スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
立花 陽三(たちばな ようぞう、1971年1月10日 - )… 立花 陽三(たちばな ようぞう、1971年1月10日 - )は、日本の実業家。楽天野球団元社長、現在は廻鮮寿司塩釜港の社長。 2020年末に結婚し、2021年5月28日発売のフライデーは極秘婚と報道する。配偶者は セント・フォース所属のフリーアナウンサー上野優花で、2021年9月20日に第一子出産を公表 する。 1971年1月10日に東京都で生まれる。父親の母校が成蹊学園で、中学と高校は成蹊中学校・高等学校へ進学し、1990年にAO入試第1期合格者として慶應義塾大学総合政策学部に入学 する。成蹊高等在学時からラグビーをはじめ、高等学校日本代表候補選手に選ばれた。慶應義塾大学ラグビー部でバックスプレイヤー(スタンドオフ)として出場 し、大学3年次に早稲田大学との試合で顔面骨折した。
石坂 信也(いしざか のぶや、1966年12月10日 - )… 石坂 信也(いしざか のぶや、1966年12月10日 - )は、日本出身でアメリカ合衆国在住の実業家。株式会社ゴルフダイジェスト・オンライン創業者・代表取締役社長。 東京都生まれ。石坂泰三は祖父。父石坂信雄の転勤で6歳から8年間カリフォルニア州サンマテオで過ごし、パブリック・スクールに入学。成蹊中学校・高等学校を経て、1990年成蹊大学経済学部経営学科卒業。 1990年三菱商事入社、燃料グループ配属。1997年からハーバード大学ハーバード・ビジネス・スクールに留学し、1999年に卒業してMBA(経営学修士)を取得。2000年三菱商事を退社。 従兄の木村玄一が代表取締役社長を務めるゴルフダイジェスト社から出資を受け、2000年に1人でゴルフダイジェスト・オンラインを創業し、代表取締役社長に就任。
木内 孝胤(きうち たかたね、1966年〈昭和41年〉8月3… 木内 孝胤(きうち たかたね、1966年〈昭和41年〉8月30日 - )は、日本の実業家、政治家。アジア開発キャピタルの元・代表取締役社長。衆議院議員(2期)を務めた。 高祖父は三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎、曾祖父は貴族院議員や京都府知事を務めた木内重四郎、父は外交官で田中角栄内閣総理大臣秘書官や駐フランス特命全権大使を務めた木内昭胤。親戚に日本外国語研究所理事長などを務めた渋沢雅英がいる。 東京都港区出身。港区立麻布幼稚園、港区立麻布小学校、帰国後は港区立三河台中学校、転校して成蹊中学校・高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。1989年、三菱銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行し、12年間勤務する。
鮎川 純太(あゆかわ じゅんた、1960年(昭和35年)9月… 鮎川 純太(あゆかわ じゅんた、1960年(昭和35年)9月14日 - )は、日本の実業家、テクノベンチャー株式会社代表取締役会長。アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストン出身のカトリック教徒。祖父に鮎川義介、父に鮎川弥一がいる。 成蹊大学経済学部を経てマサチューセッツ工科大学大学院で経営学を修め、帰国後に山一證券企業開発部でサンスイの英企業への売却や日系企業によるアメリカのベンチャー企業の買収等、国内外のM&Aを担当する。 1991年(平成3年)、父弥一の死に伴い石川六郎、石原俊、三澤千代治、石坂一義らの後援で1992年(平成4年)にテクノベンチャー代表取締役会長として入社し、1993年(平成5年)6月に代表取締役社長を兼務する。
西山 茂行(にしやま しげゆき、1958年〈昭和33年〉4月… 西山 茂行(にしやま しげゆき、1958年〈昭和33年〉4月15日 - )は、日本の実業家、馬主。 愛称は、「しげちゃん」。 西山牧場創業者で大馬主でもあった西山正行の息子。成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部卒業。 2025年12月まで西山興業グループ代表を務める。西山興業は、オーシャンヴェールリゾート(南房パラダイス、館山カントリークラブ、館山ファミリーパーク、館山グランドホテル、いこいの村たてやま)、金融、レストランなどを展開している。オーシャンヴェールリゾートについては2012年4月以降は館山カントリークラブのみの営業となっている。2025年12月に代表取締役社長を勇退。代表権を持たない取締役となった。
