スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
酒生 文弥(さこう ふみや、1956年〈昭和31年〉9月8日… 酒生 文弥(さこう ふみや、1956年〈昭和31年〉9月8日 - 福井市出身)は、日本の僧侶・思想家、エッセイスト、講演者、著作者、世界平和活動家。松下政経塾1期生、勝兵塾講師特待生。浄土真宗本願寺派僧侶(最高位・顕座)、NPO免疫療法懇談会理事長、在日本ルーマニア商工会議所会頭、酒生倶楽部会長、アジア仏教クラブ座長。内外の政界・宗教界・実業界・文化人と幅広い縁を結び「人類の霊性の統合」による世界平和を追求し、仏陀AIが統御する地上浄土としてのAIR(AI IoT Robot)文明を創造することを使命とする。「横死(殺される死)」を最小限に抑える世界を実現していくことに貢献できることを念じている。
高木 文堂(たかぎ ぶんどう、1955年3月11日 - )は… 高木 文堂(たかぎ ぶんどう、1955年3月11日 - )は、福井県の元政治家。米国弁護士。元福井県議会議員(無所属)。福井県南条郡南条町(現・南越前町)出身。 政治活動をやめてからは、ブランドコンサルティング会社勤務を経て、株式会社ZENブランディングを設立。
小泉 令三(こいずみ れいぞう、1955年 - )は、日本の… 小泉 令三(こいずみ れいぞう、1955年 - )は、日本の教育学者。福岡教育大学教授。教育心理学・学校心理学・生徒指導を専門としている。 福井県芦原町(現・あわら市)出身。福井県立藤島高等学校、大阪大学理学部化学科卒業。 大学卒業後、福井県の公立小学校・中学校で教員として勤務する。その後、兵庫教育大学大学院修士課程、広島大学大学院教育学研究科博士課程前期を修了し、1987年から福岡教育大学で勤務する。 1995年11月22日、「小・中学校での環境移行事態における児童・生徒の適応過程 -中学校入学・転校を中心として」により広島大学から博士(心理学)を取得する。
橋本 達也(はしもと たつや、1954年(昭和29年)5月1… 橋本 達也(はしもと たつや、1954年(昭和29年)5月13日 - )は、日本の政治家。福井県あわら市長(3期)、あわら市議会議員(2期)、芦原町議会議員(5期)を務めた。 福井県芦原町(現・あわら市)出身。福井県立藤島高等学校、早稲田大学法学部卒業。 1987年(昭和62年)7月から芦原町議会議員を5期つとめる。2004年(平成16年)3月1日、芦原町と金津町が合併してあわら市が発足。在任特例により同日、あわら市議会議員に就任。2005年(平成27年)7月に行われた市議選に当選。 2007年(平成19年)4月22日のあわら市長選挙に初当選し、2017年(平成29年)11月まで3期務めていたが、同年12月12日、公務中に市役所の市長室で県内の知人の既婚女性にキスしたり、抱擁したりするなど不適切な行為を繰り返していたことを明らかにした。
大村雅基(おおむら まさき、1953年1月21日 - )は日… 大村雅基(おおむら まさき、1953年1月21日 - )は日本の財務官僚。近畿財務局長、アジア開発銀行日本代表理事などを務めてきた。血液型はO型。 福井県出身。福井県立藤島高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1975年 大蔵省入省(関税局企画課)。1980年7月10日 行橋税務署長。1981年7月10日 国税庁長官官房付(ハーバード大学国際租税講座へ留学)。 1989年6月 神戸税関総務部長。1991年6月 日本輸出入銀行海外投資研究所主任研究員。1994年7月 国税庁課税部所得税課審理室長。 1995年2月24日 国税庁課税部法人税課長。1996年7月12日 国際金融局開発機関課長。
中島 伸子(なかじま のぶこ、1952年〈昭和27年〉11月… 中島 伸子(なかじま のぶこ、1952年〈昭和27年〉11月8日 - )は、日本の経営者。井村屋グループ取締役会議長)。 新潟県新井市(現・妙高市)生まれ、福井県福井市育ち。福井県立藤島高等学校卒業。近畿大学豊岡女子短期大学(現・豊岡短期大学)教育科在学中、北陸トンネル火災事故に遭遇。煙を吸い声が出なくなり、高校教師の道を諦める。1975年卒業。 1978年井村屋製菓(現・井村屋グループ)福井営業所にアルバイトとして入社。経理を学ぶため、経理学校に通いながら働くなど、勤務姿勢を評価され正社員の道を勧められる。採用試験に合格し、正社員となる。その後、1998年北陸支店長、2003年関東支店長、2006年執行役員、2008年上席執行役員、同年6月取締役。
