひく姿から「美と強」の調和的世界に感銘を受け、張弦梁構造の設計・デザインにつながったと語る。
森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日… 森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日 - )は、日本の農業経済学者、立正大学名誉教授。農学博士。 群馬県前橋市生まれ。1952年群馬県立前橋高等学校卒業、1957年東京大学工学部土木工学科卒業。1963年同大学院農業経済学専攻修了、「農業における用水生産力の計測的研究」で農学博士。1964年農林省農業技術研究所入所。1978年北海道大学農学部助教授。1981年東京大学農学部助教授、84年教授。94年定年退官、立正大学経済学部教授。2004年定年退職、名誉教授。2003年社団法人農協協会理事。各種委員、農林水産統計観測審議会委員。千葉県農政審議会委員。
武 邦保(たけ くにやす、1933年〈昭和8年〉12月5日 … 武 邦保(たけ くにやす、1933年〈昭和8年〉12月5日 - 2002年〈平成14年〉7月23日)は、日本の宗教学者。元同志社女子大学教授。神学修士、法学修士。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校卒。1965年(昭和40年)同志社大学大学院神学研究科卒。 四国学院大学を経て、同志社女子大学に1969年に着任。 2002年7月23日、肝不全のため死去。
田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1… 田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1月7日 - 2011年〈平成23年〉9月25日)は、日本の医学者・薬理学者。医学博士。群馬大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。旧制前橋中学校を経て、1949年(昭和24年)前橋医学専門学校卒業。1955年(昭和30年)東京慈恵会医科大学医学博士。1959年(昭和34年)群馬大学医学部助教授。1965年(昭和40年)よりアメリカ・ミシガン大学へ留学。1972年(昭和47年)群馬大学医学部教授。1978年(昭和53年)日本アルコール医学会会長。1983年(昭和58年)群馬大学医学部付属動物実験施設長。1991年(平成2年)定年退官、名誉教授、群馬県立医療短期大学学長。
今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月… 今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月7日 - 2020年〈令和2年〉3月9日)は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。 1924年、群馬県前橋市小柳町(現・住吉町)に生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1945年9月卒業。編集人を経て1947年、東京帝国大学大学院に進学。丸山眞男に師事した。 卒業後は1952年より横浜市立大学専任講師となり、1955年より同校助教授。1965年同校教授に就任、1977年文理学部長。1991年より湘南国際女子短期大学教授を務めた。
大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21… 大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の法学者。専攻は刑法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「間接正犯の研究」)。名古屋大学名誉教授。 群馬県勢多郡桂萱村(現・前橋市)生まれ。 福田平と共に団藤重光の指導を受ける(指導教授であった小野清一郎が公職追放となったための措置であり、もとは団藤の弟子でなかった)。同い年の福田平とはその後も深い親交を保った。また、福田とともに長く司法試験委員を務め、その著書は司法試験の基本書とされた。妻は弁護士で朝日大名誉教授の大塚錥子で、民法・環境法学者の大塚直(早稲田大学教授)は息子。
大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月2… 大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月21日- 2015年〈平成27年〉)は日本の水中写真家・水中考古学者・海女文化研究家。中央大学経済学部卒業、東京藝術大学油絵画科中退。1938年(昭和13年)、トレジャー・ダイバーの第一人者片岡弓八に師事し、海軍水路部勤務などを経て、戦後は名取洋之助の門下に入り、水中写真家として国内外の映画の水中撮影を数多く手掛ける。1960年から1961年(昭和35年-36年)、サンタモニカ国際写真コンクールにてアカデミー賞受賞。1970年(昭和45年)、ジャック・マイヨールが伊豆半島でフリー・ダイビングの世界新記録を出した時に彼をサポートし、以後、ジャックと交遊を続ける。
