スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
木本 保平(きもと やすひら、1944年(昭和19年)6月1… 木本 保平(きもと やすひら、1944年(昭和19年)6月16日 - )は、日本の政治家。大阪府茨木市長(1期)、茨木市議会議長(第41・48・53代)、茨木市議会議員(11期)、大阪維新の会茨木市支部顧問を歴任した。 大阪府立茨木高等学校、関西大学文学部新聞学科卒業。 1971年、茨木市議会議員補欠選挙に出馬し、初当選。以後11期にわたり茨木市議会議員に連続当選し、3度にわたり市議会議長を務める。初当選時は無所属であったが、1977年に自由民主党に入党し、2004年から党大阪府連茨木支部長を務めた。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に、市議を辞職して大阪府第9区から無所属で出馬。立候補者6人中得票数4位で、供託金没収は免れたものの落選。
櫻田 嘉章(さくらだ よしあき、1944年6月13日 - )… 櫻田 嘉章(さくらだ よしあき、1944年6月13日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。弁護士。京都大学名誉教授。元甲南大学法科大学院教授。 大阪府出身。父は憲法学者で関西大学名誉教授の桜田誉。溜池良夫門下。1993年から2000年までの間、旧司法試験考査委員(国際私法)を務めた。
細見 彰(ほそみ あきら、昭和18年(1943年)3月 - … 細見 彰(ほそみ あきら、昭和18年(1943年)3月 - 平成30年(2018年)9月9日)は、日本の化学者。専門は、有機化学・有機金属化学・有機合成化学。細見・櫻井反応 (the Hosomi-Sakurai reaction)の発見者として著名。有機合成化学、有機金属化学、有機ケイ素化学に関する和洋著書や論文多数(細見彰ホームページ参照細見彰 HP)。筑波大学名誉教授。 学習院大学客員教授。京都薬科大学客員教授。中央大学客員教授。日本化学会フェロー。大阪府吹田市千里山出身。晩年は京都市中京区に居住。 吹田市立千里第二小学校、吹田市立第一中学校、大阪府立茨木高等学校、 京都大学工学部、同大学院工学研究科博士課程、東北大学理学部化学科助教授(この間 カリフォルニア大学サンディエゴ校博士研究員)を経て、 長崎大学薬学部教授、 筑波大学化学系教授、筑波大学化学系長・評議員、筑波大学大学院化学研究科長、筑波大学大学院理工学研究科長、筑波大学大学院数理物質科学研究科長・評議員(この間、分析センター長、アイソトープセンター長、ベンチャービジネスラボラトリー長等を歴任)、 大学評価・学位授与機構教授、 学習院大学客員教授、 京都薬科大学客員教授、現在 中央大学客員教授、 九州大学先導物質化学研究所学術顧問、筑波大学名誉教授、日本化学会フェロー。
池田 一(いけだ いち、1943年 - )は、日本の環境アー… 池田 一(いけだ いち、1943年 - )は、日本の環境アーティスト。地球環境問題、特に水に関する問題と強く結びついたアートワークを世界的規模で展開し内外で高い評価を受けている[要出典]。 1943年大阪府吹田市生まれ。1961年大阪府立茨木高等学校卒業。1965年京都大学工学部卒。 1991年、第21回サンパウロ・ビエンナーレで池田一は特別招待アーティストとして「Floating Earth (漂う地球)」というインスタレーションとパフォーマンスを行い、日本人で初めてメイン・ステージを担当(ちなみにその前年度メインステージはヨーゼフ・ボイスであった)。 1995年、国連50周年記念アートカレンダーではクリストやイリア・カバコフらと共に「世界の12人のアーティスト」に選抜された。
熊谷 英彦(くまがい ひでひこ、1940年10月 - )は、… 熊谷 英彦(くまがい ひでひこ、1940年10月 - )は、日本の農芸化学者(醗酵学・応用微生物学・酵素工学)。学位は農学博士(京都大学・1969年)。京都大学名誉教授、石川県立大学学長・名誉教授。 京都大学農学部教授、京都大学大学院生命科学研究科教授、社団法人日本農芸化学会会長(第54代)、石川県農業短期大学教授などを歴任した。 1940年生まれ。京都府京都市にて育った。地元の京都大学に進学し、農学部の農芸化学科に在籍した。1964年京都大学卒業。大学卒業後はそのまま大学院農学研究科農芸化学専攻に進学した。1969年に、京都大学大学院の博士課程を単位取得退学した。それから半年後の同年9月には、京都大学より農学博士の学位を取得している。