坂川 優(さかがわ まさる、1952年(昭和27年)10月2… 坂川 優(さかがわ まさる、1952年(昭和27年)10月28日 - 2008年(平成20年)2月2日)は、日本の政治家、実業家。福井県議会議員(通算5期)、福井県議会議長(第80代)、福井市長(2006年3月~2007年10月、在任1期)を歴任。 福井大学教育学部附属小学校、福井大学教育学部附属中学校、福井県立藤島高等学校卒業。北海道大学工学部土木工学科中退。越前観光開発代表取締役社長をつとめた。 1983年(昭和58年)、福井県議会議員選挙に初当選(以後、通算5期つとめる)。 1990年(平成2年)2月18日執行の第39回衆議院議員総選挙に福井県全県区から無所属で立候補するも、落選。 1998年(平成10年)、第80代福井県議会の議長に就任。
白崎 博公(しらさき ひろきみ、1952年3月24日 - )… 白崎 博公(しらさき ひろきみ、1952年3月24日 - )は、日本の工学者。現在は玉川大学工学部機械情報システム学科教授。電磁波・光解析が専門。弾性表面波、導波管、マイクロストリップ線路の研究を経て、現在はスキャトロメトリ(光波散乱計測、Scatterometry)の研究開発を行っている。工学博士(大阪大学)。福井県出身。 その後学科改組により、現在は玉川大学工学部機械情報システム学科教授。
山本 信一郎(やまもと しんいちろう、1950年(昭和25年… 山本 信一郎(やまもと しんいちろう、1950年(昭和25年)8月23日 - )は、日本の自治・総務官僚。内閣府事務次官、宮内庁次長、宮内庁長官を歴任。 福井県今立郡池田町出身。1969年(昭和44年)福井県立藤島高等学校卒業。1973年(昭和48年)京都大学法学部卒業、同年自治省入省。2008年(平成20年)7月から2009年(平成21年)7月まで内閣府事務次官を務めた。のち消防試験研究センター理事長。 2016年(平成28年)7月13日にされた「天皇陛下(現在の上皇)には、次期皇位継承者である皇太子徳仁親王殿下(現在の天皇)へ譲位のご意向を示されている」という報道について、宮内庁次長(当時)として「報道されたような事実は一切ない。
加藤 直三(かとう なおみ、1950年7月 - )は日本の工… 加藤 直三(かとう なおみ、1950年7月 - )は日本の工学者。大阪大学大学院工学研究科地球総合工学専攻教授。福井県出身、藤島高校卒、東大卒。 研究内容は水中ロボット工学、バイオメカニクスなど。海中システム研究会を主催している。
田﨑 史郎(たざき しろう、1950年〈昭和25年〉6月22… 田﨑 史郎(たざき しろう、1950年〈昭和25年〉6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、政治評論家。姓の「﨑」はいわゆる「たつさき」であるが、JIS X 0208に収録されていない文字であるため、代わりに「崎」を用いて田崎 史郎と表記されることも多い。 時事通信の政治部次長、編集局次長、解説委員、解説委員長などを歴任、一貫して時事通信で記者人生を過ごした。 福井県出身の政治評論家であり中央大学法学部卒業後、時事通信社に入社する。政治部や編集局の次長を経て解説委員となり、のちに解説委員長も務めた。 定年後も時事通信社において特別解説委員として在籍したが、2018年に退いた。その後はフリーランスの政治評論家として活動を続けている。
田崎 史郎(たざき しろう、1950年6月22日[要出典] … 田崎 史郎(たざき しろう、1950年6月22日[要出典] - )は、日本の政治評論家。時事通信社特別解説委員。
黒川 康正(くろかわ やすまさ、1950年 - )は、福井県… 黒川 康正(くろかわ やすまさ、1950年 - )は、福井県出身の日本の弁護士、公認会計士、通訳。 1950年、福井県福井市生まれ。福井県立藤島高等学校を経て、1974年に東京大学経済学部を卒業。大学在学中の23歳の時、公認会計士二次試験に合格。卒業後は世界最大と言われるクーパーズ・アンド・ライブランド会計事務所に入所。25歳の時、全国通訳案内士試験と実用英語技能検定一級に合格。27歳で公認会計士三次試験に合格し、独立開業する。30歳で司法試験合格。 黒川康正国際法律会計事務所を経営し、法律、会計、経営コンサルティング等の業務に従事する一方、執筆、テレビ出演などの活動も行う。2020年9月時点で約百冊の著書があるという。