小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年〈大正4年〉10月2… 小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年〈大正4年〉10月27日 - 2001年〈平成13年〉2月20日)は日本の社会学者。群馬大学名誉教授。 群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。1933年(昭和8年)旧制前橋中学校を卒業。旧制新潟高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。卒業と同時に兵役につき、1945年(昭和20年)に復員。 郷里に帰ると1946年(昭和21年)吾妻青年同志会を創設。1947年(昭和22年)から群馬青年師範学校に勤務する。1949年(昭和24年)に群馬大学学芸学部助教授となり、1967年(昭和42年)には群馬大学教養学部教授に就任。社会学を担当し、1981年(昭和56年)群馬大学を退官。
岩倉 義男(いわくら よしお、1914年〈大正3年〉3月31… 岩倉 義男(いわくら よしお、1914年〈大正3年〉3月31日 - 2002年〈平成14年〉7月8日)は日本の高分子化学者。工学博士。 東京工業大学教授、東京大学教授などを歴任。ジイソシアナートとグリコールとの重付加反応によってポルランと名付けたポリウレタンの合成に成功。反応性高分子および耐熱性高分子などの分野で多くの業績を上げた。 群馬県北群馬郡榛東村出身。
浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月1… 浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月16日 - 1986年〈昭和61年〉12月2日)は、元二松學舍大学理事長・学長、日本遺族会副会長、全国社会福祉協議会評議員・理事。故郷・群馬県では「上毛かるた」の生みの親として知られている。 群馬県吾妻郡長野原町林に、浦野安・倶子の六男として生まれる。浦野家の先祖は、大戸城主・浦野真楽斎の次男・浦野左衛門尉村信であるという。浦野家は代々大乗院住職・王城山(みこしろやま)神社別当を世襲し、その墓所には初代村信の墓という「御塚」(長野原町指定文化財)が所在する。 父・安は地元の小学校校長を務めたのち東京法学院(現・中央大学)を卒業して大蔵省主計局に勤務し、帰郷後は長野原町長などの公職に就任、神職としても群馬県皇典講究所理事、全国神職会群馬県代表などを務めた。
今井 善一郎(いまい ぜんいちろう、1909年〈明治42年〉… 今井 善一郎(いまい ぜんいちろう、1909年〈明治42年〉10月8日 - 1976年〈昭和51年〉1月10日)は、群馬県出身の民俗学者。日本民俗学会評議員。群馬県勢多郡北橘村議会議員を務めた。 1909年(明治42年)10月8日、群馬県勢多郡北橘村下箱田(現・渋川市北橘町下箱田)の今井善平と新子の長男として生まれる。今井家は農林業のかたわら質屋を経営していた。今井家は代々「善兵衛」の名を継ぐ旧家で祖父の今井善兵衛は1905年から1909年まで北橘村村長をつとめていた。1916年(大正5年)、橘尋常高等小学校に入学する。1922年(大正11年)、前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学する。
星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日… 星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日 - 1986年〈昭和61年〉7月25日)は、日本の電気化学者。東京工業大学名誉教授。 群馬県勢多郡黒保根村(現・桐生市黒保根町)に、群馬県会議員・黒保根村長をつとめた星野元治の長男として生まれる。黒保根尋常高等小学校、旧制前橋中学校を経て、1934年(昭和9年)に東京工業大学電気化学科を卒業。 東京工業大学助手を経て、1940年(昭和15年)助教授、1953年(昭和28年)教授に就任。1945年(昭和20年)11月工学博士の学位を授与されている。 人造偏光板・磁気録音読書機の発明者。数々の特許を申請し、特許数は日本国内で58件、海外(アメリカ、イギリス、ドイツ各国)で59件。
金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月… 金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月12日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の英米文学者、教育者、立教大学名誉教授、立教大学文学部教授・予科教授・学生部長。立教大学オーケストラ部長を務めたほか、立教大学英語会(ESS)の支援も行うなど、学生らの活動にも深く携わった。 群馬県前橋市出身。1919年旧制前橋中学校卒。 1925年に立教大学文学部英文学科を卒業し、ただちに立教大学文学部助教授に就任。同年よりアメリカに留学してケニオン大学で文学修士(MA)を取得する。 1929年に立教大学予科教授に就任し、その後文学部教授も兼任し、予科では英作文と英訳を、文学部では英文学を講じた。