廣岡 正久(ひろおか まさひさ、1940年2月17日 - )… 廣岡 正久(ひろおか まさひさ、1940年2月17日 - )は、日本の政治学者。京都産業大学名誉教授。専門は、ロシア政治思想史。学校法人京都産業大学理事長・同大法学部教授を務めた。 1940年大阪府生まれ。大阪府立茨木高等学校を経て、1963年、大阪外国語大学外国語学部ロシア語科卒業、1967年慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。1969年、同博士課程を中退し後に京都大学より博士(法学)の学位を取得、京都産業大学法学部専任講師となる。1972年よ助教授、1982年より教授。学校法人京都産業大学理事長及び京都産業大学法学部教授をつとめた。2010年に定年退職。
米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日… 米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日- )は、日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。
中田一男(なかた かずお、1935年2月18日 - )は日本… 中田一男(なかた かずお、1935年2月18日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。 大阪府吹田市出身(父は兵庫県、母は大阪府)。大阪府立茨木高等学校、京都大学経済学部卒業。1957年 大蔵省入省(主税局調査課)。1964年7月 荻窪税務署長。1980年6月 経済企画庁物価局物価政策課長。1982年6月 中国財務局長。1984年6月 理財局次長(国有財産担当)。1986年6月 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1987年1月 北海道開発庁総務監理官。1989年4月 北海道開発事務次官。1991年6月 退官。同年7月 北海道東北開発公庫副総裁。1995年6月 苫小牧東部開発(株)代表取締役社長。2000年5月 (株)OMCカード代表取締役会長。
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5… 井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5日 - 2025年〈令和7年〉8月25日)は、日本の元政治家、元大学教授。位階は従三位、勲等は勲一等。大阪府摂津市長、衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。 大阪府三島郡鳥飼村(現在の摂津市鳥飼野々)で農家の長男として生まれる。1950年(昭和25年)に大阪府立茨木高等学校、1954年(昭和29年)に同志社大学経済学部卒業。 1968年(昭和43年)、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。
山田 卓(やまだ たく、本名:山田卓〈やまだ たかし〉、19… 山田 卓(やまだ たく、本名:山田卓〈やまだ たかし〉、1931年8月16日 - 2007年11月2日)は、日本の振付家。その振付作品の多さは群を抜いている。日本振付家協会の創設者であり、会長を務めた。 1931年8月16日、大阪に生まれる。7人の子供の5番目。戦時中もあり、裕福ではない幼少時代を過ごす。1937年、吹田第一小学校に入学。茨木中学校へ進み、器械体操で国体2位を受賞した。3年で終了(この年新制に変わったため)し、鳥羽商船高等学校へ進むが1年半で辞める。理由は、自身の希望した航海科ではなく、さらには軍隊の名残があった校風が肌に合わなかったためと推測される。退学後、姉の勧めで江川バレエ団に入団する。
長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉… 長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2019年〈令和元年〉9月3日)は、日本の経済評論家。日本個人投資家協会初代理事長。 主な評論の対象は時事の経済評論の他、国内政治評論、国際政治、国際経済、軍事関係等である。国際経済・政治評論に製鉄・金属加工の切り口からの分析を加えている。 京都府出身。大阪府立茨木中学校(旧制中学校)大阪高等学校 (旧制)(後の大阪大学一般教養部南校)を経て大阪大学工学部冶金学科に入学し1953年(昭和28年)卒業。日本共産党に入党、「国際派」に属した志賀義雄衆議院議員秘書。1955年から1963年まで日刊産業新聞記者を経て、1963年に経済評論家として独立し、証券アナリスト業、評論家業を営み、著述や朝の情報番組へのテレビ出演なども行う。