荒川 洋治(あらかわ ようじ、1949年4月18日 - )は… 荒川 洋治(あらかわ ようじ、1949年4月18日 - )は、日本の現代詩作家、随筆家。日本芸術院会員。本名の読みはひろはる。 福井県三国町(現坂井市)に生まれる。福井県立藤島高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。 高校2年生のときに詩誌「とらむぺっと」を創刊し、全国から同人を募って、19号の終刊まで100余名の高校生が参加した。大学の卒業論文として提出された『娼婦論』は平岡篤頼の推薦で小野梓記念賞芸術賞を受賞。26歳で詩集『水駅』を刊行し、H氏賞を受賞、以後、多くの詩集・随筆・評論を刊行している。日本近代小説の読み巧者でもある。1974年から詩を専門にする出版社である紫陽社を経営。大阪文学学校、青山学院大学、早稲田大学などで教壇に立つ。
森安 孝夫(もりやす たかお、1948年2月11日 - 20… 森安 孝夫(もりやす たかお、1948年2月11日 - 2024年8月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授、神戸市外国語大学客員教授。財団法人東洋文庫兼任研究員。博士(文学)。 敦煌・トゥルファン出土文書、モンゴル高原の碑文類、並びに漢籍史料を中心にイスラム化以前の中央ユーラシア史を研究している。 福井県坂井郡三国町(現:坂井市の一部)出身。1966年福井県立藤島高等学校、1972年東京大学文学部東洋史学科卒業、1975年同大学院人文科学研究科東洋史専攻修士課程修了、1981年東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻博士課程単位修得退学。 1982年金沢大学文学部助教授、1984年大阪大学文学部助教授、1992年7月同大学より「ウイグル=マニ教史の研究」で博士(文学)の学位を取得。
元谷 芙美子(もとや ふみこ、1947年7月8日 - )は、… 元谷 芙美子(もとや ふみこ、1947年7月8日 - )は、日本の実業家、歌手。アパホテル株式会社取締役社長。アパリゾート株式会社代表取締役社長。株式会社SHIFT社外取締役。株式会社ティーケーピー社外取締役。 福井県福井市出身。本人の話では「のしイカみたいにしんなりして出てきた」。未熟児として生まれ、間もなく死ぬだろうと周囲に思われていたが、なんとか生き延びる。1歳のときに福井地震で生家が倒壊したが、気絶して倒れたところに落ちてきた観音開きになった仏壇に守られて助かる。元谷はこれらの出来事から、「1歳までに2回死にかけて、すでに一生分の厄落としをしてる」と考えている。 お茶の水女子大学に進学すること、学校教員になることを夢見ていたが、父親が鉛中毒で倒れたため、福井県立藤島高等学校卒業後は福井信用金庫に就職。
大久保 昌一良(おおくぼ しょういちろう、1947年7月4日… 大久保 昌一良(おおくぼ しょういちろう、1947年7月4日 - 2011年2月11日)は、日本の脚本家、演出家。本名、大久保 昌一郎(おおくぼ まさいちろう)。福井県福井市出身。 福井県立藤島高等学校、明治大学文学部演劇科を卒業。 高校生時代から映画やドラマの業界の方へ進みたいと思っていた。大学時代は映画研究会に所属。 6つくらいのペンネームを使ってマイナー雑誌に官能小説を書いたり、大道具のアルバイトをしたりしてつないだ後、劇作家の福田善之脚本の映画を観て衝撃を受け、後にその福田と出会って知り合ったのが縁で、福田の元で脚本助手、演出助手を務め、また後に山城新伍と知り合ったのがきっかけで山城主演のコメディ番組『新伍とんでけ捕物帳』(毎日放送)で脚本デビュー。
坂野 仁(さかの ひとし、1947年 - )は、日本の生命科… 坂野 仁(さかの ひとし、1947年 - )は、日本の生命科学研究者、神経生物学者、分子生物学者、免疫学者。理学博士。東京大学名誉教授。 福井県の商人の家に生まれる。文筆家を志したこともあったが、大病を経て、研究者の進路を選ぶ。京都大学の小関治男研究室の志村令郎准教授の下でRNAのプロセシングの研究を行い、博士号を取得する。海外に渡り、利根川進研究室でのちにノーベル賞の受賞対象となるV(D)J遺伝子再構成の分子機構の解明を行う。カリフォルニア大学バークレー校教授を勤めた後、帰国し、東京大学で嗅覚神経を扱う神経生物学の研究室を主宰する。1つの嗅覚神経細胞の中には1000個もある嗅覚受容体の中からたった1つの嗅覚受容体のみが選択的に発現されているという「1神経・1受容体」ルールの解明や、嗅覚神経が嗅球へ秩序だって投射する機構の解明などを行った。