山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年〈明治21年〉2… 山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年〈明治21年〉2月9日 - 1963年〈昭和38年〉8月8日)は、日本の官僚、土木工学者、教育行政家。鉄道院技師、東京帝国大学教授、日本学術振興会理事長、文部次官、東京都教育委員長、日本放送協会常務理事、東海大学第2代学長、成城大学学長。工学博士。土木学会名誉会員。第12回(昭和35年度)NHK放送文化賞受賞。 群馬県桐生市に、吾妻郡長をつとめた山崎金四郎の長男として生まれる。旧制前橋中学校、旧制第一高等学校理科を経て、1915年東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。鉄道院技師をつとめたのち、1920年東京帝国大学助教授を経て1939年同教授となる。 1945年文部省科学教育局長となり、1946年文部次官に就任。
二宮 丁三(にのみや ていぞう、1887年 - 1951年)… 二宮 丁三(にのみや ていぞう、1887年 - 1951年)は、日本の商学者。第3代兵庫県立神戸高等商業学校校長や、同校が大学に昇格して設立された兵庫県立神戸商科大学の学長事務取扱を経て、初代共立女子大学学長を務めた。 群馬県出身。群馬県立前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)を経て、1911年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1914年同校専攻部商工経営科卒業。1926年から2年間文部省在外研究員としてイギリスに留学し、山口高等商業学校教授兼山口市参事会員を経て、1941年兵庫県立神戸高等商業学校校長。同年叙正四位。令名高く、1948年には兵庫県立神戸商科大学学長事務取扱を兼務した。同年に退官後は、共立女子専門学校校長を経て、共立女子大学学長を務め、1951年に病気のため退任した。
高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1… 高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1928年12月23日)は、日本の社会思想家、哲学者。資本論の全訳を行い、国家社会主義を唱えた。 旧前橋藩士の子。クリスチャンとなり同志社神学校に入るも、途中キリスト教を捨て中退。高崎市で社会主義雑誌『東北評論』を発刊、1908年新聞紙条例により禁固2ヶ月の刑を受け入獄、獄中で英訳のカール・マルクス『資本論』(1867年出版)に出合う。 1911年、売文社に入り社会主義活動に身を挺す。1915年、堺利彦・山川均らと『新社会』を発行することで、マルクス主義を紹介した。特に1917年からカール・カウツキーの『資本論解説』(原題『カール・マルクスの経済学説』、1887年出版)を翻訳したことは、彼のマルクス研究者としての地位を確固のものとした。
斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月1… 斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月14日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は日本の医師、精神医学者。高村智恵子の晩年の主治医であった。 1880年(明治13年)、群馬県南勢多郡苗ヶ島村(勢多郡宮城村を経て現・前橋市苗ヶ島町)に生まれる。祖父は幕末から明治時代にかけて活躍した国学者・医師であった斎藤多須久(たすく)。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学医科大学を卒業した。その後、ドイツやアメリカに留学。 東京府巣鴨病院医員として勤務。巣鴨病院の後輩には斎藤茂吉がおり親交を結んだ。1916年(大正5年)日本医学専門学校教授に就任し、1944年(昭和19年)まで務める。
小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1… 小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1921年〈大正10年〉6月27日)は、日本の工学者。秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)教授。 小屋右兵衛の長男として1879年(明治12年)に群馬県勢多郡笂井村(現在の前橋市笂井町)に生まれる。父小屋右兵衛は南勢多郡木瀬村の村長(1896年から1904年まで)を務めた人物であり、美学者大塚保治(旧姓・小屋)の兄である。 現在の前橋市立笂井小学校、群馬県立前橋高等学校を卒業後、第二高等学校を経て、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業する。卒業後は東京砲兵工廠火薬製造技術にて研究に従事する。 中国広東省の高等工業学堂の教授を経て、1912年(明治45年)より秋田鉱山専門学校にて、講師、教授を務める。
遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10… 遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10月2日 - 1946年〈昭和21年〉2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。私立巣鴨学園の創設者である。 1874年(明治7年)前橋藩の下級士族・遠藤千次郎、はる夫妻の長男として現在の群馬県前橋市神明町で生まれた。父・千次郎は福澤諭吉の思想に共鳴していた。隆吉は桃井学校に学び、1892年(明治25年)群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。第一高等学校に進学し、1896年(明治29年)に卒業。東京帝国大学文科大学哲学科に進んで、1899年(明治32年)に卒業。同校学長の井上哲次郎、心理学教授・元良勇次郎、外国人教師・ケーベルから強く影響を受けた。
大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869… 大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869年2月1日〉 - 1931年〈昭和6年〉3月2日)は、日本の美学者、東京帝国大学教授(文学博士)。日本における学術的な美学の創設者とされる。夏目漱石との交友でも知られる。旧姓・小屋。 明治元年(1869年)上野国勢多郡木瀬村大字笂井(現・群馬県前橋市笂井町)に、小屋宇平治(卯平治/宇兵衛)の次男として生まれる。兄・右兵衛は木瀬村長を務めた。笂井小学校を経て、1884年(明治17年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1891年(明治24年)に帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)哲学科を卒業。大学院で美学を専攻する。
矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年1… 矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年11月4日〉 - 1936年〈昭和11年〉10月2日)は、日本の農学者(醸造学)、大蔵技師。清酒酵母の発見者であり、醸造試験所(酒類総合研究所の前身)の設立に関わるなど、日本の酒造業の発展に貢献した。また、科学的に納豆を研究した先駆者としても知られている。 位階・勲等は正三位勲二等。学位は農学博士。 前橋藩士の長男として、上野国勢多郡一毛村(現在の群馬県前橋市城東町)で生まれた。 群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)卒業後、1886年(明治19年)に第一高等学校に進学。東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)に進み、農芸化学を専攻した。
飯塚 啓(いいづか あきら、慶応4年6月16日〈1868年8… 飯塚 啓(いいづか あきら、慶応4年6月16日〈1868年8月4日〉 - 昭和13年〈1938年〉12月10日)は、日本の動物学者(理学博士)。元学習院大学教授。環虫類の世界的権威として知られた。息子は地理学者の飯塚浩二。 1868年、上野国北群馬郡小野上村(現・群馬県渋川市)に生まれる。初名・熊吉。前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を中退。第二高等中学校を経て、1897年、東京帝国大学動物学科を卒業。 1900年8月第六高等学校教授、翌月東京帝国大学助教授。1910年、学習院大学教授に就任。 1919年、エッセイ集「伊香保みやげ」の中で、榛名湖のシジミの減少を予言した[要出典]。皇太子・裕仁親王への進講も行った。
佐野 友三郎(さの ともさぶろう、元治元年3月10日〈186… 佐野 友三郎(さの ともさぶろう、元治元年3月10日〈1864年4月15日〉 - 大正9年〈1920年〉5月13日)は、明治・大正期の教育者・図書館学者。息子に、戦前の日本共産党(第二次共産党)中央委員長を務めた佐野文夫、孫に慈善家の吉田千鶴がいる。GreenT株式会社代表の吉田愛一郎はひ孫にあたる。 上野国前橋藩士の子として武蔵国川越(現在の埼玉県川越市)に生まれる。明治15年(1882年)に群馬中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業後、明治18年(1885年)に東京大学(後の帝国大学)に入学する。だが、卒業直前に外国人教師との対立を理由に大学を中退、明治23年(1890年)に山形県の米沢中学校に教師として赴任し、翌年に地元の医師の娘と結婚した。
中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日〈1864年… 中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日〈1864年3月9日〉 - 1940年〈昭和15年〉5月31日)は、日本の倫理学者、教育者。東洋大学6代・7代学長。文部省を相手に論争した哲学館事件で知られる。号に唯我堂。 上野国佐位郡今井村(現・群馬県伊勢崎市赤堀今井町)に、中島鯛三郎(のち泰三郎)・かよの子として生まれる。地元の今井小学校を優秀な成績で卒業して授業生(代用教員)として採用され、師範学校で講習を受け三級訓導補心得となった。その後群馬県立中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学し、1885年(明治18年)に卒業した。同年4月帝国大学予備門専修科に入り、校長・杉浦重剛の薫陶を受けた。