牧 冬彦(まき ふゆひこ、1922年(大正11年)12月2日… 牧 冬彦(まき ふゆひこ、1922年(大正11年)12月2日 - 2006年12月25日)は、日本の実業家。神戸製鋼所元社長。神戸商工会議所会頭や関西経済連合会副会長などを務めた。大阪府出身。 茨木中学、旧制三高を経て、1944年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。出征し、終戦後にはシベリアで抑留生活を送った。帰国後、1948年3月に神戸製鋼所に入社。主に人事、労務など管理畑を歴任した。 1983年からの社長在任期間は、円高不況による業績低迷の中、高知工場などを閉鎖。一方で西神総合研究地区の整備を開始し、現在の神戸総合技術研究所の基礎を築いた。 1995年の阪神・淡路大震災では神戸商工会議所会頭として地元復興に尽力。
松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Mats… 松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Matsushita、1922年10月1日 - 1990年12月25日)は、日本の現代音楽の作曲家・数学者・物理学者・宗教学者・哲学者。 大阪府茨木市生まれ。大阪府立旧制茨木中学校を経て、旧制第三高等学校(現・京都大学)に入学する。この間に、父・松下久一より作曲を、中村良治にピアノと和声、永井巴に作曲と和声、朝比奈隆に指揮を師事した。 幼少の頃より、音楽、文学、科学や天文学に関心を抱く。中学時代より、ミヨー、ドビュッシー、オネゲル、ストラヴィンスキー、バッハ等の楽曲に親しむとともに、十二音技法の始祖ヨーゼフ・マティアス・ハウアーの思想に傾倒し、13歳で最初の交響曲を作曲していた。
奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020… 奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020年11月13日)は、競泳コーチ。オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクール名誉会長。 大阪府生まれ。旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)卒業。中学5年時には水球日本代表にも選出された。早稲田第二高等学院を経て、早稲田大学に入学、水泳部である「稲泳会」に入部。1942年9月末の繰上卒業で従軍。愛知県豊橋市の陸軍南方軍第2航空師団入隊。その後第7飛行師団司令部付きとなり、フィリピン、ビルマを転戦。鹿児島県知覧町(現南九州市)の知覧陸軍飛行場で終戦を迎え、戦後は家業の造り酒屋で働く。後に競泳コーチに転身。山田スイミングクラブを経て、イトマンスイミングスクール会長となった。
入江 稔夫(いりえ としお、1911年(明治44年)11月5… 入江 稔夫(いりえ としお、1911年(明治44年)11月5日 - 1974年(昭和49年)5月8日)は、日本の水泳選手。大阪府高槻市出身。オリンピック出場2回。1932年ロサンゼルスオリンピックでは100メートル背泳ぎで銀メダルを獲得した。 1924年(大正13年)に茨木中学(現・大阪府立茨木高等学校)に入学。茨木中学校は、体育教諭杉本伝が指導に当たった水泳強豪校で、当時珍しい学校プールを擁し、高石勝男や石田恒信といったオリンピアンを輩出していた。3年生時に早くも背泳ぎの日本新記録を作る。1928年アムステルダムオリンピックには男子100m背泳ぎで参加。なお、アムステルダムオリンピックには茨木中から入江・高階富士夫(およびOBの高石)が選手として、杉本が飛込コーチとして参加している。
高階 富士夫(たかしな ふじお、1911年 - ?)は、日本… 高階 富士夫(たかしな ふじお、1911年 - ?)は、日本の飛込競技選手。茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)在学中の1928年、アムステルダムオリンピックに飛板飛込で出場した。のちに辻 富士夫(つじ ふじお)。 茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に学ぶ。茨木中学校は、体育教諭杉本伝が指導に当たった水泳強豪校で、当時珍しい学校プールを擁し、高石勝男や石田恒信といったオリンピアンを輩出していた。1927年、第3回日本選手権水泳競技大会の3m飛板飛込で優勝。 1928年アムステルダムオリンピックには、茨木中から高階と入江稔夫(およびOBの高石)が選手として参加しており、杉本が飛込コーチとして参加している。