中村 耕三(なかむら こうぞう、1947年 - )は、日本の… 中村 耕三(なかむら こうぞう、1947年 - )は、日本の医学者。専門は外科、整形外科。東京大学大学院医学系研究科・医学部名誉教授(整形外科学講座)。現在の研究課題は脚延長、脊椎外科、慢性関節リウマチ。
野路 國夫(のじ くにお、1946年11月17日 - )は、… 野路 國夫(のじ くにお、1946年11月17日 - )は、日本の実業家。小松製作所特別顧問。
中川 謙三(なかがわ けんぞう、1946年4月18日 - )… 中川 謙三(なかがわ けんぞう、1946年4月18日 - )は、日本の実業家。TOKYO MX元代表取締役社長。 福井県大飯町(現:おおい町)出身。父から政治家松村謙三の名を付けられた。 1965年福井県立藤島高等学校卒業。1971年東京大学法学部卒業。同年鹿島建設入社。平泉渉の選挙区が福井だった縁で平泉の秘書となり、1985年平泉の入閣に伴い、経済企画庁長官秘書官を務める。 1998年TOKYO MX取締役、2002年専務、2010年東京フットボールクラブ(FC東京)取締役、2010年後藤亘の命を受け、代表取締役社長に就任した。2014年相談役。
石川 九楊(いしかわ きゅうよう、男性、1945年〈昭和20… 石川 九楊(いしかわ きゅうよう、男性、1945年〈昭和20年〉1月13日 - )は、昭和・平成時代の日本の書家・書道史家。京都精華大学客員教授。同大学表現研究機構文字文明研究所所長。 福井県今立郡粟田部町(1956年以降は同郡今立町。現在の越前市粟田部町)出身。京都大学法学部卒業。 福井県今立郡粟田部町に生まれる。5歳で木村蒼岳塾に学ぶ。8歳で杉本長雲に入門。越前市武生第三中学校在学中から、垣内楊石に師事。1963年、福井県立藤島高等学校を卒業し、弁護士を目指して京都大学法学部に入学。進学に際して、師の垣内楊石から九頭竜川にちなんだ「九楊」の名を授かる。京都大学では書道部に入部し、新入生歓迎書道展では自作が展示された。
松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、… 松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、日本の政治家、通産官僚。民主党所属の元衆議院議員(3期)。 福井県鯖江市出身。福井県立藤島高等学校を経て、1968年 東京大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。同期には次官の村田成二、一柳良雄、元ダイエー会長の雨貝二郎ら。 ケンブリッジ大学留学後、生活産業局住宅産業課長などを歴任し、1994年 大臣官房審議官を最後に退官。 1996年10月第41回衆議院議員総選挙で福井1区で無所属で出馬し、新進党現職笹木竜三に惜敗したが自民党現職(宮沢派)平泉渉を凌駕。その後、平泉や新進党分党に伴い無所属となった笹木との自民党公認争いを制し、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙に福井1区から立候補し初当選。
似田貝 香門(にたがい かもん、1943年5月28日 - )… 似田貝 香門(にたがい かもん、1943年5月28日 - )は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。地域社会学を専門とし、1970年代の住民運動論、阪神・淡路大震災後のボランティアをめぐる研究で知られる。
高橋 省吾(たかはし しょうご、1943年1月26日 - )… 高橋 省吾(たかはし しょうご、1943年1月26日 - )は福井県出身の元裁判官。現在は山梨学院大学法科大学院教授及び中央大学法科大学院客員教授。
吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 - )は… 吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 - )は、日本の前衛書家、SYOアーティスト。福井県福井市出身。ソニー・クリエイティブプロダクツが著作物のマネジメントを行っている。 福井県立藤島高等学校卒業。上田桑鳩・宇野雪村・稲村雲洞・川崎一照らに師事。1964年に「奎星賞」を受賞し、以後、毎日書道展グランプリ、福井市民文化賞、毎日書道顕彰など多くの賞を受賞。「SHO家」、「SHO Artist」として国内、海外で精力的に活動し、エルメス社のスカーフのSHO作品を制作するなどその活動範囲は非常に広い。 1964年第一回個展「寿一墨象展」を手始めに、中国北京「百福萬福書法展」、パリ「SHO吉川寿一PARIS展」、東京・NHK放送センター「平成独楽吟大書法展」、「寿一SHOワールド」パリなどを開催。