平松 義朗(ひらまつ よしお、1958年 - )は、東京都出… 平松 義朗(ひらまつ よしお、1958年 - )は、東京都出身の日本の会社経営者。現在はIWORKS.inc取締役、私立星美学園小学校、エコールドパピオン(イスタンブール)トルコ共和国、成蹊学園国際特別学級、成蹊中学校・高等学校を経て、成蹊大学経済学部経済学科入学。 ※日本IBMのビジネスパートナーとして日本IBMと共にco-marketing(市場拡大)
福井 源(ふくい げん、1956年7月27日 - )は、日本… 福井 源(ふくい げん、1956年7月27日 - )は、日本の実業家。
石坂 泰章(いしざか やすあき、1956年 - )は、株式会… 石坂 泰章(いしざか やすあき、1956年 - )は、株式会社 サザビーズジャパン 代表取締役会長兼社長。東京藝術大学非常勤講師。 1956年、東京都生まれ。祖父は経団連会長を務めた石坂泰三。幼少期は日本、アメリカ、イギリス、ドイツで育つ。成蹊高等学校時代はラグビー部所属。1980年、成蹊大学法学部卒。1980〜1987年、三菱商事勤務。1987〜2005年、二十世紀美術の画廊を経営。国公立美術館にクールベからリヒターまで幅広く名作を収め、現代美術の企業コレクションを立ち上げる。2005~2014年サザビーズジャパン代表取締役社長を務め、数々の大型取引を手掛けた。2015〜2018年8月アート業界30年の経験を活かし、美術館、個人、企業にコレクションの形成及び売却、展覧会企画を中心にアドバイス。
馬場 康夫(ばば やすお、1954年〈昭和29年〉8月18日… 馬場 康夫(ばば やすお、1954年〈昭和29年〉8月18日 - )は、日本の制作会社経営者であり、著述家、映画監督、漫画原作者、YouTuberである。 ホイチョイ・プロダクションズ(東京都世田谷区)代表取締役社長。 東京都生まれ。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校、成蹊大学工学部卒業(政治家の安倍晋三とは幼稚園~大学までを過ごした親友)。 日立製作所元専務・馬場粂夫の孫にあたり、母方の祖父は建築家の藤井厚二である。 高校時代に8ミリ映画を撮り始めた(最初に出演してくれた友人の吉岡文男と田中真理子に敬意を表して、自身の全映画作品には必ず「文男」「真理子」という役名を登場させている)。 成蹊大学在学中に、同級生らとホイチョイ・プロダクションズを設立、漫画同人誌の発行や8ミリ映画の制作を行った。
吉永 泰之(よしなが やすゆき、1954年3月5日 - )は… 吉永 泰之(よしなが やすゆき、1954年3月5日 - )は、日本の実業家。学位は、学士(経済学)(成蹊大学・1977年)。SUBARU(旧:富士重工業)社長を務めた。 1977年に成蹊大学経済学部卒業後、同年4月に富士重工業(現:SUBARU)入社。 2011年(平成23年)6月から2018年(平成30年)6月までの7年間、社長を務め、軽自動車や汎用エンジンの生産や風力発電事業から撤退して事業の選択と集中を進めるとともに、安全技術の「アイサイト」を強化するなどブランド力を高めた。主力の米国事業の拡大により、就任から約7年で世界販売を約6割拡大させ、2016年には初めて世界販売を100万台に乗せた。
飯田 永太(いいだ えいた、1953年9月24日 - )は、… 飯田 永太(いいだ えいた、1953年9月24日 - )は、株式会社テンアライド代表取締役社長。 東京都出身。父は、居酒屋チェーン「天狗」のテンアライドを創業した飯田保。 成蹊中学校・高等学校、成蹊大学経済学部を卒業後、1976年に東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)へ入社。 1978年にテンアライド株式会社へ転じ、1988年に同社代表取締役社長に就任した。
長瀬 朋彦(ながせ ともひこ、1952年10月28日 - )… 長瀬 朋彦(ながせ ともひこ、1952年10月28日 - )は、株式会社IMAGICA GROUP代表取締役社長。 大東亜戦争終結の7年後、男ばかりの4人兄弟の3男として芦屋市で誕生した。人柄は温厚。まじめで、誠実。明るい性格で、楽観的。 父彰造は、長瀬産業株式会社の6代目社長であった。2006年5月に亡くなっている。母恵子は、住友信託銀行会長、福山善治郎の二女。1935年に株式会社極東現像所(現・IMAGICA GROUP)を設立した、長瀬徳太郎は朋彦の祖父に当たる。 一貫して私立の学校に通ったため、受験らしい受験の経験がない。甲南小学校に入学。1963年1月かに家族で芦屋から成城へ移住し、成城学園に転入。