二反長 半(にたんおさ なかば、1907年11月20日 - … 二反長 半(にたんおさ なかば、1907年11月20日 - 1977年7月5日)は、日本の小説家・児童文学作家。 大阪府茨木市出身。本名は二反長半二郎(にたんちょう はんじろう)で、父の音蔵は「日本のアヘン王」と呼ばれた製薬業者だった。 府立茨木中卒業。1932年、法政大学高等師範部国漢科卒業。高等女学校の教師となるが、中学時代の同窓だった川端康成と大宅壮一への憧れから文筆業に転じる。 その後、寄稿していた少年雑誌の編集者の薦めで児童文学を手がけるようになり、1939年に川端・大宅・井伏鱒二・宇野浩二・小川未明・坪田譲治・豊島与志雄・村野四郎と少年文芸懇話会を結成。『少年文学』を発行し、戦時中の厳しい世相の下で児童文学の創作を続けた。
上田 治(うえだ おさむ、1907年(明治40年) - 19… 上田 治(うえだ おさむ、1907年(明治40年) - 1978年(昭和53年))は、大阪府出身のゴルフ場設計者。元競泳日本代表選手。100m背泳ぎ元日本記録保持者。 上田治は、大阪府茨木市に、1907年(明治40年)生まれ、旧制茨木中学校(現・大阪府立茨木高等学校)、旧制松山高等学校(後身校・愛媛大学)を卒業、京都帝国大学農学部に学んだ。旧制茨木中学校時代水泳部で活躍した。100m背泳ぎで3度日本記録を更新し、極東選手権競技大会では1923年(大正12年)から1927年(昭和2年)にかけて100m背泳ぎ3連覇を達成した。 1930年(昭和5年)、「廣野ゴルフ倶楽部」(兵庫県)のコース設計で来日したチャールズ・ヒュー・アリソンは、コース設計図を作成した上で帰国した。
内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 -… 内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 - 1982年7月7日)は、日本の軍医。1950年、日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)を創業。医学博士。 京都府綾部町出身。茨木中学校、旧制三高を経て、1927年(昭和2年)京都帝国大学医学部に入学し、1931年(昭和6年)に卒業。1936年(昭和11年)に京大大学院を卒業。「バクテリオファージ研究補遺」で医学博士となる。 1937年(昭和12年)からヨーロッパ、アメリカでの研究、情報収集を行った後、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験にも関わったとされる。帰国後、東京・戸山の陸軍軍医学校で終戦まで軍医教官として勤務した。
石田 恒信(いしだ つねのぶ、1905年〈明治38年〉6月8… 石田 恒信(いしだ つねのぶ、1905年〈明治38年〉6月8日 - 1991年〈平成3年〉2月18日)は、大正時代に活躍した競泳選手。関西学院大学在学中の1924年、パリオリンピックに出場した。大学卒業後は阪神電気鉄道に入社。第二次世界大戦戦中・戦後の困難な時期に阪神甲子園球場の球場長を務めた。 大阪府出身。旧制茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に学ぶ。茨木中学校は体育教諭・杉本伝の指導のもとで水泳の盛んな学校であった。1920年(大正9年)8月、茨木中学校は石田(3年生)、入谷唯一郎・高石勝男(2年生)ら5人の選手で第4回戸田全日本競泳大会(静岡県戸田湾、東京帝国大学主催)に出場して優勝を果たす。
入谷 唯一郎(いりたに ただいちろう、1905年 - 198… 入谷 唯一郎(いりたに ただいちろう、1905年 - 1989年3月14日)は、日本の水泳競技黎明期の競泳選手。日本でクロール泳法を習得した初期の泳者の一人。 現在の大阪府高槻市出身。子供のころから地元の芥川で泳いでいたという。1919年(大正8年)、旧制茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に入学。同級には高石勝男がいた。茨木中学校は体育教諭杉本伝のもとで水泳の盛んな学校であり、入谷が入学した1919年(大正8年)には中田留吉が招かれて水泳の指導に当たった。 当時、クロールは50m競泳にのみ用いられる泳法であると理解されており、長距離には片抜手や抜手が用いられていた。1919年(大正8年)の帝国水友会主催全国大会(鳴尾)の中等学校の部100mに出場した際、杉本と中田が相談の上、入谷にクロールのみで100mを泳いでしまえと指示、入谷は泳ぎ抜いた。