高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 -… 高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 - 2005年10月21日)は、日本の植物学者。元東京工業大学大学院生命理工学研究科教授(生体システム専攻)。研究分野は植物生理・光合成。福井県福井市出身。
菅原 利夫(すがはら としお、1943年 - )は、日本の歯… 菅原 利夫(すがはら としお、1943年 - )は、日本の歯学者。岡山大学大学院医歯学総合研究科歯顎口腔機能再建外科学分野(歯学系)教授。日本口腔科学会評議員。口腔、顎の外科的治療法についての研究と菅原式人工顎関節の開発で知られる。福井県立藤島高等学校、東京歯科大学卒業。1973年 大阪大学より歯学博士号を得る。論文の題は「口唇口蓋裂発生原因としての風疹ウイルスに関する血清疫学的および実験奇形学的研究」。
小林 紘二郎(こばやし こうじろう、1942年8月10日 -… 小林 紘二郎(こばやし こうじろう、1942年8月10日 - )は、日本の工学者。大阪大学名誉教授。専門は、材料プロセシング、材料科学。 工学博士(京都大学、1976年)(学位論文「アルミニウム-けい素合金の共晶凝固現象に関する研究」)。
山崎 昭(やまざき あきら、1942年 - )は、日本の経済… 山崎 昭(やまざき あきら、1942年 - )は、日本の経済学者で、欧文表示は Akira Yamazaki。専門は、理論経済学・ミクロ経済学・数理経済学。学位は、経済学博士(ロチェスター大学)・経済学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授。 イリノイ大学シカゴ校経済学部助教授、ボン大学経済学部客員教授などを経て、一橋大学経済学部教授、慶應義塾大学経済学部特別招聘教授、明星大学経済学部教授などを歴任。元東京経済研究センター代表理事、元数理経済研究センター代表。 指導学生に、大橋和彦(一橋大学大学院教授)・原千秋(京都大学教授)・本田俊毅(一橋大学大学院教授)・長谷川かおり(東洋英和女学院大学准教授)・石川竜一郎(早稲田大学教授)・星野良明(香川大学准教授)などがいる。
名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は… 名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は、日本の振付家。日本ジャズダンス芸術協会専務理事、日本振付家協会理事、名倉ジャズダンススタジオ主宰。新潟県新潟市出身。 四人姉妹の次女として新潟県新潟市で生まれる。 新潟大学教育学部附属新潟小学校在学中に銀行員だった父親の転勤で福井県福井市に転居。 12歳で竹部玲子バレエ団に入り、ダンスを始める。1959年、福井県立藤島高等学校卒業後に姉妹3人で上京。竹部玲子バレエ団に在籍しながらショー番組やステージに出演する。1960年、当時、日本テレビのディレクターだった井原髙忠が結成したスタジオNo.1ダンサーズ初代メンバーの一員となり、『シャボン玉ホリデー』などテレビや舞台に出演する。
吉岡 芳夫 (よしおか よしお、1937年3月 - )は、日… 吉岡 芳夫 (よしおか よしお、1937年3月 - )は、日本の工学者。現在、金沢工業大学教授。専門は、プラズマ応用、放電現象、遮断器などの電力用機器、計算機シミュレーション等。学位は工学博士。
児嶋 眞平(こじま しんぺい、1936年12月29日 - )… 児嶋 眞平(こじま しんぺい、1936年12月29日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。前・福井大学学長。専門は有機化学、有機金属の化学、環境化学。工学博士(京都大学、1969年)。福井県出身。 1936年京都府京都市生まれ。1944年に福井県丹生郡志津村(現・福井市)へ疎開。1955年藤島高校卒業まで清水町で育つ。1955年京都大学工学部工業化学科入学。1986年京都大学教養学部教授、1992年京都大学総合人間学部教授、1993年-96年総合人間学部長、1997年福井大学学長、現在に至る。 2012年瑞宝重光章受章。