安倍 寛信(あべ ひろのぶ、1952年〈昭和27年〉5月30… 安倍 寛信(あべ ひろのぶ、1952年〈昭和27年〉5月30日 - )は、日本の実業家。ABコミュニケーション(不動産会社)代表取締役、三菱商事パッケージング元代表取締役社長。父は政治家の安倍晋太郎、弟は元内閣総理大臣の安倍晋三と元防衛大臣の岸信夫。 安倍晋太郎・洋子夫妻の長男として東京に生まれる。成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て1971年に成蹊大学経済学部に入学した。 1975年3月に成蹊大学を卒業、翌4月に三菱商事に入社し、資源第三部に配属される。東京、広島、九州、トロント、ロンドン等においてビールや資材の取引及び事業投資先を総括する業務に従事したのち、2004年2月に三菱商事中国支社長、2007年4月に三菱商事執行役員に就任、2012年6月から三菱商事パッケージング代表取締役社長を務めた。
相賀 昌宏(おうが[おおが] まさひろ、1951年3月20日… 相賀 昌宏(おうが[おおが] まさひろ、1951年3月20日 - )は、日本の実業家、出版事業家。小学館第3代社長、一ツ橋綜合財団理事長。東京都出身。 小学館の第2代社長である相賀徹夫の長男として東京に生まれる。祖父は小学館創業者の相賀武夫。 成蹊中学校・高等学校を経て、1973年成蹊大学法学部を卒業、1976年中央大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了。学位は社会学修士。 1976年 日本郵趣出版入社、月刊誌「郵趣」などの編集に従事する。 1982年 小学館入社、取締役。 1984年 小学館 常務取締役。 1989年 教育編集部本部長、第一編集部本部長などを経て小学館 専務取締役。 1992年 小学館 代表取締役。
長瀬 文男(ながせ ふみお、1950年〈昭和25年〉12月8… 長瀬 文男(ながせ ふみお、1950年〈昭和25年〉12月8日 - )は、日本の実業家。IMAGICA GROUP会長。 成蹊高等学校卒業。1973年3月、成蹊大学工学部経営工学科卒業後、同年4月に三菱商事へ入社。 1980年8月、東洋現像所(現・株式会社エフ・イー・エル)入社。1983年3月、米国・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)経営大学院でMBA取得。 1992年6月に同社代表取締役社長となり、2009年1月に株式会社ロボット代表取締役会長となる。 2009年6月にイマジカ・ロボット ホールディングス(旧IRHD)代表取締役会長 グループCEOとなり、2011年4月、新IRHD代表取締役会長 グループCEOとなっている。
河北 博文(かわきた ひろぶみ、1950年〈昭和25年〉6月… 河北 博文(かわきた ひろぶみ、1950年〈昭和25年〉6月25日 - )は、日本の医師、病院経営者である。社会医療法人河北医療財団理事長。社会医療法人河北医療財団河北総合病院理事長。日本医療機能評価機構専務理事、東京都病院協会名誉会長。過去には日本病院会副会長、東京都病院協会会長、医療保険審議会委員、老人保健審議会委員、行政改革推進本部規制改革委員会参与・委員・専門委員なども歴任した。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校、慶應義塾大学医学部、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程、シカゴ大学ビジネススクールでそれぞれ学ぶ。 医療機能の第三者評価を行う日本医療機能評価機構の設立を主導したことで知られる。
淺沼 健一(あさぬま けんいち、1950年2月17日 - 2… 淺沼 健一(あさぬま けんいち、1950年2月17日 - 2018年6月23日)は、日本の実業家。淺沼組代表取締役社長や、全国建設業協会会長等を歴任した。 奈良県出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校を経て、1973年成蹊大学経済学部経営学科卒業、淺沼組入社。1985年取締役本社海外事業部次長に昇格。1989年常務取締役本社人事部長。1991年代表取締役常務社長室長兼本社人事部長。1992年代表取締役専務社長室長。1995年から代表取締役社長を務め、阪神・淡路大震災が起こると神戸支店を設置。本業の再生により行政気回復を実現させたほか、IRや情報通信技術活用の強化なども進めた。2004年大阪建設業協会会長。