伊藤 隆男(いとう たかお、1902年11月12日 - 19… 伊藤 隆男(いとう たかお、1902年11月12日 - 1992年10月12日)は、日本の経営者。資生堂社長を務めた。 大阪府出身。1916年に茨木中学校を卒業し、同年に資生堂に入社した。1927年に取締役に就任し、1948年に大阪資生堂専務に就任し、1959年8月から1964年12月までに社長を務め、1964年12月から1967年までに会長を務め、それ以後は相談役を務めた。 1966年10月に藍綬褒章を受章し、1970年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 1992年2月10日、慢性気管支炎のために死去。89歳没。
大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月1… 大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月13日 - 1970年〈昭和45年〉11月22日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。 大阪府三島郡富田村(現:高槻市富田)の醤油屋に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。祖父の八右衛門は、嫁入りの日に差し押さえを受けるような貧しい所から富を作ったり、法廷へ出るのに衣類が無くて薦を被って行ったという者の金まで絞り取る程の残酷な人だったが、妻子には甘かった、と大宅壮一自身が書き残している。 父について大宅は『青春日記』で、「14歳より放蕩を始め、青年時代に法律を志して弁護士試験に失敗し、中年よりは選挙、警察界に足を入れて産を傾け、最後に生涯離さなかった酒の為に死んだ。
小畑 信良(おばた のぶよし、1897年(明治30年)3月2… 小畑 信良(おばた のぶよし、1897年(明治30年)3月29日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兄に小畑英良。 大阪府出身。地主・小畑万治郞の七男として生まれる。茨木中学校卒。日本軍において、輜重兵科として陸軍大学校に入校し卒業した数少ない将校であった。 太平洋戦争開戦前の1941年(昭和16年)2月初め以来、参謀本部第1部内で小畑を長とする研究班が設置され、秘密裏に南方占領地行政に関する研究を行う。 1943年(昭和18年)3月には第15軍参謀長に着任。第15軍司令部で後のインパール作戦が起案された際、小畑はアラカン山系のジャングルを越える作戦実施は不可能と判断して作戦に反対した。
福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - … 福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - 1980年1月15日)は、日本の商学者・経済学者。学位は、商学博士。神戸大学名誉教授。第3代神戸大学学長(在任:1959年12月16日 - 1963年12月15日)。名古屋学院大学初代学長。独自の観点で商学を体系化した「福田商学」で知られる。弟子は荒川祐吉。 1896年、大阪府大阪市東区で生まれた。大阪府立茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)、神戸高等商業学校(のちの神戸大学、1918年卒)、東京高等商業学校(のちの旧制東京商科大学、現一橋大学)専攻部に進学し、1920年に卒業。同期に平井泰太郎神戸大学名誉教授がいる。 神戸高等商業学校では田崎慎治ゼミナールに所属し、卒業論文のテーマは「海上保険における再保険の研究」であった。
小畑 忠良(おばた ただよし、1893年(明治26年)3月1… 小畑 忠良(おばた ただよし、1893年(明治26年)3月16日 - 1977年(昭和52年)10月11日)は、日本の実業家、企画院・内務官僚、弁護士。企画院次長、大日本産業報国会理事長、大政翼賛会事務総長、官選愛知県知事、東海北陸地方総監。 漢学者、小畑万治郎の六男として大阪府で生まれる。茨木中学校、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)3月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し、銀時計を授与された。住友合資会社に入り総本店経理部に配属された。1923年(大正12年)2月から1925年(大正14年)3月まで欧米に商工業研究のため留学した。 1925年(大正14年)10月、住友総本店経理部第三課長となる。