山本 圭吾(やまもと けいご、Keigo Yamamoto、… 山本 圭吾(やまもと けいご、Keigo Yamamoto、1936年2月4日 - 2025年1月29日)は、日本の現代美術家である。福井県足羽郡出身。 1971年より「ネットワーク・アート・ゲーム」、1976年より「ネットワーク・サウンド・インスタレーション」、1988年より「通信連画連歌」、1996年より「通信風景楽譜、通信図形楽譜」、1997年より通信サイコロ楽器、1998年より「通信障子楽器」、1994年より携帯電話を導入した「ユビキタス・ネットワークアート」、2004年より「通信連画連歌屏風」、2005年より「通信パノラマ障子楽器」などの「田農作家・電脳作家」であり、教育者。 小学校、中学校、高校、短期大学、大学、大学院の各教育機関で教鞭を取った経験がある。
倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2… 倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2026年3月26日)は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、日本電線工業会会長、JR西日本取締役会長などを務めた。大阪府池田市神田在住。 兵庫県神戸市生まれ、福井県出身。1958年東京大学工学部を卒業し、住友電気工業入社。川上哲郎の後任として、同社社長を務めた。 その後、2006年からJR福知山線脱線事故を受けて混乱の渦中にあったJR西日本の社外取締役として、代表権のない同社取締役会長及び取締役会議長を務めた。
久野 修慈(ひさの しゅうじ 1936年1月22日 - )は… 久野 修慈(ひさの しゅうじ 1936年1月22日 - )は、日本の実業家。塩水港精糖株式会社会長兼社長を経て、同社会長。中央大学元理事長。中央大学学員会名誉会長。和菓子振興会会長。 福井県出身。福井県立藤島高等学校を経て中央大学法学部政治学科を1958年に卒業。大学卒業後は法曹界を目指し、吉田久(中央大学法学部教授、元大審院判事)の書生をしていた。のち進路を変更し1961年に大都魚類入社、2年後の1963年に大洋漁業に転じる。大洋漁業時代には社外取締役を務めていた白洲次郎の特任秘書を20年間務めていたこともある。 大洋漁業在職時代には取締役、常務、専務等を歴任。大洋漁業オーナーの中部謙吉の命を受けてプロ野球球団の大洋ホエールズに関わる。
大島 昌宏(おおしま まさひろ、1934年7月27日 - 1… 大島 昌宏(おおしま まさひろ、1934年7月27日 - 1999年12月14日)は、日本の小説家、時代小説家、CMプランナー。 福井県生まれ。福井県立藤島高等学校、日本大学芸術学部卒業。広告制作会社に勤務し、多くのテレビCM制作を手がける。 1992年『九頭竜川』で第11回新田次郎文学賞を受賞。1995年『罪なくして斬らる』で第3回中山義秀文学賞を受賞した。
吉田 喜重 (よしだ よししげ、1933年2月16日 - 2… 吉田 喜重 (よしだ よししげ、1933年2月16日 - 2022年12月8日)は、日本の映画監督、小説家。名は「きじゅう」と音読みされることが多い。 福井県福井市佐佳枝下町で生まれる。1945年に順化小学校を卒業後、旧制の県立福井中学に入学。同年8月、福井大空襲で家が焼失する。1947年春に一家で東京へ転居し、田園調布の自宅から都立城南中学に通う。同校は吉田の在学中、学制改革により城南高校となる。この頃、フランス語を習うためアテネ・フランセへ通い、フランス映画をよく観ていた。また、NHKラジオに詩を投稿して賞金を貰ったり、演劇部には入らなかったが、自作の演劇脚本を文化祭で上演するなど、高校時代から映画、演劇への強い関心を示していた。
西山 忠範(にしやま ただのり、1932年4月17日 - )… 西山 忠範(にしやま ただのり、1932年4月17日 - )は、東京都出身の商法学者。元武蔵大学経済学部長。
八木 敏雄(やぎ としお、1930年7月8日 - 2012年… 八木 敏雄(やぎ としお、1930年7月8日 - 2012年2月22日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。成城大学名誉教授。 福井県敦賀市出身。10歳ころ、天津日本芙蓉小学校に編入、天津日本中学校在学中に敗戦を迎え、1946年帰国、福井県立福井中学校に編入。学制改革により福井県立藤島高等学校卒、1953年東京外国語大学英米語学科卒業後に母校の藤島高等学校教諭を務め、1956年成城学園高等学校教諭。1969年より成城大学に勤務し、のち教授。2001年停年退職し名誉教授。 2010年瑞宝中綬章受章。 エドガー・アラン・ポー、ハーマン・メルヴィルを専門とし、多数の著書、翻訳を刊行。 2012年2月22日に心筋梗塞で死去。