後藤 高志(ごとう たかし、1949年〈昭和24年〉2月15… 後藤 高志(ごとう たかし、1949年〈昭和24年〉2月15日 - )は、日本の実業家。西武ホールディングス代表取締役会長 会長執行役員兼CEO、西武鉄道取締役会長、埼玉西武ライオンズ取締役オーナー、プリンスホテルズワールドワイド取締役、西武リアルティソリューションズ取締役、ところざわサクラタウンアドバイザーリーボード。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校、東京大学経済学部を卒業後、第一勧業銀行(現:みずほ銀行)入行。大学時代はラグビー部に所属した。企画部副部長時代、総会屋利益供与事件に揺れる社内で「4人組」として改革の先頭に立つ。 2005年5月、メインバンクであるみずほコーポレート銀行(現:みずほ銀行)副頭取から、有価証券報告書への虚偽記載で揺らいだ西武鉄道社長に就任し、会社の体質の改革を掲げ、株主に「早期にいい形で」上場すると宣言。
草間 高志(くさま たかし、1949年(昭和24年)1月8日… 草間 高志(くさま たかし、1949年(昭和24年)1月8日 - )は、日本の実業家。みずほ証券顧問。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校、成蹊大学法学部卒業後、興銀入行。同期入行にはメリルリンチ日本証券会長を務める中山恒博らがいた。 新日本証券と和光証券が合併して誕生した新光証券の設立を主導し、同社の旧みずほ証券との合併を成功裏にまとめ上げ、みずほ証券発足の際には代表取締役会長に就任したが、2011年(平成23年)6月の株主総会を以って顧問に退いた。2019年、旭日中綬章受章。
森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )… 森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカーデザイナー、モータースポーツ解説者、ノバ・エンジニアリング技術部長および取締役副社長。東京都出身。成蹊大学工学部卒業。 1968年に成蹊大学工学部を卒業し、ホンダに入社、本田技術研究所に配属され四輪車の車体・サスペンションの設計を担当。上司は第1期ホンダF1の車体設計者として知られる佐野彰一。同期には元ホンダ社長の福井威夫、第2期ホンダF1のプロジェクトリーダーからマクラーレン・フェラーリ・ザウバーのエンジニアに転身した後藤治らがいる。 1973年にホンダを退社して渡英。イギリスのレーシングカーコンストラクターであるGroup Racing Development(英語版) (GRD) 社に入社。
谷 正紀(たに まさのり、1942年10月29日 - )は、… 谷 正紀(たに まさのり、1942年10月29日 - )は、三菱自動車工業元代表取締役副社長、成蹊中学校・高等学校元校長。 愛知県名古屋市出身。1966年に成蹊大学工学部卒業後、同年4月に三菱重工業入社。1970年4月に、三菱自動車工業株式会社分社に伴い同社に移籍した。
古川 紘一(ふるかわ こういち、1942年9月16日 - )… 古川 紘一(ふるかわ こういち、1942年9月16日 - )は、日本の実業家。森永乳業代表取締役社長や、日本乳業協会会長を務めた。 国鉄の技術者だった古川太郎の長男として、広島県広島市に生まれる。 成蹊中学校・高等学校を経て成蹊大学経済学部を卒業する。 1965年森永乳業入社、1993年業務用食品部部長、1997年取締役に就任、2003年6月より社長。2010年日本乳業協会会長。2012年6月に社長を退任し、相談役となる。 2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。
下河辺 俊行(しもこうべ としゆき、1942年6月14日 -… 下河辺 俊行(しもこうべ としゆき、1942年6月14日 - )は、日本の実業家。下河辺牧場代表。 下河辺孫一の長男として東京府(現・東京都)に生まれる(出生地は北海道浦河郡浦河町)。 成蹊中学校・高等学校を経て、1965年成蹊大学政治経済学部経営学科卒業後、日本鉱業(後のジャパンエナジー、現・ENEOS)入社。翌年退社して父が競走馬を育成するために千葉県に設立した下河辺牧場に入社、1969年北海道沙流郡門別町(現・日高町)にある日高支場の代表となった。 父・孫一の死後下河辺牧場の代表となり、千葉県の牧場を「下河辺トレーニングセンター」と改称、弟の行信が代表となった。下河辺牧場は日高の牧場が核となっており、俊行の長男・行雄は繁殖を、次男・隆行は育成・調教を担当している。