杉本 伝(すぎもと つたえまたは つとう、正字体:杉本 傳、… 杉本 伝(すぎもと つたえまたは つとう、正字体:杉本 傳、1890年10月22日 - 1979年4月7日)は、日本の競泳指導者。 大阪市大阪市に生まれる。 大阪府立茨木中学校(現・大阪府立茨木高等学校)を経て日本体育会体操学校(現・日本体育大学)に進み、1911年に卒業する。卒業後は体育教員嘱託として母校の茨木中学校に着任した。 同校では、大正天皇の即位大典を記念して水泳場が建設され、1916年3月15日に竣工する。水泳場完成後、杉本は競泳の研究に取り組み、1919年に「水泳5ヵ年計画」を立案して「競泳研究特別班」を校内に編成する。茨木中学は、同年8月に静岡県田方郡戸田村(現・沼津市)で開かれた東京帝国大学主催の第3回全国競泳大会に初参加する(戸田には東京帝大の水泳場があった)。
石丸 梧平(いしまる ごへい、1886年4月5日 - 196… 石丸 梧平(いしまる ごへい、1886年4月5日 - 1969年4月8日)は、日本の宗教家、小説家。 大阪府生まれ。号を梅外。茨木中学校(現茨木高等学校)卒。早稲田大学高等師範部歴史地理科卒業後、教員となる。その後小説など執筆活動を始め、青年に対する教育的・啓蒙的なものを多く書いた。雑誌『人生創造』を刊行し、花園大学客員教授などを務めた。川端康成は若いころ梧平の影響下にあった。妻の石丸喜世子も評論家として活動した。
高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - … 高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - 1964年2月24日)は、日本の政治家・実業家。満洲重工業開発株式会社副総裁・第2代総裁、電源開発初代総裁、通商産業大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。 大阪府島上郡三箇牧村(現在の高槻市)で生まれる。旧制茨木中学を卒業後、農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務。1917年、東洋製罐を創立。1938年、東洋製罐専修学校(後の東洋食品工業短期大学)を設立。1942年、満洲重工業開発総裁に就任。1947年公職追放、1951年同解除。1952年、電源開発総裁に就任。
権野 健三(ごんの けんぞう、1881年(明治14年)4月 … 権野 健三(ごんの けんぞう、1881年(明治14年)4月 - 1959年(昭和34年)6月28日)は、日本の実業家。東洋綿花(現・豊田通商株式会社)代表取締役会長を務めた。 大阪生まれ。茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)卒業後、三井物産で綿花を取り扱い、1920年に三井物産綿花部が東洋綿花として独立すると、同社取締役に就任。上海紡織会長を経て、1936年から東洋綿花会長を務めた。豊田利三郎と豊田喜一郎、藤野勝太郎が保有していた豊田紡織株を東洋棉花が取得したことにともない、1937年豊田紡織の取締役に就任。1943年トヨタ自動車工業取締役。1959年藍綬褒章受章。同年死去。趣味は狩猟、囲碁、陶磁器で、酒は飲まなかった。
生駒芳子(いこまよしこ)は、日本のファッション・ジャーナリス… 生駒芳子(いこまよしこ)は、日本のファッション・ジャーナリスト、アート・プロデュース、工芸ブランドHIRUME総合プロデュース。 有限会社UNDERGROUND(モデル冨永愛個人事務所)代表。経済産業省:日本ものづくり大賞選考委員。内閣府:クール・ジャパン官民連携プラットフォーム構成員。内閣府・消費者委員会委員。カルチャービジョンジャパン アドバイザー。三重テラス クリエイティブ・ディレクター。東京都・江戸東京きらりプロジェクト委員。東京ブランドあり方検討会委員。石川県・伝統産業開発プロジェクトプロデューサー。LEXUS NEW TAKUMI PROJECTメンター。東京2020ブランドアドバイザリーグループ委員。
勝 敏彦(かつ としひこ)は、熊本県を拠点に活動するフリーア… 勝 敏彦(かつ としひこ)は、熊本県を拠点に活動するフリーアナウンサー。元日本放送協会 (NHK) のアナウンサー。 大阪府出身。大阪府立茨木高等学校を経て大阪外国語大学を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。 主に各地の放送局を廻る勤務歴であったが、その中で特に熊本県を気に入り、ここに終の棲家を設けることを決断。50代でまた熊本局に転勤となるとそのまま定年退職した。定年退職後は熊本局内にあるNHKカルチャーの教室で指導にあたる傍ら、アナウンサー時代からライフワークにしていた朗読活動に積極的に取り組み、地元民放のアナウンサーも参加している「熊本朗読研究会」のメンバーとしてイベントなどに参加する。