福井 慶子(ふくい けいこ、1930年 - )は、福井県出身… 福井 慶子(ふくい けいこ、1930年 - )は、福井県出身の小説家。東京都在住。夫は、小説「空よ」で直木賞候補になった作家福井馨。子は、受験アドバイザーの福井一成。 福井県立高等女学校(現・福井県立藤島高等学校)卒業。一時期、丹羽文雄に師事して、作品『無月』を著わす。夫の福井馨が視力低下したために、口述筆記を始めることとなった。以後、作家として頭角を現す。 1985年、福井馨と二人三脚で著した口述筆記の作品『風樹』(鳥取県を舞台にした純文学作品)で、第13回平林たい子文学賞を受賞。その後も数々の作品を著している。
松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2… 松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2015年5月6日)は、日本の政治学者・法学博士。法政大学名誉教授。元日本政治学会理事長。専門は、政治学、政治思想史、地方自治論。 福井県福井市生まれ。旧制福井中学、第四高等学校を経て、1952年東京大学法学部卒業。在学中は東京大学新聞編集長を務めた。丸山眞男門下として名高く、法政大学法学部に赴任後、助教授、教授を経て、2000年に法政大学を定年退職。また、日本政治学会理事長や日本公共政策学会会長を歴任した。マルクス主義全盛の時代潮流において大衆社会論を唱えて論壇に登場し、江田三郎の構造改革論や、地方自治のイデオローグとして活躍した。 2015年5月6日午前1時20分、心不全のため死去。
牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月1… 牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月14日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、政務担当官房副長官(宇野内閣)、労働大臣(第2次小渕改造内閣・第1次森内閣)を歴任。 福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。福井中学などを経て東京大学法学部入学。東大在学中に高等文官試験司法科(現在の司法試験)合格。卒業後、1949年に旧商工省(のちの通産省)に入省。同期には藤原一郎(通産事務次官)、村上信二郎(衆議院議員)、平松守彦 (大分県知事)、大永勇作(中小企業信用保険公庫総裁)、井川博(経済企画事務次官)、織田季明(官房審議官)、小泉孝夫(通産省工業検査所所長)などがいた。
天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 19… 天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 1994年8月30日)は、日本の官僚、経済評論家。 資源エネルギー庁長官、通商産業審議官、電通総研初代所長、松下政経塾評議員。福井市名誉市民。天谷直次郎陸軍中将は父、国土交通官僚の天谷直昭は甥。 福井県吉田郡岡保村(現・福井市)出身。旧制福井中学(現・福井県立藤島高等学校)を卒業後、旧制静岡高校、東京大学法学部政治学科へと進学した。1948年、商工省(のちの通産省)に入省。入省同期に、矢野俊比古(通産事務次官、のち参議院議員)、金森久雄(日本経済研究センター理事長)、岸田文武、熊谷善二(特許庁長官)、生田豊朗、黒田四郎(名古屋通産局長)など。
南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro… 南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro Nambu、1921年1月18日 - 2015年7月5日)は、日系アメリカ人の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授・特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学・1952年)。 福井県福井市出身。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。 日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者のひとりとしても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。