上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日… 上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日 - )は、日本の実業家。大正製薬相談役。 大正製薬ホールディングス代表取締役社長、大正製薬代表取締役社長および代表取締役会長、城西大学理事長を歴任した。 住友銀行頭取・堀田庄三の二男として、東京都港区麻布に生まれる。 成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て慶應義塾大学経済学部に進学し、米国のミズーリバレーカレッジ、ダートマス大学経営学科大学院に留学。帰国後、休学していた慶應義塾大学に復学し卒業した。 1966年(昭和41年)4月、日本電気株式会社(NEC)入社。 大正製薬社長・上原昭二(現在は名誉会長)の長女である正子(武蔵野音楽大学出身)との結婚を機に、1977年(昭和52年)に大正製薬に入社し、取締役総務部長に就任。
天坊 昭彦(てんぼう あきひこ、1939年11月16日 - … 天坊 昭彦(てんぼう あきひこ、1939年11月16日 - )は、日本の実業家。出光興産株式会社社長、石油連盟会長、武蔵野美術大学理事長などを歴任。 1939年11月16日、東京都中野区で3人兄弟の次男として生まれる。天坊という名字は奈良県の「天之坊」という僧院がルーツだという。 父の仕事の関係で、大阪、北海道、東京と6つの小学校を巡り、最終的には小学校6年生の春、私立・成蹊小学校に転校する。 1956年、高校2年生のころ、父・天坊裕彦が参議院議員になる。 1958年、成蹊中学校・高等学校卒業。2年間の浪人生活を経て、1960年4月、東京大学文科一類へ入学。学生のころはスキーに夢中になった。 また、大学3年生の頃は父の公設第2秘書も経験する。
清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10… 清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10月31日 - 2024年(令和6年)12月27日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産経新聞社特別顧問、日本美術協会副会長。 父は検事総長を務めた清原邦一。甥はフジテレビプロデューサーの清原邦夫。 清原邦一の次男として東京で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は成蹊中学校・高等学校を経て1962年(昭和37年)慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、産経新聞社に入社した。 2024年12月27日午前7時4分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。87歳没。 東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年(昭和39年)から社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。
佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日… 佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日 - 2022年〈令和4年〉6月21日)は、日本の実業家。元NEC代表取締役会長。位階勲等は従四位旭日重光章。 1936年(昭和11年)4月6日に愛知県名古屋市で出生。父は佐々木直(第22代日本銀行総裁)で、父が日本銀行名古屋支店勤務の時に出生し、2歳まで名古屋で過ごした。祖父は佐々木藤太郎(朝鮮総督府官僚)。 東京都杉並区立第七小学校から、中高一貫校の成蹊中学校・高等学校へ進学し、卒業。 1959年に東京大学工学部電気工学科卒業後、東京大学大学院数物系研究科で修士課程修了。 1961年4月に日本電気に入社し、1999年に代表取締役会長となる。
石坂 信雄(いしざか のぶお、1933年9月7日 - 199… 石坂 信雄(いしざか のぶお、1933年9月7日 - 1997年1月19日)は、東芝アメリカ元社長。第一生命や東芝の元社長で、経団連元会長の石坂泰三の五男。ゴルフダイジェスト・オンライン創業者の石坂信也は子。墓所は多磨霊園。
岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 200… 岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 2008年7月23日)は、日本の実業家。三菱銀行取締役・東山農事社長を歴任した。 岩崎彦弥太・操子夫妻の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。父・彦弥太は三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長男すなわち三菱の創業者・岩崎弥太郎の嫡孫にあたり、戦前は三菱本社副社長、戦後は三菱地所取締役を務めた人物。従って寛弥は久弥の嫡孫すなわち弥太郎の曾孫にあたる。母・操子は佐竹東家第17代当主・佐竹義準の三女。父方の叔父に元三菱製紙会長の岩崎隆弥と元東京海上火災保険常務の岩崎恒弥がおり、父方の叔母にエリザベス・サンダースホームの創設者・沢田美喜がいる。また母方の伯父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる。
槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 202… 槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 2020年12月13日)は、日本の実業家。従三位。 イギリス生まれ、東京府(現:東京都)。ハーバード大学卒業。三菱商事の社長・会長・特別顧問、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任した。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。 槙原稔の妻・喜久子は元三菱製紙会長・岩崎隆弥(弥太郎の孫、久弥の次男)の三女。旧制成蹊高校時代に隆弥の4人の娘に英語の家庭教師をしていた縁で隆弥の娘の1人・喜久子と結婚した。この結婚によって三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係で結ばれることになり、このことが後に三菱商事の社長に就任することにプラスになったと考えられている。
秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 20… 秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 2025年7月13日)は、日本の経営者、理学博士。三菱マテリアル社長を務めた。 東京都出身。海軍兵学校(77期)、旧制成蹊高等学校(理甲)を経て、1951年に東京文理科大学理学部化学科を卒業。1954年に同大学院研究科を修了し、同年に三菱金属鉱業に入社した。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年1月に専務、1992年6月に副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任し、2003年6月に取締役相談役を経て、2004年6月には名誉顧問に就任。1997年11月に藍綬褒章を受章し、2013年11月に旭日重光章を受章した。
有吉 煕(ありよし ひろし、1927年(昭和2年)11月28… 有吉 煕(ありよし ひろし、1927年(昭和2年)11月28日 - 2009年(平成21年)6月29日)は、日本の実業家。有吉義弥の次男で、元・三菱重工業常務である。 祖父は内務官僚で貴族院議員を務めた有吉忠一、父・義弥は忠一の長男で元日本郵船社長。初代中国大使の有吉明と元尼崎市長の有吉実はともに大叔父。忠一の長女は政治家の山崎巌に、三女は元建設事務次官の柴田達夫に、四女は元日本電信電話公社総裁の米澤滋に、五女は川上嘉市の次男で東宝アドセンター社長を務めた川上流二に嫁いでいるため、山崎・柴田・米澤・流二はいずれも煕の義叔父にあたる。川上嘉市の後妻(旧姓・中島)は天文学者・寺尾寿の後妻(旧姓・大野)の姪にあたるため、有吉家は川上家・中島家・大野家を通じて寺尾家とも姻戚関係で結ばれているといえる。
野田 一夫(のだ かずお、1927年6月22日 - 2022… 野田 一夫(のだ かずお、1927年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の経営学者、事業家。一般財団法人日本総合研究所名誉会長、一般財団法人社会開発研究センター名誉会長、一般社団法人全国経営者団体連合会会長、一般社団法人日本マネジメントスクール会長、一般財団法人日本教育推進財団最高顧問、多摩大学名誉学長、事業構想大学院大学名誉学長、グロービス経営大学院大学理事。 立教大学教授、マサチューセッツ工科大学ポストドクトラル・フェロー、ハーバード大学フェロー、一般財団法人日本総合研究所初代所長、一般社団法人ニュービジネス協議会初代理事長、多摩大学初代学長、宮城大学初代学長、事業構想大学院大学初代学長などを歴任した。