谷村政樹(たにむら まさき)はフジテレビドラマ制作センター所… 谷村政樹(たにむら まさき)はフジテレビドラマ制作センター所属のテレビドラマ演出家。
木谷 悦子(きたに えつこ、 ? 年8月24日 - )は、… 木谷 悦子(きたに えつこ、 ? 年8月24日 - )は、日本のハーモニカ奏者。 広島市生れ、大阪府立茨木高等学校、京都女子大学卒業後、高槻市役所に勤務。1993年偶然楽器店でクロマチックハーモニカと出会い練習を始めた。練習開始1年後の1995年には国内コンテストである「FIHジャパンハーモニカコンテスト」クロマチックジャズポピュラー部門で1位となり、1996年には世界大会である「ワールドハーモニカチャンピオンシップス」クロマチックジャズポピュラー部門で3位、翌1997年には同大会で優勝した。1998年には市役所を退職し、プロ奏者として活動を開始した。 2004年の中越地震のあと2005年5月から10月にかけて全国40か所でチャリティコンサートを行ない、山古志村元村長の長島忠美に義援金111万円を送った。
池内 克史(いけうち かつし)は、日本のコンピュータビジョン… 池内 克史(いけうち かつし)は、日本のコンピュータビジョン分野の計算機科学者。 大阪府生まれ。大阪府立茨木高等学校卒業。京都大学工学部機械工学科卒業。東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了、工学博士。 学位論文は「Graph description principle based on image processing by human(人間の視覚のモデル化に基づく図形記述方針)」。人間の漢字読み取りの過程のモデル化を行い、短時間漢字を見せ読み取り誤りの減少をこのモデルで予測することで、モデルの正当性を検証した。 博士取得後すぐにMIT人工知能研究所にポスドクとして渡米、その後電子技術総合研究所(現産業技術総合研究所)を経て再度渡米、カーネギーメロン大学ロボティクス研究所の研究員となる。
川端 康成 は、日本の小説家・文芸評論家。日本芸術院会員、文… 川端 康成 は、日本の小説家・文芸評論家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した。位階・勲等は正三位・勲一等。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。
古宮 真美子(こみや まみこ)は、日本の作曲家。 大阪府立茨… 古宮 真美子(こみや まみこ)は、日本の作曲家。 大阪府立茨木高等学校、大阪教育大学小学校課程音楽専攻を卒業後、茨木市立茨木小学校などに勤務。音楽専科となったことをきっかけに、子どもたちのための合唱曲を作曲するようになる。2023年3月に退職。現在は、作曲家、音楽教育アドバイザー、茨木市少年少女合唱団の指導者として活動している。
しげの ゆうこは、日本のジャズ・シンガー。 4歳から、大阪の… しげの ゆうこは、日本のジャズ・シンガー。 4歳から、大阪の金沢ピアノ塾でクラシックピアノを習う。 大阪府立茨木高等学校卒業。高校在学中にジャズに感銘を受け、ジャズ・ピアノとジャズ・ボーカルの基礎を学ぶ。津田塾大学学芸学部英文学科卒業。大学時代より、ジャズ・ボーカルおよびピアノの弾き語りを始める。 カリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学。英米文化、比較文化専攻。さらに卒業後、数回渡米し、ボイストレーニング、言語学、音声学発声指導法ならびに発音指導法を学ぶ。 20代でロック・バンド、女的(ガールティック Girltique)のボーカリスト「鬼姫」(おにひめ、通称:姫)としてデビュー(ティアードロップス/CROWN records)。
西上まなみ(にしうえまなみ)。 日本の女性ファッションモデル… 西上まなみ(にしうえまなみ)。 日本の女性ファッションモデル。1991年11月20日生まれ。特技:ゲーム、読書、趣味:ラクロス、サッカー。備考:Miss TGC 2014。 2016.4.9『二宮和也と女が嫌いな女たち』(夜10:30~)が放送され、そこで“インスタグラムに必死過ぎる女”として出演し話題を呼んでブレーク寸前。インスタグラムのフォロワーが1日で5千から2万5千に。