真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18… 真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1981年〈昭和56年〉1月10日)は、日本の法制官僚、裁判官、弁護士。内閣法制局長官。 福井市出身。弁護士・真田一夫、政乃夫妻の七男として生まれた。福井県立福井中学校、第三高等学校を卒業。大学在学中に高等試験司法科試験に合格。京都帝国大学法学部を卒業。1942年(昭和17年)1月、司法官試補となり東京地方裁判所判事に任官。召集され陸軍の戦車隊に配属されたが、海軍短期現役士官を志願し海軍法務官に転じ、終戦時は海軍法務中尉であった。 戦後、裁判官に復帰したが、1947年(昭和22年)法制局に転じ参事官となり、第二部長、第一部長、内閣法制次長などを歴任。
宇野 重吉(うの じゅうきち、1914年〈大正3年〉9月27… 宇野 重吉(うの じゅうきち、1914年〈大正3年〉9月27日 - 1988年〈昭和63年〉1月9日)は、日本の俳優、演出家、映画監督。本名:寺尾 信夫(てらお のぶお)。 宇野は第二次世界大戦前から戦後にかけて長く演劇界をリードしてきた名優の1人であり、滝沢修らと劇団民藝を創設した。飄々とした風貌と軽妙な演技を持ち味とし、『ゴドーを待ちながら』『夕鶴』などの舞台に出演。演出家としても多くの作品を残しており、リアリズムを基調とした近代的な芸を追求した。映画・テレビでも活躍し、主な映画出演作に『愛妻物語』『第五福竜丸』『金環蝕』など。映画監督として4本の作品も発表している。宇野重吉の芸名は、中野重治と鈴木三重吉に由来している。
多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 198… 多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 1980年7月8日)は、日本の小説家・俳人。福井県福井市出身。 旧制福井中学校、旧制第二早稲田高等学院、早稲田大学文学部仏文科卒業。横光利一に師事し、石塚友二らと交流する。高等学院時代は、八木義徳、辻亮一、中村八朗らと同人誌「黙示」を創刊。 1940年より上海へ渡り、上海中華映画に勤務、1941年、『大陸往来』に寄せた「長江デルタ」で第13回芥川賞受賞。 1945年福井に疎開するが空襲にあい、三国町(現坂井市)に移住し、三好達治らと交流を持つ。 1947年福井県社会教育委員を務め、福井県文化協議会の設立に参加。「蛇師」で大衆文芸懇話会賞佳作。
榊原 仟(さかきばら しげる、1910年(明治43年)10月… 榊原 仟(さかきばら しげる、1910年(明治43年)10月13日 - 1979年(昭和54年)9月28日)は、日本の医学者。心臓外科の世界的権威として知られた。 福井県福井市宝永上町に開業医の四男として生まれ、兄に榊原亨がいる。幕臣・榊原職直の後裔である。 旧制福井中学(現福井県立藤島高等学校)を経て、第六高等学校時代の1930年(昭和5年)、帝大生であった次兄・周と上京中の母が和田倉門辺りでタクシー乗車中に交通事故に遭い、母は頸髄損傷が元で、周も間もなく亡くなった。その後東京帝国大学に進み医学部を卒業。都築正男教授の医学部第二外科講座に入局。大学同期に、若月俊一、津川武一、近藤宏二など。 第二次世界大戦中は軍医としてフィリピン戦線に従軍し、1943年(昭和18年)には東京帝大医学部の支援で同仁会が設立した上海同仁大学の教授として赴任するが、日本の降伏後に同大は接収されたため、46年に帰国し東京帝大医学部第二外科講座で医局長を担う。
伊藤 義教(いとう ぎきょう、1909年2月23日 - 19… 伊藤 義教(いとう ぎきょう、1909年2月23日 - 1996年10月23日)は日本のイラン学者。京都大学名誉教授。 1909年、山口県大津郡三隅町で生まれた。旧制福井中学校、旧制姫路高等学校を経て、京都帝国大学文学部に進むと、梵語梵文学を専攻し榊保三郎、足利惇氏に師事。1935年に卒業した。 1940年、京都帝国大学大学文学部副手に採用された。翌1941年に同講師昇格。1947年からは新制大学発足に伴い、京都大学文学部講師。1953年、学位論文『マーヌシュチフル書翰集の解読』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1968年、文学部教授に昇格。1972年に京都大学を定年退官し、1974年名誉教授となった。