相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14… 相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14年〉6月15日 - 2008年〈平成20年〉12月21日)は、日本の実業家。小学館第2代社長、株式会社集英社初代会長、日本書籍出版協会理事長、日本雑誌協会理事長。昭和から平成までの54年間にわたって社長(1938年 - 1992年)を務めた小学館中興の祖。 小学館の初代社長相賀武夫とその妻ナヲの長男として東京に生まれる。1938年、父の死去に伴い13歳で社長職を継いだ。 成蹊小学校、旧制成蹊高等学校(文科甲類)卒業後、東京帝国大学文学部宗教学科で和辻哲郎に師事。在学中、1945年に小学館を株式会社へ改組。1947年に大学を中退して家業に専念する。
渡辺 誠一郎(渡邊 誠一郎、わたなべ せいいちろう、1924… 渡辺 誠一郎(渡邊 誠一郎、わたなべ せいいちろう、1924年(大正13年)1月6日 - 2001年(平成13年)8月20日)は、日本の実業家。日本特殊鋼(現・大同特殊鋼)取締役。紺綬褒章受章。父親の渡辺三郎から引き継いだ「三日月宗近(国宝)」を始めとする数多くの名刀を寄贈したことで有名。 渡辺三郎・あい(小林弥七の妹、三郎の後妻)の長男として東京府に生まれる。1930年(昭和5年)4月、私立南高輪幼稚園を経て成蹊小学校に入学。以後1942年(昭和17年)7月、旧制成蹊高等学校理科甲類を卒業するまで、小中高一貫教育を受ける。 同年10月、東京帝国大学(第一)工学部冶金学科に入学し、父・三郎と同じ金属精錬を勉強する。
鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 199… 鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 1991年11月30日)は、日本の実業家。テクノベンチャー創業者。 山口県出身。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。日本冷蔵(現・ニチレイ)に入社後、食品化学研究のためフルブライト留学生として渡米。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。日本人として戦後初の博士の称号を受ける。 帰国後は、食品会社クノールの元親会社で多国籍総合食品化学会社のCPC(現・Ingredion)に入社し、同社極東代表および同子会社・日本CPC会長に就任。また、父・鮎川義介が設立した中小企業助成会を再編し、1974年にテクノベンチャー株式会社として改称して、代表取締役社長に就任。
住田 正二(すみた しょうじ、1922年(大正11年)5月2… 住田 正二(すみた しょうじ、1922年(大正11年)5月26日 - 2017年(平成29年)12月20日)は、日本の官僚、実業家、運輸事務次官やJR東日本社長を務めた。 東京都副知事などを務めた住田正一の次男として生まれる。兄は住田俊一。兵庫県神戸市生まれだが、父の正一が呉造船所社長だった事から、本籍は居住経験のない広島県呉市で広島県人会にも登録されていた。またワイズメン・グループの大来佐武郎のあとを継いで、1979年ワイズメンに選ばれる。国際情勢研究会会長、国際戦略研究所副会長、アジア調査会理事などを歴任。1983年勲二等旭日重光章。 小学校から旧制高校まで成蹊で過ごし、同級生には緒方四十郎や堀江鉄弥がいた。
石黒 孝次郎(いしぐろ こうじろう、1916年(大正5年)3… 石黒 孝次郎(いしぐろ こうじろう、1916年(大正5年)3月28日 - 1992年(平成4年)3月2日)は、日本の実業家、古美術商。レストランクレッセント創業者。栄典は紺綬褒章。祖父に石黒忠悳、父に石黒忠篤が居る。 1916年(大正5年)3月28日、東京府東京市牛込区揚場町17番地(現東京都新宿区揚場町)に石黒忠篤の次男として生まれる。父は農政の神様といわれた農林大臣の石黒忠篤。祖父は日本陸軍軍医で日本赤十字社第4代社長の石黒忠悳。 旧制成蹊高等学校を経て1941年(昭和16年)に京都帝国大学法学部を卒業し、翌年三井物産に入社。戦時中は物資補給を担った。このときの部下に楊馥成が居る。1946年(昭和21年)、三井物産退社。